8-3話【お母さんと】



 如何なる理由があったとて、開き直る事は絶対の罪である。


 例えば悪癖がある。

 例えば性格が悪い。

 例えば口が悪い。

 例えば才能が無かった。

 例えば相手の方が上手だった。


 例えどんな理由があったとしても「自分に非は無い」は物理的に有り得ないのだから、自分は悪くないと声高々に開き直る事は許されざる悪であると彼は常日頃から思っている。

「博士、どうかボクに稽古を付けてくれないか」

 諦めてはいけない。無様に汚水を啜り、窮地に際して仲間の死肉を食らってでも諦めてはいけない。

 自分が選んだその道。自分の意思で選んだその選択肢が正しく無かったのであれば、しっかりとそれを受け止め「どうすればもう失敗しないで済むか」を模索しなくてはならない。

 決して開き直ってはいけない。

 開き直るという事は「それでも自分は間違っていない」と喧伝するようなもの。

 我を貫いて得する事例は多数あるが、それは決して常人の日常生活では起こり得ない「お前に限ってそんな事は無い」というような場合にばかり当てはまる。

「ボクは強くなりたい。もう少しで良いから強くなりたい」

 成功を焦る必要は無い。

 彼は言っていた。上手くやる必要なんて無いのだと。

 故にパルヴェルト・パーヴァンシーという青年は「どうすればもう失敗しないで済むか」という目標の為に努力を絶やさず、その為ならば数多の嘲笑すら受け入れ、安易に道を変える尻軽野郎だと後ろ指を指される事すら厭わない。

「ボクは、せめて大事な友達を守れるぐらいには強くあらねばならない」

 故に、パルヴェルトはペール・ローニーの前で仁王が如く堂々と立つ。

「だからどうか、博士。ボクに稽古を付けてくれないか」

 あの時何一つとして役に立てなかったから。

 嫉妬に狂う魔王を前に、埃一つ被せる事も、命を対価に露払いをする事も、まして花道を作る為のさきがけになる事すら出来やしなかった自分を思い返すと、生前助けられるばかりで助ける事が出来なかった初恋の相手を思い出して吐き気がしてくる。

「ボクはもう大事な人を失いたくない。…………そう決めて日々鍛錬していたはずだったが、もう自分一人の力では到底及びもしないんだ」

 大義名分は要らない。

 好きになる事に理由なんて無いのと同じで、嫌いになる事にだって理由は要らない。何かに付けて人は理由を付けたがるが、自分を正当化する為の大義名分にしかならないクソみたいな理由を振りかざす為に頭をひねるのは、自分が開き直る為の口実を作る為に頭をひねっている事と何も変わらない。

 守ると決めたはずなのに何一つ守らせてくれない女の子が言っていた。理由なんて要らないと、守らせてくれる隙なんて無い女の子はそう言いながら、またしてもあの女の子は守ろうとする間も無く一人で駆け抜けてしまった。

 故に大義名分は要らない。自分が夜しっかり眠る為にと、理由なんてただそれだけの利己的なもので構わない。

 それで大事な人と馬鹿みたいに笑い合って居られるのなら何だって構いやしない。

「だからどうかお願いだ。ボクを強くしてくれ」


「断る。面倒臭い。他を当たれ」


「これ三話ですう? 八章の三話千文字ちょっとで終わったですう」



 ────残念! パルヴェルトの冒険はここで終わってしまった。



「いや待ってくれ勘弁してくれないか即答はやめてくれよッ! せめて………せめてもう少し考える素振りとか色々小手調べするなりしてくれないかッ!? 色々見聞きされた上で「お前には才能が無い」とか言われるのであればボクは納得出来るけど────」

 半泣きになりながらも、けれど力強い声色でそう叫ぶパルヴェルトに「そう思う時点で無理だ」とペール・ローニーが冷静に呟いた。

「この世には「悔しい」と思えない人種が居る。この世には「負けてられるか」と思えない人種が居る」

 通常の三倍の濃さで淹れられたインスタントコーヒーの入った金属製の魔法瓶。それをまるでペットボトルの麦茶を飲むかのようにゴビゴビと喉を鳴らしながら飲むペール博士。

「例えば剣術の才能がある、例えば弓術の才能がある、例えば話術の才能がある、例えば毎朝起きる才能がある。………才能があるっていうのはね、どれだけ努力を積んでも出来ないものが居る中、それでも出来るという場合に使う言葉だ。実際私はどんな時間にどんな体力で寝ても朝は絶対起きられない。起きるのは必ず昼過ぎだ」

 何枚もの研究資料が乱雑に置かれたデスクの縁に腰を押し当てたペール博士。彼女の言わんとしている事が何となく分かったパルヴェルトは、しかし言い返す隙が見当たらず唇を噛みながら眉根を寄せるしか出来ない。

「であれば誰かにボロクソ言われた時に「悔しい」と思える人や、誰かにボコボコに叩きのめされた時に「負けてられるか」と思えるものは「才能がある」という事になる。そう思えない人が何人も居るんだからな」

 唇を噛む。歯を食い縛る。気を抜けば俯きながら背を向け立ち去りたくなってしまう。


 けれど────、


「ついさっきキミが私に稽古付けを頼み込んだ際の発言や素振りを見聞きした上で、私は「お前には才能が無い」と言わせて貰おう。強くなりたいという事は誰かより上に行きたいという意味であり、その為には今の私が言ったような言葉に対して「悔しい」「負けてられるか」と思える「才能」が絶対に要る」


 ───けれどパルヴェルトは逃げ出さなかった。

 逃げ出す為の両足が上手く動かなかった。

 心では逃げ出したいと思っているだろうに、どうしてなのか上手く両足が動かない。

 それはきっと、パルヴェルトが生前に負った怪我が理由。生前に負った足の怪我─────それが理由で、きっと上手く動かなくなっているんだろうと彼は思った。

「…………………嫌なんだ」

 生前、と思い返せば全てがそうだった。レイピアの才能………その一筋の光明を見出した時も、動きたいと思っていたのに両足が痛みまともに歩く事すら叶わなかった。

 思えば、あの時と全く同じだった。

「………悔しいとは思わない。勝てない相手に負けてられるかなんて強気な気持ち、ボクには欠片も湧いてこない」

 だけど、けれど、しかし、

「嫌なんだ。ただ嫌で仕方が無いんだ。大事な友人が───こんなボクを、それでも友達と呼んでくれた大事な友人が、ボクの前で泣いているのを見るのはもう嫌なんだ」

 開き直りたくは無い。もし自分に非があるのだとしたら改善したい。悔しいとか負けてられるかとか、そんな少年漫画の主人公のような台詞は要らない。


 自分が主人公でない事ぐらい、とうの昔に分かり切っていた事だから。


「ボクは、ボクが嫌な思いをしない為に強くなりたいんだ。その為なら、周りに煩わしいと思われる事すら厭わない」


 エゴイストで良い。

 偽善者で構わない。

 いっそ独善者と呼ばれようと構わない。

 それで親友が守れるのなら何も構うものか。

 幾らでも開き直って・・・・・やる。


「いやそんなの私の知った事では無い。面倒臭い」


「八の三話終了ですう。こうなった博士マジで動かないですう、湯気子が博士にえっちな事お願いした時もこんなノリだったから知ってるですう」

「そこを何とかァッ!」

 意図してなのかそうで無いのか何一つ雰囲気を読まずに拒否を示すペール博士にパルヴェルトがスライディング土下座をすると、カテゴリ毎に書類をまとめていた湯気子が「うわドゲザですう」と馬鹿を見た時のような声色で土下座をする馬鹿を見下ろした。

 けれどパルヴェルトはめげない子。一つの物事に対してであれば諦めるのが早いパルヴェルト・パーヴァンシーという青年は、しかし遠くからものを見てみれば頻繁に道順を変えているだけで最終目的地は何一つとして変わっていない。

 諦めるのが早いが、同時に諦めが悪い。

 それがパルヴェルト・パーヴァンシーという男である。

 でなければ橘光たちばなひかるという女に対し、ここまで一途に恋心を抱き続けてはいないだろう。


 だがパルヴェルトは知らない。


「断る。面倒臭い。他を当たれ」


 ペール・ローニーもまた、滅茶糞なぐらいに諦めが悪い。

 方向性としてはパルヴェルトと全く違うものの、一生掛けても変わらない程に強い意志や感情が必要な法度ルールを得ている分、むしろパルヴェルトよりもペール博士の方がよっぽど諦めが悪い。

「おかしい……あれ、おかしいな。今どう考えても「ふむ……そこまで言うなら仕方が無いな」とか言いながらボクの修行シーンに入る流れだった気がするんだが………あれぇ?」

「生憎と私は熱血系のコンテンツは嫌いだ。好きでは無く、明確に「嫌い」だと断言出来る程に嫌いだ」

「何でだい熱血バトル漫画の修行シーン良いじゃあないかッ! 悟◯だって海王星で修行したから強くなったんだよっ!? ナ◯トだって馬鹿にされてても諦めずいっぱい修行してたから多重影分身が使えるようになったんだっ! あのシーン超格好良かったじゃあないかっ!」

「知らん。何らかの目的の為に直向ひたむきな努力を積み重ねるシーンは好感が持てるが、私は筋肉ムキムキが嫌いだ。暑苦しい」

「Oh my gosh...熱血の『熱』が受け付けられないとは。やはり少年漫画は昨今ではウケないんだろうか………凄い面白いのになあ、ボク魔人ブ◯編のラストシーン物凄い感動したんだけどなあ」

「博士は意外とラブロマンス系の漫画が好きですう。主人公とヒロインが大した言葉も交わさずただ甘々に過ごすイチャイチャシーンとか読み癖が付くぐらいお気に入───わぇゃぁぁぁぁぁぁ…………─────」

 無表情でコーヒーを飲むペール博士が軽く腕を振るうと、余計な事を口走った湯気子が風に巻かれて雲散霧消。声帯に当たる部分が消えてしまった湯気子の悲鳴は一気に小さくなりそのまま聞こえなくなった。

「キミは何も聞かなかった。良いね? 何も聞かなかったから何も話せない、そう、そういう事だ」

 そしてコーヒーをゴビゴビ飲みながらパルヴェルトを見据えるが「いや別に言う気は無いし」と特に臆さない。

「ハニーやジズくんは茶化すだろうから言わないけど………ブラザーが帰って来たらこっそり言っておこうか? 多分、貴女の望むシチュエーションでエロシーンに入れると思うよ」

「必要無い。私のキャラ性がブレる。私は知的なクール系お姉さんとしてタクトくんを誘惑するんだ」

「いやいや素手で魔王ブチ殺した時点で貴女のキャラ性なんてだいぶブレてるよ。でなければボクがここに来て弟子入りを志願するような事も無いだろうからね」

 と、そこでパルヴェルトは考え至る。

 ………ここまで来ればもう形振なりふり構っていられない、卑怯な手だとしても知った事かと思い至ったパルヴェルトは「では交換条件だ」と平静を装いながら指を立てる。

 が、敢えてそこで「いや、やっぱり止めよう、こういうのは卑怯だ。最後の最後まで取っておこう」とわざと頭を降る。

「まあそれはさておき、ボクの修行に手を貸してくれ」

「………………………」

 その言葉にペール博士が黙り込む。先程までとは違って即答で拒否を示さないペール博士は、パルヴェルトが何を言いたいのかを大体察した。

 要は脅しだ。弱味を対価に交換条件を提示しようという訳だ。それを相手に分からせながらも、しかしまだ弱味を天秤には乗せないでおく。

 こうする事で相手の動きを読みやすくなる。相手がこの意図を把握出来ない馬鹿であれば何の意味も無いが、ペール・ローニーのような智者が相手であれば色々と思考の中を把握出来る。博士が拒否を示せばこれは脅しとして通用しないという事であり、であれば「脅し」では無く「それを良い方向に持っていくお手伝い」の方向性で話を進める。博士が「脅し」に屈するようであれば素直に脅しとして使うだけ。

 重要なのは「両方共見せる事はしない」という事。人は複数の情報を提示されると、その個数に応じて一つずつに対する判断力がどんどん低下していく。この場合であれば「言われたくないなら手伝え。言っても良いというならむしろ良い方向話を進められるよう手伝ってやろう」というような交換条件の提示方法をすると、二つの事柄が同時に頭に入るので適切な判断を下し難くなり、感情的に両方共蹴ってしまいやすくなる。

 ………売れない営業マンや馬鹿なセールスマンが何故売れず馬鹿なのかはここにある。確かにこちらは客と違って大量の情報や知識を持っているが、だからといってそれを一気にあれやこれやと出していくのは愚行以外の何物でも無い。

 情報は一つずつゆっくり提示し、その後客に考える時間を与える。セールスマンだから営業マンだからと喋り散らすのはただの間抜けでしか無い。与えられた情報に対して自分の求める形を当てはめようとしている客は、横からああだのこうだのと言われれば考える気にならなくなり「面倒臭えから今日は良いや、また来るね」と帰らぬ客になってしまうのだ。

 営業マンやセールスマンは客を本当の馬鹿だと思っていなければならない。一個ずつしか情報を噛み砕けない無知蒙昧であると考えていなければならない。故に一つずつ情報を与え、ケースバイケースさながら自分のケースに適応出来るか適切な判断を下させてやらねばならない。そうすれば、客は営業マンやセールスマンがあれこれペラ回すよりも先に「そうなると◯◯は?」と勝手にこちらに疑問を投げ掛けてくれる。その疑問に答えを返しつつ、それに繋がる情報を一つ提示する。客の飲み込みが早ければその次を提示する。

 ここまでの流れが作れればもう勝ちだ。後は適当に「じゃあ立ち話も足疲れちゃうんで、あっちで座りながらご説明しますよ。資料持ってくるんで待ってて下さい」とそのままクローズへと繋げられる。

「………………チッ」

 そんな事ぐらいペール・ローニーは知っていた。

 だからこそ舌打ちが飛び出してしまった。

 正直自分の趣味嗜好を好きになった男の子に知られるぐらいどうって事は無いはずなのだが、どうしてかかなり強い抵抗感がある。

 ………要は、若い男の子の前でぐらいお姉さんぶって居たいのだろう。彼の前では、知的なお姉さんで居たい。実際そう振る舞えているかはさておくとして、クール系のお姉さんだと思って貰いたい。

 その方が彼を行為に誘う時に押しの強いやり方でも通しやすいし、その方が彼が甘えてくれるようになる。


 その方が────嬉しい。

 

「…………チッ、クソが。…………良いよ、構わない。受けてやろう」

 だからこそペール博士はパルヴェルトの『キャッチ』に乗るしか無かった。

 そんなペール博士の姿を見て、パルヴェルトは強く胸が痛んだ。こんな事をしてまで、こんな事をしないと、弱いまま変わる事が出来ない自分に嫌気が差した。

 けれどもう形振り構わない。そうでなければ大事な友人を守れない。自分の命すら天秤に乗せても構わないというのなら、他人の不満ぐらい屁でも無いと思えるようにならなければならないのだ。

 それだけは嫌だなんて我儘、自分は言える身分では無いのだ。

「…………だがキミを強くする、というのは無理だ」

 しかしペール博士はそう言った。

「根性論は反吐が出る程嫌いだがね、それでもキミは強くなる素質が無い。ものの考え方や言葉の受け取り方だけで無く………女の秘密を知った上で、それを弱味として振りかざす事に抵抗があるような人間であれば、キミが思うような「強いやつ」にはなれないだろう」

「───────っ」

 歯噛みする。生まれて初めて「悔しい」と思ったパルヴェルトだったが、しかし直後に「仕方が無いか」とその悔しさを受け容れてしまった。

 それを自分で自覚して、なるほど、と納得する。

 そんなパルヴェルトを流し見たペール博士がコーヒーを飲みながら「だから」と続ける。

「強くはなれない。強くはしてやれない。だが「弱くない」というぐらいまで鍛えてやる事は出来る」

「………どう───それは、どういう………」

 俯き掛けていたパルヴェルトが前を向くと、ペール博士は「そのままの意味だ」と空になった金属製の魔法瓶をデスクに置き、その中にインスタントコーヒーを匙で掬って入れていく。山盛り四杯きっかり入れたそれに、アルコールランプで沸かされた風情も何も無いお湯をだばだばと注いで軽く揺すって撹拌させる。

法度ルールを適応したヒカルくんに対し更に法度ルールを適応したキミは、比喩でも何でも無く相当強い部類に入る。彼女よりも僅かに強く、しかし彼女と違って時間制限や回数制限に何一つ縛られないのは強いと言って何ら差し支えないだろう」

 良い感じに暖まったお湯で溶かされたコーヒーを再びゴビゴビと飲む。無糖ではあるがカフェインの含有量的に確実に寝られなくなるだろうその濃いコーヒーを飲み終えたペール博士が、何を思ったのか「……薄い」と呟きながら更に山盛り一杯インスタントコーヒーを追加し、ぐるぐると魔法瓶を揺らして混ぜていく。

「だが前述した条件を満たせないキミは、自分の身すらまともに守れない程に弱い。ヒカルくんのスペックをコピーしたキミは、しかし技術的にはカスも良い所。ただステータスでゴリ押ししているだけに過ぎない。………相手が戦闘中に余分な事を考えられるタイプであれば、すぐに冷静さを取り戻し様々な方法でキミをりに来るだろう」

 仮にパルヴェルトが法度ルールを適応して橘光という女より一枚上手になったとして、どう考えてもその状態のパルヴェルトでは光に勝てない。

 橘光という女は喧嘩芸さながら手癖で長ドスや手足を振り回す女であり、それに対するパルヴェルトは多少ではあるがレイピアの専門知識を齧っている身。そこに数値上必ず相手より一枚上手になれるパルヴェルトが立ち塞がったとしても、しかし光はパルヴェルトよりもよっぽど機転が効くし状況判断能力も高い。引き際や攻め時を見極める力もる事ながら、光よりもよっぽど力に任せてしまうパルヴェルトと違って彼女はブラフ引っ掛けや不意打ちも多用する。場合によっては強いコンプレックスである自分の胸すら振り回し、何キログラムになるのか想像も出来ない爆乳を使用して乳ビンタすら繰り出す事さえあるのだから、過去に一度それで脳をシェイクされているパルヴェルトが光に勝つ事は極めて難しいだろう。

「だから私がキミに教えるのは護身術だ」

 橘光をコピー出来ない状態でも、少なくともボコボコに負けてしまう事だけは避けれるようにする為の護身術を教えると、ペール博士はそう言った。

 強くなりたいと願ったものに対して自衛手段を教えてやると言った所で、恐らく大体の人間であれば納得出来ないかもしれない。

「何の問題も無い。それで良いよ、恩に着る」

 けれどパルヴェルトは納得した。

 理由なんて簡単である。

 生きていなければ守ってやれないのだから、生き残る為の技術を学ぶ事はパルヴェルトにとって十二分に「強くなる」に当てはまる。

 むしろ下手に「強くなり過ぎ」てしまい、調子に乗って死ぬよりよっぽど自重が出来て良い。パルヴェルト・パーヴァンシーという青年は褒められると伸びる男であり、褒められないと縮む男であるが、褒め過ぎると調子に乗ってやらかすタイプなのだ。

「…………………それはそうと」

 今にも小躍りしかねない程に嬉しくなっていたパルヴェルトに、ペール博士が「参考までに聞かせろ」と仏頂面をしながら口を開く。

「…………………………ら、ラブロマンス好きのお姉さんっていうのは、その………何だ、男の子的にはウケないのか」

 諦めが悪いという事は、言い換えれば「かなりしつこい」という事でもあり。

「………ははっ」

 湯気子に茶化された事を根に持っているのだろう。少しだけ拗ねたように唇を尖らせるペール博士に、パルヴェルトは思わず笑顔になってしまった。

「ブラザーは物静かながらも我の強いお姉さんがタイプだよ。性に貪欲な肉食系の女性を好む男性は確かに多いが、ブラザーは肉食系のハニーやポルカくんより、しっとり優しい系のお姉さんを好む傾向にある」

「……………………違ったらスライム化させるぞ」

「………そんなに心配かい?」

 小首を傾げるパルヴェルトに「当たり前だ」と博士は不機嫌そうに返す。

 そんなペール博士に、パルヴェルトは少しだけ飽きれたように鼻から溜息を漏らしながら「じゃあ貴女を安心させてあげようか」と呟いた。

「ブラザーが惚れた女性を思い出すと良い。ボクの記憶では、ブラザーはしっとり優しい、けどやたら口の悪い、普段の立ち居振る舞いに似合わず草食系の小さなお姉さんにベタ惚れしていたと認識しているよ」

 過去を懐かしむような穏やかな声色でそう言うパルヴェルトに、ペール博士が「………そうだったな」と納得し、

「まだ私にもチャンスはあるか」

「うわぁ待ってくれそんな泥沼展開になりそうな事を言わないでくれ…………何か余計な事言った気がする。……………いや本当に泥沼展開とかやめてくれよ? ただでさえ最近ボクの入り込む余地が減っているんだ、どうせ泥沼化するならせめてブラザーの尻穴はボクにくれ」

「それは私が掘り返すが………しかし、ふむ。誰かに惚れるなんてチェチェ以来………何年振りか分からんからな、少し焦っているのかもしれない」

「焦って良い方向に進むのは金銭が絡んでいる時だけだよ、他の事柄では焦った所で大体ロクな事にならない」

 自分の余計なアドバイスがキッカケで愛憎泥沼展開になりかねないと思ったパルヴェルトが一体これは何角関係になるのだろうかと頭をひねると「心配要らない」とペール博士は特濃コーヒーを飲みながら言った。


「私はジズくんも気に入っている。どうせ狙うなら両方狙って乱交でもするよ」


「そういえば貴女は魔王さんとお付き合いしているレズビアンだったね。LGBTに配慮しているのか何なのか知らないけれど、貴女はもう少しレズビアン感を出してくれ。余りにもナチュラル過ぎる」

 少し呆れながら言うパルヴェルトに「私は性別を壁だとは思わん」と返すペール博士に、パルヴェルトは言葉の意味が分からず「壁?」とオウム返しする。

「キミたちはまるで自分が性同一性障害である事を壁であるかのように受け取っているがね、私は別に自分が性同一性障害である事を壁だとは思わん。世の中ヤギに性愛を見出だせるものが居るんだ、子ヤギのスープを見てバッキバキになるような連中と比べれば、同種に愛を見出だせるだけ同性愛なんざ遥かにマシだ」

「待ってくれ、それは貴女が「ごめんさない」をされた事が無いから言えるだけだと思うよ。同性愛に関するカミングアウトは生みの親ですら憚られるような難しい問題……下手に登れば落下死するようなそれは、まさしく壁と呼ぶに相応しいものだろう」

「呆れ返るね………男が男に、女が女に「付き合ってください」と言ったとして、それに対して「あなたの事は異性して見れない」は言い方こそ違うがただの「ごめんなさい」だ」

「────────」

 パルヴェルトが真顔になる。考えた事も無かったその言葉の意味に、パルヴェルトは胸が痛くなりぐっと歯を噛んでしまった。

「私が今キミから告白をされたとして、私は「ごめんなさい、貴方の事は異性として見れない」と答える。…………おや? おかしいね、私とキミとは異性としての間柄だが……おかしなものだね?」

「それは───」

「世の中全てがそうであると言える程私は傲慢では無い。しかしキミに限っては「お前はお前の意思で、自分の世界に壁を作っている」と言わせてもらう。………同性愛がどうした、誰あろうお前自身がそれを壁だと思っているなら、周りからも壁のように扱われたとして当然では無いか。それを周りの理解力が足りないと騒ぐのは、同性愛者で無くとも「ごめんなさい」だ」

「だっ、だからといって両手もろてを上げてフリーハグを求めた所で悪意に刺されてしまうだけじゃあないかっ! 貴女には出来たかもしれないっ! けれど「自分に出来たんだからお前にも出来る」だなんて言葉がどれほど最低な言葉なのか貴女はちゃんと分かっているのかっ!?」

「私は思う思わないという話をしているんだ。同性だろうが異性だろうが「好きだ」と伝えて「ごめんなさい」が返ってきたのならば、それはただ単に「振られただけ」だろう。異性間での「付き合って下さい」「ごめんなさい」と何が違うんだ? 私は何も違わないと思う、だがキミらは何故か「違う、自分が振られたのは自分が同性愛者だからだ」と目の前に大きな壁を作り出したがる」

 ………ペール・ローニーが言いたい事、それは「振られる」という結果に対する理由に、自分自身で「自分が同性愛者だから」という壁を作り出しているからだという事だろう。性愛の対象として見て貰えない事に、性格や体格、外見や体臭といった様々な要因がある。しかし同性愛者は総じて、自分が振られた時に何故か異性愛者が当然の如く向き合うそれらから目を逸らし、真っ先に「同性愛」という壁を作り出してしまうのだとペール博士は言っている。

「…………それは、だってそれは────」

「その後そいつがレズに擦り寄られただのホモに犯されそうになっただのと吹聴していれば、それは即ち「相手がどれだけ常識外れでとんでも無い奴だったのかを見極めれないまま軽率な告白に至った」どこかの誰かに否がある。そいつが黙して語らなければ相手も黙ったままだったろうに、相手とそれ以上の関係になりたいと願ったのはどこの誰だ」

「…………そういう話じゃ無いだろう」

 絞り出すようなパルヴェルトの声に、ペール博士が溜息混じりで「小難しく考えるな、そんなだから同性愛でも何でも無い変な団体が騒ぎ出すんだ」と腰に手をやりながら呟き、その後いつだか湯気子に言われた事を思い出し腰から手を離して腕を組む。

「好きや嫌いは人間が思う程小難しいものじゃない。お前が同性に振られた事に対して、お前が同性と付き合える事に対して、自他が同性愛者であるか否かという自称「壁」は関係無い。あるのは単に「友人以上に愛せない」というただそれだけ…………それを壁と言うならお前は一生壁に囲まれて過ごせば良い。事実私はノンケなのにホモセクシャルの友人と何年も騒いでいるという男性の話を数件……三件ぐらいか、それぐらいは知っている。対して異性愛者なのに異性に振られた奴の話は何万と聞いたな。こうして改めて考えてみると、異性愛と同性愛なんてどっちも対して変わらないように私は思えるよ」

「それは────」

 喉の奥から絞り出した言葉。間違っていないはずなのに、間違っているはずなのに、返す言葉が浮かばないペール博士の言葉に何とかして言い返したパルヴェルトの言葉は、

「────それは貴女の理屈だ。貴女の、出来たものの目線での理屈だよ」


「貴様は短期記憶障害か? 咆えてる暇があったら魚でも食え、「私は別に自分が性同一性障害である事を壁だとは思わん」と言っていただろうが。故に私のこの言葉が世界の真理だなんて思ってくれるなよ。私の言葉は私のもの、私の理念は私のものだと、私は思っているというだけの話だ。参考にし、同調し、否定意見を浮かべるのは何ら構わない。だが無意味にキャンキャンと噛み付かれるのは困るね、誰かの意見に「そういう風に思う人も居る」と思えない奴との語らいは殺して黙らせる以外の終着点を知らない」


「………………貴女の言葉は乱暴だ。理論も、理屈も、きっと正しいはずなのに乱暴なんだよ。一体何人の敵を生んで、一体何人の敵を殺して黙らせて来たんだい」

 言い負けたパルヴェルトが出来る事、それは諦める事だけ。アカウントを消してブ無言で消えるような事が出来ない現実での論争に負けたパルヴェルトに出来る事は、自分よりよっぽど強い信念を持つペール・ローニーという女探求者に対して畏敬の念を込めると同時、自分がその壁を乗り越える事を諦める事ぐらいだった。

「厨二病罹患者や警察機関でも無し、殺した相手の人数なんていちいち数えないよ。自分が産み落とした敵の数なんて論外だ、数えるだけ時間の無駄だね」

「………殺しは良くないよ。犯罪はやめたまえ」

 何気無く言ったそんな言葉。しかしペール博士はそれにすら「違うね、殺しは別に悪では無い」と異を唱えた。

「キミの居た世界にも似たような法はあったろうが、この世界やこの国にも当然、殺しに対する罰則は存在する」

 金属製の魔法瓶にインスタントコーヒーの粉を入れる。都合五杯入れたそれに、ぬるくなってしまったお湯をだばだばと流し込んで蓋を締めたペール博士は、そのまま魔法瓶をがしょがしょと乱雑に振って混ぜる。

「殺しに対して罰が与えられる。………それは即ち「罰を受ける覚悟があれば何人殺したって構わない」のだと私は受け取ってしまえる。懲役刑………或いは死刑か? 何だって構わないが、殺したら罰を受けるのであれば、それは罰を受ければ殺しても良いという風に私は受け取れるよ」

 目頭が熱くなる。涙では無い、強い怒りに目頭を中心とした顔周りが燃えるように熱くなる感覚がする。

 かつて自分に起きた事、愛すべきものの死に顔が頭に浮かんでくる。

「………ッ」

 けれど言い返す言葉が出て来ない。さっきの言葉に対しても、今の言葉に対しても、そんな暴論まかり通って良いはずが無いのに、何故か言い返す言葉が出て来ない。

「………私が何でそんな風に思うのか、答えを教えてやろうか」

 俯くパルヴェルトに、温くなったコーヒーを飲むペール博士が穏やかに呟く。

「人間が、罪に重さを設定したからだよ」

 ごびごびと豪快に喉を鳴らして濃さ三倍のインスタントコーヒーを飲むペール博士が「重さが無ければ皆、罪を犯す事を躊躇うはずだったさ」とどこか遠い目をしながら言った。

「万引きをしたら死刑、名誉毀損も死刑だしセクシャルハラスメントも死刑、殺人罪も当然死刑。実際の所、独裁国家であるサンスベロニアはいとも容易く「国家反逆罪」や「不敬罪」で死刑になるというが、その甲斐あってか基本の犯罪率はこの国と比べて異様なまでに低い………誰も殺されたくないから、誰も殺されるような事をしないという訳だ」

 それは逆に、死なないから殺しても大丈夫、という事になってしまうのだとペール博士は言う。

 それを聞いたパルヴェルトは「オーケー、もうお腹いっぱいだ」と頭を振って話を切ろうとする。

「もう疲れたよ、貴女は本当の天才だ。凡才であるボクには貴女の言葉は一割程度までしか理解が出来ない。異論が浮かんでも凡才であるボクでは、貴女を言い負かすような言葉も浮かばない」

「多様化が特徴である人間が性の多様化に対して否定的、という議論での論争だと思っていたんだけどね。まさか思考の放棄かい?」

「まさしく。人が罪に重さを制定した事が間違いだったとして、そんなもの考えた所で今更どうにも出来る話じゃあ無い。そんな事を考えるのに時間を割くぐらいなら、ボクは「どうすれば合法的にブラザーの尻穴を掘れるか或いは掘って貰えるか」について考えたい。その方が有意義だ。少なくとも、ボクにとってはね」

 言い争った果てに「どちらが正しいか」という終着点の無い討論というものは、恐らくこの世で最も無駄な時間の上位にランクイン出来るだろう。ペール・ローニーの持論や言い分に対してパルヴェルトが討論したとして、仮にそこにジズや光、魔王チェルシー等が加わったとして、それでも「心の持ちよう」以外に終着点の存在しないこの議論で語らうのは無駄にしかならない。

 終着点の存在しない討論なぞ、勝った側が三十分前後悦に浸れる以外に何のメリットも無いのだ。世界の時間は無限でも、個人の時間は有限。繁殖に繋がらないマウントの取り合いに勝つ事に意味を見出だせないパルヴェルトは、やれやれと言わんばかりに「ブラザーがゲイだったら最高なんだけどね」とかぶりを振る。

「私からすれば好きになった相手の性別なんて今日の下着が上下揃いだったかどうかぐらいどうでも良い。タクトくんと抱き合った事から勘違いされがちだが、報告していないだけでチェチェとは今も関係を持っているし、今日の朝だって私は自室や研究室では無くチェチェの寝室で、起こしに来たトリカくんの「またシーツ汚して……」という呟きで目を覚ました」

「貴女は変わらずお盛んだね。行き過ぎて屋外での公然猥褻に及ばなければ、ボクはもう性行為に関しては何も否定しないよ。誰がどこでどういう風に気持ち良くなれるかは人それぞれだからね、誰かの性の否定は誰かの好きな音楽や食べ物を否定するのと同義だと思っている。それは人としてナンセンスだと、貴女との会話で思い出せた」

「女性同士であれば避妊に気を使う必要も無いしな。………性病に関してはお互い自覚症状が出ない事が多いからチェックが面倒だがな」

「…………それにしても何で男性同士はここまで嫌悪されるんだろうね。どっちも繁殖に繋がらないというのに……」

「知らん。そんな事に興味は無い」

 交換条件が済んだ上、もう既に安心出来る情報を得たペール博士が話は済んだと言わんばかりにそう言うと「いや貴女にも関係ある話じゃあ無いのかい?」とパルヴェルトは少しだけ焦ったように口を開いた。

「ホモセクシャルやゲイセクシャルに対してだけで無く、レズビアンに対してだって嫌悪感を示す人間は多いだろう。石を投げられる可能性を考慮したら────」

「石を投げられたら投げ返して殺せば良いだろうが。敵を殺すのを躊躇うぐらいなら諦めて素直に殺されろ。殺らねば殺られる、椅子取りゲームで相手に遠慮する間抜けは教室の後ろで体育座りでもしていれば良い」

「………貴女はもう少し草食系というものを学ぶと良い」

 完全に呆れ果てたパルヴェルトに「……ふむ?」と唸ったペール博士だったが、彼女は我の強い探求者───自らの欲求を満たす事にのみ強い執着を見せるタイプ。傍から投げられた忠言に耳を貸せども、しかし全く興味を持たないだろう事は彼の目にも明らかだった。



 ───────



 護身術、と言っても数多ある。空手や柔道だって護身術として転用出来てしまうのだから、「身を守る為に使える技」という括りで見れば、殆ど全ての武術が護身術と呼べてしまうだろう。両手を鎖付きの枷で縛られている奴隷が檻の中での喧嘩で負けないようにと編み出されたカポエイラだって、元を辿れば喧嘩で負けて食べものを奪われないようにという護身の心から生まれているはずだ。

 そんな中でも攻めに転用し難い「身を守る為」に特化した本物の護身術が一つある。参考映像や紹介動画等を見てみると、余りにも嘘臭いオーバーな演出にしか見えず、海外では魔法のようだと言われる事も多い護身術が一つある。

 事の始まりは大正時代。植芝盛平が柔術や剣術に精神哲学を組み合わせた新たな武術として作り上げたものだったが、それを広く周知させ極め尽くしたのは植芝盛平ではなかった。

 塩田剛三。1915年に生まれた彼は、幼い頃は剣道と柔道を学んでいた。彼は特に柔道において才能があり、十代の時点で柔道三段を取得するぐらいには才能があった。

 だが彼はこの頃合気の道に興味を示し、そのままどっぷりとハマり込んでいった。合気道といえば植芝盛平よりも塩田剛三の方が遥かに有名だろう。

 背が低く体も細い彼が屈強な男たちを腕一つで容赦無く跪かせる姿は、別に外国人で無くとも「魔法のようだ」としか思えないだろう。

「アイキドウ…………聞いた事はあるよ。カラテの一種だろう?」

 空手と共に日本古来から伝わる代表武術として名高い合気道は、まさしく字が表す通り「相手の気に合わせて流す」事を主軸にした回避と、相手の関節の可動域を把握して「固める」事に特化した武術の一つ。

 関節の可動域と聞いて一般人が真っ先に思い浮かべるのは、腕菱木うでひしぎ等といった肩甲骨周りの関節を後ろに反らしたり、或いは肘を折りにいったりというものばかりだろうが、関節の可動域というものは縦や横に曲がる部分だけで無く回転にも存在する。

 例えば右の手を開いて親指を下に向ける。そのまま手のひらを右真横に向け親指が真下に向くと、それ以上は手のひらが右より上に向かなくなるだろう。

 これが関節の可動域。ここで下を向いた親指を更に右横に向けようとすると、どうした事か腰が曲がって頭が下がり、肘と肩が上に上に持ち上がっていく。

 逆に、今度は親指を上に向ける。そのまま手のひらを真上に向くように回転させ、先程と同じように手のひらが右に向くように必死に回していくと、不思議な事にさっきとは違い腰が反れて上に上がりたがる。

 合気道ではこの原理を利用する事で、相手の攻撃手段を著しく狭めながら助けを呼ぶ為の時間を稼ぐ。警察機関では暴徒の鎮圧で頭を下げさせ手錠ワッパを掛けるチャンスを狙う事もあるだろうが、基本的には護身術であり攻めに使う事は厳禁だとされる。

「今回キミに教えるのは、一般的に「合わせ」や「いなし」と呼ばれる瞬間的な回避に関してだけだ。固めは相手の腕の向きを即座に見切る必要があるし、筋力も必要だし………何より私は「固め」を教える為如きで彼以外の男と肉薄したくない。因みにこれは一般的に「恋心」と呼ばれるらしい。最近自覚した」

「包み隠さないね。でも構わないよ、ボクもブラザー以外の男に掘られると考えたら「快楽落ちしないかな」と心配になる。だから貴女の気持ちは十分に分かるよ」

「快楽落ちしないかなでは無く「反吐が出る」ぐらい強気に言いたまえよ」

「ブラザー以外のち◯ぽなんかにボクは絶対負けないよッ!」

「それはフラグだが………そうだな。銀陽ぎんよう、試してみるか。ちょっと掘ってみたまえ。ズボォンっと。ローションは無いが、湯気子が良く読む本ではローション無しで行為に及ぶシーンしか無かったからイケるだろう」

 ペール博士が横を向いてそう言うと、犬耳を生やした初老の執事が冷静に「勃ちませんって」と答えた。

「………インポテンツの改善薬なら作れるぞ、作ってやろうか? 当然金は取らないよ」

「狂喜乱舞したアホの金陽に拘束され二度と仕事なんて出来なくなると思いますが、それでも宜しければ是非」

「よし、ならお前は一生インポで居ろ。それがこの国の為だ」

「酷い言い草ですね……」

 大きな溜息と共に呆れる銀陽に「さて」と話を戻すペール博士。

「今回はコツを掴む為の事しか教えない。つまりパルヴェルトくん、キミは今から銀陽にひたすら肩を押される事になる」

「………肩を?」

「そうだ。まるで「調子乗ってんなやお前コラ」とでも言わんばかりに肩をドンと押される訳だ」

「調子乗ってんなや愚者コラ」

 言葉の意味が分からず呆然とするパルヴェルトに歩み寄った銀陽が、空気を読んでそんな事を言いながらパルヴェルトの肩をどつけば、当然ながらパルヴェルトは「おっ、と」とよろけて後退る。

 それを見て「よろけるな、弾け」と今回の修行の本質を説明し始めた。

「一切よろけず、迫って来た銀陽をそのまま押し返すようなイメージで弾け」

 合気道はタイミングであるとは、その道を極めた塩田剛三の言葉。関節がある生物が相手であり、かつ相手がこちらに向けて力を込めている場合猛威を奮えるのが合気というもの。

「一応は流しもあるんだが、今回は弾きを教える。後ろに流す場合はそのまま服を掴むなりして即座に固めや投げに繋ぐ必要があるが、弾く場合は距離を取って仕切り直しだ。今回は自衛の為の特訓だから弾く事だけ意識しろ」

 よろけたパルヴェルトが服を整えながら「なるほど」と向き直ると「ただし」とペール博士は食い気味に言葉を続ける。

「動かして良いのは肩だけだ、靴の裏を地面から離すな。当然ながら肩周り以外の部分……上半身は揺らすなよ、キミが体勢を整える間に相手も体勢を整える事が出来てしまう」

 さも当然のようにそんな事を言うペール博士に少し思案するパルヴェルト。やがてその言葉を意味を理解した彼は「いやいやいや」と少し慌てた。

「それは無茶じゃあないか? 弾くんだろう? であればこっちは相手にぶつかるぐらいの力で行かねばならない。上半身を揺らさず足すら動かしてはいけないとなると物理的に無理じゃあないか?」

 そう言うパルヴェルトに「では試してみようか」とペール博士が前に出る。銀陽と入れ替わりでパルヴェルトの前に立ったペール博士が「肩どついて来い。胸触ったらお返しでお前の乳首を切り取って乾燥標本にする」だなんて言いながらそのまま動かない。

「…………………分かった」

 言ったパルヴェルトが前に出て、ペール博士の肩を強く押しに行く。かなりの力を入れてその肩を押そうとしたパルヴェルトは、しかしその手のひらが肩に押し当てられた瞬間まるで魔法のように背後に吹き飛ばされていった。

 ペール博士は本当に一歩も動いておらず、上半身も肩がほんの少しだけ前に出ただけだった。にも関わらずパルヴェルトは「うわっ!?」と大きく驚きながら背後に吹き飛ばされ、危うく尻餅をつくかという程に体勢を崩された。

「…………………It's今の magicは魔法か?」

「ただタイミングを読んで押し返しただけだ」

「………………どうすれば良い。どうすればそれが出来るようになる」

 合気道というものは海外ではただのヤラセ、詐欺だと頻繁に言われる。誰がどう見ても嘘のようだと言われるその技の数々は、実際にやられてみなければ真偽の程は分からない。

「キミは今、百の力で私をどつこうとしたとする」

 合気道はタイミングが全て。相手の関節を取って固める際も、相手の手足や肩がどちらに向いているかをしっかり見極め、タイミングを合わせて掴まなければすぐに逃げられてしまう。

「私の肩に手のひらが触れた瞬間を百だとして、私をどつこうと踏み出した瞬間をゼロだとして、それが九十九になるタイミングを読んで押し返せ」

「タイミング………」

「九十九のタイミングを見計らえ。百では駄目だ、遅い。それ以下でも駄目だ、相手は使う予定だった力を使って体を引くか、或いは伸び切っていない肘が曲がって終わりだ」

「…………相手の余力が一しか無い、反撃も回避も力が足りない、どうしても対応出来ないタイミングを狙えと」

「柔道の心得があるのであれば肘を曲げさせて肉薄しても構わんが、そうで無いなら弾いて距離を取れ。肩を大きく動かすのも可能な限り避けろ」

「……それは何故?」

「あくまで統計的な話でしか無いが、弾かれた際に大きく動いた肩を見た相手は、更に力を入れて再び仕掛けてくる可能性が高い。「ナメやがって」といった所だろうな。しかし小さな動きで魔法のように弾かれれば、相手は警戒して慎重になりやすい。………護身術という言葉の意味を忘れるな、私はお前に喧嘩芸を教え込むつもりは無い。喧嘩が好きなら骨法でも学んで路地裏で遊んでおけ」

 ペール博士の言葉に、パルヴェルトは不思議と「はい」と敬語になった。

 ………敬語とは決して「目上の人間に対して使う言葉」では無い。昨今ではそういった意味だと認知されているが、古い辞書ではそんな説明どこにも書かれていない。

 本来の敬語とは「尊敬出来る相手に対して使う、畏敬の念を込めた言葉遣い」である。相手が社長であっても尊敬出来る要素が無ければ敬語を使う必要は無いし、相手が年端も行かぬ幼い子供であってもその行いや生き方に尊敬出来る点があれば敬語を使って然るべきなのである。

「これを銀陽が飽きるまで続けろ」

 その言葉に「飽きるまで?」と疑問を投げたのは、パルヴェルトでは無く言われた銀陽であった。

「飽きたら帰って宜しいのですか? 私マジで飽きたら帰りますよ?」

「構わん。ただし飽きていないのであれば疲れても続けてやれ」

「……………ふむ、畏まりました」

 鼻を鳴らして顎先を揉む銀陽。言葉の意図が分からず少しだけ困惑する青年に「キミ次第だ」と博士は踵を返す。

「飽きるまで続ける。飽きられるまで続けられる。………飽きられたら全て終わりだ。自分には可能性がある、こいつはまだまだ楽しませてくれると思わせ続けろ」

 そう言ったペール博士にパルヴェルトが「はいっ」と力強く頷くと、博士は「帰る。そろそろ眠い」と直前にコーヒーをガブ飲みしていた女の言葉とは思えないような事を言いながらその場を後にする。

 やがめその姿が見えなくなると、銀陽が「一つアドバイスを致しましょう」と軽く肩を回しながら向き直った。

「この技に筋力は殆ど必要ありません。どうしてなのかは私にも分かりませんが、相手が九十九の力で攻撃して来たとして、それを弾くのに九十九以上の力を入れる必要はありません。十や二十でも足りてしまいます」

「………何故?」

「分かりません」

 余りにも呆気無く言う銀陽にパルヴェルトが拍子抜けしたように驚くと「タイミングがあるんですよ」と銀陽は言う。

「相手の九十九に対して、何故か十や二十で押し返せるタイミングというものがあります。それが「九十九になる瞬間」です。………しかしこれは口で教わっても分かりません、何度も試して感覚を掴み、色々な相手で実践してみる必要があります」

「なるほど」

「しかしそれは「下がる」と絶対に成功しません」

「下がる……」

 銀陽の言葉を反芻するパルヴェルト。まるで馬鹿のようにオウム返ししているようにも見えるかもしれないが、彼は銀陽の言葉を良く噛みしっかりと理解する為にそれを繰り返している。

 人には「書いて覚えるタイプ」や「聞いて覚えるタイプ」が居るが、パルヴェルトは「口にして覚えるタイプ」だからであり、そしてパルヴェルトはそれを自覚しているからだ。

「弾いた後は下がって構いません。けれど弾く瞬間は絶対に下がってはいけません、相手が刃物を持っていれば尚更です。………パルヴェルト様、貴方がナイフを持って私を刺し殺そうとしたとして、私が一歩二歩と後ろに下がったらどうしますか?」

「…………その歩数分だけ、前に進んで追い掛ける」

 落ち着いた声色。間違っても『いつものメンツ』の前では見せないような真面目な顔をした青年の言葉に「はい」と銀陽が頷く。

「前に出て弾くか、それが出来ない場合は必ず横に避けて下さい。自分が同じように武器を持っていても、武器でガードすればどうのこうのとしょうも無い事を考えながら後ろに下がるのは死にたがりです。命を掛けた殺し合いの場で相手にイニシアチブを与える暇があったら、トイレで首でも吊ってる方が建設的です」

「………弾いて上を取るか、横に避けてイーブンを維持………後ろに逃げれば、アドを取った相手に追い回されて死ぬ」

 ゆっくりと噛み砕く。今でこそ落ち着いた紳士に見えるが、若い頃はヤンチャばかりだった犬の執事の口の悪い表現を、それでもしっかりと飲み込み消化し、自分の栄養に出来るように呟くパルヴェルトに「賢明です」と銀陽は頷いた。

 普段は馬鹿にされてばかりの青年。しかし実際にはわざとそういった立ち回りを意識しているだけであって、本質は馬鹿でも何でも無く、まして青年は努力を怠っている訳でも無い。

 青年は常人よりも遥かに努力家であり、強くなる才能こそ無かったとしても努力する才能はしっかりと存在している。

 馬鹿にされているのは、誰も彼の努力している姿を見ていないから。何となく頑張っている姿を見せるのは恥ずかしいと思ってしまう照れ屋な青年は、親友以外には努力を積み重ねている姿を見せた事が無かった。

 もしもこの場に口の悪い爆乳女が居れば、もしもこの場に口の悪い壁乳悪魔が居れば、きっと彼の真面目な顔を見て見直していた事だろう。

 だがきっと青年は、親しいものの目線があると上手く努力出来なくなってしまう。

 期待されていると思ってしまうから、

 期待に応えなくてはならないと思ってしまうから、

 体に余計な力が入って────上手く足が動かなくなってしまうだろうから、彼はこっそりと努力を積み上げているのが最も成長出来るのかもしれない。

「では始めましょう。言っておきますが、飽きたら本当にすぐ帰って寝ますからね。何せ私は有給を溶かしてここに来ているのです、精々楽しませて下さい」

「─────はいっ!」

 今の彼は、下手をすれば大好きな親友と騒いでいる時よりもよっぽど輝いているかもしれない。



 ───────



 我らが愛すべきポンコツ貴族であるパルヴェルト・パーヴァンシーは秘密特訓。魔王の乱心に振り回された詫びとして数日の間休暇を与えられた銀陽と共に、護身武術の代表として名高い合気道を付け焼き刃ながらも学んでいるので忙しい。

 我らが愛すべきポンコツクソデカメイドであるトリカトリ・アラムは直前の荒事で破壊された城に関しての普請で城内を走り回り、本来であれば城内のあれやこれやを統括する銀陽に頼れない状態に陥ったトリカトリは、この数日の間の小さな癒やしが魔改造バイクである『メーちゃん』の流線的な水冷タンクを泣きながら撫で回す事となっていた。

 そして我らが愛すべき爆乳シモネタ暴言女である橘光は二匹の虹蛇の元に向かい、創造神ルドミラのご機嫌を取りラムネが失った体を創造して貰う為に北方へと向かい、七並べやかくれんぼをしながらも周りに気を遣っている。

「あばばばばばば………」

 そんな中、獣人族の親善大使としてルーナティア国にやって来たトトは、どこかのプリプリなペンギンが如く廊下の真ん中であわあわと慌てていた。

「どっ、どうするのよっ? どうするのよっ? ヤバいのよ超ヤバいのよテラヤバスなのよっ!」

 『いつものメンツ』としては新参者の部類に当てはまるトト。非常識な発言や思考が目立つ『いつものメンツ』の中では最も貴重な「常識的な思考回路してるやつ」であるトトは、しかし常識的過ぎたせいか基本的には周りの馬鹿丸出しな会話に埋もれて寂しい思いをしがちだった。

 そんなトトにもしっかりと気を遣って構ってくれる少年は

けれど今は記憶を破壊されて幼児退行してしまっていて。元々荒事以外は殆ど何も出来ないトト族の一人娘であるトトは、しかしそれでも必死に自分の役目を見付け、あの時抱いた「にいに女の色香を教え込む」という目的を果たす為に奔走していた。

「………どうすれば良いのよっ? どうすればっ、どっ、どどどどどどっ!」

 が、奔走の一つとして安請け合いしてしまったは良いものの、実際トトには何も算段なんて無い訳であり、少年を安心させる為に自信満々の顔で「トトが連れてくるのよっ!」とタクトの部屋から出て数歩した辺りで、まさしくペンギンの如くあわあわと慌ててしまっていた。

「…………………ぶんどどでもしておるのか?」

 そこに現れた玉藻御前が「機関銃やえんじん音はもっと野太い音をしとるぞ」だなんて的外れな事を言いながらしずしずと歩いて来る。しっかりとした歩幅の割に一切の衣擦れや足音が聞こえないその諸作は、服の着方は当然ながら服の脱ぎ方すらしっかりと定められている鳥羽上皇の愛人故の洗練され尽くしたものだった。

「あっ、玉ね────んナァッチっ!」

「は? 何じゃそれ────おっ? 何じゃ何じゃどうしたトト」

 そんな玉藻御前の姿を視界に入れたトトがパッと喜びに顔を綻ばせたのはほんの一瞬、すぐ近くがタクトの部屋である事を思い出したトトは謎の台詞と共に小走りで駆け出し、玉藻御前の和服の裾を取りながら小さな声で「こっち来るのよっ!」とその場から離れる。

 そんなトトに「ふむ」と鼻を鳴らした玉藻御前は、その場で軽く飛び跳ねるように両足を床から離す。かと思えばその両足は地面から浮いたまま戻らず、小さなトトは風船のように浮かんだ玉藻御前を引っ張りながら急いでタクトの部屋から離れていった。



 歩き回る度にぷぴぷぴと音が鳴りそうな程に愛らしいイヌ科やネコ科の肉球は、内部に粒状の脂肪が詰まっているのだという。その粒状の肉球が地面を踏み抜く際、縦横無尽に動いて緩衝材のような役割を果たす事で、イヌやネコという生き物は足音を殆ど立てずに動き回る事柄出来るのだとか。

「……………んナァッチっ!」

 ある程度タクトの部屋から距離を取ったトトが背後の玉藻御前に向かっていやに渋い顔と声でそう言えば、玉藻御前は「いやだから何じゃそれ」と至極当然の反応を返した。

「数日振りに会ってみれば………トト、お前頭悪くなったな」

「んナァッチっ!」

「要らん要らん、お主の中でぶーむなのは分かったが擦り過ぎるでない。面白味が半減するぞ」

 呆れ果てた声色の玉藻御前に「なるほどなのよ」とトトが普段通りの様子に戻る。しかしすぐに「玉ねえっ!」と大きな声でその名を呼び「ちょっと手伝って欲しいのよっ!」と、玉藻御前に助けを求めた。



 ───────



 気分はまるで母猫だった。

 まだ目も開いていない仔猫を産み落とした母猫が、狭苦しい巣穴で体を動かした際に仔猫を尻に敷いてしまった時の事を思い出す。押し付けられた母猫の尻の重さに、まるでこの世の終わりが来たとでも言わんばかりの声で「ピョェェエエエエ───ッ!」と泣き叫ぶ仔猫。母猫は少し慌てた様子で周囲をキョロキョロと見渡すが、まさか仔猫が自分の尻に敷かれているとは思いもよらないのか見当違いな所ばかり見ていた。

 あの時、ジズは「ちょちょちょォ」と慌てながら母猫の体を少しだけ退かして仔猫を救出した。母猫との信頼関係がしっかり築けていて、自分の匂いが付いたとしても母猫が仔猫を食べてしまう事が無いと分かっていたジズは「ほらここォ、お前ェのケツに敷かれてんのよォ」と言いながら、まだ目も開いていない仔猫をデカケツの下から救い出した。

 すると母猫は「あら」とでも言わんばかりの落ち着いた表情をしながら、悲鳴を上げるのをやめた仔猫から目を逸らして別の仔猫の毛繕いを始める。

 が、ジズの手のひらに乗ったほかほかの毛玉のような小さな仔猫はやがて気が付く。「ここ地上じゃねえ」という事実に。

 すると当然、仔猫は「ぎぇぇぇ殺されるぅ──ッ!」とでもいった具合に鳴き始めるのだが、それを聞いた母猫は「そろそろ返しなさい、それあたしの子よ」という思いの篭った目線でジッとジズを見上げてくるのだ。

「ぶっふゥゥィ………良い湯だったわァ」

 気分はそんな母猫。壊れてしまったタクトに付きっきりになる間、ひたすら我慢していたトイレやら何やらのついでに風呂を済ませたジズが部屋に戻ると、幼い少年の心になってしまったタクト一緒にルカ=ポルカが真面目な顔をしながら「………むむむう」と唸っているのが目に入る。

 その視界の先にあるのは白と黒のボードゲーム。世界的にはオ◯ロと呼ぶ方が通じ易いものの、しかし◯セロは安易に文字にしてはいけない禁忌の単語。

「ぼくのかちだよ」

 盤面がほぼ真っ黒になったリバーシを眺めながら唸るポルカにタクトが言う。しかしポルカは「まっ、まだ可能性あるもんっ」と、白い駒をふらふらと彷徨わせながら必死に活路を見出そうと盤面を睨み付けていた。

「………タクトが黒ォ?」

「うん。ポルカおねえちゃんがしろ」

「……もう無理じゃねェ? 殆ど真っ黒じゃァん、ヤマンバギャルでも目指してんのかお前ェはよォ」

「まっまだっ! まだあるよおっ! まだぼくの勝ちは残ってるもんっ! 一見真っ黒でも指で開いたらえっちなサーモンピンクの世界が見えるはずだもんっ!」

「どこによォ、ンな言うならくぱァっつって開いて見せて欲しいんだけどォ? オラさっさと見せてみろやァ」

「…………………………………………………長考入りまあす」

「入ンじゃねェよさっさと諦めろっつーのォ」

 不貞腐れたように少しだけ唇を尖らせながらも、ジッと盤面を睨み付けたまま熟考を始める両性具有の女の子に「ポルカってボドゲ弱いのねェ」とタオルでわしわしと頭を拭いたジズが言うと、タクトは「ううん」と頭を振って「トリカおねえちゃんよりはずっとつよいよ」と優しいフォローを入れた。

「トリカおねえちゃん、こまひっくりかえせなくておこるもん」

「アイツ指ぶっといからねェ。将棋とか囲碁とかなら割と隙間があっから出来ンだけどォ、オセ◯みてェに盤が小さくて駒が密集するボドゲは途中から発狂するのよねェ」

「だめえっ! ◯セロって言っちゃだめえっ!」

「は? ………何でよォ」

「オセ◯は商標登録されてるんだよおっ! 無断使用になって怒られちゃっても知らないんだからねえっ!」

「………………それ生前の話じゃねェ? アタシらの世界じゃ商標登録されてる単語なんて数えるぐらいしか無いわよォ?」

 言いながら「よっこいしょ」とタクトの隣に座るジズが「つっても四隅は一応取れてんのよねェ」と盤面を見下ろしながらぼんやり呟く。

「ううん。よすみはぼくがぜんぶあげた。ポルカおねえちゃん、さいしょからよすみだけぜんぶもってた」

「ゴミィ、クソザコォ。………ポルカお前ェそこまでハンデ貰ってこんなボロクソに負けてんのォ? ある意味じゃァ才能ねェ……いやむしろ才能無ェって言うべきかしらァ」

「むむむむむむう…………」

 ボロクソに言われ少しだけ涙目になり始めながらも、しかし諦めずに必死に盤面を睨み続けるポルカ。

 そんなポルカの頭頂部を見下ろしたジズが「タクトはボドゲ強いのねェ」と、隣に居る空色の髪をした少年の頭を優しく撫でれば、彼は猫の魂が混ざり込んだ弊害によって生えた猫耳をぴこぴこと揺らしながら嬉しいそうにジズに頭を寄せていく。

「このまま色んなボドゲのテーブルゲームのって覚えてェ、いずれはアタシと麻雀とかしましょうねェ」

「まーじゃん?」

「そォ、飛び無しの脱衣麻雀よォ。マイナス行ったら千点に付き一つえっちな命令出来るルールで遊びましょォ? 「俺の子を孕め」って命令でも聞かなきゃいけない絶対王政ルールで遊びましょォ?」

 穏やかな声色と優しい手付きで少年の猫耳を撫でながらとんでも無い事を言うジズに「駄目だよタクトくうんっ!」とポルカがわっと顔を上げる。

「ジズちゃんと麻雀しちゃ駄目だよおっ! ジズちゃん法度ルールで雀牌作りまくるんだからあっ!」

「あらァ? そんな事無いわよォ? 雀牌作るのは出来るけど体から切り離すと回収するまで背ェ縮むしィ、そうでなくとも牌二つ如き作ったとしてもそこまでアドにはならねェってのォ」

「………………ジズちゃんの四槓子すーかんつ三槓子さんかんつの頻度考えたら絶対イカサマしてるの丸分かりだもおん」

「カンって良いわよねェ、四個のカン牌の内二つ裏側にしてても許されるんだからさァ。しかもドラの可能性まで上げれるとか最高よねェ、点数上限無しにしたらアタシ一回の直撃で初期点全部持ってける自信あるわァ」

「駄目だよタクトくうんっ! こんなイカサマおばさん相手に脱衣麻雀とかしちゃ駄目だからねえっ! えっちな事されまくるじゃ済まないよおっ! 素っ裸にされた上で絶対「まだ皮膚が脱げるでしょォ?」って言われてズルムケにされ………何かえっちだなあ、あれえ? おかしいなあ」

 ………通常、人間が行う麻雀という遊びは二本の手を使って雀牌をやり繰りするが、ジズはそこに三本目の尻尾を使ってこっそりとイカサマをしまくる。必ずしも自分が一人勝ちする訳では無く、時として敢えて手牌をノーテンへと作り替える事で疑いの目を欺きながらここぞという時に法度ルールを適応してイカサマを行うのだが、それ以外にも尻尾を上手く使う事で様々なイカサマを成し遂げるのがジズという女悪魔の戦い方だった。

「ツモ上がり無しの特殊ルールだったらイカサマ無しで遊んであげるわよォ? アタシ麻雀のツモ上がりだけはマジで許してねェからさァ」

「…………何でえ? 別にツモっても良いじゃあん」

「ロンはやり繰りとか攻防とか駆け引きとか色々言い分あっけどさァ、ツモに関しちゃァ「運が良いので上がります」って意味にしかならねェじゃァん? 運良く偶然待ち牌引けたので上がりまァすとかクソゲーでしょォ、メンツモとかまさしく「アナタは運が良いので追加点あげまァす」ってクソ役じゃァん」

「だからってイカサマされる方がよっぽどクソだよおっ!」

「アタシは楽しいもんどうでも良いわァ。………知ってたァ? 麻雀にしろトランプにしろ賽子さいころにしろォ、古今東西数多の賭博はイカサマ出来る仕様のもンが多いのよォ? 文句あンなら口半開きでルーレット眺めとけってェ、つまりはそういう事でしょォ」

 尚、ジズはイカサマ無しで麻雀をやった場合かなり弱い。来るか来ないかの流れを見切るといった芸当こそ出来るが、相手の捨て牌や待ち牌を読む事が妙に苦手であり、ある程度の実力があるものが相手だと負けが嵩みやすい。故にイカサマを行い、通常の麻雀に対して「ほら見ろあンなん八割運ゲーよォ」と否定的な意見を持っているのだ。

 因みにポルカは手牌の予測や流れを見切る力に長けるのでかなり麻雀が強い部類に入る。だがどんな状態でも絶対に鳴かずリーチも掛けない「にこにこしながら一生テンパイテン」を頑なに貫こうとする為、実際の勝率は芳しくない。

 とはいえポルカと一緒に麻雀をした際の『いつものメンツ』は、完全に何も無いと思っていた所で飛んでくるポルカの嬉しそうなロンやツモ宣言に「凄えやり辛い」と口を揃えるので、ここぞという時にイカサマをするジズとどっちが性格悪いかと問われればどちらも大概といった結果に落ち着くだろう。

「アンタらの癖の強い打ち方よりはアタシの方が百倍良いわよォ。だってアタシのイカサマ見抜けりゃァ、裏連れてって「よォ姉ちゃん分かってンだろォ?」とか言いながらイカサマ見逃す対価でアタシの事ズボズボ出来ンのよォ? まァマジでバレたら死人に口無しっつって秒で殺すだろうけどさァ」

「ブラフ張るじゃあんっ! ジズちゃんわざと何も無い時に法度ルール宣言してブラフ張るじゃあんっ!」

 法度ルールによって手牌を作り変える為には、当然ながらまず法度ルールを宣言する必要がある。

 ジズという悪魔がするイカサマで最もダルい点はそこであり、ジズはイカサマをせずとも上がれるタイミングでわざとイカサマっぽい動きをする事で、読み違えて「待った」を掛けたパルヴェルト辺りを「だはははチョンボチョンボォッ! オラ泣け豚ァッ!」とボコるのが得意だった。

「おかげでパルくん誰かがリーチ宣言した瞬間テンパイ潰してでも安牌切るようになっちゃんだからあっ! あれ全然撃ち抜けなくて面白くないんだよおっ!?」

「それァアタシの知った事じゃ無いわねェ」

 タクト程では無いにしろ、パルヴェルトは元々臆病で慎重な性格。そんな男が容赦無くイカサマをする悪魔の少女や黙ってテンパイする性格の悪いアイドル崩れだけで無く、とにかくカス手で早めに上がり続け千点程度のスコアを何度も稼ぎまくる橘光のようなダルい雀士に囲まれれば、元々の性格も相まって臆病な打ち方になるのも当然といえば当然の話だった。

 余談だがトリカトリ・アラムは麻雀が嫌いである。理由を問えば「どれだけ練習してもあの並んでる手牌を一気に持ち上げて倒すやつが出来ません、絶対がちゃーんってなります」と不貞腐れながら言うのだからもうどうしようも無い。

「…………ずるはだめだよ」

 ぷりぷりと文句を言い続けるポルカの言葉を聞き、ジズに頭を撫でられていたタクトが諌めるようにジズの頭を撫で返した。

「ズルじゃ無いわよォ? 何だかんだ一度もバレて無ェんだもん、ズルは周りにバレて初めてズルとして成り立つのよォ」

「だめ、ずるはだめ。ずるしてかつジズおねえちゃん、すきじゃない。かっこよくないもん」

「アタシ麻雀引退するわァ」

「うわ秒だあカッコ悪うっ!」

 速攻で手のひらを返すジズの頭を「よしよし」と満足気に撫でるタクト。かと思えばジズは「んー」とタクトに擦り寄り、更に撫でて貰おうと甘え始める。

「…………ちゅーしましょォ? ズルっこじゃ無くなったアタシとちゅーしましょォ?」

「うん、ずるっこじゃないならちゅーする」

 言いながら小鳥のような口付けを始める二人に「ぼく何でこんなの見せ付けられてるんだろお」とポルカが少しだけ不満げに漏らすが、ジズからすれば自分がタクトの元から離れている間に楽しくリバーシをしていた事が不満であり、それに対する小さな嫉妬と意趣返しとして、彼女はタクトとのイチャイチャをポルカに見せ付けているつもりだった。

 ………かつてジズが周りに宣言した「最終的にアタシん所に戻ってくるって信じてっから」という思いに偽りは無い。タクトは元より困っている人間を放っておけないタイプであり、その困り事がどんな内容であっても自分の身を削って助けようとしてしまう。故、変に自分がタクトを独り占めしようとした所で絶対にそれは叶わない。本人に浮気の意思が無かったとしても、独り占め宣言をした上で誰かと肌を重ねた事が周囲に知られてしまえば、愛すべき男が最も望んでいる『いつもの時間』は音を立てて崩れ始めていくだろう。

 だがそれはあの時のタクトに関しての話。今のタクトは帰巣本能の無いハスキー犬のような状態であり、首輪が抜けたりリードを手放したりして迷子になってしまえば、絶対に住処自分の元へ戻って来ないだろう事は明らかだった。


 何せ今のタクトは、ジズの事を恋人だと思っていない。


 今のジズは独りぼっち。

 片想いと同然の状態なのだから、想い人が戻って来るも何も、まず想われてすらいないのだ。


 失いたくは無い。絶対に失いたくは無い。

 気が付けば好きになっていた男の子を、

 日増しにどんどん好きになっていった彼を、

 こんな惨めな自分の事を「好きだ」と言ってくれた素敵な人を、


 初めて実った自分の初恋を、


 失いたくは無い。絶対に失いたくは無い。

 死んでしまえば二度と恋は叶わない。

 誰かに奪われてしまえば、こんな自分の元に二度と戻って来ないだろうから、だからこそジズは必死なのだ。

 エゴイストと呼ばれようと知った事では無い。そもそも恋というもの自体が自分の為の感情なのだから、自分の為に恋した相手を守ろうとするのは当然の話なのだ。

「………ん、ちゅ。……んむ……はぷ……む、はむ」

 自分の唇でタクトの下唇を優しく挟む。メジャーでは無いそのキスに対し、ここ最近でようやく慣れてきた幼い少年がその唇を舌先でちろちろと舐める。

「ぁむっ、……んっ、ぢゅ………あむ……っ、ふっ、むっ」

 それを受けたジズが懸命にオブラートキスを繰り返す。相手の舌先を唇で包むようにしながら優しく吸うそのキスは、相手の事を強く想っている気持ちや自分の愛情を伝えたいという心理が現れているという。実際、口付けを繰り返していたジズは両手だけで無く、先端が三叉に分かれた特徴的な尻尾ですら必死にタクトの事を抱き締め離さないようにしていた。

「……………はーあ」

 それを見せ付けられたポルカが大きく溜息を吐くが、ジズは元よりタクトにすら聞こえていなかった。今のタクトは六歳か七歳ぐらいの精神年齢でしか無く、どう考えても大人がする口付けによって得られる胸の高鳴りに耐えられるはずは無い。

 そしてジズも、キスをして愛を伝える事だけで無く、溢れ出る胸の高鳴りに反応してしまった少年の股間に対し、ジズ自身も気持ちを抑える事が出来なくなり必死に彼の股ぐらを優しく撫でさすっているのだから、ポルカの溜息なんて耳に入れる余裕はどこにも無いだろう。

 ………と、そこに足音が聞こえてくる。遠くから聞こえてきたその小さな振動は徐々に徐々に大きくなっていくが、しかしとても靴音とは思えない僅かな振動。物体が動いている時にどうしても起こる振動ぐらいのそれは、この部屋の前でビタリと止まり────、


「ぬ────ッドゥアーァなのよォッ!」


 謎の奇声と共にバコォンッと強く開け放たれ、膝を丸めたトトがごろごろと超回転しながら転がってくる。

 そして、

「───ああーっ!? ぼくの大逆転勝ち確盤面があっ!?」

 ガチョーンという粉砕音のような軽い音と共に、どう考えても勝ちの目なんてどこにも無いだろうほぼ真っ黒なリバーシの盤面をひっくり返し、殆ど黒一色だったその駒たちは白と黒とを交互に繰り返しながら散り散りになっていく。

「あぁぅ、目ぇ回ったのよ………。……………んぁ?」

 言われたトトが辺りを見渡せば、突然の来訪に少し照れたような顔をしながらもひたすらジズに迫られキスを続けるタクトと、そんなタクトに一心不乱に口付けを繰り返すジズと、

「………ああ〜、ぼくの勝ち確盤面があ………どう考えても次の一手でぼくが世界大会進出、数多の攻略サイトにぼくの立ち回りが無許可で晒されてた所だったのにい………」

「……………え」

「そうなればぼくは「大会の賞金で生計を立てていたのに弊社が私の戦術、戦法を世界に晒したせいで私の使用していた様々な技術が戦略的価値を失い生計が立てられなくなりました」って言いながら被害届を提出、告訴が成り立ってたはずなのにい………」

「え……そ、それは無理な気がするのよ? えと、ふ、普通に働けば生計を立てられる体や精神状態だからって、あ、あの、んと、何か色々言われて、えー……あー、………む、無理な気が─────」

「あああ〜、ぼくのビクトリーロードーがあああ〜」

「……………………んナァッチっ!」

 反応に困ったトトがいやに渋い声と顔で擦り続けたネタを更に擦れば、その背後から「何回言うんじゃそれ」と少し遅れて玉藻御前が冷静にツッコミを入れた。

「…………んむ。………はァ?」

 そんな玉藻御前の声を聞いたジズが口付けを中断、心底から怪訝そうな声色で扉の方に振り向けば「よう、久しいのう悪魔っ娘」と玉藻御前がひらひらと手のひらを振るう。

「……………あァッ!? 目狐めぎつねェッ!? ………えっ、アンタ何でここに───」


「妾の息子が会いたいと言うておったらしいからのう。忙しい仕事の間を縫って会いに来てやったまでじゃ」


 誰がどう聞いても意味不明な事を言い出した玉藻御前にジズだけでなくポルカまでもが目を丸くするが、唯一トトだけは「にい! にいのママ連れて来たのよ!」としっちゃかめっちゃにした盤面を後ろ手で慎重にポルカの視界から隠しながらそう言った。

「うむ。………何じゃ? 病気でお泊りすると言うた時には「淋しくない」とか言うとった癖に………タクト・・・や、お主もう音を上げるか?」

 諌めるような口調ながらも、しかし優しげに微笑む玉藻御前。

 そのまま「堪え性の無い子じゃのう、誰に似たやら」なんて事を言いながら、ジズに抱きしめられていたタクトの元に歩み寄った玉藻御前に、ジズとポルカはトトが行ってくれた急場の策略の意図を全て察した。

「────────────」

 玉藻御前の白魚のような綺麗な指先で頭を撫でられるタクトが、口を開けたままで呆然とする。

 やがてタクトは、恐る恐るといった声色で小さく問い掛けた。


「…………………おかあさん?」

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