5-4話【善意と悪意と】
「昨日の夜なんけどさ、ウチ妙に寝付き悪かってんよ。なんぼ横んなっとっても意識飛ばんねん」
ルーナティア城の中庭。さながら円卓のような丸テーブルを中心とした
「トトもねんねん出来ない日とかあるのよ。眠いんだけどなーって日、ほんとに時々だけどあるのよ」
「
同じようにトリカトリ・アラムとトトが同意すると、パルヴェルトが「予兆が無いんだよね」と難しい顔をしながら呟いた。思案するように顎先を指で撫でつつ「何というか……んー」と悩み、やがて「気配が無いとでも感じだろうか」と口を開くと、光は「あーそうそう、そんなん」と頷いた。
「いつも通りに寝れるっちゅー時とは何かちゃうねん。脳みそ蕩けるっちゅーか……体が出しとる「ほな寝るでやー」みたいな予兆っちゅーか、気配みたいなんを感じられん日ってあるやろ? ほんでずーっとゴロゴロしとってさ、体勢ん悪いんかなーて何度も寝返り打っとる内に一番鴉の鳴き声聞こえて「はっ? えっもう
「済まないハニー、そこまで行ったら立派な入眠障害だ。ボクはそこまでじゃない」
「入眠障害といえばタクト様が患っていらっしゃったはずですから、ペール博士に言えば導入剤辺りを貰えるはずですわ。基本的にはストレス性の場合が多いと聞き及んでおりますが……まあ詳しい話は博士に伺ってくださいまし。何せトリカは詳しくありません」
「あー……マジかぁ。何かそんな気ぃはしとってんけど……その内貰いに行くわ。博士に
少しだけ呆れたような声色をしたパルヴェルトとトリカトリに光が背もたれに体を預けながら答えると、膝の上にラムネを乗せたトトが「不眠症とは違うのよ?」と小首を傾げた。
「入眠障害は不眠症とは違うのよ? どっちもねんねん出来ない病気なのよ? でもみんな言い方が違ってたのよ。その二つは違う病気なのよ?」
「厳密には全然違うんですが、どうしても混同されがちな面はありますわね。凄いザックリ分けるとすれば、自力では本当に一切の睡眠が出来ないのが不眠症。布団に入って目を閉じてから寝るまでに何十分も掛かる場合が入眠障害。寝れるには寝れるけど四時間とかで起きてしまって、かつスッと起きれず起きてからも眠気が強いような場合は中途覚醒、とかとかって色々あるらしいですわ」
「大体トリカ嬢の言う通りだね。病に関しては適切な治療法を施さないと一切効果が得られない事も多いから、色々と細かい区分けをする必要があるんだよ。寝入りが遅い入眠障害であれば導入剤で事足りる場合が多いが、中途覚醒だと導入剤だけでは結局その後起きてしまう。睡眠の質を改善させる為に乳酸菌を摂るようにしたり、或いは導入剤では無く睡眠薬を使って完全に意識を飛ばし続けて無理矢理寝かせたり……というように、それぞれで『どうすれば良いか』がかなり変わってくるのさ」
「せやな。ぶっちゃけ「まあ似たようなもんやと思っときやー」って言ってやりたいねんけど、正直それのせいで『病気に対する理解の低さ』ってのが改善されへん面はあるやろから、せめて名前だけでも覚えたってや。………まあ今回のパターンなら名前覚えりゃどんな症例なんかも大体分かるやろけどな、入眠障害に中途覚醒ってさ◯まさんもビックリするぐらいまんまのまんまやし」
三人の説明にぽかんと口を開けて「はえー」と溜息を漏らしていたトトだったが、すぐに真面目な表情になり「トト覚えるのよ! そういうの大事なのよ!」と力強く頷いた。
膝の上で丸くなってうたた寝をするラムネをぽふぽふと撫でるトトを「偉いな。撫でたる」と光が撫でれば、トトはふにゃけたように「えへー」と口を開いて微笑んだ。
「………で、だよハニー。その後何かあったとかなんだろう? ハニーの事だ、寝付きが悪いだけの話ならここには持って来ないだろう」
トトの穏やかな笑顔に釣られて微笑んでいた光が「おぉ、せやった」と真面目な顔に戻ってトトの頭から手を離すと、トトはぷるるっと頭を振るって毛並みを整えた。
「いやな? 夜クソ程寝付けんからフラ付いててんけど、何でやろな………体が勝手にタクト求めたんかな、気付いたらタクトの部屋に向かってたんよ」
あっけらかんとした声色でそう語る光だったが、その言葉に含まれた名前を聞いたパルヴェルトは苦虫を噛み潰したような表情になる。トトやトリカトリも真面目な顔付きになり、うたた寝をしているラムネでさえも体はそのまま耳だけ光の方へと向け言葉を聞き逃さないようにしていた。
「したら部屋ん中からジズの喘ぎ声メチャクソ聞こえてきてん。…………もしかしたらジズが上手くやったんちゃうか?」
一見ただのシモネタのようにしか聞こえないその言葉だったが、パルヴェルトは表情を曇らせながら俯きがちに「だと、良いけれどね……」と呟いた。
そんなパルヴェルトの反応に反してトリカトリは「それだけなら分かりませんが、」と口を開く。
「今この場にジズ様がいらっしゃらない事を考えると、少なくとも悪い方向には行っていないと思いますよ」
「………それは何か関係あるん? タクトん事やから、仮にガチでぶっ壊れて「彗星はもっとバァーって」みたいな状態になっとったら、幾らジズ相手でも体許すとは思えんかってんけど」
小首を傾げる光に「それに関してはその通りですわね」とトリカトリが返す。
「もしタクト様が既に壊れていた、或いは手遅れレベルで壊れる寸前だった、というのであればジズ様はこの場に混ざって「駄目だったわァ」とか仰っているでしょう」
四本指の手。人間と比べると本数が足りない代わりに一本一本が太いその指先を使ったトリカトリがティーカップを口に運ぶと、その間を繋ぐように光が「あーね」と呟く。悲しげにも不思議そうにも見える表情をしたトトが「………どういう事なのよ? 良く分かんないのよ……」と口を開けば、光でもトリカトリでも無くパルヴェルトが「取り戻せる可能性があるという事さ」と答えた。
「ジズくんはまだブラザーの側に居る。それは少なくとも『まだ諦めていない』という事になる。……ジズくんはブラザーを取り戻せると思っている訳だね」
パルヴェルトの言葉にトトが「なるほどなのよ!」と、ティーカップを丸テーブルに置いたトリカトリが「確証はありませんけどね」と小さく唇を舐める。
「……………………んふふ」
それに合わせるように口元に手を当てた光が悪戯げに笑う。自身の仕草に何かあったのかとトリカトリが小首を傾げれば、鈴玉が転がるようにころころと笑いながら「いやちゃうねん」とそれを否定する。
「……ハニー、どうかしたのかい?」
「……いや、今ん流れでジズがここに来たら爆笑もんやなぁってふと思ってん。したら……んふ、ふふふふ……何かウケてもてん」
普段とは打って変わったかのように上品な仕草で口元を隠した光が「ふふふ」と微笑めば、ティーカップから手を離したトリカトリも口元に手をやりながら「何だ……トリカ鼻毛がオフサイドしてたのかと焦りました」と照れたような顔になる。
「不思議だ…………鼻毛って言われると凄い気になるね……いや本当に不思議だよ。………………ねえハニー、ボクは大丈夫だよね? レッドカードを切る必要は無いよね?」
「やめえやアホパル。そういう事言いなや、ウチまで気になるじゃろが。………大丈夫やんな? ウチはダブルドリブルしとらんよな?」
「心配要らない、ハニーは今日も可愛い。試合を続行してくれたまえ」
臆面も無く言ってのけるパルヴェルトに「さよか……ならええわ」と動じず返す光。
そんな三人の傍ら。無言で自身の鼻先をぷにぷにと触るトトだったが────、
「………………のよ?」
ふ、と目線を上げて両耳をぴこんと動かす。後方に向けて耳を向けたトトの様子を見たトリカトリが「……トト様? どうか致しましたか?」と顔を見やれば、
「誰か来るのよ」
「「「え」」」
光、パルヴェルト、トリカトリ。その場に居た三人が声を揃えるのに合わせ、トトの膝の上で丸くなっていたラムネも丸くなったままでトトと全く同じ方向へと耳を向け、その様子がトトの言葉が真実である事の証明になった。
「………音の間隔は結構小さいのよ。歩幅が狭いのか急いでるのかは分からないのよ」
ちらりと目線を合わせ、揃って冷や汗を流す。
「……………………ひ、ヒカル様、ちょっと」
落ち着かない様子のトリカトリがジトっとした目線を光に向ければ「えウチっ!?」と慌てふためく。
「ウチが悪いんけっ!?」
「いやだって……今の完全にヒカル様のせいでしょう……」
「済まないハニー、庇ってあげられない………。フラグは折っても立てちゃ駄目だよハニー………」
「何やクソパルお前までっ! まっ、まだそうと決まった訳とちゃうしっ! こっちゃ来るのジズと決まった訳とちゃう───せや博士やっ! ウチの
「………そう、ですわよね。きっとそうですわ、多分ジズ様では無い別の方ですわ。メイビートラストミー」
「………だろうね。……多分、魔王さんとかだろう。この間会った感じでは割と自由人のように見受けられたからね。ボクらに用があるのかも………そう、ブラザーの様子を聞きに来たのかもしれない」
「………………音は小さめで軽め………靴なのよ。ヒールやパンプスじゃないのよ。聞こえる間隔の小ささと合わせれば……多分背は低いのよ」
真面目な顔色で向かってくる足音を読み取るトトの言葉にパルヴェルトが「Oops...」と呟くのに合わせ、三人は居ても立っても居られなくなったかのように顔を下げて俯いてしまう。苦しげな声色でトリカトリが「めいっ、メイドたちの可能性──」と呻くが、トトは即座に「知ってる足音なのよ。最近聞いた事あるはずなのよ」とそれを否定。トリカトリが「ふぐっ」と顔をしかめれば「……おのれ邪◯王」と光が吐き捨てる。
「……………………………」
しかし光のボケにツッコめるものは誰も居なかった。トトを含めた三人が無言になって可能性に怯え始めると、次第にこつこつと床を鳴らす足音が聞こえる。
その足音は躊躇い無く東屋に向かって歩いて来ており、トトを除き緊張感に耐えられなくなった三人がぎゅっと目を閉じると────、
「あー、ここに居たあ! やっほお、みんなのアイドルう、ポルカちゃんだよお! ヒカルう、元気してたあ? タクトくんが見当たらなくてさあ───」
「「「退場ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお──────ッ!」」」
声を揃えて叫ぶ三人にルカ=ポルカがビクリと体を跳ねさせ「うわうるさっ!」と驚く。
三人揃って「ざけんなッ!」「ガッディムッ!」「ノッテンガァムッ!」と騒ぐのを見たポルカは「えなになに意味分かんないんだけどお」と狼狽える。
「あーこれポルカねえの足音だったのよ? トト覚えたのよ、次は間違えないのよ」
「こんのアホ犬がぁっ! お前のせいでウチやらかしたかってガチで焦ったやろが駄目犬っ!」
「紛らわしい発言はよしてくれたまえっ! 金玉ヒュンってなるじゃあないかっ! ついでにちんちん縮んだらどうしてくれるんだっ!」
「全くですわっ! トリカ体はおっきくてもキモは小さめなんですっ! 凄いヒヤヒヤしましたっ! もうっ!」
揃って胸元に手を当てながら口々に騒ぎ出す三人に「うわトトに飛び火したのよ……というかトト犬じゃないのよ!」とトトが犬歯を剥いて否定するが、三人は落ち着く様子なんて何一つ見せずにぎゃいのぎゃいのと文句を言い続けた。
「…………………………どういう状況なのお? ぼくすっごい間の悪い時に来ちゃった感じい?」
ただ一人、ルカ=ポルカだけは蚊帳の外だったが、正直ポルカはこの中に混ざりたいとは思えず「急いで戻って来たの間違いだったかなあ……」と僅かばかりの後悔の念を抱いていた。
「…………という訳で、ポルカ様には申し訳無いのですが、今のタクト様には会いに行って欲しくないのでございます」
冷静さを取り戻したトリカトリが説明をし終えると、ムッスリとした膨れっ面のトトに抱き着かれたルカ=ポルカが「はあ」と呆れ声を返す。
椅子に座ったポルカに、さながら対面座位のような格好で抱き着いたトトがポルカの胸元に顔を埋めながら「腹立つのよ! トト悪くないのにトトのせいにされたのよ! ちょー腹立つのよ!」と文句を垂れれば、ポルカは「なるほどねえ」と言ってその後頭部を優しくもへもへと撫でてあやしていた。
椅子に座りながらトトを抱っこするポルカが「よっこいしょお」と体勢を整えながら足元を見やれば、ポルカの足元の近くで丸くなって寝直していたラムネがゆるりと尻尾を一振りするのが視界に入る。その空色の背中から目線を外したポルカに「アールグレイだ。砂糖は無しだよ」とパルヴェルトがティーカップを寄せる。
「ありがとお。でもぼく猫舌だからあ、冷めるまで飲めないんだあ」
「構わないよ、好きな楽しみ方で楽しめば良いんだ。………砂糖は無しで良いのかい?」
落ち着いた声色で問い掛けるパルヴェルトに「要らないよお。ありがとねえ」と微笑むと、パルヴェルトも「そうか」と穏やかに微笑んだ。
─────が、
「………何でヒカルが付いていながらそんな事になってるやらって感じだねえ」
「ぐ」
「散々強気に言っておきながらこの程度かあ、って感じい?」
「くぬ……ぐぐぐ……」
無遠慮でありながらも核心を突いたポルカの言葉に光が顔をしかめながら震え出すと、光の震えに合わせるようにトリカトリが少しずつオロオロと慌て始める。しかしポルカは強気なままで「口程にも無いねえ。プークスクス」と煽る事をやめない。
その様子に「余りハニーを責めてあげないでくれ」とパルヴェルトが口を挟めば、ポルカは「だってさあ」と呆れた顔で大きく溜息を吐く。そんなポルカに光は「ぐにゅにゅにゅ……」と悔しげな顔で呻き続ける。
しかしポルカは煽り直すような事はせず、すぐに小さく頭を振って「……まあそれは置いとくよお」と話題を変えた。
「ぼくがどれだけ言った所で後の祭りだからねえ。夏の終わりを憂う程の愛国心は無いしい、ぼく的にはヒカルの悔しがる顔よりタクトくんの悔しがる顔とか見てる方が楽しいからねえ」
「…………何やお前タクトん事好き好き言うとったんにファッション系だったんか? エロ絵師がオキニのキャラの陵辱レ◯プ絵ばっか描きたがる的に、好きな子程いじめたなるタイプかお前」
悔しさの残る表情でそう言う光に何でも無いような声色で「どんな顔してても愛おしく感じるだけだよお」と返すと、ポルカは「それよりい、そもそもなんだけどさあ」と小首を傾げながら光の返答を待たず本題に入る。
「ぼく結局カルテ出された事とか無いから分かんないんだけどさあ、そういう疑心暗鬼みたいなのってそんな簡単になるものなのお?」
「あ、それトトも思ってたのよ!」
ポルカの疑問にトトが顔を上げれば「確かに私もそれは不思議でしたわね」と神妙な面持ちで首を傾げた。
基本的に愚者は何かしら心を患っている事が多い。『しくじって死んだもの』という言葉だけだと様々なものが当てはまるが、『不幸なまま幸福になれず死んだもの』と意訳すれば心の一つ二つ患っていても何らおかしくは無い。
人の心は簡単に壊れてしまう。過労、ストレス、対人関係だけで無く、そも生まれ来る段階で、人の心はいとも容易く壊れてしまう。
その割に一度壊れた人の心はそう簡単には完治しない。ストレス環境化から離し、穏やかな休息を与え、自己問答で適解を導けるよう投薬治療を行ない、澱んだ心をリフレッシュする為のリハビリテーションを、年単位で行って初めて医師はカルテに「経過良好」の文字を書く。
一日あれば壊れてしまう人の心というものは、その割に一年掛けても治らない事の方が多いのだ。
橘光はそれを良く知っている。自らの豊満な体型を僻まれて発症した女性嫌悪症、体しか見ようとしない男性が原因で発症した対人嫌悪症。今ではマシになったものの、それでも「治った」とは決して言えない。橘光の病は死んでも尚治っていないだろう。
それはパルヴェルト・パーヴァンシーも同様であり、彼も光と同じく心を病んでいる。前向きで努力家で、絶望の光に包まれ全てが無為に帰すまで諦めなかった男だからこそ、現代人にありがちな「医者に掛かる暇が無い」「自分に限らずそんな事は無いだろう」という考えに至り診断書は持っていない。
しかしパルヴェルト・パーヴァンシーという青年は愚者として呼び出されるに足る程度には心が弱く、自らのみを焼き殺す闇に苛まれている。
だからこそタクトが疑心暗鬼に包まれ自己問答に自己否定が出来なかった事に、二人が異議を唱えるような事は無かった。「自分も似たような経験をした事があるから」と、分かってあげられるから、二人は彼を責めなかったのだ。
だがルーナティア人であるトリカトリ・アラムやトトにはそんなもの分かる訳も無い。持っている知識は「そういう病気がある」ぐらいなもので、どうしてそうなるのか、何でそうなるのかなんて露程も分かり得ない。
「……トトくんとトリカ嬢が分からないのは分かるが、ポルカくんまで分からないのかい? キミだって愚者なんだろう? 完全に「分かる」と頷く事が出来ずとも、それでも少しはブラザーに同調出来そうなものだと思うんだが………」
神妙な面持ちでポルカを見たパルヴェルトはそう言った直後に「あっ、いや違うよ。キミを批難するつもりでは無いんだ」と慌てて手を振った。
「愚者は不幸のドン底に沈んだまま浮かばれずに死んだものと聞いている。ポルカくんが愚者であり、不幸のドン底で溺れ死んだというのなら、心の一つも壊していて然るべきだろうにと疑問になったんだ…………………気を悪くしたなら済まない、謝るよ」
少しだけ早口になって訂正するパルヴェルトにポルカが「あー」と口を開き、少し悩んだ様子で「ぼくはあ、ねえ……」と目を伏せるが、すぐに「まあいっかあ」と顔を上げる。
「いやさあ……ぼく騙されてえっちなビデオに出演させられてさあ、それが理由で自殺したんだよねえ」
ポルカは努めて明るい声色で言ったつもりだったが、その努力が実るような事は当然無かった。悲しげに眉を潜めてハッと驚くトリカトリとトト、まるで親族に起こった出来事であるかのように悔しげに唇を噛むパルヴェルト、普段らしからぬ神妙な表情で目を細める光。
「タクトくんには言わないでねえ、純真無垢なイメージ壊れちゃうからさあ」
「ふたなり女に純真無垢なイメージなんかあらへんやろがい」
思った事を考える前に口にする光の冷静なツッコミが、今のポルカにはどうしてか心地良く感じた。
───────
「アイドルをやってみないかい」
ピッチリと糊が効いたスーツを着た男は、日本の大学に留学してきていた頃のポルカに名刺を差し出し、穏やかな声色でそう言った。その言葉を聞いたポルカは、そもそも「アイドル」という日本語のしっかりとした意味が分からず、少しだけ片言になりながら「アイドルって何ですか? 良く分からないです」と聞いた。その言葉を聞いた男は「ふむ」と鼻を鳴らしてから「言葉の意味が分からない? アイドルが何だか分からない?」と問い掛け、ポルカはそれに黙って頷いた。
「アイドルっていうのはね、みんなを幸せにする人たちの事だよ」
その甘い言葉に、ルカ=ポルカは呑まれてしまった。
最初の内は本当にアイドルとして活躍させて貰っていた。テレビに出る程では無かったものの、小さな
楽しかった。ボイストレーニングやダンスレッスンは辛かったし、
けれどいざステージに立ってみれば、そんな艱難辛苦は全て吹き飛んでいった。頭にあるのは『楽しい』の一言だけ。誰に
「ポルカちゃん、もしかしたらちょっとだけ大きな箱が取れそうなんだけどさ」
キッカケはマネージャーが言ったその一言だった。
ただ酒を
スーツかドレスを着ていなければ入る事すら許されない高級ホテルの最上階。そこで待っていた小太りの中年は何一つ遠慮無くポルカの腰を抱き寄せた。
「良い箱で歌いたいんだろう? ならどうすれば良いか、分かってるね?」
男のその言葉を聞いたポルカに選択肢なんて無かった。自分が歌えなくなるだけでは済まない、マネージャーは仕事を失うし、場合によっては家族にすら飛び火しかねないなんて言われてしまえば、もはやポルカは踊るしか無かった。マイクの代わりに男根を握り、男の指使いに嬌声を上げ、惚けたポルカを見て下卑た笑みを浮かべる男を相手に、その腰の上で汗を弾けさせながら踊り狂うしか選択肢は無かった。
けれど別に構わなかった。元より処女だ何だに興味は無かったし、アイドルとしてもっと楽しみたいという欲求の強かったポルカにしてみれば、おっさん相手に援助交際紛いの事をするだけで願いが叶うのなら安いものだと思えた。
「大箱の前にイメージビデオ撮って集客に繋げるから」
けれどルカ=ポルカという女は、その言葉と共に破滅へ向かっていった。今にして思えば、そんな言葉を告げたマネージャーは昔と比べて表情が無くなっており、ポルカに笑顔を向ける事も皆無になっていたような気がするが、その時のポルカはどうして気付けなかったのだろうか。
無意味に筋肉の付いた男の「じゃあそろそろ脱ごっか」なんて言葉に戸惑いを見せれば「さっさと脱げ」と小声で怒られ、あれよあれよという間に犯され倒した。
そこからはもはや一瞬の出来事だった。ルカ=ポルカというアイドルの卵だった女の子は騙されるままアダルティアイドルへと変えられ、兎にも角にも様々なジャンルの撮影を行わされた。コスプレや緊縛、キメセクから陵辱に繋がり盗撮モノだって撮られた。
そう、撮られた。どれもポルカは同意していなかったにも関わらず、ルカ=ポルカという女はレイプ物のアダルトビデオにすら出演させられた。
一切のアポイントメントも無しに帰宅際を襲われ、手足を拘束されたかと思えば童貞もびっくりするような雑な愛撫に無理矢理絶頂させられた。ただの防衛本能にも関わらず「濡れてんじゃねえか。体は正直だな」なんて言われながらも、撮影中のポルカにそんな事を言う余裕は皆無だった。
当然ながら被害届は提出した。何度だって提出したし、告訴状だって作った。無意味に時間の掛かる事情聴取を繰り返し、思い出したくも無い陵辱の過去を幾度と無く聴取担当者に口頭で説明した。
けれどルカ=ポルカは知らなかった。日本人で無いが故に、日本がどれだけ汚職という闇を抱えているのかを、ルカ=ポルカは知らなかった。
朝早く起きて日本語の自習をし、昼が近付けば警察署へ向かい、夕方頃になったら弁護士の元へと向かい、空が濃紺色に染まれば背後から襲われ陵辱の限りを尽くされる。
そんな下らないルーティンワークにも良い加減飽きて来た頃、ポルカは自身の体に異変を感じた。
………………いや、もうとっくのとうに異変は感じていた。しかし心がそれを認めようとせず、見て見ぬふりをしていたに過ぎない。
しかしそれは遂に見詰めざるを得なくなり、ポルカは覚束無い足取りでトイレに向かった。
「……………………嘘」
アイスの棒のような板状の形をした検査器に一筋の赤い線がぼんやりと浮かび出す。
妊娠検査器は陽性反応を示していた。
「……………………あ」
お腹に手を当てる。下腹は既に隠し切れぬ程に膨れていたが、しかしポルカはそれを認める事が出来ず、見て見ぬ振りをし続けていた。陽性反応が出るのは当たり前過ぎる状態だったが、膨らみ始めていた腹部すら認識出来なかったポルカは、とっくのとうに壊れていたのかもしれない。
もう堕ろす事なんて出やしない。今から出来るのは殺す事だけ。いつ受精したのかは分からないが、もう何もかもが手遅れだった。
もしもアイドル事務所に暴力団が関わっていなくて、もしもその暴力団が警察署と癒着していなくて、もしもポルカの精神が繰り返される下らないルーティンワークに摩耗していなかったとすれば、きっとこの子は明確な命の形を得る前にポルカの体から出ていたかもしれない。それならばまだ良かった。
「……………………っ」
ポルカの頬を涙が伝う。強く歯を食い縛り、祖国の両親に全てを話す決意をする。
この子は産む。
親に何と言われようと、絶対に産んで、自分とは真逆の人生を歩ませてやる。
決意は硬かった。
だがポルカの決意なんて誰にも関係無かった。
「流産ビデオだったよお。拉致られてえ、手足縛られてえ……何人居たかは分かんないけどお、いっぱい見てたような気はするなあ」
腹部を誰かが蹴り上げる。ソフトリョナを自称する嘘臭い茶番のようなアダルトビデオのそれでは無く、何一つ容赦の無い暴力がポルカの腹部を穿つように蹴り上げた。
一回目は耐えられた。激痛と嘔吐感に歯を食い縛った。
二回目の蹴りで、ポルカは完全に壊れてしまった。
お腹が一気に軽くなった感覚がして、自身の膣内を何かがズルりと飛び出していく感覚に全身が震えた。
周りから上がる歓声が耳にも入らず、ポルカは理解の出来ぬ絶頂に体を震わせる事しか出来なかった。
カメラマンが近付き、ポルカの子宮から引き摺り出された『人になるはずだった肉』を接写する近くで…………スタッフだろうか、誰とも知らぬ男がポルカの両手足に付けられた拘束具を解き、それがゴトンと床に落ちる。
その時、ポルカの耳に聞き覚えのある声が聞こえた。敷き詰められたブルーシートを踏み付けるガサガサという音が遠ざかるのに合わせ、ポルカは双眸を見開いて落ちている拘束具を握り締めた。
「手錠みたいなやつだったかなあ。それでガラス割ってえ、あいつの所に一気に向かったんだよねえ」
右手の指をガラスが切り裂き、尋常では無い痛みが脳を焼きそうになる。
しかしだからこそポルカは更に強く破片を握り締めた。
皮膚を裂き、肉を抉り、やがてガラスの破片は骨に食い込み固定される。チカチカと明滅する視界が徐々に赤く染まる感覚がして────小太りの中年の、その喉笛に向かってポルカはただ突き進んだ。
誰かの怒声が聞こえる。ポルカを押さえ込もうとした男の指が切り取られて宙を舞う。怒声は悲鳴に変わり、悲鳴は絶叫に変わり、絶叫はやがてゴボゴボと泡の混じった音になる。
ポルカの首に誰かの腕が回される。チョークスリーパーだろうか。
「ううゔゔあああああああああああ────────ッ!!」
回された腕にガラスを突き刺し引き裂き続ければ、すぐに絶叫が聞こえて首を絞める腕が緩む。
もはや男の悲鳴をただの音としか認識出来なくなっていたポルカは即座に向き直り、間抜け面で怯えている男の首にガラスを突き刺す。
躊躇いは無かった。当然。ある訳が無い。
殺す。ただ殺す。殺されたのだから、殺し返す。
この命の重さは、この場に居る全てを殺さねば到底釣り合わない。
私が踊ったんだから、お前も踊れ。
この子が殺されたのなら、お前だって殺されろ。
「駄目だよねえ、人殺しを止めようと思ったらそいつを殺すつもりで行かなきゃあ。首絞めだなんて日和ってちゃあ、余計に死人が増えるだけだよお」
あっけらかんとした声色で締め括るポルカ。
「────っ!」
やれやれとでも言わんばかりに両手を広げるポルカに、パルヴェルトが飛び掛るように抱き着いた。「わあっ!?」とポルカが驚くが、パルヴェルトは彼女の頭を強く抱き締め、ただ嗚咽を噛むだけで他には何もしなかった。
ギュッと力強くポルカを抱き締めるパルヴェルトは、そのうなじに顔を埋めるようにしながら「済まない……っ」と謝罪する。
「………何に対して謝ってるのさあ。今更同情されてもどうしようも無いよお? ……それよりおっぱい潰れて苦しいんだけどなあ」
「………済まないっ…………済まないっ…………」
「んゃ……何でパルくんが泣いてるのさあ。意味分かんないよお? 今はそういうシーンじゃ無いと思うんだけどなあ」
力強くポルカを抱き締め歯を食い縛るパルヴェルトの頭をポルカが撫で返す。「これじゃどっちが慰められてるんだか分かんないよお」と笑うポルカに、やはりパルヴェルトは「……済まない」と甲高い嗚咽で謝罪するだけだった。
嘆息混じりで「なんだかなあ」と呟くポルカに光が「まあ、なんや」と口を開く。
「人の心なんざ簡単に壊れてまう、物理非物理は関係あらん。一度壊れ始めたら、心は自己防衛の為に周りを疑うようなる。疑心暗鬼っちゅーんは心にヒビが入ってる証みたいなもんやでよ」
人は体を持っている。外からの傷に対し、人は皮膚で、脂肪で、筋肉で、骨でそれを受け止める事が出来る。例え二度と治らぬ傷になったとしても、外傷で済ませる事が出来る。
しかし心は体を持っていない。
外からの悪意は何にも遮られず直に心を抉り、容易に壊してしまう。
けれど人は簡単に他人の心を傷付ける。
それも当たり前の話。
自分は壊された事なんて無いのだから。
そんな簡単に壊れる訳が無いだろうと、他人は高を括って他人を壊す。
壊れてからでは何もかも手遅れだという事を、他人は知らないのだ。
「………殺された事が無いから殺すようなもんだねえ」
ひくひくと横隔膜を痙攣させるパルヴェルトの背中を撫でると、何だか愚図る赤ん坊をあやしているような気持ちになる。
産めなかった赤ん坊を、あやしているような気持ちになる。
「せやから、今はジズぐらいしか手ぇ打てんねや」
トリカトリが淹れた紅茶………に見せ掛けて実はパルヴェルトが淹れた紅茶を飲みながら光が言うと、同じように紅茶を飲んだポルカが「なるほどねえ」とカップをソーサーに戻した。
その隣に居るトトが「あちゅっ! ……まだあちゅいのよ」と両手で持ったカップから口を離して涙目になると、光は「ふーふーしやね。ウチらかてちゃんとふーふーしとるで?」と穏やかな声色でトトを見詰める。
その言葉に「ふー……ふー……」と慎重に息を吹き掛けたトトが再び紅茶に口を付ければ、ほっこりとした吐息を漏らしながら「飲めたのよ……美味しいのよ……」と湯気を吐く。
「お砂糖は一個で良かったあ? ベタベタに甘くするのも美味しいよお」
「……お砂糖は高くて勿体無いのよ。トトは一個で良いのよ」
「何言うとんね、マレーシア辺りじゃ溶け切らず底に沈むぐらい砂糖バカスカ入れるで。マレーシアだったかは覚えてないけど」
「あ〜、それ聞いた事あるなあ。暑い国の方でさあ、コーヒーとか紅茶を飲み切った後お、底に沈んだお砂糖をスプーンで掬ってジャリジャリ食べるんだっけえ? それが当たり前って聞いたなあ」
「……そうなのよ? お下品って怒られないのよ?」
砂糖とカップを交互に見比べたトトが恐る恐るそう言うと、光はまるで咳き込むように「はっ、アホ言いなや」と鼻で笑った。
「スーツのドレスの着とる場とちゃうんから、誰も誰かになんぼ言う権利なんざあらすけえよ」
「チャノユだっけえ? 昔はただみんなでお茶を飲んで心を落ち着かせるだけの場だったってやつう」
「せやな。公家の白塗り共が「由緒正しき椀でおじゃ」とか「飲み方に品が無いでおじゃ」とか言うて本来の目的ぶち壊してん。お陰で息抜きの場だったはずが軒並み息詰まって嫌気差したっちゅーやっちゃな」
「何だかアンダーマイニングみたいだねえ。フォールス・コンセンサスも乗ってわやくちゃだあ」
「どっちかっちゃあスノッブ効果の方が当てはまる気ぃはするけどな。要は人ん集まる場でマウント取りたいっちゅー話やろ? 戦国時代からなんも進歩しとらん、流石は自称知的生命体や」
嘲笑うように言い終えた光が「お代わり!」とトリカトリにカップを差し出すと「はい、ただいま」とトリカトリは震える指先で慎重に紅茶を注ぐ。良い塩梅に紅茶を注ぎ終え「ふぃ……上手に入れれました!」とドヤ顔をするトリカトリに「良く出来たねえ、偉い偉い」とポルカが笑みを送る。
その裏で砂糖入れの小さなトングを使って自身のカップに「三つや! お砂糖三つがええんや! このいやしんぼめ! うっふぅ〜!」とハイテンションで砂糖を入れ、
「ウダウダ言うとらんと、トトも入れりゃあええねん。………ほれ」
「────あっ」
以降口を付けていなかったトトのティーカップに手を伸ばし、光が砂糖を一つ継ぎ足した。そして「二個でええんか?」と問い掛ければ「あ、あの……あぅ」とトトが言い淀む。
「三つ入れちゃえ〜」
そこにポルカが野次を飛ばせば「任せえ」と光が三つ目の角砂糖を放り込む。器用にも飛沫一つ立てずに沈み込んだ砂糖にトトが「あっ」と口を開けば、即座にトリカトリが「ティースプーンをどうぞ」と大きな指で小さな匙を差し出した。
「………えと、あの、ヒカルねえ……トトね、あの、あの」
「なんや文句は受け付けんで。ウチはこういう生き方するって決めたんや」
「ヒカルってほんとに豪快だよねえ。山賊の親分みたいだあ」
「ダハハハハハっ!」
「うわマジで山賊みたいに笑ってるう」
その癖慎重に紅茶に息を吹き掛けた光がゴビゴビと喉を鳴らして紅茶を飲むと、様子を窺うような声色をしたトトが「あの、」と口を開き、
「……………トト、お砂糖………よ、四つ欲しいのよ」
揃って目を丸くする中、光はすぐに「んははっ」と笑う。それに合わせてポルカもトリカトリも柔和に微笑んだ。
「四つか! お砂糖四つ欲しいんか! この糖尿病め! くれてやる! よう掻き混ぜてちゃんと溶かしゃあ!」
「あ……っ、………うんなのよ!」
「……トト様は甘いものがお好きなのですね、トリカ覚えましたわ。今度トリカのお気に入りのお菓子を持って窓から華麗に参上致しますわ。当然叩き割ります。サイズ的に窓枠ごと壁を」
「トリカちゃんはまず紅茶淹れる練習しないといけないねえ。お茶無しでお茶菓子だけあっても口の中パッサパサになっちゃうよお?」
「んぐ───。………トリカの体のサイズにティーポットが合ってないのが悪いんですわ。そう、トリカは悪くない、トリカジャスティス」
「じゃあ今度博士辺りに頼んでトリカちゃんでも困らないサイズのティーポット作って貰おうねえ」
「………何で博士なんって思ってんけど……まあ魔王のオバンに直談判するよか博士ぇ繋いだ方が通りやすいわな」
「あっ、トトも! トトもお紅茶淹れる練習したいのよ! にいにお紅茶淹れてあげてトトが立派なレディーな所を見せ付けるのよ!」
「でしたら私と二人で練習致しましょうね。心配ありません、トリカと一緒ならどれだけポットを叩き割ってもみんな苦笑いで許してくれますよ」
穏やかに笑い合うトリカトリとトトに「どんだけ割ってるのさあ……」と既に苦笑いをするポルカ。
そこへ光が「……で、や」と目線を向ける。
「お前はいつまで泣いとるねんアホパル」
その
名残りを惜しむように、ポルカの指から金色の髪が離れていき、すっくと立ち上がったパルヴェルトは毅然とした目付きで「決めた」と呟く。
「ブラザーに何かサプライズを送ろう」
「サプライズ? 何やいきなり」
「ボクは……ボクは────ボクはもう、黙って誰かを思うだけのボクで居たくない。それは違うと気が付いた。それは違うと気が付けた」
何か動かなくては何も変わらない。スマホを片手に、箸を齧りながら「この国はもう駄目だ」とマスを掻くだけでは誰も笑顔になれないのだと、パルヴェルトは言う。
「何でも良い。みんなでブラザーに小さなサプライズを用意しておこう。ブラザーが戻って来たら、すぐに動けるようにしておいて欲しい」
「……いや言いたい事は分かるけどさあ、そもそもタクトくんが戻ってくる保証────」
「戻ってくるッ! 絶対にだッ!」
例えば誰かが何かに挑戦するとして、周りの人間がそれを「心配だ」と不安がるのは、転じて言えば「そいつの実力を信じていない」という事になってしまう。
そいつではその挑戦を乗り越えられるかどうかが分からない。本当に信じているなら心配なんて感情は浮かばず、ただ堂々と帰りを待っているだろうに。心配だと思う事はつまり、「失敗するかも」とそいつの実力を疑っているに他ならない。
「ブラザーがボクを信じられなくなったとしても関係無い。ボクはブラザーを信じ続ける。そう決めたんだ。そう決めたはずだったんだ。にも関わらずボクはブラザーを信じ切れていなかった」
不安だった。彼がまた笑ってくれるのか、また一緒に遊んでくれるのか、そう考えると不安しか浮かばなかった。
それはパルヴェルトにとって叛意でしか無かった。
「ボクに出来る事は多くない。会計で余った小銭を一摘み募金箱に入れるぐらいしか出来やしない」
けれどそれで良い。テレビを見ながら、新聞を見ながら、スマホを見ながら、口先だけの「心配」をする偽善者に比べれば───、
「動こう。ボクらも。何でも良い。小さなサプライズを用意する程度で良い。スベったらボクが更に寒いネタを出そう。そのままみんなでボクを笑えば、ブラザーだってきっと笑ってくれる。ブラザーが笑ってくれれば、ボクだって一緒になって笑える」
何かと理由を付けて結局何もしない奴になるよりは、せめて信じ切って道化になる方が良い。
顔で泣いても、心で笑えていれば何も問題無い。
「………………クソ不器用だねえ、パルくんも」
「自覚しているよポルカくん。けれど許してくれ、ボクには不器用な生き方しか出来ないんだ。器用に死ぬ事すら出来なかったボクなんだ。………鼻で笑いながら見守ってくれると嬉しい」
「………はっ」
隣に居た橘光が鼻で笑うと、パルヴェルトは小さく「あ本当に鼻で笑われるとちょっとヘコむ」と呟く。それを見やりながら「ええやん、暇やし乗るか」と光が言えば、トリカトリは「サプライズ……何すれば良いか全然浮かびません」ともう頭をひねり始めていた。
「どうせ暇やんし、何かテケトーに考えて時間潰すか。結局、ウチらが他に出来る事なんざ無いんやし」
「…………ありがとう。流石ハニーだ、愛しているよ」
「ウチはタクト一筋やから」
「気にしなくて良いんだハニー、ボクが一方的に愛しているだけなんだ。粘着する訳でも無し、特に応じる必要は無い。どうしても煩わしいのであれば言ってくれ、控えよう」
「どうしても煩わしい、控えぇ下郎」
「………………ぐす、ぐすん………ずず……ぐすん」
「あーあーヒカルう、冗談キツいんじゃないのお? パルくん無言で泣いてるよお。………おーよしよし、ぼくのおっぱいでお泣きい? ヒカルほどボインボボインボしてないけどお、それでもふっかふかだよお」
「何やお前ウチのパイオツをオイ◯ゴ・ボイ◯ゴブラザーズみたい言いよってからに」
トリカトリが一人で頭をひねり、パルヴェルトがポルカの胸元で泣き、光とポルカが馬鹿話を始めようとした時、
「─────────誰か来るのよ」
トトがルーナティア城内に耳を向けた。それと全く同じタイミングで、それまで黙ってうとうとしていた薄昼行性であるネコ科の幽霊、ラムネ・ザ・スプーキーキャットがむくりと体を起こして城の方を見る。
「……………小さい足音なのよ。背が低い……体重も軽いのよ」
「おれしってる。このおとしってる」
一人と一匹の言葉に全員が口を閉ざす。
「え、えと………この流れは……」
沈黙を破ったのはトリカトリ。それに次いで光が「無い無い」と苦笑いする。
「どうせまたフタナリが来る流れや。ウチ知っとるで」
「そりゃ知ってるはすだよお、だってぼくここに居るもん」
「これ、げぼくにごうのおと」
空気を読まないラムネの言葉に全員が絶句する。
泣きだしていたパルヴェルトが歯を食い縛る。ポルカの胸元に顔を
「……………来るのよ」
「にごうだ」
そして────、
「うーィっす。………あァ? 珍しい顔触れが居ンじゃァん。よォポルカァ、元気してたァ?」
濡れた髪をわしわしとタオルで拭きながら、ジズベット・フラムベル・クランベリーが軽快な足取りで中庭の
そして、
「……………何この空気ィ。超逃げ出してェわァ」
僅かに呆れの窺えるしかめっ面をしながら、慣れた手付きで自分のカップに紅茶を注ぎ始める。
しかしジズを除くその場の誰もが、口を開けず黙ったままだった。
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