1-6話【雨の悪夢 後】



 ─── a ───


 左腕に着けた盾をこちらに向けて草葉の陰から飛び出してきた謎の女性に、まず真っ先に対応したのは橘光だった。

 馬のくらに手を当てたと思えば、そのままトンと斜め前方へと跳躍。以心伝心でもしていたのか、それともそういう風に躾けられているのか。光が乗っていた白っぽい芦毛色の雌馬はすぐさま弧を描くようにして退転、戦闘区域から離脱した。

「先手を失礼致すッ!」

「致すなダボが」

「──────ッ!?」

 角の取られた三角形の盾を構えながら突進してくる女性に対して、橘光がその盾を蹴り飛ばすかのように足裏を叩き付けると、その余りにも異質過ぎる蹴りの力に女性は呻く事も無く蹴り飛ばされていく。

 スカートアーマーを地面に引っ掛けながら、自身が飛び出してきた草葉の陰へと逆戻りするかのようにゴロゴロと転がっていくその女性に向け、橘光は追撃を仕掛けようと一歩足を踏み出した。

「─────────ん?」

 が、その足が踏み込まれる事は無かった。

 同じ草陰からもう一人、今度は男が飛び出してくる。その男はスカートアーマーを着ている女騎士みたいな者より圧倒的に素早く、戦闘に関してはトーシロも良い所な僕では目で追う事が精一杯であり、目でこそ追えているがそれを脳が処理出来ない程だった。

 まるで「音ゲーで良くある、目で見えてるのに何故か指が動かないアレ」みたいな現象が起こっている僕とは違い、場馴れしていて状況を理解出来ているトリカトリ・アラムはいつの間に二頭連結されている馬から飛び降りていたのか急接近してくる男と橘光の間に入り込むようにしながら、その男へ向け横向きに裏拳を放っていた。

「あらやだそれはイヤよ」

 女言葉で呟いた男──女?──がバク転するように後退して裏拳を避けると、その影から吹き飛ばされていた女騎士が転がりながらも地面を蹴り飛ばして急反転、再び橘光へと疾駆してくる姿が見えた。

 それを見た橘光は、僅かに左手を前に出しつつ、右手で左の腰に差し込んでいた長ドスの鞘を握る。まるで両手をクロスさせるような体勢をした橘光は、そのまま右足を上げてヤンキーキックで女騎士の突進に応じた。

「────ふッ!」

「────んぁ?」

 しかし今度は当たらない。バッシュを狙っていたように思えた盾の面はスルリと滑るように空へ向けられ、かなりの速度で駆けながら向かってきていた女騎士はそのまま足を止めて膝を曲げると、鉄靴の裏でザリザリと地面を擦りながら橘光の足元に入り込んでくる。

 そして盾を跳ね上げつつ、右手の剣を斜めに持ち上げるようにして最下段からの足削ぎを狙うが、

「うーい、んはは」

 ぴょんと飛び跳ねた橘光は、何を考えたのかその盾の上に飛び乗ると、右手で長ドスの鯉口こいくちを切りながら「うるぇあっ」と叫び、シュインッという長ドスの鈴鳴を響かせながら盾の上で独楽のように回転。引き抜いた長ドスを軽く放り上げたかと思えば、踊るように回りながらそれを左手に握り直した。

「むっ!? ……っく、──────ぬぁっ!」

 盾を間に挟みながら自身の上に飛び乗られた女騎士は、振り上げようとしていた右手の剣を向ける矛先を見失ったものの、即座に盾を持ち上げて立ち上がろうとする。その動きにバランスを崩した橘光「おっほぇ」と場違いな声を発しつつ盾の上から飛び退れば、女騎士は片足で地面を蹴るようにして後退した。

ィィ─────」

 かと思えば、女騎士は噛み締めた歯の隙間から息を吐きながら即座に前進。まるで漫画の忍者走りのように疾走に遅れて後方へと流れた右腕をそのままに、左手の盾を構えたまま橘光に向かって急進し、

「────── ッ!」

 もう光にぶつかるという頃、ダスンと強く右足を踏み締めて急停止。構えていた盾を下へ下げる頃には、後ろに流れていた右腕が慣性の法則で前に出てくる。そして右肩が真横に広がると、即座に肘を曲げて遠心力の乗った強烈な横薙ぎを行う。

 しかし、

「…………すっトロいんじゃ────」

 橘光はその横薙ぎを左手の長ドスで正面から受け、しかし攻撃だけは停止させつつ勢いは殺さない。

 振り払われた横薙ぎの勢いが止まる事は無く、即座に相手の長剣の根本まで長ドスを流しながら、猛進してきた相手に突撃するかのように自身も前進。

 キャシシという甲高い金属音が鳴り、小さな黄色い火花が散る。

「──────マンカスがぁッ!」

 橘光はその火花に食らい付かんばかりに腰を曲げ、急停止したままの女騎士の腹部に向けて右手で裏拳をお見舞する。

 橘光の裏拳が女騎士の腹部へと今まさにめり込もうというその瞬間、その腹部の少し上に、黒で縁取りされたゴシック体の白い文字が現れる。


 - MISS !! -


「は?」

 どこからともなく鳴り響く、軽快ながらも妙に調子っぱずれな効果音SEと共にデカデカと現れたその文字の意味を橘光が理解するのに掛かった時間は一秒に満たなかったが、裏拳を当てたはずの手の甲に何も感触が無い事を感知すると、橘光は即座に体を引いて緊急退避を───、

「おうっ、────のわっ!?」

 行えなかった。女騎士は特に何も動いていないし、その場には橘光と女騎士の二人しか居ない。

 にも関わらず、裏拳を放ったはずの右手が、何者かに力強く引っ張られるかのようにぐんっと女騎士に引き寄せられていく。

 かと思えば、腹部に当たっていたはずの右手が女騎士の腹の中へと吸い込まれるようにめり込んで行く。人外の怪力を持つ橘光がかなりの割合でリミッターを外して抵抗するが、腹部へと吸い込まれていく右腕は留まる様子を見せず、抵抗の無意味を察知した橘光はそのまま力を抜いて吸い込まれていく。

「ぬおわぉっ!?」

 やがて腹部へとを通り抜けた橘光は見えない力によっては引っ張られ続け、スルリと女騎士の体を通り抜けていく。もんどり打ちながら、片足でけんけんとよろけながらも急いで振り返れば、そこには向き直った女騎士が毅然とした態度で盾を構え防御の姿勢を取っていた。

「………なんや今んの」

 臨戦態勢を崩さぬままに、どこか気の抜けたように呆然とした橘光がそう呟くと、女騎士は鼻を鳴らすようにして「んむ?」と呻く。

「私のスキルだ。以前にも言っただろう」

「…………いや聞いとらんわ。ウチとおまえぇ初対面やぞ」

 誰かと間違えているのか、橘光がそう返すと女騎士は「む……そうだったか?」と小さく呟くが、数秒後に「……いや、言った。確かに以前言ったはずだ」と憮然とした態度で言い放った。

「聞いとらんっちゅーに。お前ウチの事知らんやろが」

「いや知っているぞ、貴君の姿には見覚えがある。以前にしっかり会って話したはずだ」

「あぁ? ほならウチの名前言ってみい。ちゃうかったら右の乳首モぐで」

「シェリーだろう。その金髪には見覚えがある、田舎町で牛飼いをしていたシェリーだ。少し見ぬ間にやたら胸が大きくなったものだ。さては成長期だな?」

「右乳首ぃ寄越しゃぁぁぁぁあああああッ!」

 大きく吠えた橘光が力強く地面を蹴って疾駆する。地面に靴をめり込ませ深い靴跡を残しながらも、場馴れしていない一般人であれば目で追う事すら難しい程に疾く駆け出した橘光だったが、

「───ふッ」

 女騎士はそんな橘光の倍以上の速度で、前に回転しながら飛び上がり、疾駆してきた橘光を中心に円を描きながら飛び越える。スタっと地面に着地するに合わせ、女騎士の速度は元に戻った。

「………それもスキルけ? なんぼあんねん」

 目標を目で追いつつ駆ける事を止めた橘光が問うと、女騎士は剣と盾をゆらりと構えながら「状況によりけりだ」と答える。

「私はこれまでの戦いの中で数多のスキルを覚えた。だが実戦の最中で数多のスキルの中から目的のスキルを探すのは面倒でな。スキルセットを組んで、良く使うものや状況によって求められるものを即座に使用出来るようにしているんだ」

「ほなら最初のんは回避系で、二回目んは加速系のっちゅー話か」

「スライスアンドダイスとコンセントレイトだな。格好良いだろ、私が名付けた。かなり気に入っている」

 ふんすと鼻を鳴らしながら誇らしげな声色でそう語る女騎士の態度に、橘光は「安いロープレやなし、こんなんもおるんか……」と唸るように呟く。


 橘光は長ドスを持っているが、実際の所剣術の心得なんて何一つとして持っていない。正しい握り方も構え方も、振るう時の角度や勢いの乗せ方等といった様々な要素を知らない光は、戦闘で長ドスを振り回す際は全て手癖で振り回している。

 それ故に刃こぼれや刀身の歪み等に対するケアが出来ず、だからこそルーナティアに呼び出された橘光は鍛冶屋のおっちゃんに「なまくらでええから、とにかく頑丈な刀ぁ打ってや」と要望を立てた。

 初回に打って貰った刀は一振りしただけでど根本からへし折れ、二回目に打って貰った時は手癖で数回振り回しただけで、その勢いに耐え切れず刀身が歪んだ。そんな橘光の立ち回りを見た鍛冶屋のおっちゃんが最後に打ってくれたものが、今の長ドスである。

 刃は丸く、指で触れても痛くない。髪を撫でればするりと抜けて行き、肩周りが硬い橘光は抜き身の長ドスを孫の手代わりにして背中を掻く事すらある。

 そんな鈍ら刀で、しかし並び立つ敵をぶった斬り続ける事が出来ているのにはちゃんとした理由がある。

 刃物は主に二種類ある。切れ味で物体を切るものと、重さで物体を叩くもの。

 前者は包丁やナイフのようなものが当てはまる。肉や布といった柔らかいものや繊維質のものを容易に切断出来る反面、扱いに気を付けなければ野菜を切る際まな板に刃がぶつかっただけで刃こぼれするし、骨や木々といった一定以上の硬さを持った物体には手も足も出ないケースが多い。

 後者は鉈やマチェーテ、ククリナイフのようなものが当てはまる。刀身自体が重めに作られており、形状も振るった際に遠心力が乗りやすいよう重心が先端に寄るような形状である場合が多い。それらは肉や布等を切断する事は得意ではないが、骨や木々を切断する事に長ける。グルカナイフ等も割と当てはまるが、特に鉈は典型例で、『振り下ろして、食い込んで、振り抜き、割る』というやり方で物体を『叩き割る』のである。

 所謂『斬鉄剣式』と呼ばれるタイプの刃物。文字通り鉄でさえも斬れる代わりに蒟蒻が斬れないというのは有名な話だろうが、橘光の振り回す長ドスはそのカテゴリに分類される。

 何せ通常の刃物では橘光の怪力に耐えられないのだ。手元に長めの針金やワイヤーハンガーがある人は、それの一端を握って力任せに振り下ろしてみて欲しい。恐らく掴んだ根本からぐにゃりと歪んでしまうだろう。

 脳のリミッターを外せる橘光という女にとって、良くある刀や剣はそれらと変わらない認識なのである。普段であればリミッターを制御しているので普通に振れるが、正真正銘、命を賭けた殺し合いの最中で刀の歪みに気を遣っていられる余裕はそう多くない。

 そして何より、橘光は武器の良さを理解出来ない。いや、理解は出来るが、同調してやる事が出来ないのである。

 剣にしろ槍にしろ弓にしろ銃にしろ、武器というものは「もっと効率良く殺す為に」と生み出されたものである。遥か昔、原始時代の人々は「もっと楽に獲物を殺せるように」と武器を使って狩りを行った。

 拳を使い無様にボコボコ殴り合うより剣で袈裟斬りにすれば即死だし、剣を持った相手だろうと遠距離で撃ち抜けば無傷の勝利。そういった効率化の末に生まれるのが『道具』である。

 橘光はそれに同調を示せない。何せリミッターを任意で付け外し出来る女である故、適当にぶん殴ればその時点で相手の頬骨を砕きながら顔の皮膚越しに拳が脳を粉砕する。ボコボコ殴り合うような事はそうそう無く、その一挙一投足が常人にとっては一撃必殺に等しいのだから、武器を使って戦う事のメリット全てを「邪魔やわ。こんなん要らん」と一蹴出来てしまう。

 しかし『道具』の便利さは知っている。

 常人は戦闘の際に武器を使う。ストリートファイトを好みアウトローと呼ばれて喜んじゃうタイプのヤンキーであっても、殴り合いの際にはテーピングした乾電池や小石を拳に握り込んで相手を殴る者が多い。その方が普通に殴るよりも圧倒的に拳が重くなり喧嘩に勝ちやすくなるからだ。

 そしてそれは異世界でも同じ。橘光の目の前に居る勇者は剣と盾を持っている。相手の頬骨をぶち抜きに行く為には、剣による攻撃を掻い潜り盾での防御を抜けなければならない。

 橘光は右利きだが、左手で長ドスを振り回す。相手の攻撃や防御を、左手に握った長ドスを使って通り抜けていく。橘光にとっての長ドスはボクシングで言う所の左ジャブのような役割を担っており、左手に握った長ドスを使って牽制と防御を行い、その果てに右の拳をお見舞いする訳である。

「────だぁクソッ! 何がミスじゃボケが当たっとるじゃろがっ! ウチのテレビとちゃうくないかぁっ!?」

  しかし今回はそれが上手く行っていない。

 ゲームのコントローラを持って友達の家に集合した小学生男子のする言い訳のような叫びを上げる橘光だったが、そんな悲鳴に似た言い訳の一つ二つぐらい出てもおかしくない現象が、ひたすら繰り広げられていた。

 腹立たしげに怒鳴る橘光は、本来であれば既に何度も右手での攻撃を成功させている。にも関わらず、それらは毎回必ず軽快ながらも調子っ外れな効果音と共に現れる-MISS !!-という文字に邪魔され、その都度橘光の体は女騎士の体を通り抜けてしまう。急いで振り返って追撃しようにも、尋常ならざる速度まで加速した女騎士は回避に徹してしまい追撃が成り立たない。

「……………………ぁ?」

 と、そこでふと違和感を覚える。


 ────いや待て、何で回避なんや?


 橘光の二倍か三倍程度の速度が出せるなら、普通はその速度に任せて攻撃してきても良いだろうに、女騎士は回避に徹して一切攻めて来ない。


 ────それは何でやろか。


 戦闘中にも関わらず思考中である事を悟られないようある程度まで気迫を出しつつ、惰性で剣戟や盾でのバッシュを流しながら橘光は頭を回す。

 相手が加速し、しかし何故か攻撃してこない。通常であれば相手より速く動けるという事は、相手の死角にすぐ回れるという事であり、自分が有利になれる場所へとポジショニングが出来るという事。早い話が爆速で相手の背後に回ってそのままバックスタブをカマす事が出来てしまうという事。

 それが普通。それが常道。相手より速いなら、その速さに物を言わせてさっさと試合を終わらせる方が良い。下手にダラ付いていれば目が慣れてきた相手に追い付かれてしまう。

 しかし加速中の女騎士は回避に徹しており、次第に等速へと戻っていく。女騎士が攻めてくるのはその後であり、それに対して某かの反撃を入れようとすればやたら耳に残る腹立つ効果音と共に回避される。そして再び加速する。

「………その回避ぃ使用制限あるやろ。一回使ったら……大体十秒ちょいか、経つまでは再使用出来んのや」

 橘光はヘラヘラと笑いシモネタを好むが、しかし決して馬鹿では無い。むしろかなり勘が鋭く、生前内気ないじめられっ子だった事もあり物事を見極める能力には極めて長けている部類だった。

 加速が終わった女騎士に対して敢えて追撃をしなかった橘光が緩く長ドスを構えながらそう言うと、女騎士は不機嫌そうな表情になり「だから以前に言っただろう」と同じようなやり取りを繰り返そうとする。

 しかし橘光はそれを無視した。

「無敵回避ぃ使った後はしばらく無敵回避出来んくなる。そのクールタイム中を加速でやり過ごしとるんやな」

 橘光がそう言うと、女騎士は「なるほど」と小さく頷く。

「貴様、私とは始めて会う人間だな。それを今ようやく理解した」

「あぁ? だから言うとったやろが、はよう右の乳首ぃ───」

「クールダウンだ」

「は?」

「スキルの待ち時間に対してクールタイムなんて意味不明な言葉を使うのはニホン人だけだ。貴様は牛飼いのシェリーではない、思えばシェリーはニホン人では無かった」

 洋人に和製英語を使った事を指摘された橘光は気が削がれたように「あぁはいはい、すま◯こすま◯こ」と嘆息した。

「何にせよ、や。……加速中に攻めて来んのは無敵回避が使えんからや。加速中に被弾すりゃあ、自分の速度も合わさって致命傷になりかねん。要は加速スキルと一発無効化スキルを交互に使って、事実上の常時無敵状態を演出してるっちゅー訳やな。ウチが対人ゲーでそれやられたら運営の公式サイトに田代砲投げる案件やな、テストプレイで気付けや無能が下方するか会社畳めカスっつって怒鳴ってるわ」

 橘光が出したその推理に対して、女騎士は「ふむ」と鼻を鳴らしてから「そこまでは考えていなかったな」と呟く。

「加速中に攻撃された事は結局一度も無かったからな、自身の速度も云々というくだりに関しては良く分からん。それはきっと深読みし過ぎだ」

「…………じゃあ何やねん」

「単に不測の事態に対する警戒というだけだ。速度に任せて猛攻する事は容易いが、そういう時は攻める事で頭がいっぱいになりがちだ。窮鼠を侮ってレプトスピラになるのは御免だ」

「…………さよかい」

 そこまで言った女騎士は肩を下げるような仕草をしながら「それに」と続けるが、

「貴様如き私の敵では無い。適当にあしらって息を切らしてやれば、どうにでも出来る」

「────────」

 その言葉は橘光にとっての逆鱗であり、譲れない一点。女騎士は自らの傲慢Prideさ故に、相手に対して敬意を払う事を忘れてしまっていた。

 一般人カタギとして生まれる事の出来なかった人種。そのスジの人だなんて呼ばれ、荒くれ者の道を極めた者達。橘光は生まれてから死ぬまで、生前の生涯のほぼ全てをそういった人間に囲まれて育ってきた。

 そんな橘光は背中に入れ墨紋々こそ背負っていないが、それでも橘組の一人娘として、武闘派ヤクザの血を継ぐ女として、喧嘩屋の道を極めた極道者として、

「─────上等やわ」

 ナメられたら終わり。ナメられたままで終わらせる事だけは許されない。

 世界が許しても、神が赦しても、掲げた看板Prideがそれを許さない。

 それまで常に纏っていた飄々とした雰囲気をいきなり全て消した橘光の表情は、何一つ感情が見受けられない程に無表情だった。いつものようにどこか飄々とした笑顔でヘラっている訳ではなく、怒り狂って吠え猛る訳でもなく。

 それまで放っていた殺気すらもが唐突に消え去り、女騎士は「……む」と異変を察する。完全に戦意が感じられないその雰囲気は、ともすれば「あーもう興醒めやわー」だなんて事を言い出してもおかしくない程に冷え切ったもの。

 橘光は怒ると騒ぎ、キレると感情が飛ぶタイプの女であった。

「───────っく」

 一切の掛け声も雄叫びも無く急進した橘光が左手の長ドスで薙ぎ払いを行う。下手な不意打ちよりもよっぽど読み辛い『殺気の無い殺意』に反応が遅れた女騎士だったが、盾を使い危うい所で何とかそれを弾く。

 盾の表面を長ドスが滑って行き、その刃が盾の端を通り越して離れていった瞬間、橘光は足元に横線を書くように長ドスを振り戻した。

 そして、地面を斬っただけのはずなのに、どこか調子っ外れな効果音が鳴り響いた。

「…………なに、」

 金属が地面を撫でる音の中に聞き慣れた効果音が混ざっている。地面を斬っただけなのに、何故か回避スキルが発動した。

 女騎士が目線だけで地面を見やると、そこには見慣れた-MISS !!-という文字が現れていた。


 ────何故?


 地面を斬り付けた長ドスの軌跡を辿れば、地面に付けられた一本の線はその中心辺りで何かに遮られて途切れており、それを追い越すと再び地面に線が作られている。


 途切れた線と線の合間にあるもの、それは女騎士の鉄靴の爪先だった。


「─────貴様ッ」

 急いで目線を戻せば、しかし最早全てが手遅れ。女騎士の眼前数センチという距離まで迫ってきていた橘光の右の拳があった。最早どれ程まで加速した所で間に合わないだろうその拳を受けた女騎士は、

「ぶぐ────」

 しかしそれまでとは異なり、妙に耳に残るような軽快な効果音など何一つ鳴らせず、無様な呻き声を上げながら吹き飛んで行った。

 …………どんな攻撃も一度だけ無効化し、一定時間ごとにリロードでもするかのように再発動、待機状態になる。それを強いとするか弱いとするかは人それぞれだが、しかし攻撃の無効化が強制であれば「少なくとも強くは無い」という結論に至るだろう。

 どんな攻撃でも絶対に無効化してしまうのであれば、カス当たりでその無効化を使わせてしまえば良いだけの話。

 或いは二連撃を行う事でも容易に突破出来るが、スキルなんぞ持っていない橘光が、初撃を当てた後に加速して逃げる女騎士を追える程の二連撃を繰り出すにはかなりの水準までリミッターを開ける必要がある。その後訪れる反動リバウンドに鼻血を吹くぐらいなら、カス当たりで無効化を無駄に有効化させてしまう方がよっぽど手っ取り早い。

 そして爪先を斬られた女騎士の反応を見るに、本来存在するはずの『斬られた感覚』といったものは回避時には何一つ存在しないのだろう。爪先を払われた女騎士は当初それに気付ず、迫り来る拳への対応が遅れてしまった。

 それも当然だろう。無敵スキルで、絶対回避スキルで、『当たってはいない』のだから『当たった感触』なんてある訳が無い。だからこそ、何で何処で、スキルが発動したのかは一度見逃すともう知る術なんて無いのだ。

 見窄らしくゴロゴロと転がりながら吹き飛んでいく女騎士に、しかし橘光は追撃を行わなかった。

 何せ予期せぬ出来事に、追撃を行う事を躊躇ってしまったからだった。



 ─── b ───



「見た目に反して以外と器用なのねえ」

 橘光が女騎士とドンパチを繰り広げている中、オネエ口調で喋る垂れ目のイケメンはトリカトリ・アラムに対して投げナイフを使い、中距離から一方的に攻撃を続けていた。

 軽快な声色で投げられるナイフは手のひらサイズであり、グリップすら付いていない金属一色のナイフ。指で抓めるサイズの軸があり、その先端に丸みを帯びた卵のような形状をした刀身が続く小さなナイフを、トリカトリに向けて投げ続ける。

「鬱陶しいですね……」

 そう投げ続ける。十の位はとうに触れたが、百桁にはまだ届かないという数の小さなナイフを投げ続けるオネエ口調の男に、トリカトリは小さな苛立ちを覚え始めながらも、四本指の太い指先にある爪の甲を器用に使って全て弾いていた。

 トリカトリ・アラムは大柄な種族であり、身長は三メートルをゆうに超過している。それ故、どうしても遠距離攻撃を行ってくる相手が苦手だという弱点があった。大柄であるという事は筋力的に優れている反面、相手の攻撃を避け難い。

 要するに当たり判定ヒットボックスがデカく、銃や魔法による遠距離攻撃を行ってくる相手は正直得意ではない。

 しかし動体視力には自身があり、日中の猫の目のような鋭い縦長に伸びた瞳孔を忙しなく動かし、自身の体に向かってくる飛翔物の射線を見抜いていた。

 中距離からアサルトライフルをダラ撃ちされているかのような頻度で飛んでくる投げナイフだが、それらはあくまでも『ように』であり、アサルトライフルとは全く別物。投げナイフが狙ってくる位置は射手の性格が出るようで、主にトリカトリの上半身に向けて投げ付けられていた。

 時折不意打ちのように、或いはそれこそすっぽ抜けでもしたのか膝周り以下に飛んでくる事もあるが、それらは踊るように横へとステップを踏めば、トストスという乾いた軽い音を鳴らしながらトリカトリの後方の地面へと突き刺さる。

 上半身の、主に胸より上に向かって投げられるナイフは爪の甲を使って射線を逸らし、時にはデコピンでもするように弾いていくが、一本のナイフを落とす度にトリカトリの長めな爪の背が削れていく感覚がする。

「───チッ」

 口を吸うようにして舌打ちをするトリカトリは無限に続く投げナイフに対してもそうだが、何よりも自分の爪が削れていく事に対して強く苛立っていた。

 トリカトリ・アラムは化粧が得意では無い。ルーナティア国で売られている化粧品の全ては人間ヒト向けのサイズであり、人間ヒトが使う事しか想定されていない。普通の女性がアイラインやシャドーを描く為に使うだろうペンシルタイプの化粧品は、トリカトリからすれば爪楊枝よりも小さく細い棒でしか無く、それを巨大な手で抓むようにして持ちながら目元に持っていくなんてトリカトリ・アラムにとっては到底無理な話、化粧一つに眼球一つを賭ける気はしなかった。

 睫毛用のビューラーなんかはハサミのような形状をしている関係上、そもまともに持つ事すら出来ない。ハサミのような形状の左右にある指通し用の穴に、トリカトリの指が通らないのだ。

 その時点でトリカトリは化粧を諦め、トリカトリにとっての『お化粧』として普段行っているのはリップとグロスを塗る事。

 そして爪磨きである。

 親指も合わせて四本指である種族のトリカトリの指先には当然ながら四つの爪がある。所謂『女爪』と呼ばれる先細りの形状をしたその爪は、大きな体格に伴って通常の人間よりも遥かに目立つ。そうでなくともトリカトリは普段物を持つ時、そのサイズ差の関係から爪を使って抓んでいるのだから、他の生物からすればどうしたってトリカトリの大きく長く鋭い爪は目に留まる。

 トリカトリは自分でそれを理解している故、仕事が終わって寝る前の時間で爪を磨くのが小さな趣味だった。爪磨き用の細長い両面ヤスリを使って形を整え、その後ヤスリの裏面、番手の細かい面を使って磨いていく。そしてそれが終われば爪磨き用の布を使って仕上げ磨きを行う。

 磨き終わった爪の艶々とした輝きを見ると、思わず鼻を鳴らして、誰にとも無くドヤ顔したくなるものだが、その爪が金属製のナイフの腹と擦り合ってゴリゴリと削れいていく感覚がしている。

 その感覚に伴い、思考が濁っていくのを感じる。灰色のもやが掛かっていくかのように頭の中が濁っていく。

 比較的冷静であり『いつものメンツ』の中では最も温厚なイメージを抱かれるトリカトリ・アラムだが、しかしそれは非戦闘時のみの話。所謂「キレると訳分かんなくなる」タイプであるトリカトリ・アラムという女は、一度ひとたび荒事が始まるとすぐに冷静さを失い攻撃性の塊のような存在になる。

 戦闘が開始して十秒もすれば味方の事を考えなくなり、二十秒も経てば周囲の建造物を破壊して武器にし始め、三十秒もすれば「まだ殺されてくれねえのか」と敬語を止めて、一分が経つ頃には牙を剥いて敵を乱打し始める。

 そんなトリカトリ・アラムという狂戦士バーサーカーが未だ理性を保っていられているのは、ひとえに防御に徹しているからであったが、その理性も無限に続くかのように思える投げナイフの応酬に対して段々と希薄化し始めてきていた。

「…………いつになったら投げ終わるんでしょうかね」

 そういう法度ルールを得た者であれば、良くある残弾無限の射撃を行う事も有り得る。しかし垂れ目のオネエが法度ルールを適応したような様子は無かったので、十中八九法度ルールとは別枠での何か。

 しかしこれは魔法では無い。ルーナティア人であるトリカトリは魔法の存在する世界で生まれ育っているので、自身に魔法の適性こそ無いものの魔力の流れは大体読める。そのトリカトリが魔力を感じていないのだから、オネエの男が行っている無限投げナイフは魔法でも法度ルールでも無い。

 恐らく魔導具の部類だろう。魔力の流れが読み辛いのは、使用者と道具との間に魔力が繋がっていないから……道具自体に塗り込まれたものだから、なのだろうか。

 と、トリカトリの思考が纏まった所で、垂れ目が特徴的なオネエの男は気の抜けた声色で「打ち止め〜」と言いながらナイフを投げる事を止め、両手をだらりと下げてく。

「これ以上は無理、弾切れしちゃった。あんたゴリラみたいな見た目の割にテクニシャンなのね、見た目に寄らないもんだわ」

「………ようやく終わりましたか。男性は早漏なぐらいが好まれるらしいですが、例え三擦り半だとしても遅漏はその何倍も嫌われるそうですよ」

 周囲に散らばった大量のナイフを見回しながらトリカトリが軽口を返すが、オネエの男は何一つ気にしていない様子で「あたしリバだからどうでも良い」とそれを一蹴した。

「でしたらそろそろ私が攻めに回ってもよろしいですよね。わたくし攻められるのは好きではありませんので、ここらで攻守交代と洒落込みましょうか」

 散々投げナイフを弾いた爪を見やりながらトリカトリがそう語ると、オネエ口調の男はシレっとした声で「あらそれは嫌よ」とそれを否定する。

「どうせそのぶっといのでブチかまそうってんでしょ? ゴリ子ちゃんみたいなのに攻め立てられたらあたしガバガバになっちゃうわ」

 だらりと下げていた両手を左右に開いたオネエの男がその指を広げ、まるでハグを待つかのような姿勢になる。

 かと思えば開いた両手を、斜め上に交差させるかのように勢い良く閉じて行く。

「っ」

 その動きにトリカトリが反応しようとした瞬間、トリカトリの視界の端でそれまで周囲に散らばっていた数多のナイフが動くのが見えた。直後それらのナイフが地面から離れ、オネエ口調の男が完全に両手をクロスさせるのに合わせ、地面に触れていたはずのナイフが総てトリカトリに向けて飛んで来た。

「─────ッ」

 前後左右から飛んでくる大量のナイフ群に対して、回避を諦めたトリカトリは咄嗟に両手を頭に当て、指を組むようにしてうなじと頭部を守った。ナイフとの距離がもう少し開いていればその場で跳躍でもして回避出来たかもしれないが、散らばったナイフ達は前後左右の様々な距離に存在していた。地面に転がるものや、突き刺さっているもの。結構離れた場所にあるものや、足元に転がっているものと様々。

 跳躍する為には膝を折って跳ねる必要があるが、縦横無尽に転がり散らばるそれらのナイフが全てトリカトリに刃を向けて、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように収束していくのに、膝を折ってジャンプなんて間に合うとは思えなかった。

「ぐっ………。───くぅッ!?」

 故に、トリカトリは、それらのナイフを、全身で受けた。

 近場に落ちていたナイフが突き刺さるトストスという軽い音に続き、他のナイフ達が連続して突き刺さるドドドドッという重い衝撃が体に伝わってくる。寺の小坊主が板張りの廊下を走りながら雑巾掛けでもしている時のような振動を感じたトリカトリは、十秒もしない内に、ハリネズミを逆さにしたかのような有様になってしまった。

「…………………イケたかしら」

 グリップの無い、軸が剥き出しになった大量のナイフが突き刺さるトリカトリは、まさしく逆ハリセンボンとでも言うかのような姿になりながらも、両手を組むようにして頭を抱えたままで動かない。

 腕に、足に、背中に、尻に。大きな胸にすら大量のナイフを突き立てられたトリカトリは、やがて頭を守っていた両手をゆるゆると力無く下げていくと、


「──────痛……ッてェなぁ、チンカス野郎がよぉ……………」


 普段の温和なそれとは比にならない程に低く唸るような罵りを呟いたトリカトリは、憤怒Wrathに燃えたその瞳をオネエ口調の男へと向ける。一般人にとってはそこそこの高所にあり、かつ普段から口を大きく開かないので分かり難いギザギザとしたその鋭い牙を、トリカトリは食い縛るように剥き出しにしながら荒く息を吐いた。

「………嘘でしょ、バカじゃん」

 オネエ口調を忘れたようなオネエ口調の男が小さく冷や汗を垂らすが、よくよく考えれば大量のナイフで全身を刺されたトリカトリが無事なのは当たり前の話である。

 トリカトリは身長三メートルを超え、体重は二百二十キログラムに達する超ヘビー級の体格を持つ女性である。四本指の種族である関係から意識が逸れがちだが、手の大きさも一般人より遥かに大きい。地面に置いてあるバスケットボールを片手で持ち上げる事が出来れば『人より手が大きい』を名乗れるのに対して、トリカトリ・アラムはそのバスケットボールを指で抓んで持ち上げる。

 手の大きさだけでなく瞳の大きさや口の大きさも一般人より遥かに大きく、であれば皮膚の厚さも、骨の太さも、筋肉量も、脂肪の量だって一般人のそれをゆうに超える。

 そんなトリカトリに刃渡り六センチか八センチ程度の投げナイフを当てた所で、皮膚を切り裂き筋肉に突き刺さる事はあっても内臓に到達する事はまず無い。

 骨密度レベルで一般人より硬いトリカトリの骨は投げナイフ如きでは貫けない。純粋な腕力の乗った斬撃や火薬による推進力を得た銃弾であれば話は変わるが、弓矢や手で投げるような投げナイフでは傷こそ付けれど骨を断つ事は出来やしない。

 しかし頭部と首だけは話が変わる。皮膚のすぐ下を通る動脈や、薄っぺらい一枚の皮膚まぶたに守られているような目元にナイフが刺されば容易に致命傷になり得るし、そうでなくとも当たり所が良いか悪いか、奇跡的な角度で頭に当たったナイフが頭蓋骨を通り越してしまえばその先は脳。

 トリカトリはそれを最初から分かっていた。だからこそ、回避を諦めたトリカトリは頭周りの防御に全てを費やした。

「………………ビチグソ野郎が……やってくれんじゃねえか……」

 白と黒で彩られたヴィクトリアンスタイルのメイド服が赤黒く滲んでいくのに合わせて、ルーナティア城で現役メイドを勤めるトリカトリ・アラムがメイドとは思えないような口の悪さを見せていく。

 ゆらりと下げた両手を下げたまま、突き刺さっている大量のナイフを抜こうともしないトリカトリは、オネエ口調の男に向かってゆっくりと一本ずつ全身し始めた。

「……っ! ───くっ」

 狼狽した様子でオネエ口調の男がトリカトリへ右手を向け、と思えば即座にその手の指で宙を掴むようにしながら、肘を曲げて一気に引き戻すような動作をした。

「─────────させる訳無えだろ………ッ」

 トリカトリに突き立てられていたナイフが数ミリだけ浮かび上がるように離れていくが、トリカトリがグッと力強く拳を握るのに合わせてナイフの動きは全て止まる。

「な……ッ!? 何で……ッ! 戻りなさいよッ! ちょっと返しなさいよッ! あたしのナイフよそれッ!」

 何度も何度も引き戻すような仕草をするが、オネエ口調の男の意思に反してナイフはもう微動だにしない。腕を蚊に刺された状態で力を入れると、筋肉が締まって蚊が吸血針を抜けなくなるなんて話があるが、トリカトリは今まさにそれと同じような状態。全身に突き刺さった大量のナイフを、大柄な種族故の人とは異なる強い筋力で全て引き留めていた。

「マジでゴリラじゃないの……」

 食い縛って剥き出しにした大量の犬歯の隙間からフゥフゥと荒く息を吐くトリカトリが、一歩、また一歩と確実に全身していく。

 まさしく鬼のような形相をしたトリカトリに対して、オネエ口調の男には一応ながら対抗手段が残っている。バイクのナックルガードのように楕円形のシールドの付いた二本の魔改造ダガーナイフ。それらを握って、トリカトリに近接戦闘を挑む事。

「馬鹿言ってんじゃないわよ……」

 出来る訳が無かった。ブチ切れているトリカトリ・アラムに接近戦を挑むだなんて行為を、行える訳が無かった。

 でも、それでも、もう行くしかなさそうだった。

 オネエ口調の男が覚悟を決めるのに合わせてトリカトリがナイフだらけの足を踏み出すが、しかし予期せぬ出来事の発生により、その一歩が駆け出される事は無かった。



 ─── c ───



「どうしよう……」

 レニメアRainy Nightmareは焦っていた。目の前で苦しみ続ける二人の人間を見て、焦りと憤りを感じていた。

 荒事は任せておけば良いと釘を刺されはしたものの、ウィリアム・バートンもアンリエッタ・ヴァルハラガールもどちらもかなりの窮地に陥っている。二人とも歴戦の猛者である事はすぐに分かったが、相手が悪すぎるのか、ともすればここで命を落としかねない程に苦戦している。

 或いは勝ち目など端から無かったのかもしれない。

 ウィリーもアンリエッタも、どちらも小細工をろうするタイプの戦い方をする。スキルによる理不尽の押し付けや、大量の投げナイフによる一方的な遠距離攻撃の末、満身創痍の相手を取る。

 そういった戦い方は、得てして力押し型の相手には有効的な事が多いのだが、しかし今回ばかりは相手が悪過ぎるのか空回りしているように見受けられる。

 凄いおっぱいをした金髪の女の人も、とても大柄なメイドさんも、どちらもただの力押しではない。凄いおっぱいのお姉さんは小細工も出来る力押しだし、でっかいメイドさんは力押しの極地という程の筋力を持っている。

 理不尽なまでの筋力一徹。力に物を言わせた戦い方をする二人は、生半可な小細工では到底弄されてはくれない。

 仮に、である。仮に二人が戦闘に勝ったとして、しかし話はそれで終わりではない。金髪の女の人とメイドさんを倒せば、その後にはもう二人続いてくる。羽根を羽ばたかせる事も無く宙に浮いている尻尾のあるビキニの女の子と、物凄い顔のトラみたいな生き物に乗った苦労人っぽいお兄さんが居るし、その近くには貴族感のある爽やかなお兄さんも居る。

 連戦勝負の一戦目で既に満身創痍となっている二人。よしんばそれに勝てたとして、そのまま続く二戦目にも勝てると思える程レニメアは楽観的ではないつもりだった。


 ────わたしが行くしかない。


 生乾きのスカートをギュッと掴んだレニメアが覚悟を決める。後々ウィリーさんに怒られるだろう事は確実だが、それは甘んじて受け入れよう。おっきいのを突っ込まれると言っていたのが例え冗談では無かったとしても、ウィリーさんにならされても良いかもしれないと思えた。場合によってはアンリエッタさんが止めに入って、二人が喧嘩になってしまうかもしれないが、それでも仕方が無い。

「メェソル、行くよ」

 腹を括ったレニメアが羊のマスコットのようなそれに声を掛けると、メェソルは「待って、レニィ」とそれを制止した。

 今まさに駆け出さんとしていたレニメアがつんのめりながら足を止めると、羊のような姿をしたメェソルはふよふよと浮かびながら、しかし一切変わらない無表情のまま淡々とした声色で「危険だ」と呟く。

「行くよ。それでも。危険でも。例え死んでも。わたしがみんなを守る」

 毅然とした声色でそう返すレニメアを見たメェソルは、少し悩むような仕草をしてから「そう」と答える。

「それなら気を付けてレニィ、ここは魔力の質が今までと違う。この世界は悪意に満ちてる。人じゃ無い。世界そのものが悪意で構成されたみたいな、今までには無い魔力で溢れてる」

 心配そうな声色では無い。あくまでも淡々と事実を告げるだけのような話し方をするメェソルに対して、しかしレニメアは何も臆するような事は無く「大丈夫」と返す。それを聞いたメェソルは最早何を言っても止まらない事を悟ったのか「レニィがそう言うならもう止めない。けど気を付けてね」と返した。

「なら、行くよ。わたしがみんなを救わなきゃ」

 決意を固めたレニメアの体が光に包まれていく。生乾きだった衣服が波打つように揺れ動き、風も無いのにスカートがはためく。

 瞳を閉じたレニメアが再び目を開くと、その瞳孔は星型に変わっていて、レニメアがただの人間では無くなった事を如実に表していた。

 宙に浮かび上がったレニメアの服が白く輝き始め、まるで純白のレオタードでも着ているかのような光に包まれていく。

そして高らかに宣言する。


「世界の星よ、お願い! わたしに力を────」



 ──────



 正直な所、ひかるやトリカトリが負ける姿というものは僕には到底想像出来ない。

 身内贔屓とは少し違うつもりで、どちらかと言えば第三者目線で上から見下ろすように僕ら『いつものメンツ』を見た際に、ジズ、光、トリカトリの女性陣は他の追随を許さない戦闘能力を持っている事が明らかだからだろうか。

 時には肉を切らせて骨を断つような豪胆さを見せながらも、頭の奥底には何処か達観したかのような冷静さが常にある。攻撃性の塊とでも言うかのように喧嘩っ早い光は『しくじって死んだ』愚者ならではの冷え切ったが常に存在するし、荒事が始まると訳分かんなくなっちゃうタイプのトリカトリも見えなくなるのは周りだけ。自らに降り掛かる某かに対しては即応出来る冷静さを常に持っている。

 今回は戦闘に参加せず待機しているジズだってそう。以前に首折れ様と戦っていた姿を見るに、ジズは戦闘が長引けば長引く程に頭が冷えて動きが洗練されていく。

 言ってしまえばこいつらは「生まれながらにして既にチート性能」みたいな連中なのだから、そんな奴らが純粋な戦闘で負ける姿など、僕には到底想像出来ない。

 だからこそ僕は光とトリカトリから目を離して、純粋ではない戦闘をしそうな魔法少女の方を警戒していた。

 光の方はパルヴェルトがオロオロしながら見ているし、トリカトリの方は同じルーナティア人である関係からかジズが目を光らせている。となれば必然、ラムネに乗ったままの僕は第三者の介入に対して警戒すべきだろうという意図もあった。

 第三勢力である魔法少女が彼女なのは一発で分かった。もう見るからに魔法少女です! みたいな格好をしている幼い少女なのだから、これが仮にオリキャラのコスプレ画像か何かだったとしても魔法少女モチーフなのは誰だって即座に見て取れるはずだ。

 そんな魔法少女が、向こう側に付いている事も容易に想像が付いた。光やトリカトリが戦闘している方向から派手な音や酷い罵詈雑言が飛ぶ度に、僕の視界の先に居る魔法少女がパルヴェルトと一緒にオロオロと動揺するのだから、何らかの理由で魔法少女があの男女二人の側に付いている事は想像に難くない。

 だからこそ、僕は魔法少女の異変にいち早く気が付く事が出来た。横でふわふわと飛んでいる羊のような謎生物と何か会話をするような素振りを見せたかと思えば、魔法少女は唐突に輝き始めた。

「世界の星よ、お願い! わたしに力を────」

 ………いや、少しだけ自惚れた気がする。僕が魔法少女に対して警戒していたとかそういう事は関係無く、あんだけ堂々と大声を張っていれば聴力に障害を背負っていない限り大抵の生物が彼女の異変に気が付くだろう。

 けれどそれは本質的な異変の察知では無い。しっかりと注視していた僕だからこそ、魔法少女とかいう変な女の子の、本当の異変に気が付けたのかもしれない。

 そも、魔法少女が変身するのは別に異変では無いと思う。

「────貸し、かっ………ぐッ!? が、くぅッ!?」

 本当の異変というものは、その変身が何故かキャンセルされるような事を指すのだ。

 恐らく変身シーンの途中だったろう魔法少女は声高らかに叫んだかと思うと、突如としてお腹を押さえて祈るように身体を曲げた。それに伴い真っ白に発光していた魔法少女の輝きが曇り始め、次第に叫ぶ前の状態に戻っていく。

「あァン? ……………あァ?」

 唐突に叫び出したかと思えば苦悶の呻きを上げる魔法少女にジズが目を向ける。そして視界の先で起こっている出来事を目の当たりにしたジズは、魔法少女の身に起こっているそれが何なのか理解出来ないとでもいうような呻きを口にした。

「ッぐ………ッギぃ……ッ」

 お腹を押さえ?魔法少女のその手の隙間から細い紐のような何かが飛び出すと、それは鮮血を撒き散らし、まるで鞭のように激しく暴れ回った。

 当初一本だったその紐は気付けば二本に増えており、妙に露出の高い魔法少女の服を真紅に染めながら三本、四本と増えていく。

 その様相に、それまで派手に戦っていた他の面々は何も言えずに動きを止めて見入っていた。

「ぁガ……ッ………。メェ、ソル……………なに……これ………ェッ!?」

 よろよろとたたらを踏みながらも何とか立っている魔法少女が悲鳴のようにそう叫ぶと、魔法少女から少しずつ距離を取っていた羊のような謎生物が「レニィなら抑えれるよ! 頑張って!」とまるで他人事のような応援の言葉を口にする。

 無責任極まりない「頑張れ」という応援を受けた魔法少女が、恐らくへそから突き出ていると思しきその紐のような何かを両手で掴むと、それは嫌がるように一際強く暴れ狂った。その際に皮膚が裂けたのか、魔法少女が「ぐぎィッ」と強く呻き、今にも泣き出しそうな顔になる。

 その次の瞬間だった。

「ギ」

 魔法少女が苦悶の声色で呻いた。かと思えば、その左目の奥から同じような紐が飛び出し、押し退けられた眼球が頬をとろりと伝いながら流れ落ちていく。

「ィギャアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ──────────」

 飛び出た目玉は血管や神経に繋がったままの状態であるからか、頬の辺りで落下を止める。そして目を抉られたのと同然の激痛に絶叫する魔法少女によって、垂れ落ちた眼球は頬の上を転がるようにくるくると回転しながら揺れ動いた。

「………レナっ!? ────ッ、レナッ! レナァッ!」

 光と戦っていた女騎士が身体を起こしながら魔法少女に向けて叫ぶが、魔法少女はもう何も聞こえていないのか、或いは反応を返す余裕なんて何も無いからか、眼球を押し退けて飛び出した紐のような何かを押さえ込むかのように顔に手を当てて叫び回る。

「いだいぃぃぃいいいッ! いだいよぉぉおおおおッ! なにごれえええッ! やぁぁぁああアアアアア────ッ!」

 顔に手を当てながら耳をつんざくような金切り声で魔法少女が叫ぶと、今度は押さえを失った腹部の紐がひゅんひゅんと風を切り、のたうち回るように暴れ出す。当初は臍から出でいただけのその紐は、いつしか肋骨や下腹部からも飛び出ており、皮膚を割いて飛び出た紐が乱舞する度に真っ赤な鮮血が魔法少女の周囲に飛び散っていく。

「あー。駄目だったか」

「───ッ!? …………お前っ!?」

 僕の隣辺りから聞こえてきたその声に反射で振り向くと、そこには羊のような謎生物がふわふわと浮かんでいた。それを見た僕の背後から「退きなァ」と声が聞こえたかと思うと、羽根を消して地面に降り立ったジズが手首から先が偃月刀のような形になった右腕を振るって謎生物を両断しようとする。

 しかし羊のような謎生物は、まるで水中のゴミを掴み取ろうとする時のようにするりとそれを避けていく。

「わあ危ない。何するんだい危ないなあ」

「チッ」

 ジズが口を吸うようにして舌打ちすると、羊のような謎生物は感情を感じさせない声色で「ぼくはきみ達には何もしないよ」と弁解する。

 僕はこういった駆け引きには疎いが、どことなくその言葉に嘘は無いように感じた。そしてそれはジズも同様だったのか、法度ルールで偃月刀のような形に『作り替えていた』その右手を元に戻すと「……そォ」と呻いて臨戦態勢を解除した。

には・・、ってェのはどういう事かしらねェ」

「どういう事? どういう事とはどういう事だい?」

 小首を傾げるような仕草をしながら問い掛け返す謎生物にジズが「そのまンまよォ」と答える。

「あの娘ォあんたの相方じゃねェのォ? なンかやべェ事になってっけどォ、には・・ってこたァあれはおェが仕掛けた何かって認識で良いのかしらァ?」

 ジズが聞き直すと、羊のような謎生物はまるで何でも無い事柄かのように「ああその事か」と呟き、今も狂ったように悲鳴を上げ続ける無残な有様となった魔法少女を見やる。

「それなら言葉の綾だよ。レニィがああなっているのは誰の仕業でも無い。強いて言うなら世界が悪かった、とでも言った所かな」

「世界が悪かった?」

 羊のような謎生物の言葉に僕がオウム返しをした直後、僕のを乗せたままのラムネが舌足らずに「ちゅかまれッ!」と叫ぶ。突然の事過ぎて言葉の意味すら理解出来なかったものの、ラムネの叫びに身体を竦ませるようにして指先に力を込めた瞬間、それまで僕とラムネが居た場所を紐のような何が風を切りながら抉り取っていった。

「メェゾルゥゥゥゥゥッ! いだいよォオオォォォォッ! だずげでよォォォォォォオオオオオ─────ッ!」

 バヂュンという湿った破裂音にも似た音を聞いた僕が、ラムネの叫びが魔法少女から突き出た紐による攻撃を回避する為のものだったという事を理解したのは、ラムネの背中か転がり落ちた地面の上での事だった。

 地面を少しだけ転がりながらも何とか身体だけは起こした僕の視界には、両目から涙のように血を流れ出している幼い魔法少女だった。気付けば両目を失った魔法少女の全身から無数に突き出ている紐のようなそれは、ここに来てそれが触手だという事に気が付いた。

「─────っ」

 全身から触手を生やし、両目が頬まで垂れ落ちている魔法少女の姿を見た僕は思わず息を飲んだ。恐怖からでは無い。むしろ恐怖なんて欠片も無かった。外観はホラーそのものだが、不思議と恐怖や怯えといった感情は何も無かった。


 ただ可哀想だった。


 悲鳴を上げて助けを求め泣き叫ぶその姿が、僕の目には可哀想に映った。


 そして同時に羨ましかった。


 救いを求めて泣き叫ぶ事なんて、僕には結局出来やしなかった事だから。

 羨ましかった。助け求めて泣き叫べる魔法少女が、何だか少しだけ羨ましかった。


「げぼくゥッ!」

 僕の背後からラムネの声が聞こえる。背中から僕を落としてしまったラムネは僕と寄らず付かずの距離を維持しながらも、ヒュンヒュンと音を鳴らして触手を振り回す魔法少女だったナニかの動きを警戒し、僕を助けに入れないようだった。

 両手を後ろに付きながら少しずつ後退りする僕を、魔法少女だったナニかはまるで合わせるかのような千鳥足で追い掛ける。しかし目で追えない速度で振り回される触手に、ラムネだけでなくジズすらもが「チッ」と舌打ちしながら同じように後退りしていく。


 不味まずった。やべえ。


 迫り来る触手の乱打に、忘れていた恐怖が羨ましさを上書きしていく。

 いっそナマケモノのように諦めて力でも抜くかと、僕がそう考え出した頃────、


「───ボクは強くあらねばならない───」


 僕の相棒ブラザーを名乗る男が力強く、この世界に宣言する声が聞こえた。

 想い人に負けないぐらい割とおちゃらけていて、最近下ネタに対して抵抗が無くなってきた所かむしろむっつりスケベが表に出始めてきた貴族のお坊ちゃま。負けしくじりばかりながらも、どれだけ挫けそうになりながらも、それでも何処かで必ず上を向き、その瞳を焼くように輝き続ける太陽出来る奴等を睨みながら歩き続けてきた男───、


「─── ブラザー親友を守れるぐらいには、ボクは強くあらねばならないのさ───ッ!」


 ───パルヴェルト・パーヴァンシーが、この世界に向けて高らかに吼えながら猛進してきた。

 窮地に割って入って来た僕のブラザー相棒に思わず名前を呼びそうになるが、僕は恐らくジズに首根っこを掴まれて放り上げられた。

 その名を呼ぼうとした瞬間宙に浮かび上がった僕が「パルぅおわぁっ!?」と無様に叫びながら落下し地面に肩の辺りをぶつける。と思えば倒れる僕を覆い被さるようにしてラムネが守る。

「シ───ィッ」

 パルヴェルトが噛み締めた歯の隙間から吐息を漏らし、右手に持ったレイピアを目にも留まらぬ速度で何度か振るうと、ピュンピュンという湿った切断音が周囲に鳴り響く。

 途端、

「ギャアアアァァァァァアアアアァァァイダイイイイイイイ───ッッ!!」

 魔法少女だったナニかが金切り声を上げて暴れ回る。思わず耳を塞ぎたくなるその悲鳴に、僕の上に立っていたラムネがまるでしな・・を作るような体勢になっていた僕の肩に鼻先を押し付けて僕を横倒しにする。と思えば即座に僕の横っ腹を甘噛みするように咥えてその場から飛び退った。

「ちゃんとちゅかまりぇ! ばかげぼく!」

 魔法少女だったナニかから距離を取り、僕を地面に降ろしたラムネがそう叱咤する。その声に「ごめんっ」と謝った僕は急いでラムネの体をよじ登り、首筋辺りの毛を両手で力一杯鷲掴む。

「くっ、そう泣き叫んでくれるなっ! とてもっ……とてもやり辛いじゃないかッ」

 何本かの触手を切り裂いたのは最初だけで、血を吹きながら暴れ狂う魔法少女だったナニかの悲鳴に怯んだパルヴェルトは、ヒュンヒュンと空を切りながら乱打される触手をレイピア特有の丸い鍔を器用に使って弾くだけになっていた。

 パルヴェルト・パーヴァンシーは法度ルールに全てを頼り力任せに戦いたがるが、厳密には戦いたがっているのとはほんの少しだけ違う。力任せな猪突猛進が目立つが、パルヴェルト・パーヴァンシーという男はそれ以外の戦い方を知らないのだ。それ以外の技術戦い方を知る前に死んでしまったのだから、彼はレイピアであっても手癖で力任せに振り回す事しか出来ないのだ。

 聞き齧っただけのテクニックや周りがしていたような立ち回りも行う事は出来るだろうが、本人がそれを望まない。まだ身に着けていないような技術戦い方を実戦に持ち出すぐらいなら、乱暴に突貫して手癖でレイピアを振り回している方が余程しっくり来る。

 だが目の前で泣いているかのような絶叫をされれば、どうしたって刃が曇る。『いつものメンツ』の中だけでは無い、ルーナティア全土を見渡してもパルヴェルト・パーヴァンシー程に心根の優しい青年は居ないだろう。

 それもそのはず。彼は虐げられて育ち、絶望悪意の海に突き落とされて生涯を終えた。本来であれば互いに守り合う血の繋がった家族に、守ると誓った想い人を殺された。しかしパルヴェルトはそれでも腐る事は無かった。ただ前を向いて「次こそ守る」と誓った。

 法度ルールは並大抵の感情や決意では発現しない。生涯を懸けても尚揺らぐ事の無い強い感情を持った場合にのみ、自身の欲求ルールを適応する事が許される。

 次こそ守ると誓ったパルヴェルトの想いは常人のそれを遥かに凌駕する。数値では到底推し量れないその決意の強さはパルヴェルト・パーヴァンシーという男の優しさの現れでもある。

「泣かないで……ッ! どうか泣かないで……ッ!」

 だからこそ、かつて魔法少女だったナニかが目元から流す血涙に、パルヴェルトは胸が張り裂けるような痛みを感じていた。

 地面を穿つような力で振り回される触手に打たれては骨が折れる程度では済まない。そう思ったからこそパルヴェルトはブラザー相棒と魔法少女だったナニかの間に割って入った。守る為にと高らかに吼えて、守りたいものを守らんとつるぎを取った。


 それはつまり、誰かを傷付けるという事。

 守りたいものを守る為に、

 守りたいものを傷付けようとしている誰かを、

 その剣で傷付けようという事。


「─────お願いだから泣かないで……ッ!」

 言葉巧みに人を騙す悪魔のように、この世は万人が望マヌ形で平等である。殺人鬼が幼子を傷付けようとしたのなら、警官は銃を取って殺人鬼を傷付けねばならない。警官が幼子の味方に付くのなら、それは同時に殺人鬼の敵に回るのと同義。

 守りたいものを守りたいのなら、敵の敵にならなけれはならない。


 フリードリヒ・ニーチェ曰く。あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。


 パルヴェルト・パーヴァンシーはその優しさ故、触手を斬り払う度に苦悶の絶叫を上げる魔法少女だったナニかを前に自らの心が折れ始めてしまっていた。

「退け優男ッ!」

 そこへ光と戦っていた女騎士が走り寄る。かと思えば、今にも泣き出しそうな顔をしていたパルヴェルトの腹を鉄靴で蹴り飛ばして吹き飛ばす。そして自ら魔法少女だったナニかの前に自ら進んで躍り出た。

「レナッ! 私だレナッ! アンリエッタだッ! 私はアンリエッタだレナァッ!」

「アアアアァァァァァアアア───────ッ!」

 盾を構えて触手を受けながら声高に叫ぶと女騎士に、しかし魔法少女は何一つ動きを変えない。

「もうレニィは助からないよ」

 ラムネの背に乗る僕の、その真横までわざわざ浮かんで近付いて来ていた謎生物がそう呟く。女騎士はその非情な言葉が聞こえていないのか、触手で難度と無く盾を打たれながらも魔法少女だったナニかにひたすら叫び続ける。

「あれはもう手遅れだよ。ぼくらの意思で契約は切れないから、きみたちがあれを始末してくれるととても助かる」

「お前───ッ!」

 無責任極まりないその言い草に強く苛立った僕がそいつを睨み付けるが、羊のような謎生物は僕に如きに睨まれる程度では何も動じない。それ所か「ぼくは悪くないよ? だって何もしてないからね」と白を切るようにそう続けた。

「この世界の魔力は悪意に満ちている。生まれながらにしてその魔力に触れていた現地人や、魔力の扱いに極めて長けた魔術師だの魔導師だのならまだしも、あの日から成長を止めた幼子であるレニィには到底扱い切れるものじゃない」

「じゃあ言───」

「言ったよ。ぼくはちゃんと言った。悪意に満ちているってね。にも関わらずレニィは魔法を使って変身しようとした。変身には魔力を使う。この世界に漂う悪意の塊みたいな魔力をね。………まあ扱い切れずに『しくじった』結果どんな事になるかまでは言わなかったけど、言った所でレニィは止まらなかったろうね。きみは知らないかもしれないけど、レニィはかなり頑固なんだ」

 まるで他人事のようにそう言う謎生物に、僕はえもいわれぬ程の怒りWrathを覚えてしまった。

「助けろよお前ェッ!」

 かつてこんなにも無責任な奴に出会った事は無かった僕は、羊のような謎生物の無情で無慈悲で無責任なその物言いに、思わず歯を剥きながら獣のように吼えていた。

「助けろよッ! お前の仲間だろッ! お前の仲間が酷え目に遭ってんだぞッ!」

「ぼくはレニィの仲間じゃないよ。ただ利害が一致しているだけの契約者さ」

「関係無えだろッ! 目の前で今まさに苦しんでんじゃねえかッ! 助けろよッ! 助けれるだろッ! お前魔法使えるんだろッ! なら魔法使って助けろよッ! 助ける術があんのに面倒臭がって見捨ててんじゃねえよッ! 魔法でも何でも使って今すぐ助けろよッ!」

 喉が枯れて痛み出す程に僕が叫ぶと、羊のような謎生物は「はあ」と小さく溜息を吐く。無表情から一切変わらずに「世の中きみみたいな馬鹿ばっかりで困るよ」と呟く羊のような謎生物に、僕が再び怒鳴ろうと口を開く。

 その時、一度だけまばたきをした。本当に一度だけ、ぱちりと瞼を閉じて、再び開いた。

 その一瞬の間に羊のような謎生物は姿を変えていた。羊を模したマスコットのような顔は体毛はおろか皮膚すら無くなり、完全に頭蓋骨が剥き出しになっていた。

 白くほわほわとカールしていた羊の綿毛は、だらりと流れ落ちる黒い髪の毛のようなものへと変わり、骨だけになったその体に点々と繋がっていた。

「きみは魔法をご都合主義で便利な何かだと思っているようだけれど、全然そんな事は無いんだよ」

 声色だけ変わらずに姿を変貌させたそいつの顔は、生前に見た動物図鑑に乗っていた馬の頭骨にそっくりだったが、

「きみは忘れている。きみだけじゃない、日本人は特に忘れがちだ」

 馬じゃない。馬の頭蓋骨では無い。知識では無く、本能的にそれを理解した。


「きみは魔法の『魔』の字に、何で『鬼』という字が入っているかを忘れているよ」


 山羊やぎだ。こいつの頭は山羊の頭骨だ。こいつは羊なんかじゃない。


 こいつは黒い山羊Messoremだ。



 ───────



「…………………………」

 アンリエッタ・ヴァルハラガールが力無く膝を付き、ピクリともしなくなったその頭を抱き寄せる。

 両目から触手を突き出したレニメア。気付けば口からも触手が飛び出し、その表情は、叫んだままのように開いて閉じなくなった口から今にも絶叫が聞こえてきそうな程に苦しげだった。

 その生首を手に取りぎゅっと抱き締めるが、レニメアはもう何も言わない。痛い苦しいと泣き叫ぶ彼女を終わらせたのはアンリエッタなのだから、何も言わない事など分かっていた。

「…………………助けない方が、良かったのか……?」

 サンスベロニア帝国の独房から。看守や尋問担当官からされる陵辱から。目を背けたくなるような乱暴の限りから。

 もし助け出さなければ、レニメアは今も生きていたかもしれない。

 苦しみと恥辱の限りから助け出さなければ、それでも今も息をしていたかもしれない。

「…………私は、………私は、要らないお節介をしてしまったのか……?」

 アンリエッタの瞳から涙が溢れる。頬を伝った涙は顎先に溜まり、重さに耐え切れなくなった涙は生首となったレニメア顔にぽたりと落ちた。レニメアの目元の下辺りに落ちた涙は、頬を斜めに伝いながらやがて地面に落ちていく。

「助けたかった………私は……君を……私が、君を……助けたかったんだ……」

 マスコットのような謎生物の言葉が正しいのであれば、遅かれ早かれ訪れていた結果なのは明白だった。サンスベロニア帝国の独房で暴走していれば囚人や看守等の人間は確実に巻き込まれて死んでいただろうし、或いは自ら逃げ出した先で魔法を使おうとしていれば、城下町で暴走するという事であり大量の国民が巻き添えになっていただろう。

 それらは助かった。巻き添えにはならなかった。暴走したレニメアに殺されるような事は無かったし、暴走したレニメアが民間人を手に掛けてしまうような事だって無かった。

「…………………………助けるって、なんだ……?」

 そんな未来の代わりに、レニメアはアンリエッタに殺された。悲鳴を上げるレニメアに厭わず触手を切り裂き、首元を一閃したアンリエッタの長剣によってレニメアは即死した。

 アンリエッタが目線を逸らすと、そこには頭を失ったレニメアの亡骸が仰向けで転がっていた。全身の至る所に赤黒い血の後が付き、死ぬ事で脳からの電気信号を失い弛緩した膀胱から流れ出た液体によって、レニメアの履いているスカートの股間辺りは黄色く滲んでいた。

「これで契約が切れたね。ようやく動けるようになったよ」

 抑揚の無いその声にアンリエッタが目を向ければ、そこには宙に浮かぶ山羊の頭蓋骨があった。その双眸は黒く淀んでいて眼球や眼光のようなものは無く、淡々とした声色で「じゃあぼくは行くから」と語るその頭蓋骨は、まるで煙のように形を崩して消えていった。

 しかしアンリエッタは何も考えられなかった。目の前で何が起こったのかも、目の後ろで何が起こっていたのかも、アンリエッタにはどうでも良く感じた。

「───────………………あ」

 抱き締めていたレニメアの頭が砂のように崩れていく。目を向ければ、頭を失ったレニメアの胴体も同じように崩れていき、服も残さず砂山と化していく。

 その砂山は小さな微風に巻かれながらも、すぐに大空へと巻き上げられて散り散りになっていった。

 それを見上げるアンリエッタの肩に誰かがぽんと手を置く。

「帰るわよ。もう用は無くなったわ」

 その声に上の空で「ウィリー殿……」と返事をすれば、ウィリアム・バートンは「ほらしゃんとしなさい」とアンリエッタの二の腕の下に手を通して体を持ち上げる。

「じゃあね」

 よろよろと覚束無い足取りで歩き出すアンリエッタの背に手を添えたウィリアム・バートンが『いつものメンツ』に対して挨拶だけ済ませると、二人はサンスベロニア帝国に向かって歩いて行った。

 その姿が小さくなり、そろそろ見えなくなるかという頃、橘光が「ほんならウチらも帰るか」と呟いた。



 ───────



「そう……なるほどね」

 僕とジズから報告を受けた魔王さんは自らの顎に指を這わせながらそう呟いた。

 全身ナイフだらけになったトリカトリは治療の為にペール博士の元へと向かい、激しい戦闘によって汗をかきつつブラジャーをぶっ壊した光は風呂へと向かい、パルヴェルトは神妙な顔をしながら「ハニーのお風呂覗いてくる」と呟いて堂々と光の横に並んで歩いて行った。

 必然的に、残されたボクとラムネとジズの誰かが魔王さんに報告に行かねばならなくなった訳だが、自室に帰るような気分でも無かった僕は法度ルールを解除して小さくなったラムネを抱きながらジズに付いていき、一緒に報告を行う事にした。

 が、特に何を語るような事も無かった。報告は全てジズが簡潔にまとめて行い、僕は腕に抱いたラムネを撫でながら黙っているだけだった。

「…………………………………」

 元より何も語る気なんて起きなかった。抱いているラムネだって、幽霊猫であり空を飛べるのだから抱っこなんてする必要なんて無いのに、何も喋る気なんて無いなら魔王さんへの報告なんて付き添う必要なんて無いのに。

 それでも、何となく誰かと一緒に居たかった。何となくジズの横を離れたくなかった。

「………で、えーと。何つったかしら。男の子。そこの君。名前忘れたわ」

「タクトよォ。陛下マジで人の名前覚えるの苦手よねェ。つってアタシもタクトの上の名前忘れてんだけどさァ」

 その言葉に僕が「森山です。森山、拓斗」と答えれば、その声は自分でも思いがけない程に掠れ切って弱々しいものだった。

「そうそうそんな名前だったわね。……で、そのタカシくんは何でそんなにショボくれてるのかしら。報告外で何かあったの? それとも報告出来ないような事なのかしら」

 優しい声色でそう聞いてくる魔王さんに顔を開ければ、魔王さんはいつもと変わらないようなくたびれた顔をしながら僕を見詰めていた。横を向けば、ジズも相変わらずの気怠けな表情で僕を見ている。

 そんな二人に見られて目線を下げれば、僕に抱かれたラムネが心配そうな顔で僕を見上げていた。

「…………僕は────」

 少し迷いながらも、掠れた声を出して僕は答える。

「────僕は、もっと幸せな世界が待っていると思ってた」

 絵空事に語られる異世界転生。確かに生前はロクな死に方をしなかったけれど、それでも死後に呼び出された異世界での生活は、生前のそれとは違う幸せな人生が待っていると思っていた。

「呼び出された理由は知ってる。……でも僕は戦いなんて出来ないから、そう酷い目には遭わないと思ってた」

 戦争の道具として呼び出された勇者と相殺そうさいさせる為の存在。あわよくば利を取って生き永らえれば戦争を有利に持っていけると、そんな役割として呼び出された愚か者の一人である事は分かっていた。

 けれど、だ。

 それでも、どの企業も労働基準法を破り、自転車が当たり前のように右車線を走り、車は当たり前のようにハイビームで走り続け、駅前を歩けば風俗店のキャッチから声を掛けられ、それを断って人の少ない道を行けば薬売りの大陸人や個人売春を行う女性に呼び止められる。そんなゴミ溜めのような国で過ごし、成人する事も無く死んだ僕なのだから、異世界に呼び出されたとなれば薔薇色の人生を期待してしまうのは仕方が無い事だと思う。

「…………こんなに………。…………こんなに悲しい事が起こる世界だなんて、思いもしなかった」

 創作物に描かれるようなチート能力は何も無い。あるのは何も出来ない劣等感と、女の子一人すら助ける術を持たない悔しさ。

 こんな思いをするとは思わなかった。死んでまで、こんな思いをさせられるとは思わなかった。

 そこまで思って、僕は一つの真理に考え至る。それに気付いてしまえば、何だかどこか吹っ切れたような気分がしてきて、暗くネガティブな感情も吹き飛んでしまう感じがした。

「……ああ………よく考えたら────死ぬ前と何も変わらないな」


 生前だろうが死後だろうが、

 異世界だろうか何だろうが。


 結局、僕はどこででも変わらない。


 そうだ、そうだよ。

 人はそんな簡単には変わらない。人は人が死んでも変わらないぐらいなんだから、異世界に転生した如きでは変わる訳が無い。それは僕自身の持論だったじゃないか。

 何を今更。ああ、今更。今更だ。

 全てが、今更遅いのだ。

「タクトォ、アタシ背ェ届かねェからさァ………よォ、ちっと頭下げなァ」

 僕より遥かに小さな背丈のジズが、その特徴的な三叉の尻尾を僕の頭に乗せたかと思うとググッと力を入れ抑え込むようにして僕をしゃがませる。

 ラムネを抱いたままで床に膝を付けば、僕の目線の先にはジズの顔があった。

 相変わらず何を考えているのか読み難い、気怠けな半目をしたジズは僕の頬に両手を当てると、

「───────」

 ちゅっ、と。まるで眠れないと駄々を捏ねる子供に母親がすような小さなキスをした。

 僕に抱かれていたラムネが僕の下から何も分かっていないような声色で「おー、げぼくはなちゅーしたな、ごあいさつな」と呟くが、僕はそれに何も言い返せなかった。

「よしよし」

 ジズの右手が僕の頭を撫でる。体の小さいジズの、その小さな手のひらが、僕の頭を優しくゆっくり撫でていく。一撫で二撫でと柔らかな手のひらが僕の頭を撫でる度、苦味のある柑橘系────淡い柚子の香りが僕の鼻腔を通っていき、何だか目が覚めるような感覚がする。

 何が起きているのか分からなかった僕は何も言えずに黙って撫でられているだけだったが、やがてジズは満足したのか僕から一歩離れていく。

「うーゥし。…………そんじゃ陛下ァ、デブリーフィング帰還報告も終わったしアタシも風呂ォ行くわねェ」

「ええ、ご苦労様。今日のお風呂は少しだけ熱めにしてあるから、多分疲れも取れると思うわ。けどのぼせないよう気を付けてね」

「あァざまァす」

 膝を付いたままの僕にジズが「ほらボサっとしてんな。風呂ォ行くわよォ」と声を掛ければ、風呂という言葉に嫌悪感を示したラムネが僕の腕からするりと抜けて「えーおみずいや」としかめっ面をする。

 その姿を見ながら唇に指を当てれば、今僕が何をされたのかが思い浮かんでくる。

 浮かんでくるが、結局それが何だったのかはよく分からないまま。その行為にどんな想いが含まれているかは分からないまま。

 しかしそれでも、何が起きたのか分からないなりにも、僕は生前には聞いた事も無かったような音を聞いた気がした。

 生まれてから死ぬまで聞く事の出来なかった音。仮に天寿を全うするまで生き永らえていたとしても、ゴミ溜めのようなあの町では聞く事なんて到底叶わなかっただろう音。


 心臓が一際強く跳ねる音。


 その音を聞いて、僕は得心した。


 ははあ、なるほど。


 これが所謂『恋に落ちる音がした』ってやつか。



 

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