7-3話【チーム・飛びウィリー】



 サンスベロニア帝国によって異世界から呼び出された勇者と、ルーナティア国によって異世界から呼び出された愚者。その二柱が現世界の魔法生物───サンスベロニアでもルーナティアでも無い生まれの、まるでシャム双生児のような魔法生物と手を組み暴れているその裏で、

「あらやだ枝毛。…………もう、これで何本目よ。このままじゃヌキ過ぎて禿げながらテクノブレイクしちゃうわ」

 サンスベロニア帝国に呼び出されたオネエ系勇者ことウィリアム・バートンが、鏡の前で小一時間身繕いに勤しんでいた。垂れ目が特徴的なイケメンオネエであるウィリアムは、寝癖のように僅かに跳ねた金色の毛髪をぷちぷちと抜きながら「枝毛って不思議よね」と鏡の前で呟く。

「キューティクルが足りないとかストレスだとか、生活習慣がグズグズに崩れて髪にきちんと栄養が行かなくなって先端がささくれて来るのが枝毛な訳でしょ? でも不思議だわ、あたし陰毛とか脇毛とか鼻毛とかが枝毛になってるの見た事無いのよね。何でかしら」

「………………………」

 そんな事を言いながら枝毛を探すウィリアムを、小麦色の肌に陽炎のような入れ墨を彫った忍び装束の少女が無言で眺め続ける。

「脇毛とか鼻毛は見辛いから「気付かないだけ」って言い分が通るけど、あたし股間のお手入れは気を抜いた事無いのよ? いつだって陰毛でハートマーク作れるように丁寧に全剃りしてるもの、眉毛と同じで毛並みを整えるにはまず全剃りが大事だからねって言いながらもう何十年パ◯パンなのか分かんな────あだから陰毛に枝毛見た事無いんだわ、そもそも枝毛になるような毛が生えてなかったわ自己完結しちゃった。因みに相手がフ◯ラする時にくすぐったいとかはどうでも良いわ、あたしフ◯ラ中だろうがク◯ニ中だろうが鼻がムズったら容赦無くクシャミぶちかますもの」

「………………………」

「つってあたし自身が股間に枝毛無いのはまあツルツルにしてるからって事で納得出来るけど………今までヤッてきた相手にも枝毛なんて無かったような気がするのよねぇ。そもそもチ◯毛マ◯毛には枝毛って出来難いのかしら。抜け変わりが早くて枝毛になるより早く旅に出ちゃうからなのかしら………それとも頭髪より陰毛の方が栄養素を回される優先順位が高いからなのかしら。もし後者だとしたら人間は本質的に股間を優先して生きているって事になって面白いわ。何が面白いって、もしそうなったら性行為に対して大した根拠も無いのに嫌悪感示してる連中が首吊って死ぬ以外に無くなっちゃうのが面白いわ」

「………………………」

「ねえツユちゃん、もしそうなったらツユちゃんも一緒に首吊った綺麗な不良品共を死姦しましょ? 濡れ難いしバチクソ生臭いのはあるけど、死体はこっちのテクに何も文句言わないから最高よ?」

 何やら難しい事を言っていたはずが気付けばシモネタに切り替わったウィリアムが背後に立つものに話題を振ると、ツユちゃんと呼ばれた彼女は「不良品共、に御座いますか」と言葉の意味に首を傾げた。

「ええ不良品。出来損ないでも良いわ。繁殖行為に対して必死にアンチぶっこいてる連中は、言い換えれば種の存続に対して脳味噌の段階から否定的って事になるでしょ? ある種、あたしたちみたいなしっかりした人間の敵って事になるわね。殺した方が良い気がするわ」

「……………なる、ので御座いますかね」

 フェイスヴェールにも見える濃紺の口布で顔の下半分を覆い隠した褐色の少女、加藤梅雨かとうつゆが一切表情を変えずにそう問うと、ウィリアムは「あたし的にはなるわね」と注釈を入れながら頷いた。

「病に侵されてーとか生まれながらどうしてもーとかで子供が作れないなら別に良いのよ、繁殖の意志はしっかりあるもの。けど五体満足、十全の体してんのに作りたくても子供が作れない人差し置いてデカい口叩いてアンチセックス謳ってんのは気に食わないわ」

 ひたすら枝毛を探すウィリアムの背後、直立不動を貫く加藤梅雨を鏡で見やったウィリアムが「もう少し掛かるから座って待ってて」と足休めを促すが、加藤梅雨は緩やかに首を振り「せつの事は気に掛けずとも宜しい」と格式張ったような静かな言葉でそれを否定する。それを鏡越しに見たウィリアムはすぐに言葉の中に含まれた意図を見通し「そう。ならもう少し待ってて」と整った金髪をわしわしと動かし枝毛を探す。………加藤梅雨はさっさとしろという意図を含んでいたが、黒い髪と違い金色の毛髪は明るさを反射してしまう関係上どうしても枝毛が探しにくいのだ。かといって今は枝毛なんか探している場合じゃないだろうなんて当たり前過ぎる言葉はウィリアムに通用しない、何故ならこのオネエは誰かの意見に同調する事を妙に嫌うからだ。

 ─────これも、決して短くない付き合いの中で得た事だった。

「それはさておき、ツユちゃんって処女なの?」

 何をどうしたら今ここでそういう問いが出来るのか。話を変えていきなりそんな事を聞いてくるウィリアムに「一体何をさておいたんだ」と問いたくなるが、しかし加藤梅雨はそんなウィリアムの言葉に何一つ表情を崩さず「男性経験は御座らん」と素直に答えを返した。それを聞いたウィリアムは「あら、それは処女厨が喜びそうね」と特徴的な垂れ目を更に下げて柔和に微笑む。

「じゃあ今後誰かとち◯こま◯こズボズボし合ったとして、たった数回下手糞にブチ当たったからってアンチセックス謳わないようにして欲しいわね」

「…………殿方とのしとねでの行いに何の関係が?」

「今がどうだかは知らないけどさ、あの手の性批判してる連中って、あたしの記憶の限りじゃ女ばっかりなのよ。それってつまり「素敵なセックス」が出来なかった哀れな女が自分の男を見る目を棚に上げて「自分は気持ちの良いセックス出来なかった。だからそもそものセックス自体大切な体を痛め付ける良くない事」とか言っちゃってる訳じゃない?」

「申し訳御座らぬが、拙はウィリー殿と違い見識が狭い故に、「訳じゃない?」と申されましても拙には何もお答え出来ませぬ」

 感情が無いような冷静な物言いをする加藤梅雨に「硬いわねぇ、水の量間違えためっこ飯ぐらい硬いわ」とウィリアムが呆れ果てれば「それは水の量というより吸わせる時間が短かっただけでは御座らぬか?」と加藤梅雨が首を揺らす。

「あたしと違って和解美空ちゃんなんだからもう少しぷにぷにに生きなさいよ、男はちょっとぐらいぷにってる方が喜ぶもんよ?」

「ほう? それは初耳で御座いますな。思えば拙の生きていた頃も、恰幅の良いものおたふくが器量良しとされていた。やはりそういうものなのでしょうか」

「そうよぉ? 多分ツユちゃんは知らないでしょうけど、定期的にチャンネル数が変わる某巨大掲示板にスタイル抜群グンバツなグラドルの画像とか上げると、大体十レス以内に「蹴ったら折れそう」とか的外れ過ぎる事レスする馬鹿が出てくるぐらいなんだから」

「蹴ったら折れるのはいけませぬ。どんな銃刃とて、刃が欠け玉薬尽きれば武器を捨てて手足を振り回さねばならない。一発蹴った程度で折れるような軟弱な鍛え方のものが戦場いくさばに出るのは戴けませぬし、そもそも日常生活に差し障るでしょう」

「違う違うそうじゃないわ。「蹴ったら折れそう」ってそうじゃないのよツユちゃんあんたそれ蹴る側の目線で言ってるでしょ、あたし言ってんの蹴られる側よ? 新スレに即レス出来るぐらい掲示板に張り付いてるクソニートのうんちみたいなへっぴりローキックでも折れちゃいそうな細い足してるねって意味よ?」

「む?」

 全身にくまなく入った無数の傷痕を、まるで陽炎かけろうが揺らめくようなデザインのカバースカータトゥーで芸術へと昇華させている加藤梅雨が不思議そうな声色で腕を組んで思案する。やがて「……おお、なるほど合点が行き申した」と少し嬉しそうな声色で目を丸くすると「ああこの娘ちょっと難しいわ、扱いがムズい」とウィリアムは小さく嘆息した。

「それよりも、に御座いまするよウィリー殿。そろそろ刻限に御座います故、猫では無いのですから身繕いは程々に」

「あら、あたしがネコじゃないってよく気付いたわね」

「それぐらいは見れば分かりまする。ウィリー殿が国主殿からお叱りを受けても、拙は素知らぬ顔で通しますからな」

 噛み合っているようで噛み合っていない加藤梅雨の言葉に「マジでムズいわねこの娘」とウィリアムは困った顔になる。

 しかしウィリアムはすぐに表情を戻し「因みにあたしエビ寄りだから」と意味不明な事を加藤梅雨に返す。言われた加藤梅雨が「海老……に御座るか?」と入れ墨だらけの体を揺らしてその言葉の意味を探り始める。

「知ってた? テナガエビとかって獲物探してる時と寝てる時以外は大体身繕いばっかりしてるのよ。髭とか目玉とか、体の隙間とかを……こう、シュビビビビって爆速で磨いてんの」

「なるほど………てっきり海老反りしながら果てるのが癖になっているから、というような意味の海老だとばかり。もしくは脱皮する甲殻類と陰茎の余り皮の話を合わせたのかと」

「あんたマジでムズいわ、何か半端に知識がある中学生ぐらい扱いがムズいわ。担任が「シックス」って言う度にニヤニヤしながら振り向いてくるのにオキシトシンって言われても微動だにしない中学一年生ぐらい扱いが難しいわ」

「………おきときしん? 生物毒の話に御座るか?」

 陽炎のような入れ墨を曲げながら腕を組み考え込む加藤梅雨に「レ◯プから始まる恋の話よ、ラ◯スシリーズって最高よね」と答えたウィリアムが「あー首いて」とようやく鏡から目線を外し体を伸ばす。

 ぐっぐっと上半身の筋肉を動かしたウィリアムが「何か鏡見て枝毛探してる時って三割増しで目玉飛び出たような気にならない?」と自身の両目を瞼の上から軽く押さえれば、それを無視した加藤梅雨が「ようやくに御座るか」と溜息混じりに腕組みを解く。

「ウィリー殿は腰が重過ぎるきらいがありまする。急いて事を仕損じるとは言いまするが、もう少しばかり足を早めても宜しいかと」

 腰に手を当ててそう批難する加藤梅雨に「あたし腐る気は無いわよ、バイではあるけど腐女子じゃないもの」とウィリアムが返せば「そういう足が早いではありませぬ」と加藤梅雨は首を振った。

「糊でベッタベタのスーツがデフォの会食にジャージで行く声優さんじゃあるまいし、あたしは目的地の品質に合わせた身嗜みにしておきたいのよ。流石のあたしでも「ジャージで来んなよ」って言ってきた奴に対して「このジャージお前が着てるスーツより高えからな」なんて言う度胸無いわ」

 そんなような事を言いながら自身の装備の最終確認をし始めるウィリアム。腰に差した一対の魔改造ダガーを軽く触りながら「餃子の調子は見るまでも無いわね」と呟き上着の内ポケットに差し込んだ一対のハンドガンを確認し始める。

「餃子?」

 ウィリアムの言葉に加藤梅雨が不思議そうな声を出せば、ウィリアムは「ええ餃子。チ◯オズじゃないわよ、ギョーザ」とハンドガンのスライドを半引きし、薬室内の弾丸の有無を確認する。

「生前から使ってる、あたしの相棒的なおナイフちゃん。見た目が餃子に似てるでしょ? 転生する時に持ってこれなかったから、こっちでも打って貰ったわ」

 言われて腰の魔改造ダガーに目を向けるが、しかし加藤梅雨には良く分からず「ふむ?」とフェイスヴェールのような口布に覆い隠された鼻を鳴らす事しか出来なかった。

 ………ウィリアム・バートンは様々な武器兵装の類を扱う事が出来る。初めて見た未知の武器であっても直感的に使い方を把握し、三十秒もする頃には使いこなし、一日触る時間を与えれば次の日には分解してメンテナンスを行った後「目ぇつぶって組み立ててみるわ」とチャレンジが出来るぐらいには武器兵装の扱いに長ける。これは何らかの能力や法度ルールというようなものでは無く、ウィリアムが生前に世界各地を飛び回る使い捨ての傭兵だった事に由来する。ウィリアムは傭兵としてはかなり稀有な存在で、どんな激戦地であろうと金にいとめは付けずに雇われくれる。代わりに条件が一つあり「あたし負け組にしか付かないから」という強いこだわりを持っており、勝っている側の陣営からは現金で何億と積み込まれようとも頑なに首を縦に振らなかった。その割に負けている側からは「リンゴ一個でもゾンビと戦ってあげるわよ。ジ◯イクみたいでカッコイイでしょ?」と端金に満たない二束三文ですら雇われてくれた。

「という感じの流れであたしの回想シーンがスタートするわ」

「いきなり何で御座るか。誰に言っているのか皆目検討も付きませぬよ」



 生前のウィリアム・バートンは本当にただの傭兵でしか無かったが、その辺に掃いて捨てる程に居る傭兵と違い、どんな武器装備を持たされどんな戦場に投げられてもある程度以上の戦果を出せる極めて優秀な傭兵だった。

 幼い頃のウィリアムは平々凡々、頭と口こそ良く回るが勉強は大して得意では無く、小学校ジュニアスクールで行われる体育の授業も特段目立ったスコアの出せない少年だった。

 頭角を現し始めたのは中学の卒業が迫った頃。

 ウィリアムが生きていた世界では姓のや恋の多様性なんて欠片も理解されず、特にゲイセクシャルとホモセクシャルへの理解が余りにも低かった。故にトランジェスターなんて新語を作った所で誰にも聞き入れられず、ウィリアムのようなバイセクシャルは総じて「心が女なら結局中身はホモじゃないか」と蔑まれるしか無かった。

 古代ギリシアの都市国家の軍には、ゲイカップルのみで編成された部隊があったといのに。部隊内の愛した恋人を守る為に戦う強豪部隊があったというのに、はりつけにされた半裸の男を盲信する集団によって、いつしか同性愛は悪とされてしまった。

 こういった事例はウィリアムの世界に限った話では無い。現代では「性の自由」や「個々人の多様性」としてマシになったが、それでもゲイやバイ、レズビアンが嫌悪されてしまう事はかなり多く、トランジェスターに至っては化粧品やサプリメントの訪問販売員が「嘘オネエ」として意図的に演技して行う程に面白おかしく扱われてしまっている惨状もあるぐらいだった。

 実際、ウィリアムの世界では「同性愛は犯罪」として扱われる州すらあるぐらいだった。ただ罪として問われるだけで無く、場合によっては「同性愛者だから死刑」といった事すらまかり通ってしまう例もあった。ソドミー法やローレンス判決等が良い例だろうか。

 そんな世界で育ったウィリアムはある日自分がバイだという事を自覚した。精神こそ女性ではあるが、周りが勝手に決め付けた普通と同じく女性に恋をするバイセクシャルだと気付いたウィリアムは、少しの怯えを孕みながらも同性愛者に対する理解が著しく低いこの世界において「自分はこれからどうすれば良いか」を両親に聞く事にした。

 結果は酷いものだった。何か道でも指し示してくれればまだ良かったものの、何をどうしたらそうなるのか母はフローリングの床に跪き神へと懺悔を始め、父は「出来損ないめが」と壁に掛けてあった鹿狩り用のライフルに手を掛けたのだ。

 アジア圏では中々理解されないが、ウィリアムのような英語圏のものにとって両親とは神に等しい程に大事で大切な存在。下手な隣人よりも愛すべき隣人であり、自分の隣に立つ人だというのに、そんな愛すべき家族に生まれてきた事を否定されたウィリアムは、その瞬間に何もかもがどうでも良くなってしまった。

 故、ウィリアムは両親を躊躇いなく殺した。床に跪いて「こんな子を産んでごめんなさい」と謝る母の顔面を蹴り飛ばし、ライフルの弾を探す父親が素破すわ何事かと振り向けば即座に握りの甘いライフルを奪い取り父の顔面をひたすら殴打し続けた。銃身が曲がっても、銃床が割れても、父の耳から脳漿混じりの血が流れ出しても殴るのを止めないウィリアムは、父の顔面が文字通り原形を留めなくなるまで滅多打ちにし続けた。

 やがて痙攣すらしなくなった父から目を離したウィリアムは、愚かにも人を呼ばず神に呼び掛け続ける間抜けな母に目を向けるが、血の繋がった家族の心の悩みに一瞥すら目もくれずのっけから全否定するような女にウィリアムが慈悲なんて与えるはずは無く、彼女が父と全く同じ状態にされるのは時間の問題だった。

 両親を撲殺し終えたウィリアムは使いものにならなくなったライフルを放り捨て、両親の財布にあった金と父の保険証に加え、売れば即金になるだろう貴金属の類いを可能な限りリュックに詰めてその家を捨てた。そのまま近所では唯一の質屋に向かい「病気になったお婆ちゃんが「死ぬ前にあげる。お小遣いにしなさい」ってくれたんだ」という理由をでっち上げ、父の国民保険証を使い全てを金に変えた。そして質屋と繋がっているカツアゲ師に捕まらないよう足早にその場を後にしたウィリアムは、数日後には両親を撲殺する時に使用したライフルの指紋から殺人犯として名が広まり、晴れて指名手配犯として名が売れるに至った。

 けれどそれは警察内での事。連続殺人鬼や国際級の指名手配犯でも無ければ市民に名が広まる事は無く、精々が新聞の隅にある記事から彼の名を知った老人が「気を付けなきゃねえ」と十数分意識を向けるだけであり、中性的な整った外見をしていたまだ幼いウィリアム・バートンは「ウィリー・ウィルウィリアムの意志」を名乗って、住んでいた州からかなり離れた別の州に住むセルムという名の老夫婦に拾われ、そのまま住み込みで農作業を手伝いながら穏やかに過ごしていた。

 やがてウィリアムが十八になり酒も煙草も楽しめるようになる頃、十六の時点で既に煙草を吸っていたウィリアムはセルム夫妻から告別を言い渡された。

「儂らはもう長くない。ウィリー、お前は軍に行きなさい」

 老夫婦のその言葉に、まだ十八ながらも頭の回るウィリアムはどうするべきかを考えた。

 軍。海軍か陸軍か空軍かは分からないが、軍学校に向かうとなれば様々な事を調べ上げられ、自分が幼い頃にした二人の殺人に関して確実に足が付く。

 さてどんな理由を付けて断り別の寝床を探そうかとウィリアムが頭を捻っていると、セルム夫妻は「これを持っていけ」とウィリアムに一枚の身分証明書と手紙を差し出した。

 顔写真こそ無いその身分証明書には「ウィルバート・セルム」と書かれていた。年齢は男、自分と同じ十八歳だったが、この家でそんな名前を聞いた事は一度も無かった。

「これ──────」

 頭だけは良く回るウィリアムは老夫婦の言いたい事をすぐに察した。

「お前が何をしたかは知らないよ。けれどお前は───ウィルとの楽しい日々をもう一度くれた、だからこれはそのお礼だ」

 結局ウィリアムはセルム夫妻にどんな過去があったのか分からないまま海軍に向かわされた。セルム夫妻と同じ名を持つ「ウィルバート」が誰なのか、老い先短い老夫婦であるセルム夫妻が何故十八歳になる「ウィルバート」の身分証明書を持っているのか、渡された身分証明書と手紙を見た海軍将校の男が驚愕していたのは何故なのか、本来であればケツの穴に指を突っ込まれて性病検査をされるだろう新兵たちの中ウィリアムだけそれをスルー出来たのはどうしてなのか。

 結局海軍学校を出るその日までウィリアムがその真相を知る事は無かったが、しかしウィリアムは知りたいと思ってすら居なかった。

 そもそもセルム夫妻は突然現れたクソガキである自分の過去を詮索しようとせず、警察も呼ばずに半ば匿うような形で自分に衣食住を与えてくれた。であれば自分も老夫婦に対して詮索するような事はするべきでは無いだろうと考えたウィリアムは、セルム夫妻の葬式にも立ち会わず、葬式が執り行われてから一ヶ月以上経過して、墓地に関係者が寄らなくなってからようやく花を手向けた。

 軍学校を卒業する際、ウィリアムは様々な人間から「うちに来てくれ」と声を掛けられていた。自動小銃、軽機関銃、重火器、ライフル銃だけでは済まず、在学中に戦闘ヘリの免許すら取得していたウィリアムはまさしく引く手数多だったが、ウィリアムはそれらを全て断り金で雇われる汚れ仕事人────本当の傭兵になる事を選んだ。

 何せ未だ世界の認識は変わっておらず、男性が男性に対して性愛を示す事は種の存続に対する叛意であるとされ、ウィリアムの調べでは自らを欲しいとしてきた相手は軒並みゲイやホモ、バイに対しての理解が薄いものだったからだ。

 それから幾年過ぎたか分からないが、気付けばウィリアム・バートンの名は世界中の戦場に知れ渡っていた。どんな武器も人並み以上に扱い高い戦果を叩き出せるウィリアムだったが、彼は特に外観が特徴的過ぎる特殊なダガーナイフ好んで使用しており、敵目線では「首狩りウィリー」と呼ばれ恐怖の対象、勝ち戦を刈り取る死神が如き評価をされていた。

 しかしウィリアム・バートンは別にナイフファイトの適性が高かったという訳では無い。どんな武器兵装でも難無く扱い、良くあるポンプアクションとは違うレバーアクションでリロードを行うウィンチェスターWinchesterM1887のようなですら初見で扱い方を把握し「うわケツ入れ上出し? え何かキモ───あセーフティ無いじゃない危なっ!」とか何とか言いつつも、結局巧みに扱う事が出来る稀有な才能があった。

 だがウィリアムが赴く戦地はすべからく負け寸前の激戦区。如何に銃火器の扱いに長けていて見慣れぬ装備であっても受け取ってから数分弄れば勝手だけでなく長所と短所を即座に見抜き癖すら把握出来るウィリアムと言えども、向かった先で『弾薬があるかどうかすら分からない』となれば、下手に銃火器を持っていったとしても途中で残弾の補給が厳しくなり一丁だけでもキロ単位で重い鉄塊をぶら下げながら立ち回る事になる。かといって、それに嫌気が差しああもう邪魔臭えとその場で投げ捨ててしまえば帰ってから二束三文の報酬金をやり繰りして投げ捨てた銃を買い直さなくてはならない。銃は面倒なもので、自分が使っている銃と敵が使っている銃の弾のサイズが合わなければ対応出来ず撃てないものも多い。敵対している相手の経済状況によっては、口径が合うからと弾を込めて撃ってみれば暴発や不発をひたすら誘発して「メイドインチャイナかメイドインコリアか賭けようか」と言いたくなるような質の悪い輸入弾薬を使用させられている事すらあるのだから、ウィリアムは必然的に弾薬に困らず大抵の敵兵が必ず一本は持っているナイフを主軸に立ち回る他に選択肢が無いようなものだった。

 そんなウィリアムが使用しているナイフは、長期使用を前提として魔改造が施されたダガーナイフ。余りにも魔改造が過ぎた結果「柄と刃があるよ!」ぐらいしかダガーナイフとしての原型を保っていないそれは、親指側と小指側の両端に刃が伸びた、自身の手を包み込むように大きなナックルガードと一体化している独特な形状をした刃渡り五十センチ程度のナイフ。刃を上向きにして机に置いた際に「やだこれナメクジにしか見えないわ……でもナメクジキモいから餃子ね、今日からお前は餃子よチ◯オズでもドラムでもないわ」という理由でその二振り一対の魔改造ナイフを常に戦場へと持っていくようになった。

 元々は本当にただのダガーナイフだったのだが、銃火が飛び交う実際の激戦地でダガーナイフを軸に立ち回ってみれば、まあ何と酷い事かアンチダガーナイファーにでもなりそうな程に欠陥や欠点が浮き彫りとなった。初陣の日に至ってはクソの役にも立ちやしない故にまともに戦う事を諦め、自分が初めて人を殺した時のように弾切れを起こした銃を後頭部目掛けて振り被ったり、ヘルメットを着けた相手には背後から忍び寄り頭を掴んで首をねじ折ったり等「今にしてみればただのゴリラね、ハ◯クには程遠いスタイリッシュさだわ」と呆れ返ってしまうような立ち回りで命からがら生き延びた。

 それを帰宅後魔改造しては次の戦地で試し、再び現れた短所を改善しては戦地で試し……を繰り返す内に、もはやダガーナイフだった刃物になってしまった訳だ。

 そんなウィリアム・バートンだが、恐れられているのは敵側からのみであり、ウィリアムが味方に付いたと知った現地兵たちは自分たちがどんな状況に置かれていたとしても「俺たちの元にもウィリーが来てくれた」と心底から歓喜し、弱った心を奮い立たせウィリアムと共に戦場を駆け抜けた。


 ウィリーが付いた側が勝つ。

 ウィリーが付けば俺たちは生きて帰れる。


 最初はそれだけだった。まさしく英雄のように扱われたウィリアムだったが、もう既に英雄視されて喜ぶガキの時分は通り過ぎた身。いつの間にか自分が女性の心を持っている事すら受け入れられたウィリアムは、戦場であるにも関わらず「サインくれよ!」とか言ってくるジャッカス間抜け野郎に対して「良いわよ。今ペン無いから貴方の胸に消えないサインを撃ち込んであげるわ。北斗七星って知ってる? これで貴方も世紀末覇者の仲間入りね」と軽くあしらう事が日常のようになっていた。

 しかしウィリアム自身、悪い気はしなかった。英雄視される事はどうでも良かったが、自分というバイセクシャルの人間を通じて世界に愛の自由が広まっている事実は素直に嬉しかった。

 そして何より感謝の言葉が嬉しかった。決して綺麗な金では無かったし、国の看板を背負った正規の軍事でも無かった身だが、それでも赴いた戦場で戦う自軍と────その戦場の近くに住む一般市民の「戦いを終わらせてくれてありがとう」という言葉が、ウィリアムにとっては何よりも嬉しい報酬だった。

 それに有頂天になっていた訳では無い。決してそんなつもりは無かった。

 しかし勝ち戦の帰り際、戦場にされてしまった小さな村で煙草を買ったウィリアムが何気無く言ったその一言で、世界中の人間………こと市民がウィリアムに対して向ける目線は、ウィリアムが望むものとは打って変わってしまった。


「まるでジャンヌ・ダルクね。このまま行けばあたし火炙りになっちゃうわ」


 その言葉を聞いた煙草売りの老人は愕然とした。その時のウィリアムは何故その老人が驚いているのか全く分からず「喋り方変えた方が良かった……この人あたしがバイって知らなかったのかしら。まだ愛の自由は広まり切って無いのね」だなんて的外れな事を考えていた。

 しかしその疑問はそう経たない内に解決される事となった。


 やがてウィリアムは戦場に向かわせて貰えなくなった。


 優秀な戦士であったウィリアム・バートン。彼はいつしか世界中の戦士たちにとっての憧れとなり、彼は自分と同じように銃刃を握るものにとっての象徴イコンにまでなっていた。

 

 ウィリーが付いた側が勝つ。

 ウィリーが付けば俺たちは生きて帰れる。


 それはつまり、ウィリーが戦場で死ぬような事があれば、もう二度と俺たちに安息は無いのではないか。


 まずは平和とは程遠い国に住む市民たちが「ウィリーを戦場に向かわせるな」と叫んだ。その言葉を聞いた兵士たちはそれに同調、強く心を打たれ「俺たちが弱いせいでウィリーが戦場に向かう事になっちまってるんだ」と士気を高めた。

「………………………何でそうなるのよ」

 ウィリアムは納得出来なかった。事実として兵士たちが弱いせいで戦況が露骨に傾き、それを危ぶんだお国様や反乱軍の指導者が傭兵を買うようになる。

 ウィリアムは強く、兵士たちは弱かった。だからこそウィリアムは納得出来なかった。

「………あたしが出れば損害減るじゃない。………あたしが行けばあんたら死ななくて済むじゃない。あんたらだけでやるより、あたしが戦った方が早く終わるのよ」

 納得なんて出来なかった。出来る訳が無かった。

 故にウィリアムは誰にも雇われていない身であるにも関わらず、自分で勝手に戦場へと赴いた。

 その戦場は宗教家と国家での内乱であり、世界的に見ても攻撃的であると名高いとある宗教の一派によって国家が転覆しかけている酷い状態だった。聞けば二本しか無い補給路を絶たれ、食事や医薬品はおろか弾薬すらまともに兵士に行き渡らなくなっているという有様だった。

 ウィリアムはそこに勝手に現れた。宗教論争に興味なんて無かったし、その国家がどういう政治をして民にどんな苦しみを押し付けているのかも興味が無かったウィリアムは、兎にも角にも内乱をさっさと終わらせ苦しむ市民の側に寄り添い「ありがとう」というたった一言を貰いに現れたのだ。

「─────ウィリーッ!? 何でウィリー・ウィルがここに………ここは危険だッ、出て来ちゃ駄目だッ! 下がっててくれッ!」

 ウィリアムは愕然とした。何を言われているかすら脳は処理出来ず、ウィリアムは唯一残されたただ一つの野営地で安いパイプ椅子に座る事しか許されなかった。


 ウィリアムは知らなかった。


「ウィリーが来てくれただってッ!? ───馬鹿野郎こうしちゃ居られねえッ!」


 ウィリアムは知らなかった。


「お前ら踏ん張れッ! ウィリー・ウィルが背後に付いてくれてるんだッ! 俺らが死んだらウィリーに火が飛んじまうッ!」


 ウィリアムは知らなかった。


「…………あの戦線ラインを崩される訳にはいかん。とにかく金にものを言わせろ、何とかしてあそこを勝ち戦にするんだ。……ああそうだった、金にものを言わせろとは言ったが、焼肉パーティ用の金だけは残しておくんだぞ。戦勝兵に振る舞う酒と肉が無くなっては何の意味も無い」


 ウィリアムは知らなかった。


 もう戦場は自分を必要としていない。

 弱きものはウィリアムを必要としていない。


「────あたしが居なくても、みんな戦えるのね」


 自分はもう要らない。

 それをウィリアムは知らなかった。


 死因は医薬品の大量摂取による自殺だった。

 傭兵だったウィリアムの「眠れない」という言葉を疑うものは殆ど居らず、医者はPTSDによる睡眠障害を改善させる為に安定剤と睡眠薬を処方した。街中の心療内科を巡って尚足りないと思ったウィリアムは「他所はまともに相手してくれなかった」と隣接している州の病院にも顔を出し、それらで得た尋常では無い量の睡眠薬を一回で飲んだ状態で布団に潜ってそのまま目覚めぬ身となった。

 しかしウィリアムは目覚めた。感覚としては「朝目が覚めた」ぐらいの感覚で、ウィリアムは硬い床に仰向けになっていた体を起こした。

「ようこそ勇者よ。君の目覚めを歓迎するよ」

 寝ぼけ眼の酷い面をしているウィリアム・バートンにそう語ったのは、異世界の独裁国家の統治者であるペルチェ・シェパードだった。

 生前に聞いた事のある異世界転生。自身は『傭兵として大勢して死んだ』というレッテルと共に死後サンスベロニア帝国の勇者として呼び出され、今では愉快過ぎる仲間たちと共にまさしく第二の人生を謳歌しているという訳だ。


「……それがウィリーさんの過去でした。はいめでたしめでたし」

 どこから取り出したのか全く分からない紙芝居を読み終えたウィリアムが「はあ」と気の抜けた溜息を漏らす加藤梅雨にそう締め括ると「さあ行くわよ野郎共。我ら来たれりってね、新たな時代の幕開けよ」と紙芝居をベッドの上へブーメランのように放り投げながら、腰に下げた一対の魔改造ダガーナイフ『餃子』の柄尻に手を置いて歩き始める。

「ウィリー殿、拙は野郎では御座いませぬ。女の心は捨てた身なれど体が女である事に変わりは御座いませぬ故」

「何それバイに対しての当て付け? 心は乙女で体はターミネ◯ターみたいなあたしに対する当て付け? あたし脱ぐと凄いわよ、お金稼いでお腹だるんだるんになった今のシュワちゃんが見たらきっとウィンチェスター投げ捨てて「I'll be back.」って言いながら逃げ出すわ。是非ムキムキになって帰って来て欲しいものね」

 そんな事を語りながら部屋から出れば、廊下を慌ただしく行き来する兵士たちの巻き上げる『懐かしい臭い』が鼻を突き抜ける。

 久しく嗅いでいなかった血が焦げる香りと硝煙の独特なその臭いに、ウィリアムはグゥゥと鳴る自身の腹を押さえながら「焼肉食いたいわねえ」と呟いた。

 その呟きに「人肉食で御座るか?」と加藤梅雨が答えるが、ウィリアムが振り返っても加藤梅雨の姿はどこにも見当たらない。「カニバルは終わった青空に任せた方が良いわよ、あの子の方が食べ慣れてるから。あたしの出る幕じゃ無いわ」と返しながら緩やかに周囲を見渡してみるが「彼は肉の焼き加減が見えないと仰っていましたが」と加藤梅雨の声は聞こえるものの、やはり姿が全く見えない。

「あー言ってたわねぇ、彼って確か色が分からないんだっけ? 他人事の域を出ない安い同情しか出来ないけど、ソラも大変よね。生肉も焼けた肉も全部灰色なんでしょ? タマム・シュッド終わっただなんて皮肉も良い所だわ、彼の青空は始まる前から終わってるようなもんじゃないの」

 言いながら周囲を見渡し上下も見るが、しかし変わらず加藤梅雨の姿は見えやしない。内心で「マジでNINJAやべー」だなんて事を思いながら「あーお腹減ったわ、仕事の前に腹ごなししましょ」と口を開けば、やはりどこからともなく「拙の乾飯ほしいいではお口に合いませぬか?」と加藤梅雨の声が聞こえる。

 ウィリアムが愚者として呼び出された加藤梅雨を「雇った」のはもうかなり前の話だが、彼女が完全に気配を断ち切り存在感すら消しながら自身に話し掛けて来るのには未だ慣れない。「干しいいとか味気無いわよ」と答えながら、いつの間にか手に握られていた四つ折りの紙片を太陽にかざすかのように指で持ち上げる。

 すると次の瞬間、指で抓んで持っていたはずの四つ折りの紙片がシュッと掻き消えて無くなった。

 ………恐らく紙片の中身は忍者の保存食として名高い干し米。掻き消えるように無くなったのは「要らない」という意思を汲み取った加藤梅雨が回収したからだろう。

「まあ味気無いとか言ったけどあたし干し飯食べた事無いのよね。実際どうなの? 美味いの?」

「美味しくはありませぬよ、味気無いのも事実に御座る。加え、良く噛まずに飲み込めば腹を壊しまする」

 感情が感じられない声色で淡々と語る加藤梅雨にウィリアムが「へー」とアホみたいな感想を返す。

 ………干し飯。または乾飯と書くそれは、現代で言う所の『アルファ米』に当たるだろう。炊いた米を水に曝して芯まで完全に水を吸わせた後、それを天日に晒して乾燥させる。芋等を掘り当てない限り戦地で不足しがちな炭水化物を摂取出来る上、極めて軽量でありながら異様なまでに日持ちするその保存食は、主に忍者が食べるイメージを持たれているが実際には忍者に限らず普通の武士たちも良く食べていたらしい。

 アルファ米はそのままの状態では消化が出来ないので、乾飯も同様に水に浸して戻して食べる。熱水の方が当然戻りは良いが、仮にキンキンに冷えた冷水であっても時間を掛ければ元に戻ってくれるので安易に火を焚けない隠密部隊に特に好まれた。

 日本が誇るレーションの一つだが、何故こんなに便利な保存食が海外で流行らなかったのかといえば、それは単に「湿度の問題」からだろう。日本と海外とでは湿度が全く異なり、海外で一般的な保存食は日本ではすぐにカビが生えて役に立たない事が殆どのケースを占める。だからこそ日本では乾飯が流行ったが、しかし海外では乾飯ぐらい湿度に強い保存食を使用せずとも他のものでどうにでもなる場合が多い。それに加えてそもそもの民族性の関係から、海外ではでは下手に不味い糧食を出そうものならすぐに兵たちが仕事を放り金と装備を持って何処かに行ってしまう事さえ良くある。加藤梅雨のような「心を刃で押さえ付ける者」が多くない海外では、それこそ北の国の兵士のように「軍兵が食うものに困って現地の民家を襲う」といった事例すら当たり前の出来事なのだ。

「嫌じゃないの? ご飯美味しくなかったら仕事なんてやってられなくない?」

「飯が不味いと文句を言う暇があったら、さっさと任務を済ませて得たおぜぜで美味い飯でも食べれば宜しい。当然、生きて帰って、で御座るよ」

「ストイックね。流石は忍者NINJA、クールだわ。憧れちゃう」

「乾飯を良く噛んでいれば「飯が不味い」と口を開く事もありますまい。口を閉じて、良く噛んで。さすれば腹も膨れて良い気分に御座りまするよ」

「やっぱ憧れないわ、憧れたら死にそう。流石は社畜大国のご先祖様ね、ナチュラルかつカジュアルにクソブラックな事言ってるわ。自分のガキにチョコシリアルとコーラばっか飲み食いさせて小児肥満と糖尿に罹患させる自由の国は見習うべきね、或いは見習ってるからこそあの国の人間はジャパニーズ・サムライに憧れるのかしら。まずは命を背負う子育てで「楽しよう」っつってマ◯クに入り浸るのをやめる所からよね、「野菜食わなきゃ」っつってベジバーガー食ってるような奴がスーパーサ◯ヤ人になれる訳無いでしょうにね。ヤサイ人になりたきゃしっかり野菜食えってのよ」

 それこそ何処かの獣に負けないようなこなれた口調でまくし立てるウィリアムだったが、もう慣れたもので加藤梅雨は何も言わなかった。何処ぞのエンターテイナーは一人の時は極端に大人しく、普段であれば滅多に見られない整った無表情に見惚れそうになるものの、この垂れ目のイケメンオネエは一人であっても構わず喋り続ける。まだ雇われたばかりの頃はその横文字の多さだけでなく、自分とは段違いな知識量の差と頭の回転速度から「答え難い事を仰るのはご寛恕かんじょ頂きたく御座りまする」だなんて謝っていたぐらいだったが、ああそれも今は昔。心が女性の割に弁なウィリアムにも慣れたもので、こちらがどんな対応をしようが満足するまで口は閉じず、こちらが話し足りなかったとしても満足すればその口はいきなり静かになる。………まあ、ウィリアムの口が静かになるのは寝る直前ぐらいなものなのだが。

「……………………活躍出来ると良いんだけどねえ」

 そんなウィリアムが物憂げに溜息を漏らす。腰の両脇に逆向きに下げた『餃子』に手をやりアンニュイな目線を送ってみれば、虚空から「ウィリー殿なら容易いのでは? 何か不測の懸念でもお有りか」と加藤梅雨が不思議そうな声で問う。

「不測の懸念なんざ何したって消えないわよ、突き詰めてきゃ白昼の雷に撃たれる事を恐れるニートになっちゃうわ。そしてFXに挑んでうんこパクパクモグモグする日が始まるのよ」

 腰の『餃子』から手を離したウィリアムが戯けるようにそう返す。それに「では活躍とは?」と問い直せば、ウィリアムはおおきく溜息を吐きながらこの世界の真理を口にした。


「この世界の女の子みんな強過ぎるのよね、フィジカルもメンタルも。あたしの無限おナイフ返して欲しいわ、あれ大した思い入れは無いけど結構高かったのよ?」


 それを聞いた加藤梅雨が「ああ……」と納得すれば「しかも女の子によっては法度ルールとかいうインチキもしてくるんでしょ? もうバチクソ辛ミンゴよね」と不満を隠さないウィリアムがやれやれとかぶりを振る。

「こっちの装備は十八発 ×かける二つの豆鉄砲と水餃子二個なのよ? 遠距離は避けられるか弾かれるかって思ってたらあの時のゴリ子ったら無視してズンズン来たし、あんなのに近距離挑もうものならどっかのバターにされたリーゼントみたいなノリでウィリアムコンビーフにされちゃうわ」

 今回ウィリアムが装備している兵装は前述の『餃子』が二振りと、一対のハンドガン。軍備や兵装周りの総合管理をしているアダン博士にイチャモンを付けまくる事で作って貰ったそのハンドガンは、連射性とリコイルの少なさの対価として口径六ミリの豆鉄砲となってしまった。

 しかし並の人間相手なら口径なんて六ミリもあれば十分。マリファナをキメ過ぎて痛覚がぶっ壊れたヤク中相手でも無いし、着ただけで三十キロ以上も体重が増えるボディアーマー装備の兵士と戦う訳でも無ければ、痛みを感じないゾンビと街中で戦う訳でも無し。布製の服を着ているような人間が相手であれば、例え六ミリと言えども火薬によって熱せられ音速を超える速度で発射された弾頭が自身の皮膚と筋肉を焼きながら貫く事には耐え難い。少しでも呻いてよろけてくれればそれだけで肉薄の隙が出来る。

「こっちがばら撒いた精子なんか当たんねーし当たっても微動だにしないのよね。無表情系の不思議ちゃんが妊娠検査器持って「出来たよ」ってクールに言ってくるような感じだわ、出来たよじゃねーのよお前避妊しろっつったろみたいな感じ」

「意味が分かりませぬ」

 一体どういう理屈なのか、この世界に居る連中は大多数が荒事に対して慣れ過ぎている。特にルーナティア国に住む人外の面々は『力が全てを支配する国』で育っているからか、人では無い事も相まり投げナイフを何発全身に突き刺されようとも呻きすらせず全身を続ける程だった。その『無限おナイフ』を回収しようと呼び掛ければ、あのメイド服を着たクソデカゴリ子は引き抜かれるナイフを筋肉の力だけで止め、そのまま筋肉に力を入れつつ再び前進とかいう芸当までして来た。

「………ねえツユちゃん、ここのクソ高そうな壺蹴り割ったらバイオみたいに中から六ミリ弾が箱で出てきたりしないかしら。何か腹立つしちょっと割ってみて良い?」

「構いませぬよ、陛下殿は溜息だけで怒らぬでしょうし。しかしニェーレ殿に何をされても拙は一切助け舟は出さぬ故に、相応のお覚悟をなさってから挑んで貰いたい所存」

「ならこの銃の弾倉渡すから、ちょっと中弄って弾倉内部を無限大の形にしてくれない? そうすればチコの意思が宿って無限に撃てるはずよ」

「拙は鉄砲の扱いは心得て御座らん。博士殿に頼まれよ」

「じゃあバンダナは? 古ぼけた師匠の形見的なバンダナ持ってない? 回復アイテムの自動使用出来なくなる代わりにあたしバンダナ装備するわ、そうすればきっと残弾無限になるでしょ?」

「何の話か分かりませぬが、拙が今持っていてかつウィリー殿にお渡し出来る布なんて拙のふんどしぐらいしか有りませぬ。欲しければくれてやる事もやぶさかでは御座らんが、拙の一張羅故に破いたり捨てたりせずきちん洗って返却して頂きたく存じまする」

「え一張羅なの? つかドシフン脱いで大丈夫なの? ドシフンの下スパッツとかそういう邪道みたいなクソオチ?」

「すぱっつ……は存じませぬが、拙の下着はこの褌だけに御座る。拙は胸が豊かでは御座らん故、さらしも要りませぬからな」

「そんな状態であたしにドシフン渡しちゃったら貴女スッパじゃない、豚共が十八禁展開キタコレェッて喜んじゃうわよ?」

素破すっぱ? ………まあ褌が無くとも何がどうなるという事は御座らんが、そうですな。平地や山地等の草が生い茂る地帯を進む際、時折股間に擦れ痛みで呻きが漏れてしまう故に隠密行動は難しくなりまする。分かっている痛みなら幾らでも耐えられまするが、中々どうして不意討ちとなると厳しいものがある」

「てっきり動く度にマ◯チラしてホワァ〜オってSE鳴る程度だと思ってたけど……いやにクソリアルな回答ね、痛みって言ってんのがマジでリアルだわ。Re◯lity f◯r Re◯lismってそういう意味だったのかしら、明日は明日の風が吹いて今日はツユちゃんのお股がチラリズム?」

「後生ですから拙にも分かる言葉で喋って頂きたく存じまする」

「え貴女MAS◯HERA知らないのッ!? 嘘でしょあそこまでの大御所知らないとかジェネレーションギャップじゃ済まないわよッ!? 高音域は練習すれば誰でも出せるようになるけど低音域は才能が無いと出せないのよッ!? あ因みに高音は練習すれば出せるって言ったけど高音でのシャウトとかスーパービブラートは才能が要るわ、つまり稲葉さんはヤベえって事ね。カラオケでRe◯l Th◯ng Sh◯kes歌って喉潰したのは懐かしい思い出よ」

「だから何の話か全く分かりませぬ」

「あたしBU◯K-TI◯KはAs◯-raが好きよ。死◯死◯団なら野生◯卒が好き。白ブリーフは論外、あれレジェンドだから」

「自分だけが分かるような話で楽しむのはお控え下され、付いて行けませぬ。置いて行かれる身にもなって頂きたい」

「置いてかれるのは置いてかれる奴が悪いのよ。ク◯ガーさんも言ってたでしょう? 貴方には情熱・思想・理念・頭脳・気品・優雅さ・勤勉さが足りてないって。あとついでに速さも足りない。どうせ早漏なら世界を縮められるぐらいの爆速イキを目指しなさい」

「そういう所さえ無ければ終身雇用でも良いと思えるのですが、そういう所が有るので終身雇用は謹んでお断り申す」

「告る前にフラれたわ、こういう事ってあるのね。でもあたしめげないわ、これすらネタにしてどっかでまた喋り倒してあげる」

 大きな溜息を吐いて諦める加藤梅雨を他所に、誰に向けた言葉なのか「覚悟なさい」と宣言するウィリアム・バートンに、梅雨は溜息が止まらなかった。



 ……加藤梅雨は愚者の一人としてルーナティアに呼び出された。愚者とは『しくじって死んだもの』であるとされるが、加藤梅雨自身は、自分が何か派手にしくじったつもりは無かった。しかし愚者としてルーナティアに呼び出されたという事実は揺るがず、であれば何かしらしくじったという事になる。

 それが何なのか考えた時、やたら胸が大きな金髪の女が呟いた。

「忍者で加藤って……お前アレやろ、飛び加藤じゃろ。流行りのメス化なんか?」

 エセ関西弁を軸に変な方言が混じる喋り方でそう言う金髪女に、加藤梅雨は「いえ、それは恐らく拙の父に御座る。確証は御座らんが」と答える。

「ほなら『しくじった奴』の子として生まれた事が『しくじり』にされたんとちゃうか。蛙の子は蛙、犯罪者の子は犯罪者予備軍とか言うじゃろて。そんなノリで『しくじった奴の子として生まれた事がしくじり』とかにされたんとちゃうけ」

 歯に衣着せぬその物言いに加藤梅雨は一瞬だけ強い憤りを覚えたが、しかしそれは本当に一瞬の事で「それならそれで構いませぬ」と告げて金髪女との会話を終えた。

 飛び加藤とは元々上杉長尾謙信が率いる忍び軍団『軒猿』の一人として雇用された忍者の一人であり、その名を加藤段蔵としていた。飛び加藤は忍者としての適性が極めて高く、軒猿として使われるようになってからその才覚を遺憾無く発揮した極めて優秀な忍びであった。

 ……加藤は優秀だった。本当に優秀だった。

 余りにも優秀過ぎて、慎重な性格をしていた上杉長尾謙信から「優秀なのが逆に信用ならない」と軒猿を解雇されてしまった。猿飛佐助や服部半蔵、風魔小太郎といった錚々そうそうたるメンツと違い名前こそ売れていないものの、何から何まで完璧にこなす飛び加藤は本当に優秀過ぎた故に「仮に加藤が裏切ったとしても、我々に裏切った事すら気付かせないぐらい優秀」であり、それが上杉長尾謙信の不信感を買ってしまった。

 しっかりと仕事をこなしていたはずなのに謎な理由で解雇されてしまった飛び加藤は、新たに扶持ぶちを稼ぐ為の場所を求めつつ「ならば本当に裏切ってくれる」と、上杉長尾謙信のライバルとして有名な武田信玄の元に向かう。武田信玄も軒猿と同じぐらい優秀な情報収集特化の忍び軍団『歩き巫女』や『吾妻衆』等を持っていたので、そこで自分を使って欲しいと武田信玄に頼むが───、

「あの謙信にそこまで言わしめるものを腹に抱えたくは無い」

 ───と、雇用以前にバッサリ切り捨てられてしまったのだ。

 歴史上、その後の飛び加藤がどうなったのかは不明である。幻術使いに転生した説や『花の慶◯』にゲスト出演してギャラを貰って生活していた説等様々な説があるが、結局の所歴史に名高い武将や僧という訳では無い加藤段蔵に関する草の情報はかなり少なく、複数の情報を使って裏付ける事は中々難しかった。

「……………………生まれた事自体が過ち、で御座るか」

 加藤梅雨の父が歴史に語られた『飛び加藤』であるという確証は全く無い。確かに加藤梅雨の父は付近では「段さん」と呼ばれていたし、自分を草として徹底的なまでに育て上げた。けれど父自体はただの百姓であり、梅雨の母も名家の出という訳では無くその辺の町娘の一人だった。加藤梅雨の父が本当に飛び加藤であるとするならば、その辺に居る有象無象が如き町娘を娶らずとも多少良い所の娘を抱えるぐらいは容易だろうが、しかし母は本当にただの町娘の出であった。

 疑念は幾つもある。疑惑なんて当然ある。

 母の生まれが有象無象の一人であるという事は確定しているが、父の生まれに関して聞いた事は一度たりとも無かった。加え父はどうしてそんなに草の術に長けていて、どうして自分を草として徹底的に育て上げたのか。名前が加藤で繋がっている事も疑わしい。

 そして何よりも、修行の最中に何度も負った傷を隠すような入れ墨の存在。父は「これは儂の思いの丈だ」と言いながら、娘である梅雨の全身に彫り込んだ。加藤梅雨が本当に草としての育ち切りった頃、父によって彫り込まれた陽炎が揺らめくようなこの入れ墨にどういう思いの丈が込められているのかを考えた時、陽炎が揺らめく炎のようなこのデザインは父にとっての────飛び加藤にとっての怒りが込められているのでは無いかと梅雨は思った。

 どこかの三国武将のように「何か裏切りそうな顔してる」とかいう反吐が出そうなそれに似た「その優秀さが逆に信用ならない」という理由で行き場を失った飛び加藤。完全に意気消沈して細々と生きようとした飛び加藤は変哲も無い町娘と結ばれる。燃え盛る怒りを梅雨で冷まそうとした父は、しかし結局怒りが消える事は無く、自身の梅雨陽炎を彫り込む事でそれを鎮めた気になるしか無かった。

 と、そう考えると中々どうして合点が行く。

「……………………」

 理解は出来る。納得もした。しかしそれでじゃあこの国の奴隷になりますという話にはならない。この国を捨てる気は無いものの、だが魔王を名乗ったあの女からは不審な臭いがする。攻撃性というか、邪悪さというか……言い様の無い違和感のようなものを感じ取った加藤梅雨は一度ルーナティア国を出た。

 ルーナティアに呼び出された愚者はただの凡人少年であっても衣食住を確約されるが、そこに『生活金』と呼ばれる、早い話がお小遣いが渡される。ルーナティア国から提供される衣食住とは別枠で欲しいアクセサリーやちょっとした買い食い、娯楽施設の利用や装備品の買い足しにこの生活金を当てろという意図であるが、そこまで大した額では無いようで、金属製の武器装備を整える際には額が足らない事が多い。その場合はルーナティア国の名前を出せばツケる事が出来る。

 加藤梅雨は渡された生活金とツケを利用し、異世界転生において持って来れなかった小刀やクナイを整えると、異世界転生後二日目にして転生先であるルーナティア国を出た。

 理由は二つ。この国に仕えるかどうかはまだ分からないが、仮に仕えるとなれば周辺環境の把握は必須であり、それを今の内に進めておこうという魂胆が一つ。

 戦争が始まったからといって「じゃあ突撃ィッ!」となるケースは極めて少ない。戦争が始まった場合、まずは様々な調略合戦や将の切り崩しが行なわれる。それを数日掛けて終わらせれば、戦地となるだろう場所を読み合い陣地構築や伏兵、防衛兵の配置が行なわれ、仮にそれがスムーズに進んだ場合構築された陣地を基盤に戦線を押し上げ敵国の本土に向かう。

 更にスムーズに事が運んだとして、素直に本土決戦が行なわれる事も少ない。補給路を断つだけでは無く、伏兵の警戒と援軍や同盟国が駆け付けないよう様々な手を尽くし、何より周辺の村々に飛び火しないよう、飛び火しても最低限のボヤ騒ぎで済ませられるようにしなくてはならない。

 加藤梅雨は戦国時代が続いている時に生まれた身であり、それらを把握していたからこそ戦争開始直後が最も平和な瞬間である事を知っていた。だからこそルーナティア国に呼び出され自分が何の為の存在なのかを聞いてからすぐに周辺の散策に向かった。地図で見るだけでは足りない。地図を眺めながら「ここには崖がある」と言われたとして、実際見てみなければその崖が「登れる崖」「登れない崖」「命を賭ければ登れるかもしれない崖」なのかは分からないから、百聞は一見に如かずの理論でそれらを見聞きしに歩き回った。それが一つ目の理由。

 そして二つ目は、敵国の状態を見に行く為。

 ルーナティア国の国主である魔王ナントカカントカいう女は「現状サンスベロニアを潰す気は無いわ。国家関係者に力の差を見せ付けるだけで済ませたいわね」と言っていた。

 しかしそんな事は加藤梅雨にはどうでも良く、梅雨が見聞きしたいのは『敵国が本当に殺すべき敵国なのか』であった。

 魔王を名乗ったものは口でこそ穏健な事を言っていたが、放っている空気は攻撃的であり、憤怒Wrathに近いただならぬ何かを纏っていた。医療班を統べる濁った目をした白衣の女も、そんな魔王の事を愛しいと言いながらも何か不信感に近いものを抱いていそうな物言いをしていた。

 故に加藤梅雨は「この国に仕えるべきか、それともこの国の敵に仕えるべきか」を見極める為、ルーナティア国を出てサンスベロニア帝国に向かったのだ。どうしてルーナティアと敵対したのか、何があって宣戦布告に至ったのか、帝国の統治者が本当に国の長として相応しい人物なのかを、国に入り民の様子や貧民街の有無、貧富の差すらもを調べる為には帝国に入り込む必要性があった。何せルーナティア国に居て得られるサンスベロニア帝国の情報は全てルーナティア目線、ルーナティア側の思想に偏ったものばかり。それらを頼っていては正しい目線でものを見れなくなり、場合によっては思想に歪む。異世界に呼び出され何一つとしてしがらみが無い今の状態だからこそ、敵味方の両方の情報や状態をしっかり見聞きして正しい見地を得るべきだと判断したのだ。

「あら? ………あらっ? もしかしてNINJAニンジャなのっ? 凄え NINJAニンジャ NINJAニンジャ凄え初めて見たわ!」

 ウィリアム・バートンとはそんな折に出会った。

 サンスベロニア帝国に潜入するほんの少し手前。背中を向けない限りどこを見ても国を囲う大きな城壁が視界の端に映る距離、少しだけ目を凝らせば門衛と入出国の受付口が見えるような距離で様子を窺っていた加藤梅雨の耳に、突然ウキウキとした声が掛けられた。

「──────────っ」

 完全に気配を断っていたつもりだった。忍び足と気配の断絶は常に行うよう習慣化されており、相当意識を集中させたものでも無ければ、気配を断ち切っている加藤梅雨が目の前に立っていても認識出来ないまでに存在感を消す事が出来ているはずだった。

 加え、加藤梅雨も周囲の気配察知には常に気を配っている。建造物が視界に入る程度の距離になれば警備兵だって多かれ少なかれ居るので、今の加藤梅雨は殊更周囲の警戒に意識を向けていたつもりだった。

 つもりだった。はずだった。

「凄いわ凄いわっ! マジの NINJAニンジャじゃないっ! 貴女アレでしょあの……何つったかし───あくノ一っ! くノ一ちゃんでしょっ!? 何かアレでしょ大した装備も無しに全身タイツで忍び込んで無様に捕まってくっころする奴でしょっ!? 感度ン千倍の媚薬使われてもショック死しない心臓激強な対魔の奴でしょ初めて見たわアイエエエっ!? どうしましょあたしハイク俳句詠めないわセンリュウ川柳で許してちょうだいっ!」

「……………………………」

 しかし現実としてウィリアムは加藤梅雨の背後を取った。それが意味する事は二つ。

 加藤梅雨が落ちぶれたか、ウィリアムの方が上手なのか。

「………………」

 加藤梅雨が頭を振ってその疑問を打ち払う。どちらであったとしても今それを確かめる術なんて無いのであれば、考えるだけ意識が振れてしまう。現状妙にテンションの高い垂れ目の金髪オネエに敵意は見受けられないが、ここからどういう展開になるか予測が付かない以上、考えた所で答えの出ない事にうんうんと唸るのはただの阿呆も良い所。

「…………川柳で構いませぬよ。どうぞ、一句お詠み下され。はばかりながらもこの加藤梅雨、ご拝聴致しまする」

 不意を取られて暴れそうになる心臓を冷えた刃で押さえ付ける感覚。焦りを相手に見透かされてはいけない。こちらが平常心を失っている事が相手に気取られれば、相手はそれだけ調子に乗ってしまう。調子に乗った相手はいつもよりも高いポテンシャルで事を行う事が可能になり、平常心を失っているこちらの更に上の調子を取りかねない。

「……………………………………くノ一よ、ああくノ一よ、すっごいわ」

 当然ながら加藤梅雨の警戒は杞憂に終わった。ウィリアム・バートンという人物は不意討ちを仕掛ける事を是とは思わない。不意討ちを仕掛けた所で相手との力量差があればそれは失敗に終わり、不意討ちをいなした相手が調子に乗り出す事を知っていたからだ。

「………………結構な一句に御座いまするな」

「殺してぇぇぇぇえええッ! 誰かあたしを殺せぇぇぇぇええええええ──────ッ!」

 慈悲深過ぎるお世辞に恥ずかしくなったのか、ウィリアムが頭を抱えて叫び出す。そのまま「悔しいからモノマネやるわッ! 電動こけしッ!」と叫び、直立して頭を抱えたままぐいんぐいんと上半身だけ綺麗にスイングさせる。しかしそのモノマネの意味が分からなかった加藤梅雨は、それでも「お、お上手に御座いまするな。都の公家が見れば抱腹絶倒に御座います」とお世辞を重ねる。この流れでは恐らく季語所か下の句の概念なんて通用しないだろうし、もう加藤梅雨に出来る事は世辞を投げ続けるぐらいだった。

「クゲが電動こけしなんざ分かる訳無いでしょおおおお────ッ! チクショオオオオオオ─────ッ!」

 だが頭の回転が早いウィリアムは当然すぐに全てを見抜き「ギャオオオオンッ!」と良く分からない雄叫びを上げながら悶絶する。

 かと思えばその数秒後、スンッと冷静さを取り戻したウィリアムが「あークソ……バイブごっこのせいで腰痛いわ。初めて種付けプレスした時を思い出すぐらい腰痛いわ」と腰を擦りながら呟き「……勇者の中には見なかった顔ね、貴女愚者の娘?」と唐突に核心を突きに来た。

 その問い掛けに、特に嘘を吐く理由も無かった加藤梅雨は「そう呼ばれている身に御座る」と素性を明らかにし、「拙は───」と自分がどうしてここに居るのかをウィリアムに説明した。

 加藤梅雨がウィリアムに自身の思惑を説明し終えると、ウィリアムは「ふうん?」と鼻を鳴らしながら妙に嬉しそうな顔になった。

「奇遇ね、あたしも全く同じ理由でナントカいう国に言ってみようと思ってたの」

 腰に手を当てながら「餃子造って貰ってたら遅れちゃったんだけどね。代わりに行商から無限おナイフ買えたから良いとするわ」と悪戯っぽく笑うウィリアム。しかしこの時の加藤梅雨はその言葉の意味を問い掛けるような事はせず「ならば入れ違いで御座るな。道中のご安全をお祈り申し上げまするよ」と話を終えようとした。

 だがウィリアムは「待って」と話を終わらせなかった。

「貴女の話聞いてたらナントカって女王国家に行く気が失せたわ。わざわざ出向かずとも、貴女の態度見てりゃ大体察しが付くもの」

「……そうで御座るか」

「ええ。家出小僧よろしく、このまま即日出戻りと洒落込む事にするわ」

「であれば道すがら、拙に国の案内でも致して下さるか?」

 当然、そんな言葉は冗談である。加藤梅雨に国案内なんて必要無いし、そうで無くともウィリアムとてサンスベロニア帝国に呼び出されて長く無い。案内出来るような場所は殆ど無いだろうし、あったとして重要施設の場所ぐらいだが、敵国と関わりの深い人物を国の重要施設にご案内だなんて愚行は誰も犯さない。まだどちらに付くべきか決まっていないとは言えども、ここで加藤梅雨を帝国内の重要施設に踏み入れさせて戦火の種になってしまえば無辜むこの民にその火が飛ぶ。話している限りこの男はそんな間抜けには思えない。

「道案内なんざ要らないでしょ。どこに案内して欲しいってのよ」

 まさしく加藤梅雨の読み通り、ウィリアムは戯けながら鼻を鳴らす。加藤梅雨だけで無く、ウィリアムもまた加藤梅雨が国案内なんて求めていない事を理解しているのだろう。

 だからこそウィリアムは「そんなしょうもない事は良いのよ」と話を変え、加藤梅雨に向けて「貴女、今は暇扱いてる訳よね?」と本題に入る。

「どっちに付くべきか悩んでるんでしょ? なら貴女あたしに付いてきてよ。貴女の事雇いたいわ」

「─────────」

 唐突でありながら単刀直入なその言葉に、加藤梅雨はハッとなった。灯台下暗しというには些か語弊があるが、そんなような事を言いたくなる程、余りにも盲点だった。

 加藤梅雨は右に行くべきか左に行くべきかで悩んでいた。その悩みの裏に『どちらかに行かなければならない』なんて無意識の強迫観念がある事に何も気付きはしなかった。

 目を丸くした加藤梅雨を見てウィリアムが口元を歪める。

「例えば貴女がルーナティアだかって国に付いて動いてたとして、その途中でルーナティアが良くない国だと分かったとして、でもきっと貴女はもうルーナティアから離れられないわ。その頃にはしがらみ出来てるもの、世話になってるとか気になってる誰かが居るとか守りたい子が出来たとか、何かしら理由へばり付かせて結局あの国に縛られるわ。逆も然り、サンスベロニアに付いても似たようなものね」

 上着の内ポケットから銀色のケースを取り出す。遠目からであれば小さな手帳にも見えるそれを貝のようにパカリと開け、中から手巻きのタバコとマッチ、茶色い紙を取り出す。

 火の点いていない手巻きのタバコを咥えながら「おシガー失礼するわ」と呟き、茶色い紙でマッチの先端を筒状に覆う。かと思えばすぐにマッチを引き抜き、マッチがシュボッと発火する。それを見てようやく茶色い紙がマッチを着火させる為の紙やすりだった事に気付く。

「因みに中身はただのシガー、巻き方下手くそだからジョイントっぽいけど残念違うわ。手巻き用の紙は紙の味や臭いを少しでも減らす為に中が透けて見えるぐらい薄いものが多いから、誰かが吸ってる手巻きがシガー煙草なのかジョイント大麻なのか区別するには、透けて見える中身の色を参考にすると良いわよ。質や品種にも寄るけど、やべー葉っぱは大体緑色が残っちゃうから煙草みたいな茶色になり難いのよね」

 何かの経験則だろうか。そんなような事を語ったウィリアムが「つっても手巻きにミントとかお茶っ葉混ぜてる人とかもかなり居るから、緑イコール大麻のマリ子のって言ってるとぶん殴られるから気を付けてね」と紫煙を吐き出す。煙が自分に掛からないよう上空に向けてそれを吐き出したウィリアムが、そのままのんびり足を動かして風下に位置を変える。恐らくそれも煙草の煙が当たらないようにする気遣いだろう。

「誰かと誰かが争ってる時に、最も得するのは当然勝つ側に付く事よね」

 言って、手巻き煙草に口を付ける。熱していないフライパンに肉を置き、それを熱し始めた時のような小さなジュゥゥ……という音が聞こえる。その音はすぐに聞こえなくなり、代わりとばかりに煙草の先端が黄色く発光し始める。

「でも争ってる段階から勝つ側がどっちか分かったらこの世に負け犬なんて生まれようが無いわ。仮にそれが談合マッチの出来レースだと分かってても、プロレスみたいに相手がいきなりシナリオを覆してヒール堕ちする事だってあるわ」

「…………まさしく。仰る通りに御座いまする」

「だから最も得する手段を知る事………自分が勝つ術を知る事って事って物理的に不可能なのよね。知れるのは勝つ確率が高い方法だけ、店長になるまでパチに関わってる人しか知らないような攻略法でも負ける時はあるのよ。だって台が設定五〜六なのかは、その台の攻略法知ってた所で分からない非公開情報だもの。回転数とか見て『読む』事しか出来ないわ。そして読んで予測した上でそれは簡単に外れる事の方が多いのよね、だからあたしはパチが好きじゃないの」

 言いながら再び煙草に口を付ける。吸うペースも速いが、何より一回で吸う量が多い。手巻き煙草はもう既に半分まで短くなっていた。

 それを貝殻のように開いた銀色のケースに寄せ、吸口を親指で弾き灰を落とす。

「選ぶべきは『最も得するやり方』じゃ無いのよ。選ぶべきは『最も損しないやり方』なのよ、命が関わってるなら尚更なおさら殊更ことさらね」

 紫煙が昇る。灰色の煙が舞い上がり、人が認知出来ぬ僅かな風の動きに流され掻き消えていく。臭いはもうしない。既に嗅覚は麻痺している。

「誰かと誰かが争ってる時に最も損しないやり方っていうのはね、真ん中でふらふら揺れてる事なのよ」

 助燃性を持った空気が短くなった煙草を通り、ジジ……という微かな音と共にタバコの葉を熱していく。深呼吸をするように深くそれを肺に流し込んだウィリアムが開いていた銀色のケースに煙草を押し付け、大きな溜息を吐くようにしながらそれをパコンと閉じる。

「更に保険を掛けるなら、どっちかの陣営に属しながらもその陣営に直結しない誰かに『言われて付く』のが良いわね。その方が最終的にどっちに付くにしても言い訳しやすいわ」

 大きく吐いた煙が流れて消える。ウィリアムが何を言いたいのかは最後まで聞かずとももう分かっていたが、それでも加藤梅雨は『誰かに言われる』事を保険とする為黙ったままだった。

「自分はあの超絶イケメンな素敵過ぎるお姉さんにそそのかされてサンスベロニアの側に居たけど、過ごしている内にサンスベロニアが駄目な国だと悟ったのでルーナティアに戻って来た。今まで敵側に居た分は、超絶イケメンな最高のお姉さんと連れ合う内に得た内部情報を全て曝け出す事で手を打ってくれ」

「………お前が知れる程度の内部情報如き既に握っていると返されれば如何する」

「じゃあ普通に働くわ、これまでの分を取り返す為にね。ああ一応情報は提供するから、後で誰か寄越してちょうだい。それが既に知っている情報なのか役に立つ情報なのかの吟味はそっちがすれば良いわ」

「ふむ」

 ウィリアムの言い分に鼻を鳴らす。正直この時点で腹は決まっていたが、加藤梅雨は敢えて答えを出さずに頭を捻った。悩むこちらに対して相手が更に何かしらの好条件を上乗せしてくるかを誘う為、では無い。

 腹は決まっている。しかし末期思考のようになっていないか、本当にそれが最適解であるかの最終確認の為である。

 そんな加藤梅雨を他所に「あ因みに得する損しないの話は宗教勧誘には通用しないからね」と持て余した口から雑談を紡ぎ出す。

「宗教勧誘に関しての「誰かに言われて来ただけです」は「窒息するまで沈み続けに来ました」って意味だから。宣教者は誰かに言われた程度でのこのこ来るマヌケなカモは絶対逃さないし、仮に別の側に付くとして付ける陣営は宗教側かお家側、実害が出てる物的証拠が無けりゃ警察は動かないものね。家ごと丸焼きにされるのと、背乗はいのりされて肉便器になりながら生きるのとならどっちがマシなのかしらね」

「…………………」

 そんな言葉を完全に無視した加藤梅雨が、大して表情も崩さないまま器用に口だけ動かすウィリアムの瞳を覗き込む。

 この男────女? ……ウィリアムに雇われる事に対して、自分は何の異論も無い。一時的か永続的かを問わず、ルーナティア国から離れてしまっている以上自分はルーナティアから生活金を受け取る事が出来ない。かといってサンスベロニア帝国に付いて似たようなお小遣いを貰うとなれば、いざサンスベロニア帝国を蹴る時に自分の中でそれが尾を引く。

 ウィリアムに付くのであれば、雇われるというのであれば生活には困らない。少なくとも見極めを行うまでの期間、山を駆け回って獣を狩り山菜を集め、それをあきないにしているものの収入源を減らすような事にもならない。

 それに何よりウィリアムは強い。正面衝突こそ得意分野では無さそうだが、自分と似たような隠密系の立ち回りで他より頭一つは抜けている。主従の間で得意分野が被るという事は対応力こそ増えないものの、代わりに意見の衝突が起こり難い。

 だが何よりも、

「……何? あたしに惚れた? 良いわよ惚れたんなら掘ってあげる。前の穴でも後ろの穴でもズボズボしてあげるわ。でもあたし死体じゃ無いと勃たないから、抱いて欲しけりゃ死んでちょうだいね」

「惚れた腫れたは拙の得意分野には御座らん。他のものに任せれば宜しい」

「ならあたしの瞳に映る自分に酔い痴れてた? あたしも大概ナルシズム強い方だけど、いざ似たようなナルシストとブチ当たるとブチかましたくなるわね。類は友を呼ぶって言うけど、少なくともナルシ同士での類友論は成り立たないような気がするわ」

「拙は横文字が苦手故に。南蛮の言葉が多く混ざるとお答え差し上げれぬ、どうかご寛恕戴きたく御座いまする」

「OK, I'ts all───」


「ドゥクシ」


「ラアァィッ! 目がッ───目がァァァアアアアッ!」

 だが何よりも、ウィリアムと喋っていると妙に楽しくなる。草である自分は本来黙して語らず静寂の子であるべきだが、どうにもこうにもこの男と共に居ると口だけでなく体まで動いてしまう。

「クッソ痛エェェエエエエエッ! ───何すんのよあたしのつぶらなお目々を馬鹿みたいな口効果音鳴らしながら射貫くんじゃ無いわよッ!」

「横文字はお控え下されと拙が申した直後であるというに……拙を雇うので御座ろう? つまり貴君は拙の主。おぜぜが続く限り、拙は飼い主の躾を行う義務があるので御座るよ」

「躾って普通逆でし───」

「『人の言葉はちゃんと聞きなさい』といった所で御座るかな? 良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らう……納得は出来るが何となく聞き入れたくない言葉こそ、歯を食い縛って聞かねばならぬ」

「今あたしが歯ぁ食い縛ってんのはあんたに目潰しされたからだっつーのォッ! しかもあんたドゥクシは無いでしょドゥクシはッ! そんな古今東西万国共通の口効果音なんざ要らな────」

「ドゥイ」

「ぉんっ」

「ふむ……やはり男性でも乳頭は弱いもので御座るか。いやはや勉強になる、拙は房中術に関しては殆ど教わらなかった身故」

「いきなり乳首当てゲームしてくんじゃ無いわよこっちは両目ドゥクシであんたの動きに対応し難い状態なのよッ!? しかも完全にど真ん中ピンポイントで当てやがって……思わず素面で喘いじゃったじゃないッ!」

 涙目になりながら手ブラが如く両胸を押さえるウィリアムに加藤梅雨は「ふふふ」と楽しそうに笑う。口元こそフェイスヴェールのような口布で覆われ見えやしないが、それて加藤梅雨が───草であるものが心から楽しんで笑っているのは口布越しにも明らかだった。

 そんな加藤梅雨の楽しそうな姿を見たウィリアムは、まさしく毒気が抜かれたように「……はぁ、全く」と大きく溜息を漏らしながら涙に濡れる両目を買ったばかりのハンカチで拭き「何で目潰しの直後に乳首突いてくんのよ意味不明だわ……クソが」と素直な不満を口にする。

 そんなウィリアムに「いやなに」と目元を綻ばせた加藤梅雨が答える。

「痛がって辛そうだった故に、快感で上書きして差し上げられれば良いなあと」

「あたしをツッコミに回らせる時点でかなり才能あるけど、あんたそれ本気で言ってたらとんでも無いからね」

「…………………本気のつもりで御座ったが」

「Jésus Christ」

「いや痛みを痛みで上書きするのは流石にどうかと思いましてな? 加え下手に痛みを追加しても貴君のご機嫌を損ねるような結果になりかねんと思いまして」

「貴女もうあたしに終身雇用されなさい。あたしが乳首弱いってルーナントカ国に知られたらコトだわ」

「コト、とは?」

「あんたが帝国を捨ててルーナントカに出戻りした時に情報漏らされたら困るでしょ。今後あたしが捕まって尋問という名のえちえち拷問をされた時に困るわ」

「畏れながら絶対困らないと断言致しまする」

「あたしもうセリフ考えてあるのよ。良くあるエロいんだかエロくないんだか正直判別し難い画像みたいに「どんな媚薬でもごんぶとち◯ぽでも、このウィリーをイカせる事なんて出来ないわ! そう! あたしの弱点である両乳首同時押しでされない限りはねっ!」とか言うつもりなの。因みにさっき両乳首ブスリィアーォってされた瞬間に思い付いたわ、これが怪我の功名って奴よ」

「もう畏れる気にすらなりませぬが、絶対に違いまするよ」

 何度目の溜息か分からない吐息を漏らした加藤梅雨に、ウィリアムは一通り喋り終えて満足したのか「チーム名決めましょ」といきなり話を変える。

 余りにも唐突に話題が変わった事に加藤梅雨は理解が追い付かず一瞬頭が真っ白になるが、しかしウィリアムはそんな事には構いもせず「さよなら三角また来て四角。ツーと言えばカー、サトシと言えばタケシでしょ? 電気ネズミはそらをとぶ」と喋り出す。

 そこまで言い終えて、ウィリアムが何を言いたいのかを理解した加藤梅雨は「いや拙は表立つつもりは──」とコンビ名を付ける事を拒否しようとするが「貴女、加藤って言ってたわよね」とウィリアムがそれを遮る。

「あたしがゴミみたいな事垂れ流す直前、貴女『この加藤梅雨、ご拝聴致しまする』って言ってたわ」

「────────」

 その言葉に加藤梅雨は再び脳内が白くなる感覚になる。

 ………これはウィリアムの癖のようなものなのだろう。頭の回転が妙に速いウィリアム・バートンはころころと会話を切り替える。だが本人の中では、恐らくそこまで派手に話題が切り替わっているとは思っていない。頭の回転速度が速いからこそ、ウィリアムは他の人間が「もうこの話題は終わった」と認識するよりも何倍か速くそれに気付き、さっさと話題を切り替えたがるのだろうと加藤梅雨は踏んだ。

NINJA忍者で、加藤で、愚者に当てはまるような奴は一人しか居ないわ。………貴方、加藤段蔵? 流行りのメス化って奴かしら」

 ウィリアムは日ノ本人では無いが、日ノ本の話に対して妙に知見が深い。猿飛佐助や風魔小太郎と違いそこまで有名では無いはずのその名前が即座に出てくるのは、その手の話が好きなものぐらいだろうに。

「いえ、段蔵は恐らく父に御座る」

「………恐らく?」

 小首を傾げる垂れ目のイケメンオネエに、加藤梅雨は自身の生まれに関してを説明する。

 やがて話を聞き終えたウィリアムは「何だ、ちょっと期待しちゃった」と嘆息混じりに呟いた。

「貴女がメス化した飛び加藤だっていうなら、好感度上げて貴女とエロシーン入ってメスイキさせまくって完全にメス堕ちさせてやろうと思ってたのに。ガッカリだわ」

「ここまで不名誉なガッカリは初めてて御座るな」

「知ってる? 男性の絶頂と女性の絶頂は深さや大きさがまるで違うのよ」

「聞いた事はありますな。風の噂が耳まで運んで下さった」

「だから何らかの手段で女体化や男体化したとして、そいつが性転換TSする前に一度でも絶頂を経験してれば、襲い掛かる快感が余りにも違い過ぎて完全に中毒化すると思うのよね」

 ………男性の絶頂はディープオーガズムと呼ばれ、女性の絶頂はドライオーガズムに分類される。多少小賢しいスケベ小僧であればドライオーガズムぐらい聞いた事があるだろうが、ドライとディープの二つの絶頂は『射精を伴うか』で区別される事が多く、男性が尻穴での行為の際に経験する射精を伴わない絶頂等がドライに当てはまる。

 つまり女性は基本的にディープオーガズムを経験する事が不可能なのである。

 しかしただ性器と性器を抜きつ挿しつつするだけの単調極まりない性行為では無く、今日日馬鹿でも見聞き出来るだろうGスポットやポルチオ刺激、或いはポリネシアンセックスのような絶頂時に強い性感を得られる特殊な行為の果てであればディープオーガズムを体験する事が出来る場合もある。

「ただでさえ絶頂時に脳から吹き出るお汁には高い中毒性があるのに、そこにそれまで経験してきたものとは違う絶頂が加われば完全にジャンキーになると思うのよね」

 ウィリアムの言葉に「ふむ」と鼻を鳴らした加藤梅雨が「納得は出来るが、納得は出来ませぬな」と口を開く。

おなごが男体化したとして、得られる快感が余りにも深く大きくなり依存するというのは理に適っておりまする。しかし逆は納得が出来ませぬな、それまで深い絶頂に酔い痴れていたおのこが女体化したとて、快感が浅くなって満足出来ぬのでは御座らんか?」

「そうだとしたらケツ穴でメスイキしまくるアナリストは「我はメシア、明日この世界を粛清する」って言いながらリスカしたり市販の導入剤ガブ飲みしたりしちゃうわね」

「………? どういう……」


「ドライの連続イキを侮ってるとドライガチ勢に殺されるわよ。質より量、その言葉に勝るものは無いわ。知りたきゃ教えてあげるわよ、あたし死体以外じゃ勃たないけど貴女の穴っぽこ指でほじくり返すぐらいなら勃ってなくても出来るもの」


「拙はわざわざ改行して強調する意味があったのかが知りとう御座ります。取り敢えずそのキメ顔をお止め下され、発言内容と表情がまるで合っておりませぬ」

「………痙攣イキは? 貴女が腰丸めながら尻上げてイキ狂ってる所を「ほら背筋伸ばしなさい」ってあたしに尻叩かれまくって、パブロフよろしく性感帯開発みたいに尻叩かれるだけでイケる体になっちゃうオチは?」

「ありませぬ。そのような体になる具体的な利点が御座らん」

「有料版で別枠掲載、とかは? 作者が出してる「公式の同人誌です」みたいな言い訳すればイケそうじゃない?」

「貴君がお書きになるのであれば好きにすれば宜しい。拙は書きませぬよ、面倒臭い」

「はいという訳で『メス化した飛び加藤をチームに入れようとしたけど結局出来なかった哀しみのウィリーさん』を略してもじって『チーム飛びウィリー』でどうかしら」

 にこにこと笑いながら言うウィリアムに加藤梅雨が溜息を漏らす。今回に関しては取り付く島が無かったからこそ話を無理矢理変えたのだろう。

「因みに『とび加藤』の『とび』って結局「高く飛ぶ」のと「鳶職」のとじゃどっちなの? あたし的には Jumping飛び KATO加藤の方が面白くて好きなんだけど。ゲーム出しましょうよ、Super Jumping KATOって名前のゲーム。最終的に火を吹くあたしの後ろにある斧で橋を壊せばクリア、あたしはマグマに沈んでアイルビーバック」

「どちらであっても意味が通じるのであれば好きに呼べば宜しい、そこに拘る意味なんて御座らん」

「Josephをジョセフと読むかジョゼフと読むかみたいな感覚ね、どっちにしろ通じるんだから何でもいっか」

 そう言いながら貝殻のような銀色のケースを取り出し、中の煙草を口に咥えて二本目の煙草を吸い始めるウィリアムは、今度は風下に周るような事はせず加藤梅雨の前に立ってニヒルに笑う。

「あたしとつるむなら煙草の臭いには慣れときなさい」

 そう言いながら紫煙を吐き出すウィリアム。自身の顔に吹き掛けるような無礼極まりない事は流石にしなかったが、だからこそ加藤梅雨は溜息を繰り返しながら、まだ掻き消えていないその紫煙の中にわざと顔を突っ込むようにウィリアムを追い掛ける。

 それを見たウィリアムが「良い根性ね、好きよ」と鼻で笑えば「拙は大して好きでは御座らん故に」と加藤梅雨は冷たく言い放つ。

「貴君はさっさと他の女をお探しになると宜しい」

「告る前に振られたわ。何か腹立つからいつかまた似たような事が起きたらもっとクールに返せるよう考えておかなくちゃ」

 そんな事を語るウィリアムが、再びその機会に恵まれてしまう事を今はまだ知らない。

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