4-閑話【52ヘルツの恋歌】



 ジズベット・フラムベル・クランベリーは基本的に夜更しの常連だが、にも関わらず朝はかなり早く起きる部類である。

 夜遅くまで起きて、自慰と裁縫を交互に繰り返し、両方に飽きて来る頃合いになれば欠伸が出始め部屋のあかりを消して布団の中を暖める事に注力……朝風呂を楽しみにしながら泥に沈むように眠る。

 その割に朝はいやに早く起きる。疲れが溜まっている日は早く寝て遅く起きるが、基本的にはその真逆。大した運動もせずロクに頭も使わず一日を終えたからだろうか、睡眠によって休ませる部位が少ないジズはとても朝が早い。

「…………をがっ」

 僕も同じく朝が早い……と、いう程でも無いんだけれど、時間的にはいつも朝早い段階で目を覚ましてしまう。僕の場合は「朝早く起きる」という訳では無く、簡単な事ですぐに目を覚ましてしまう体質である事が早起きの理由な気がする。流石に一番鴉の鳴き声では起きないけれど、小さな鳥たちが騒がしくなると、その声で自然と目が覚める。場合によっては窓から射し込む朝の陽射しに伸びをするラムネの「んっきゅぅぅぅぅぅ……」という不思議な声で目を覚ます事もあるぐらいだ。

 ビクンと痙攣して目を開いたジズがむくりと体を起こすのに合わせ、全く同じタイミングで僕の意識も覚醒する。口を開けて寝ていたのだろうか、乾き切った口内を急いで湿らせるジズの「ん〜……んゆんゆ」という不思議な呻き声を聞いていると、不思議と僕の意識は霧が晴れるように明瞭になっていく。

「んー………ん? ………うわっ、そういやそっかァ……面倒めんど臭ェ……」

 微睡まどろみの中、ジズが何か文句を言っているのが聞こえる。かと思えば「……着替えも無ェ、煙草も無ェ」と吉◯三のような事を呟く。

「無い無いばっかでキリが無ェ………現状はこんなンかァ」

 吉◯三では無く西川◯教だったようだが、しかし僕には何の話なのかは分からない。

 ゆっくりと目を開いてみれば、ジズの綺麗な背筋が視界に入った。………傷一つ無い白い肌は気持ち程度背骨が浮かんでいて、尾てい骨の辺りから生えた太い尻尾を通り過ぎれば小さなお尻の割れ目がベッドに座って形を変えている。

「…………ジズ? おはよう……早いね」

 背中越しに僕が声を掛ければ「んー? ………おはよォ、起こしちゃったかしらァ」とジズが首だけ向けて応じてくれる。と思えば付け根が太く先細りになっている尻尾をゆるりと動かし、その特徴的な三叉の先端で僕の頭を優しく撫で始めた。

 ………考えてみれば、ジズの尻尾をまじまじと見る事は余り無かったような気がする。

 けどそれもそのはず、ジズは基本的に尻尾を何かに使うような事はしない。大体の事は両手で完結してしまうし、両手で足りないような事をする際は近くに誰か居る事が多い。ジズが尻尾を使うのは戦闘時が殆どだ。

 そして戦闘中は大体ガチな戦闘が殆どなので殺気がムンムンと振り撒かれているし、機敏に尻尾を振り回して体を動かす高機動型である事も相まって、戦闘中のジズをしっかり見ている余裕は大体無い。

「………どしたのよォ、アタシの尻尾ォそんな気になるゥ?」

 そんな尻尾をここぞとばかりに眺めていると、ジズが背中越しに不思議そうな声で聞いてくる。優しく頭を撫で続ける彼女の尻尾を手で取って触れてみれば、ジズは何も言わずに尻尾から力を抜いた。…………要するに「見たいなら見れば?」という事だろうと受け取った僕は、横になりながらその尻尾を眺める。

 ………ジズの尻尾は腰と尻の間にある尾てい骨の辺りから生えている。太さは結構太めで、ジズの太ももと同じぐらい……まあそもそもジズがかなり小柄であり体も細いのだが、それにしても「いわゆる悪魔っ娘」の尻尾としてはかなり太い。

 しかし根本から離れると尻尾は一気に細くなり、手首と同じまで細くなると、特徴的な三叉の先端に辿り着く。

「…………ジズの尻尾、手みたいになってるよな」

 ルーナティアが誇るクソデカ不器用メイドことトリカトリ・アラムの四本指は一本一本がかなり太く大きいが、ジズの尻尾の先端はそこまで太くなく、むしろ細めに見える。ふにふにと触ってみればしっかり人間と同じように関節があるが、その指先はかなり鋭く艶のある爪が伸びていて………。

「……………………………」

 と、何の気無しに体を伸ばしてジズの尻尾の付け根に触れてみるが、ジズは「んー?」と唸るだけで生前よく見た悪魔っ娘のようにくすぐったがる様子もえちえちな喘ぎ声を上げるような事も無く。

 仕方が無いのでジズの小さな桃尻を無遠慮にもにもにと揉んでいると、ジズは露骨に怪訝そうな表情───言い換えるなら馬鹿を見る目で僕を見る。

「…………ヤりたがりかお前ェ、昨日あンだけシただろうがよォ。朝っぱらからハメ倒しは流石に無ェぞォ?」

 その言葉に昨晩の事を思い出す。地の底に沈んだような自分の心を救い上げられ、悲願のような恋が叶い、互いに互いを求め合った夢のような夜。

 いわゆる小ケツながらもぷにぷにとした弾力を楽しみながら思いを馳せれば、ジズは特徴的な尻尾で僕の頭をわっしと掴み────、

「ぁだだだだだだだだッ! 痛い痛い痛い結構痛いッ! 入ってるッ! 力入ってるかなり力入ってる痛い痛い痛いッ!」

「誰かさんがお姉ちゃんのプリケツひたすら揉んでっからさァ…………こりゃ痴漢撃退でザクロするしか無ェなァってェ」

「ザクロじゃ済まないッ! ザクロみたいにもろんって中身が出るだけじゃ済まないッ! 海外の銃紹介してる動画に出てくるスイカみたいに弾けとんじゃうッ! やめてジズッ! 許してごめんなさいッ!」

 悲鳴のように叫べばジズは一気にその力を弱めて「……ジズ? ジズゥ……何だってェ?」と僕に択を迫る。反射的に「ジズお──」と口を開きすぐ閉じるが、ジズは尻尾で僕の頭を優しく撫でながら「……ん」と微笑んで僕の手を取る。

 ジズが言いたい事が伝わって来た。何も言わずとも分かる幸せさを噛み締め、僕はジズの手を取り返しながら彼女の求める言葉を口にした。


「ジズおばさ────ギャオスッ!」


 外されたッ! 手首外されたッ! そしてすぐにはめられたッ! 凄い速度で手首の骨が付け外しされたッ! ボキュコキュッて鳴った! 何だこれお前は凄腕の格闘家かッ!?

「風呂入るわァ。どっかのクソガキに山ほど中出しされたせいで股ぐらぬるぬるすンのよねェ。心底不快だわこれェ………終わったらさっさと風呂入っとくべきだったわねェ」

「うごごごご………痛え……超痛え………心臓の動きに合わせてズキンズキンする………ふごぉぉぉぉ……」

 ぶんぶんと素早く左右に尻尾を振りながらさっさと備え付けの浴室に向かっていくジズ。

 ……犬はテンションが高い時に尻尾をブンブンと振り回すというが、今のジズはそれに合わせるなら多少ご機嫌なのかもと思える。

 しかし実はそもそもの前提が引っ掛け問題だったりするのだ。犬は嬉しい時や楽しい時に尻尾をブンブンと振り回しているイメージがあるので「尻尾を振る=ハッピー」だと思いがちだが、実際そんな事は無い。

 犬は感情が大きく動いている時に尻尾をブンブンと振り回すのだ。だから嬉しい時や楽しい時だけで無く、機嫌が悪い時………散歩中に別の犬とすれ違って威嚇し合っている時にも尻尾を振り回す。


 さて、ではここで問題です。今のジズは結構な速度で尻尾を動かしているが、機嫌の程は如何でしょうか。



「頭洗えガキ。テメェはお姉ちゃんの奴隷だろうが」

 正解は『微妙な所』といった感じ。

 心の闇に呑み込まれそのまま精神が崩れそうになっていた僕の元にジズは現れ、小さなその手で僕を引き上げた。

 だからきっと、壊れ掛かっていた僕が減らず口を叩けるぐらいまで元気になって嬉しい反面、唐突に年増扱いされてキレそう、といった辺りだろうか。だとしたら素直に嬉しいんだが、実際にそうなのかと問い掛ける勇気なんて湧きやしない。

「………ますますもってお姉ちゃんっぽく無いんだが」

 脱衣所でピアスを全て外した少しレアなジズの後ろ姿を眺めつつ、僕は浴室の床に膝をついてシャワーホースの付け根にある二つの蛇口の内、赤い方をひねる。あらかじめ手に取り床に向けていたシャワーから冷え切って痛いぐらいの冷水が流れ出し、それは次第に魔力で温められてお湯になっていく。

 ………実の所、この世界にも可燃性ガスやボンベという概念は存在する。しかしそれは魔力や魔法の概念により居場所を奪われ、まず目にする事は出来ない。電気に至っては武器以外に立ち位置が無いぐらいの有様だ。

「うるせェガキ、さっさとしろ」

「ウス」

 蛇口をひねると浄水場と繋がった大型貯水タンクの弁が緩み、配水管を通って水が流れ出す。その水の流れに反応して配水管の内側に設置された魔石のような器具が一気に発熱、お湯が流れるという仕組みらしい。

 それだけだと熱過ぎて死人が出るので、魔石のような器具が入っていない別の配水管を用意。二つのバルブを上手くひねって開き具合を調節し、各々の望む適温に変えていくのだ。………生前住んでいた世界では大体バルブは一つだけで、適当にひねると事前に設定されていた温度まで温められるようになっているが、幼い頃に行った田舎のお婆ちゃんの家ではこんなタイプのものだった気がする。

「………湯加減は如何ですか」

「ちょっとぬるい」

「ウス」

 慣れるまでは水温調節だけで数分使う事も良くあるが、慣れてしまうとバルブが閉まっている状態から「大体このぐらいまでひねれば良い」という感覚で適温に持っていく事が出来るようになる。

 生前に経験したお婆ちゃんの家の風呂は貯水タンク式であり、一日に決まった量しかお湯が使えなかった。もたくたしていると「……ん? なんか熱湯の方全開にしてるのに凄えぬるい……」というような事が起こるような古い仕組みだったが、ルーナティア城の部屋に備え付けられている風呂ではそんな事は無く、割りかしのんびりお風呂を楽しむ事が出来る。

 とはいえ使い過ぎると魔王さん直属の部下の一人である銀陽さんが「水って素晴らしいですよね。我々は毎日風呂に入れる事がどれだけ恵まれている事かを、もっと深く噛み締めるべきでしょう」とニコニコしながら詰め寄ってくるから、恐らく水道代的な金はしっかり掛かっているのかもしれない。

「あー……そンぐらい」

「………このぐらい? 少し熱くないか?」

「お湯張って浸かる訳じゃねェ朝シャンなんだからこのぐらいで良いのよォ。熱めのお湯で交感神経刺激してェ、サッと入ってサッと洗ってサッと出る。お風呂プレイなんかする訳無ェから安心しとけェ」

「………何か昨日と違ってジズが冷たい」

「アタシはあったかいわよォ? 熱めの朝風呂って良いわよねェ、体ァほかほかになるわァ」

「そういう話をしてるんじゃない。僕は態度の話をしてるんだ、お湯の話じゃねえ」

 何となく悔しくなった僕がジズの後頭部目掛けてシャワーをぶっ掛ける。だが当然、ジズは特に何か嫌がる様子も無く「ゔァーあっだげェー」と身動ぎ一つせずに体を濡らしていく。

 因みにジズはお風呂用の椅子に座っているが、僕は床に直座りなので尻が冷たい。お風呂用の椅子も介護業界や風俗店で使われる『スケベ椅子』では無いのでお触りも当然出来ない。

「ジズ、僕も座りたい。風呂のタイル凄え冷たい。ついでにジズの態度も冷たい」

「遭難とかでのサバイバル中は地面に直で寝ちゃ駄目よォ? 虫とか蛇とかもそうなンだけどォ、何より地面って人の体温ほぼ無限に吸い続けっからさァ。底冷えっつったかしらねェ」

「僕が椅子に座って、ジズは椅子に座った僕の上に座れば良いと思うんだ。そうすれば二人はプリキ◯ア」

「んーでバッキバキになった益荒男ますらおォ内股に挟んでさァバトルシーンってかァ? 風俗嬢とプータローのバカップルじゃあるめェ、朝っぱらからハメ倒す訳ァ無ェだろ」

「僕が子供の頃遊んでたカードゲームに『ガンバラナイト』って名前のカードがあってな。クソザコだったんだけど。でもせっかくのお風呂シーンなんだ、僕も頑張らないと」

「シャンプー」

「ウス」

 僕のささやかな思いはジズの無慈悲な要望により断念。僕はお湯を出しっぱなしにしたままシャワーノズルを壁に引っ掛け、フリーになった手でシャンプーのボトルを手に取る。ノズルを二回ほどプッシュすれば真っ白な液体がぴゅぴゅっと飛び出し、僕はそれを両手で軽く泡立てジズの頭を洗い出す。

「お痒い所はございませんか」

「ん……何それ……」

 ギュッと目を閉じ少しだけ声に力が篭ったジズが問い掛けてくる。

「僕の生前住んでた世界の……様式美? 決まり文句? みたいなもんかな。誰かの頭を洗う時に聞かなきゃいけない、みたいな」

「へーェ」

「という訳で……お痒い所はございませんか?」

「ま◯こ痒いっつったら掻いてくれんのォ?」

「僕の彼女がクソ下品な件について」

「………今度は何それェ」

「最初は掲示板のタイトルみたいな感じだったんだけど、途中からエロ広告の釣り文句にしか使われなくなった印象がある言葉かな」

 要約するなら「なんちゃらな件について皆で話し合おう」という意味で使われたそれは、妙に語感が良いからかありとあらゆる分野でパクられた。時にはライトノベルや漫画のタイトルにまで使われる程にもなり、一時は「最近のクソ長タイトル良い加減うぜえ」という派閥がSNS上で過激な行動に出る事すらあったという。

 漫画や小説のタイトルに関して余りにも露骨なパクリが多い事に色々な意見が出るが、僕自身はそれを否定する気は無い。言ってしまえばファッション誌の「流行り」と全く同じであり、極論にはなるが「じゃあお前流行りの服着るなよ? 流行りのもん食うのも無しな? 周りのパクりは嫌なんだろ? ならウダウダ言わず自分の道だけ進んでろよ」という話に終着してしまうからだ。それは余りにも不毛だろう。

 とはいえ「◯◯な件について」はエロサイトの「今週の人気ページ!」みたいな部分とかで乱用されるようになってから殆どの人が掲示板で使わなくなった気がする。………気がするだけで実際そんな事は無いのかもしれないし、最近見なくなったような気がするのも僕が死んでしまって異世界に行ったからというのが大きいような気もするが………ああ、もはやどうだって構いやしない。生憎死後の世界を憂う程の余裕を僕は持ち合わせていない。今頃祖国が核の炎に包まれてヒャッハーしていたとしても知った事では無いのだ。

「まァでもエロに関してはそんなもんよねェ。あいつら人のネタパクる事しか頭に無ェ奴多いからァ」

「……………ルーナティアでもそういうのあるのか?」

「掲示板だとかえろさいとってェのは意味不明だけどォ、こっちにも当然本はあっからさァ。書店行って知らねェ作者の本がデカデカと出てんなァって思って見てみりゃァ、タイトルだけじゃなくて中身すら誰かの後追い小僧ってのはよくある事よォ」

「なるほどな。…………そろそろ流すよ」

 あわあわになったジズの頭をシャワーで流していくと、ジズは「んむっ」と口をつぐんで流されるままになる。かと思えばすぐに「ぽへェあっ」と息を吐き出し鼻呼吸を諦めた。

 この世界にもシャンプーは存在するが、化学薬品に関しての発展が遅いのでシャンプーの中には髪に艶を与えたり傷みを抑える香油のような液体が混ぜられている。油とは言うがそこまでぬめぬめするような事は無く、しっかりと洗えば不思議と髪だけすべすべつやつやになってくれるのだが、首元や耳周りに流し残しがあると肌荒れやニキビの元となりやすいので丹念に洗い流す必要がある。

「全部リンスインなの楽で良いよな」

「んむァっ! もう良いっ、流れたっ!」

「はいよ」

 頭からシャワーを浴びせ掛けられる事に飽きたジズの言葉に僕がシャワーの向きを変える。そのままシャワーを壁に引っ掛けると、ジズが顔についた水を「ぷェぁっ」と小さな手で払う。

「うっしィ………したら───」

「窓のサッシや狭過ぎて雑巾とかが入れられない部分を磨くのに『マツイ棒』っていうのがあってな」

「は? ………何よいきなりィ。壊れたァ? 壊れちゃったァ? 叩いて直すゥ?」

「直さない叩かない。…………いや『マツイ棒』はここには無いんだけどさ、代わりに『タクト棒』があるからさ。これで代用しようねって思ってさ」

「四十五度だっけェ? 確か斜め四十五度で上から踏み付けるのよねェ。オラ早くそこにうつ伏せになれやァ、生足で踏み付けて駄目ンなったおつむ直してやるよォ」

「待て待て最後まで聞くんだジズ、早合点で言い争うのは喧嘩が絶えない駄目な夫婦だぞ。まずは相手の言い分を全て聞き終えて、そこから意見や異論を立てていくんだ」

「アタシの穴っぽこにタクト棒突っ込む話だったらガチで殺すわ」

「さーて、と…………頭を洗い終えたら次は体だなぁボディウォッシュ。つるつるぷるんなたまご肌を目指し、既に綺麗なジズの体を僕色に染め上げてやるぜ」

「……………タクトなら見抜きだけでぶっ掛け出来そうなのよねェ………取り敢えず体洗うから少しだけ待っててェ」

「お体お流し致しましょうッ!」

「はえーよタクトォ、もうちっと欲望を抑える努力をしろってェのォ。忠犬目指して『待て』ぐらい出来るようになれやァ」

「謹んでお断り申す。僕は「さんぽ」と聞いた瞬間嬉ションしながらハイになりそのまま家具に頭ぶつけて涙目になるような犬が好き」

 ……これは最近気が付いた事なのだが、どうにも僕は「期待外れ」と呼ばれる事が何よりも嫌いなようだ。

 期待外れだとかガッカリだとか言われると昔のホラー映画が如く相手の下顎を引き千切りたい衝動に駆られる。「幻滅しました」なんて言われようものなら視界が赤く染まる感覚に全てを支配されそうになる。

 勝手に期待したのはそっちなのに、何でこっちが批難されなくてはならないのか。そんな身勝手な事を言う奴だなんて「幻滅しました」と鼻で笑ってやりたい。

 馬鹿で居る事も、スケベである事も、シモネタを言う事も、好きだと言う事も、僕は幻滅されない為に行っている事なのだと最近ようやく気が付いた。

 ある程度仲良くなってから「そんな人だとは思わなかった」と離れられて悲しむぐらいなら、最初から人を選ぶような生き方で居れば良い。初めから全て曝け出していれば良い。

 そうすれば「幻滅」される事は有り得ない。後々になって勝手な「期待」と下らない「幻滅」に振り回されるぐらいなら、最初から周りを振り回して寄り付く人を選んでいる方が遥かにマシだ。

「だから僕はジズとお風呂えっちで二人えっち、ハピネスチャージ、アイアムプリキ◯ア」

なァにが「だから」だタコ助お前ェは鬱乗り越えてちょっと躁になってるだけだろォが」

「健全な青少年だからこそ性欲が強いもんだと思うんだ。エロで騒ぐのは不健全じゃない、健康な証拠なんだよ。というか過度に抑圧したらそれこそ不健全だろ。つまりエロは偉大、エロ無くして生物の繁栄は有り得ないんだ」

「………節操無しは冗談抜きで嫌いよォ?」

「全くお前ら小学男子じゃあるまいし………良い大人なら分別を弁えて謙虚に生きろよ?」

「手のひらクルーってやつよねェ」

「親指と小指の辺りにジェットエンジンが付いてる。ビーム薙刀持ったゲ◯ググの手みたいに超速回転するよ」

「なら股間に二つぶら下がってる熱核エンチンは要らないわねェ。片手に二つもエンジン付いてンなら股間の二つの玉は余分じゃなァい? 潰すのと切り取るのとならどっちがお好みィ?」

「侮るなよ、僕の股間の熱核エンチンはBPM128でビートを刻むぞ。こんな素敵なパーツをそんな簡単に─────」

「どっちがお好みィ?」

「………第三の選択肢「優しくもにもにされる」を選びたいです。……その、………優しくされたい。僕ジズ好き」

「アタシはアタシ嫌いなんだけどォ、アタシの事好きって言ってくれるタクトの事は大好きよォ」

 と、そんな素敵な事を言った直後に「へぃっぷしっ!」とくしゃみをするジズに、僕は反射的に「あすいませ───ウスっ」と謝る。

 不貞腐れたような声色で「寒い」と呟く小さなお姉様に言われ、僕は大急ぎでシャワーを取りその小さな体を温める。途端「ゔァひィーあっでゃげェー」とふにゃふにゃになる可愛いジズの背中を眺めつつ…………ふ、と冷静になる。

 何でこのちっちゃいお姉様は全部僕にやらせているのだろうか。いや別に良いんだけど、風呂に同席したのは僕だし楽しんでいるんだけど、それにしても何から何まで過ぎる気がする。壁に掛けたシャワーからはお湯が出しっぱなしだったのだ、馬鹿話で体が冷えているならすっと手で取り浴びれば良いのではと思ってしまう。

「………まあ、体洗うね」

「良きに計らえェ」

 …………もしかすると、これはジズなりの甘え方なのかもしれない。ジズなりの甘え方であり、ジズなりの甘やかし方であり、ジズなりの───近しいものとのコミュニケーションなのかもしれない。

 シャワーを再び壁に掛けてバルブを閉め、そのままの流れでスポンジを手に取る。個人的にはスポンジでは無くボディタオルのようなものが好みだが、わざわざ文句を言うのも面倒だしダルい奴なのでスポンジで甘んじている。スポンジだと背中周りを洗う時に幾らか不便だが、泡立ちの良さや泡のきめ細かさはボディタオルの比にならない。

「力加減は大丈夫か? 痛くないか?」

「うん。……もちっと強めで良いわよォ」

 ジズの言葉に「分かった」とだけ答え、気持ち程度力を強めて小さな体を洗っていく。

「………………」

 小さな体の、小さな背中。

 白くて、傷一つ無くて、少し痩せ気味な、小さな背中。

 僕はこの背中に救われた。この小さな背中に背負われて、沈み切った僕は救い出された。自分の倍以上もある僕を、彼女は小さな背中で背負ってくれたんだ。

 そしてそれはきっとこれからもそう。当然僕だって何から何までおんぶに抱っこという訳にはいかないが、それでもこの世界は熾烈で苛烈。画面の向こうで見聞きした「苦労した主人公が異世界で好き放題」とは程遠い、簡単に誰かが死んで簡単に人が壊れてしまうような世界。

 でも、と思い返す。冷静になって考えてみれば、もしかせずとも生前と特に何も変わっていないのかもしれない。

 だって僕が生前住んでいたあの世界、あの国でも、人は簡単に死んで簡単に壊れてしまっていた。

 ……いや、簡単に殺され、簡単に壊されてしまっていたのだ。あの国だからという話ではない。どんな国に住んでいたとしても大して変わらない、どんな国にだって幸福と不幸は平等に点在している。自称平和の国は平和の対価に年間何万人の自殺者を出していただろうか、最早思い出す事すら億劫だ。

 …………僕は偶然あの国で生まれて、偶然不幸で、偶然壊されて、偶然自殺の道を選び、───偶然、異世界に来たんだ。


 そして偶然、救い出された。


 そう考えると感慨深い。

 奇跡も魔法もあるとは聞くが、個人的にこの世に奇跡なんて存在しないと思う。この世は偶然の積み重ねで全てが成り立っていて「人間にとって都合の良い、面白可笑しい偶然」を勝手に「奇跡」と呼んで崇めているだけなんだと思う。

「ジズ、尻尾も普通に洗って良いのか? 何か気を付ける事とかあるか?」

「んー………タクトはちんちん洗う時ってどう洗うのォ?」

 余りにも予期せぬその言葉に僕は思わず眉間にシワを寄せてしまう。

 …………僕の感慨深さが吹き飛ぶような音が聞こえた気がするが………あれ? これってギャグ回? 馬鹿トーク? おかしい、奇跡も魔法もあるんじゃ無かったのか。もしかしたら偶然僕の耳が悪くなったのかもしれない。

「どう……って、うーん。………ふ───」

「ここで普通とか言ったら今後手料理とか無しねェ?」

「つぅ、っぐん、ぬ────」

「具体性のある回答を求めてンのに具体性の欠片も無ェ「普通にィ」とか言われたらぶン殴りたくなるわねェ。仮に「何食いてェか」って聞かれりゃァ「あっさり」とか「重め」とかってェぐらいは提示して欲しいもンだわァ」

「……なるほど。まあ、確かに逆の立場だっ───」

「でェ? ちんちんはどう洗うのォ?」

「────ぶぐっふ」

 僕の手からかすめ取るようにスポンジを奪ったジズが自分の体をわしわしと洗っていく。誰かに洗って貰ったとしても何となく気が残るものだから、そこは気にしない。実際ジズは腕や肩周りをかなりサクサクと洗い、すぐに足やお腹、胸周りに向かっていった。

 ………回答に困る。……が、それでも一応懸命に考えてみる。

 昔見たアニメではこんな感じのシーンでは「何言ってんだよ〜」みたいに茶化して終わりだったが、ジズは無意味な問い掛けは滅多にしない。相槌感覚の上の空で何か聞くタイプでは無く、聞くには聞くなりの意味があるというような………ジズはそういう女だ。

 もしかするとクソ真面目に「んーとねー、まず亀さんの頭洗ってー、玉袋がねー」と宣言するべきなのかもしれないが、不思議な事に下手なシモネタを言う時よりも遥かに喉が詰まる。

「……んーと、まあ。………デリケートゾーン、っていうと違和感あるけど、まあ……うん。丁寧には洗うけど、ガシガシ洗う感じでは無いな。痛えし、場合によっては元気になる事もあるし」

 一度この手のスポンジでしっかり亀頭を洗った事がある。力を入れた訳では無かったが、何となく丹念に洗おうと思ってスポンジで丁寧に洗った。

 そうしたら当然の如く、先っちょが擦り剥けて一週間ぐらいヒリヒリして辛かった。何せ先端は皮膚では無く粘膜なのだ。

 これは想像するだけで金玉が縮こまるが、亀頭にしろ乳首にしろ乳輪にしろケツ穴にしろ、粘膜部分はポケットティッシュを開くような感覚でフンヌッと力を入れるとビリっと裂けて出血する。粘膜というのはそういう部位なのだ。

「ふゥん。………ならァ、はい。アタシの尻尾もそんな感じでよろしくねェ」

「……………あっはい」

 随分とあっさりした態度のジズに何か心がもやっとする。………うーむむむ、熟考する程の理由では無かった気がする。考え過ぎたのだろうか、僕はもっと馬鹿で居た方が良いのだろうか。

 幾らかのもやもやを軽く振り払いつつ、しゅるりと伸びてきた尻尾を見れば特徴的な三本指の先端にスポンジが握られていた。それを受け取りつつ、僕はわしょわしょとジズの尻尾を洗っていった。

 要するに普通に洗えという事なのだろう。変に気を配らず、かといって乱雑にもせず。気兼ねせずに洗って良いという感じなのだろう。………だったらそう言って欲しいものだが、僕の好きな女性は素直では無かった。

 トライデントのように三叉に分かれた先端の、割と鋭い爪にスポンジが引っ掛からないよう注意しながら洗いつつ───ふ、と。僕は今更な事に気が付いた。

「………なあジズ、もしかしてなんだけどさ」

「はァん? 何よどうかしたのォ?」

「…………自分がお背中流しますって思ってたけど、………ジズ尻尾あるから自分でお背中流せます?」

 僕の素朴な疑問にジズが黙り込む。と思えば小首を曲げて振り返りながら「今更ァ?」と馬鹿を見る目で僕を見てきた。

「アタシはてっきりエロい事目当てのチンパンだと思ってたンだけどォ」

「いやそれは八割ぐらい。二割ぐらいでちゃんと背中流してやりたいなって気持ちがあったんだ」

「さらっと言っても聞き逃さねェぞエテ公ォ、逆にしろ逆にィ。アタシへの献身八割にしろっつゥのォ、尽くせよアタシによォ」

 そう言ってふいっと正面に向き直るジズ。……ご機嫌を損ねてしまったような感じは無かったが、どちらとも無く会話を止める。それに合わせて僕も無言でわしょわしょと尻尾を洗い、その付け根へと向かっていく。


 …………もっとアクティブに色々試してみるべきだろうか。


 どの世界でも共通する事項として「知識は持っているだけでは意味が無い、知恵に昇華してこそ意味がある」というものがある。

 興味や好奇心というものは、言うなれば「金属の板」なのだという。「知識」で研いで、「実践」してみて成形する。やがて明確な形を持った「金属の板」は刃を持つが、それが「悪意で人を斬る」のか「善意で人の為に切る」のかは各々次第なのだという。

 何の話がしたいのかと問われれば…………そう、僕の知っている悪魔っ娘と言えば尻尾が弱いというのが定番だったのだ。僕はT◯L◯VEるでそれを学び、数多のエロ画像で確証を得るまでに至っている。

 だかお風呂に入る前、寝起きの段階でのジズは尻尾の付け根に触られても微動だにしなかった。場所が悪いのかと思って尻肉を揉んでみれば完全にゴミを見る目で見られてしまったのだ。

「…………」

 勇気を出し、僕は尻尾の付け根の辺りをスポンジでわしょわしょと洗う。気持ち程度優しめにしながら、色々なアプローチで尻尾の付け根を刺激していく。その間ジズの後ろ姿を眺めながら、僕は全神経を集中させて異変の察知を見逃さないようにする。

「…………………」

 が、何も無い。………何も無い? いやそれはおかしい。だってジズは悪魔っ娘だぞ? だいぶ歳食ってる事実が昨日の夜判明したが、そんなものは関係無い。僕はジズという悪魔の少女に惹かれて好きになったのであって、ジズ年齢や体格なんざに惹かれた訳では無いのだ。見た目でしかものを選べない人間では無いつもりだ。

 だが、だが………。

「……何故…………どうして…………?」

 音が聞こえる。ヒビの入る音が、僕の鼓膜を振動させる。

 誰かの声が聞こえる。聞きたくない声。今は聞きたくない声。

 …………ジズの尻尾釣りは思った以上の消耗戦でした。あたかも尻尾に翻弄されるかのように、なにをやっても上手くいかない。それを繰り返すうちに、私は「エロイべがあるはずだ」という信念を失ってしまいました。とにかくエロいという感覚を取り戻したいんです。なんでもいい、無心で触ります。小さなラッキースケベで十分です。

 そう、そうだ。そうだよ。諦めんなよ、諦めんなよオマエ、どうしてそこで止めるんだそこで! もう少し頑張ってみろ! ダメダメダメダメ諦めたら、周りの事だって思えよ、応援してる人の事思ってみろって。あともうちょっとの所なんだから、俺だってこのマイナス十度のとこ尻尾がトゥルルって頑張ってんだよ絶対やってみろ、そしたら必ず目標達成出来る!

 ………女の子と一緒にお風呂に入っている時には聞きたくない、熱苦しいおっちゃんたちの声が聞こえる気がした。

 というか後者はまだしも前者は分かる人殆ど居ないだろうが。素直にマスキーパイク釣りに戻ってください。

 だがその声に、その言葉に、不覚にも僕は励まされた。あの人たちの言葉は妙に心が熱くなる。どこかの頭おかしいレベルの社長と違って「血反吐を吐いたとしても、諦めなければ絶対に成功します。成功してるでしょう? なら出来るんです」とかいう人の体を顧みない無責任な「諦めるな」と違って、心にじかに響くんだ。

 マザー・テレサは言っていた。「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです」と。

 諦めるな。心を込めろ。ねちっこく尻尾を責めていれば、尻尾だっていずれ我慢出来なくなるはずだ。


「竹になろう。バンブー」


「………タクトさァ、尻尾フェチとかなのォ?」

 完全に熱くなれよ状態だった僕の意識が引き揚げられる。はっとなって顔を上げれば、ジズは背中を向けたまま僕の方を見ている。ゴミを見るような目では無く、どこか不思議そうな表情で僕を答えを待っていた。

 そこでようやく冷静になる。僕はもしかして、普段とは違うジズを求め過ぎていたのではないだろうか。滅多に意識を向けないジズの尻尾に、よく分からない期待を抱き過ぎていたのではないだろうか。

「尻尾フェチに関して否定する気なんざァ無ェけどォ、フェチズムってマジで意味分かんねェぐらい数多いからさァ。自分が知らねェフェチに対しての対応の仕方ァ分かんねェのよねェ」

「え?」

「…………尻尾、好きィ? ……つってもなァ、どうすりゃ良いのかしら……こんな感じでは巻き付いたらイイ感じになっかな………」

 ジズの泡だらけな尻尾が僕の腕に巻き付いてくる。鱗っぽいようなつるつるとした質感からほこほこと温かい体温が伝わり、僕の腕を少し強めに締め付ける。柔らかいような感触だが、思った以上に力が入っていて硬いような感じもする。

 けれどそれは決して強過ぎるようなものでは無い。まだしっかり喋れないような小さな子、ようやく一人で歩けるようになったぐらいの子が、初めて犬や猫を撫でようとしている時のそれによく似ている。

 恐る恐る、様子を探っている感じ。

 

 ────僕を傷付けないように、慎重に僕に触れているような感覚。


 ………愕然とした。ハッとなる。さっきジズが言っていた「鬱を乗り越えて躁にやっているだけ」という言葉が脳裏に浮かぶ。

 忘れそうになる。いつもそうだ、鬱を乗り越えて躁がやって来るといつも忘れてしまう。自分が少し前まで病んでいた事が頭の中から吹き飛んでいく。それでどれだけ周りを心配させたか何も考えられなくなって騒いでしまう。

「………………ジズ」

 絡み付いた尻尾を優しくほどき、ジズの泡だらけな背中にゆっくりと抱き着く。ジズは頻繁にシャワーを当てていたからそうでも無いだろうが、僕の体は少し冷えているかもしれない。

 けれど抱き着かずには居られなかった。

 性欲? エロ? さつまさと死んでしまえ。そんなくだらない話で僕の感情想いを汚すなゴミ共がと、僕の耳元で誰かが言ったような気がした。

「………タクトォ? 尻尾違ったァ? あんな感じじゃ無かったァ?」

 不安そうな声色で僕の様子を窺うジズの背中に僕は自分の体をぺったりと当てる。彼女のコンプレックスである壁のように見える小さな胸に手が触れる事も厭わず、僕は両手を回しでジズを抱き締める。

 ジズが「タクト? ……ごめんねェ、アタシ何かヤな事しちゃった?」と謝るが、僕はそれに「違う、ごめん」と謝罪を被せると「……タクト?」とか細い声が僕の耳元をくすぐる。

「ジズは僕の為を想ってくれてるのに、僕は僕の事しか考えて無かった。…………それに今気が付いて、何もかもが嫌になりそうだった」

 いつもいつも忘れてしまう。僕が壊れ掛かっていた事実も、自分一人の力で立ち直れた訳じゃ無い事も、人は独りでは生きていけない当たり前過ぎる事実も、全部全部全部…………僕は忘れてしまう。

 僕が忘れていても、周りはそうではないというのに。

「…………無責任だった。ごめん」

 ジズの体を抱き締める。自分の胸をジズの背中に押し当てて、彼女の鼓動を脳裏に焼き付ける為に。

 僕の言葉と行動に「あァ……良く分かんねェけどォ……」と呟いたジズが、その特徴的な尻尾を僕の背中に回し抱き返す。

「………タクトは心の奥に何か芯みてェなのがあンのよねェ」

「…………ジズ?」

「感情の振れ幅がデケェからさァ。その辺のパンピーがちっとヘコむぐらいの事でもォ、タクトは膝を抱えて悩んじゃうのよねェ。それは分かったつもりでいたわァ」

「……………そんなつもりは無いんだけどな」

 言い返せば「……んふふ」と笑う。

「…………タクトは自分の中に何か譲れねェもンがあってェ、自分がそれェ踏み抜いちゃった時に凄ェ自己嫌悪に沈むのよォ」

 言われて言葉が出て来なくなる。思考を巡らせて何か言い返そうとしてみれば「その自己嫌悪の自問自答に、一人で非を唱えられず全部ぜェんぶ是で返しちゃうのよねェ」と僕の言葉を遮った。

「周りの理解が追い付かねェタイミングで、自分一人で唐突に悩み出しちゃう。………だから一人にしちゃァいけないのよねェ」

「そう………なのかな………。………ジズが言うなら、そうなんだろうな」

「…………アタシはタクトを一人にしないわァ。でも二人居るだけじゃ何の意味も無い。………だから教えてェ?」

 ジズを抱き締める僕の両手に、ジズの泡だらけな手のひらが添えられた。時間が経って泡が少なくなってしまったその手が僕の手を優しく撫でる。

「心の中で何があったのォ? 一緒に是非を考えてあげる。一生一緒に、考えてあげる。どっち行こっかなァ、右かなァ、左かなァって考えるタクトに、アタシが「真正面の道無き道ィぶち抜こうぜェ」とか「たまには後ろ戻って物思いにふけろうぜェ」って、タクト一人じゃ考えらンない意見提示してあげる」

 小さな背中が大きく感じる。

 小さな胸の奥から大きな鼓動が聞こえてくる。

 擦り寄るように合わせた頬に目を向ければ、自然と目が合い惹き寄せられる。

「………んむ。………ちゅ、ん……む…………れェ…………れろ………。…………ぢゅ……んく……あふ………」

 気付けば僕は大人になった。向日葵畑の隅でこっそりするような小さなキスでは無い、大人と大人が愛し合う口付けを体が勝手にしてしまう。

 ジズの頬が上気して薄桃色に染まっているのは風呂の温度では無いだろう。彼女の体はもう冷え始めて来ているはずだ。「……ぷァ、ん」と唇を離したジズが吐息混じりの消え入りそうな「何で悩んじゃったのォ?」と聞いてくる。僕はそれに「……うん」と答え、理由を説明し始める。

 

「………やっぱり悪魔っ娘の尻尾弄ったら「ひゃあんソコ弱いのぉんっ」ってなって欲しいなって────」


「…………カァ─────ペッ!」


 一気に不機嫌な顔になったジズが唾を吐き、僕が「あれっ!? 今しっとりしたシーン──」と慌てるが、ジズは「ペッペッペッ」と唾を吐き、僕を抱き寄せていた尻尾を使い壁に掛けられたシャワーを取る。

 そのままノズルを床のタイルに向けながら「あーアホ臭ェー」とシャワーバルブを開く。慣れた手付きで温度を調節し、やがてうっすらと湯気が出始めるとさっさと体に付いた泡を流していく。

「交感だの感覚だの神経は色々通ってっけど………触られるだけで喘ぐ訳無ェだろォが。感度五千倍の媚薬とか言われて胸がときめいちまうタイプかァ? 吸い込んだ空気の冷たさ五千倍でショック死しとけよ」

 問題の尻尾を器用に使って体を流すジズが「ぇゔゃァーあっぢゃげェー」と呟く。その背中を眺めながら呆然と「………そう、なのか」と呟けば「ったりめェだボケ」と不満を顕にしたジズが首だけで向き直る。

「股ぐらに隠されてるク◯ト◯スですらいきなり触られりゃクソ痛ェっつーのによォ、それ以上の超敏感部位なんざ体外に無ェわ。Gスポだのポルチオだのが体の外にあったら生活に支障ォきたすっつーの。体外式ポルチオトレーニングは過度にやると寝てる状態から起き上がる腹筋の動きでイキ狂う体になるわよォ? オイオイオイ死んだわそいつゥ、もうマトモに生きてらんねェなァ」

「でっ、でもっ……………くすぐったいとか、そういうのはあっても良いだろ……? そのぐらいの慈悲は───」

「あーァ脇の下的なくすぐったさねェ? でもごめんなさいねェ、アタシ「脇の下」って言われる部位は脇の下に存在してるのよォ。尻尾の付け根に脇の下ァ付いてるような意味不明な体ァしてないのよォ」

 淡々とそう告げるジズに言葉を失う。もしかしたらまだ言い返す余地はあるのかもしれないけれど、今の僕には返す言葉が浮かばなかった。

 完全に意気消沈。

 だってそうだろう? 甘々なイチャイチャえっちを終えた次の日の朝チュン、二人で一緒にシャワー浴びるよってなったら僕じゃ無くてもお代わりえっちを期待するだろうに。

 体を流し終えて立ち上がったジズからシャワーを受け取る。どこかで見た事のあるシワシワピカチ◯ウによく似た顔をした僕がゆるゆるとジズと入れ替わるが、ジズは「椅子はやらねェ、アタシが座る」と尻尾で風呂椅子をズラしてそこに座った。何の意図があるのかは分からないが「へい……失礼しゃっす……」とくたびれた僕が風呂のタイルに胡座をかけば、スリの銀◯もびっくりするような素早い手付きで僕が持っていたシャワーノズルがかすめ取られる。

「…………?」

 のろのろと首を回して背後を見ればジズはまさしく悪戯っ子のような顔をしながら笑っていた。

「んふふ。…………お姉ちゃんが洗ったげる」

 当初、僕はその言葉の意味が分からなかった。しかしすぐに全てを理解し、シワシワにくたびれていた僕の顔はジ◯リ作品の如く生気を取り戻し一気に満面の笑みになる。鼻の下こそ伸びなかったが、鼻の穴はかなり開いてしまった。

 まだ諦めてはいけない。貴重なお風呂回、いつだかはトラウマものの恥を晒したが今回はガッツリエロが楽しめるはずだ。

「エロの女神は僕を見捨ててはいなかったんだ……やったよドラ◯もん、僕勝ったよ……これで安心してイケるね……っ!」

「ち◯こ勃てたら嫌いになるわよ」

「何でもかんでもエロに繋げるエロゲ脳マジでキモいからやめようぜ? お前ら良い歳してみっともねえよ、紳士はちょっとしたラッキースケベで微笑み浮かべるもんだ」

「アタシ覚えたてのガキみてェに無様晒すの嫌なのよねェ……。………そのラッキースケベでサカッたら本当に嫌いになるからやめてねェ?」

「色即是空」

「だからっていきなりブッディーな顔すんのやめろや」

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに昏し」

「しかも何で空海なのよォ。タクトみてェな愚者が言うと妙に重てェからマジやめろやァ」



 結論から言うならば、僕は本当に耐え切った。

 ちょっとチャレンジして「マドモワゼル、ボディウォッシュのついでに私のカリバーンも磨いてくれないか?」とか言おうとも思ったが、本当に嫌われそうな気がしてどうにも日和ってしまった。

 けれど今の僕は鬱の上がりたてで精神状態が安定していない。ジズに嫌われてしまえば、唯一の支えに見捨てられてしまえば、僕はきっと愚者を辞めて来世に期待するだろう。

「……〜♪ ……ふんふん、る〜♪」

 小さな声で鼻歌を歌うジズが僕の頭をわっしわっしと泡立てる。小さなジズの手が頭皮をくすぐり、耳元やうなじまでしっかりと洗っていく。

 指の腹で円を描くように洗うその手付きは妙に手慣れており、一瞬僕の脳裏に別の男で慣れてる説が浮上するぐらいだったが、実際の所は犬猫のシャンプーで感覚的に慣れているというオチなのだろう。

「……流すわねェ。………ん〜、は〜は〜ふ〜ん♪」

 気持ち熱めのお湯が僕の頭を温めていく。尻尾を使って頭を流しているのか、ジズの小さい両手が僕の頭をわしゃわしゃとゆすぎ、大量の泡を流していく。目を閉じて口で呼吸すれば、ジズの鼻歌が耳をくすぐる。

 ルーナティアの歌だろうか、それとも気の向くままに鼻を鳴らしているだけだろうか。割とテンポの良いロック系に思えるその鼻歌は全く聞いた事の無いフレーズだったが、不思議と心が落ち着いていく。

 それは乱雑に寄せられた泥の山が平らにならされていくような不思議な気持ち。躁も鬱も関係無く均一に整えられる感覚に、気が付けば僕は無心に近い精神状態になっていた。

「……ぷふっ、ぷあっ」

 流れていたお湯が一旦止まり、ジズが尻尾を伸ばしてシャワーヘッドを壁に引っ掛ける。そのままジズは鼻歌を続けながら、他に何も言わず手際良く僕の体を洗い始める。

「前届かねェ。………はいスポンジ」

「………僕の背中にぺたって張り付いて「んっしょ、んっしょ」って洗ってくれたりは?」

「当店はセルフサービスでェす」

「神とまでは言わないけど、客に対して気持ち程度のサービス精神が欲しい所」

「うわ出たダリィ客。店長直々に「迷惑だからアンタもう来なくて良い。アンタのワガママ聞いてる間に他の客三人は対応出来る」って言われたいィ?」

「実際、気に入ってるからこそ更なる高みを求めるって気持ちはあると思う。難癖付けたいだけの奴は絶対居るけど、一割ぐらいはそういう客は居るはず」

 僕がそう言うと、ジズが「うっせェなァ……」と体を起こして椅子から立ち上がる音が聞こえる。直後、背中一面にしっとりとした女の子特有の柔らかさが押し付けられた。

 胸が押し付けられてボイーンホワァ〜オみたいな事は無いのだが、僕的にはデカ乳を押し付けられるよりこっちの方がずっと幸せだった。大きな胸を押し付けられても感じるのはその胸の感触だけ。けれどジズの壁乳だとジズ全体が僕に密着してきて、心音だけでなく呼吸でお腹が膨らむ感覚まで全て感じられる。

 胸を押し付けられて喜ぶのは、胸だけの感触で満足出来てしまうような間柄っていう事の表れなのかもしれない。

 ビバ壁乳、壁乳サイコー。

「………お前ェ今『壁乳』って考えたろ。お? 言ってみろ、テメェの素直な感想を言ってみろ」

「………こ、事と次第によっては?」

「アタシの尻尾でケツ穴ほじりつつメスイキ乳首アクメに挑戦かしらァ。直腸に爪ぶっ刺さったらごめんねェ?」

 やめてください、死んでしまいます。

「…………僕はこっちの方が好きだなって思ってた。ジズの全身を、僕の全身で感じられる。大きい胸とかだと、その胸しか感じられなくて寂しいから」

「………………居場所を追われたロリコンおじさん?」

「違うと思う。けどジズを好きでいる事がロリコンになるんだったら、僕は小児性愛者でも別に構わない。あと僕享年十九だからおじさんじゃないよ」

「………実はアタシが筋金入りのスカトロマニアだっつったらどうするゥ?」

「衛生面や健康面での問題を分かりやすく提示、うんこ食べると白血球の数とんでもない事になるんだぞーって懇切丁寧にお説教する」

「愛してくれないのォ?」

「愛してなかったら説教なんかせず「くっさ、コミュ抜けるわ」って言ってるよ」

「ふゥん……。………ちゅ、ん………むん………ぁむ………」

 ムードもへったくれもあったもんじゃない酷いトークが生み出す雰囲気に、しかしどちらとも無く唇を寄せ合い求め合う。


 ムードなんて要らない。雰囲気なんてどうでも良い。


 隙を見せた方が愛されて、隙を見付ければ愛する。その応酬が堪らなく幸せに感じる。


 そうだ、僕はこういうので良いんだ。


「…………でもタクト弱っちィからなァ。………薄い本とかエロ絵みてェにアタシが寝取られちゃったら、勇気出してちゃんと助けてくれるゥ?」

「………いつもと違うジズの姿で散々ヌいた末、少し乱れた呼吸で「やめろっ!」って助けに入ると思うよ」

「遅ェんだよアタシが別の男のち◯ぽ咥える前に止めに入れやァ」

「そもそもジズ、その辺の男に捕まる事あるのか? イメージ出来ないんだけど」

「……あーァ………うゥん、どうかなァ。………アタシ法度ルールで大体何でも出来ちゃうからねェ。手首縛られても手首から刃生やしてロープ切るしィ、手錠もピッカー作って開けれるだろうしィ………何なら最悪ぶっ千切るわァ。チタンぐらいまでならひん曲げれるしィ」

「難易度たっか、陵辱プレイ無理じゃん。嫌がる感じのジズを無理矢理ってプレイ出来ないじゃん僕」

「最悪ま◯こから槍か何か生やして迎撃するわァ。アタシの法度ルールはアタシが想像出来る範囲内の事は大体出来るからねェ」

「もう薬で眠らせるしか無いな。誰かジ◯ネリ◯ク医薬品持ってこい、青くなっても構わねえ睡姦プレイを強行するぞ。Here We Go!」

「アタシ知らねェ奴ァ信用しねェんだけど、どうやって眠剤飲ませンのォ?」

「その辺の竿役おじさんに買収された僕がジズに薬を盛る」

「嫌われるリスクを負ってまでお前ェは一体何で買収されンのよォ」

「しかし僕は結局薬を盛らず、依頼主に「バレて捨てられた」と嘘を吐く。そして後々ジズと二人っきりの時にこっそり盛って、僕一人でお楽しみ」

「やりそ〜ォ。タクトそれマジでやりそうねェ、アンタちょろこいもんねェ」

「…………こういうタイプは嫌い?」

「悪戯好きなわんにゃーみてェで結構好きよォ。………ちゅ、ん………む、んっふ……れ…………。ぇろ………ぢゅ……んっ、く………んく………」

 隙を見せた僕の唇をジズが奪う。僕の体を洗うスポンジの動きが止まり、ジズは求めて僕は求められる。

 ロマンチックな恋なんて要らない。恋愛にロマンチックを求めるって事は、その相手に、相手以外の何か別のものを求めているって事になると思うから。


「…………僕はジズが居れば他に何も要らない」


 僕は恋に恋する気なんて無い。僕はこの女性に恋をするだけで幸せなんだ。

 恋に恋して、何かある度、別れる度に別の男を探してほっつき歩くようなラブロマンスは求めてない。

 適材適所。尻軽恋愛がお望みなら他所へどうぞ、僕は永劫ジズルートでだらだら笑い合っているよ。

 

「………アタシは煙草と布団があればタクトさえ要らないわねェ」


「もうだめだおしまいだ。このままエンディングでスタッフロールが流れるんだ」

「そして『打ち切りのお知らせについて』って広報も流れるのねェ」

「酷いやとんだクソオチだ! 責任取って結婚しろ!」

「大丈夫よォ? タクトが一人でご飯も食べられず日がな一日壁とお喋りする壊れたおっさんになってもアタシが甲斐甲斐しく介護してあげるからァ」

「ならいっか。何も問題は無かった」

「良かねェだろ自分を見失ってんじゃねェ、問題だらけだっつーのォ」

「僕はジズが居てくれれば他に何も要らないから。…………んむ」

「────ふむっ!? ………ンん……んちゅ……………ぷあ。………良くねェっつーのォ、その流れァ完全にアタシが一人で働いて稼いでる流れじゃねェかヒモもプータローも要らねェっつーのォ」

「ピチッとしたスーツ姿のジズが見てみたい。多分クソ似合う」

「残念見れませェん。クタクタのタンクトップと黄ばんだブリーフだけのタクトは壁とお喋りするので忙しいので見れませェん」

「なんてこった、確かにそうじゃないか」

「アタシはタンクトップと間違えてキャミソール着ちゃったタクトが見てみたいわねェ」

「………虚ろな目でキャミソール着てる僕?」

「うん。透け透けキャミソール着たヒゲもじゃのタクト。当然目は死んでる」

「誰得過ぎるだろ。そこまで行ったら「ちょうど切らしてた、助かる」ってコメントすら来ないと思うぞ」

「そんな事無いわよォ? アタシにとっちゃァ───愛しのタクトに変わり無ェもの。………ん、ふむ、ちゅむ、ぷぁ………ンぢゅ、んく……んふふ。………ぷへァ─────へぃっぷしっ!」

 ムードもへったくれも何も無い。良い雰囲気なんて必要無い。可愛くくしゃみをする想い人に「あーはいはい、一緒に浴びよう。少し待ってて」とシャワーを取り、お湯になるのをゆっくり待つ。

 やがて湯気を出し始めたそれを二人で浴びれば「ゔぉャーゔゃっづゃげェー」ともはや何を言っているのかすら分からない声でジズがくたくたと僕にもたれ掛かる。

「…………僕とジズだと、ラブにロマンスが混ぜらんないな。毎回必ずコメディが混ざっちゃう」

「鼻で笑っちまうような安い茶番でコメディ名乗るよりはマシじゃねェ? ………キスもセックスも、ただのイチャイチャだって楽しくなけりゃァ作業にしか感じられなくなっちゃうわよォ?」

 今日は少し早くイッたとか、今日はいつもより少し気持ち良かったとか。変化があってもその程度。

 愛し合うという行為はそんなものじゃないはずだ。

 どれもこれも似たり寄ったりな内容なのに「いやこの作品は他のと違って面白えから」と必死に言い訳するソシャゲ中毒者が毎日無心でしている虚無周回のような単調な行為。「結局虚無マラソンしてるじゃん」と言われる隙だらけな行為。シナリオやストーリーが面白くても、それ以外がそんなザマなら僕はそれを愛とは認めない。

「一年過ごしてる内の数日程度だけイキ狂って馬鹿笑い出来たって意味無ェのよォ? 毎日しっかり、ちゃんと面白くなきゃクソなのよォ」

 たまに居る「周りが結婚してるから自分も婚活する」という人を見て、僕はどうしても哀れに思えて仕方が無かった。それは子供が親に言う「このゲームみんな持ってるから僕も欲しい」と何が違うのだろうかと思わずには居られなくて、そんな意味不明な理由で大金はたいて結婚しても幸せなんて待っていないだろうにと思えて止まなかった。隣の青い芝に憧れ庭付きの家を買った所で、ちゃんと時間を割いてしっかり手入れしなければセイタカアワダチソウやセンダングサに荒らされて終わりだというのに。

 そんな度し難い理由で結婚した親の元、産まれてくる子供がそれを知ってどんな気持ちになるのかを考えていないそいつに小さな怒りすら湧く事もあったが、それももはや今は昔。生前の世界になんてもう何も興味が湧かない。

「アタシと付き合うなら絵日記帳は全ページ長文よォ? 「今日は何も無い素晴らしい日だった」なんて絶対書かせてあげないんだからねェ」

 最も長引く男女関係は「一緒に居て落ち着く関係」なんて言うが、僕は「一緒に居て飽きない関係」がお互いにとって最も手を離したくなくなる関係だと思う。

 心をときめかせる必要は無い。胸を高鳴らせる必要も無い。エロは欲しいが「必要」では無い。

「僕は………ジズが大好きだから大丈夫だよ」

 我ながら落ち着いた声色だったと思う。何も気取っていない、ただ思った事を口にしただけだった僕にジズは「ふゥん」と鼻を鳴らす。

「そんな言うなら………ねェ、タクト。改めて言うんだけどさ」

 温かいシャワーの中、僕の背中にそれよりも暖かい胸元が強く押し付けられた。

「その……………アタシ身勝手だからさ、きっとすぐにタクトが嫌がる事をすると思うわ。………………アタシと二人きりで閉じ篭っていたい怖がりな少年をさ、アタシは「みんなと一緒に遊んだ方が楽しいから」って手を引いて連れ出すと思うの」

 真面目な声色でジズが言う。だいぶボカしたその言葉の意味を、僕はすぐに理解した。


 この部屋を出なければならない。この部屋の外には、待たせている友達仲間が居る。


 心配させて済まないと謝らねばならない。また一緒に遊ぼうと誘わなければいけない。


「その結果タクトが傷付いて、もしかしたら泣いちゃう事もあるかもしれない。一生治らない傷に苦しむ事もあるかもしれない」

 心はいとも容易く傷が付く。豆腐よりもよっぽど簡単に傷が付き、崩れて壊れて戻らなくなってしまう。

「それでもアタシは何度もタクトを外に連れ出そうとすると思うの」


 だってその方が楽しいから。


「………ジズは側に居てくれるのか?」

「隣に居なきゃァ手は繋げないわよォ」

「なら良いよ。何も気にしない。一緒に外で遊んで、一緒に疲れて、一緒に帰ってくれるなら、僕はジズと一緒に笑ってると思う」

 友達の家に遊びに行って、二人無言で漫画を読むような関係はお断りだ。毎回騒がしく遊んで、毎回疲れてこそ「飽きない関係」だろう。落ち着いているように見えて冷え切っているような詰まらない関係は御免被る。

「………………自分が楽しけりゃァ何でも良いみてェな女なのよォ?」

「それでも一生一緒に居てくれるなら、僕も勝手に楽しむよ。もしかしたらジズよりよっぽど騒ぐかもしれない」

「……………………あァマジ────この子ホントに…………クソ、えェっとね………んと」

 僕の回答にジズが黙り込む。何かを考えて、言い淀んで、口を開いてはすぐ閉じる。

 僕の首に回される細い腕にきゅっと力が入る。背中から伝わる、ジズの体から伝わって来る心臓の鼓動が強く大きく、そして早く高鳴っていくのが分かる。

「あァ、っと。………あの、ね。その、あァクソ、えと………。マジでガラじゃ無くて、あの、言い辛ェんだけどさ、でもこういうのキチッと真面目にしたいなってタイプでさ………」

「受け止めるよ。僕を全部受け止めてくれたから、僕は全部受け止めるよ」

「うん、うん。…………えっとね」

 僕は何も言わずにただ待っていた。ジズが何を言いたいのかは何となく伝わって来たから、わざわざ聞き直すような事はしなかった。

「あ、アタシ、こんな身勝手な女なんだけどさ。……んと、えっと……多分めっちゃ我儘言うし、タクトの事振り回すと思うんだけどさ」

「うん」


「こ、こんなアタシでも───────貰ってくれますか」


「一生手放さない。……………こちらこそ、どうぞよろしく」


 どこかの尼さんは「男女の愛は三年ぐらいしか続かない」と仰っていた。あの時の僕はその言葉を聞いて、確かにそれぐらいしか保たねえイメージあるなと同意していた。

 実際、同数値の愛であれば一日だって続かない。百の愛があったとして、それは九十になってしまう事もあれば百一になってしまう事だってある。永遠の愛は物理的に有り得ないんだ。

「んむっちゅ……っ、んむっ……ぁむっ。ぢゅっ、んくっ、あむ………ぇる、ちゅっむ………」

 笑わせてやろう。あの人に「そういう愛もあるのね」と豪快に笑わせてやろう。きっとあの人は派手に笑ってくれるだろうから。


 どこかの天才は言った。これでいいのだと。

 ならこれで良い。周りが何と言おうとも関係無い。

 僕が良いと言っていて、ジズも良いと言ってくれているのなら、他の有象無象が何と言おうと知った事では無いのだ。


 そう考えると心が楽になる。

 ありがとう、と思った。

 たったの五文字なのに、何故か勝てる言葉が浮かばない。


 出会ってくれて、

 恋してくれて、

 愛してくれて、

 信じてくれて、

 どうもありがとう。

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