8-4話【語らない黒百合】
「ああ、シレンもヒカルちゃんも済まなかったね。少し本気で隠れてしまった」
照れ臭そうな顔をしながら頭を掻く破壊神ヴェルニールの少し後ろで不機嫌極まりない顔をした創造神ルドミラが「…………チッ」とやや乱れた呼吸で舌打ちをした。
「…………これと共に隠れるべきでは無かった」
かくれんぼは個人戦。見付かりそうな時に囮として一人がわざと出て捕まりオニの意識を逸らす、といったテクニックは存在するものの、しか市かくれんぼは個人戦。夫婦故、無意識的に連携しようとしてしまったのか、ヴェルニールと組んだ事によって酷い目に遭ったルドミラが「そろそろ飯にするぞ」と言いながら、壁に手をやり下半身を引きずるようによろよろと歩いて廊下を進む。
眉間にシワを寄せ、ご機嫌斜め感が出たルドミラに「ようオバン」と光が声を掛けた。それに「……何だ小娘」とルドミラが顔を向ければ、
「口の端ぃ、チン毛付いとるで」
「な……ッ!? ─────ガアアアアゥッ!」
「痛っだッ! ルドミラッ!? いや違───綺麗にするって言って口でしてくれたのはルドミぃ痛っだァッ!?は おれは大丈夫だよって
大慌てで口元を手で擦ったルドミラが、そのまま口元を隠しながら怒りに任せ、縦長の鋭い瞳孔をギュッと細める。かと思えば最早恥を掻き捨てるかのように吠え、反対の手で
何が起こったのかは謎だし口で何をしてくれたのかも謎だが、下半身に上手く力が入らなくなったルドミラが壁から手を離して腕を振れば「おっ」という呻きと共に体がよろける。
「ほらルドミラっ、危ないよっ」
それを即座に支える虹蛇の夫。まるで正面から抱き寄せるかのような体勢になりながらルドミラを支えたヴェルニールは、
「……………続きは夜にしようね」
吐息のような声で優しく囁き掛ける。
そんなヴェルニールに顔を赤くしながら照れたルドミラだったが、しかし蚊が鳴くよりも小さな声で「……うむ」と頷いたのを聞き逃す事が出来なかった
「つかおいメイド、これ何の茶番や。ウチ何でこんなクソみたいな茶番見せられとん」
「こんなの日常
「アレか? これウチはスマホか何かで隠し撮りして「友達の家に遊びに来たら両親が始めた件について」とかってタイトルでエロサイトに動画上げたらええんか?」
「なッ!? ………貴様小娘ッ! そんな事を我が許すとでも───」
「良いじゃないかルドミラ。……ヒカルちゃん、撮ったら元動画をおれに送ってくれないか? 疑似NTRみたいで楽しめそうだ」
「おいヴェルニールッ!」
「サイトで観ろや」
「画質落ちるだろう。モザイク画質で観のは嫌だよ」
「ば──バカモノがッ! お前何を───」
「ねえねえ光ちゃん、えぬてぃーあーるって何?」
「合法麻薬や。他じゃまず得られん背徳感で背筋とタマウラーノ平原ゾクゾクするが、ヘタにキメると脳と倫理観ブッ壊されるで。一度キメたらガチで二度と戻れへんから、やるならそのつもりでな」
「……………や、やらない。お薬は良くないよ」
「ふむ……ヒカルちゃんは面白い表現をするね。確かにあれは麻薬と変わらない、嫌がるルドミラを他の視点で見たら、きっともう普通にするだけじゃ飽き足らなくなってしま───痛いッ! やらないッ! 我慢するッ! 我慢するからッ!」
抱き寄せたままのルドミラにドゥムドゥムとひたすらストマックブローを受け続けるヴェルニールが「吐きそッ、吐きそうッ! 出るッ、もう出るよッ! ルドミラッ! 全部ッ、全部受け止めてッ!」と悪意しか篭っていない呻き声を上げる。
それを端から眺める光が「このオッサンめげんなぁ」なんて他人事のように呟き「ほれ恣恋、行こか」と
「まあシレンお嬢様もヒカル様も、もう晩御飯の準備は整っておりますので。背後の余所事には構わずお腹を空かせておいてください」
「よそご───、………おう。飯は何や?」
随分と古い言い回しをする事にツッコもうか悩んだ光だったが、慣れない場所でボケのツッコミのとを繰り返している上、今日は恣恋と一緒に沢山遊んで疲れていたので言及する事はしなかった。
そんな光の様子に、しかし羊角のメイドは何も気付かない。
「ホワイトシチューです。お米もありますから、個々人の食べ方に文句を付けず自分は自分、欲しい方のみ自分が好きな食べ方で楽しんで下さい」
「きのこたけのこ戦争、唐揚げレモン内戦に次ぐシチューライスロワイヤルか。ウチはテメエが食う訳でも無い他所様の食い方に文句付ける奴に文句付けたいタイプ」
「唐揚げにレモン勝手に掛けるかどうかはちゃんとした罪でしょう。たこ焼きやお好み焼きにマヨネーズやソースを勝手に掛けるのも度し難いです、私粉もの系は何も掛けられて無いのが好きですから」
「食いたいなら自分の分も頼めカス人様の頼んだもん勝手に手ぇ付けとんとちゃうぞ乞食がって、なんぼ言われてもウチはそうとしか思えん。掛ける掛けないとかどうでもええねん、そもそも何でお前無許可で人の頼んだもん食おうとしとるんじゃって話やないの?」
「パーティや飲み会だとその理屈も通し辛いでしょう」
「俺唐揚げ好きだから自分の分自分でオーダーするねーいっぱい食べたいんだー言うて好きに食えや。そっから唐揚げ美味しいよねーみたいな話広げられんコミュ症はそも飲み会なんざ出ようとすんな、コンビニ店員と世間話する所から会話の練習せえ」
「割り勘だと───」
「お前まさかテメエ様のこだわりに人様の金使わせる気け? これ俺自腹で頼むからースマホにメモっとくねーとか言うとけや。割り勘だっちゅんなら黙って食うか黙って目線反らしとけ、テメエのプライドで許せんもんにテメエで金出せんなら発言権なんざ無いで?」
「………ぼ、暴論に聞こえるんですが。いえ割と正論なんですけど、言い方が荒くて超絶喧嘩腰に聞こえてしまうのは何とかなりませんか………?」
自分がそう「言える人間」だからなのか、毅然と言い放つ橘光に羊角のメイドが及び腰になると「光ちゃん、何か唐揚げレモンで嫌な事でもあったの?」と長柄恣恋が小首を傾げる。
すると光は「権利と責任っちゅーてな」と全く関係無いような事を言い始めた。
「何かの権利を主張するなら、それに伴う責任を果たさなかんのよ。権利と責任、これ対になっとるような言葉やねん。ウチが昔人殺した時に、心療内科のセラピー行け言われてこないな感じのお話し会に参加させられたんよ」
「………そうなの?」
「せやで。恣恋が「新しい玩具欲しい!」って主張すんなら、恣恋はそれに見合う……「代わりに良い子にする」とか「お風呂掃除を手伝う」とか、或いは「その玩具を本当に大事にする」って責任を果たさなかんのよ」
「それが……唐揚げレモン内戦の終着点だと? ……というか何で内戦なんですかこれ、普通に戦争で良いでしょう」
「基本内輪の飲み会やらで起こるから内戦やろ。この世で最も愚かしい、仲間内での殺し合い晒し合いや」
「光ちゃんは唐揚げにレモン掛ける? それとも掛けない?」
「何も付けん。レモンも胡椒も要らん」
「勝手に掛けられたらどうなさるんですか?」
「はぁー? お前勝手にレモン掛けとんちゃうわウチが食べるはずだったかりゃーげにお前がレモン掛けたんやから責任持ってお前がウチにかりゃーげあーんせえよ、って言うと思う。柑橘系のアレルギー無いからレモン掛けられとっても食える事に代わりぁ無いしな、味の好み我慢しながら他人の好感度上げて長生き出来るように努めるで」
「あ、あざとい……かりゃーげって言ってた辺りがあざといです……」
「ちゅーか最初から同じ唐揚げ二皿頼んどけやダボって話やねん。レモン有りとレモン無しとで二皿用意しといて、各々好きな方食べりゃあねーとか言うとけや。配慮の足らん行いで招いた苛立ちぐらいテメエで責任取って飲み込めっちゅーねん」
「ああ、遂にそれを言い出してしまいました……そうなるとこの話はもう終わりです」
言いながらもどこか安心したような声色のメイドに「光ちゃんは強いんだね」と恣恋が少しだけ憧れの篭った眼差しを向ける。
しかし光は「ちゃうで」とそれを一蹴した。
「さっきも言うたやろ、ウチは権利と責任を意識しとるだけや」
「………そうなの?」
「言いたい事があるなら言う。その場合、当然喧嘩や言い争いになった時に責任を取る。責任が取れん、或いは取れる自信が無いなら言わない言えない言う事なんて許されない、そういうこっちゃで」
「難しいね……大変そうなのは分かったけど」
困った顔でそう言う恣恋に「何のこっちゃ無いで?」と光はあっけらかんと言葉を続ける。
「責任取れん奴に中出しする権利は無いって話よ。孕ませるリスクを負ってでも生ハメしたいっちゅーなら、そのリスクにブチ当たった時にバチッと責任取れよってだけや。無責任中出ししよって逃げりゃあ豚箱突っ込まれて責任負わされるか、大量の慰謝料と損害賠償を請求される。その責任を負いたくないなら、時効まで死に物狂いで逃げ続けなきゃならん生涯を背負う。権利と責任って、そういう事やで」
「えと、えっと………ごめんね光ちゃん、もっと良く分からなくなっちゃった………」
「恣恋が新しい玩具の服のが欲しいって言うたら、買って貰ったそれは使わなくなったとしても大事にし続けるんやでって話。「買って貰った」って思い出が残っとる限り、サイズが合わんなって着れんでも、良い歳なって遊ばんなっても、それでも思い出が残っとる限り大事にする責任があんねん」
長柄恣恋の頭をぽへぽへと撫でながら光がそう言うと、恣恋はようやく理解を示し「……わかったっ」と力強く頷いた。
「………………………………ふむ」
そのまま先を進む二人と、その二人を見守る羊角のメイドを、更に背後から眺めていた破壊神ヴェルニールが「あの娘は良い子だ」と脇腹の激痛に耐えながらそっと呟いた。
「強くて、優しい、良い娘だ。些か口が悪く人の勘違いを招きがちだが、分かり易く言ってくれと言われれば、きっとあの娘は苛立ちに飲まれていたとしても分かり易く相手に伝える事が出来るだろう」
「………む? 何の話だヴェルニール、いきなりどうした」
平静を装いながらもひたすら脇腹を擦りながら遠い目をする破壊神に、壁に手を付きながら歩く創造神が問い直すと、破壊神は「聞き入れてあげよう」と創造神の手を取りながら言った。
「あの娘はシレンにとって最良の友人になるだろうね。………シレンにとって得になる娘であればおれたちにも得になる。であればおれたちだって、あの娘に得を返してあげなければならない」
「は? …………済まんヴェルニール、我は何も聞いてなかった、何の話かまるで分からぬ」
今度は尻を揉む事も無く、ちゃんと肩と腰に手を回し体を支えようとする破壊神に素直に体を預ける創造神ルドミラに「権利と責任の話だよルドミラ」とヴェルニールが答える。
だがルドミラは更に何の話か分からなくなり「はぁ?」と再び困惑する。そんな様子を見てヴェルニールが嬉しそうに喉を鳴らして笑った。
「ルドミラだって会ってみたいだろう?」
「…………誰にだ」
「あんなに我の強い娘が、本気で愛した男の子とやらに」
橘光は我が強い。しかし橘光は我儘とは程遠い。我が強いという事は芯が強いという事でもあり、また意志が強くプライドも高いという事。そういった人間は総じて他者を認める事が苦手であり、自分以外は全て格下にしか見えないものは誰かを好きになり難い。
誰かを好きになるという事は、その人を自分の伴侶として認めているという事。
元々人を選り好みしない長柄恣恋とはいえ、しかしたった半日程度で簡単に心を許すような娘では無い。類は友を呼ぶという言葉が本当であるとするならば、心底までに心根の優しい長柄恣恋とすぐに仲良くなった橘光という女の子は、長柄恣恋と同じぐらい心根が優しいという事になるだろう。
「…………ふん」
破壊神ヴェルニールが何を言いたいのかが分かった創造神ルドミラが「先に言っておく」と不満げに顔をしかめながら言った。
「我は唐揚げにレモンを掛ける輩は絶対に許さん。猫の体とやらを創り出すのは容易いが、その男とやらがレモン掛ける勢であれば………分かっているだろうなヴェルニール」
「その時はおれが壊せば良いよ。おれは唐揚げにレモンは好きだけど、おれはおれがレモンを掛けたい勢だからね。誰かが素手で触れたものが掛かった唐揚げは遠慮したいな」
「お前もお前で我が強いな、ヴェルニール」
「嫌い?」
悪戯っぽい顔をしたおじさんの言葉にむっと唇を噛んだルドミラは、しかし徐々に顔を赤くしながら俯き、
「………………………………好きだ」
「そう。おれもルドミラの事好きだよ、両想いだね」
「…………うむ」
雪の古城に住む二匹の虹蛇は、今日も仲良しこよしを貫いていた。
やがて夕食を食べ終えた橘光。個人的には会食が如く何人もで集まって食べる食事は好きでは無く、またそこに上司のような立場の存在が居合わせるようであれ尚の事遠慮したかったものの、拒否を示すと長柄恣恋が露骨に悲しむ。「お友達になって欲しい」だなんて事を言われずとも、自分の体付きに対して性的な目や醜い僻みを全く見せないような女の子は貴重過ぎるのだから、誰かに指図なんてされなくてもこっちから仲良くなって友達になりたい。
そういった思いから長柄恣恋に気を遣い、多少の不満は残る超団体様での晩御飯に相席したものの、しかし実際にはそこまで肩肘張るようなものでは無かった。二匹の虹蛇夫妻に関しては雪原の古城の王であり肩肘張るような事は有り得ないだろうが、集まったメイドたちも一切肩肘張って居なかった。無言で黙々と食べるものも当然居たが、羊角のメイド辺りは「クローゼットの中で行為に及ぶのはお控え下さいませ、衣服に匂いが染み付いても知りませんよ」と盛ったヴェルニールに対して文句を言っていたし、それを聞いた何人かのメイドたちも「奥様もきちんとNOと言えるようになって下さい」と注意をしている程だった。
当然ながら虹蛇夫妻も、それらのお小言に対して何か言うような事は無く、ルドミラなんかは「う、うむ……済まない、次はちゃんと断る。頑張る」と照れながらその忠言をしっかり聞き入れていた。
そんな中、長柄恣恋は橘光に対して「おいしい? 光ちゃんシチューおいしい?」とひたすら聞いてきた。一口食べる度に「おいしい? おいしい?」と聞いて来る恣恋に対し、光はむぐむぐと口を動かしたまま「
「いや美味い、
別に自分が作るのを手伝った訳でも無ければ、地元の名産だの特産だのを使っているような訳でも無いにも関わらず、光の言葉を聞いた長柄恣恋は不思議と心底から嬉しくなり笑顔になれた。
………自分の事を褒められた訳では無いのだが、自分が好きなものを褒められると何故か自分も嬉しくなる。共感能力でも働いているのだろうか、それとももうこの古城の全てが自分の体のようになっているからなのだろうか、そんな恣恋と光の様子を眺めていた虹蛇の夫妻も、不思議と心が温かくなった。
しかし食後、長柄恣恋と光は一緒には居なかった。この流れで行けばどう考えても恣恋はお泊り会のような感覚で光と一緒に寝たがるだろうが、意外な事にそれは夫妻によって「ごめん、まだ駄目だ」と止められてしまった。
そも、である。
想像と破壊を司る虹蛇の夫妻は、今はルーナティア北方にある雪原の古城で何人かのメイドたちとと共に住んでいるが、だが何も最初からここに住んでいたという訳では無い。
当時の魔王チェルシー・チェシャーに追いやられたせいで、こんな極寒の地で寂しい生活をしているのだから、自分を力で追いやった魔王チェルシーが送り付けて来た愚者と、自分の命に並ぶかそれ以上ぐらい大事な養子となった長柄恣恋とを警備の緩まる夜間や睡眠中まで一緒に居させる程ルドミラもヴェルニールもお人好しでは無い。
橘光にその意志や意図が無い事は何となく察している。この娘は本当に好きな男の子を取り戻す為、シャツとデニムジーンズの上に革のズボンとジャケットを羽織っただけの「雪山ナメんな」と言いたくなるような出で立ちでここまでやって来た。当然ながら「お友達になって欲しい」という言葉なんて無くとも自分の娘と仲良くなっている事だって理解している。
それでも、それでも、懸念は消えない。故にヴェルニールは「パジャマパーティはもっと仲良くなってからね」と娘とそのお友達が同じ部屋で寝る事を許さなかった。
「あと、ヒカルちゃんからは何となくレズのケを感じるんだ。初心なシレンと慣れてそうなヒカルちゃんとの百合展開に戸惑ってしまう愛娘も見てみたいが、おれ的には孫が見たいなって思うから」
「ウチは何となく喧嘩売られとるんかなーって感じとる、名前の通り
これは本人も無自覚だが、タクトと喋っている時以外の橘光は滅多に表情を変えない。面白味のある言い回しや流れるようなボケとツッコミをしていたとしても、橘光は基本的に無表情が多く、顔だけ見れば何一つとして感情を感じられない程の鉄面皮にすら見えてしまう。
愚者の少年は彼女の事を「ヘラヘラ笑う女」だと称しているが、当然ながらタクトはタクトが居ない場所で光がどんな風に過ごしているかを殆ど知らない。故にタクトは、光が自分と一緒に居る時以外は殆ど笑わず、タクトの横でのみ気を抜いてヘラヘラと笑っているという事を知らない。
けれど光はそれで構わない。せっかくの第二の人生なのだからもっと色々な事を知りたいと思いこそすれ、自分の事をもっと知って欲しいと思う程自惚れ屋でも無ければ自己顕示欲が高い訳でも無いし、まして承認欲求なんて微塵も湧かない。
自分の事を万人が認めたとしても「じゃあ自分で自分を認められる」では無いのだから、自分の事をコンプレックスの塊のようにしか思えない光にとっては、タクトの事をもっと知れるだけで十二分に自分の欲求は満たされる。
「まあ………ウチは何でも構へんけど、恣恋の説得はお前らがせえよ」
そう言って話を切ろうとする光に「勘違いされるのは嫌だから言っておこうか」と食い気味に割って入る。
「おれは別にアダルトだかセンシティブだか次から次へと創られる言葉に否定を投げる気は無いから、そこを勘違いしないようにね」
「いやウチも無いわ」
真面目そうな、不真面目そうな、光よりもよっぽどヘラヘラとした無精髭のおじさん然としたヴェルニールが「そうなのかい?」と驚いた顔になる。
「てっきり否定意見が強いのかと思ったよ。ヒカルちゃんの言葉にはトゲが多いからね」
「ウチはウチの中に強い拘りがあるだけや。性風俗の
一切の無表情でそう言う光に、ヴェルニールは驚いた顔を隠せなかった。
高々人間の雌でしか無いと思っていたが、少なくともこの人間はその辺に掃いて捨てる程居る有象無象とは些か
「…………愚者として呼び出されるだけはあるね。敵は多いだろうが、おれは立派な心だとヒカルちゃんを推そう」
「ウチはウチの理念に沿って動く、他所様の言葉は他所様のもんやからな」
「気に入ったよ。シレンをよろしく頼───」
「せやからウチはウチが「ヤりたい」って思ったら恣恋相手でも容赦無くヤる。他所様の言葉に振り回されてやる気は無い」
「待ってくれ、急展開だ。頭が追い付かない。どういう事だい? ヒカルちゃんは一体何が言いたいんだい」
「恣恋がウチを受け容れてくれるっちゅーたら、ウチは遠慮無く恣恋のお股
「ヒカルちゃんはちょっとへったくれが無さ過ぎるな。いやちょっとじゃ無いかもしれない、凄いへったくれが無い」
真顔。全く表情の無い本当の真顔でとんでもない事を言い出す橘光に、ヴェルニールは本当に驚きを隠せなかった。
彼女の言葉に「えー、……あー」と呻くヴェルニール。余りにも類を見ないタイプの人間である橘光を前に、どういった答えを返すべきなのかが分からなくなったヴェルニールが少しおろおろと周囲を見渡すが、当然ながら助け舟を出すような誰かも居ない。
やがて大きく溜息を吐いたヴェルニールが「……まあ、そういう道に進むとしても構わないが」と光に向き直る。
「まだシレンにはまともに性教育とかして無いんだ、だからもう少し待ってあげてくれないか。おれたちが教えた後で、「わたしはこう教わったよ」ってヒカルちゃんと一緒に方向修正してあげて欲しい」
「お前らが性教育するんけ? メイドにさせりゃあええじゃろ、お前みたいなスケベ親父に性教育なんかさせたら孕むんちゃうか?」
光の軽口に「はっはっは」と口を開けて笑ったヴェルニール。その時、その瞬間だけは本心から笑っていただろう。楽しそうに「する訳無いよ」と答えたヴェルニールは、
「シレンが父に犯されて孕むという過去はもう壊したからね。もう無い。直せない。ルドミラがルドミラの意思で創り出さない限り、あの娘はそれを知れない」
どれだけ穏やかで温和に見えても、本質は神なのだから人とはまるで価値観が異なる。神と人とが調和なんて取れるはずが無い事を、吸い込まれるように深い縦長の瞳孔からようやく理解した光だったが、しかし直後に「こんな話は要らないか」と呟いたヴェルニールによって一秒も無く記憶を破壊されてしまった。
ぽん、っと頭が少しだけ揺れる。手足を動かさぬまま額の真ん中を指で軽く突かれた時のような弱々しい衝撃がして、それに「……んぉ?」と呻く頃には、もう光は自分の身に何が起きたかを
「じゃあそういう訳で、お風呂はシレンと一緒に入っておいで。準備出来たら呼ぶから、それまでは部屋で待っててくれ」
「………んん、…………ん?」
「くれぐれも、体洗うフリしてシレンを大人の女にしちゃ駄目だよ。擦り合わて二人で気持ち良くなるぐらいなら良いけど、せめて膜は残しておいてあげてね。いつかシレンが人間らしく繁殖しようとした時の思い出になるかもしれないから」
「ん………ん? ………おう───いや何もせんけど、ウチどんな目で見られとるん」
「公衆トイレに全裸で縛り付けられて肉便器にされて喜んでそんなイメージかな。キミ亀甲縛り似合いそうだよね」
「ウチ鎖ぐらいならもにゅって千切るで。船の錨ぶら下げるごんぶとな鎖でも、ウチからすりゃ正直風呂で自分のパイオツ洗っとる時と
「
「何年デカパイ引っ
……そんな事を言い合いながら「じゃあまた後でメイドを寄越すから、待っててね」とその場から離れるヴェルニール。
しかし彼は知らない。何も知らない。
神であるから、神だからこそ、人間を軽視している破壊神は橘光という人間離れした女の事を何も知らない。
「………………………何かやられたな。気に食わん会話があったとかか? 話の流れ方に違和感あるな」
橘光は勘が鋭い。自分の事を性的な目でしか見て来ない猿と、それに嫉妬する事しか出来ない豚に挟まれた光は他者の動向を常に疑う。だからこそ光は、タクトという少年が自分の事を本当に性的な目で見ていない事を知っているのだ。
そして「自分がコンプレックスの塊である」という事は、それだけ良く自分の事を見れている証拠でもある。
コンプレックス……それは自分にとって納得いかない自分の部分。それから目を背けずしっかり注視している橘光はそれ故に完璧主義であり、ナルシズムの強い人間を「自分も他人も見えてない、水の底のメクラウオ」と強く嫌悪する。
「………………んー、思い出せんな。「性教育どうのこうの」「じゃあそういう訳で」の間、ウチが黙っとるはずが無いんけどな。何言ったか思い出せん」
しか市出会って間も無い破壊神ヴェルニールがそんな事を知るはずが無く、足元に敷かれた赤い絨毯を「……シワも無い。身動き一つしとらんって事か」と眺める光を見聞きする千里眼も遠耳も無いのだから、
「…………………城に呼ぶんは創造神の方だけにしとった方が良さげやな。元より壊し屋なんざ要らんし」
自分の事しか考えずに他者の何かを
そのまま「ふん」と鼻を鳴らした光が用意された客用の個室で腕立て伏せをし始めてから大体十分程度、妙に物静かなノック音に光は「んぉ……あかん、筋トレしながら意識飛んどった」と我に帰った。
二回か三回かというノック回数の違いこそあれど具体的に「何回が何々」と断言出来るものは少ないというが、その時のノックはかなりか細い音で四回鳴った。
「…………………………」
ノックから数秒、ガチャリと慎重にドアノブが回されると、入って来たのは羊角のメイドと瓜二つに見える別のメイドだった。
それまでの羊角のメイドは髪色も肌の色も真っ白だったが、この羊角のメイドは真っ黒な髪色をしている。良く見ると角の巻く向きも逆向きだし、ぎゅっと唇を引き結んだ不機嫌そうな顔はあのメイドとは全く異なる顔付きだった。
「……………………………」
そんな黒羊のメイドが、光に向かってくいくいと手招きをする。何言わず、何も語らず、ただ睨み付けるように光を見ながら無言で手招きをする黒羊のメイドに「んぁ? 風呂か? 別件か?」と光が口を開くが、黒羊のメイドはやはり何も言わず、手招きをしたまま部屋から出て行ってしまった。
「………何やあいつ」
小さく呟く光。と思えばすぐに扉が開き、その隙間からちょこんと顔を出した黒羊のメイドが、やはり無言でちょいちょいと手招き。
「いや何か言えや」
当然といえば当然な光の言葉に、黒羊のメイドが少し思案するような素振りを見せる。相変わらずの無表情ながらも、横長の瞳孔を上下左右に少しだけ振って色々と考え込んだ黒羊のメイドはむっと引き結ばれた唇を薄く開きながら、
「…………あぁぅ、ぁぁ。ゔぅぅ………ゔぅぁぁぅ」
言葉に出来ない思いが篭った呻きを、意外と大きな音で漏らしながら自分の耳元をとんとんと指で
「──────ぁ」
羊角のメイドとは逆向きに巻かれている角の中央、真っ黒な髪も相まってまるで隠されてしまっているかのような黒い産毛に包まれた小さな草食動物の耳を、同じように薄いながらも真っ黒な体毛で覆われた指先でとんとんと叩いた黒羊のメイドに、橘光はハッとなって呻き返してしまった。
「……………耳、聞こえんのか?」
比較的唇の動きを大きく意識しながらゆっくりと問い掛けてみると、黒羊のメイドはむっと唇を引き結んだ無表情で数回頷いた。
「読唇術か? ウチが何言っとるかは、大体分かるんか?」
「……………………」
黒羊のメイドが親指と人差し指を触れそうで触れないぐらいまで寄せる。綺麗な石を太陽の輝きに透かす時のような形になった指先に「ちょっとだけ? 少しだけしか分からん?」と問い直せば、黒羊のメイドはこくんと小さく頷く。
それを見た光が「………済まん、ウチお前に詫びなかんわ」と呟くと、黒羊のメイドは言葉の意味が分からず小首を傾げた。
「…………………………十七か十八辺りから、三十九で死ぬまで二十年ちょっとあったんよ」
「………?」
「済まん、ウチそんだけ時間あったんに、手話の一つも勉強せんかってん。…………ど、どうせ自分にゃ使う機会なんざ無いやろって、タカ括っとって」
「…………………」
申し訳無さげな俯き加減。突然の謝罪に黒羊のメイドが頭を振ると、小さな草食動物の特徴を残した二つの黒い耳がぷるぷると揺れて巻かれた角にやんわりと当たる。
………例えば声が出せない。例えば目が見えない。例えば手が無い、足が無い。それはとても大きな壁だが、それでもそれらは一つの壁でしか無い。
けれど『耳が聴こえない』という事は、それだけで「喋る事も出来ない」という追加のハンディキャップを負う事になる。
人間は自分がどんな事を喋っているかを、自分の耳で聞いて判断し調節する。故に耳が聴こえないと早口になってしまったり声の大きさが
「……………………」
そんな追加のハンデを背負っている黒羊のメイドが、少し項垂れた橘光の目の前までこつこつと歩いて近付いてくる。その靴音すら妙に大きな音なのだから、ハンディキャップとやらの重さは言わずもがな窺い知れるだろう。
「…………………」
やがて黒羊のメイドが光の手を取り、黒い産毛に包まれた手の指をすいすいと動かしながら、光の手のひらに何かを書いていく。
なるべく口元が見えるようにと顔を上げた光が「ウチこの国の文字分からん」と言ってみれば、黒羊のメイドはぷるぷると頭を振りながら取った手のひらをとんとんと、今度は少しだけ力強く叩き、再び何かを書き直す。
「……あ? …………顔?」
それはたったの三画で描かれる顔文字。小さな下弦の月が二つと、大きな上弦の月が一つ。
「──────────スマイリーフェイスやん。ナメられたもんやわ」
言いながら声が少しだけ潤んだ光の顔が、黒羊のメイドの両手によってぐいっと力強く持ち上げられる。
「…………ああぁぁゔ、ゔうゔぅぅ」
それは笑顔を表す三画の顔文字、全世界共通で思いを伝える事が出来る数少ない文字の一つ。言葉に出来ない思いの篭った強い呻きを発しながら、両の親指で光の口元をぐっと上に持ち上げる黒羊のメイドの横長の瞳孔は、心なしか不機嫌そうに見えた。
「──────────」
何となく、何となくこの黒羊が何を言いたいのかが分かった気がする。
「…………………余計な同情しとらんと、………良いから笑っとけってか」
妙なセンチメンタルに声が目元が潤み掛けた光の言葉に、黒羊のメイドが「ゔゔっ」と大きく呻きながら力強く頷く。
………これはあくまで統計的な話でしか無いが、一切耳が聴こえないものは、聴こえないはずの「悪口」や「陰口」を非常に嫌い、それと同じだけ「誰かの笑顔」を好むという。
耳が聴こえないからこそ聴こえないのを良い事に好き放題言えてしまう悪口を嫌い、情報を得る為に残された視覚から「楽しさ」を得られる「笑顔」を好むのだろうか。黒羊のメイドの不機嫌そうな目線に「す、済まんかった」と慌てた口調で言いながらその手を退けた光は、少し早口になった事で唇を読めなかっただろうかと思い改めて向き直る。
「勝手にセンチになってもたな。済まんや済まん、済ま◯こま◯こ。んへへ」
「………………」
その場しのぎの取り繕った笑顔ながらも、それでも懸命に笑ってみせる橘光に、黒羊のメイドが更にむっとした顔で自身の股間をびっと指差し「ぁぁゔっ」と強く呻いて首を振る。
「……………は? シモネタ禁止? マジで言っとるばーお前」
「ゔゔぅぁっ」
「無茶言いなや。ウチからシモネタ取ったら、デカパイとプリケツとゆるふわヘアーしか残らんでよ。シモネタぐらいは我慢したってや」
「……………………」
「嘘や無いよ、ウチほんまにそういうタイプやよ。なんや名前知らんけど、あの白い羊のメイドに問いただしてもええぐらい、ウチぁシモネタばっか言ってまうねん」
「……………………」
いつもより気持ち程度ゆっくり喋る光に、訝しんだ眼差しの黒羊のメイドが首を傾げる。「何で?」といった所だろうか、その仕草に「……ウチも良う分からんのよ」と光は素直な本心を伝える。
「言いたくて言っとるんとちゃうんよ。その……前世で色々あってさ、思った事は全部言おって思っとるんよ。んでウチが思うのって、大体そういう事が多いねん」
「……………………」
「でも言うんよ。臭いものには蓋ってあるけどさ、何で赤んぼこさえる行為やそれに準ずる単語らが臭いもの扱いされとるんか謎やからさ、だから言うんよ」
黒羊のメイドが反対方向に首を傾げると、光は「セックス一つ取ってもそうやんか」と黒羊のメイドに向き直る。横長の瞳孔、こちらの唇の動きを見逃さんと見詰める黒羊に真正面から向き直る。
「セックスって本来ガキぃこさえる為の行為を表した言葉で、それが臭いものな訳無いねん。でもみんなセックスって言うと恥ずかしがったり嫌がったりすんねん」
こくり、と頷く黒羊。
「それって、セックスって行為に「ガキ作る」以外の付加価値が付けられてるって事にならんか?」
「……………………」
光の疑問に黒羊のメイドが思案するような仕草を見せる。黒い産毛に覆われて真っ黒な指を顎先に当てながらも、その横長の瞳は光の唇を見詰め言葉を待っていた。
「例えば気持ちええとかさ、それに付随してヤれば金貰えるとか、金払えばヤれるとか。そういう余計なもんがくっ付けられ始めとるんよ」
「……………………ゔ」
確かに、といったように頷きながら呻く黒羊のメイドに「ウチこういうん良う考えるんよ」と答える。
「やから色んな連中の色んな言葉にシモネタって言われるもんが連想されても、敢えて遠慮せんで言うんよ。クソ大事な事なんに、何でか誰も口にしたがらん事やから、ウチが代わりに言うんよ」
本来の意味や役目とは全く異なる使い方に変わり始めている言葉や行為に対する「本当にそれで良いのか」という疑問を解消する為、橘光はシモネタと呼ばれるような単語であっても敢えて何も
「おぉーいっ、何で寝とるねんお前ぇーっ! ウチいまむっちゃ深イイ事言うとったやろがぁーっ!」
ゆっくりと呼吸しながら瞳を閉じている黒羊のメイドは、顔も瞼も真っ黒な体毛に覆われている為まるで真っ黒なのっぺらぼうのようにも見える。
「長かったかなぁっ! お前に合わせてゆっくり口動かして喋っとったけど長くて眠くなってもうたんかなぁっ! 校長先生の話と比べりゃ雲泥やと思うんけどなぁっ!」
「……………………」
不満げに言う光が黒羊のメイドの手を取り、その甲をすぺぺぺぺっと爆速で叩く。すると黒羊のメイドが鬱陶しげに目を開き、横長の瞳孔で光を見詰める。
「…………………………ぁ」
と、黒羊のメイドが小さく呻く。むっと閉じられていた小さな口をうっすらと開き、思い出したかのように呻いた黒羊のメイドは取られていた手をするりと抜き、部屋の扉の方へと向かっていく。
「……ゔ」
そしてくいくいと光を手招きする。
その仕草に「んぁ?」と呻き返した光だったが、すぐに「あ、そういやお前何しに来たんっけか」と立ち上がり黒羊のメイドに当初の目的を聞く。
「…………………………」
言われた黒羊のメイドが無言で頭をわしゃわしゃと掻き乱す素振りを見せると、光はすぐに「風呂か」とその意図を察知、黒羊のメイドはむっと口元を引き結んだままで小さくこくりと頷いた。
それを見てそういえばそうだったと思い出す。破壊神ヴェルニールが言っていた「後でメイドを寄越す」と。
「ウチ着替え持って来とらんけど────おぉい待てやぁ、まだ光ちゃんが喋っとる途中やろがい、さっさか行くなやお前」
着替えも無ければタオルだって無い状態の光を置いてスイスイと部屋から出る黒羊のメイド。その後ろ姿に、聴こえないと分かっていながらもツッコミを入れる光が少し慌てながら腰を上げる。
「いや足早いなぁお前っ! むっちゃスタスタ歩くやんっ!」
別に小走りという訳でも無いはずなのにいやにグイグイ進んでいく黒羊のメイドを、光は置いていかれないよう大股になりながら追い掛けていった。
やがて辿り着く浴場の入り口には、腰ぐらいの大きさの看板が立て掛けられていた。
その看板には赤色で女性っぽく見えるマークが描かれており、その横にどう考えても男性器にしか見えない絵とそれをハサミで切り取るような絵が描かれていて、「今は女性の時間、男性が入ったらちょん切るぞ」という意味が込められている事が伝わってくる。
「…………これもある意味、世界共通の絵文字やな」
暖簾をくぐって脱衣場へと向かう黒羊のメイドを追い掛けながら小さく光が呟くと、脱衣場の中から「………光ちゃん?」とその名を呼ぶ声が聞こえる。
「おお恣恋、数分振りやなおひさ」
「やっと来たか、遅いぞ小娘。待ちくたびれたわ」
穏やかに微笑んだ光の言葉に言葉を返したのは、しかし長柄恣恋では無く創造神ルドミラだった。
肩にタオルを掛けただけの全裸という出で立ちのルドミラの嘆息に「オバンも一緒か」と小さく答えた光は、ぺたぺたと足音を鳴らしながら近寄ってくる全裸の長柄恣恋の頭をぺほぺほ撫でながらルドミラの巨大な胸元を見て、
「…………………ナカーマ」
「は? 何の話じゃ。そこはかとなく馬鹿にされておる感じがするが」
「いや…………うん、やっぱウチだけや無いんやなって」
「何の話をしている」
「デカパイ引っ提げた女はブラ外すと垂れるよなって話や」
「む? …………あぁ、貴様もか」
鋭い縦長の瞳孔を自らの胸元に向けるルドミラに、光がすいすい服を脱ぎながら「ちょい気にしとる」と呟けば、隣に居た長柄恣恋が「二人ともおっきいよね……」と感慨深そうな感想を漏らした。
それに「あ、せや恣恋」と光が上着を脱ぐようなやり方でブラジャーを外しながら口を開く。
「豆知識教えたるよ」
肩周りの関節が硬い故、手を後ろに回してホックを外せない光が下着を外しながら言うと、恣恋は「豆知識? どんな?」と小首を傾げながら問い掛けた。
「パイオツの谷間。個体差はあるやろけど、デカパイ引っ提げた女がパイオツ寄せると谷間出来るやん?」
言いながら両の二の腕をきゅっと胸元に寄せると、光のコンプレックスでもある気持ち垂れ気味な大き過ぎる胸が寄せられ淫猥な谷間を作る。それを眺める恣恋が「うん、羨ましい」と答えれば、背後に居たルドミラが思わず噴き出しそうになり慌てて口元を手で押さえた。
「この谷間んな、鎖骨の辺りの乳肉あるやん。乳肉から谷間の形、今Iの字みたいな形しとるやろ?」
「うん」
「これがモノホンの証らしいねん」
「………どういう事?」
「谷間の形が露骨にYの字みたいになっとったら、偽乳の可能性ごっつ高いっちゅー話聞いてんよ」
男性が陰茎のサイズや皮の状態、早漏だの遅漏だのと悩むのと同じように胸にコンプレックスを持つ女性は極めて多い。そして男性の包茎治療と同じように、女性にも豊胸手術や縮胸手術というものが存在する。
「乳肉増やしたいっちゅー時ぁ大体シリコン入れるんけどな、安い店や質の悪い病院やと入れるシリコン硬いとか饅頭みたいなシリコンぶち込んでハイ終わりとかやねん。やからウチやそこのオバンみたいな天然物の乳肉と違って、胸ぇ寄せた時に鎖骨の下ん所のシリコンが上手く形変わらんかったり、その辺の皮膚が上手く動かんかったりして谷間がYの字んなるねん」
「じゃあ光ちゃんやお母さんは………えっと、てん、てんねんもの?」
「そうなるで。体の事やし、個体差あるから決め付けは良く無いけどな。指標には出来るで」
光のうんちくに「へぇぇ……」と感嘆する長柄恣恋がルドミラの胸を恐る恐る指で
かと思えばすぐに光へ目線を戻し「その陥没に関してのうんちくは無いのか?」と皮肉めいた言葉を投げる。
「あ……そういえば光ちゃん、おっぱい引っ込んでるね」
「恥ずかしがり屋さんやねん」
ルドミラと長柄恣恋の言葉に何の気無く光が答えると、長柄恣恋が興味津々といった具合で先程までしていたように指先を光の乳輪の中央へおずおずと伸ばす。
しかしその指先が隠れてしまっている光の乳頭に触れるより早く光は「どぅい」と謎の擬音を口にしながら恣恋の乳首を指で弾いた。
「ひぁぃんっ!? ……なっ、何するの光ちゃんっ!」
「何しようとしてたんよ恣恋ちゃん」
言われた恣恋がバツの悪そうな顔で「ぅ……」と呻くと、光は「引っ込みビーチクは敏感さんなパティーンが多いねんで」とショーツを脱ぎながら返す。
「普段布地に擦れる頻度が低いからな、陥没さんのビーチクは刺激に慣れとらん子が多いねん」
「我もそう聞いておる。我やシレンのような一般的な乳首と違って敏感だと、アホのヴェルニも言っていた」
「私見やけど、貧乳は感度良いとかデカパイは感度悪いっちゅーのもそこに起因しとるんとちゃうかなってウチ思うよ。デカパイとペチャパイとで比べりゃブラや服に擦れる回数どう考えてもペチャパイの方が少ないもん、刺激に慣れとらんのが大きな理由やないかなって」
「言われてみればそうだな。我はヴェルニの阿呆に開発され過ぎてもう話にならんが、言われてみれば確かにそうかもしれん」
「……かいはつ? 工事?」
言葉の意味が分からず小首を傾げる長柄恣恋に「さ、ウチは風呂でデカパイ浮かばすかな」と橘光がさっさと風呂の中へ向かっていくと、残されたルドミラが「あちょっ、貴様っ」と慌ててその後を追う。
「かいはつって何のかいはつ? おっぱいの? ………お母さんてんねんものじゃ無かったの?」
不思議そうな声色で問い続ける恣恋にルドミラが豊満過ぎる胸をゆんゆんと揺らしながら右往左往する。
「ぁいや違、シレ───おい待て小娘っ! お前が広げた話題だろうがっ、お前が閉じんかっ!」
「ウチ別に乳首アクメの話なんかしとらんもん」
「あめ? 甘いの? お菓子作るの?」
「ある意味甘いけど、実際ちゅっちゅしてもしょっぱいだけやで」
「しょっぱい? 美味しく無いの?」
「あぁ、ヴェルニと初めてシた時も「美味しくは無いな……」とか言ってお───違うッ! 違うもう良いッ! この話はもう良いッ! 何なのだこの流れはッ! こんな流れ誰が創ったッ!」
ギャンギャンと騒ぎ出すルドミラに「うわノリツッコミや……しょーもな」と呆れる光。そのまま風呂椅子を指で引いてガココと篭った音を響かせると、光は「おいで恣恋、洗ったる」と小首を傾げ続ける少女に向かってちょいちょいと手招きをする。
「…………………………」
そしてその隣、橘光と全く同じ姿勢になった黒羊のメイドが橘光と全く同じようにルドミラに向けてちょいちょいと手招きをすると、恣恋は嬉しそうに、ルドミラは不機嫌そうにしながら二人の前に置かれた風呂椅子に腰を下ろした。
それを見て「ふと思ってんけどさ」と光が口を開く。
「今のウチと黒メイド、大股かっ
「あぁゔぅぅっ!」
でゅびしっ、と光の頭に真っ黒なチョップが飛んでくる。それに「あだっ!」と呻きながら横を見れば、黒羊のメイドが不満そうに顔をしかめながら光を睨んでいた。
「何でや他意は無いでよっ! 思った事言うただけやもんっ! 表現の自由と発言の自由やよっ!」
必死に反論する光。しかし黒羊のメイドは当然納得する訳も無く、不満げな顔のまま小さく溜息を吐くだけで何も返さない。
「……………ヒカル様は自由な方ですね。その反応を見るに、クロが怒るの一回目や二回目じゃ無いでしょう」
と、そんな光の背中に聞き覚えのある声が掛けられる。「んぁ?」と呻きながら振り返れば、そこには真っ白な産毛に全身を包んだ白羊のメイドが呆れた顔をしながら立っていた。
「クロはシモネタトークが嫌いですから、程々にした方が良いですよ。私もかなりの頻度で怒られます」
光と恣恋の隣、「私だけあぶれました……ちょっと寂しいですね」と言いながら風呂椅子に腰掛けた白羊のメイドに、魔石式のシャワーで長柄恣恋の頭を濡らしていく光が「………クロ? こいつか?」と問い掛ける。
「因みに私はシロちゃんです。………クロとは自己紹介とかしませんでしたか?」
「ウチ手話覚えんかってん。それでごめんなって謝ったら「んな事ええから笑っとけダボカスビッチが、だから足臭いねんお前」って言われたわ」
黒羊のメイドが光の隣でブンブンと激しく頭を振る。無言のまま、むっとした口元のままでブンブンと頭を左右に振る度に「いたっ、痛いわクロっ、髪っ! 髪べちべち当たっておるっ!」とルドミラが悲鳴に似た文句を漏らす。
それをやんわりとした目で眺めた白羊のメイド───シロが「あぁ」と思い出したように口を開いた。
「クロは手話分かりませんよ、覚える気が無いみたいで学んでません。なのでこの城に居る全てのものは手話を覚えてません」
「は?」
思わず口を開いて目を丸くする光。
その様子を見たシロが「不思議ですよね」と自嘲するように微笑んだ。
「手話が出来た方が絶対に意思の疎通がし易くなって良いはずなのに、クロは「勉強嫌い」って手話覚えようとしないんですよ」
あっけらかんとしたその言葉に「いや勉強嫌いて……」と光が小さく呟けば、そんなクロ───黒羊のメイドに頭を洗って貰っているルドミラが「我も言ったぞ」と割って入ってくる。
「我が耳を創ってやろうかとな。大した手間でも無し、鼓膜や蝸牛を弄る程度なら魔力もロクに使わん。だが小奴は「要らん」と頑なに拒みよった」
「………何でよ。耳聴こえて喋れるようなった方がええやろ。その方がええやろ。他のもん……同じような境遇の奴やったら、喉から声の代わりに手ぇ出してでも欲しがるもんとちゃうんか。ウチが逆の立場やったら、そう思うでよ」
言いながらクロを見ると、クロは鼻からふんと息を吐きながらシャワーでルドミラの頭を流していく。
同じように光が恣恋の頭をシャワーで流し始めると、その隣、少し遅れて頭をわしわしと泡だらけにしたシロが「神を睨み付けられなくなるからって言ってましたよ」と呆れたような感嘆したような不思議な声色で呟いた。
「………神を? 何のこっちゃね」
「耳が聴こえるようになったら、神を睨み付ける権利が無くなってしまうからって、クロは言ってました」
「………………どういうこっちゃ」
「何もしてない自分に、ただ産まれてきただけの自分に、どうしてかハンデを背負わせた神を死ぬまで睨み付けて居たいんだそうです。その為には、そのハンデを背中に乗せていなければならないんだと」
光の方を見るようで見ていないシロが、どこか悲しそうな目でそう言うと、光は思わず「意味分からん」と漏らしてしまった。
するとシロが「駄目ですよ、押し付けはいけません」と光の瞳をしっかりと見据えてそれを諌める。
「一般に「健常者」だなんて呼ばれる我々からすれば「あった方が良い」と思ってしまうのは仕方が無い話です。ですが何を欲しいと思うかは人それぞれであり、クロが「要らない」と思っている所に「要るだろう持っとけよ」と何かを押し付けるのは、お節介を通り越してただのエゴでしかありません」
「────────」
「この世は生きる事にも、生きようとする事にも金が要りますからね。学ぶ環境が無い、学ぶ事が出来ない。そういった方々が諦めの心で「良いよ、要らない」というのであればいざ知らず。クロは学べる環境があり、学ぶ事が出来る状態で尚「良いよ、要らない」と首を振ったんです。そんなクロに対して「それでも学べ」と言うのであれば、それは「支援」や「手助け」では無く「押し付け」にしかなりません」
そう言うシロに「ぷへぁっ」と息を吹き出したルドミラが口元の雫を手で擦りながら「どいつもこいつもよう勘違いをする」とシロの言葉に続いた。
「我は耳が聴こえる、故に我からすればクロの奴はマイナスを背負っているように思える。じゃがクロは別にマイナスでは無い。クロは生まれ付き耳が聴こえん、つまり途中で何か無くなった訳では無いのだから、マイナスでも何でも無いただのゼロ、我々と何も変わらんただのゼロだ。そこに我が「お前はマイナスだ、プラスになれるよう我々があれやこれやしてやる」と構いたがるのが悪だとは言わん、言えん。だが少なくとも正しい行いだとも言えんのは事実だろうな」
言いながらすっくと立ち上がり「クロ、代われ。今度はお主の頭を洗ってやる」とルドミラは少しだけゆっくりと全身を黒い産毛に包んだ真っ黒な羊に向け指をくいくいと動かした。
それを受けたクロが跳び箱を越える時のように一つ前の風呂椅子に移ると、長い髪を背中に回したルドミラが「よっこいしょ……」と呟き入れ替わる。
それを呆然と眺める光に、同じように「光ちゃん、代わろ」と長柄恣恋も腰を上げると「頭と体、洗い終わってから交代すると待機時間の関係から体を冷やします」とシロが注釈を入れる。
「………………何や日本のドキュメンタリー番組思い出したわ」
同じように入れ替わった光が力無く呟く。
「発展途上国に、畑を耕す知識や種とか井戸とか、後文字書けるようにって鉛筆とかノートとかあげるドキュメンタリー番組があってんけど、あれ────」
「売ったんでしょう? 鉛筆やノートを売ってパンを買うお金に変えて、畑に植えた種は全部掘り返して食べて、井戸の水は村中の人が奪い合い死人まで出たんでしょう?」
「え────な、何で………何で知っ───」
「知りませんよ、でも分かります。知ってますから。当たり前ですから。要らないですから、そんなもの。一年先、畑にどれだけの実が生ってどれだけお腹が膨れるとか知った事じゃありません。そんな事より「明日まで生き延びる」事の方が何倍も大事です。一年先を思って今飢え死ぬ間抜けになるぐらいなら、発展途上と揶揄されようとも全部「今」の腹を満たす為に使います」
自分が言おうとした言葉を完全に先取りしたシロの言葉に光が呆気に取られる。何かを言い返す事すら上手く出来なくなった光の背中に、光の背後に位置取った長柄恣恋が無言で手を回す。少しだけ冷えた体がお湯で暖められた恣恋の体と体温を分け合い、平均を取ろうとしていくのが分かる。
「価値観が違うんですよ。毎日ちゃんとご飯が食べられる環境に居る人たちからすれば「毎日ちゃんとご飯を食べながら畑に水を与える」事で、更に豊かな生活が出来るかもしれませんがね。「その日食べるものをその日探しに行く」ような生活をしている人からすれば「毎日ちゃんと水やりをする」事すら「出来るか分からない」んですよ」
「─────────」
人は
手を差し伸べたがる人は「自分のおかげであいつらがまともに稼げるようになった」と鼻を伸ばしていたいのだから、その日食べるものを得られないものたちに「字が書けるようになれば金が稼げるだろう」と紙とペンを与えるだけで終わらせてしまう。
日本国内でもまれにある。ネットが普及した現代社会に生きる人間とは思えないような、ボロボロになった百均のタモ網を片手に近所のドブへ「腹減ったから食い物探しに行く」だなんて言うような奴に対して「働けるように」とスーツとネクタイを買い与え「これでちゃんと働けるな」と『拾う神』の振りをしたがる事例はまれにある。
だがそういった事をしたがるものたちは共通して「給料がいつ入るのか」を忘れている事が多い。日払い職はそこまで多く普及しておらず、職業案内所に行くなり目を皿のようにしながら求人誌を睨み付けるなりしなければ中々見付からない事を、スーツがあれば働けると思った社会人は忘れている。
そういったものたちは「自分は来月まで生きていけるから、こいつだって来月まで生きているだろう」と本気で思い込んでいるのだ。
「ヒカル様はフォールス・コンセンサスってご存知ですか?」
それは認知バイアス。自分の思う「当たり前」は「周りにとっても当たり前」だと思いたがる現象、自分の意見や理論が常に多数派であると思い込んでしまう認知バイアス。誰しもが持ち得る、そんな事は無いはずなのに思ってしまう認識の偏見。
「光ちゃんは何も悪くないんだよ。光ちゃんは別に悪くない、何も悪い事してないんだよ」
「……………………………」
光の背中にぴったりと抱き着いた恣恋が言うが、その言葉は光の耳には届いていなかった。
自分が世界で最も不幸だなんて思うなと、世間の雀はいつも五月蝿く
ずっとそう思っていた。だからこそ「コンプレックス」という言葉が成り立つのだと、ずっと思っていた。
そしてそれは『愚者』としてルーナティアに呼び出されてから、更に強いものになっていた。その理屈が身を持って証明されたのだと、世界にとって、神にとって、「橘光は不幸な女」だと認められたのだと思い始めていた。
「…………………あーね」
そんな事は無かった。
白羊のメイドの口振りを聞くに、黒羊のメイドの耳を思うに────長柄恣恋が壊された過去を鑑みるに、そんな事は無いというのは一目瞭然だった。
「はぁぁぁ………………………ったく」
たった一つしか無い「自分」という世界においても、自分より遥かに不幸なものは幾らでも存在する。
それらのものを差し置いて「自分の世界じゃ自分が一番不幸だ」なんて思う事がどれだけおこがましい事なのかをまざまざと見せ付けられたような気になった橘光は、しかし今のこの感情をどう言葉にして良いか皆目検討も付かず、またどうすればこの淀んだ空気を払拭出来るか何も分からなくなってしまい────、
「ようクロ、ちょっとこっちゃ来い」
数分前に部屋で感じた「済まん」と「ごめん」を唇に乗せた光は「もうお前の事をマイナスだとは思わん」という思いを込めて───、
「…………? ───ぉむッ!?」
───何故か強引にキスをした。
「……っ! ぁっ、ぶ……ぁっ!? ぢゅ……っんむぁ───はぉむ……っ」
しかも何故かディープ。完全に意味不明な光の行動に目を白黒させたクロが湿った喘ぎ声を混ぜながらもぺっひんぺっひんと黒い産毛に覆われた手で光の肩を叩く。
「…………わぁ、ラブラブなキスだぁ。光ちゃんとクロ、仲良いんだね」
「ほう……見た感じ結構なテクを感じるな。舌使いも中々に見えるが、好き勝手に舐め回す一方的な舌使いでは無い。あれ無理矢理舌突っ込まれるとオエッてなる故………慣れてるな、ナントカいう少年と頻繁にしておったのか」
「いやいやいやいや何でヒカル様はいきなりクロにキスしてるんですか…………えお嬢様と奥様の反応がデフォなんですか? 認知バイアス? フォールス・コンセンサス? あれ、え嘘ですよね私が少数派?」
「そんな訳無かろう。………大方アレだ、様々な感情が綯交ぜになってどうして良いか分からなんだから取り敢えずブチュッとキスして誤魔化して、とかそんな所だろう」
「んゔぅーッ! むゔぅ───えぉっむ、んぅ……んーゔぅーッ!」
クロが必死に肩を叩く。ぺっひんぺっひんと産毛に覆われた手で叩き、しかし舌の動きが一切衰えない事を悟ると何とかして距離を取ろうと懸命にその体を手で押す。
「ぢゅ……っ、んく───ぁんむ………ぁふ………ぢゅ───」
しかし橘光は脳のリミッターが外れている女。一般人が十パーセント未満、鍛え抜かれた筋肉を持つボディビルダーですら三十パーセントが限界と言われる中を「基本四十を意識しとる」とか言ってしまうような女を前に力押しが通用するはずも無く。
「んんゔっ! ゔぅんむっ! んゔっ!」
やがて方向性を変えたクロが押し付けられた光の爆乳を横からべっちべっちと叩くがやはり変わらず、遂に奥の手を出したクロが瞳に力強い意志を宿らせ「ゔぅっ!」と一際大きく呻くと───、
「んちゅ……んむ─────はんぅっ!?」
ずぼぉんっ! と音がしそうな程に力強く、人差し指でボタンを押した。
────胸部中央で覇を唱えながらも、しかし謙虚に隠居していたリセットボタンを押した。
唇から離れた光を前に「勝ったなガハハ」と言わんばかりのドヤ顔を見せるクロ。これで空気はリセットされるだろうと、本気でそう思った。
「……ぁは、スイッチ入れたな……? ウチのスイッチ……押したな? それはつまり────和姦やな?」
「んぇ…………?」
が、そんな事は無かった。
艶やかに濡れた唇をぺろりと舐める光の息遣いは、完全に
クロは知らない。知るはずも無い。知る訳が無い。
「あー………何でしたっけ、十二回でしたっけ? 十三キロじゃ無かったのは記憶してますが」
シロが「あーやったわこいつ」とでも言いたげに呟くと、息を乱した光越しに「……っ? ………っ!?」とクロが慌てふためく。
その言葉に「何の話だ?」とルドミラが問い掛けると、シロが「あの押し過ぎて埋まった二つのボタン、コンティニューボタンだそうです」と呆れ果てた。
「───────」
そしてクロは愕然とする。押したつもりだったリセットボタン、再起動させて
「シレン、小娘から離れてこっちに来い。我が体を洗ってやる、洗いっこだ」
「え? ……う、うん。分かった」
「あ、でしたら私も混ぜて下さい。少なくともこの流れに混ざるのは死にたがりだと思うので、私も救い出して下さい」
そそくさとその場から離れて遠くの洗い場に移動する三人に、シレッとした無表情を装いながら追従しようとしたクロだったが「行かせん、ウチとイこ?」とその体を完全に抱き寄せられ「あぁゔぅ───ッ!」と悲痛な悲鳴を漏らす。
それを見たシロが「ヒカル様」と呼び留めると、クロは濁流に流されそうになっていた所を助け出された犬のような目でシロを見詰めた。
「クロ、私の知り得る限りでは今のがファーストキスですし、処女です」
「………っ!?」
「おけ、責任取ってビアンに目覚めさせたる。今日からウチは両刀使いや、お前相手ならウチは構わん。ウチはお前の事ごっつ気に入った」
「───ッ!?」
「年齢的にも精神的にも、恣恋とするよかよっぽど健全やろ? 最初の一目惚れは負けたがな、二度目の一目惚れは負けてられん」
「あァゔゔぅぅッ! んぁぁゔ───んむっ、んゔーゥッ!」
………その日大浴場で何が起こったのか。それを知るものは多くとも、それを語るものは殆ど居ない。沈黙は金、黙して語らず、何かに付けて答えを知りたがるのが人間ではあるものの、誰の膜が誰の中指で破られて、誰のどこの皮が優しく剥かれて、誰が新世界の扉を開いたのかは不思議と誰も語ろうとしなかった。
きっとそっちの方が面白いから、きっと敢えて知らない方がよっぽど面白いからだろう。
「…………………あー、えっと………ヒカルちゃん?」
「何や」
二匹の虹蛇の片方、破壊神ヴェルニールが「いや、その、だね」と無精髭を撫でながら困惑し切った顔でしどろもどろになり、右を見て、左を見て、ちょっと俯いて「あー」とか呻きながら天井を見て、そして前を向けば、むっと口元を引き結んだパジャマ姿の黒羊のメイドが、創造神ルドミラの寝間着を着た橘光に無表情のままで擦り寄る姿が目に映る。
「あの…………うちのメイドが、その………寝取られた感じかな?」
「………………」
「やめなさいその手、そのグーの握り方はやめなさいもう分かったから。いやにお風呂長いなーシレンとおっぱい触りっこしてるのかなーむふふーとか思ったけど、まさかメイドが食われてるとは思いもよらなかったよ」
「クロの喘ぎ声ものごっつ可愛かったで」
「え………………………………………ど、どんな? シロとはシた事あるけど、クロとは一度も無いから聞いた事無いんだ。ど、どんな? どんな感じ?」
「ヘッタクソな喘ぎ方やねんけどな、その分何も嘘臭さが無いマジでちゃんと感じとるってのが伝わる獣感ある喘ぎ声やったで」
「…………聞きたかったァァァッ! おれ野太い系の喘ぎ声大好きなのにィィッ!」
「………ぶっちゃけノリと流れでヤッたようなもんやけど、ウチちゃんとクロとは付き合うでよ。まあ本命タクトやねんから浮気相手みたいなもんやけど、ウチかてタクトからすりゃ浮気相手みたいなもんやし、クロ相手ならタクト「むしろイイ」とか言うと思うでよ。………クロはそれでええか? 嫌ならちゃんと教えてや、ウチもちゃんと考えるさかい」
「んゔ」
言葉に出来ない想いの篭った呻きと共に、クロが光に向かって顔を近付ける。それを受けた光はクロが何を言いたいのかをすぐに理解し、吐息のように「ん、ええ子やな」と呟きながら優しく口付けをする。
「…………………………………………………やっぱり覗きに行くべきだったかッ! クソッ! 一生の不覚ゥッ!」
まるで親の仇を目の当たりにした時の主人公が如く悔しげに歯を食い縛る破壊神。それを流し見ながら光がクロの少しだけしっとりと濡れた頭に手を置くと、光が撫でるよりも早くクロは無言でその手に頭を擦り付けてくる。
「タクトが戻ったら3Pしよな、ウチと二人でタクトに可愛がって貰お」
「んんゔ」
「………因みにタクトごっつ激しいからな」
「…………?」
「ウチ相手にトロ顔晒しながらお漏らししてまうんやったら、多分脱糞ぐらいは覚悟せなあかんよ。最悪死ぬ、ルーナティア来る時ゃ遺書書いてから来やね」
「─────」
少年は知らない。いつだって少年は知らない。
自分の為に周りが動いてくれている事も、「ヘラヘラ笑う女」が自分の前でのみヘラヘラと笑っている事も、そして自分の知らない所で乱交の話が進んでいる事も、自身の事を愛してくれているヒロインがゆるいゆりを通り越して『がちゆり』と化している事なんて、当然ながら少年は知りもしない。
そういう事に限って、少年はいつも知る事が出来ない。
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