7-2話【人の都合と獣の都合】



 ルーナティア国はもはや土地を余らせるレベルで広く大きな国家だが、対するサンスベロニア帝国は敷地面積的にはかなり厳しく、地図上で両国を見比べるとサンスベロニア帝国に対しては非常に小さく狭い国だという印象を抱きやすい。

 しかしサンスベロニア帝国はルーナティア国と比べて地質的に秀でている。地表は肥沃な土地である割にその下の地盤が非常に固く、地下帝国よろしく地面の下に重要拠点を建設する事が出来ていた。

 地下一階の農産養殖場、地下二階の兵装量産区、そして地下三階にサンスベロニア帝国にとって文字通り心臓である魔力導炉及び『アダン博士の秘密基地』が存在している………訳なのだが、そこに至るまでのエレベーターは決して一般家庭のトイレが如く「玄関入って左にあるから」というようなものでは無く、それこそ玉座の間でピアノ月光を演奏するとズゴゴゴゴゴ……とか鳴らしながら玉座が横滑りして……というぐらいには厳重に隠されている。

 実際そんな仕組みにしては保育士試験が如く求人誌に「要ピアノ演奏技術」とか書かなくてはならなくなってしまうので有り得ないものの、しかしサンスベロニア城の二階や三階に至る為のエレベーター内にあるボタンを特定の順番で押す事でカーゴがぐるっと回転、通常では出入りが出来ない方向に向かって扉が開くようになるというシステムが採用されている。

「ッははははは人間風情がよォッ! そんな鉄屑におんぶに抱っこだからオレ様に勝てねえってまァだ気が付かねえかァッ!?」

 地下に向かう為のエレベーター。それは個人宅のトイレが如く「あー玄関入って左にあるから」というような場所に位置取っている訳では無く、サンスベロニア城内においても極めて厳重な警備によって守られている。

「───────邪魔だゴミがァッ!」

 その厳重な警備が、しかしまるで意味を為していないかのように容易に突破されてしまっていた。

 二本の角を持つ日本の人外代表が、二対の長く鋭い牙を剥きながら金属製の魔導機を乗りこなす熟練の兵士たちを一方的に蹂躙しているせいだった。

「ワァーオMr.モモノキきみがここまでやれるとはちょっと予想外だ、僕はてっきりマジカルマシーン相手に「硬え」とか言いながら苦戦するとばかり思っていたよ何か君からはそんな感じの噛ませ犬感が滲み出ているからね」

 或いは両腕部か肩部のガトリング砲を毎分何万発という速度で発射していれば、魔導機兵たちは蹂躙されずに済んだかもしれない。もしくは両脚部に付けられた誘導式三連装マイクロミサイルとやらで城ごと吹き飛ばしていればどうにでもなったかもしれない。

「オレ様どんだけナメられてんだよ。こと人間の枠に収まってる連中相手じゃオレ様は負けねえぞ? オレ様はそういう風に出来てんだ」

 百鬼童子もものきどうじの言葉に「やはり鬼はそういう特効みたいなものがあるんだろうな。マシンの手足が練り消しみたいだ」とジェヴォーダンの獣が苦笑する。その最中であっても「邪魔臭えなァコラ退けっつったろうがッ!」と百鬼童子は魔導機兵を次から次へと廃材へ変え続ける。

 ………決して魔導機に乗った兵士たちが新兵で、とかそんなような事は無い。重要区画であるエレベーター付近を守る彼らは厳し過ぎる程の訓練に耐え抜いた選りすぐりの衛兵であり、「何となく」の直感だけで背後や上部からの奇襲に対応出来る程に人間離れした才能の持ち主たちである。万全の状態であり万全の装備を十全に活かせる状況であれば、百鬼童子だけでなく如何なジェヴォーダンといえども手足の一本は喪っていた事だろう。

 では何故ここまで陵辱されるに至っているのか。


「………あーあー、こんなに城を滅茶苦茶にしてくれて。………全く、後でニェーレに怒られるのは俺なんだがな」


 狭苦しいサンスベロニア城の廊下に体を縮こまらせた肉女、その肩に乗ったジェヴォーダンの獣によってこれみよがしに拘束されるペルチェ・シェパード大総統………巨大な熊の手のように変貌したジェヴォーダンの左手に握られたサンスベロニア帝国の国王ペルチェへの誤射を恐れ、歴戦の兵士たちは持ち得る才能と装備を万全に活かす事が出来なくなってしまっていたのだ。

「Why? 何故貴方がニュエー……ニァェー………ああクソ言い難いニャー何で僕が猫の鳴き真似のような事を繰り返さなければならないんだもう一回やり直そう──────何故あの小さな女性に叱られる羽目になるんだお叱りを僕は受けるのは僕らでは無いのかい?」

 独特な発音をするニェーレ・シュテルン・イェーガーの名前を何度か言い間違えたジェヴォーダンが何事も無かったかのようなシレッとした顔で問い直すと、その様子がおかしかったのかペルチェはクスクスと小さく鼻を鳴らして笑った。

「ニェーレだよニェーレ、ニェーって。今の内に練習しておけ獣、彼女の前で呼び間違えると心底ダルいぞ? 彼女はコンプレックスの塊みたいな女性だからな、体格や年齢だけでなく呼び難いファーストネームや厨二臭いミドルネームやセカンドネームすら地雷なんだ。確かに彼女は小さいが、間違って踏み抜くと痛い思いをするぞ?」

「……ニァェー、ニィェー」

「惜しいんだが、うんかなり惜しいんだがな…………そうだな、うん。そうだ、「そうだね」という言葉を猫っぽく舌足らずに言ってみると良い。そうだにぇーって。ほら獣、言ってみろ」

「アーハンなるほど? ………そうだニェー─────ウォウ言えたッ! 今日この日はクリスマスぐらい世界的な祝日として制定するべきだなッ!」

「それは他国と検討しなくてはならないから、まずは戦争を終わらせてからだな。あと喜ぶのは構わないが余り手に力を入れてくれるな、少し苦しい」

 今のこの状況をまるで意に介していないかのようにそう言うペルチェに「Oh! Sorry」とジェヴォーダンが冷静さを取り戻す。

 そして代わりとばかりに「おいテメエらッ!」と百鬼童子が怒鳴り始める。

「何でオレ様が必死こいてゴミ掃除してんのにテメエらは談笑してんだクソがッ! そんだけ暇こいてんならちったぁ手伝えボケッ!」

「Oh! 何を言い出すかと思えばハハハハ笑わせてくれるよ、今日はクリスマス級の素敵な日なんだ君はクリスマス休戦というものを知っているかい? 戦時中であってもクリスマスの日だけは争いを止め敵対している兵士たちも発砲を禁じられ国籍や肌の色目の色を問わず平和を祈れるという素敵な日があるんだよ! 今日はまさしくそんな日と同じぐらい素敵な日なんだ何せ言えなかった名前が言えたんだからね! これを祝わずして何を祝うっていうんだい!?」

「知ったこっちゃ無えクソボケがッ! そもそもオレ様はくりすますが何だか分かんねえんだよダボ日ノ本言葉を意識しろっつったろうがッ!」

「まあかく言う僕もクリスマスなんざ興味が無いからクリスマス休戦中であろうと間抜けいてる敵兵を容赦無く殺すがね、クリスマスだろうと今居る場所が戦場である事に変わりは無いし、そもそも僕は無神論者なのさクリスマスといえば本来キリスト関係の祭日だろう祝ってる雰囲気を楽しみこそすれチャペルで結婚して神社で年を越して寺に骨を沈めるヤポンスキーと同じようにキリストなんざ興味が無いのさハハハハ! それはさておき知っていたかいヤーパンやチャイナで使われる信という漢字は人の言と書くんだキリストが本当に神であるとすれば彼は人では無く、彼の御言葉とやらは人では無い人外の言葉という事になるからキリストの言葉なんて『信』じられるはずが無いんだよ! まあ僕はフランスの生まれだから漢字には大して興味無いんだがね!」

 獣の手と化した左手でペルチェを拘束するジェヴォーダンがいつものように大仰な身振り手振りで騒ぎ始めれば「おい獣、余り揺らすな酔うだろう」とペルチェが至って冷静な声色でそれを咎める。するとジェヴォーダンは即座に「Oh... Sa Majesté下殿これは申し訳無いつい楽しくなってしまった!」と左手を動かす事を止める。

 そんなジェヴォーダンの獣を見やったペルチェ・シェパードが口を開こうとしたその瞬間の事だった。

「止まれぇぇぇえええええ──────ッ!」

 魔導機から落下した兵士が叫びながら緊急用のサイドアームを百鬼童子に向けて乱射し始める。

 目線の先で恐怖を振り撒く肉女と、金属製の魔導機を容易く引き千切る鬼と、離反して名が広まっているジェヴォーダン。そこに大総帥閣下の視線が加わった兵士が恐怖とプレッシャーに狂乱しながらパスパスと安っぽい音を鳴らして9mm弾を必死に乱射するが、恐怖に震える手ではまともに照準なんて出来るはずも無く。

「わああああ────────ッ!」

 下手をすればペルチェに当たりかねないような酷い撃ち方をする兵士。それを見下ろした肉女が「恐くないですよ」と穏やかに唱えれば、全高四メートルか五メートルはある肉女の周囲に薄ぼんやりとした緑色の壁が生まれ、自身の肩に乗るジェヴォーダンと拘束されたペルチェを誤射から守らんと魔法の防壁を展開する。

「Wow魔法が使えるとは聞いていたが本当に使えるんだね! 中央通りで遊んでいた時には使っていなかったって事はつまり自分を守る為では無く僕らを守る為に使ってくれたのかHahaha! Good boy! 事が済んだら飴ちゃんをあげようって思ったけど飴ちゃんなんて持って無いから飴ちゃんをあげた気になってあげよう肉女も僕から飴ちゃんを貰った気になって喜んでくれたまえHahahahaha!」

 自身を守る為に大した適性も無い魔法を扱い防御壁を展開する肉女に心底嬉しそうなジェヴォーダンの傍ら、スライドが下がったまま動かなくなった自動小銃の引き金を必死にカチカチと鳴らす兵士。それが落ちなくなった撃鉄を落とそうとする音なのか。

 それとも、


「───────…………………痛えじゃねえか」


 まともに狙いを付けていないが故に読み切れなかった9mm弾を一発だけ受けた百鬼童子に見詰められ、死を覚悟した恐怖で歯が鳴る音なのか、もはや兵士には区別なんて出来なかった。

「………………………痛えじゃねえかァ」

 小柄な鬼の左腕に浮かんだ真っ黒な点がじわじわと広がる。それを見やり静かな声で呟いた百鬼童子が再び兵士に目線を送る。

「────ヒィッ」

 深紅に染まった鋭い瞳、隠しもしない二対の牙、何をどうしたのか一発の被弾で唐突に激昂した百鬼童子は、


「痛えじゃねえかあああアアアアアア──────ッ!」


 腹の底から怒り狂い、大気を震わす雄叫びを上げた。

 余りにも大きいその絶叫はサンスベロニア城の廊下に響き渡り、調度品として置かれていた壺がビシリとヒビ割れ崩れていく。ある程度離れた上背中を向けられているジェヴォーダンとペルチェですらその声の大きさに息を呑んで身を竦ませる程だったのだから、真正面から激昂を受けた魔導機乗りの兵士はその時点で鼓膜が破れ、まるでフラッシュバンスタングレネードでも投げ込まれたかのように三半規管をやられて頭をグラつかせる。

 しかしいきなりマジギレした百鬼童子がその程度で兵士を許すような事は無く、

「ナメてんじゃねえぞテメエああッ!? スッ殺すぞ人間風情がアアアアアアアアア─────ッ!」

 意識を失い掛け呆然とした表情をしていた兵士の足首を掴み、力任せに振り回し始めた。

「ウゼえ、ウゼえウゼえウゼえ─────ああウゼえウゼえウゼえんだよゴミ共がよおおおおおオオオオオ──────ッ!」

 残り少なくなってしまっていた魔導機兵たちに向け掴んだ兵士を乱暴に振り回せば、彼が被っていたヘルメットがガヅンガヅンと硬い音を打ち鳴らす。頭蓋骨こそ無傷で済んでいるかもしれないが、その衝撃に頸骨が耐えられるはずも無く、魔導機にぶつかる度に不自然な方向へと頭がグラグラ不気味に揺れ回る。

 それをぼんやりと眺めるジェヴォーダンが「……あー、えー。OK...Ahhh...hmm OK ok...彼はそういうタイプだったのか」と後方から冷静に分析を始める。

「なるほどね、あー……彼はアレか、キレると訳分かんなくなるタイプって奴か「自称右手が疼く系陰キャ」と対になる「自称キレると訳分かんなくなる系陽キャ」って所だなシンナーキメると喧嘩が弱くなるからやめとけよ骨がスカスカになるからなっていうアドバイスはさておくとして、………………あー、スイッチングの条件は被弾かな? ……いや違うな格下、人間からの攻撃に被弾した場合にスイッチが切り替わる感じだろうね」

 人の形を保っている右手の指を顎先に当てながら「...… Maybe多分?」と呟くジェヴォーダンだったが、彼の言葉は百鬼童子の耳には入っておらず。

「退けオラァァアアアッ!」

 鬼の力で掴まれ振り回されながらも何とか原型を保っていた兵士を後方に投げ捨てた百鬼童子が突進すれば、余りにも露骨に怒りを振り撒く絵物語の鬼に恐れおののいた魔導機兵たちは反撃する気力はおろか逃げ出そうとする余裕すら無く次から次へと蹂躙され、破壊された魔導機から引き摺り出されては手足を千切られ殺されていく。

「……………いやまあぶっちゃけ鬼という割には彼あんまし強くないなあとは思っていたが鬼としての本性が出るのに条件があるとは思いもよらなかったなあ。………いやいや困る困るよ少しだけ困る何が困るって言われれば使い易いとか使い難いとかも確かにあるが何よりもパーティ内でのスキルデザインが被っているという事が困るね。肉女と骨男は露骨なスイッチングキャラクターだし百鬼童子もスイッチングみたいなものだからとなると僕までスイッチング系の立ち回り的な何かそんなサムシングにしなくてはアンバランス感が出ちゃうじゃないか勘弁してくれ、僕はそういうタイプになるつもりは無いぞ僕は純粋なエンターテイナーとして立ち回りたかったんだ。芸能人の醜聞記事ばかり扱う雑誌の誰得コーナーにある「キレたら怖い芸人ランキング」とかに名を連ねる気なんて毛頭無いっていうのに……ああクソWiza◯dry系のゲームで二時間ぐらい掛けてチーム作ったのに後々攻略本を見たら「ダメな構成例」とかにほぼ全部当てはまっててうわー全部作り直しじゃーんえーマジかよどうしよっかなーみたい感じになった時と全く同じ気分だDamnクソがああもう何が言いたかったのか忘れた」

 ぺたぺたと両手を使い器用に進む肉女の肩の上で、ペラペラと語り続けるジェヴォーダン。ぼんやりと状況を眺めていれば、もう目的のエレベーターが見えてくる。

 ………まだジェヴォーダンが勇者牧羊犬として扱われていた頃に乗った時は上階に向かうボタンしか無かったエレベーターだが、以前ニェーレの影に潜んだ時は上階へのボタンを押していたにも関わらずこのエレベーターのカーゴは地下に向かって下降し始めた。あの時影に潜んでいたジェヴォーダンは二階やら三階やら一階やらをいやに移動しまくるニェーレに「何か異界に行く都市伝説か何かだろうか」と思っていたが、

「まあ何でも良いさ結果オーライという奴だね。………ではSa Majesté下殿そろそろ地下へご案内頂こうか当然三階だよ僕の目的は魔力導炉とやらの実態を拝む事だからねぶっちゃけ現状それ以外に興味が湧かない」

 ボタンの押す順番なんて覚えているはずが無い。仮にあれが暗号的なものだと分かっていればはっきりと記憶していただろうが、あの時のジェヴォーダンはそうだとは思っていなかった。違和感を感じ始めたのはエレベーターが五回だか六回だか停止してからであり、都合十回に達したかどうかぐらいで下降を始めたエレベーターにようやく「なるほど」と苦心したのだ。如何なジェヴォーダンと言えども何気無い動作に隠されている暗号を初見で見抜く事なんて出来やしない。

 だからこそ地下の存在を知っているものを生きたまま人質とする事で、代わりにそこに至る道を切り拓いて貰おうとした訳である。

 しかし当然ながらペルチェが素直に頷くはずは無い。

「………魔力導炉を見られるのは結構困る。見られる事も機密の漏洩に繋がるから困るが、あれの造りを他所で語られるのが何よりも困るんだ。お前、口軽いだろう?」

「ご存知の通りお口のチャックはぶっ壊れてるよ。いつだってそうだねジッパーって奴は出掛ける直前まで壊れてる事を教えてくれないそろそろ家を出ようと上着を羽織った瞬間まで彼らは黙して語らないんだよ僕とは真逆だねHahaha! つまりはSa Majesté下殿貴方は「もう時間が無いから」とジッパーの壊れたジャケットを羽織りながら出掛けるしか無いのさでも意外とどうにかなるもんだよ仮に何ともならなかったとしても最低限────」

「待ち合わせた友人とジッパーが壊れていた事について語れるってか?」

 獣の手で自らを拘束するジェヴォーダンに流し目を送れば、赤黒いスーツのエンターテイナーは心底驚いたような顔をしながら「Oh!」と目を丸くし、すぐに嬉しそうに「Good boy!」と笑い出す。

「正解だよハハハ中々分かるじゃないかSa Majesté下殿! 貴君は見所の塊だよけれど出来ればそういう言葉は壊れたジッパーが如く最後まで黙して語らずに居てくれた方が嬉しいねえ、手品師が手品を披露している途中でタネと仕掛けを語るのは宜しくない手品師の興が削がれるだけで済めば良いが下手をすればオーディエンスまで萎えてしまうよ! 隣に居るワイフに良い所を見せようとドヤ顔した所で周りはネタバレに対してブチ切れるだけだからね! 彼氏彼女でネトゲ中毒になっている配信者じゃあるまいお前らの「あーよちよち俺が何とかするからねー」「うんうんありがとすちー」とかいうハナクソみたいなやり取りなんざまさしくホジッたハナクソに何本鼻毛が絡まっていたかぐらいどうでも良いのさ!」

「ああそれは済まなかった獣、生憎俺もお口のチャックがぶっ壊れているようでな」

「Wow奇遇だね僕もお口のチャックが壊れていてね! いつだってそうだねジッパーって奴は出掛ける直…………」

 そこまで語ったジェヴォーダンが「……あ?」と真顔になり「Ohhhhh!! これさっき言ったなHahahahahaha! 危ない危ないこれはしてやられる所だったよ!」と額にぺちんと手をやりながら笑い始める。

 そしてすぐさま口角を吊り上げ「言葉を返そうか」と邪悪な笑みでペルチェを見詰めた。

「済まなかったSa Majesté下殿生憎と貴方の時間稼ぎには引っ掛かってあげられない。さっさと地下まで案内したまえ」

「俺はただ喋っていただけだ獣。ぶっ壊れたお口のチャックから飛び出た言葉にお前が勝手に足を引っ掛けただけだ。俺自身に引っ掛けるつもりなんて欠片も無かったんだが?」

「知った事では無いねSa Majesté下殿手品師がどういう過程を経て帽子から鳩を飛ばしているかなんて僕は興味が無いのさ。それはさておき複雑骨折は治り難いんだってねSa Majesté下殿貴方に残された発言回数は残り三回までにしておこうか、如何なる理由であっても四回目からは何処かしらの骨を粉砕するよ折るだけでは済ませない握り潰す」

「………………………」

 珍しく笑みを消して真顔になった獣にペルチェが黙り込む。

 しかし焦りや恐怖のような感情は無く、ペルチェは諦めたように鼻から大きく息を吐き出す。そのまま僅かに動かせる部位として残っていた手を開き三本指を立てる。それとジェヴォーダンの獣を交互に見比べれば、ジェヴォーダンはすぐにその意図を理解する。

 眼前の百鬼童子に向け「おいそこの雑魚」と投げ掛けつつ、立てていた指を二本にする。

 その唐突な罵倒に、それまで背を向けたままだった百鬼童子がピクリと反応する。

「足の運び方は雑だし視界外の動きに対して殆ど反応出来てないしキレる前もキレた後も気迫が違うだけでやってる事は全く変わらないしお前才能無いんじゃないか?」

 どこからが「一回の発言」として見なされるか分からなかったペルチェが一息にまくしたてつつ二本の指が一本にした。ゆらりと向き直る百鬼童子から敢えて目線を外してジェヴォーダンを見やれば、獣はペルチェの意図が読めずに警戒しているものの自身が口にした言葉を撤回する気は無いらしく、獣は真顔のまま黙ってペルチェを見据えていた。

「───────何つったテメエ」

 向き直った獣が唸るように牙を剥く。しかしペルチェは残りの発言回数を考え黙ったままで何も言わない。

「何つった、おいテメエ何つった。─────オレ様が雑魚だと?」

 真っ赤に燃えるような瞳がペルチェを睨む。ビリビリとした気迫が全身に打ち付けられるような感覚に常人であれば狂乱していてもおかしくないが、どこまで肝が据わっているのか百鬼童子の言葉にペルチェは鼻を鳴らすだけで冷や汗一つ垂らさない。

「誰に何の才能が無えのか──────」

 その様子に百鬼童子が再び激昂する。

「──────言ってみろテメエェェェェエエエエエッ!」

 赤絨毯の敷かれた廊下を力強く踏み抜き飛び掛ってくる百鬼童子に、しかしペルチェは未だ何も焦らない。

 ………時間の流れが遅く感じる。怒りも何も感じていないのに、エピネフリンが分泌されているのか視界内の全ての流れが遅く感じる。

 一歩、二歩。百鬼童子が赤絨毯を踏み抜き、ペルチェの首をへし折らんと近付いてくる。

 それでもペルチェは待ち続けた。


 殺されるその瞬間を?


 当然、否である。


 激昂し何もかもが苛立ちの要因に変わっている百鬼童子。その力任せな一撃に自らの左手を巻き込む訳にはいかないと、

「──────チッ」

 ジェヴォーダンの獣がその手を緩めるその瞬間。


 愛すべき宰相を呼び出すその瞬間を。


「───ずっと君と一緒に居たい───」


「───ずっと貴方を見ています───」


 自身を拘束する左手の力が緩む。押し付けられていた自身の服がたわむぐらいまで緩む瞬間に合わせ、ペルチェは両手を一気に持ち上げるように伸ばす。

「────ッ!?」

 筒状に握られていた手の隙間をペルチェが一気に下がって抜けていく。それを脳が認識した瞬間、全神経を左手に向けたジェヴォーダンだったが握り締めたのはただの空気だけ。

 そんなジェヴォーダンの腕ごとペルチェを殴り殺そうとしていた百鬼童子は、自身の視界にいきなり現れた小柄な少女に目を見開き────そのまま躊躇いもせず振り被った手を振るうが、ペルチェ・シェパードの法度ルールによって空間転移が如く『呼び出された』ニェーレ・シュテルン・イェーガーは、背後で万歳をするかのような体勢になっているペルチェの腹を蹴って急加速。振り被った拳が最も体重の乗る距離に至るよりも早く、右目を淡い輝きで覆ったニェーレはその拳に向かい錐揉みするように体を捻りながら大きく口を開いて噛み付いた。

「ッ!? ────ガッ」

 握った拳に熱い何かが触れたと思った瞬間、それはヒヤリとした冷たい感覚に変わり、火箸を押し付けられた時のような激痛へと変わる。百鬼童子が反射的に手を引き前進を止めれば、自身の前に居る少女は「ペッ」と唾を吐くように噛み切った自分の拳───血と唾液にまみれた人差し指と中指を床に吐き捨てる姿が見える。

 獣よりも余程獣のような攻撃手段をしてきた少女の背後、唐突に土手っ腹を蹴られたペルチェが「ウゲェー」と馬鹿みたいな呻きを上げながらゴロゴロと転がるが、しかし彼は即座に右手を服の胸元に入れ反対の左手でニェーレを指差す。

プロテクションまずは防御から

 小さな呟き。吐息にも似たペルチェの詠唱を聞いたニェーレは歯を食い縛りながら百鬼童子に猛進する。

Damnクソ it!」

 それを尻目にジェヴォーダンが吐き捨てる。

 ………ルーナティア国の王城と違い、バリアフリーならぬ『トリカフリー』の概念が何一つ浸透していないサンスベロニア城の廊下はかなり狭い。故に身動きするだけで壁や天井に体を擦っていた肉女では振り返る事すら間に合わないと、ジェヴォーダンが獣のようになった左手を振り上げるが、その手はペルチェが右手で握った自動小銃から放たれる9mm弾によってすぐに弾かれる。


 この独裁者様はやる気のようだ。

 ジェヴォーダンの獣はその一発で全てを理解した。


「──────失せろォッ!」

 その背後、百鬼童子の雄叫びと共にボグッという打撃音が聞こえてくる。百鬼童子の呻きも無い辺り、ナントカいう呼び難い名前の女は顔か腹かに鬼の拳を受けた事だろう。


 ────おい待て。


 ────Mr.モモノキの呻きも無い?


 ────おいおい、『も』って何だ。


 ────女の悲鳴は?


「─────────」

 そこまで考え至って、即座に獣は肉女の肩から飛び退る。廊下の壁に体をぶつけんばかりの力で横っ飛びに回避行動を取った。考えるよりも早く、脊髄反射的にニューロン神経細胞が全力で筋肉を動かしたジェヴォーダンの真横─────自身の頭があった辺りを、

「─────ガァァァアアアゥッ!」

 人間のものとは思えないような低い唸り声と共に、鋭い牙を剥いた狂犬が通り過ぎていく。

 何が起こっているのか脳の処理が追い付かない。百鬼童子に殴り飛ばされたはずの小娘が、殴られて吹き飛んだ先に偶然居た自分に向かって、鬼の力で殴られたにも関わらず擦り傷一つ無いまま牙を剥いて喉笛を狙って飛んできた。

 それが赤絨毯に着地するまでのんびりと目で追ってから、肉女の肩から降りたジェヴォーダンが反射的に廊下の壁を蹴って横に避けると、自分が居た場所を鉛弾が通り抜けていく。

モビリティプラス次は機動力を上げよう

 再び吐息のようにペルチェが詠唱する。

「───────魔法かッ!」

 その言葉の意味を理解したジェヴォーダンが吠えるが、ニェーレに掛けられた補助魔法は既に適応されており、

「ぉご」

 視界から消えたニェーレの靴底を腹部にめり込ませたジェヴォーダンは唾液と吐瀉物を撒き散らしながら吹き飛ぶ事しか出来なかった。

「───っぐ、うぉっ!?」

 自身の方へと蹴り飛ばされたジェヴォーダンを反射的に受け止めた百鬼童子が横滑りでもするかのように赤絨毯を擦って後退する。

「チッ」

 ジェヴォーダンが苛立たしげに口を吸って舌打ちをする。それを聞いて百鬼童子はすぐに意図を察し、まるでゴミを捨てるかのようにジェヴォーダンを横へ放れば、

「────あっぶねェッ!?」

 ブンッと蜂が通り過ぎるかのような不快な音と共に百鬼童子の耳元を鉛弾が通り過ぎる。背後でバスっという鉛が弾ける破砕音が聞こえてくれば、ペルチェの自動小銃が吐き出した銃弾が次から次へと百鬼童子目掛けて飛んでくる。

「どうしました? ペルチェ様はもう二回ほど発言回数を超過しておりますよ。あの時の貴方の口の動きでは骨を粉砕するとか何とか言ってたような気がしましたが」

 それを百鬼童子が指の爪で背後へ流せば、背後から撃たれている弾丸を全て避けながら前進してくるニェーレにジェヴォーダンが「聞こえないねッ!」と獣のような左手を振るうが、魔法によって機動力にバフを掛けられているニェーレは「都合の良い耳ですね」とそれを難無く回避する。

「まあイヌ科ですし仕方が無いか。犬は耳より鼻ですからね」

 誰にとも無く言ったニェーレが薄い胸元に手をやり、ペルチェのものと同じ自動小銃を取り出す。かと思えばニェーレはそれを真後ろに放り投げた。

 それは綺麗な放物線を描きながら肉女の腰の隣辺りを通り過ぎ────丁度弾切れを起こしたペルチェの左手にすっぽりと収まる。

 即座に右手で握っていたハンドガン───残弾切れを起こしたハンドガンをニェーレに向けて投げ付ける。

 それが直前と同じような放物線を描く裏、ペルチェが左手で握ったハンドガンのスライドを引いてセーフティを上げる。カシャッという軽い金属音と共に弾倉内の9mmパラベラム弾が薬室へと送り込まれ、再びペルチェが自動小銃を百鬼童子へ向けて撃ち始めた。

「プレゼント交換でもしている気分ですね」

 背後から投げられた残弾切れのハンドガンを後ろ手で掴んだニェーレはパスパスという安っぽく乾いた音を聞きながら、ゆらゆらと体を動かして背後から飛んでくる弾丸を綺麗に避け、そのまま何事も無いかのように残弾切れのハンドガンを薄い胸元に差し込むようにして服の内側へと仕舞い込む。

 …………まるで全て見えているかのように。

 ペルチェが何をしようとしているか、どこをどう狙っているか、銃口がどっちに向いていて弾丸がどの角度で飛んでくるか全て見えているように────と、何も知らないものなら思うかもしれない。


 見えている。

 ニェーレ・シュテルン・イェーガーには見えている。

 事が始まる遥か前から、ペルチェ・シェパードの姿が見えている。


 彼女の法度ルールは『ペルチェ・シェパードを見れる』という、ただそれだけのもの。クソ忙しい書類仕事に追われ、ここ最近何度もアダン・グラッドの元へと書類を運んでいたニェーレがサボり中のスマホ弄りのような感覚で適応していたその法度ルールを使用して、「やっぱり女性型のロボットにはおっぱいミサイルを付けるべきなのかどうか」とかいうウンコみたいな事を真面目に考える六十七歳の阿呆に適当な相槌を打ちながら、ニェーレは全て見ていた。ペルチェがジェヴォーダンに捕縛される十数分前から、ニェーレはペルチェの全てを見ていたのだ。

 法度ルールとは選ばれしものが得られる戦闘向けの能力という訳では無い。法度とは強い意志さえ持っていれば誰でも最強になれる便利な能力では無い。

 法度ルールとは適応者の我儘を叶える力。所有者が望む、本当の『一生のお願い』を世界に向けて宣言する事で、それを強制的に適応させるのが法度ルール

 戦闘に何一つ貢献出来ないそのニェーレ・シュテルン・イェーガーのその法度ルール。しかしそれは条件や状況が噛み合えば幾らでも荒事に応用する事が出来る。『ペルチェ・シェパードを見れる』という法度ルールによって彼の姿を好きな方向から見る事が出来るようになっているニェーレは、右目で真正面を捉えられない代わりに今の状況の全てを三人称視点のような感覚で見据える事が出来ている。

 ペルチェが法度ルールを適応する隙を窺っているのも、ペルチェが法度ルールを適応する為に口を動かしたのも全て見ている。彼の法度ルールが適応され一瞬だけ意識が途切れたニェーレは、それら全てがあらかじめ分かっていたからこそ彼の法度ルールによって自分が『呼び出された』その瞬間自身の法度ルールを再適応、眼前に迫っていた百鬼童子の拳に噛み付いた。


 今この状況を最も良く見て理解しているのは、右目がしっかりと前の景色を映せなくなっているはずのニェーレである。


アダプティブプラス最後は攻撃力だ

 そんなニェーレにペルチェが三つ目の補助魔法を掛けると、攻防速の全てが通常よりも高まったニェーレは廊下の狭さにまともに動けずに居た肉女の太い指先を「うンぬァッ!」と力任せに掴み、

「恐くないですよ、怖くないですよ」

「恐えよ何だありゃあ」

What the獄  hellか  よ

 身長百センチの女が四メートルか五メートルはある異形の魔法生物を投げ付けてくるその光景にに、百鬼童子とジェヴォーダンは思わず素面に戻ってしまった。

「おルルァァァァァァアアアアアアアアア─────ッ!」

 強い巻舌で吠えたニェーレが肉女を力任せに放り投げると、ジェヴォーダンは「ああクソッ!」と吐き捨てながら人間のものだった右手からもわさわさと体毛を生やし、回転しながら飛んでくる肉女を何とか受け止める。

 それに巻き込まれるようにして百鬼童子も受け止めざるを得なくなり、二人は声を揃えて「「ぐっ、重ッ!?」」と呻いた。

 それとほぼ同時に、二人の背後にあったエレベーターがチーンという場違いなベルを鳴らす。

 何とかして肉女との激突を凌いだ二人が間抜けな音に背後を見れば、


「はいどーもー、エレベーターおじさんのアダンでーす」


「えっ、えっ? ……え、え? は、は、は、博士? え? な、何、え、で、で、でっかいおっぱい? だ、誰、え、何、ど、どういう───」


 サンスベロニア一の変態と名高いアダン・グラッドの声で喋る純血の花々フラワー・メイデンズの一枠、下半身が蜘蛛のような多脚になっているつばきCamelliaと、その隣でひたすらにオロオロするルーニャレット・ルーナロッカがエレベーターカーゴの扉から現れた。

 そんな姿を見たジェヴォーダンは、ここに来て全てを察した。


 ────まさか全部読まれていた?


「───────────」

 ジェヴォーダンの獣が体をひねる。頭の中はほぼ空っぽだった。脊髄反射を追い越す程の速度で体を動かしたジェヴォーダンの脳内には、ただ一つの目的のみしか浮かんでいなかった。

 言わせてはならない。

 この女に宣言させてはならない。

 この女への対策はまだ恐怖が足りていない。今からこの女を怯えさせて恐怖を溜め込ませるのではどう考えても間に合わない。骨男への切り替わりで意識を殺すのでは間に合わない。


 今ここで自分が殺さなければ負ける。


 しかしジェヴォーダンの獣がルーニャレットに食らい付くよりも早く、


「ルーニャのおっぱいぼろーん」


 アダンの声で喋るつばきCamelliaが乱雑にルーニャレットの服をビリリと破り捨てる。

 それを受け、顔を真っ赤にするよりも圧倒的に早く、ルーニャレットは反射的に叫んでしまった。


「───見ないでェッ!───」


 そして現れる多腕の黒い聖母ブラック・マリア

 何が起こったのか分からぬまま床に額を叩き付ける百鬼童子の隣で、全く同じような体勢をしたジェヴォーダンの獣は作戦の失敗に力強く歯噛みしていた。

「────ガッ、いっえッ!? あれオレ見てないぞッ!? おいルーニャレット女史何でだオレ見てねえぞッ!?」

 そんなジェヴォーダンを他所に、アダンの声をしたつばきCamelliaが無表情のままでルーニャレットの方を見れば、ルーニャレットの背後に現れた黒い聖母ブラック・マリアがエレベーターカーゴの天板に頭部をめり込ませながらも四本の腕でしゃがみ込んだルーニャレットを包み込むように隠す。

「見てるでしょうアダン。つばきCamellia越しにがっつり見ているでしょうこのスケベ親父が」

「クソがカメラ越しならイケると思ったのにチクショウッ!」

 無表情のまま微動だにしないつばきCamelliaの頭部から「あぁんルーニャの恥じらいおっぱい見たかったァッ!」という悔しげなアダンの声が響き渡り、ニェーレが溜息混じりで「歳を考えなさい歳を。そろそろ枯れろお前」と御歳六十七歳に向けて吐き捨てる。

「─────────Putain de Merde」

 ジェヴォーダンが小さく呟く。フランス語で最も品の無い言葉を反吐を吐くかのように呟いたジェヴォーダンに、微笑みをたたえたペルチェ・シェパードが小さな声で「Here is the thing....Read like a book. They actually nailed it」と答えるが、しかしその言葉はジェヴォーダンの獣には届かず………彼は赤絨毯に叩き付けられた額を擦りながら自身のすぐ隣に居るだろう百鬼童子の体を力任せに掴む。

「Ahhhh! Fuckkkk!」

 反対の手で肉女の指を握り締め、前を向けないながらも闇雲に廊下の壁を蹴破ったジェヴォーダンはそのまま両足に全力で力を込めて場外に飛び出した。余りに力を入れて駆け出したせいか握っていた肉女の指からごきゅっという関節の外れる音が聞こえたが、今のジェヴォーダンには『生き残る事』しか頭に無く、肉女の脱臼如きでその足を止める事は無かった。

「────ッ!? 逃しませんッ!」

 その動きはまるで猫のようだった。視界の隅で素早く動く何かを見付けた時の猫のように、反射的にジェヴォーダンを追い掛けようとしたニェーレにペルチェが「追うなっ!」と静止を掛ける。

「───────」

 それは条件反射、パブロフの犬。猫のように獲物を追い掛けようとしていたニェーレ忠犬は主人の言葉にビタリと全身の動きを止める。走り掛けの状態でいきなり全身を硬直させたニェーレが思い出したように「わ、っとと」だなんて体をよろけさせれば、アダンの声をしたつばきCamelliaが「良いのか?」と問うてくる。

「後々の事を考えりゃあ、今アイツらを殺らねえ理由なんざ無えだろうによ。三度目の正直っつってアイツらがリベンジマッチに来てもオレは手伝わねえぞ?」

 幾らかの呆れを含んだ声色で言うアダンに「狙いは魔力導炉だと言っていたからな、三度目の正直とかたるなら魔力導炉の管理者には当然三度目も出張って貰う。少なくとも給与分はな」とペルチェが微笑む。

「良いのかよ、何人死ぬか分かんねーぜ?」

「城内の兵士が何人死のうと構わん。彼らは皆死ぬ覚悟を持って銃刃を持ち、それに見合う対価を得ているんだ。…………だが城外で獣と鬼と化物を相手取れば数え切れぬ程の民が死ぬ。民に死ぬ覚悟なんて無い。周囲を顧みない人外三匹との乱戦に覚悟の無いものを巻き込む訳にはいかないだろう」

「民無くして国は成らずってか? 国無くして民は寄らずとも聞いたがよ」

「鶏と卵では卵が先だと結論が出ているが、民が先か国が先かに関しては結論が出ていない………が、俺は民が先だと思っている。民が死ねば兵が足りず、兵が居なければ国が守れず、国が守れなければ全てが成り立たないからな」

 ペルチェの言葉に「ハッ」と鼻で笑うアダン。

「ベースになる鉄さえ採れれば何発撃ってぶっ壊れても構わねえってか。随分と薄情なもんだな、テメエが造ったもんにはテメエが誰より愛を込めろよ。温和だったペル坊はどこに行っちまったんだか」

 それを受けたペルチェもまた、アダンと同じように「ハッ」と鼻で笑い「本当に歳だなアダン、目も耳も口すら悪くなっている」と皮肉を込めた流し目をつばきCamelliaに送った。

「帝王学の書物には「民の事すら考えるな」と読み取れる記述が数多あった。それを考えれば、俺は独裁者としては未だ洟垂はなたれも良い所だ。故に貴様の不遜で不敬な物言いに関しては、歳で目と耳が弱ったものの戯言だと見逃し聞き逃してしまおうか」

 込めた皮肉は自分に向けたもの。まだまだ至らぬ点が多い自分に対しての皮肉であり、叱咤であり、激励である。

 若いからというのは確かにある。まだ二十になったばかりの王なのだから、至らぬ点ばかりなの当然である。誰にもそれを責めるような権利は無い。

 ただ一人、自分自身を除いては。

「異世界の国王曰く。人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり、だそうだ」

 人心厚く歴史に名を残した国主の言葉。差し当たっての一戦に勝つ事しか考えず、民の明日を考えなかった国主と違い、国を多く取り後の勝ちを大切にするべきであると兵法に記した国主の言葉。

「俺はまだまだ甘ちゃんだからな、こういう言葉に惹かれるんだ」

 それを聞いたアダンは「なるほどね」と鼻を鳴らす。

「とりあえず韻踏んどきゃ何でもカッケェみてえなガキな訳だ」

「悪いか? こういうの好きなんだ」

「構わねえ、オレも好きだからな。ガキのお守りは大人の仕事だ。ラップとヒップホップを混同するようなガキに子守りのバイトなんざやらせたくねえ、何が起こるか分かったもんじゃ無えからな」

 ペルチェの言葉に満足気に返したアダンに合わせ、つばきCamelliaがエレベーターのボタンを順番に押し始める。やがて閉まる扉に合わせ「それでは下に参りまーす。エレベーターおじさんのアダンでしたー」と上に向かって声が遠ざかっていった。

「……………………………………さて、ではペルチェ様」

 そして訪れる静寂。吹き飛ばされ青空が見えるようになった廊下の穴を背にニェーレが向き直れば、

「はい」

 サンスベロニア帝国現総帥であるペルチェ・シェパードは何も言い訳せず、素直にその場で正座した。

 もう分かっていたから。この後どうなるか、何をされるかなんてもう分かっていたから。抵抗も言い訳も、弁解すら聞き入れて貰えない事が分かっていたペルチェは諦めてそれを受け入れるしか無かった。


「だからっ、言ったでっ、しょうがっ! 護衛をっ、嫌がるなって、私はっ、言ってたでっ、しょうがっ!」


 デュッシ、デュッシとニェーレが正座をした大総帥閣下の額にチョップを繰り返す。振り下ろされる度に目を瞑り、中々の痛みが頭部に響き……おずおずと瞳を開くが、その時点でもう既に構えられている小さな手に再び瞳を閉じ「ごめんなさい」と平に謝る。

「あんなにっ、危ない、目に遭ってっ! 私がっ、居なかったらっ、どうなってたかっ、全くっ、このポンコツっ!」

「ニェーレそれは不け────」

「このポンコツぅッ!」

 ドゥッシと一際強いチョップが額に当たる。かなり重い一撃に脳が揺れ、自分についての物言いに対する指摘を中断してしまったペルチェに、ニェーレはチョップをやめて優しく抱き着いた。

「………………………ニェーレ」

 自身の頭を抱き寄せる自らの想い人に、自分がした事の重さを思い知らされる。

「危ない事はお控え下さいませ。私は貴方の前に立つ事も後ろに立つ事も、まして後なんて追いとう御座いませぬ。私は貴方の隣に立ちたいのです。どうかもっと、御身を大事になさって下さいませ」

 自身の後頭部を優しく撫でながら言う想い人に、ペルチェは素直に「済まなかった」と謝った。しかしニェーレは「信じられませんよ、そんなお言葉」と優しげに否定する。

「どうせ似たような状況になれば、また似たように自分の命を賭けちゃうんですから。知ってますよ私は。ずっと見ておりますもの」

「その時はまた、今回みたいに手を貸してくれ。いつでも手を貸せるよう、いつでも側に居てくれ」

 それは二人の想いの宣言。生涯変わらぬ程に強い想いで互いを思い合うその宣言に、ニェーレは「ちゅーしてくれたら考えますよ」と彼の顔を真正面から見詰める。

「噛むなよ。俺は優しいキスが好きなんだ」

「保証は致しかねます」

「保証しろよ、今そういう雰囲気じゃ─────んむ」

 愛おしげに口付けをするニェーレとペルチェ。

 運が良かったのか、それとも他に何か理由があるのか。

 この日のペルチェはニェーレに唇を噛まれずに済んだ。



 ───────



「Yo men, Yo men, Yo men, Yo men,」

「……いで……いで……いで……いで……」

 その性質とは裏腹に慈母のように穏やかな表情をする肉女に見守られながら、正座をした百鬼童子がジェヴォーダンの獣からデュッシデュッシと額にチョップをされているとかいう光景は、傍から見ればひたすら度し難い光景かもしれないが、河川敷のようになった水際。つるりと丸くすり減った石に脛がめり込む痛みを感じながらも、しかし百鬼童子は何一つ抵抗せずひたすらチョップを受け続けていた。

「Aye yo, Aye yo, Aye yo, Aye yo,」

「……いだ……痛い……痛え……ぁだ……」

 何せどう考えても自分が悪い。あの場で帝国の王様がするクソ安い挑発に乗らなければ、恐らくあそこまでの苦戦はしなかった。

 サンスベロニア帝国の地上階から最下層である地下三階までの距離は極めて長い。十分や二十分といった分刻みの時間では無く、一時間や二時間といった単位での無駄過ぎる時をカーゴ内で過ごす必要がる。

 にも関わらずほぼどんぴしゃりなタイミングでエレベーターが上昇、最下層に配備されている人型無人兵器が住み込み状態の人間を連れて現れたという事は、数時間前の時点で上昇を始めていたという事になる。

 それは人外三人組がサンスベロニア帝国内に入った時点で既にバレていたか、或いは緊急用でカーゴが急速上昇したか………しかしそれは恐らく可能性的には低い。過去にジェヴォーダンの獣がニェーレの影に入り込んだ際には、何時間かという退屈な時間を彼女は黙って過ごしていた。あの女は宰相の身、本来であれば仕事に追われている身なのだから削れる時間は少しでも削りたいはずだ。

 仮に全てが見透かされていたとして、それでも百鬼童子があの時ペルチェの単純な挑発に乗らなければ少なくともニェーレが戦闘に参加する事は無く、またペルチェはそのまま人質として機能していた。その後ニェーレが駆け付けたとしてペルチェをチラ付かせれば無抵抗所か裸で踊らせる事だって容易く出来たろうし、エレベーターから上がってきた人型機械とルーニャレットもこちらに対して手をこまねいてしまっただろう。そうこうしている内に一般人同様の価値観であるルーニャレットが肉女の恐怖値を急激に増加させ、骨男へと切り替われば恐怖を与えていたルーニャレットは自身が感じていた恐怖を一身に受けて失神または心臓発作。

 そう、百鬼童子が安っぽい挑発に乗らなければ、少なくとも失敗する事だけは無かったのだ。

「良し決めたぞMr.モモノキまずは君のその角をへし折って僕のペニスケースに加工しよう二本目は予備だ戸棚の奥に仕舞っておこう。その次は君の自慢の二対の牙を引っこ抜いて僕の乳首カバーとして加工するんだ余った二つは予備として机の引き出しに仕舞っておこう。そして最後は君の両手を切り落として手袋みたいに加工しようか僕は基本的に左手を獣化させるから普段使いするのは右手だけ、余った左手の生革はポケットに仕舞ったまま洗濯機にぶち込みガラゴロ鳴らして腐らせてくれよう異論はあるかい?」

 今まで見た事も無いような、まさしく営業スマイルでまくし立てるジェヴォーダンに「わ、悪かったよ……」と百鬼童子は素直に謝罪する。その姿を見たジェヴォーダンは大きく溜息を漏らし「まあ良いといえば良いんだが最近妙に負け癖が付き始めているのは宜しく無いな」と呆れたように呟き、二人を眺めていた肉女の元へと歩いていく。

 腰から下が存在しない全裸の巨人。まるで足のように使っているその手の片方、少しだけ腫れた指を手で撫で「済まなかった肉女、咄嗟の事とはいえ痛かったろう」と慈母のような表情で微笑む長髪の女を見上げれば、肉女は相変わらず「恐くないですよ、怖くないですよ」と壊れた機械のようにそれを繰り返す。

「マジで何言ってるか全く分からないがそれまで黙っていたのに僕に言われて喋り出したという事はやはりある程度の意思疎通は出来るんだな何だか俄然愛着が湧いてきた良く見ると超美人さんだしな、飴ちゃんをあげる気になる予定だったが変更しよう今度リップかグロスを買ってあげようお化粧でもしてもっとお美人さんになると良い。しかし惜しいな僕の股間にジョイスティックがあれば肉欲の発散にだけは困らない素敵な旅が出来たかもしれないが逆向きに考えるなら僕の股間にジョイスティックが無い事で肉女は慰みものにされずに済んでいるとも言えるなイェア肉女君はどっちの方が良かったんだろうね」

「恐くないですよ、怖くないですよ」

「なるほど分からんもう駄目だ。おい何だこのポンコツパーティはこれが勇者サマと愉快な仲間たちとか笑わせてくれるじゃないか、ええ? そうは思わないかポンコツ代表Mr.モモノキ何か言わないと乳首抓るぞ貴様」

「オレ様の乳首って……………………お前オレ様の事狙ってんのか? ヤりてえのか? しょうがねえ奴だな……」

「Fuck you bicth! いや違うなもうお前アレだFuck youじゃなくてFuck offだこのクソが! これはあれか? 酒場か? ルイ◯ダ的な感じの酒場にでも行けばこの無能をパーティから外せるのか? 完全固定メンツの冒険の旅とか僕は死んでも御免だぞ特に主人公を外せないRPGはマジで嫌いなんだ! 何せその手のRPGは経験上大体バランス調整がヘタクソ過ぎて「主人公強過ぎ」か「主人公弱過ぎ」のどっちかなんだよその癖主人公はストーリークリアするまでパーティから外せないんだ、馬鹿か貴様はこっちは敵の強さで苦戦したいんだよ味方の弱さで苦戦するのは面白さに寄与していないただストレスが溜まるだけだ! 主人公強過ぎもそれはそれで心底詰まらん僕はその手の作品に対してどうしても製作者のオ◯ニー感が透けてしまつて「あーこの製作者こんな主人公みたいな人生送りたかったんだろうなー自己投影やめろイカ臭えぞお前」とか思ってしまうタイプのひねくれ屋さんなんだへいらっしゃい毎度ありぃ!」

「何をムラムラしてんだか知らねえがヤりてえならそう言えよ。詫びがてら一発ヤるぐらいオレ様は構わねえぞ?」

Fuck'nビチグソ pervert変態野郎が! お前そんなキャラだったのか聞いてないし聞きたくないぞ勘弁してくれ! ああクソ冷静に思い返せば他の勇者連中も大体とんでも無い連中ばかりだった気がするこれはアレかもしかしなくとも愚者もこんなのばっかりだなんて言わないだろうな勘弁しろよ!」

「恐くないですよ、怖くないですよ」

「じゃかあし肉女お前はそれしか言えないのか! Jésusそれしか言えないんだろうなクソッ!」


 人間に人間の都合があるように、獣には獣の都合が存在する。

 どちらが譲るかどちらも譲らず噛み合うかはさておくとして、獣は獣で苦労している事を忘れてはならない。

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