5-閑話【勇者の凱旋】



 サンスベロニア帝国の地下三階。階層だけ聞けばかなり浅い部類に入るそこは、しかしサンスベロニア帝国の生命線と言って何ら差し支えの無い、最重要施設が集まっている。それ故、地下三階という階層にしては異様なまでに深くまで掘り進められ、エレベーターのカーゴに乗ってから最下層までは、カーゴ内に同席した男女が性行為に及んで尚ピロートークが行える程の長い時間を要する。

 途中途中に大きな岩層を挟む事で可能な限り崩落のリスクを下げ、また仮に崩落が起こったとしても地下施設内に居るスタッフたちが圧死しないよう、外壁は異常に分厚い金属製で出来ている。だからこそ、地下労働という聞いただけで視界がぐにゃあ〜っと歪んでしまいそうな単語でも、スタッフたちは日々献身的に働く事が出来ているのだ。

 しかしその反面でデメリットも多い。

 まずは前述した通り、地上階までの長過ぎるエレベーターの旅。待ち時間中に読む予定の本を忘れた日には、カーゴ内に設置されている椅子に座ってそのまま寝てしまう事がザラにある。余りにも多過ぎて「エレベーターで寝落ちして遅刻しました」では無く「エレベーター内で読む本を社員寮に忘れてしまって……」と言い訳する程であり、当然ながら「寝落ちするなんて弛んでるぞ!」と怒るような上司だって存在しない。

 次の問題は地熱。穴を掘り地下に進むという事は、それだけマントルに近付くという事と同義。金属製の外壁にはヒートシンクシステムが採用されているものの、それでも何らかのエラーや定期メンテナンスで空調が使えない時は若い女性スタッフですら上半身下着姿で勤務に臨む事が当たり前にある。

 ただし最下層だけは魔力導炉と直結しており、かつその魔力導炉が絶えず稼働し続けられるように作られている関係から空調が落ちる事はまず無い。けれど地下一階と地下二階は、大型人口太陽光ランプの強い発熱に加え、季節を問わず訪れる定期メンテナンスにより頻繁に暑くてダルい日がやって来てしまう。

 そして最後。食事含む生活用品の搬入に手間と時間が掛かる事。

 地下内には各階層毎に巨大な社員寮が建てられており、スタッフは基本的に住み込みで働く事になる。しかし周辺には釣り堀やミニゴーカート。賭博場やラブホテル、風俗店すらも設営されているのでスタッフが退屈を押し付けられる事はかなりレアケース。

 しかし飲食店だけは社員寮内の大型食堂しか存在しない。

 理由は簡単。単純に食材や調味料、調理器具等を地下三階までのクソ長い旅で運びまくるのが手間過ぎるからだ。国営である社員食堂は手間だとしてもやるしか無いが、フランチャイズや個人経営がここに入り込む余地は存在しない。地下施設の存在は極めて厳重に秘匿されている上、仮にそれを掻い潜って中に店舗を置けたとしても手間が掛かり過ぎて採算が取れないのだ。

 加え、地下施設で働く一般スタッフ達はもはや「地下施設民族」と呼べる程に地上階から隔絶されているので、仮に民営企業が赤字覚悟で滑り込んだとしてもスタッフたちは警戒心から中々寄り付こうとせず、そうこう言っている間に廃棄が増えて覚悟していた赤字を目の当たりにさせられてしまうのだ。

「………ふん、ふん………ふんふん………ん〜、ふんふ〜ん」

 そんなブラックなんだかホワイトなんだか正直良く分からない「ある意味ではこういう職場が一番安定してるよな」と言いたくなるような地下施設の最下層。正式名称は『魔力導炉』、通称は「アダン研究所」、蔑称は「おっさんの作った秘密基地」にて、ルーニャレット・ルーナロッカが鼻歌を歌いながら調理器具の様子を見ている。

「結構色々ある………あ、春雨……うぅん、どうしようかな………。…………決めた。……ふん、ふん………ふんふん……」

 小さな桃色の花柄エプロンを身に纏い、コンプレックスであり心の傷である口元を三角巾で覆って飛沫による感染症対策をしたルーニャレットが、吃音無しで独り言を済ませる。そして手際良く調理器具と食材とを簡易魔力コンロの近くに並べていく。

「………………彼女は綺麗な声をしているな」

 そんなルーニャレットの後ろ姿を眺めながら呟くのは若干二十代にしてサンスベロニア帝国の現総帥を務める、ペルチェ・シェパードその人であった。

 黄金色の長髪は綺麗に整えられ、凛とした顔立ちは良い言い方であれば「ボーイッシュなクール系お姉さん」、悪い言い方であれば「おっぱいの付いたイケメン」等と表現されそうなものだが、しかし彼はれっきとした男である。

「普段は余り長々と聞ける機会が無いが………今のようなタイミングに鉢合わせると耳を奪われる感覚がする。透き通るような素敵な声だ」

「恐れながら陛下。私は浮気を許せない女に御座います。どうか、それだけは重々お忘れ無きよう」

「肉が食いてえ。オレは肉が食いてえ! ルーニャレット女ぉ史っ! オレは肉が食いてえッ!」

 そんなペルチェに対して凛とした声色で忠言をするニェーレ・シュテルン・イェーガーと、天才であるはずなのに馬鹿っぽさばかりが際立つアダン・グラッドの発言に、ペルチェとルーニャレットは奇しくも全く同じタイミングで小さな溜息を吐いた。

「………ニェーレ、心配しなくても俺はお前以外は愛さないから安心してくれ。あと口調が硬い。今日はお忍び扱いなんだ、頼むからもっと忍んでくれ。肩が凝る」

「……………ペルチェ様」

「………ああ。どうしたニェーレ」

「ペルチェ様は「愛さない」とは仰りましたが「抱かない」とは仰っておりませんし、何より「抱かれない」とも仰っておりません。体の関係に、時として愛が介入しないのをペルチェ様はご存知のはずです」

 真顔のままで食い下がるニェーレに「………はぁ」と大きな溜息を漏らすペルチェは、ニェーレの小さな頭部を優しく撫でながら「勘弁してくれないか」と緩やかにかぶりを振る。

「………本当にもう誰ともそういう事はしない、お前を悲しませるような事はしない。頼むから安心してくれよ」

「ペルチェ様、私はペルチェ様が浮気紛いの事をしたとしても悲しんだりはしません。ただクソ程腹が立ってその相手を殺さずには居られないというだけです」

「いやもう頼むから勘弁してくれもう許してくれよ、ほらこの通りだ。ニェーレ、お前が口だけでは無く本当に殺してしまう事はもう重々承知しているんだ。これ以上人員不足に悩みたくは無いから誰とも肌を重ねない。本当だ、頼むから信じてくれ」


「……………………………………………二年前のおっぱいボインなお姉さん系」


「やめてくれやめてくれ許してもう許してくれよ。違うんだ違う聞いてくれニェーレ、あれは接待でヤるしか無かったんだよ、ヤらなかったら資金援助に差し障るぐらいまで話が膨らんでしまったんだよ正直ケバかったから俺だって嫌だったけど、何か変に気に入られちゃってどうしようも無かったんだよ」

「四年前の私に良く似た背の低い新入りのメイド」

「アァァーッ! やめてくれェーッ! 頼むからやめてくれウワァーもう嫌だァーッ! やめてくれェーッ! あの娘は俺がイメージする幼い頃のニェーレにビビる程そっくりだったんだァーッ! まさかあんな若い娘まで即日で殺すとは思ってなかったんだァーッ! 彼女が生きていたはずの分まで俺が国民を長生きさせるからどうか許してくれよォーッ!」

「……………今夜、宜しいですね?」

「うぅ……良いよ、構わない。ただ少し控え目にしてくれよニェーレ……何かこう、勇者を呼び出してからのお前はちょっと激し過ぎる気がするんだ……このままじゃ体が保たない」

「女性は加齢と共に性欲が強くなる傾向にあります。あと勇者関係でのストレスもあり、また勇者関係でペルチェ様と致す頻度も減っておりますから」

「くっ………おいアダン! お前も黙って見てないで助け舟の一隻ぐらい出したらどうなんだ! 国王であり総帥である俺の股間がもげるかもげないかの瀬戸際だっていうのに不敬過ぎるぞお前!」

「悪いがペル坊、今日の気分は完全に肉の気分でな。ペル坊に構うような気分じゃあねえんだ」

「アダン不敬ですよ、陛下かペルチェ様とお呼びなさい、国民全てに義務付けられているのを貴方は知っているはずです。因みにでも私はねやの中でだけペルちゃんと呼ぶ事を許されています。特例措置ですよ、羨ましいでしょう。平伏ひれふしなさい」

「おいおいおい馬鹿言ってくれんじゃねえよ。お前オレが幾つの頃からペル坊の事見てると思ってんだ?」

「あ、アダン……待て、その話はやめろ。何か……何か凄く嫌な予感がする……………アダ────」


「高々呼び方がどうした事だってんだ。オレはペル坊のおむつ替えてやった事だってあるんだぞ? オレが三連休取った瞬間三日連続でオレが抱っこ紐巻き付けながら朝から晩までガラガラ振り回しながら面倒見る仕事押し付けられた事だってあるんだ。シュール過ぎるだろうが誰得シチュエーションだっつーの、有給三日分返せ」


「………おむつッ! ペルチェ様のおむつ交換ッ!」

「あ、アダ……………間に合う………まだ間に合う────」

「ビビッたぜえ? 臭え臭えと思ったらうんこしてっからよお、「はいはいうんうんちまちたねー(高音)」とか言いながらおむつめくってみりゃあ、何か緑色のうんこ大量にしてやがってよお」

「ペルチェ様のッ! うんこォッ! しかも緑色ォッ! ────見てみたいッ!」

「アダ───」

「農産階層の姉ちゃん………つっても当時で三十後半だったが……そいつらに聞いてみりゃあ「あらあら博士、大丈夫ですよ。赤ちゃんにはよくある事なんで平気ですよ(高音)」とか言いやがる。そん時ゃ頭空っぽで「ほーん(低音)」とか返事して戻ったが……しばらくピーマン見る度に思い出すぐらい衝撃的だったぜ。何で真っ白なミルク飲んでてケツから緑のねちょい物体垂れ流せんだよ、人体の神秘ってそういう事だったのか?」

「陛下、今夜致しますよ。アダンが経験しているのに私が経験していないだなんて納得出来ません」

「お、おい待てニェーレ。落ち着くんだ。少し冷静に…………そう、そうだ夜まではまだ時間が沢山ある、今はまだ検討中という事にしておくんだ。具体的に結果を定めてから行動を起こすと大体ロクな事にならないのは俺が良く言っているだろう? ある程度の方針だけ決めて残りはあやふやに定めておくからこそ臨機応変に動けるようになるんだ。ほらニェーレ、俺のお言葉だぞ。聞き入れてくれ」

「緑色の排便に関しては食紅を使用するかゼリー浣腸を行うかの二択が浮かんでおりますが、如何なさいましょう。ご心配には及びません、プレイ中ペルチェ様が致したお漏らしうんちの清掃は私が懇切丁寧に片付けます故」

「落ち着けニェーレッ! おちっおおおちちおちんち───違ァァウッ! …………そうだ素数ッ! 素数を数えて落ち着くんだッ! えっ、えっと、えぇっ、いィ一ちッ!」

「灯台下暗しとは良く言ったものです。お尻でのプレイはよくしていましたが、肝心のお尻から出るものに関してのプレイは一度もしていませんでした。これでは、いけませんね」

「い一ちッ! い一ィちッ! あーッ! 分からなァいッ! その次の素数が思い出せなァいッ! いっぱいあったはずなんだッ! ニェーレと一緒に勉強したはずなんだッ! えとっ、えっと……っ、あの、そのっ! ………ばななァッ!」

「お尻を愛するのであればお尻から出るものだって愛さなければいけません。けれどご安心なさってくださいペルチェ様、このニェーレ・シュテルン・イェーガー。ペルチェ様の全てを愛する気持ちにゆらぎは御座いません。スカトロジー糞尿性愛とて躊躇い一つ持ちませんとも」

「おいアダンッ! おまッお前のせいでニェーレが変なスイッチ入っただろうがッ! こうなると面──かなり長引くんだぞッ!?」

「…………………………めん……どう………? 陛下…………?」

「ヒッ──ニェーレ待てッ! ちが───今のは違うッ! 言葉の綾取りを絡ませてしまったようなものなんだッ! 解くッ! すぐに解くッ! 俺は昔から綾取りが好きだからなッ、おっお前もしっ知ってるだろッ!? なッ!? だから絡まった綾取り解くのも得意なんだッ! 慣れてるッ! 慣れてるから待っててくれッ!」

「陛下、私ちゅーがしたいです。陛下の麗しい唇に噛み付くような濃厚なちゅーがしたいです。良いですよね?」

「あまっ甘噛みだぞッ! 頼むから甘噛みだぞッ! 前みたいに穴開けるのはやめてくれよニェーレッ! あの後しばらく食事と歯磨きの度に沁みて辛かったんだッ! 対談の時なんて喋るだけで痛むから本当にダルくて仕方が無かったんだッ!」

「……………………ダルい………………? 私のちゅーが理由で…………ダルくて仕方が無かった…………?」

「ぁ違───」

「おいおいおい、死んだわペル坊」

 ニェーレ・シュテルン・イェーガーはペルチェ・シェパードに関する法度ルールを得る程、彼に心酔している。それをペルチェは嬉しく思うし、応え続けてあげたいと心から考えている。辛く苦しいまつりごとに弱音を吐かず、日々様々な政略を考え領土を広げ、地上階に住む一般市民の生活を豊かにしたいと願い続けるのも、その根源には「ニェーレとゆっくり隠居生活が送りたいから」という願いがあるからこそだった。

 しかし、である。しかしニェーレの愛はペルチェの許容量を遥かに凌駕する程に重く多くそして濃い。ペルチェがニェーレを一方的に求める事は確かにあるが、それはパーセンテージに表すならおよそ一パーセント程度の事。ペルチェとニェーレが行う、性交渉を伴う愛の睦み合いの九十九パーセントはニェーレからのもの。そしてその九割九分九厘の内の体感八割程度は、ニェーレが一方的に求めるほぼ強姦紛いの行為ばかりである。

 けれどペルチェは耐えられる。ペルチェ・シェパードは建国史上最年少の国王。二十代にして政務に追われる身となったのだから、ニェーレのような頻繁に求めてきて、かつ男性にありがちな一方的な性に寛容な彼女はペルチェにとっては今後一生現れない程の理想の異性そのものなのだから。

 そんなペルチェも時々音を上げる事がある。

 ……そう、まさしく今のように、ニェーレの深層心理の最奥にあるだろう「ヤンデレスイッチ」がオンに切り替わってしまった時だけは、さしものペルチェとて歳相応の好青年に戻ってしまうのだ。

 だが冷静に考えてみればそれも当然の話。「取り敢えず何かしら殺したがって主人公を怯えさせる量産型ヤンデレ系ヒロイン」とは違い、ニェーレはペルチェが『オイタ』をすれば即日かつ無言でその相手を殺すし、ペルチェ自身に対しての『愛情表現』も下手なヤンデレ系ヒロインと比べてかなり激しい。だが比喩でも何でも無く血と痛みと涙を伴う愛情表現で見事ペルチェを完全に躾ける事に成功しているのだから、絶対に飛び火して来ない事を経験から知っているアダン・グラッドは、ペルチェの悲鳴を聞きながらも毎回必ず他人事のように「ヤンデレって凄えな、でもオレは良いや。オレ純愛が好きだから」だなんて事を誰にともなく呟き、そのまま研究所の奥に戻って行くのが通例となっている。

「なあなあルーニャレット女ぉ史、肉は? 肉出来たか? なあなあ肉は?」

 けれど今回は研究所の奥には戻らない。左右の手にスプーンとフォークを握り締めたアダンがダスダスとロングデスクを叩けば、ルーニャレットが「ま、ま、まだ無理ですよお……」と困った声で返事をした。するとアダンはお子様ランチの到着を待つ子供のように駄々をこねる事をやめ「……しょうがねえなあ」と渋々承諾した。

「………三分間、待ってやる」

「いっ、いやっ無理っ無理ですよっ! かっかっカップ麺でも最近のは四分や五分待つものがおっ多かったんですからっ! さっ、流石に三分では出来ませんよっ!」

「出来ようが出来まいが、オレは今から、お前にごく簡単な、たった一つの要求をする。オレが要求をして二分以内にお前が成し遂げられねえ場合は、オレはお前の二つの肉穴に三発ずつ肉棒をブチ込む。ウーノひとつ……ドゥーエふたつ……それ以上は待たない。良いな?」

「減ってますっ! 目をやられる大佐はさっ三分って言ってたのにっ! つっ次の拳銃使いは二分って言ってますっ! そっそっそっそれに大佐は両目をやられたのにつっ釣り竿使いの人は二つの目玉がどっちも無事ですっ! あとシレッとブチ込む数三発に増えてるのルーニャ聞き逃しませんからねっ! いっいっいっ一発もしっしませんっ! 特に後ろっ! だめっ! めっ!」

「じゃあ前の穴だけで0.5発だ。これなら良いだろ? オレだってちゃんと譲歩してる姿勢を見せなきゃあな」

「………れ、れえてんご……え、え? んと………え? ……ど、どう、どういう事なんですか? え、……あれ? 一発はわ、分かるけど……んと……えと───」

「生でハメて最後はブッカケだ。最終的に中では出さねえんだ、ちゃんと0.5発だろ? 出すもん出してっからゼロとは言えねえがな」

「───しませんッ! しまっしませんからッ!」

「かーらーのー?」

「無いッ! 伏線回収して急などっどんでん返しは無いですッ! るっるっルーニャ一般的かつオーソドックスなシナリオが好きですッ!」

「なーにーゆーえー?」

「えっ、…………い、え、いや……だ、だ、だってその方がす、すんなり楽しめて面白────違うッ! 違いますッ! 騙されませんッ! ルーニャ騙されませんし流されませんよッ! ルーニャこれでも学ぶ子ですッ!」

 少しの間だ毛思案するような表情をしていたルーニャレットがクワッと怒鳴れば「チッ、惜しい」とアダンが不貞腐れながら舌打ちをする。そして「は〜あ〜」と諦めの篭った溜息を吐いて向き直れば、

「んぢゅ……ぶむ……。………んっむ……んゔゅ………あむ……むん……───────────アァヴッ!」

「ヴぃエッ!? にっ、にぇーえっ、…………ングっ! ぶぁっ! お前ェッ! 噛んだろお前ェッ! 噛んだッ! お前大総帥の唇噛んだッ! 穴開けたッ! 鉄錆の味がするぞッ! 不敬過ぎるッ! 今日のお前不敬過ぎるッ!」

「どんなお味ですか? 陛下のお口の中、どんなお味ですか?」

「鉄の味だよそれしかしないわッ! まさかガッツリ穴開けられるとは思いもしなかったよこの野郎ッ!」

「陛下、私も味わいとう御座います。………陛下ぁ、にぇーえもあじわゆ…………んんっちゅ…………………ぢぅぅぅぅぅぅぅぅ」

「ひだだだだだだだだしゅうなしゅうなひだひだひだいッ! っぷぇあッ! 本当に痛いわ何するんだニェーレッ!」

「金属を彷彿とさせる味……少し苦くて、でもどこか素敵なお味に御座いますね………」

「そりゃ鉄分入ってるから彷彿とさせるわ馬鹿者ッ!」

「ニェーレ蕩けてしまいそうです………ペルチェ様の血潮を飲めて、まっこと幸せに御座います…………」

「ああお前が嬉しそうで俺も嬉しいよッ! 惜しむらくは痛みの無い喜びが欲しいものだがなッ!」

「………………そんなにいとう御座いましたか?」

「痛かったよガッツリ痛かったよッ! ピアスを開けたいなら事前に冷やしてから開けろッ! 仮に冷やしても俺は開ける気無いけどなッ!」

「………………何年か前、陛下との尿道プレイの最中ニェーレがクシャミしちゃった時と比べるとどちらが痛かったですか?」

「あっちの方が百倍痛かったわ馬鹿者ォッ! 十九でくだ通す事になるとは思いもしなかったわァッ! 三ヶ月の間日々の楽しみが管から流れていく自分の尿を見て「おぉ……凄え……こうしてみるとおしっこって綺麗だな……」とか呟く事ぐらいしか無くなったの今でも根に持ってるからなお前ッ!」

「でしたらまだイケますよ陛下。…………んむっんぅぅん………ちぅ、……ぁんむ…………んふふ──────ヂゥゥゥゥゥゥゥゥ」

ゔぁかもおばかものーッ! ゔぁかもおばかものぉぉぉーッ! ひだぁぁぁぁぁぁぁいッ!」

 国を導く社会人らしい大人の会話はほんの数分。淫靡で甘美に思えたのはほんの数秒。カウントダウンを知らせるタイマーがゼロを指し示した時点で、大総帥ペルチェ・シェパードは子供っぽさが残る二十代の青年に戻ってしまう。

「………………好きだねえ全く」

 それを眺めながらアダンが呟く。二人に言った言葉では無く、歪んだ性に溺れ始める姿にでも無い。

 アダンの小さな呟きは、政務や刺客に追われて心を壊さないよう、定期的に派手な息抜きを行おうとするニェーレ・シュテルン・イェーガーに対してのものだった。

 ニェーレは確かにペルチェを愛している。ヤンデレと呼ばれるぐらい、かなり歪んだ愛をペルチェに求めている。

 しかしニェーレは心の底から本当にペルチェを愛しているが故、ペルチェが心労に苦しんでいる兆候を少しでも見付ければ、即座に「ヤンデレスイッチ」が入った振り・・・・・をしてペルチェの心に新鮮な空気を取り入れようとする。

 様々な性感帯の開発に関しても全く同じ理由から。男性の性事情に関しては「飽き」が付き物だという点も確かにあるが、何よりも色々なプレイを行う事でペルチェが少しでも「新鮮な空気」を吸えるようにという配慮が大前提として存在している。仮にペルチェが本気で嫌がりニェーレを突き飛ばすような事があれば、ニェーレはきっと即座にそれを止めて二度と話題に挙げなくなるだろう。

「んゔーッ! ん────ゔっ! ゔーッ! んヴゥゥゥーッ!」

 とはいえペルチェは生まれながらの温室育ちであり、対するニェーレは自給自足のサバイバル生活の末に空挺軍に入り自力でそれを乗り切るようなパワフルウーマン。咬筋力に関して異常に強いという点ばかりが目立つが、そもそもの筋力やスタミナに関してもニェーレはかなりの好成績を叩き出している。ベッドで互いに裸になった際ペルチェが「何か……ちょっと自分のと比べちゃって萎えるから、お肉付けてくれないか」とニェーレの腹筋を見ながら言わなければ、今だってシックスパックの腹筋を維持していたはずだ。

 実際、ペルチェがバッヒンバッヒンとニェーレの背中をぶっ叩き続けたとしても、ニェーレからすれば大したものでは無く。

「ぢぅぅぅ………ぢぅぅぅぢぅっ! ……ぢぅぅぅ………ヂィィゥゥゥゥゥッ!」

 ぶっちゃけ本気で背中を叩かれながらも緩急付けて傷口を吸う余裕のあるニェーレを、仮にペルチェが突き飛ばそうとした所で「手押し相撲ですか? ……ふふ、懐かしいですね。良いですよ、一緒に遊びましょう」と微笑まれるだけで終わってしまうだろう。

「………………………………好きだねえ」

 それが分かっているからこそアダンはニェーレを止めないし、アダンはペルチェが不利になるような話題を簡単に出していく。

 単に見ていて面白いしアダン自身が喋り好きという事もあるにはある。むしろそれの比率の方が大きいのは否定出来ない。

 けれどアダンは遊び心の奥底にある親心のような何かから、ペルチェとニェーレの与太騒ぎを敢えて止めようとしない。自分には到底真似出来ない事を代わりにしてくれるニェーレを止めるなんて、到底出来やしないのだ。

「…………ルーニャレット女史よお」

 真っ赤に濡れた口元さえ見えなければハリウッド映画も真っ青になる濃厚な口付けをする二人から目を逸らしたアダンに「は、は、はい、ど、どうかしましたか?」とルーニャレットが声だけで振り返る。

「飯なんだがよ、辛味のある香辛料は無しで頼むぜ。あと塩っ気も少しだけ控えてくれや」

「……か、辛味の? ………唐辛子とかですか?」

「おう。ペル坊が口内炎出来てるとかでな、かれえのつれえらしいからよ。……まだ間に合う段階か?」

「だ、大丈夫ですよ。まだ全然だい、大丈夫ですよ。というかた、多分辛いものは何も使いません」

「塩は控えられるか? オレあ歳だから肝硬変が心配でな。ちっと控えてえんだ」

「………博士の健康診断、全部平均値だったと記憶してるんですけど」

「…………ほお? 随分と物覚えの良い頭してんなお前」

「は、は、は、はい。る、ルーニャ単純な羅列の記憶に関してであればと、得意な方です。数字とかは特に得意です」

「そうか、そりゃ面白い事を聞いた。……今度ルーニャレット女史のア◯ルのシワ何本か数えるから、その数一ヶ月覚え切ってみろ。何か真面目なご褒美考えといてやる」

「いっ今のじっ時点で真面目とは程遠いですっ! あっあっ……あな……あぁぁなぁ………。……………駄目ですっ! 絶対数えさせませんからっ!」

「お堅いねえ。もっと柔軟に対応出来るようになった方がいいぜ? そんなんじゃいざア◯ルセックスした時切れ痔になっちまうぞ。あれは事前の慣らしが大事なんだ」

「しませんッ! あっあなっ、あなぁ……ぁぁ……。………後ろではしませんッ!」

「へーへー。………取り敢えず塩っ気も味に差し障らねえ程度に減らしてくれ。どっちみちペル坊の口内炎にぶっ刺さるのに変わりは無えからな」

「わか、わ、分かりました」

 アダン・グラッドは馬鹿である。自身の欲望、感情に忠実であり、また考える前に言葉が先に出るタイプの馬鹿である。

 そして馬鹿だからこそ、誰かに対する気遣いや優しさを素直に表に出す事が出来ない。出し方を知らない。出す事のメリットも知らない。出さない事のデメリットも知らない。

「あ、あの、は、は、博士」

 そしてルーニャレット・ルーナロッカは要領が良い。

「……あ? どうした」

「あ、あの、ぺ、ペルチェ陛下と、ニェーレさん。あ、あ、アレルギーとか、好き嫌いとかお、お有りなんですか?」

 決して頭が良いとは言えないが、ルーニャレットは兎にも角にも気が回る。本人が意識している訳では無く無意識下で周辺に気を回し、軋轢が生まれないように要領良く物事を成功へと導かんとする。

「つ、作りたいなって、これにし、しようかなってお料理は浮かんだんですけど………その、そ、その、作ってからだと遅いから、えと、え、あの、さ、先にお聞きしておきたくて」

 代わりにルーニャレットは引っ込み思案な所がある。周囲に気を回すのは周囲の為では無く自分の為。周囲で生まれた軋轢による異音が、自分の耳を切り裂かないようにという保身の為に気を回す。

「ああそういう事か。アレルギーは全員無え。………だがペル坊は人参とか大学芋とか、甘納豆みてえな甘みのある植物系が苦手だ。おやつとして出されりゃムカつくイケメンスマイル垂れ流しながら「美味しいね、ありがと(高音)」っつって全部食うが、飯時めしどきに食う主食で甘い味は好みじゃないらしくてな。三食のどっかで出されると一気に飯の進みが遅くなる」

「な、なるほど…………た、玉ねぎはだ、大丈夫でしょうか。あ、甘みが強い根菜ですけど」

「そいつは飯のメイン飾るのか?」

「いえ、そ、そういう訳じゃ、あ、あ、ありません」

「なら問題無え。影に隠れてりゃ気にせず食うからな。ガキと一緒だ。ピーマン単体じゃあ食えずとも、肉詰めにすりゃ頑張って食って「美味い!」って笑う。要はメインキャラ感出してる甘ったるい奴が苦手なんだよな。………サツマイモとかあいつ昔っからマジで無理だっつって嫌がってたなあ。無理矢理食わせたら喉詰まらせて先代にガチのゲンコツ食らったのも今じゃ懐かしい思い出だぜ」

「に、に、ニェーレさんはどうなんですか?」

「あいつは好きなもんは色々あるが嫌いなもんは一切無え。どんなもんでも無言でもりもり食う。ガタイに見合わずビビる程の大食らいだからな、作ったのと同じ量を余らせるぐらいの気持ちで作っとくと後悔しないで済むぜ」

「そ、それは良い事だと思います」

「そもそもあいつはファッションじゃねえマジのサバイバリストとして結構な年数こなしてっからな。ナントカカミキリって名前のカミキリムシの幼虫が大好きって言ってたぞ。超濃厚でマジ美味えらしい。けどダンゴムシやオタマジャクシはクソ不味いっつーし、ムカデはガチャだからやめた方が良いらしい」

「そ、それは良い事だか分かりません……」

「そしてオレは肉が好きだ、肉なら部位を問わず大体好きだ。しかし代わりに肉以外の主食は大体嫌いだ。一枚肉のステーキを口の周りベタベタにしながら食うのが好きだ。マンガ肉マジで憧れる。あれ食ってみてぇぇ〜」

「あ、安心してください博士」

「…………おおっ!? マジでっ!? マジで言ってんのかっ! よっしゃマジで肉食えるぜヒヤッホォォォウッ! 最近コレステロール値だとかの管理がどうとかで肉減らせって言われまくってたんだよなあっ! ひっさびさの肉だぜ心が躍るぅっ!」

「今回はお肉入ってません。キノコとお米が主役です」

「何でだよひっさびさに肉出せ心がしぼむぅッ!」

「あ、あと、あ、にん、ニンニクは駄目ですか? 博士はき、き、聞くまでも無いと思いますが………ペルチェ陛下とかニェーレさんとか、ニンニク、どうなんでしょう。お、お、王族の方々だから、た、多分ニンニクは……ううん、どうなんだろ」

「ざけんなお前オレにも聞け。あとオレも王族と密接に繋がってる超優良物件だからな? ほぼ王族と言って差し支えねえレベルだからな? 中身ジジイ手前のオッサンだけど、肩書はスーパーエリートだからなお前」

「ど、ど、どうせニンニク好きでしょう? 博士そう、そういう見た目してます。ニンニク大好き、って、そんな見た目してます」

「分っかんねえぞお? これでも口臭や心拍数、血圧に気を使うジジイ手前のオッサンだからなオレは。………言ってて少し辛くなってきた」

「じ、じゃあ嫌いなんですか?」

「ニンニク大好き。ニンニクの匂い嗅ぐと飯直後でも腹が鳴る。良く噛んで味わうと正直微妙なんだが、頭空っぽで掻っ込んでこそニンニク系の料理は美味えんだなこれがな」

「ううん………陛下とニェーレさんは分かんないなあ。………念の為ミント系のデザート用意しとけば多分どうにかなりそう。プリンは間に合わないだろうからアイスにして……氷はあるし……チョコもある………ビターじゃないと良いな、ミルクチョコってあったかな……甘みが弱いとミントが際立っちゃう………」

「おおい無視すんな寂しいだろうがっ! 知ってんだぞ、お前が独り言呟く時は凄え流暢になるの知ってんだぞっ! ガチの独り言でオレを無視するんじゃねえっ! もっとジジイに構えよでなけりゃオレもその内老害になっちまうじゃねえかっ!」

「あ、待って」

「おっ? おう、……おう、待つ待つ。おう、どうした急に」

「ブイヨンってあるのかな…………オリーブオイルはあるから…………あ、ある。あった、良かった……あ………でも香菜シャンツァイは流石に無いか……んー……。………まあ大丈夫かな。彩り用って感じするし………巣籠もり自体、今回は主役じゃないもんね」

「カァァァァーッ! これだから最近の若いもんはなってねえんだ。良いかあ? オレが若え頃は「苦労は買ってでもしろ」っつって良く言ってたもんだあ。……あぁ? それは売る側の言葉でタダの販促文句だあ? おうガキお前ちっと表出ろいっ! 最近の腑抜けたガキ共に鉄拳制裁と洒落込んでやるわ! なぁに確かに歳は食ったが半世紀も生きてねえガキ相手なんざあ、ちょちょっと食い物にしてやるよお。おう見てろお? このオレがゴリラキックとたまに当たるへなちょこパンチをお見舞いしてやってよお────」

 わざとらしく甲高い声を出して一人で演技を始めるアダンだったが、もはや料理の世界に入り込んだルーニャレットはそれを完全に無視して見向きもしない。けれどアダンは馬鹿であり尚且つ暇を持て余し過ぎていた為、それに気付かず「たまにゃあオレも牛丼とか食わねえと、自慢の筋肉が──」と一人で延々と一人芝居を繰り返す。


 気配り上手で心優しいが、気が弱く前に出られないルーニャレット。

 自己主張が強く藪の中でも我先に突き進み後続の道を作るが、気配りが苦手なアダン。

 献身的で努力家だが期待に弱く潰れ易いペルチェ。

 やや通り越してかなり癖はあるが、大体の事は何でも出来るニェーレ。

 完璧な人間は確かに存在するが、それはどうやったって時間制限がある。哺乳類は加齢と共に記憶力が衰え、筋力が低下し、そしていずれ死んで行く。

 誰しも完璧なままでは居られない。完璧になる事は可能だが、完璧で居続ける事は不可能なのだ。

 だからこそ誰かと共に補い合う。人の発展は人一人では成し得ない。

 今出来ない所は出来ないで良い。

 確かに開き直る事は悪だとされがちであり、時間を見付けては出来るようになる努力はし続けなければならない。

 しかしそれでも絶対に「どうしてもまだ上手く出来ない」というタイミングは万人に存在する。有限である時間を消費し続けても尚「まだ足りない」というタイミングは存在してしまう。

 であれば出来る人に任せれば良い。真に優秀な存在とは自ら率先して何でもやりたがる人間では無く、出来る所は出来るものにやらせる。出来ないものが居れば出来るものを回して恙無つつがなく。だからこそ諸葛孔明は武勇のものでも智謀のものでも無い、適材を適所に的確に回せる劉玄徳と歩んだのだろう。

 ペルチェとニェーレが「大体何でも出来るゴリゴリのOL姉ちゃんと、不器用なのに負けず嫌いな弟」であるとすれば、アダンとルーニャレットは「万年補欠の野球部員と、文芸部の女の子」とでも言った所だろうか。

 一見デコボコに見えるこの四人も、デコボコだからこそ上手く噛み合い歯車として円滑に回るのだ。平坦であれば滑って空回りし、尖ってしまえばすぐ折れる。

 だからこそ、上手く回った時に「おお回った!」とみんなして笑うのだろう。




「イェーイッ! このわたくしがーぁっ? 遂にっ! ここにっ! 華麗にキマシタワーっ! ですわよぉっ! キマシタワーは建築法違反ですわぁーっ!」

 ペルチェの唇に吸い付く事に飽きたニェーレが膝の上で抱かれてうとうとし始める頃、シュィィィィムと滑るような稼動音を鳴らした研究所の扉の向こうから、ド派手な金髪縦ロールの女が濃紺のイモいジャージをその身に纏い「あこっちはそこまで反射光が無くて良いですわね。……目に優しいですわ」と金属製の床を憎々しげに見やりながらやって来た。

「あ、ごっ、ごめんなさいキャスがうるさくて……良く言っておきますんで…………はい、本当に良く言っておきます。……………まあどうせ聞かないけど、一応言うだけは言っておきますから」

 金属製の床を鉄靴でカツカツと鳴らしながら入室するキャサリン・スムーズ・ペッパーランチの後ろから、へこへこと腰を曲げて頭を下げながらクレッド・ハロンもやって来る。「騒がしいのが来やがったなあ……」と嫌そうな声色を発するアダンだったが、しかしその表情は穏やかに微笑んでおり歳相応の落ち着きを感じられる。

「あいや本当にごめんなさい……。ずっと言ってるんですけどキャス俺の言う事は何も聞いてくれなくて………」

「聞きますわよ? 聞いてますわよ? 私言われればちゃんと受け答え致しますもの」

「え、本当に?」

「当然ですわ。『例え愚かな事を言う者があっても必ず最後まで聴いてやらねばならない。でなければ聴くに値する事を言う者までもが何も発言をしなくなる』っていうのは黄金の国ジパングのイエヤス・トクガワのお言葉でしたわね」

「うっそキャスが頭良さそうな事言ってる! 俺こんなキャス初めて見たよ! 凄いなキャスってそんな引き出しもあったんだ!」

「私はちゃんと聞いた上で「聞き入れません!」と答えるだけですわ! イーンテェリジェーンス? アァイム、キャァサリーン」

「うっわ凄え馬鹿っぽい。引き出し引いたらそのまますっぽ抜けてゴトンって落としちゃった時みたいな気分────」

「───オルァッ!」

「───ウグゥッ!」

 キャサリンが唸るようなアッパーをボディに叩き込むと、クレッドは「フグゥァァァ………何でキャスのパンチは毎回痺れるんだァァァ……レバーが……レバーが内臓破裂でボンバへェェ……グゥゥゥ」と苦しげによろけめく。

「聞いてるでしょうがッ! 私ちゃんとクレッドの言う事聞いてるでしょうがこのタコッ!」

「ぐ……具体的に頼むよ……何か僕───あぁ凄い痛い………僕の言った事で、ちゃんと聞き入れてくれた事ってあったっけ……?」

「この間「ねえキャス、俺、騎乗位でして欲しいんだ(イケボ)」って言った時にちゃんと貴方の上でシて差し上げたでしょうがッ!」

「キャァァァスッ!? キャサリィィィィンッ! 待ってぇぇぇ人居るぅぅぅッ! 他にいっぱい人居るゥゥゥゥッ!」

「おかげで私は腰を痛めたというのに………騎乗位で下からズンドコ突き上げたいとかならまだ分かりますわ、殿方は征服欲が強いものですからね。けどクレッド貴方「たまにはキャスに気持ち良くして欲しいな(イケボ)」って何なんですの? スーパースウィングしまくったせいで私腰痛めたんですのよ? おかげでお友達のヒナちゃん抱っこして滑り台で遊べなかったんですわ」

「そ、それは……ゔぁ……ごめんねキャ───」

「ちょっと無理して一人で滑ってみればクレッドに弄られ過ぎて腫れたク◯ト◯スが滑り台で擦れて普通に痛かったし……どう責任取ってくれますのこのアホクレッドっ!」

「キャァァァァスッ! 待ってェェェェッ! 頼むから一旦止まってくれェェェェエエエッ!」

「騎乗位スウィングでアンダーヘアは絡まるし腰は痛いしアホのクレッドは足ピン勢だったとかで秒イキするし───このクソがァッ!」

「ホグゥッ!」

 痛みに呻き背中を丸めるクレッドにデッシデッシとチョップをし続けるキャサリン。そんな二人を見たアダンが「……騒がしいのが来やがったなあ」と溜息を吐くが、そこに歳相応の落ち着きはもはや無く。アダンは声色も表情も完全に呆れ切ってしまっていた。

「あ、あ、あの、あ、きゃ、きゃ、キャサリンさん」

 そこへルーニャレットが頭だけ向けて声を掛けると、キャサリンは「あらルーニャさん、可愛いエプロンですわね。よく似合っていますわよ、満点差し上げますわ」と笑顔で向き直る。

 ルーニャレットが身に着けている花柄のエプロンを素直な気持ちで褒め称えたキャサリンは──────本当はルーニャレットが口元に巻いている三角巾に関しても褒めたかった。汚れ一つ無い真白な三角巾の端にある小さなワンポイントの十字架を、キャサリンは小さなお洒落に気を遣えると褒めたくて仕方が無かった。

 けれどキャサリンは褒めなかった。褒められなかった。褒められる訳が無かった。ルーニャレットが口元に強いコンプレックスを抱いている事を知っているキャサリンは、同時にルーニャレットが顔周りに関して如何なる褒め言葉を受けても一切喜ばない事を知っていたから。

「それは……見た感じ揚げ物系に見えますわね。凄いですわぁ、私揚げ物してると油跳ねでアチチで良くブチ切れてしまいますの。というか言ったら炒め物でも時々油跳ねで甘ギレしちゃいますわ。もう鍋蓋なべぶたバリアが無ければ生きていけない体にされてしまいましたわ………。………いやそれは生まれ付きか」

「なん……っぐぅ……何でそんな甘イキみたいな言い方するんだ……甘ギレって………似たような言葉なのに………全然エッチく無い………何でだ………うぅぅぅ」

「そんな私と比べて、ルーニャさんはお料理上手で凄くて偉いですわよ。褒めて差し上げます。花丸ですわ、よく出来ました。………お料理中なので、ご褒美のなでなではまた今度ですわ」

 少しだけ謙遜したような声色で「あ、あ、あり、ありがとうございます」と目元を緩ませるルーニャレットを見てキャサリンは素直に嬉しくなった。

 実際の所、キャサリンは料理の腕にかなり自身がある。ルーニャレットに言った事は何一つ嘘偽り無い言葉であり、鍋の蓋を盾のようにしながらフライパンと格闘するのは揺るがぬ事実だが。

 しかしキャサリンはレシピを見てから数日でその内容を暗記し、その後すぐにアレンジを加えるようになる。それは決して「メシマズがするレシピ分かってないのに適当に色々付け加える」では無く「レシピ無しで作れるようになった上で色々足して更なる高みを目指す」というもの。キャサリンが作ったアレンジ飯は存外美味いと評判であり、生前のキャサリンは暇を見付けては兵士や従者にちょっとしたお摘み休憩を提供するのが好きだった。

 けれどルーニャレットの前ではそんな事は言わない。あくまでも不器用な頭悪い系縦ロールを演じ続ける。

 キャサリン・スムーズ・ペッパーランチは幼い子供と遊ぶ事が何よりも好きだが、それは決して自らが誰かと遊ぶ事無く大人になってしまったからというだけでは無い。

 キャサリンは子供たちと遊ぶ事が大好きだが、それと同じぐらい誰かの笑顔を見る事が大好きだった。

 任された領地を守っていた事も、重税に苦しむ民の税を何とかして下げようと努力していた事も、親族の命よりも国家の長を優先した事も、ひいては全て誰かの笑顔の為に他ならない。

 笑っていて欲しかった。誰かが笑っているのを見ると、自分も嬉しくなって笑ってしまうから。

 笑いたいから、笑って欲しい。そう思い続けたキャサリンは、そう思い続けながら享年七十二歳。閃輝暗点での頭痛が無くなったのを自覚した数日後、脳梗塞により世界を去った。

「あ、あの、他のみ、皆さんも、もういらっしゃるんですか?」

「ええ。獣組のソラもすぐ来ますし、お肉組の皆さんも早めにこっちに向かうと言っておりましたわ。…………なんかこの言い方、園児のひまわり組とかみたいですわね」

「その、あ、そ、あ、あの、あ、え、えと、まだ、も、もう少し掛かるから、待ってて貰っても良い、良いですか?」

「ええ分かりましたわ。………因みに何を作っていらっしゃいますの? 大したお役には立てないでしょうが、ちょっとした事ならこの私がお手伝い致しますわよ。具体的にはお皿並べるとかですわね。他は正直嫌ですわ、何か私が調理場に並んだらロクな事にならない気が致しますの」

「あ、ありがとうございます。で、で、でしたら、り、リゾットと揚げ、揚げ物を作っているのでお、お皿の水洗いだけ、お願い出来ますか? あ、油物の前に水洗い済ませるの、わ、忘れちゃってて」

「ええ承りましてよ。因みに私は食べ終わった後にお皿洗うのを良く忘れますわ。飯食ったら皿洗いより布団で寝たくて仕方が無くなってしまいますの。あれマジで対策あったら是非知りたいですわ」

「んふふ………う、う、牛になっちゃいますよ。わた、私も同じですから、牛仲間ですね」

「牛仲間! 田舎の香水ですわね!」

「い、田舎の香水……?」

「ええ。牛飼い場は牛の糞独特の香りが致しますでしょう? 私あれを田舎の香水と呼んでおりますの。都会っ子は臭い臭いと騒ぎますけれど、私はあの匂いを嗅ぐと鬼ごっこがしたくなるんですわ。何だか走り回りたくなってしまいますの」

「………あ、き、気持ち、少し分かる気がします。何だかおち、落ち着きますよね。か、か、体の奥底に必要な、大事な元気を貰える気がします」

「まあ臭いのは事実ですけれどね。でも人間の嗅覚なんて二分で麻痺するんですから、その二分間でエネルギーを蓄えた方が三分後に沢山走っていっぱい遊べますわ」

 だからこそキャサリンはルーニャレットの邪魔をしない。内気で弱々しくいつだって伏目がちだった愚かな娘が、いつしか前を向いて人と話すようになり、今では「ご帰宅のタイミング、皆さんご一緒なんですか? で、でしたら、あ、あの、地下で一緒にご、ご飯食べましょう。私が作りますから」だなんて事を言い出すようになったのだ。

 邪魔なんて出来やしない。世界から愚か者と誹謗された哀れな娘が、愚かしくも懸命に前に進もうとしているのを邪魔するなんて出来やしない。

 叶うのならば共に並び、右か左か下がるのもアリだと共に試行錯誤しながらこの世界を歩みたかった。けれどその役目は自分のものでは無いとすぐに気付き、キャサリンは素直に他に譲る事にした。

 ルーニャレットを支える役目はアダンが担っている。アダンもアダンで不安定な一面を持っているように見受けられるが、そこは更にニェーレがフォローしている。であれば自分は、誰にも守って貰えないのに、それでも誰かを守る為に懸命になれる間抜けな足ピン勇者を少しでも支えてやる事にしたのだ。

「…………あれ、陛下。何か口元腫れてません? 血も滲んでる………お怪我ですか? ………あぁ、俺今薬とか持ってないや」

「…………………ああ、やっぱり見て分かるか。大丈夫だ、薬は必要無い。ちょっと色々あってね、我を忘れて唇を噛んでしまったんだ」

「…………何か想像付きました。我を忘れたの陛下じゃ無いですよね、どうせ」

「…………………………………………」

「あっ、良いです。大丈夫ですよ。言わなくても分かります、伝わりました」

「………済まんな。気を付けないとすぐ起きてしまうんだ。………他の奴が呼んでも中々起きないんだが、俺が名を呼ぶとすぐに起きてしまうんだ。許せ」

 うとうとしていたはずのニェーレは気付けばすうすうと穏やかな寝息を立てながらペルチェに抱かれて眠っている。体格や顔立ち、膝の上という状況も相まりまるで遊び疲れて寝てしまった妹を守る兄のようにも見える。しかしクレッドは寝てしまった妹のようにも見える女が乳頭にピアスを開け、独裁国家の総帥の尿道をクシャミでぶち抜き、それを棚に上げながら更に追加で排便プレイを求めていただなんて事は当然知らない。




「────遅れて済まないッ! ルーニャ殿ッ! 間に合うかッ!? 私はまだ間に合うかッ!?」

「迫真過ぎでしょあんた。エレベーターの中でひたすら足踏みしまくるのやめなさいよ、揺れて落ちるんじゃないかって不安だったわ。………どう考えてもそこまで派手に遅れてないんだから大丈夫でしょ」

「分からないッ! それが分からないから問うんだッ!」

「まあ確かにそれはそう。因みに手遅れだったらどうするのよ」

「調理器具はまだ残っているはずだッ! それをペロペロ舐めて一緒に食事を楽しんだ気持ちになるッ!」

「下手な乞食やホームレスでもそこまでしないわよあんた。ねえ、プライドって知ってる?」

「私腹は肥えるが私の腹は肥えん無意味な代物ッ!」

「凄い上手い事言ったし的も射てるけど無意味じゃ無いからね。ある程度は持っといた方が色々便利よ」

 アダン研究所のスライド式機械扉が最後の来訪者たちを連れてくる。切羽詰まった様子のアンリエッタ・ヴァルハラガールと少しくたびれた様子のウィリアム・バートンに続いて「俺は別に良いんだが……」とスティンク・マゴットが僅かな不機嫌を表に出しながらやって来る。

「そういう事言っちゃ駄目だよスティンク、誰かの好意は素直に受け取った方が良いよ。それにルーニャちゃんのご飯凄い美味しいんだよ?」

「分かった分かったよクソ………ったくうるせえな。……何だかんだ言いつつちゃんと来てるんだから許せよクソが」

 不承不承なスティンクを諌めるニカ・ヤーチカに続き「俺も誰かの手料理なんて久し振りだから、少しだけ楽しみだよ」とソラ・タマムシュッドが追従すると、ニカは「ソラは特にいっぱい食べてね? ソラずっと痩せ気味なんだから」と心配そうに忠言する。

「英雄の凱旋だね、勇者諸君。お仕事お疲れ様、大義だよ。椅子はしっかり人数分用意してある、好きな所に座って待っていてくれ」

 出揃ったメンバーにペルチェが微笑みを掛けると「あら、イケメン陛下まで居るのね。でも立場が上ならご苦労って言うべきじゃない? 侮られてもしらないわよ」と驚いた。

「ああ。ニェーレが俺を呼んでくれてね、息抜きがてらご相伴に預からせてくれるという。そして今日の俺はお忍び扱いだ、立場は君たちと変わらない」

「なるほど、ルーニャの手料理食べてお腹が膨れたら幼馴染のイケメン食べてチンポコ膨らませろって事かしら。あたしにそんなプレゼントを用意してくれるだなんてニェーレちゃんも気が利くのね」

 一切表情を変化させないままぶっ飛んだ発言をするウィリアムの言葉に、しかしペルチェは「ははは、相変わらず頭の回転が早いな」と笑うだけ。それを見たウィリアムが「あら、今の笑う所だったかしら」と小首を傾げれば「笑う所だったよ」と穏やかに微笑む。

「何だかんだと言いつつ、結局ウィリーは手を出さない事を最近知った。ウィリーが下世話な話を言う時は手を付けない証拠のようなもので、逆に狙ってるような相手の時は何も言わずに勝手に動く。……不言実行と有言不実行を上手く使い分けているんだな」

「…………そう言われると凄え腹立つわね。よし決めた、今夜行くわ。浣腸は済ませておきなさい、あたしが部屋に入ったらそのまま股間のヨイチアローが火を吹くから」

「ウィリー、室内で火矢を振り回すとロクな事にならないぞ」

「元よりロクな事する気じゃ無いから安心して良いわ、二人で焼け死にましょ。あたしは土壇場で逃げおおせるつもりだけどね。そして星空をバックにうっすら浮かぶ貴方の顔を見て「みんな……終わったわよ……」って呟いて第三部が終わるわ」

「やめてくれウィリー、ニェーレがうなされてる。凄い顔をしている。歯軋りが止まらない」

「でも心配要らないわ。第四部でリーゼントになったあたしがク◯セリアを連れて悪夢に苦しむ貴方の元へと舞い戻ってあげる。貴方の悪夢は無事覚めて、あたしの股間のキラ◯クイ◯ンが目を覚ますわ。ケツ穴爆発したらごめんなさいね」

「俺じゃない。ウィリー、うなされてるのは俺じゃないぞ。ニェーレだ。普段は小動物のように眠るのに今に限って歯軋りが凄いんだ」


「脱肛ッ!? ──────はっ? 今のは、一体……? 夢? いや夢にしてはペルチェ様の喘ぎ声がリアルだった気が………」


 ペルチェの膝の上、苦しげに寝息を立てていたニェーレがビクンの体を痙攣させながら目を覚ます。

「凄いわ。あたしそこそこ長生きしたけど苦しげに「脱肛」って叫ぶ女の子始めて見たわ。これは負けてられないわね」

「頼むから対抗心を燃やすな、良く聞けウィリー。ニェーレは今俺の喘ぎ声と言っていた。どう考えてもニェーレの夢で脱肛アクメしていたのは俺だ、お前が脱肛という言葉に対して対抗心を燃やす意味が分からないだろう」

「…………? 知ってるわよそれぐらい、何を言ってるのかしら」

「………………嫌だ………嫌な予感しかしない……。………や、やめてくれ………嫌だ、俺はそんなの嫌だ…………」

「尻尾取りって知ってるかしら。ズボンの腰から紐を垂れさせて、鬼ごっこみたいな要領でそれを取り合う遊び。鬼ごっこと違ってただ足速いだけじゃ勝てないし、直接触らないからイジめられっ子の菌も移らない。だから尻尾取りって学校とかのレクリエーションとして結構優れてるのよ」

「嫌だァッ! 嫌───嫌だァァァッ!!」

「ズルズルに引っこ抜いてあげるわ。心配しないで、ショック死しちゃっても大丈夫よ。文字通りのデスアクメを目の当たりにしたあたしのアラドヴァルが遂に神立がんだち。たかが漏れ出た腸の一本ぐらい、 νニューウィリアムで押し返してあげる」

「やめてくれェーッ! 嫌だァやめてくれェェ───ッ!!」

「何を言ってるんですかウィリアム、それは私の役目です。貴方のそれではサイズが足りません」

「いやニェーレちゃんはサイズ云々以前にちんちん生え───まさか本気出したら貴女のク◯ト◯スがいきなりドラム缶ばりに肥大化………あたしのハープーンランスを超えるっての?」

「アホな事を言わないでください、肉割れあとの残るク◯ト◯スなんて勘弁です」

「じゃあどうすんのよ」

「私は小柄ですからね、入ります。ペルチェ様のお尻の穴から、ペルチェ様の中に。そして中で両手足を突っ張りながら「ここは私に任せて先に行ってくださいッ!」と叫び、通常通りに排泄して頂きます。私のお陰で腸はまろび出ず、排泄物だけ「く……済まないッ! 必ず迎えに来るッ!」とラスボス戦に向かってくれるという寸法です」

「つまりラストダンジョンはトイレでラスボスは便器ね。………流されて行け、便座は留まるしか出来ない、って所かしら? 上手い事言うじゃない」

「殺されるゥ───ッ! 誰かァ───ッ! 父様ァ──ッ! 母様ァ───ッ! 死にたくなァ──いッ! 嫌だァァァ───ッ!!」

 まるでテーブルの上に置いた電動マッサージ器の如くガタガタと鳴らしながら震えるペルチェだったが、それも無理は無い話だろう。

 ウィリアムは元より何を考えているか何が本意なのかが読み難く、またシレッと嘘を吐くし、シレッととんでも無い事実を口にする事すらある。

 そしてニェーレがやると言ったらやる女である事はさっき唇に穴を開けられた事で全て証明されている。

「何なんだお前らはもうッ! 息抜きって聞いてたのにッ! 息抜きって聞いてたのにケツ穴ぶち抜きだなんて勘弁してくれッ!」

「「ばかもーん。これだからイカン」」

 一切の無表情で意味の分からないお叱りを受けたペルチェが「……えぇ?」と小首を傾げる。それを見たウィリアムがニタニタと笑いながらその場を離れると、膝の上で足をぱたぱたと揺らしたニェーレが鈴玉の転がるような声で「ふふふ」と笑う。

「………ペルチェ様、私ちゅーがしとうございます」

 まるで事前に打ち合わせでもしていたかのようなタイミング。天を仰ぐように首を反らし、両手でペルチェの頬を挟んだニェーレに「………頼むからもう噛むなよ」と呟きながらペルチェは想いに応じた。

 そんな意味不明なラブシーンをお届けしている裏で、ソラ・タマムシュッドがアダンと会話していた。

「博士、ありがとう。博士のくれた義足、調子良いよ」

「あぁんあはん、あはんあはんあっははぁん……」

「動かしてて違和感も無いし体重の偏りも無い。……少し痺れはあるけど、それはどうにでもなりそうだ」

「あーはー………あはーはーん、あはんあはん………おじさん腹減ったぁ……腹減ったよぉぉあはんあはんあはぁぁぁ」

「助かったよ、ありがとう」

 ………会話として成立しているかは果てし無く謎だが、しゃっくりをするようにあはんあはんと泣き続けるアダンに、ソラは何も気にせず礼を言い続けていた。

「あはんあはん、あはぁ私もお腹が減ったぁ……。淡水魚しか手に入らないのに雨が降って火が起こせなくて文字通り生殺しだった時を思い出すぐらいお腹が減ったぁぁ………」

 その横、アンリエッタも勝手に泣いていた。

「そう……それは聖戦の女騎士として鮮烈デビューして間も無い頃、才能が開花し過ぎてゴブリン相手ではくっころレ◯プが成立しなかったので次はオークと息巻いていた若かりし頃の事だった……」

 そして勝手に回想シーンに入り始めた。

「大丈夫ですわよお二方、もう完成致しますわ」

 ぐーぐーとお腹を鳴らしながらも「オークたちが積み上げた大量の資材を使って作られた大きな砦はいつしかオークの壁と呼ばれるようになっていてだな……」と回想シーンを続けるアンリエッタの前にキャサリンが現れる。

 手を貸したい事は事実。自分だって目立ちたい事も事実。けれど内気な少女を悲しませて目立った所で何の価値も無いと思ったキャサリンは、水洗いと乾拭きを済ませた大小様々な皿を持って皆の周りを歩き回っていた。

「お皿はどれがよろしくて?」

 適材を適所に置くだけでは配慮が足りない。最も肝要なのは「それが適時であるか」という点。「今の」自分が最も役に立てる場所は「これだっ! この一番デカいお椀だっ!」と回想シーンを中断して笑顔になる大食らいたちに、各々が納得出来るサイズの取皿を与えて回る事。

「アンリエッタさんはいっぱい食べますわね。良い事ですわよ、いっぱい食べる貴女は素敵ですわ」

「わたしは、…………これかな。アンリエッタさんのはパッと見大きく見えるけど、実際はこれが一番いっぱい入ると思う」

「ニカさん……? これニカさんのウエストより遥かに大きいんですけれど……内容物はどこに入りますの?」

「……え、胃袋じゃないの? ………違うのかな、わざわざ言うって事は違うんだろうな。………胃袋以外のどこに入るんだろ」

「ごめんなさいニカさん、私が野暮天でしたわ。何も考えずいっぱい食べてくださいまし、それが一番ハッピーですわ」

 間の抜けた疑問を真面目に考え始めたニカにキャサリンが慌てて訂正を入れる。するとニカは「分かった」と頷いてすぐに思考を断った。思うにニカも相当腹が減っているのだろうが、それにしても良く食べる娘が多いものである。

「ニェーレさんと陛下はどれになさいます? お好きなのを選んで頂いて構いませんわよ」

 順繰りに皿を回して行けば、やがてそこに辿り着く。ペルチェの膝の上で嬉しそうに体を揺らすニェーレは「でしたら、私はこれですかね」と残っている皿の中でも最も大きい皿を選ぶ。

「………皿っていうかどんぶりですけれど? ご飯すり切りでよそったとしてもニェーレさんより倍近く重さありそうですけれど? 私この丼はラーメン屋が開店記念で知り合いから頂いて以降ずっと店内に飾ってある記念品ぐらいの気持ちで持っていたつもりですけれど?」

「自分の娘のように思っている方が手料理と言うのですから、そんな時に遠慮はいけません」

 キャサリンが不安と混乱の入り交じった変な顔でペルチェを見れば「ああ、キャサリンは知らないか」と苦笑した。

「心配は要らない。ここには沢山食べる女性が中々多く集まっているが、恐らくこの中で最も多く食べるのはニェーレだ。そして俺はニェーレの皿から一緒に食べるから気にしないでくれ。行儀は良くないだろうが、この様子では確実に俺の膝の上で食べ続けるだろうからね」

 アホみたいなサイズの丼茶碗を前にしたニェーレの頭を優しく撫でるペルチェに、普段から派手に表情が変化しないニェーレがいつになくドヤ顔しながら「カマーンボーイ、はっはっはっは」と笑う。

「……………世界って広いんですのね。あとニェーレさんはどっかの耐久半端無いハゲの軍曹みたいな笑い方するのやめてくださいまし。この流れだと貴女本当にシャチぐらい食べてしまうでしょう」

「異世界からの来訪者が言うと様になるな。……まあ俺も最初はどこに入ってるんだと疑問になったし、今でもその疑問は晴れていないがね」

 そう言いながらニェーレのお腹を優しくぽんぽんと撫でるペルチェに「ペルチェ様」とニェーレが首を反らす。

「そこはお腹では無く子宮、赤ちゃんのお部屋です。確かに私の体格だとペルチェ様の逸物がどこに挿入はいっているのか疑問に思えるのも致し方ありませんが…………胃袋はもう少し上でございますよ。穴の位置間違える童貞じゃ無いんですから………ほら、こっちです」

「お盛んですわねぇ」

「誰でも良い。誰でも良いから、誰か俺に心休まる一時ひとときをくれ。おかしいんだ、息抜きに来てるはずなのに息が苦しい」

「……………誰でも良い……? 誰でも良いですって? …………ペルチェ様、それはもう私で無くとも良いというお話ですか………? もうニェーレには飽きたと? ペルチェ様以外ではマグロな体にされてしまったのに、ニェーレはもう捨てられるんですか?」

「………息が、苦しくて………生き苦しいんだ………っ!」

「でしたらニェーレが人工呼吸をして差し上げましょう。ほらペルチェ様…………ン……むちゅ………んっふ………」

 膝の上に抱いたニェーレに迫られ何度目かも分からないスパイダーキスをするペルチェに「……お盛んですわねぇ」だなんて呟けば、ペルチェが一瞬だけ照れ臭そうにキャサリンをちらりと見る。しかし即座にニェーレに頭を捻じ曲げられ「んグッふ」と苦しげに呻いた。

「………スティンクさんとウィリーさんはどれのお皿になさいますの? これで二人まで大食らいだったとしても別に構いませんわよ、私もう驚きませんから」

 自分たちの世界に入り込んでしまった国の中枢から離れたキャサリンが野郎二人の元へと向かうと、ウィリアムは「あたしはノーマルよ」と普通サイズの平皿を手に取りながら言う。

 それを聞いたキャサリンは「安心しましたわ」とスプーン、フォークを並べつつ「スティンクさんはいっぱい食べますの?」と不機嫌そうなスティンクに声を掛けるが、

「生憎と俺はかなり少食だから────おい何だクソお前その顔やめろ馬鹿にしてんのか」

 チビで、デブで、禿げてこそ居ないものの豚っ鼻がチャーミングなスティンクの言葉に驚きを隠せないキャサリンが「……ホワッツ?」と首を傾げれば、不機嫌を隠しもしないスティンクに代わって「こいつのデブは運動不足デブなのよ」とウィリアムが口を挟んだ。

「何でもかんでも魔法魔法魔法ってやってっからデブんのよ。コンビニ行くのに車出すからデブんのよチャリ乗りなさいチャリ。つかあんた山歩きの時も何か魔法使ってたでしょ、あたしら心拍数乱れてたのにあんたケロッとしてんの納得出来ないもの」

「風を使って多少体の動きを楽にしてたぐらいだ。そこまで派手な事はしてねえよ」

「何でもかんでも楽しようとしてんじゃないわよ、ちったあ苦労しなさい。だから痩せないのよ」

「良いかクソ間抜け、人は楽をしようとするから発展出来るんだ。料理で包丁を使うのも、戦いで武器を取るのも、馬車に乗るのだって同じ、それらが発展したのは全て人類が楽に生きようという感情が発端だ」

「おお……正論っぽいですわ」

「ぽいも何も正論だ。………楽したがる事が罪だっていうんなら、そいつは今すぐ全裸になって野宿しろ。服を着るのも家に住むのも楽に生活したいからっていう根源的欲求からだからな。当然ながら外出歩く時に靴なんて履くなよ、楽しようとせずガラス片踏んで怪我でもしてりゃあ良い」

「凄いわね、こんな極論言うやつ始めて見たわ。そこまで言ったら会話すら禁止ね、楽に意思疎通を図ろうって深層心理から生物は声を使うんだもの」

「良く分かってるじゃあねえかクソウィリー。だから俺のデブは許されるべきデブだ」

「許されざるデブに決まってんでしょ痩せろ。そもそもあんた前からそうだったけど────」

「うるせえクソが。「前から思ってた」とかそういう言葉を思ったままにしねえから離婚が絶えねえんだろうが。思ったままで墓まで持ってけクソ野郎、そうすりゃ世界は平和だってのが何で分かんねえんだ間抜け共」

「はーぁ? 言うじゃないスティンクあんたそれブーメラン刺さってんの自覚してる?」

 喧々囂々。散歩途中ですれ違った小型犬の如く吠え合う二人を前に、既にキャサリンはその場から立ち去っていた。


「世界って広いんですのね……私は見識を改めるべきですわ」

 研究所に置かれた大きなテーブルをぐるりと一周してきたキャサリンが感慨深そうに呟く。そのまま「博士は大きめ、クレッドとソラは普通ぐらいで良いですわね」と皿、スプーン、フォークの順に並べていくと、それまでテーブルに突っ伏して痙攣していたアダンが「………何かエロい」と小さく呟きながらむくりと体を起こした。

「………なあおいエロドリル、お前エロいんならオレの代わりにルーニャレット女史を何とかしてやってくれ………」

「私は心優しき女貴族ですがエロドリルと蔑まれてまでそれを維持出来る程ではありませんわ」

「蔑んでねえ、オレにとってドリルは家族であり切磋琢磨し合う強敵ともでありそして日々のオカズだ。生物ナマモノであるにも関わらずオレからドリルと呼ばれる事は名誉かつ誇らしい事だろうが」

「私この国での被害届の提出方法知りませんの、コメントし難い事を仰るのは控えてくださいまし」

 もはや慣れたもの。馬鹿が馬鹿な話をする事なんて日常茶飯事、いざという時にしっかり立ち向かう事が出来れば普段なんて何だって構わないと思うタイプであるキャサリンは「……で?」と余った皿たちをテーブルに乗せながら向き直る。

「ルーニャさんが何をしたって仰るんですの。みんなの為に……ひいては貴方の為に美味しい手料理を作ってる途中でしょうに。じっと我慢の子でありなさいな」

 本来の歳相応の大人しさを見せるキャサリンの言葉にアダンは「違えんだよ聞いてくれよお」と悲しそうな声色でくねくねとする。


「ルーニャレット女史がア◯ルブスリ、ア◯ルブスリって呟きながら飯作ってるんだよ………これはまさか浮気か? 齢六十七歳にしてオレは寝取られを経験しちまうのか? これまでボケ知らずでやって来たってのに、遂にNTRに脳を破壊されちまうのか? それとも逆ア◯ルか? 齢六十七で遂に痔の薬に頼る事になっちまうのか?」


「……………………………」

 そんな言葉にキャサリンが言葉を失い目を丸くする。言葉の意味が不明過ぎて意味不明、そもそも同じ言葉で喋っているのか、或いは偶然言葉のように聞こえたというだけで言葉では無い鳥の鳴き声のようなものだったりするのか……と思考を巡らせながらルーニャレットに見線を向ける。

「ふん……ふん、ふん………アナプシュケー………アナプシュケー…………」

 そこではルーニャレットが嬉しそうに鼻歌を鳴らしながら揚げ物を終わらせようとしていた。小さく呟くその単語は、どこかで聞いたような、けれど全く聞いた事も無いような不思議な単語を呟きながら油に何かを放り込んでいく。半ば乱雑に投げるように放る仕草に油跳ねが気になったが、放り込まれた何かはしゅわっと音を立てながら即座に肥大化。……もし慎重に放り込んでいたらきっと全部入り切らなかっただろう程の大きさに変わった。

「……モリティ、モリティ………ふんふん、ふん………アナプシュケー………アナプシュケー」

 それを手際良くさっと網で掬い上げる。キッチンペーパーに油を吸わせ、大きめの平皿に移し替えたルーニャレットが呟く新たな言葉に、今度は聞き覚えがあった。

 ………モリティは「大勢の人」や「たくさんの人たち」を意味するイタリア語だったはずだ。単語だけで使われると違和感があるが、それでもキャサリンはイタリア語にはある程度知識がある部類。外交官との貿易で円形脱毛が出来るぐらい学んだ言語であれば、例え単語だけの呟きであったとしても何とか聞き取り意味を理解する事が出来る。

「………………アナプシュケー」

 油を通して肥大化させた何かの形を整えたルーニャレットが祈りを込めるかのように呟く。イタリア語であるモリティが混ざっていたのであれば、きっとそのアナプシュケーというのも何処かの単語なのだろうが、キャサリンにそれが何語なのかは理解出来ず、

「ア◯ルブスリならオレに任せて欲しいってのによお……心配せずともしっかりほぐす。痛みが混ざったら快感六割減だからな」

 異世界人であるアダン・グラッドからすればもはや一つの単語としてすら認識出来ていなかった。「むしろ何で異世界人なのにア◯ルファックはしっかり理解出来るんだお前らは」という突っ込みはもはや諦めた。

「…………み、み、皆さん。お、お待たせしました。でき、出来ましたよ」

 くるりと踊るように背を向けたルーニャレットが少しだけ大きな声を出す。口元の三角巾をするりと解き、羽織っていたエプロンを後ろ手で脱いだルーニャレットは「ほ、欲しいだけよそって行ってく、ください」と大量のリゾットが入った鍋の前を譲る。

「ば、バイキングのような感覚で欲しいだけど、どうぞ。おかわりも自ゆ────」

「駄目よルーニャ。おかわりに関してのセリフは下手に口にしちゃ駄目、あたし毒ガス訓練はもう懲り懲りなの」

「ぁぇ? ………あ、は、はい。で、でしたら、えと、あー、その、す、好きなように、好きなだけ、どうぞ。………これならい、良いでしょうか」

 ちょっとした単語でもすぐに反応してしまうウィリアムにルーニャレットが問えば、ウィリアムは「GOOD」と返しながらその場を立ち「はいはーい、あたしがよそうわねー。お残ししたらカマ掘るわよー」と大きなお玉を持って並び立つ大食乙女の相手をし始める。

「し、シンプルなチーズリゾットです。は、は、博士がお肉ばっかりで食物繊維が足りてないからきの、キノコを多めにしてます。お、お仕事終わりで疲れた体でしょうから、あったかいご飯をいっぱい食べれば、き、きっとゆっくり眠れるかなって思って」

 冗談みたいな大きさの器に冗談みたいな量のリゾットを乗せていく面々にルーニャレットが軽く説明をする。

 かと思えば、ルーニャレットは先程揚げていた何かが乗った平皿を手早くテーブルに並べていく。一人一皿という訳では無く、凡そ四人に一皿ぐらいの位置に置かれた一皿の上には、まるで鳥の巣のような何かがほかほかと白い湯気を立ち上らせながら乗っていた。

「……………こちらは、……ニンニク料理ですわね」

 中央に素揚げされたニンニクが乗ったその平皿は、ニンニクを覆い囲むかのように鳥の巣のような何かで巻かれている。

「こ、これは『にんにくの巣籠もり』って呼、呼ばれるものです。あ、あ、油を用意する手間はありますが、春雨とニンニク、少しのお野菜と片栗粉があれば簡単に出来るので、お、お、おす、おすすめです」

「あら……巣籠もりっつったらあれでしょ、一時いっときもこ◯ちが狂ったように作ってたやつじゃなかった?」

 それはまさしく鳥の巣。干し椎茸を水で戻し、玉ねぎ、人参、ピーマン、そして戻した干し椎茸を細かく刻みサラダ油でさっと炒める。ある程度火が通ったら干し椎茸を戻す際に使った戻し汁を加えてひと煮立ち、ケチャップ、お酢、醤油などで味付けをし、少なめの水を使って溶いた片栗粉でほんのりととろみを付ける。

 それが済んだら二〜三センチ程度まで短く折った春雨を予め丸くまとめ、形が崩れないよう油で揚げる。春雨が大きく膨らんで大体三十秒見守ってからキッチンペーパーの上に取り出し、それの形をほんの少しだけ整える。

 あとは揚げ春雨の巣の上に揚げニンニクを乗せ、その上から餡掛けを流していけば『にんにくの巣籠もり』の完成。

「こ、コツは、は、春雨を揚げる前にニンニクを揚げる事だとわた、私は思います。れ、レシピとかだと逆だけど……そうすれば、あ、あ、あ、油に、ニンニクの香りが少しだけ移って、春雨が味気無くなくなりますから。……に、ニンニクは少しだけ冷めちゃうけど、それでも、に、に、ニンニクはじ、自己主張が強い食材なので、だ、大丈夫だと思います」

「美味えなこれ。ニンニクうっめ」

「あもう食べてますわっ! このアホジジイっ! いただきますぐらいお待ちなさいっ!」

 フォークとスプーンを器用に使って揚げ春雨をボリボリと貪るアダンにキャサリンがデシッデシッとチョップを入れるが、ようやく口に出来た食事に涙を流しながら「ウメ、ウメ」と微笑むアダンは食べる速度を一切緩めない。少し離れた場所からウィリアムの「こらー、誰よ今ウメウメ言ってんのー。マジで毒ガス訓練来たらどうしてくれるつもりー? 女性器見た事あるだけでドヤってると死ぬわよー?」というボヤきが聞こえるが、真顔で「大盛り。まだ足りない。もっと」と催促し続けるニカに「あーもう分かった分かったからニカちゃんマジであんたどんだけ食うつもりなのよ」と嘆息した。

 やがて各々の席に並べられていく各々の器。もはや食べ始めているものも多い中、隣に置かれた空のグラスを巡るルーニャレットが「ら、ライムジュースと、ミルクティーでお、お選びください」と二択を聞いて回っていく。

「ライムジュースはす、少し甘さ控えめです。みる、ミルクティーはチャイ寄りなので、は、ハーブが強めに仕上がっています」

「………チャイですの?」

「は、はい。チャイは飲む前に、指でグラスをに、二回か四回鳴らしつつ、お、お、お願い事を思いながらチャイCHAIチャイCHAIって唱えてください」

「………お願い事……何かの風習ですの? 聞いた事はありませんが………」

「い、インドのチャダルッタさんが行っていたお、お、お、おまじないです。お、おね、お願い事が叶うおまじないです。も、もし『叶ったら報告してください。駄目だったら、ごめんなさい』」

「なるほどですわ……」

 チャダルッタさんとやらに聞き覚えは全く無い。日焼け跡が全く無い事から、恐らくルーニャレット自身にもそこまで深い関わりは無いのだろう。けれど気不思議と、聞いていて心が暖かくなる話だった。

「ライムジュースの方にも何かおまじないがあったりしますの?」

 小首を傾げながら聞いてみればルーニャレットは「い、い、いえ」とすぐに返事をした。

「に、ニンニク料理があるので、あ、あの、み、ミントを入れても違和感の無い何かをいっ、一品入れようかなって。ちゃ、チャイも香辛料が多いミルクティーだから、す、す、少しはニンニクが誤魔化せたら良いなってだけで、そ、その、ふか、深い意味はありません」

 その言葉に「なるほどですわ」と頷いたキャサリンは「せっかくだからチャイでお願い致しますわ」とチャイの入った容器を見やる。それにルーニャレットは笑顔で「は、はい」と応じた。

「でしたらお料理中に呟いていた言葉は何でしょう? こっちは何か意味がありそうな気が致しますけれど……」

「つ、呟いていた言葉……? わ、私何か呟いていましたか……?」

「ええ。……えっと、アナプシュケー、だった気がしますわ」

「ア◯ルブスリー? あらやだこの娘たちったら食事時なのにお下品ね。いつからそんな娘になっちゃったのかしら」

「何で貴方はそんな耳聡いんですのウィリーさん」

「……いや、待って違うわ、ア◯ルブスリーじゃないわね。ア◯ル……プシュー……ケェェェェエエエエエッ!」

「怪鳥みたいな奇声を上げなくても構いませんわ」

「違うわよ、これは────」

「一応言っておきますけれど、もしケツ穴掘られてプシュッと潮吹きした女が実は鳥の妖怪だったとかホザいたら割とマジでボコりますわよ」

「……………………………………ルーニャ、このリゾットすっごい美味しいわ。リゾット作るのに上手も下手も無いと思ってたけど全然あるわね。マジで美味いわ、こんな美味しいの久々に食べたわ、ありがとう」

「貴方らしからぬ素直な感想を素直に口にするのは良い事ですわね。これで素直に礼も言えなかったら鳥の妖怪にケツ穴掘って貰うよう依頼していた所ですわ」

「あっぶね命拾いしたわ」

 眉間に青筋を立てるキャサリンの言葉に冷や汗が垂れる。シモネタはタイミングを間違えれば自らの首を絞めるだけにしかならないという事ぐらいウィリアムは知っていたが、キャサリン相手はどうにもそれの見極めが難しい。今のように、一見シモネタに乗っているように見えて内心では普通に苛立っている事が多いからだ。

 それを見極められず、また見極めたつもりで何も見えていないからこそ陰キャは合コンに二度と呼ばれなくなり、上司はセクハラで首が飛ぶ。「シモネタ一つ取っても息苦しいなんてね……コ◯コ◯コミック読んで馬鹿笑いしてたあの頃に戻りたいわ」と呟いたウィリアムは「それで?」と自らへし折った話の腰を責任持って自ら戻しに行く。

「実際はどんなおまじないなのよ。ルーニャが言うぐらいだから、結構信憑性高いおまじないなんでしょ? あたしも知っときたいわ」

「え、あ、い、い、いえ、あ、あれ、あわ、あ、あれは、お、おまじないじゃ無いです。た、ただ、その、えと、あの、お、お料理の時に「美味しくなあれ」ってい、言うのと同じようなものです」

 いつになく照れたような慌てたような声色でまくしたてるルーニャレットにウィリアムはリゾットをもりもり食べながら「そうなの?」と相槌を打つ。

 ………深く聞くべきか少し悩んだ。ウィリアムは以前ルーニャレットに対して凡ミスをしてしまった経験がある。照れたように見える事からネガティブな事だとは思い難いが、けれど人はどんな所にどんな闇深い落とし穴を持っているか分からない。

 自ら口にするまで待ち、口にしなければそのまま流せば良いだろうと思ってリゾットを口に運び続けるウィリアムだったが、しかしキャサリンが「どういう意味なんですの?」と馬鹿っぽい顔をしながら問い掛ける。

「モリティはイタリア語、たくさんの人たちという意味でしたけれど、アナプシュケーというのは聞いた事がありませんでしたわ。イタリア語では無さそうですけれど」

 ヒヤリとした。空気が読めるようでいて肝心な時に好奇心を優先するキャサリンに、苛立ちこそ微塵も無かったがチクリと刺すような鋭い警戒心が沸き立っていく。即座に頭を巡らせて数通りのフォローを考え、この場の温かい空気が濁らないように警戒するウィリアムだったが、しかしそんなものは全て杞憂でしか無かった。


「あ、あれ、あれは、そ、その、こ、古代ギリシャ語で……そ、その、えと、あの………げ、「元気になあれ」って、その、あ、そ、そういう、意味で………」


 ルーニャレット・ルーナロッカは心の底から誰かの為を思える心優しい女の子。誰かの為を思った事が原因で自らの左顔面を削り取られたルーニャレットは、けれどそれを恨むような事はしていない。

「は、は、博士はお肉ばっかり食べるし、そ、ソラさんは足ち、ちぎれちゃってるし、キャサリンさん「お腹どつかれた」ってく、苦しそうだったし、あ、え、と、あの、あ、だ、だから、わた、私少しでもげ、元気になったら良いなってあの、あっ、あのえっと………えひぃぃぃぃぃぃ」

 プヒーと湯気を出しそうな程に照れていくルーニャレットに二人は思わず微笑んだ。思えばあの時礼拝堂でルーニャレットが言っていた事も、自分の為では無く誰かの為を思って祈り続けていた。

 フォローなんて要らないのかもしれない。

 警戒心なんて必要無いのかもしれない。

 ここでは全てを曝け出して構わないのかもしれない。

 暖かく口の中で溶け出すような濃厚なリゾットに、ウィリアムは少しだけ肩の力が抜けたような気がした。




「そういえばニェーレちゃん。あたしふと思ったんだけど、もしあたしがイケメン陛下とア◯ルファック合戦したら貴女ど───」

「───ナグルファックッ!」

「ごっちゃよごっちゃ。焦って頭が回る前に口が動いたのは分かるけど、幾ら何でも一つの単語に色々詰め込み過ぎよ」

 それを聞いたキャサリンが「えーと?」と小首を捻りながら推察する。

「ぶん殴るの「ナグル」と、想い人のケツ穴寝取られた事に対する条件反射的な「ファック」と、ア◯ルファックと聞いて何となく語呂合わせちゃった「ナグルファック」と………あとは他に何がありますの?」

「「ナグルファルの船」がありそうね。『詩のエッダ』か『散文のエッダ』かで少しだけ変わるけど、個人的には散文が理想的ね」

「散文だと何かあるんですの?」

「散文の方は船の舵取りが巨人なのよ。イケメン陛下に巨人級の巨根でグイングイン舵取られるって考えたらワクワクするわね。あたしよりデケえ奴に会いに行きたくなるぐらいワクワクするわ」

「ああ、分かっていますのよ……こういう時のウィリーさんがひたすらアホな事ぐらい私分かっていますの。………でも何となく気になっちゃって聞きたくなるんですのよ………腹立つ」

「巨根の基準は人それぞれですが、取り敢えずペルチェ様は十二センチです」

「ニェーレやめてくれ。食事時、唐突に俺のチン長を公開するのはやめてくれ、危うくむせる所だった」

「んー……………太さと硬さ次第では許せるけど、それがショボかったら許せないサイズね」

「甘いですねウィリアム。もう一つ何よりも重要な要素を忘れています。これを忘れる時点で、貴方は女性目線でものを考えられない男、という事です。そんな奴に陛下のプリティーなおちり穴はあげられません」

「……へえ? 良いじゃない、その喧嘩買ったわ。その重要な要素とやらが的外れだったら容赦無くイケメン陛下のケツ穴貰うからね」

「気付けウィリアム、お前は聡明なはずだ。俺が尻穴を明け渡すなんて一言も言っていない事ぐらい聡明なお前なら気付いているはずだ」

「長さ……硬さ……太さ………。男性が忘れがちな、けれど最も重要な大事な事…………それは『反り』ですよウィリアムっ!」

「────────ッ!?」

「やめろウィリアム、そんなラスボスが仮面取ったら親父だった時みたいな愕然とした顔をするのはやめろ」

「まあでも反り具合ってのは大事だぞペル坊。長さかろうが太かろうが硬かろうが、ロクに反ってなきゃあそりゃあ木の棒突っ込んでるのと対して変わらねえ」

「やめろアダンっ! お前まで来ると話がややこしくなり過ぎるっ! 絶対収拾付かないだろこれっ!」

「つっても実際そうなんだから仕方が無えだろ。太くて長くて奥に届く? 硬くて途中でフニャらねえ? それ全部木の棒で良いだろうが、良い具合に反ってイイとこ刺激出来なきゃお前である必要なんて無えんだ」

「そうよ……確かにそうよ……忘れてたわ………あたしは何でそんな簡単な事を…………。…………ああ、あたしはきっと括約筋を刺激される快楽に溺れ、いつしか前立腺やGスポの事を忘れてしまっていたのね………本当に素敵な友達は、ずっと側で見守っていてくれたというのに………」

「まだまだ青いですねウィリアム。私は小柄、太さも長さも要らなければ硬さだってどうでも良いのです。ケースバイケース、私はペルチェ様にイイ所をぐりぐり刺激して頂ければポルチオなんてどうでも良いのですよ」

「………負けたわ………あたしの負けよ………これ食い終わったら修行に行かなきゃ…………風俗全国ツアーの幕開けよ、数多の風俗店を巡り巡って、あたしはいずれ必ず性病片手に舞い戻って来るわ」

「安いプーソー行くのはやめとけ、脳みそヤラれるぞ。城下で良いならオレが昔通ってた店があっから教えてや───」

「……………………………博士?」

「────済まねえ教えてやれなくなった。多分教えたらルーニャレット女史が闇落ちする。オレはまだ死ぬ気は無え」

「ヤンデレって怖いですね。ペルチェ様はああいうヤンデレ系の女性に捕まってはいけませんよ? それはさておきペルチェ様、ニェーレちゅーがしとうございます。ニンニク料理を食べた直後のおっさん臭いちゅーがしたいです」

「食事前でテンションが高いならともかく食事中ぐらい穏やかに食べさせてくれよッ! 良いかお前らッ! ご飯っていうのはなぁっ、何というかっ、こうっ、一人静かで…………とにかく救われていなきゃあ駄目なんだっ!」


 勇者たちは今日も賑やかである。

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