6章

6-1話【踊る阿呆と見下ろす阿呆】



 気分は殻に閉じ篭った巻き貝だった。のんびりもたくたと足を動かし歩き回り、ゆっくり平和に藻だの苔だのヌメりだのを食いながら生きていたい巻き貝の気分だった。

 けれど僕は毒を持っていなかった。僕という貝が食べるのは他者が必要としないものばかりが中心だったし、間違ってもプランクトンなんて食べないからテトロドトキシンフグ毒を蓄える事は到底出来やしなかったんだ。

 毒の代わりとして紫の色素ぐらい持っておけば良かったと思う反面、仮に持っていた所でイボニシやレイシのように人間ヒトを楽しませるだけに終わってしまうのではとも思う。

 人間は全てを破壊する。他に幾らでも食べるものがあるというのに、ただ平和に生きているだけのを食い殺す為、わざわざ僕らの平和を壊しにやってくる。

 堅牢な殻を持っていても変わらない。分厚い貝蓋も強い力も関係無い。ナミノコのように流されるまま生きていたって、僕らはどこかで必ず食い殺される。

 人間が存在する限り、僕らに安寧の時は訪れない。

 だって僕らは、そういう風に運命付けられてしまっているのだから。

「………チッ! クソがよォ………。────揺れるわよタクトォッ! 歯ァ食い縛っとけェッ!」

 ガラスが割れる音が聞こえる。何かを思い出しかねない嫌な音が僕の耳を貫くのと同時、ジズが追い込み中のヤクザのような蹴り方で部屋の扉を蹴破り───、


「───もっと素敵な私になりたい───」


 自らの本心を世界に向けて宣言、自身の法度ルールを適応した。

 先端が三叉に分かれた特徴的な尻尾でガッシリと掴まれた僕がちらりと目を向ければ、ジズは自身の法度ルールで両足を動物のような脚部に作り替え・・・・て即座に疾走。鋭い獣の爪が荘厳な絨毯を引き裂く事も厭わず、一心不乱に長い廊下を駆け抜けていく。

「あれを相手に閉所は不利ですッ! 時間は稼ぎます故にッ、予定通り中庭辺りに向かってくださいましッ!」

 そしてジズの進行方向とは逆、遥か後方からトリカトリ・アラムの雄叫びのような声が聞こえる。がくがくと揺れる視界に酔わないようそちらを見れば、身長三メートルを超える我らが愛すべきクソデカ不器用メイドことトリカトリの雄々しき背中が見えた。

 途端、


「─────退け退け退けェェァハハハハハハハハハッ! 退かねば老いるぞ退いても老いるぞォッ! 老いに追われて仲間ともを置いて死ぬ下等生物が、このわしの前に立ち塞がるとは─────楽しませよるのうッ! わはははははッ!」


 逆向きに折れ曲がった首を振り子のようにぐるんぐるんと揺らした首折れ様が廊下の角から現れた。

 かなりの距離があるにも関わらずゼロ距離に居るかのようにはっきりと目に映るその顔は普段のお茶目に歪む糸目を完全に開き切り、闇より昏い瞳で僕をめ付ける。

 ………ルーナティア城はトリカトリ・アラムというクソデカ従業員の存在からバリアフリーならぬ『トリカフリー』の概念が強く浸透している為、高々廊下如きであっても天井はかなり高く作られているし、ちょっとした物置き部屋でもトリカトリが入れず困らないよう扉はとても大きいものを使用している。

 けれどそんなルーナティア城の廊下が完全に埋まる程の大きさになった首折れ様の体には、なけなし程度に首様だったという事が分かる純白の死に装束が背中の辺りに掛けられていて、

「生憎トリカは長生きな種族ですからねっ! 人間に置いていかれる貴女と同じ存在なのですよっ! ────神とかイキって…………お高く留まってんじゃねェぞォ──ッ!」

 壁も、調度品も、床板ですら関係無い。ありとあらゆるを破壊して進む四本の仄暗い手足に、しかし怯え一つ見せないトリカトリが気高く吼えると、見詰めているだけで背筋が震える首折れ様の顔面に向かって拳を振るった。

 両手足を使ってバタバタと鳴らしながら猛進する首折れ様が、逆さまにしたメトロノームのように揺れる頭部をクッと反らす。途端、その付け根から五本目の腕が飛び出し───、

「うおわっ!?」

 僕の体ががくんと振れ、トリカトリと首折れ様の姿が視界から消えてしまった。

「歯ァ食い縛ってろっつったろォッ! 舌噛むと痛ェぞォッ!?」

 飛んでくるジズの怒号に慌てて歯を食い縛り、その状態のままで「しゅみゃんッ!」と謝罪。

 …………トリカトリは以前に首折れ様と戦闘し、聞けばほぼワンパンで負けているらしい。まあ心も体もあの時とは違うだろうし、リベンジマッチとなれば燃えるはず。首折れ様の戦闘方法もある程度は把握しているだろうし、仮に勝てずとも惨敗するような事は無いだろう。

「中庭……っ! 中庭……っ! ………あァッ!? 中庭どっちだっけェ……ッ!」

 僕がそんな事は考えていると、自身の両足を動物のように作り替えたジズが切羽詰まった様子で焦り出す。

 ………ジズも以前に首折れ様と戦闘し、敢え無く敗北している。トリカトリと違ってワンパンでは無くかなり良い勝負をしていたように見えたが、あの時の首折れ様はかなりお遊び・・・寄りだったようで、確か「もう飽いた」の一言でジズを捕縛。即座に戦闘不能へと持ち込んでいた。

 それに聞く所によれば、僕が以前ペール博士に連れられてサンスベロニア帝国に行っていた間、唐突にやって来た勇者との戦闘で首様は首折れ様にならず相手の頭部を一瞬で引き千切って殺していたという。

「ジズそっちじゃないっ! さっきのっ! 一個前の角を曲がらないとっ! そっちは研究室の方だペール博士が居るっ!」

 相手の首をぶっ千切った瞬間を目の当たりにしていた訳では無いとは言うが、それでも首様という存在の理不尽かつ異次元レベルの実力差を目の当たりにさせられた事が少なからず響いているのか。焦りに道を間違えたジズは「───ッ! クソがァッ!」と吐き捨てて獣の足で踏みとどまり僕が言った曲がり角へ────、

「わははははははははははッ! どこへ行こうというのかねぇっ! 小坊こぼんと小鬼の二匹の餓鬼をわしが逃がす訳が無かろうがぁっ!」

「───ッ!? ……チッ、あのポンコツメイドが………しくじりやがってェッ!」

 僕とジズが最初に曲がった角からドリフト気味に首折れ様が姿を現す。傷を負っている様子は見受けられず、またトリカトリと戦闘が始まってから時間が全く経っていない事から疲労の様子も見えない。

 トリカトリ・アラムは決して弱く無いのだ。理性がすぐに欠落する狂戦士バーサーカーだという点から大して強く無さそうな印象を受けるが、トリカトリは動体視力に長けるし、ブチ切れて周りと連携が取れなくなっても優れた直感によって攻め時引き際を瞬時に見極める。

 しかしそれでも、その上で、相手が悪過ぎるのだろう。理不尽な腕力と巨体らしからぬ高機動で蜘蛛のように動き回る首折れ様が相手となれば、少なくともタイマンではまともな勝負にすらならないはずだ。

「別に悪く無かったがのうっ! 別に悪くは無かったが良くもないっ! 期待外れでは無いが期待以上の結果は出せなんだなぁっ! あの程度では止まらんぞぉおおっ! ふぅーははははっ!」

 ジズの尻尾に掴まれがくんがくんと揺れる視界の先、首折れ様が折れた首を不気味に揺らしながらご機嫌に高笑いする。

 ……トリカトリ・アラムはタンクファイター寄りの戦闘スタイルをしている。身長三メートルは伊達では無く、人外の筋力と筋肉の分厚さでナイフや9mm弾程度を手足に受けたぐらいなら歩みを止める事すらしない。そのまま着実に確実に前進し、相手を掴んで振り回しミンチにするのがトリカトリの基本スタイル………格闘ゲームに例えるなら投げキャラだろうか。

 そして通常時の時点で既に洒落にならない筋力は、戦闘開始すぐにキレて倍以上の力へと変わるのだ。相手の手足を掴めば即座に握り潰し、振り回している内に千切れ飛ぶ事もザラにあるんだから、弱いはずが無い。

 だけどそのトリカトリを相手に、首折れ様は「あの程度」と高笑いしているのだから最早この祟り神は意味が分からない。

「ちったァ時間稼げってんだクソトリカァッ!」

「ジズ叫ぶなっ! 心拍数が乱れて息が早く切れるッ!」

「……………クッソがよォっ!」

 ルーナティア城はしっかりとした城なので、日本人の感覚からすると異様なまでに広く感じる。方向的にはこのまま行けばペール博士の研究室を兼ねた医務室だが、そこまでの道中は幾ら獣の足で疾走したとしてもそこそこ掛かってしまうだろう。

 指示厨よろしく後ろから野次を飛ばすだけの僕は、しかしせめてジズより冷静に状況を見て、ジズが焦りに飲まれないよう何とかしてやらねばとジズの代わりに首折れ様の動向を見る。

「…………カオ◯シかよ」

 仄暗い手足をバタバタと鳴らし、ぐるんぐるんと大きく揺れ動くその姿。どこか既視感を覚えるその姿は某千と千◯に出て来たカオ◯シに良く似ている。僕の呟きを聞き取った首折れ様も何となく自覚があるのか「わははっ! ちんを出せっ! 小坊よ約束のちんを出せってなぁっ!」と少しだけ悪ノリを始める。

 ………あの状態の首折れ様を相手に服なんざ脱ごうものなら、僕の股間のカリバーンがどうなるか分かったものでは無い。きっと刃こぼれでは済まないはずだ。

「ほれほれ急げえ追い付くぞぉっ!」

 グン、グンと特定のタイミングで加速を繰り返す首折れ様に迫られ………………僕は何か違和感を覚えた。

 ……この人はどういうタイミングで、どういう条件で加速しているのか。八一マスの将棋盤に潜る人のようなイメージで思考をクリアにさせ、僕はすぐに気が付いた。

 首折れ様は走っていない。前方から飛び出す仄暗い二本の腕は殆ど床に触れておらず、その腕は特定のタイミングで配置されている窓ガラスをブチ割り、窓枠に引っ掛けた手を一気に引き体を持ち上げるような感覚で急加速を繰り返している。だとすると後方にある二本の足はそれで得た加速を殺さぬように床を蹴り続けているのだろう。

 対して、ジズは獣の足で走るだけ。普段のジズなら特徴的な尻尾を振って加速に役立てていただろうが、今回は僕という重荷まで持っている。

「───駄目だジズぅッ! このままじゃ追い付かれるッ! ──────飛び出せェッ!」

「─────ッ!? ……………ッうらァッ!」

 即座に地面を蹴って真横へと跳躍、拳で窓ガラスを叩き割りながら飛び出すジズに引っ張られるように僕も陽の光の元へと躍り出た。割れたガラスの破片や折れた窓枠で体を引っ掛けたような気がするが、戦闘高揚で脳内麻薬が出ているのか不思議と痛みは殆ど無い。

 飛び出した場所は屋外でこそあるものの中庭と呼ぶには程遠い。街路樹を一本植えたら即座に通れなくなるような小さな路地裏のような場所で、ジズは即座に獣の両足を作り替える。

「……くっ、ふっ、くぬ……っ!」

 作り替えたのは両腕。いつだか見た事のある熊のように毛深く大きな獣の腕になったジズが城の壁にその太く鋭い爪を食い込ませ、ぐんぐんと登り出す。

「………ほう? そっちへ行くか。正面衝突でもする気か?」

 僕の下からホラーゲームの敵キャラみたいな表情をした首折れ様が顔を覗かせる。僕らが居るのは廊下と廊下の間の隙間、首折れ様では体格的にどうやっても入り込めない。もし入り込むとすれば現在首折れ様が居る廊下を完全にぶち壊すしか無いが、幾ら暴走している首折れ様といえどそこまでする事は無いはずだ。

 何せそこまでしてしまえばただでは済まない。派手に暴れ過ぎては魔王さんの目線が必ず向き、場合によっては愚者として扱われなくなりルーナティア国からの庇護を得られなくなってしまう。

「………エェェ〜レロレロレロレロレロ」

 となれば気分はト◯とジ◯リー。ジズの尻尾に連れられてどんどん高度を増していく僕は小さくなる首折れ様に向かって舌を出して超おどける。開いた両手の親指を鼻の穴に当て、ウーパールーパーのエラみたいにしながら高音で煽り散らす。『いつものメンツ』なら口汚くも小洒落た悪態で煽るだろうが、あいつら程ボキャブラリが豊かでは無い僕はこういう事ぐらいしか出来ないのだ。

「…………………………良い度胸じゃ、買ってやろう」

「ハァ───────────ッ!?」

 三日月よりも細く鋭い首折れ様の口角が更に鋭利に歪む。

 後悔した。調子乗った。お前はそうだ、お前はいつだってそうだ、誰もお前を愛さない。

 メキメキと窓枠を破壊しルーナティア城を破壊し始めた首折れ様を目の当たりに、僕は再びト◯とジ◯リーの如く声にならない悲鳴を上げて背筋を震わせた。



 ───────



 いつもの中庭の、いつもの東屋あずまやに、いつもは居ないものが二人居た。

「……………………………………帰りたいのですよ。チルめっちゃ眠いですよ」

 一人はチルティ・ザ・ドッグ。ただその辺をお散歩していた所を首様に見付かり「わしに従えば衣食住を約束してやろう」という雑過ぎる契約に同意、神の使徒として不老不死を得る代わりにパシリ同然となった野犬。

 犬のままでは余りにも不便であるからと人の姿を与えられ、全裸で彷徨うろつくなと怒られた結果、中身は本当にただの犬なのに和服の着付けを覚えさせられた苦労人ならぬ苦労犬。ストレスで尻尾に円形脱毛が出来るぐらい厳しく教え込まれた甲斐あってか今では自分一人で和服を着れるまでになったが、それでも首様の事は嫌っておらず、首様が気紛れで「たまにはわしが着せてやろう」とチルティの着付けを手伝った際には、その日一日中はご機嫌になるぐらい首様の事を慕っている犬の女の子。


「オレ様も眠いが、お互い首のおばあには借りがある。放っぽってトンズラぶっこく訳にはいかねえだろ」


 そしてその隣、ルーナティアに呼び出された愚者きっての好き勝手人である百鬼童子もものきどうじが腰に手をやり仁王立ちしていた。

 ………彼は愚者として呼び出されたもののルーナティア国の命令を一切聞き入れず、また他の誰とも組もうとしない小柄な鬼の青年。

 生前から好き勝手に生きていた百鬼童子は酒呑童子の如く酒に釣られ、人に討伐され生涯を終え、またその名は酒呑童子に埋もれ、歴史に遺るような事すら無かった。それ故にそもそもの人間を嫌い、孤独な一匹狼の如くルーナティア領内を勝手気ままに放浪するだけの余生を送っていた所を、再び酒に釣られて首様と組むようになっている。

「ももちゃんは良いのですよ、だって負けても特に何もないのですよ。でもチル負けたら首様に超怒られるですよ」

 そんな百鬼童子にチルティが嘆息する。特徴的な二丁のマスケット型魔法銃をへろへろと揺らしながら「……はあ、帰りたいのですよ」とやる気の無いチルティに百鬼童子が「あぁん?」と唸る。

「何言ってんだチル、オレ様だって下手な負け方すりゃあ首のおばあに酒奢って貰えなくなるんだ。むしろチルより後が無え」

「ももちゃんは首様に怒られた事が無いからそう言えるですよ」

「確かにオレ様は首のおばあに怒られた事は無えな。………どんなんだ? やっぱり逆さ吊りとかされんのか? 尻百叩きとかか?」


「ねちねちお説教言われながらずっとお股ねちねちされるですよ。チルがお漏らししてもやめてくれないのですよ」


「………………は?」

「チルあれ嫌なのですよ。体勝手に動いちゃうですし、変な声出るですよ。それが首様の満足するまで………おお、言ってる途中で背筋震えたですよ。ファッキンジーザスクライストなのですよ」

 唐突な性的虐待の暴露に言葉を失った百鬼童子が「あー……」と唸るが、チルティは「それと比べればももちゃんはお気楽なのですよ」とゆるゆるかぶりを振る。

「だってももちゃん強いですよ。もし負けたとしてもももちゃんならボロ負けは無いですよ。だったら首様は許してくれるですよ」

「あー、まあ………そうだろうな」

「でもチル別に強くないですよ。その癖ニンゲンたちめっちゃ強いですよ。………もう始まる前から嫌気が差すですよ」

 へにょりと顔をくたびれさせるチルティに、百鬼童子は掛ける言葉が浮かばなかった。

 ………チルティ・ザ・ドッグは元々本当にただの犬である。神の使徒になった事で擬似的な不老不死を得ているし、それに伴った身体能力の向上などの恩恵もある。

 しかしチルティはそもそもの戦闘センスが野犬止まりである。身の丈に合わない大金を得た人間が増長するように、ルシファーが増長し傲慢Prideに溺れたように、チルティもまた犬の身に合わぬ使徒の力を扱い切れていないのだ。

 それ故、過去には武器有りでも橘光に翻弄されているし、武器無しではトリカトリ・アラムに文字通り殺されている。

 確かに死んでも即座に黄泉帰る。首様が存在している限り、その契約を取り消さない限りチルティは死んでもすぐに黄泉帰る。

 けれど黄泉帰りに無茶を言わせたゾンビ戦法が通用するのはゲームの世界のみ。死ぬ度に死ぬ痛みと恐怖を味わえば心も体も摩耗するし、仮にチルティが幾度と無く黄泉帰ったとしても相手はいずれ、チルティの動きや黄泉帰るタイミングを完璧に把握し始めてしまう。いわゆるゾンビ戦法が通用するのはプリセットされた行動パターンしか選べないNPCが相手の時だけなのだ。

 あーやだやだという言葉が聞こえてきそうな程の大きな溜息を漏らすチルティに「まあでもよ」と百鬼童子が口を開く。

「今回はオレ様も居るんだ。複数人が居る状態でわざわざ個別で分けて戦うなんて阿呆を晒す必要は無え。チルが弱かろうがオレ様が強えんだから、お前はオレ様の援護に回ってくれや」

 百鬼童子がニッと笑えば、特徴的な鋭い二本の犬歯が白く輝く。「でも前みてえに誤射すんのだけは勘弁な」と付け加えた百鬼童子の言葉に「知らないですよ。射線上に入るなってチル言ったはずなのですよ」と仏頂面のまま変わらない。

 それを見て「心配要らねえって、どうにでもならぁ」と言う百鬼童子に「チル知ってるですよ、こういうのフラグって言うですよ」と溜息混じり。

「つってもよぉ………………相手は人間だろ? 夜討やうちち朝駆けでも無えただの正面突破で、このオレ様が負ける理由が無えよ」

「うわ出たですよ、慢心して満身創痍の負けピーポーPeople。こういうの捨て役とか噛ませ犬って言うんじゃよーってチル首様に教えて貰ったですよ」

「………相変わらずチルは好き放題言うじゃねえか」

「とするとももちゃんは今回の騒ぎで雑に死ぬですよ。でも大丈夫ですよ、チルは死んでも生き返るですから、ももちゃんのお墓はチルがちゃんと建ててあげるですよ。お家の事で忙しい合間を縫ってくれるチルに感謝するですよ」

「…………チルがどんだけオレ様の事ナメてんのかが良く分かるわな。泣けるぜ」

 別ベクトルでデコボコな犬と鬼のコンビ。ふんすふんすとドヤ顔をするチルティに、百鬼童子は大きな溜息を吐く事しか出来なかった。



 ───────



「何ぞ知らん顔がるやん」

 長ドスを肩に担いだ橘光がそう言うと「知らない人だあ。角生えてるしそもそも人なのかも怪しいなあ」とルカ=ポルカが脳天気に間延びした甘ったるい声色で同意する。

「チルティくんが居るのは予測していたけれど………まあ首様の交友関係はかなり広いから仕方が無いか」

「というかぼくらが他と関わり持たなさ過ぎるだけな気がするなあ。せっかくの異世界転生なのにさあ、何するって基本みんなでお喋りだもんねえ」

「くだらん人間関係なんざ前世で飽き飽きしとるわ、何で二度目の人生でまで痴情のもつれぇ増やさなかんねん。………ま、念の為っちゅーて二枠用意しとって良かったな」

 中庭の東屋に現れた三人が口々に呟くと、視界の先でチルティ・ザ・ドッグがマスケット型魔法銃の薬室に息を吹き込む。その隣、二本の角を生やした百鬼童子が指を鳴らすのを見たパルヴェルトが「……ハニー、頼むよ」とそれを見据えたままで小さく呟く。それを聞いた橘光が「ん」と鼻を鳴らし、


「───全身全霊、心の底から心行くまで───」


 世界に向けて、自分の想いを宣言。自己型の法度ルールを適応した。

 それは橘光の法度ルール。周りに出来るものが居る中、自分にだけ出来ない事に強い憤り───生涯揺るがぬ程の強い憤りを覚えた光は「一日三回、一回三分まで」という制約の元、「脳の歯止めを外した事で起こる身体的反動を無かった事にする」という効果を適応する─────そう思われていた。そう思っていた。

 法度ルールは本人が心底から信じ切れば回数制限や時間制限なんて掛からないが、本人が無意識下で「それは流石に無理」という『自重』のような意識を持つと、途端に何かしらの制約が掛けられてしまう。それは法度ルールの内容に応じた「この能力ならこれぐらいのペナルティが適当」というものが勝手に割り振られ、ジズであれば「体の作り替えに時間制限無しなら同時に二ヶ所が精々」という制約がある。

 橘光の法度もそれと同じ。一日三回という回数制限に加えて一回三分という短時間なのは、橘光という女が自身の持つリミットブレイクに対してどう思っているかの表れでもある。ただでさえ強い歯止めを外せるという力が、制限も反動も無くなるのであればウルト◯マンぐらいの制限が無ければ釣り合わないと、そう思ってしまったからこその制約なのだろう。

「………ええで」

 法度ルールを適応した光は、そのまま脳のリミッターを全開まで開け切った。

 しかしそれは数秒の事。


「───ボクは強くあらねばならない───」


 即座にパルヴェルト・パーヴァンシーが思いの丈を世界に宣言、それを聞いた光が「ほなら任せるで」とその場を去り、ルーナティア城の壁に靴の爪先を突き刺しながら垂直に歩くように登って行った。

「……これで、ボクが負ける理由は無くなった。つまりこれでボクが負けたら、ただ無能アピールしただけという事になるね」

 パルヴェルト・パーヴァンシーの法度は『一定範囲内に存在する相手より一枚上手になる』という範囲対象、自己型の法度ルール

 生前の死因によって自らの実力不足に対して強いコンプレックスを持ったパルヴェルトは、死後ルーナティアに呼び出され法度ルールの存在を知った際にその法度ルールを得た。

 一定範囲内に存在する対象の中からパルヴェルトが本能的に最も強いと思う相手を参照し、自身の身体能力をその相手より数値的に必ず一枚上手の数値まで書き換える。それは一見するとチート能力のようにも思える法度ルールだが、数値的に必ず一枚上手になれるというだけで、技術や精神力は元のパルヴェルトから何一つ変わらない。

 またそうそうある事ではないが、理論上は自身を参照しない為『法度ルール適応時に最も強いものが足元の芋虫』だった場合、パルヴェルトの実力は数値的にその芋虫より一枚上手にまで書き換えられる。その場合芋虫よりパルヴェルトの方が強かったとしても関係無く、法度ルールにより強制的に書き換えられ立っているだけで自重を支え切れず筋肉が断裂、痛みに歯でも食い縛れば顎の骨が折れる。

 決して使いやすいとは言えない性能。実際これまでのパルヴェルトは負けばかりであり、勝利の美酒に酔った事は一度も無かった。

 けれどパルヴェルトは何も気負ってはいなかった。

 油断では無い。慢心でも無い。いつものように調子に乗っている訳でも無い。

「ボクの信じる最強の女性ひとの力………それをほぼ丸々借りてるんだ、負ける理由が見当たらないよ」

 今までは対戦相手に対して法度ルールを適応し、その相手より一枚上手になっていた。しかしパルヴェルトは荒事に対してそこまで慣れておらず、毎回のように技術力の差で押し負けてしまっていた。

 だから発想の転換。敵では無く味方に使う。

 橘光に法度ルールを適応して貰い、その後百パーセントの力を扱えるようになった光の身体的スペックを、パルヴェルトが法度ルールで丸々コピーする。

 これにより、パルヴェルトは法度ルール適応中ずっと脳の歯止めが外れた状態を維持出来る。

 懸念点はリミットブレイクの反動リバウンドだったが、前日に試してみればパルヴェルトは一切筋肉痛に苦しまなかった。その事実を受けたペール博士ことペール・ローニーはもう大歓喜。橘光は自身の法度ルールを『反動を無効化』だと思い込んでいたが、厳密には『反動を受けないぐらい慣れた体に作り替える』というものだったと推測。そしてパルヴェルトの法度ルールが筋力だけをコピーするようなものでは無いという事も分かり、ペール博士は『光とパルヴェルトの間柄だから』なのか、それとも『所有者の無自覚領域にまだ何かあるのか』という点で知的好奇心が暴走寸前まで高まった。

「じゃあこれで準備おっけーだねえ。パルくんはちんちんとおま◯こ、どっちに行くう?」

 目線の先に居るチルティと百鬼童子を眺めながら言うポルカに「ふむ」と鼻を鳴らす。

「ならボクは男の方に行こうか」

「ちんちんがお好みい? 何だか薔薇の香りがするねえ」

「ボクはブラザーを愛しているし、彼がボクの尻穴を欲せば全裸で桃尻を開いて受け容れる」

「いやそれはもう良いよお。何か胸焼けするう」

「気になるんだ」

「……んー? 何があ?」

「ボクのこの気持ちが親愛からなのか、それとも良い感じの男なら誰でも良いのかっていうのが気になるんだよ。………だからあの男で試してみたくなったんだ。結果は見えているけれどもね」

 パルヴェルトの言葉に「ああ〜」と口を開く。

「いつものメンツじゃあ、男の子はタクトくんとパルくんしか居ないからねえ。……なるほどお、じゃあぼくはチルちゃんの方に行こうかなあ」

「………大丈夫なのかい?」

 パルヴェルトがポルカを流し見る。「キミは荒事が得意なようには見えない」と言うパルヴェルトに、ポルカは何も見栄を張らず素直に「そうだねえ」と頷いた。

「なら下がっていても───」

法度ルールが適応出来れば少なくともチルちゃんは即座に殺せるよお。けど法度ルールを適応してる間はぼく何も動けないようなもんだからあ、少おしだけ気を配ってくれると嬉しいなあ」

 何も見栄を張っていない、何も気取っていないポルカの言葉にパルヴェルトが頷く。しかしすぐに「一応言っておくよ」とレイピアを抜きながら微笑んだ。

「殺しは無しだ。ボクらは可能な限り殺さない。殺すか殺さないかの選択肢がある内は、絶対に殺しを選ぶべきじゃあない。殺されて嫌だったのなら、尚の事それをやり返すべきでは無いと思うんだ」

「甘ったれだねえ。自らに害を成すものはイコール敵………敵は殺せる時に殺さなきゃあ、背中を刺されて殺されちゃうんだよお?」

 どこか不満げな声色のポルカに、パルヴェルトは思わず鼻で笑ってしまった。

「そのぐらい別に構わないだろう? どうせボクらは一度死んでいるんだ、今更殺される事ぐらい屁でも無いね」

「……はあ。二度目の人生みたいなもんだしい、ぼくはもっとエンジョイしたいんだけどなあ」

「首様から平穏とブラザーを取り戻したら甘えまくると良い。事前に言ってくれれば、その日はがっつりエンジョイ出来るようセッティングに協力してあげよう」

 体の調子を確かめるように地面を踏めば、地面にはべっこりと足跡が残る。それを見やった二人は、何を言うとも無く前を向き───、

「では華麗にクールに、時として艶やかに────」

 地面を抉るように蹴りながら、常人には目で追えぬ程の速度でパルヴェルトが駆け出した。

「────踊らせて戴くよッ!」

 全力で地面を蹴ったのは最初の一歩だけ。まるで豆腐の上でも歩いているかのように靴底が地面にめり込む感覚に、気を抜けばズルリとひっくり返ってしまいそうになる。足の力を抜きながらも足首にはしっかりと力を入れて滑らないようにしつつ、その上で股関節を動かし前に進む。守ると誓った想い人は普段こんな動作を容易く行っていたのかと考えると、自分との力量差に────、

「───思わず微笑んでしまうねッ! ハハッ、流石はハニーだッ! 惚れ惚れするよッ!」

 細くしなるレイピアを振るえばピュンピュンと空を切る小気味の良い音が鳴る。興が乗り過ぎて力任せにならないよう気を付けねば、恐らくこんなに細いレイピア如き一瞬で根本から折れ曲がってしまうだろう。

 何せ橘光が普段振り回している長ドスは切れ味を完全に捨てて頑丈さに極振りした金属柱のような代物なのだ。『叩く』では無く『突く』為のレイピアでは、そんな怪力には到底耐えられない。

「大人気無いと思うかい? キミ程度を相手に百パーセントを出し切る事が、大人気無いと思うかい?」

「ンだテメエ、何を────」

「生憎ボクに大人の自覚は無い。────ボクは享年十九だからね、大人になるより早く死んでしまったんだ。大人気なんてある訳が無いのさ」

「な………速えッ!? ………ぐっ」

 予想していたものとは違う別次元の速度に百鬼童子が狼狽する。しかしそれは一瞬の事、すぐにレイピアの軌道を見切り、その手元を柄ごと握り潰そうと百鬼童子が手を伸ばした。

「たまにはボクも─────ッだらァッ!」

 けれどパルヴェルトは闇雲に体をひねり、伸ばされた百鬼童子の手を蹴り上げる。めぎゅっという嫌な感触が靴の爪先から伝わって来て、体感一秒後に「ギっ───このッ………人間風情がァッ!」と鬼の吼える声が聞こえる。

「この阿呆ももちゃんっ! だからチル言ったのですよっ!」

 そこにチルティがマスケット型の魔法銃を向ける。


 チルティ・ザ・ドッグは魔力を貯蔵出来る量が常人のそれを遥かに凌駕しているが、実際魔法の適正自体はほぼ皆無に等しく魔法を扱う事は出来ない。日々の生活で魔力を生産したとしても、自分の力だけではそれを蓄えるだけで終わってしまう。過充電の概念こそ無いが、それは電源の入らないスマートフォンを充電し続けるようなものだ。

 だからこそ首様はチルティに魔法銃を与えた。何となく面白そうだからと一般向けの魔法銃を分解し、構造を把握した首様は自分の趣味でマスケット銃とそっくりの見た目にしたそれをチルティに使わせている。薬室に息を吹き込む事で魔石が起動、引き金を引いた時点で最も近い位置に居るものから一定量の魔力を自動的に吸い出し、弾頭として射出する。

 しかし魔法銃から発射されるのは物理弾頭では無い。あくまでも高温に加熱された空気弾のようなものであり、弾着時の衝撃こそあるが貫通力は極めて低い。また弾着時に火炎弾が弾けてしまう為、乱戦時は味方だけでなく周囲の建物や民間人を巻き込む危険性すら孕んでいる。

 しかし状況が状況。百鬼童子を巻き込む事になったとしても、風を切って唸るレイピアにサイコロステーキのようにされるよりは、多少火傷をする程度で済ませている方が良いだろう。

 しかし、

「あだっ」

 マスケット銃を持ち上げたチルティの頭に何かがコツンとぶつかる。ほんの小さな痛みに何が飛んできたのかとしかめっ面になれば、足元には小さな小石が転がり落ちていった。

「へえーいチルちゃあん、お相手はぼくだよお。こっち見てえ、きゃるーん」

 脳天気な声色。何も考えていないような間抜け面をしたポルカがチルティの視界の先でぶりぶりと腰を揺らしながら立っていた。

「──────────」

 途端、チルティの視界がじわじわと紅く染まっていく。首様の事も、百鬼童子の事も、それと戦っているパルなんたら言う男の事も。情報の全てが欠落していく。

 命を賭けた殺し合い。如何なるものとて汚してはならない荘厳な狩りの場に、間抜けた顔をした踊り子が居る。そしてそれは誰あろう自分の狩りを邪魔しようという。

 耳の穴から何か大事なものがどろりと溶け出てしまうような違和感をそのままに、チルティは牙を剥きながら魔法銃を向け直した。

 その引き金に指を掛け力を入れようとした瞬間、恐らくチルティは死んでも忘れられない憤怒の形相を目の当たりにしてしまった。


「───お前が踊れよ───」


 地獄の底から響くように低い声がどこから聞こえたものなのか、最初チルティは理解が出来なかった。普段は子宮から声出してんのかと鼻で笑いたくなるような甘ったれた声で喋っているポルカが、文字通り耳を疑いたくなるような低くドスの効いた声で自身の思いを世界に向けて宣言すると、チルティの体はがくんと大きく痙攣し、

「……ぬわっ!?」

 ぷりぷりと腰を振りながらゴーゴーダンスを踊り始めた。

 金属で固定されたかのように微動だにしない体が、まるでゲームで操作されるキャラクターのように勝手にぷりぷりと腰を振って踊っている。

「………くっ、くぬっぐ………」

 何一つとして動かせない体の中、唯一動かせる目線だけで必死にポルカの方を見やれば、

「いえーい、ノッてるかあい? ポルカにノるうー? それとも反るう? 隣のあんたもお、いえーい!」

 チルティと全く同じ動きをでゴーゴーダンスを踊っているルカ=ポルカが居た。

「あ待ってえ辛あい、久々に動いたから体痛あい……そういえばストレッチしてなかったあ………ふわあしんどお……」

 妙に高いテンションから一転、へにょへにょと萎んだ表情をしたポルカが腰を曲げて体をさすれば、ポルカと完全に動きがリンク同期しているチルティも「ぬわっ、わっ」と慌てた声を出しながら自身の体を擦る。

 その動きにチルティは何が起きたのかを理解する。


 自分はもう狩られてしまったのだ。


 生きているだけで、後はあいつに食われるのを待つ事しか出来ない。「はあー擦るだけでも全然違うなあ……」とへにょけた声でポルカが向き直れば、自分の体も勝手に向き直る。

 違和感しか無い。言い様の無い気持ち悪さ。まるで寄生虫に脳を奪われたかのように、意識がありながら自分の体を乗っ取られる不快感。

 一分も掛からず敗北を喫した今のチルティの脳裏には、ただ一つの事しか浮かんでいなかった。


 絶対お仕置きされる。

 しんどい。


「じゃあ援護射撃の再開だねえ。………パールーくーうん、あーそーぼーおっ!」

 ポルカが何も持っていない手を持ち上げ指を引くと、チルティが持っているマスケット銃がマズルから火炎放射が如き大きな火を噴いた。

「────ッ!? チルッ!? お前何でオレ様───ぐっ!? クソが……っ!」

「あああああああ〜、もう駄目なのですよおおお〜………おでぃまいなのですよおおお〜、絶対じぇっだいおごらるれるりゅのでじゅよおおお〜………あはぁぁぁぁん……」

 勇猛果敢。雄々しくも凛々しいキレッキレな動作で魔法銃を乱射するチルティは、しかし顔だけシワシワにくたびれながら泣いていた。

 チルティの使用する魔法銃は通常のそれと中身の作りが大違いになっている、いわばチルティ向けにチューンナップされた専用の魔法銃である。それは使用者から通常よりも多くの魔力を消費する代わりにマズルから馬鹿げた威力の火炎弾を飛ばす。チルティの桁違いの魔力貯蔵力を遺憾無く発揮出来るように魔改造されているそのマスケット型魔法銃は、高いダメージだけでなく雑に撃っても一定以上の命中率を確保してくれる反面で、尋常ではない衝撃リコイルにより銃口は洒落にならない程に暴れ回る。チルティはこのリコイルを自分の移動にも活かし、撃った勢いで縦回転したり回し蹴りや踵落としの威力を高めたり、場合によっては敢えて無駄撃ちをする事で空中から降りて来ないというような立ち回りすら行う。

「わあ、これ結構楽しいねえ。………ちょっとカメラワークがキモいけどお………まあ定点カメラで唐突にカットイン入られて視界ジャックされるようなクソゲーと比べれば分まだマシ………って思うしかないかあ。クソゲーでも買ったからには完クリしないとねえ──────望む望まないを問わず、背負ったものを途中で投げ出すのはぼくの趣味じゃないからねえ」

 しかし今のチルティが使用する魔法銃は一切銃口を跳ねさせておらず、何一つリコイルが無いようにしか思えない。

 それもそのはず、チルティとチルティが持つ銃を操作プレイしているのは、チルティでは無くポルカなのだ。ポルカはわざわざ専用で『反動』や『照準のブレ』なんて演出・・は用意していないのだから、銃口の跳ね上がりで発生した動きは全てチルティの手首に向けられる。

「ああ〜、手がジンジンするですよお〜………あはぁぁぁ〜ちょっと酔ってきたですよぉぉぉぉ〜………」

「チル……ッ! きさ──貴様……ッ! 何してんだ射線ガバガバ過ぎ───くぅッ!?」

 バゴンバゴンと嘘みたいな銃声を鳴らしながら飛び交う魔法弾に、ほんの少し掠った髪の毛がヂュリリと一気に縮れていく。動物性蛋白と皮脂の焦げる不快な臭いに少しでも顔をしかめれば「言ってみたい台詞その一ぃっ、ボディがガラ空きだよッ! ……やった言えたっ」と少し浮かれたパルヴェルトが理不尽な速度でレイピアを突き出してくる。

 …………百鬼童子は体格こそ小柄だが、中身は純然たる鬼である。呑みたい時に呑み、抱きたい時に抱き、殺したい時に殺し、勝手気まま自由奔放に生きながらも約束事だけは破らない。

 故に生前は、当然ながら強い相手と戦う事も数多あった。圧倒的な格上と殺し合う事だって何度もあったが、その全てで生き残ってきた。過去には名のある武士とやらを一方的に蹂躙する事も少なくなかったし、陰陽師を名乗るペテン師を秒も掛からず引き千切った事だってあった。

 しかしレイピアと戦った事は一度も無かった。

 百鬼童子が生きていた国に、レイピアなんてものは存在しなかったのだから当然である。

「言ってみたい台詞その二ッ! おいおい膝にキてるじゃあないかッ! ………やったキマったっ!」

 針のような形をした細身のレイピアは、基本的には突きを主体に立ち回る。競技であれば本当に突きが全てであり、その突きを反らす時ぐらいしか払いは行わない。何せそういうルール・・・なのだ、そうするしか無い。

 それ故、フェンシングを極めたような達人級であっても空手家や柔道家、剣道家のような柔軟性や臨機応変を強く意識する格闘家を相手にすると一気に苦戦してしまう。

 何せレイピアはどうやっても真っ直ぐ進むだけ。……数発は切り傷や刺し傷を覚悟する事になるだろうが、柔道家等が相手であればすぐに見切って入り込み、柄ごと手首を取って技を掛けに来る。そしてそれに対し、フェンシングは我武者羅に逃げようとする事しか出来ない────掴まれた時の事なんて教わっていないのだ。

「───ぐゥッ!?」

 しかしパルヴェルトの使用するものは気持ち程度楕円形のサーベル状のものであり、突いて、即座に斬り払い、それを斬り戻しながら肘を引いて再び突く。

 刀よりも圧倒的に細く素早い。槍よりも小さく目で追い難い。本来一撃一撃が軽いはずだが、理不尽な怪力の元に繰り出されるそれは払い一つ取っても致命傷になり得る。

 そも刀よりも槍よりも圧倒的に軽いレイピアを用いたフェンシングの太刀筋というものは、異様なまでに良く伸びるのだ。横で見ている分には分からないだろうが、実際に正面から立ち会ってみればすぐに分かる。自身に向けて突き出された細い剣先、それを握る手と腕が完全に伸び切り肘が真っ直ぐになってもまだ伸びる。「そろそろ腕を引くだろう、そこに合わせて入り込む」なんて考えは一生伸び続けるのではと思ってしまう程に鋭く長い一突きにすぐ掻き乱され、かと思えばその隙を読んで即座に脇を締めて腕を引く。

「───人間風情がァッ!」

 読めない。読みようが無い。これがただのレイピア使いであればいざ知らず、人間の百パーセントに辿り着いた人外人非ずが相手では読んでいる余裕が無い。余りにも速過ぎて目で追うだけで頭の角度すら変えられない。

 定石が分からない。天元に石を置けない縛りプレイでもしているかのような苛立ちに百鬼童子が一歩踏み込めば、

「おっと危ない───」

 パルヴェルトは即座に距離を開けて安全圏に避難する。その動きに反射的にたたらを踏んだ瞬間、まるでバネ仕掛けのように「───ほら危ないっ!」とパルヴェルトはすぐに肉薄、再び突きを繰り出しにくる。

 いっそ肉を切らせてやろうかとも思うが、すぐにその思考を振り払う。あの速度と怪力を前にすれば、骨を断つよりも先にこちらの肉が全て削ぎ落とされる。肉を切らせ過ぎれば骨を断つ力が入れられなくなってしまう。

 あるとすれば援軍による力の分散。自分に対して今向けられている百の力を、援軍がたった一つでも逸らしてくれれば向けられている百は九十九になる。一の隙があれば十二分に差し込む余地はある。

「ももちゃんチルを助けて欲しいのですよぉぉぉ〜、チル疲れてきたのですよぉぉぉ〜」

 けれどチルティ・ザ・ドッグは戦闘開始数秒で戦闘不能。それ所か敵に寝返ったかのように百鬼童子へ魔法銃を乱射している。通常時のチルティと違って狙いは雑過ぎるが、それでも意識を逸らされるには十二分であり、その事実が心底苛立つ。

「──────あの踊り子……ッ! ────雌豚がァッ!」

 間抜けな泣き声に百鬼童子が地面を蹴って後退する。そしてすぐに地面を蹴り直し、離れた場所でパントマイムのように踊るポルカへ向けて距離を詰めようとするが、

「阻止するッ! あの娘はボクが守ると決めた────もう二度と泣かせないッ!!」

「……っく───ぐゥッ!」

 構えられたレイピアを避けようとした瞬間、百鬼童子の腹部にパルヴェルトの鉄靴がめり込む。反射的にその足を掴もうと手を伸ばせば、しかし既にパルヴェルトの足は視界から消えており、少し距離を取った場所で「おっとと……結構よろける、難しいな……」と急後退の勢いに踊ったパルヴェルトが居た。

「………グゥッ、ぐ……何なんだッ、こいつは………ァッ!」

 遅い。何もかもが遅い。全てが追い付かない。相手が動いてからでは間に合わない。その癖自分の動きに相手は必ず間に合わせてくる。

 これに追い付くには未来予知の域に達さないといけない。目で見て回避出来ないのであれば、目で見る前に回避を始めていないといけない。

 しかしそんな事は不可能である。目で見る前に行われた回避を目で見られ、相手が攻め込んで来なくなる…………それはむしろ多大な隙を晒すだけ。あれが相手であれば、一秒程度で挽肉にでもされるだろう。

「わあ、パルくん結構ダンスの素質あるねえ。ちょっとドキッとしちゃったなあ。今度ぼくとえっちするう?」

「ふむ…………ワルツやフォークダンスは苦手だったんだが……キミに言われると自分に自信が持てるよ。でもエッチはしない、シモのあれこれは正直自信が無い」

「えっちもダンスも練習は必要だと思うけどお………パルくんなら多分コサックダンスとかが似合うと思うなあ」

「寄りにも寄ってな所を持ってくるね……個人的にコサックスCossacksは好きじゃないんだ。兎飛びじゃああるまいし、膝への負担が余りにも多い。………前じゃなくて横に足を開くタイプでは駄目かい? あれは見てるだけでも楽しいし、不思議とふくらはぎが痛まない。………太ももは爆発しそうになるが」

 ボゴンボゴンと耳をつんざく砲声のような重低音の中をきゃいきゃいと笑う二人の声に百鬼童子が「チッ、踊り子風情が……ッ!」と悪態を付く。

 その言葉にパルヴェルトが「踊り子風情とは……身の程を知らないね」と呟き紫電の如く急接近、百鬼童子の腹部に再び蹴りを放つ。目線では追えるが脳がそれを処理出来ず体が一切反応しない。「──ぉごッ」と呻いた百鬼童子は、僅かな嘔吐物と唾液を撒き散らしながら受け身すら取れず転がっていった。


「槍刀が無ければ如何な武官とて木偶の坊、筆や地図が無ければ高名な文官も喉の千切れた金糸雀カナリアだ。対して、その身一つで功を稼ぎ、その身一つで生き抜き続ける踊り子の何と力強く逞しき事か。「踊り子風情」だって? 口を慎めよ『武官風情』が」


「パルくんその人武官じゃないよお? あと槍刀無しの拳で戦う人も結構居るしい、筆も地図も無い交渉術で名を挙げた文官も割と居るしい、言ったら踊り子にも時々えっちな事してお金稼ぐ人多いよお?」

「やめたまえッ! せっかくボクがクールにキメッキメだというのに集中力が途切れるじゃあないかッ! 見せ場だよッ!? ここ最近ずっと無かった数少ないボクの見せ場だよッ!?」

「あっあっごめんねっ、滅多に無いパルくんの見せ場だったのに………お詫びに今度ちゅーしてあげるから許してえ?」

「オブラートキスで頼もうッ! 当然ながら股間にねッ! ねっちりねっぽりよろしくッ!」

「股間にって……………ちんちんにオブラートキスってそれフ◯ラと何が違うのお? あとねっぽりの『ぽり』って何い?」

「『ぽり』は『ぽり』だッ! そしてフ◯ラとオブラートキスは全然違うッ! 断じて違うッ!」

「具体的にはあ?」

「パンツじゃないから恥ずかしくないもん的にッ! フ◯ラじゃないからえっちくないもん的な決定的違いがあるッ! オブラートキスはどこまで行ってもキスなのさッ!」

「…………股間露出してる時点でえっちではあ?」

「──────ッ! 確かにィッ!? 言ったらキスも初心なボクにはえっちく感じるッ! 何て事だ四面楚歌ッ!」

 相手はこちらを容赦無く殺しに来る。そんな命を賭けた殺し合いの最中さなかとは思えないトークを始める二人に、チルティはへぎへぎと泣く事しか出来ず、

「………ぐ、っく……。………何なんだコイツらは………っ」

 百鬼童子もまた、悪態を零しながら呻く事しか出来なかった。



 ───────



 脳のリミッターを外せるという行為がどれだけ理不尽なものかは昔から理解していたつもりだった。軽く平手を突っ張った程度で相手の首をへし折るそれがあれば、新人警察官が主人公のアクションゲームが如く回し蹴りでゾンビの頭を吹き飛ばすぐらい造作も無い。

「………んふふ。何かシュールやんなこれ」

 直立したままの姿勢、足の爪先だけを城壁に差し込んで梯子に足を掛けるような感覚でひょいひょいと登っていきながら、橘光は思わず笑ってしまった。

 一言で脳のリミッターと言っても色々ある。覚醒剤なんてものはまさしく言い得て妙であり、きっとあれも脳のリミッターが外れてしまう事により、本来人間の脳が知覚出来ない色彩線が認知、知覚出来るようになる事で幻覚を見てしまうのかもしれない。しかし普段の人間の脳が知覚出来るものは世界にあるもののおよそ三パーセント程度………何らかの手段を以て脳が唐突に覚醒して残り九十七パーセントの知覚領域帯を認知出来るようになったとしても、それを正常に処理出来る訳が無く、結果として「緑の小人」に悩まされるのだ。

 空が青いと思えるのは、産まれた頃から青い青い空を見ていたから。もしモノクロームの空ばかり見ていたものがある日突然青い空を目の当たりにしたら、そいつは確実に狂乱してしまう。だからこその青い青い空なのだろう。

「………うーぃ、っしょ」

 橘光が外せる脳のリミッターは筋力関係だけ。それも内臓や性器では無く、筋繊維がはっきりとしている手足や腹筋、顎や眼筋辺りだけである。………腹痛に鎮痛剤を飲んでも殆ど意味が無く、腹痛薬以外で腹痛を抑えるならこむら返り等を抑える芍薬甘草湯シャクヤクカンゾウトウのような漢方の方が良いという話の信憑性が良く分かる。手足の筋肉と内臓の筋肉は全く作りが異なっているのだから、光がタクトと性行為に及んだ際に懸念した「ウチの膣圧でタクトのちんちんぶっ千切ったらどないしよ」という懸念は無事杞憂に終わった。

 脳のリミッターと一口で言っても色々とある訳だ。それ故、光は第六感が解き放たれている訳では無い。勘が鋭く色々な読み合いに強い光だが、それは生来のものであり、脳のリミッターが外れたついでに第六感が解き放たれるような事は無かった。

「おーおー、やっとるなあ」

 幼い頃から見ていた青い青い空の下。赤煉瓦のような屋根に覆われたルーナティア城の賓客棟の屋根の上は、もはやただの戦場と化していた。

「ほれほれどうしたぁ? いつぞやとは威勢の良さが段違いじゃのう?」

 脚のもげた蜘蛛のような首折れ様がその仄暗い手をぐおんと振るえば、薙ぎ払うような勢いに負けた屋根瓦が何枚か吹き飛び宙を舞う。特徴的な尻尾でタクトをがっしりと掴んだジズが懸命に避け、時には肩甲骨を翼に作り替え空中に逃げる事もある。

 いっそそのまま空を飛んで逃げれば良いのにとも思うが、ジズは魔法の適性が高くない。魔法を扱う事は出来るがそれはあくまでもほんの少し程度であり、魔法によって空を飛んだら自身の法度ルールで翼を作り、それによって進行方向を制御しなければすぐに体勢を崩してしまう。

「……チッ、相手が強気に出れねェ瞬間クソみてェにイキりやがって………勝ち確煽りする神ってなァ程度が知れちゃうもンじゃねェのォ?」

 だからこそ飛んで逃げる事は出来ない。地上ゼロメートルでの風速と上空百メートルでの風速は遮蔽物の有無等、様々な理由からその数値が桁違いに変わる。翼を生やしたジズがルーナティア城の屋根の上から飛び上がって逃げたとして、恐らくすぐ風にあおられて落下し首折れ様の追従を許してしまう。かといって最初から地上付近を飛ぶのでは何の意味も無い。

「雑魚が相手では面白味が無くてのう、煽って弄るぐらいでしか楽しむ事が出来んのじゃ。詰まらん雑魚で居るぐらいなら、話の種になる外道ぐらいまで出世してみよ」

 首折れ様の仄暗い手がぐにゅんとしなり、関節の概念を感じさせない動きで空中のジズを叩き落とそうと唸りを上げる。

「……っ、クソが………雑魚雑魚好き勝手言いやがってよォ……っ!」

 それを危うい所でジズが避けるが、次があるかは分からない。

 何しろ首折れ様とジズとでは致命的な違い─── 持久力スタミナの有無という壁が存在する。

 あの神は疲れない。疲れという概念が無く、チルティと共に夜寝るのは起きててもやる事が無いからというだけ。でなければ無尽蔵の持久力をフルに活かした理不尽過ぎる性行為が理由で、城下町の男たちから『妖怪ちんぽねぶり』だなんて呼ばれて畏れられてはいないだろう。


 …………世話ぁ焼けるやっちゃな。


 一回目の法度ルールはまだ残り一分以上ある。回数は残り二回、合計時間はおおよそ七分。

 そも法度ルールを覚えたからといって絶対に法度ルールを適応しなければいけないなんて道理は無い。必要に駆られたら法度ルールを適応し、ちょっと本気出しますよ感を見せつつ大暴れ、時間が来たら息を落ち着かせる振りをしながら法度ルールが切れた事を誤魔化せば良い。

 そして何より、あの堕ちた神にはどうしようも無い欠陥────極めて飽きが早いという性格上の欠陥が存在する。戦闘に限らず、遊びもお喋りも、風呂も食事もダラダラしていると飽きてどこかに行ってしまうぐらいの飽き性なのだ。ある程度拮抗した勝負を演出しながら戦っていれば、その内本気を出すか飽きて止める。

 或いは、時間切れになればこちらの勝ちだ。

 本気を出させれば御の字。ぶち壊されまくっている城の持ち主が雷親父の如く現れるだけであり、責任を全て首折れ様に押し付けながら自分は鼻でもほじっていれば良いのだ。

「我ら来たれりってなぁぁぁ───ッ! Easy come, Easy go !!」

 声高らかに吠え猛る光が屋根瓦を力任せに蹴る。後ろで家屋が倒壊する音が聞こえ、一歩一歩と足を踏み出す度に泥濘ぬかるんだ泥道を歩く時のように靴底が沈んでいく。

 その足が沈み切る前に割れた屋根瓦を蹴り、再び足を前に出す。

「…………む。割って入───」

退きゃあダボがぁぁぁああああ──────ッ!」

 勢いに負けてやや反り返った長ドスの一閃に、首折れ様の右腕がつるんと撫でられ吹き飛んでいく。光が割って入る事ぐらいは予測していた首折れ様だったが、余りにも速く強い力任せにその言葉は最後まで語られなかった。

「─────むっ!?」

 仄暗い液体を撒き散らしながら首折れ様の右腕が宙を舞い、それは夏場の焼けたアスファルトに溢れた汗のように霧散しながらすぐに消えていく。

「失せぇぇええッ!」

 即座に長ドスを屋根瓦に突き立て、光がそれを支柱にくるりと回転。顎先で天を指し示す首折れ様の顔面目掛けて蹴りを放つ。

「───────」

 しかし光の足は首折れ様の顔には当たらない。

 即座に状況を理解した首折れ様は自身の頭部を仄暗い体で覆い尽くし、

「うるァッ!」

 まるで黒いゴムボールのようになりながら光の蹴りを受け吹き飛んでいく。

 ルーナティア城は大きいが、その屋根の上は決して広々とは言い難い。あわや屋根の上から落下しそうになった首折れ様は、しかしすぐに新しい腕を生やして屋根瓦を掴みフックショットのように舞い戻った。

「…………………………何ぞ様子が違うのう」

 三日月のように細く歪んでいた首折れ様の口元が引き結ばれ、崩れ掛けている足場から別の足場へと位置を変えた光「当たり前やろ」と鼻で笑う。

「鉈も金属バットも無いし何ならバリバリ日中やけど、屋根の上での決戦っちゅーたら月下の決闘者デュエリストって相場が決まっとる。普段とちゃう激アツ演出にテンションぐらい上がらぁよ」

 膝を曲げていつでも移動出来る体制を維持しながら言う光に「屋根の上で荒事と言えばスマ◯ラのピ◯チ城じゃろうが。分かっとらんのう」と軽口を返す首折れ様だったが、その口元が三日月のように歪むよりも早く、

「生憎ウチはひたすら終点派や────ステージに頼ってんなよ三下ァッ!」

 橘光は再び直進。首折れ様が即座に反応し、その腕を使って受けようとするが「必殺──」と呟いた光は───、

「───兵長グルグル縦回転斬りィッ!」

 体を一気にひねり、縦向きに回る独楽のようになりながら長ドスで首折れ様の手をミンチにしていく。

 仄暗い液体をスプリンクラーのように撒き散らした首折れ様が「兵長リスペクトなら剣が一本足らんじゃろ」と呟きながら頭部をクッと持ち上げ五つ目の腕を伸ばせば、

「───ッだオラァッ!」

 光はその腕を叩き付けるようにぶん殴って体を持ち上げる。縦回転を続けながら首折れ様の斜め上辺りまで浮かんだ光はそのまま「だァッしゅッ!」と叫び、小さな死に装束を羽織った丸く大きな背中に長ドスを突き立てた。

「効くか阿呆」

 しかし首折れ様は微動だにしない。純白の死に装束をもこもこと蠢かせ、即座に羽織られていた死に装束の隙間から仄暗い蔓のようなものが幾本も飛び出し、長ドスを突き立てた光を捕らえようと風を切る。

「ぁやべ」

 右腕、左腕と光の手足に仄暗い蔓が絡み付く。慌ててそれを引き千切って後退しようと思えば、背後には何本目の腕なのか分からない首折れ様の手が間近に迫る。

 しかし光は特に何か動くような事は無かった。

 慌てるような様子も、

 怯えるような様子も無く、

 ただ純粋に────、


「こっち見ろやサゲマンがァァァ─────ッ!!」


 ──── 仲間ジズの援護を待つだけだった。

 未だ聞いた事も無いような低い怒声を上げながら急接近したジズは、タクトを掴んだままその尻尾を力任せに振り払う。

 予測出来ない事態が繰り返されているからなのか、不満げに歪んだ首折れ様の視界に戯けた少年の顔が映るが、

「エェェ〜レロレロレロレロレロレ───────るォグぇッ!?」

 ジズに振り回され首折れ様の腕に激突した少年は、そのまま反吐を撒き散らし白目を剥いて悶絶。直後、捕縛され掛かっていた光が仄暗い蔓を力任せに引き千切り一気に後退、首折れ様の体を蹴った光はその流れのまま────、

 

「…………いってえ………あぁ? おいそこ僕のちんち───フングゥゥゥゥゥッッッ!?」


 ────取り敢えず手の届く位置にあったタクトの股間をがっしと鷲掴み、首折れ様とは逆方向に放り投げる。歯を食い縛り眼球が飛び出んばかりに目を見開いたタクトが宙を舞い、そのタクトを尻尾で掴んだままのジズも引っ張られるように飛び上がるが、翼と魔法を駆使して空中制御を行ったジズはすぐに当初の位置まで戻る事に成功し、光もその近くに着地する。

「ヴゥンッ───ヴゥッ! ヴフゥンッ! ヴゥォンッ!」

 両手で股間を抑え、歯を食い縛ったままで喉を鳴らして悶絶する少年を見ながら「ちょっとヒカルゥ、アタシの男に何したのよォ」とジズが不満げに問い掛ける。

「何のこっちゃ無いよ? ちょっと手コキしたっただけや」

「グヴゥゥゥッ……ヴフッ、ヴゥゥンッ! ブフヴゥンッ!」

「目ェひん剥いて唸ってるんですけどォ?」

「気持ちえがったんちゃうか? ウチのテクに悶絶しとるんやろ」

「テクに悶絶してンのは間違い無さそうだけどさァ……不能になったらどうしてくれンのよォ」

「心配あらんよ、タクトは強い子や。きっと女ハンターが酷い目に遭うエロ同人みたいに喘いでくれるでよ。………な〜、タクトぉ〜?」

「…………ンギッ……ンギッ、ンギモ………ンギモヂッ────」

「ほらタクト、頑張る頑張る。ええ子やなぁ、ウチのおててでようさん気持ち良うなろうなー」


「───────ンギモヂグナィィィィィィッ!」


「…………駄目じゃなァい」

「あかんかったか。まあそりゃそうやな、さもありなん」

 ぐすんぐすんと鼻を鳴らして「痛いよう……痛いよう……力入れてもピクリとも動かないよう……」と泣き出す少年にジズと光が心から苦笑いする。

「…………………………」

 しかし首折れ様は笑わない。真っ暗な瞳を見開き思案するような顔をした首折れ様。糸のように細い目は完全に見開かれ、三日月のように細く尖った口角は、糸のように引き結ばれて動かない。

 やがて沈黙がその場を制した頃、首折れ様が小さく「なるほどのう」と呟く。

「………小娘、法度ルールとやらを会得したか」

「おーほおん? 随分いきなりやな、何でそう思うん?」

「いきなりでは無い。………今までの戦闘中であれば、貴様が体を動かす時には必ず筋肉や関節の痛みで瞳孔が動いておった。それが今回は殆ど無い……あるように見えても日光によって収縮するぐらい、脳のタガを外した際の痛みじゃなかろう」

「よう見とるな。さてはお前ウチのファンか? ウチは痛車作るぐらいまでしてくれなきゃ信者として認めへんからな、ファンからの成り上がりは大変やで。因みにガルウィングはウチ嫌いや、何やブンブラみたいで生理的に無理」

 光の軽口に首折れ様が「なるほどの」と嗤う。

 ぬるりと体を動かし、獣のようにぷるぷると背中を揺すりながら「いっそ殺すか」と呟く首折れ様に、今度はジズが「それは無理ねェ」と肩を回す。

「ほう? 首の無いわしのくびを跳ねられると? 天に掲げて勝鬨かちどきを上げられると?」

「はっ、そんな野蛮な事しないわァ。アタシ貴女と違ってお嬢様だものォ」

 尻尾で掴まれたままのタクトが「えっ? お嬢様? どこに?」と声を漏らすが即座に強く締め付けられ「おげぇっ」と出来の悪いカエルのような呻きを上げた。

「お前どう見てもカオ◯シやろが。取った生首掲げるんはもの◯け姫やで? お前の出る幕とちゃうねん」

 ゆらりゆらりと首が揺れる。楽しげに嗤う首折れ様は光の軽口を無視して「分からんのう」と嗤い続ける。

「小娘、貴様の法度ルールが何ぞかわしには分からんが、さっきまでと纏っとる空気が違うのう………瞳孔もよう動く………長物の握り方も少し違う」

 その言葉に、光が息を呑む音が聞こえる。

 何も言っていないにも関わらず、高々数合打ち合っただけにも関わらず、首折れ様は橘光という女が得た法度ルールの制約を読み取っていた。

「…………お主その法度ルール、時間制限あるじゃろ」

 神だからでは無い。首様という存在自体が、洞察力に長け物事の変調を見逃さない鋭い目をしているのだろう。

 何せ瞳孔の動きだけではなく長ドスの握り方についてまで言ってきたのだ。実際、光の法度ルールは既に時間制限が近くなった事で解除され、橘光は普段の戦闘時に起こる微細な筋肉の痙攣と刺すような痛みに苛まれていた。

 慣れているから耐えれるだけ。慣れているからこそ、慣れた動作で長ドスを握り直して痛みから意識を反らしたのだが、そんな小さな動きすら首折れ様の目に留まり判断材料の一つとなってしまった。

「せやで。もう時間切れや」

 だからこそ堂々とする。何も気負っていない光の表情を見て、きっと首折れ様は考えるはずだ。何かまだある、手を残している、と。

 それを読まれる事は全く構わない。

 だがその先だけは気取られてはいけない。

 これから先、首様がどういう立ち位置に居るかが確定していない。今回のように騒ぎを起こすだけで済むかもしれないし、完全に敵として寝返るかもしれない。そんないざという時の為に、回数制限の存在は知られてはいけない。


 何せ橘光は首様を信用していない。

 橘光は神を嫌っている。

 自分をドブに沈めた存在を、心底から嫌っている。


「……………む?」

 首折れ様の歪んだ口がまた引き結ばれる。かと思えば光が「んへへ」と気の抜けた笑みを零す。

「そこの屋根の上ぇーッ! さっさと降りてきたまえーッ! チェルシーが来る前に終わらせておきたまえよーッ!」

 大きな声が聞こえる。聞き慣れたような声。余り怒っていないだろう声色だが、あの女は声色や口調で判断してはいけない。

「ウチの法度ルール知らんっちゅーこたぁ、あんよの速いトトの存在も把握しとらんのやろな」

 滅多に表情を崩さない鉄面皮の女。表情を崩して笑ってるように思えて目だけ全く笑っていない女。睡眠不足を極めて過ぎて濁った瞳がキュートでチャーミングな女。

 ペール博士ことペール・ローニーが数人の兵士を連れて中庭の辺りからこちらを見上げていた。

「時間切れ………小娘、最初から勝つ気なんぞ無かったな?」

 眼下のそれを見下ろした首折れ様が向き直る。もはや何も笑みは無く、どう見ても不機嫌そうな顔をした首折れ様に「当たり前やろタコ」と吐き捨てる。

「あーオキニのキャラ死んでもたーはいリセットーコンティニューとかやれる世界ならナンボでも突っ込んだるけどな、生憎ウチらは死んだら死ぬんよ。格好良く戦って格好良く死んでも歴史書にぁジャッカス間抜け野郎としか書かれんねん、博士がする死体蘇生もパーツが焼けりゃあその時点で蘇生出来ひんなる微妙な代物やしな」

 卑怯で狡くて小賢しい。

 それは勝ったものが言う事を許される言葉であり、負けたものに発言権なんて一切存在しない。

 勝ったものが「ちょっとズルかったかな?」と言って初めてそれは批難されるようになる。負けたものや戦闘に関わっていない大衆の雀に語る言の葉は存在しない。それは「関係無いものの勝手な言い分」でしか無いのだ。

「…………どういう……え? 何で博士が来てるんだ?」

 相変わらず尻尾に掴まれぶらぶらと揺れるタクトが疑問を口にすると、光はすぐに「トト走らせた」と答える。

「騒ぎはいずれ魔王のオバンに聞かれる。そうなる前に博士ぇ間に挟んどきゃあウチらの安否はぼぼ確定するじゃろて」

「そうねェ、全員でブチ当たるより一人ぐらい先生呼びに職員室行ってる方が後々贔屓目貰えるからねェ」

「安否……贔屓って、どういう……」

「アタシたちはトチ狂ったキチを相手に逃げ回ってただけでェすって筋書きねェ、アタシたちはただの被害者なんですゥって。………何でアタシが強気に出てねェのかってのに何も気が付かねェんだから……それで知恵者気取ってドヤ顔するたァ笑かしてくれるわねェ」

 ジズが鼻で笑ってあざけると首様が「チッ」と大きく舌を鳴らす。二人の態度にタクトが「そういう事だったのか……」と小さな溜息を吐いた。

「……てっきり僕を連れてるから本気で立ち回れないんだと思ってた。何か他に考えがあったんだな」

「タクト連れてるから本気出せないっつーならタクト捨てて本気出せば良いだけの話でしょォ? 何言ってんだお前ェ」

「いや……まあ、はい。そっすね……えっ──────うぉわッ!?」

 そのまま唐突に、何の脈絡も無く、尻尾で掴まれていたタクトが力任せに放り投げられた。

 時間の流れが遅くなり、背筋が一気に冷える感覚に助けを求めたくなるが、タクトを放り投げたジズは元より横に居る光さえもが振り向きもせず────ルーナティア城から放り投げられたタクトに見向きもしない。


「────────え………? 何で、いきなり……………うそ」


 タクトが呟く。

 その声は誰の耳にも届かない。


 しかし、


「ブラザァァァアアア──────ッ! …………アァァァアイッ、────ゲッチュゥッ!」


 親友ともは決して見逃さない。


 地面に深い足跡を作って駆け出したパルヴェルトが落下中のタクトの元まで疾走、握っていたレイピアを放り投げながら跳躍したパルヴェルトはそのまま空中でタクトを抱き寄せ、そのままダズンっと大きな音と土煙を立てながら二本の足で力強く着地した。

「残りの馬鹿共もさっさと降りてきたまえーッ! もっと偉い人やもっとダルい人が来ても知らんぞーッ!」

 それを流し見たペール博士が叫ぶと、ジズは「んふふ」と喉を鳴らし、

「……………ね?」

 小首を傾げながら首折れ様に向けて微笑み掛けた。

ろうと思えばいつでも殺れるんだけどォ、それでもペナルティ背負ってンのは何か策があるからに決まってんでしょォ? 頭良い振りすンならそのぐらいは気付いて欲しいもンだけどねェ。………それともアタシらじゃァ殺れねェとか思ってたァ?」

 まさにしたり顔。仲間を信頼し切っているからこそ出来る暴挙に出たジズに、首折れ様の頭部がぐるんと回り普通の状態に戻る。

 体は未だ仄暗い首折れ様は「賢しい小鬼じゃの」と口を開き「じゃがそれがどうした」と鼻で笑った。

「機会なぞ幾らでもある。神を相手に約束破りをする愚か者如き、いつでも針千本飲ませてやれる」

 炭酸飲料を地面に零した時のようなしゅわしゅわという音が鳴り、首折れ様の体が仄暗い霧のような何かを沸き立てながら溶解していく。やがて真白な死に装束を羽織り、解けた帯紐を垂らした首様が現れる。

 雑に帯紐を括った首様は脱げ掛けの死に装束の肩を鳴らしながら「小坊は股間を貸すと言うたからの」と笑った。

「神に対しての約束……それは契約に他ならん。どんな矮小な内容であっても、小坊が生きてわしが有る時点でどうにでも───嗚呼、どうにでも出来るわい」

 いつの間にか現れた、いや……首折れ様として顕現している時にだけ消えて無くなる首の骨をポキポキと鳴らした首様は「にしても……パル坊相手にももとチルが負けるとはのう」ともはや何事も無かったかのような表情で小首を傾げる。

 そこにジズが「ねえ神様ァ、貴女アリとキリギリスってご存知ィ?」と問い掛けた。

「冬に備えてせっせと働くアリさんを見てェ、キリギリスは悠々自適、自由気ままに歌うだけでしたァ」

「ほんでいざ冬が来て、何もしてなかったキリギリスの死骸を眺めながら「ちゃんと備えといて良かった」っちゅーおとぎ話。小さな努力の積み重ねがどうたらいう博徒が聞いたら発狂しそうな啓蒙話やけど、元々はアリとセミって組み合わせだったらしな」

 にこにこと笑うジズの横、言葉の意味を即座に理解した橘光が大きく肩を竦めた。その姿を見た首様は思考を巡らせるが、ジズがその話を振ってきた事に対する理由や心当たりが全く浮かばず、ただ「………何を」と喉を詰まらせる事しか出来ない。


「ねェ神様ァ、貴女『信頼』の貯蓄は大丈夫かしらァ? 孤独の『冬』への備えは足りてるゥ? 備えあれば憂い無しって言葉は知ってるだけじゃァ意味無いのよォ?」

「今の内から亡命の準備でもしといた方がええんちゃうか? よう言うやろ、捨てる神ありゃ拾う神ありってな。好き勝手やって見放されるような神ぃ、どこの国が拾うか今から見物やな」


 左右の翼をゆらゆらと動かしながらジズが飛び上がる。その姿がゆっくりと屋根の下に消えていくのに合わせ、ぴょんと垂直跳びのようにしながら後方に飛んだ光がそのまま真下へ落下していく。

「………………………………」

 自由気ままな首様は────孤独に堕ちたその神は、二人の言っている言葉の真意が理解出来なかった。

 人と並んで契約をする悪魔と、悪魔と並んで契約をする人の言葉。双方が信頼関係を築いてこそ成立するのが契約。

 しかし遥か高みからそれを見下ろす孤独な神には、信頼なんて言葉の意味は到底分かるはずが無かった。

 横に並び肩を預け合うものの存在しない神に、信頼の重要さなんて分かるはずが無いのだ。

「…………ふん」

 だからこそ神は鼻を鳴らして嘲り笑う。

 高いIQを持つイルカやクジラに人の定理が解らぬように、知的生命体を自称する人にイルカやクジラの理念が解せぬように。

 一から説明されでもしない限り、神は人を理解しようとなんてしない。

 理解した気になって、知り尽くした気になって、


「下らん」


 ただ嗤うだけ。

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