1-4話【人間万事、塞翁が馬】
青年は愚者として呼び出され異世界転生による最期のチャンスを与えられた際、ただひたすらに嬉しくて仕方が無かった。
元々頭が良い部類ではなく、だからといって運動だって得意とは程遠かったその青年は、もう二度と来ないチャンスである死後の世界でも生前の世界とさして変わらない存在となっていた。
この世界に存在する生物のみが得られる
結局その
生前の青年は大層な頑張り屋だったが、出来る事は頑張る事だけで、その先で成功させる事はただの一度も出来なかった。努力が実らないというだけなら理解のある親であれば「まだまだこれからだ」とその背中を押し続ける事もあったかもしれないが、青年には七人の兄弟が居たのだから、どうしたって親の心は優秀な方へと向いてしまい、また親も所詮はただの人間なので、他にいる身近な者と比較してしまうのも無理は無かった。
青年は『出来る子』ではあったものの、それと同時に『出来ない子』でもあった。努力なら幾らでも出来た。何せ七人の兄弟達の中では最も睡眠時間を削っていたし、食事の時間すら学ぶ事に回したかった青年はわざわざメイドに毎食片手で食べられるサンドウィッチにしてくれと要求する程だったのだから、まさしく弛まぬ努力が『出来る子』であった。
しかし同時に『出来ない子』でもあった。連日徹夜して勉学に励む事がもはや習慣の一つとなっていた青年だったが、どういう訳か学び舎での試験では用紙の前に座り問題を目にした瞬間どうしてもその解が導き出せなくなってしまう。問題の内容は理解出来るし、その問題について寝る魔を惜しんでしっかり学んだ事だって覚えているが、ただその答えだけが思い出せず、それが全ての問題で起こってしまうのだから必然的に試験の点数は全期通して常に最下位を譲らない有様だった。
そんな中でも青年が特に苦手だったものは算学だった。こと算学に関してだけは予習復習すら一人ではままならないぐらいであり、もはや『苦手』を通り越して『無理』と言っても何ら差し支えが無い程だった。
青年は『
始めて足し算を学ぶ子供は「どうしてそうなるのか」が理解出来ない事が多い。「リンゴが一つ。リンゴが一つ。ではそれを合わせたらリンゴは幾つ?」という問題に対して個別のリンゴを合わせる事で二つになるという理屈が理解出来ず「リンゴが一つずつ」というような考えに至ってしまうケースは多いというが、青年はそのケースではなかった。
しかし青年はやはり『一足す一』が出来ない。何故なら青年は『一』というものが数字として認識出来ず、ただの線にしか見えなかったからだった。それでも救いだったのは「一足す一は?」と声に出して貰ったり、或いは自身が声に出したりすればそれは線では無く立派な文として認識出来る事だったが、教員にとってはそんなもの何一つとして関係無く、ただの一個人に対して試験問題を全て読み上げる手間など掛ける訳も無ければ、試験中に問題を全て口頭で読み上げるような生徒などその場に居合わせる全てにとって迷惑でしかないのだから、試験開始数秒で失格扱いにして退室させてしまう方が遥かに楽だった。
とはいえ青年は努力が出来る子。間違っても親なんて頼ってしまえば七人の兄弟たちと比較されて「無能め」と
まず思い浮かんだのは『一』という形の線を記号として記憶しパターン化を狙う事だった。これは成功したようにも思えるが結果的には失敗だった。
完全に「そういう記号の羅列」として脳内でパターンを組み、数多の線の羅列から導かれる結果を全て覚え切るという力技も良い所な荒業だったのだが、これは数字だけでなく他の科目でもある程度応用が効く上、いざ試験に臨んだ際にやる事が『ただパターン化された記号の羅列を書いていくだけ』である事から『解が分からない』という事態にならなかった。何せ本人の中でそれは『問題を解いてその答えを書く』のではなく『その羅列の続きを思い出すだけ』という事になっていたのだから『答えが思い出せない』という事にはならないのだから、まるで法の穴を突いたかのようであり成功したかに思えた。
しかし駄目だった。試験というものには時間制限がある事を、青年は完全に失念してしまっていた。一つ一つその続きを思い出している内にどんどん時間が過ぎてしまい、解答欄を埋め切るよりも遥かに早く試験終了の笛が鳴り響く。今まで分からない所は憶測で書いていてそれが偶然正解で点数を貰えた事もあったのだが、そもそも解答欄を埋める事すらままならなくなる程時間が掛かってしまい『偶然正解だった』という事すら起こり得なくなった青年の成績はむしろ更に悪化してしまった。
次に青年が考えたのは「異国の数字に脳内変換出来るようにしてみよう」という事だった。例えばアラビア数字で『1』とあれば、それを漢数字の『一』だと脳内で紐付けしてみたり、或いはローマ数字の『Ⅰ』に頭の中で変えてみたりといった方法だった。これであれば「ただの線としてしか認識出来ない」というような事も無くなるのではと、考え至った青年は思わず微笑んだ。
だが結果としては全くの無駄だった。アラビア数字だろうが漢数字だろうがローマ数字だろうが何も関係無く、それが『数字である』と脳内が認識した瞬間に
完全に諦めてしまった青年だったが、しかし青年はまだ望みを捨ててはいなかった。勉学が出来ない者なんてこの世に幾らでも居る、学が無ければ体を鍛えて運動面で成功させれば良いのだと青年は考えた。
「大丈夫でございますよパルヴェルトおぼっちゃま。例えどんなに辛くても、例えどんなに苦しいとしても、それでもリーナだけはいつまでだってお支えしますから」
どう足掻いても成功『出来ない子』だった青年が、それでもずっと挫けず努力『出来る子』だったのは、ただ一人だけ青年に付けられたお側付の従者であるリーナが居たからだった。
成人してから幾らか経つリーナからすれば青年はまだまだ青臭過ぎる子供にも見えたのだが、それでもリーナはただひたすらに青年を支え続けた。
甲斐甲斐しくありながら、時には青年を叱咤する事もあった。まるで入れ込んでいるかのように青年を支え続けたリーナの姿を見た他のメイド衆たちの中で、やがて「リーナはパルヴェルトと結ばれる事でこの家の財産を手に入れようとしている」だなんて言われ始めたが、しかしリーナはそんな言葉には何一つとして耳を傾けなかった。食事の時間ですら削ろうとする青年が全食サンドウィッチを要求してきた際は偏った食生活による栄養失調や栄養過多にならぬよう常日頃から様々なレパートリーのサンドウィッチを考え続けパルヴェルトの為に作り続けた。
何せリーナは青年の事が好きだったから。どれだけの苦境にあっても常に前を向き、泣き言の一つも言わず進むべき道を模索し続ける青年がただひたすら愛おしかった。完全に挫けて、全てを諦めて、何もかもを投げ出してしまわぬよう、キラキラと輝き続けるその瞳が濁って虚空を見詰めぬよう、ただひたすら支えたいと思っていた。
リーナは自身この想いを自覚していたが、けれど愛とか恋とかいう単語ではどこか納得がいかなかった。この気持ちはもはやそんな言葉では到底語り得ない程強く気高く崇高な感情なのだと考えていた。
同時に青年もリーナの事が好きだった。どれだけ無様な醜態を晒したとしても、ただ一人リーナだけは青年の事を
当初青年は「リーナにだけは見捨てられたくない」という自身の為の強い思いを原動力に努力を続けていたが、ある時から思いは想いへと変わり、いつしか「リーナに見合うような男になりたい」という考えに変わり、次第に「ボクをずっと支えてくれるリーナを、ボクはずっと支えてあげたい」と思うようになっていった。
相手の為にと互いが互いを想い続けれる二人なのだから、二人が惹かれ合うのも無理は無い。そして同時にこの頃から二人が各々の気持ちに気付き始め、事実上の両想いとなっていた。
破滅の兆しが見え始めたのは、青年が運動面に努力の矛先を向けてから少し経った頃だった。
例えば球技。例えば陸上。例えば水泳。運動系という事は同じなものの、その枠組みの中にある様々な分野に挑んでは成功せずを繰り返していた頃、青年にもようやく可能性が見えた。ありとあらゆる運動で結果が出せなかった青年だったが、唯一フェンシングだけは別段悪くない成績を残す事が出来たのだ。
とはいえ成績が良いという訳は無く下の上程度の成績でしか無かったのだが、生まれて始めて努力が実りを結ぼうとしている瞬間を目の当たりに出来た青年は思わず涙し、針のように細く長いその剣を握り締め、それを見詰めた。
このレイピアはようやく手に入れた青年の武器。青年の生きる道を切り拓いてくれる青年の武器。フェンシングは他の剣術とはルールや立ち回りが全く異なるのだから、これが駄目だったからといって他の剣術に手を出しても恐らく成功しない。一応まだ道は残されているものの、それでも今までと違い「もうこれ以外に道は無い」と考えれば今までと違う気持ちが湧き出してくるのを感じられた。
「───ボクは強くあらねばならない───」
自身が駆け上がるべき道をようやくながらも見付ける事が出来た青年の帰宅後、その話を聞いたリーナは体が勝手に青年へと飛び付いており、対面や体裁など何一つ考え付かないままに青年を抱き締めながら声を出して泣き喚き、青年よりも遥かにそれを喜び祝福した。思えば生まれて始めて褒められた青年はその可能性の光に思わず目が
しかしある時、青年は無理なトレーニングにより足を痛めてしまった。
当初は「大丈夫だ、安静にしていればいずれ治る。後遺症が残らないようちゃんと療養しなくてはね」と思っていた青年だったが、医師にちゃんと診て貰った結果、その足の痛みは一過性のものではなく、仮に入念に治療を行ったとしても治るかどうかは定かでは無いと分かった。場合によって持病となり一生の付き合いになる可能性も低くないと、そう言われた青年はここに来て始めて心が折れる音を聞いてしまった。
もはや治る事は無い。どれだけやっても悪化を抑えるだけで治しようがないそれは、まさしく不治の病と何も変わらない。そんな事を宣告されてしまったのであれば心の一つも折れて当然である。
どこかで『どれだけ優秀でも失敗した経験の少ない奴は採用してはいけない。そいつは失敗から立ち上がる事に慣れておらず、失敗した時にどうすれば良いのか自分一人で判断出来ない。採用すべきは何度も何度も失敗した者だ。そいつは幾度と無く経験した失敗から、失敗した後の立ち上がり方を完璧に学んでいるからだ』だなんて言葉を聞いた事がある人も居るかもしれないが、もしもこの言葉が事実であるとすれば一度も挫折した事の無い青年は挫折した時にどう立ち上がれば良いかを全く知らないという事になる。その言葉が事実かどうかはさておくとして、少なくとも青年には当て嵌まってしまっていた。
青年は完全に心が折れてしまった。唯一見付けた希望の光が闇の奥へと消え去った。
これが「後一歩の所で」という事であれば、きっと青年は「ならあと一歩踏み出せばいいだけだ」と歩みを止めなかったはずだろうが、青年が見た希望の光は遥か遠くのもの。それに向かって歩き始めてすぐに一瞬で闇に飲まれてしまったのだから、それまで周囲に漂い続けていた絶望に飲まれるのもまさしく一瞬の出来事だった。
その絶望の深さは果てしないもので、青年は何かをするとかしない以前に、リーナから「パルヴェルトおぼっちゃま、そろそろお休みになられたら如何でしょうか」と言わなければ寝る事すら出来ず、また朝起きる時ですらリーナに手を引かれなければ寝たきりのままだった。何しろリーナから「パルヴェルトおぼっちゃま、お手洗いは宜しかったでしょうか」と聞かれなければトイレに行く事すら忘れるほどに何もかもがやる気になれなかったのだから、その絶望は常人には計り知れない。
「リーナ」
兆しを見せるだけだった崩壊の切っ掛けは、ついにその時訪れた。リーナが手作りのサンドウィッチを青年の部屋に届けた際、青年はベッドの端に座ったまま、かつての想い人の名を呼んだ。
「それはもう必要無い。もうボクにサンドウィッチは必要無い」
青年が何を言っているのか、リーナはすぐには理解が出来なかった。きっかり十秒時間を掛けて、ようやくリーナは青年の言葉を理解した。
リーナの役目は青年を支える事。食事の時間すら惜しんで学ぶ事に回そうとした青年からの要望は毎食サンドウィッチにして欲しいというものだったから、それがもう要らないという事は詰まる所、青年が学ぶ事を諦めたという事。そして何より、青年が自身に決別を告げたのだという事をリーナは理解してしまった。
「──────────」
リーナの手から何かが滑り落ちた。皿の割れる音がする。足元にガラス片とサンドウィッチが散乱する。ハムと薄めに切ったアボカドとレタスのサンドウィッチだった。つい昨日、自家製マスタードのレシピを見直した事で今までよりも更に美味しくなったと胸を張って自負出来る渾身の自信作だった。
どうすれば良いのか分からなかった。どうしてあげれば良いのか分からなかった。自分のお役目だからというのはもはや関係無い。リーナにとっては青年を支える事だけが生き甲斐だった。自分がこの屋敷に居る理由はただそれだけだった。
「………………っ」
けれどもリーナは諦めなかった。自分の想い人は、例えどんな苦境に際してもこれまでずっと諦めなかった。そんな青年が遂に諦めようとしているのであれば、間違っても自分まで一緒に諦めてしまう訳にはいかなかった。リーナが青年を想うようになった理由はその
どんな時でも諦めずに学び続ける青年から、いつしかリーナも諦めない心を学んでいた。
だがリーナにはどうすれば良いのか分からなかった。励ましの言葉なんて何の意味がない。ともすれば青年の心を余計に傷付けてしまう。外へ連れ出して野の草花や季節の風と薫りから癒やしの力を借りるという事も考えたが、青年を絶望に落とし込んだ理由が足の痛みである事を思い出して歯噛みした。
「─────おぼっちゃま」
しかしリーナは思い出した。初めて希望の光が見えたあの時あの瞬間。直向きさを揺らがせた幸せの香り、青年が隠し通した気でいたうら若き怒張の存在。それをリーナは思い出した。
「───んむ」
踏み出してしまえば後は簡単だった。
最後に男と体を求め合った経験など十年以上前だったから些かぎこちない動作にはなったが、なるべく体を密着させるようにしながら触れるだけの口付けを幾度も繰り返すと、やがて青年はリーナの唇にちょんちょんと舌を触れさせるようになってくる。その仕草には求めたい気持ちがあるものの本当に求めて良いのか分からない不安と期待が入り混じっていたが、リーナは何一つの躊躇いも無く唇を薄く開いてそれを受け入れた。
激しく絡めて求め合うようなキスでは無い。丹念に入念に、触れれば壊れてしまいそうなお互いの存在を確認し合うようにゆっくりと二人は口付けを続けた。
やがて二人の口角が零れた唾液でほんのりと輝き出す頃、リーナはようやく唇を離した。寂しがるように吐息を漏らす青年を微笑みで制して、リーナは青年の股間に手を伸ばした。ベッドの端に座る青年の足元に跪くようにしながらそこを見ると、それは今にも爆発しそうなほど苦しげだった。
「リーナがおぼっちゃまをお支え致します。…………私が、貴方を、死ぬまで、生きている限り────ずっと支えます」
うら若き………というには幾らか遅れてしまっているものの、十数年振りながらも本当に真心を込めたその行為に、青年の瞳は少しずつ輝きを取り戻していった。
───────
ガラスの割れる音が聞こえた。音の質的に、恐らく皿か壺が割れた音だろう。
音が聞こえた方向に目をやり小走りで歩き出したメイドだったが、別にそこへと向かう必要は余り無かった。誰ぞの間抜けた不手際で壺か皿でも割ったのであれば、その割った者が後始末をするだろうから自身が行った所でそいつと二人で慌てた振りをするだけなのは長年の勤務経験から既に分かっていた。
ただこの廊下には壺などは飾られておらず、廊下を進んだ先にも無能な末子の小さな部屋があるだけ。無能の部屋にも当然ながら陶器の鑑賞物などは飾られている訳がない。何しろ出来損ないの無能なのだから、そんな調度品を与える価値なんて皆無だったからだ。
だからこそ、メイドはそんな所で一体何を割るというのかが気になった。何かを感じ取ったとでも言うべきか、メイドはわざわざ足音を消してゆっくりと無能の部屋に近付いた。
「───────」
やがてメイドが辿り着いた無能の部屋、その室内で起こっている出来事に気が付いた際には流石に大なり小なり驚きはしたが、しかしメイドにとっては息を飲むほどの事では無かった。
この手の情事なんかは屋敷の主の部屋掃除に向かった時に何度もメイドと愉しんでいる主の姿で見慣れている。頻繁に見掛ける割に、その都度相手が全く異なっているのだから「逢瀬」と呼ぶのも
大体のケースであれば主に抱かれたメイドが短期間の内に再び抱かれる事はそうそう無いのだが、どうやら自分は嘘喘ぎが非常に上手いようで、生娘のように可愛く喘ぎながら、やがて主が昂ってくるのに合わせて獣のように野太く品の無い喘ぎ方に変えてやれば、馬鹿な主は更にご機嫌になってひたすら腰を叩き付けてくる。
血筋や権力、財力やカリスマ等の全てを持ち合わせている男だからといって、しかしセックスが上手いとは限らない事をこの屋敷に勤めるようになってからメイドは知った。ただク◯ト◯スを弄っていれば女は悦ぶと思い込み、良い感じに腰を打ち付けられていたかと思えば唐突に乳首を弄られ意識が逸れて、ただ前後にピストンしていればそれで良いのだという「このジジイは本当にメイドを食い漁ってるヤリチンなのか」と思う程のヘタクソな行為ばかりではあったが、それでもそこで気に入られれば慰安行為による特別手当が一発出す毎にがっぽり貰えるのだから、性交渉でのテクニックより嘘喘ぎのテクニックに対して勤勉になるのも仕方が無いというものだろう。
扉一枚隔てた先で行われている未成年の淫行とメイドの痴態を、メイドは床にへばり付くように頬を押し当てながら扉と床の隙間から全て盗み聞いていたが、余りにも長く続くその行為にやがてメイドは辟易してしまった。最初の方こそ殆どしなかった水音が今では耳を塞ぎたくなるほど品の無い音を鳴らすようになっていたが、良い加減床にへばり付いているのも疲れてきたし────その行為の中で語られていた会話も全て盗み聞いたメイドは、さっさと起き上がってその場を後にした。
───────
文字通り体を張ってまでボクを支えてくれたリーナと想いが通じ合った後、ボクとリーナは数え切れない程に求め合った。最初こそボクを慰める為に嫌々やっているのかと疑いもしたが、リーナの
「…………おぼっちゃま、一つ、意見具申しとうございます」
「気にしないで良いよ………ボク相手に、そんな気遣いは要らないさ」
静かに優しく丹念に、しかしそれでいて力強く情熱的に互いを求め合いながら、その
非番の日、屋敷の外に居る彼氏と求め合った時に妊娠したからと
僕の胸元に指を立てながら「幾らおぼっちゃまと言えども浮気だけは許しませんからね」とイタズラっぽい顔で微笑みながら言うリーナに、ボクは何も言わず口付けをした。幾らかキザで臭いかなとも思ったが、そんなボクの無言の解答すらリーナには全て伝わっていたようだった。
そうだ。諦めてはいけない。挫けていてはいけない。常人であれば既に投げ出しているだろうが、そういう時こそ「自分は既に常人の域を超えている」と気を強く持ってみせるんだ。
そうだ。たかだか希望が見えなくなった程度で折れるようなボクでは無いはずだ。これまでずっとそうしてきたんだ、今度は勉学でも運動でも武術でもなく、リーナと愛し合う事を試すんだ。
あの時見えたその光。純白に輝いたその光が、あの時は見えた側から掻き消えてしまった。
だが今は違う。今度は違う。
今のボクは既に希望の光をその手に握り締めている。もう二度離すものか。もう二度逃がすものか。もう二度負けてたまるものか。
そうだ。愛すべきリーナの為にも。ボクを愛してくれているリーナの為にも。これまで以上に。今までよりも、ずっとずっと、
「───ボクは強くあらねばならない───」
言葉というものは実に不思議だ。思うだけであればさして効力を持たないものだが、いざ口にしてみれば驚くほど体が熱くなる。一度決意し、願いを口にしてしまえば、びっくりするほど気持ちは一気に楽になる。
ああそうだ。何もかもが輝いて見える今なのだから、庭先にでも出て野の草花や季節の
そう考えたボクはいつもよりも早くベッドから起き上がり、久々の歩行に幾らか痛む足へ励ましの言葉を投げつつ部屋を出た。痛む足が怪我によるものなのか、それとも単にしっかり歩くのが久しいからなのかは定かではなかったが、こうまで気持ちが晴れてみればそんな痛みすらもがどこか愛おしいものに感じてくる。
………足の病と一生の付き合い? それならそれで構うものか。リーナ共々、お前の事も愛してみせようじゃないか。
ほんの少しだけ足を引き摺りつつ、廊下の窓から中庭を見ると、そこにはベージュ色の何かが置かれていて、その近くにはテーブルと思しきものがあった。テーブルのようなものの上には黒い壺のようなものが乗せてあった。ボクが休んでいる内に父上が新しくレイアウトした調度品なのかと思ったボクは、草花や大空の薫りに合わせてそれも鑑賞しようと足早に中庭に向かった。
「───────────────え?」
中庭に飾られていたそれを見た時、ボクはそれが何なのか分からなかった。やがて脳がそれを理解した頃、しかしボクはそれが現実のものだとは到底思えなくて、きっと夢でも見ているのだと思わず目を逸らす。するとテーブルの縁に貼られていた汚い紙に書かれている文字が目に入った。
『調度品の窃盗
及び 淫売行為による望まぬ妊娠
及び 家人に淫蕩行為を強いて
これらの罪を犯したこの者を、
当家の家訓
及び 雇用契約に則り
死罪に依る処分とする』
「──────ああああああぁぁぁぁぁぁァァァァァアアアアアアアア──────」
悲鳴では無かった。叫びでもなかった。声でも無かった。
それはただの音だろう。
声に似た、ただの音。
慟哭に似ているだけの、ただの音。
テーブルの上に置かれた顔は赤黒くべたりとした液体が飛び散って汚れていた。
既に蒼白くなったボクの初恋の整った小鼻からは酸化して黒くなった血が流れていて、淡い桜色だった愛しい唇は青みのある薄紫に変色し、力無く薄く開かれた口腔からは唾液が垂れていて、キラキラと輝いていた瞳は瞼を閉じる間もなく絶命したのか僅かに裏返って白目が見えていた。
掠れ切って声にすらなっていない慟哭を上げたボクは、それでもせめて彼女の瞳を閉ざして眠らせてあげようとそれを抱き締めようと手を伸ばしたのだが、しかしボクの手は愛し恋した想い人に触れる事は無く、ぐらりと視界が勝手に動いたかと思えば目の前が絶望色に染まっていった。
そうしてボクはそれきり目を覚まさないまま生涯を終えた。
───────
何の為に生まれて、何の為に生きるのか。
まだ年齢が一桁だった幼い頃のボクは、東の果てにあるという国で人気だった彼と彼の
自己犠牲の精神に手足が生えたかのようなヒーローに、ボクは強く憧れた。その身を削ってでも誰かを助け、民の為なら自らの命すら顧みず冷水を浴びる彼の事を、まだ世界の全てが希望で輝き溢れていた幼い頃のボクは、憧れと尊敬と羨望の眼差しで熱心に見詰めたものだった。
その界隈では「もしかしたらあいつは彼じゃなくて彼女かもしれない」だなんて言われる事もあるというが、だとして赤色の頬が小憎い丸顔の
結局自らの生まれた意味と生きる意味を見付ける事が出来たのだろうか。
もしもあの英雄と対面する事が出来たとして、もしもあの英雄に「ボクは見付けられなかったかもしれない」と語り掛けたとして、もしかしたらあの英雄は「諦めてはいけないよ」と優しくも力強い声色でボクを励ましてくれるかもしれない。
「………………」
ボクの目の前で眠るのは、今のボクの想い人。声高らかに「一目惚れした! ハニーと呼ばせていただこう!」だなんて言いながら自分の気持ちを一方的にぶつけてしまったのだから、馬鹿を見るかのような目をしたハニーに「お前なんざどうでもええねん」と吐き捨てられるのも当然というものだった。
正直な所を言ってしまえば誰だって良かった。こんなにも豊満な胸である必要は無いし、こんなにも蠱惑的な体型である必要もない。極論、通りすがる全ての人が二度見や三度見どころかガン見してしまうほどのトンデモおブスであっても何ら構わなかった。だって本当に誰だって良かったのだから。
「
愚者として呼び出されたボクに対して、少し困ったような微笑みを称えながらそう言った魔王さんだったが、今では困った顔ではなく申し訳無い気持ちが混ざった顔だったのだと確信している。
状況を理解したボクは魔王さんからの要望を一も二も無く了承した。完全に挫けてしまい、そのまま心が折れ、やがては全てを諦めてしまったボクに対して、何ということかもう一度夢を見させてくれるというのだ。国家の奴隷さながらな立ち位置になってくれというような内容だったとしても、もう一度だけチャンスが与えられる事と比べればむしろ安過ぎるというものだった。
だからこそボクは二度目の決意を口にした。
「───ボクは強くあらねばならない───」
思いを口にすると胸が熱くなるのは経験から既に知っていた事だったが、謁見の間でそれを口にした時の熱はかつてのそれとは全く別のものだった。
胸の奥の更に奥。もしかしたら魂が入っているのかもしれないほど深い位置にあるそこがじんわりと熱を持つと、ボクの前に居た魔王さんは「へえ」と口を開いた。
極端に強い感情。言うなれば決意の具象化。
「………………」
すやすやと安らかに寝息を立てるハニーの頭に手を伸ばしてそっと撫でると、その金色の髪は思ったよりも遥かに柔らかくふわふわとしていた。いつだか流行ったゆるふわパーマでも掛けているのかと思っていたが、聞けばただの天然パーマであり、加えてヘアアイロンや縮毛矯正なんかも効きにくい猫っ毛まで持っているらしいから、女の子は大変だなぁと他人事のように嘆息してしまう。
「…………………ボクはキミを守りたい」
ボクはチャンスを貰った。魔王さんからか、或いは神からか、もしかしたら
だからボクは誰でも良かった。どうせ一度死んだ身なのだから、迷惑上等で次会った女性に告白でもしようと決意した。そしてその人に今後降り掛かる様々な不幸や悲しみから、少しでもいいから守ってあげようと決めていた。そうして出会って一目惚れしたのがハニーだった。
しかし
生前に遭った不慮の事故により得たその類まれなる怪力はまさしく才能そのものであり、ハニーはそれを巧みに駆使して艱難辛苦を乗り越えている。もしかしなくともハニーにボクは要らないんじゃあないかと思いもするが、この世の全てが力で解決出来る訳では無い以上、ボクが役立つ場がもしかしたらまだあるのかもしれない。
「…………ボクは、まだ諦めない」
言霊という概念は、本当にあるのかもしれない。
───────
僕は大して強くない。生前から、死後まで。僕は大して強くないまま変わらない。
それもそのはず、人はそう簡単には変わらない生物なのだ。
異世界で新たな生涯を送るという題材のコンテンツは何百年も前から存在している。何なら不思議の国のアリスだってある種の異世界転生と言えるだろう。
しかし人はそんな事では変わらない。たかだか異世界に転生した如きで人は変わりやしないのだという事を、僕は僕自身の強さによって証明してしまった。数百年前からある題材も所詮は題材。夢物語の絵空事なのだと、身をもって知ってしまった。
だからこそ僕は自分の弱さを自覚している。弱くて、誰かに頼っていかなければ今日を生き延びる事すら出来ないほど弱い僕自身の事を、僕自身で自覚している。
それでも僕は強くなりたいと思っているし、僕と同じように弱い者の気持ちを知っているし、そいつの胸の中がいつも感謝と悔しさと歯痒さで、今にも溢れそうなほどいっぱいになっている事も知っている。
僕は弱者であるが、弱者であるからこそ、僕と同じような位置に立っているパルヴェルトの気持ちは良く分かるのだ。
とはいえパルヴェルト自身から何か言われた訳ではないし、同様にその過去も知らないのだから『痛いほど』とは到底言えないぐらいではある。
「特訓しよう」
けれど僕は知っている。パルヴェルトが愚者として呼び出されたという事を知っているし、パルヴェルトの自室にある本棚が武術書ばかりな事も知っているし、その本棚には頻繁に新しい本が追加される事も知っていれば、その本もやはり武術書だという事すら知っている。
ある日いきなりそう提案した僕に対して、パルヴェルトは馬鹿だから「心配要らないよ、ブラザーの手を煩わせる程では無いさ」だなんて言い捨てた。気持ちが焦ったのか若干食い気味だった。
開幕早々否定された事に対しての悔しさと、それが妙に照れ臭かったのもあった僕は「良いから、早く」と無理矢理押し通して転がっていた剣と盾を手に取ると、パルヴェルトは呆れた様子で目を閉じ、当て付けのようにわざわざ嘆息までしながら「仕方が無いな」と返してきた。
…………例えば誰かが落とし穴でも掘ったとする。それはどこかであった動物たちが住む森のゲームのように、誰かを落とす事のみを考えて掘られた純然たる悪意に満ちた落とし穴。
そんな悪意に貶められた人が目の前に居たとしたら、その人がどんな人であろうと僕は手を差し伸べるだろう。例えその人が「一人で上がれるから要らない」と拒否したとしても、僕は今みたいに「良いから、早く」と無理矢理その手を掴んで引っ張り上げるはずだ。その結果二人して穴に落ちてしまったとしても構わない。その時は「仕方無えな」とでも笑いながら、僕が膝を付いて足場になってあげればいい。そうして僕を踏み台に救われたその人の手を「あ、そういうの良いんで。遠慮します」とか言いつつ僕だけ自力で穴から這い出てやれば、その後には笑いの一つも生まれるだろう。
僕は大して強くない。生前から、死後まで。僕は大して強くないまま変わらない。
誰かが忙しさに今にも死にそうになりながら「猫の手も借りたい」なんて言えば、ドヤ顔で「僕に任せろ!」と言いながらラムネを説得して「いや猫の手もっていうのは比喩的表現で……」と忙しさに全てを支配されていたその誰かの心にちょっとした余裕を生ませてやるし、誰かが荒波に飲まれて「
激しい雨に力を増した汚濁の波に飲まれれば、数秒もする頃には肺に水が満ちて沈み、酸素不足による呼吸困難で脳が動かなくなり、その手はもはや藁にも縋る事すらしなくなる。やがて沈んで二度と浮かんでこなくなるかと思いきや、水を吸って全身をぶくぶくに膨らませた土左衛門として浮かび上がってくる。腐敗した内臓から発生したガスによって浮かんでくるそれは、男なら決まって俯いて、女なら決まって仰向けで浮かんでくる。
下らない勘違いをして欲しくないのは、僕は決して善意で藁になっている訳では無いという事。良く言われるような「困っているのを放っておけないから」という訳でも無いという事。そんな高尚なものでは無いし、そんな崇高なものでも無い。
僕はただ助けられたままというのが嫌なだけ。誰かを助ける事で、誰かに助けられた事を忘れようとしているだけ。それに対して感謝をされれば気分も良くなるし、場合によってはその時の借りを返すかのように、巡り巡って誰かが僕を助けてくれるかもしれない。そうだったら美味しいなという、ただの打算でしかないんだ。
まかり間違っても善人ではない。だからといって偽善でもない。ただの独善。僕は僕の為にのみ僕以外を助ける、ただの
「ブラザー、ボクは死んで良かったと思うよ」
そんな僕の心が分かっているからか、或いは馬鹿だから何一つ分かっていないかもしれないような、どちらと判別の付き難い顔をしながらパルヴェルトはそう呟いた。
何だか真理を突いてるかのようでありながら、だとしても死んで良い訳ねーだろと思ってしまうようなセリフが面白かった僕は、
「何言ってんだお前」
呆れたように笑ってしまった。
───────
ボクはは大して強くない。生前から、死後まで。ボクは大して強くないまま変わる事が出来なかった。
ボクは自分の弱さを自覚している。弱くて、誰かに頼っていかなければ今日を生き延びる事すら出来ないほど弱いボク自身を、ボク自身は自覚している。
だからこそボクは強くなりたいと思い続けているし、ボクを支えてくれた者の為にも強くあらねばならないと思い続けている。
あの
だからこそボクはブラザーの提案を断った。
今でずっと一人で頑張ってきた。途中からリーナが手伝ってくれたから忘れてしまっていたけれど、リーナに手伝ってもらうまではボク一人で頑張り続けてきたんだ。
途中からリーナは居なくなってしまったけれど、ボクに与えられた
だからボクはブラザーに対して拒否を示した。ブラザーだって愚者として呼び出されている以上、少なくともボクと同じぐらい酷い目に遭ったという訳で。であれば過去に何かあったはずなんだから、ボク如きに構っているよりブラザーには第二の生涯を使って少しでも悔いを減らして欲しかった。
「心配要らないよ。ブラザーの手を煩わせる程ではないさ」
だがブラザーはボクの言葉に食い気味で「良いから、早く」と返して剣と盾を構えていた。
どうしてかは分からないが、ブラザーがボクに手を差し伸べようとしてくれた事が妙に嬉しかった。こんなにも嬉しいのはあの時以来だったから思わず涙が出そうになったが、泣くのは何だか恥ずかしかったボクは呆れたフリをしながら目を閉じて嘆息して「仕方が無い」とブラザーの言葉に甘えてしまった。
だって本当に嬉しかったんだ。あの時ボクを助けてくれたリーナと同じような顔をしていたブラザーの気持ちが、どうしようもなく嬉しかったんだ。
何せ本当に寂しかったんだ。もしこのまま突き放され本当に一人になってしまったらと考えると、どうしようもなく寂しかったんだ。
だからこそ、ついつい想いが溢れてしまったんだ。
「ブラザー、ボクは死んで良かったと思うよ」
「何言ってんだお前」
そんなボクの言葉を聞いて、
「そういえば何でブラザーって呼んでるんだ?」
秘密特訓という程ではないコソ練さながらな鍛錬が始まってからしばらくすると、ブラザーはボクにそう問い掛けてきた。それに対して「あれ、言ってなかったかい?」と答えれば、ブラザーは仏頂面をしながら「言われた事なんて一度も無い」と返してきた。
自らの意思でボクとの相互鍛錬を申し出たブラザーはお世辞にも強いとは言えなかったのだが、そんなへなちょこボーイが相手であっても
仮に技術面では何一つ進歩していなかったとして、それでも体力面では目覚ましい進歩をしているのだから、やっぱりボクはブラザーの手を取って良かったと強く思う。
………ふ、と思い返せば、ボクは今まで努力を続け続けてきたが特定の誰かと共にシーソーゲームよろしく切磋琢磨するというのは生まれて初めてだった。学び舎では切磋琢磨なんて程遠いぐらい周りと差が開いていたし、リーナだって死の前日までボクを支えてくれたが、共に学び共に成長というバトル漫画のライバル的なポジションでは無かった。
あの頃のボクは何も気にしていなかったし、ボクを支え続けていてくれたかつての想い人の想いにもただただ感謝しかないのだが、もしかしたらボク誰かと共に頑張っていれば愚者として呼び出される事も無かったのかもしれないと考えると、幾ばくかの後悔も浮かんでしまう。とはいえそうであれば
そんなブラザーと初めて出会った時、ボクの目に映ったブラザーはとても弱々しく見えた。愚者が記憶しているのは死の瞬間までであるから、呼び出された愚者はどいつもこいつも酷い面構えをしていてこっちまでネガティブになると魔王さんは言っていたが、その中でもブラザーだけは一際目立って酷い面をしていたのは誰の目にも明らかだった。目の下の隈はエグい事になっているし、髪はボサボサだし、まるでこの世のありとあらゆる不幸を一身に受けてしまったかの如く酷い面をしていたのだから、ボクは思わず声を掛けてしまった。
喋って見れば思ったより元気そうな感じがしたが、同時に弱々しく見えたという気持ちは確信に変わった。運動面は知らないが、少なくともブラザーはボクよりよっぽど心が弱い。生前のボクの周りに居た者達は
だからこそ僕は彼を
─────いや、それは傲慢な表現かもしれない。ボクはただ、ボクに優しくなかったボクの
でもきっと彼は何も言わない。例えボクがこの気持ちを全部吐露したとしても、彼は大した事も言わず、ラムネくんを撫でながら「ふーん」と返すぐらいしかしないだろう。
彼がボクにそういった興味を持っていないのは分かっている。彼がボクに手を差し伸べるのは、十中八九彼自身の為。彼は善人でもなければ偽善者でもない
だがそれを面と向かって口にするのは当然気恥ずかしかったし、何よりボクが彼をブラザーと呼ぶのには、生前にあったそれより強い感情………それよりも大きな理由がある。
だからボクはそちらをブラザーへの回答とした。そっちの方がよっぽど大事な理由だし、よっぽど彼に聞いて欲しかった理由だし、何よりそっちの方がブラザーは納得出来るはずだろう。
「……………ニホン人の名前って呼びにくいんだよね」
最たる理由を口にすれば、やはりというかブラザーは「あぁ……」と呆れたような顔ですぐに納得した。
日本人の、とは言ったが正直日本人に限らず漢字圏の言葉はどれもこれも言い辛くて嫌になる。外国語というのは学べば学ぶほど「現地人の発言と違う発言になりがちで何か嫌になる」ものだが、日本人なんかは特にそうなる傾向が強いらしいじゃあないか。
実際、英語を学んだ日本人というのはいつまで経っても母音を強調した喋り方のままである事が多い。生まれ育った国がそういうものだからアクセントやイントネーションが母国語に引っ張られてしまうのは仕方が無いというものだったが、それはボクに対しても同じ事が言える。
魔王さん曰く、愚者や勇者は呼び出される際には「ご都合主義な不思議パゥワァーが適応されるのよ」との事で、ボクらはハナから相互に言語を共有出来るようになっているのだという。当然ながらこの世界の言語も本来であればボクらの世界には無いものなのだが、召喚呪文を作った魔法使いがそれを鑑みた際に配慮したものだというから、便利なものをありがとうとしか言いようがない。
しかし些か配慮が足らなかったとも言わざるを得ない。何せ固有名詞を口にする際、少し気を抜くと
その中でも特に日本語は言い辛い事この上無い。なんだいあれは。『じ』と『ぢ』で違うとか意味不明過ぎるだろう。一体なんなんだいあれは、発音だってどっちも同じじゃあないか。いやだがそれはまだ良い。どっちにしても意味は通じるから許して差し上げよう。
だが『うん』と『ううん』は許さないよ。本当に許さない。ああ絶対に許すものか。聞き取れないよあんなの。だというのに意味は『YES』と『NO』だろう? まさしく対極の位置にある言葉なのに殆ど同じ発音と文字っていうのは言語としておかしいだろう。生前言語学の分野に挑んだ際「日本語は言語として洗練されている」だなんて事が教本に書かれていたけれど、ボクは全くそんな事無いと思ってやまないよ。
それに加えて漢字だ。画数が多いのはどうでも良い。アルファベットと比べれば発狂しそうなほど複雑ではあるが、ギネスに載るほど難しい言語として名高いアラビア語と比べればラムネくんの
だが同じ発音なのに漢字毎にイントネーションが全く異なるというのが理解不能過ぎる。
『
馬鹿かい? さては馬鹿なのかい? 何でどれもほんのり「は」の発音が違うんだい? もしかして馬鹿なんだね? 安心してくれ、ボクも馬鹿だよ。
…………いや違うな、これはまだギリギリ許せる。イントネーションだのアクセントだのは確かに全て異なるが、その違いは微々たるもので間違ってしまっても余裕で許されるからボクも許そう。
許さないよ。これは絶対に許さないよ。同じ平仮名を使い、同じ発音であるというのに、その前後の文字によって発音がまるで異なるのは本当に許さないよ。生前から許せなかったが、死後である今も許していないよ。まさしく死んでも許さないというやつだよ。
何が一番許せないって、これの発音を間違えて変な発音になってしまう事を日本人自体が認めていない事だね。これらのイントネーションやアクセントを間違えると日本人は絶対にカタコトだと言ってくるんだ。仮に口にせずとも必ずそう思うんだ。つまりこれらのミスに関しては、日本人自体も認めていないという事に他ならない。だからボクも許さないよ。
「いきなり意味不明な事をまくし立てるな。せめてもう少し要領良くしっかりまとめてから話せ。つーかお前らだってもHの横のGを発音しないだろうが、黙字って何だよアホが文字として書いてるなら発音しろよ。
ボクが日本語の意味不明さに文句を言っていると、ブラザーはそう言い返してきた。
「
「いやそれをボクに言われてもね。ボクの知った事じゃあないよ。ボクを困らせるのはやめてもらえないかい?」
「お前マジぶん殴るぞ」
どうやら言語の壁は厚いようだった。
───────
僕とパルヴェルトが相互鍛錬を狙って共に切磋琢磨を始めてからしばらくした頃の事。当初はメキメキと音を立てるように結果を残していたその成長も次第に収まりを見せ始め、いつからか全くといって良い程に成長は実感出来なくなってしまっていった。
要するにスランプといった所か。僕は何も気にせず、むしろスランプを味わえる程に成長したのかと思えばこれも楽しいものだったのだが、パルヴェルトは全く違うようでかなり気にして落ち込んでいた。
そんなパルヴェルトを尻目にいつぞやの光の如く当初は筋肉痛に苦しみ抜いた僕だったが、まあそれはそれはもうとにかく酷いものだった。その有様たるや医務室でペール博士と湯気子の二人に「食事や着替え、風呂所か用足しすら手伝われる」とかいう前代未聞な経験をする程だった。腕とか足ではなく特に尻が痛くて立ち上がる事はおろか足を上げる事すら出来なかった程だったのだから、ある程度までなら自立行動が出来る要介護老人というよりもちょっと喋れるだけの植物人間を介護しているようなものだった。何ならデブり過ぎて家から出るどころか布団から起き上がる事すら出来なくなったジャンクフード大国の住人のような有様と言っても差し支えなかったろう。
ペール博士に生着替えを手伝われてドギマギしたのなんかほんの数分の事、ペール博士が持つ尿瓶に
排尿一つ取ってもそのザマなのだから、排便に至っては絶望の域に達していた。最初の一回目はトイレまでえっほえっほと運んで貰っていたのだが、労力とかを鑑みた結果一回目の排便を終えた時点でオムツライフの幕開けとなった。まだまだそんな歳でも無ければ過去に経験がある訳でもなかった僕は自らがオムツを履く事に一抹の抵抗を覚えたものの、もう既に排便後の自分の尻穴を研究服に身を包んだお姉さんにフキフキされるとかいう度し難い経験を済ませているのだから完全に脳は麻痺していた。因みにその都度謎の興奮に襲われて「………呼んだ?」と発射体制に入る僕の
そしていざオムツになったものの、幾ら麻痺した脳であってもトイレ以外での排泄、それも大便に関してであればめちゃくちゃ抵抗感が湧き出してしまうもので、僕は便秘でも無いのに初回から二日間ほど排便を我慢してしまった。
………ルーナティア国に所属しているペール博士ことペール・ローニーは求道者であり研究者であり科学者であるが、それと同時に医務室の管理人でもあるのだから、ペール博士は僕が便意を我慢している事を医学に通ずる者特有の謎の勘により即座に察した。真っ白なマスクと透明なゴーグルを顔に着けたペール博士はラテックスみたいな質感の手袋を両手にはめ、それに塗られた透明な液体を右手にまぶしながら二日も経つのに未だ仰向けで動けない僕の元へと無言で歩み寄ってくる。
それに対して何だろうと思ったのも束の間の事で、いきなり僕のズボンをパンツごと膝まで脱がしてきたペール博士は、そのまま左手で僕の両足を固定したかと思えば何の通達すら無く指をぶち込んできた。肛門にぶち込まれた指が一切皮膚と擦れなかった事から手袋に塗っていたのはローションだったのかと理解した僕が「アァォッ!」と叫べば、晴れて出口は入口になる訳だ。
僕の脳内にあった電光掲示板の表記がどこかで聞いたようなグポーンという起動音を鳴らしつつ『入口』から『出口』へと変わるのはまさしくあっという間も無かったのだが、絶対不可侵領域に可侵してきた指は容赦無く根本までねじ込まれ、円を描くように情けの一つすらなく縦横無尽に動き回る。
あっという間は無いものの動き一つある度に毎回「あっ……あっ……」とか言っていた僕だったが、完全にほぐされた上にその指がピースサインをするように左右に開かれてしまえば遂には言葉も無くなった。
便というものは食べ物の残滓だと思われがちだが、その実割合は過半数が死んだ細胞の残りカスであり
しっかりと丹念に、しかし擦れて赤くならない程度の絶妙な力加減で尻を拭かれながら有り得ないぐらい興奮した事は永劫誰も内緒にしておくつもりだ。
しかし同時に有り得ないぐらい
両足を持ち上げられて尻を拭かれる事にも抵抗が無くなったが、しかしどうしてか毎回「………呼んだ?」と顔を出してくる
どこぞのクラシックの曲名にあってもおかしくないまさしく天国と地獄を味わいながらも、ようやく自力で歩き回れる程まで回復した僕が医務室から逃げるようにして庭先へ向かえば、そこには濁った表情で
「……………やはり、ボクは……………ボクは───────」
余程スランプが深いのか、或いは別で理由があるからなのか。僕と違って地獄のように長引いた筋肉痛に苦しまなかったパルヴェルト・パーヴァンシーは、僕が近付いてきた事にすら気付けぬほど深く沈んでいた。
「パルヴェルト」
「………っ!?」
呼ばれたパルヴェルトがビクッと飛び跳ねながら僕を見る。「………な、何だ、ブラザーか」と溜息を付くように返事を返したパルヴェルトだったが、すぐに暗い顔へと戻ってしまった。
「…………いやなに。済まないね。なかなかどうして上手くいかなくてね。ははは」
困ったように笑うパルヴェルトだったが、上手く笑えておらず若干引き攣ったような笑みで………一目見ただけで十二分に苦しさが伝わってきた。
「どうする?」
僕がそう聞くと、パルヴェルトは何も理解していない様子で「え……?」と僕を見詰めてくる。
「諦めるか? 全部。何もかも。諦めるか?」
パルヴェルトは苦悶した。ぐっと歯を食い縛りながら俯いて苦悩した。その反応だけで全て理解した。パルヴェルト・パーヴァンシーは既に心が折れ掛かっている。僕がマニアックな特殊プレイに興じている間に、どうやったって上手くいかない自分に、全てを投げ出す寸前まで来てしまっていた。
………日本人なんかは特にそうだが、基本的に大衆は逃げる事を
だって知らないから。文字通り血反吐を吐きながら努力を続けていたとしても、人の苦労というのはわざわざ見に行くか見せに行くかしない限りは見えないのが普通なのだ。道端に落ちているゴミを拾って捨てたとしても、それは誰にも見えやしない。だからこそ何も知らない部外者は、何も知らぬまま、逃げる事を罪だと誹謗しながら、逃げ出した人を踏み付ける。何も知らないからこそ好き勝手言えているだけであり、
それと理屈は同じ。決してそんな事は無いのに。役所は電話番号を公開しているが故、常日頃から苦情や質問だけでなく悪質な嫌がらせの電話すら絶えない中で、それでも電話番の人は耳から膿を流しながら受話器に耳をあてがう。公務である故、一字たりとも誤字脱字が許されない書類を退職するまで永遠に作り続け、窓口で市民に対応すればキ◯ガイみたい奴と鉢合わせする事も少なくない。
コンビニバイトとて同じく楽とは程遠い。さも全人類がタバコの銘柄を把握しているとでも思っているかのように頑なに番号で呼ばない老害や、会計が済んでからポイントカードを提示した客が
だがそれを知らない人は「お前がお前の意思で選んだ仕事だろ」と吐き捨て、何としてでもそれを踏み付けたがる。
逃げるのか、逃げ続けるのか、誰かが助けてくれるのを待つのかと、こっちの気持ちを何も理解せず、理解しようという姿勢すら見せずに罵りたがる。
「──────そう、だね………やっぱり……やっ………何をしても、う、上手くいかないし、もう───」
「パルヴェルト」
だから僕はパルヴェルトを非難しなかった。
「そもそも上手くやる必要なんてどこにもないんだぞ」
「え」
「上手くやる必要なんてどこにもない。成功させる必要なんてどこにもない。頑張る必要なんてどこにもない。努力する必要なんてどこにもない───」
「まっ、待ってくれブラザーっ! それっ、それは─────っ」
「───しくじらなければ、それで良いだろ」
「───────」
何も理解出来ていない呆けた顔から、まるで自身の過去を否定されたような絶望の表情に変わり、最終的にそれは驚嘆するようなものへと変わった。
「良いかパルヴェルト」
だから僕は言った。
「頑張る必要なんて無いんだ。頑張らなくていい。だって失敗しなければ落ちる事は無いんだ。失敗しなければ、落ちなければ、しくじらなければ。それで良いと僕は思うよ」
「───────」
膝から崩れ落ちた。その衝撃で目元に溜まっていた雫が頬を通って流れ落ちていく。
「上手くやろうとした結果上手くいかなかったなら、次は上手くやろうとせずに挑めば良いだけじゃないか?」
パルヴェルトを否定する気は毛頭無い。努力家の努力を踏み付ける気なんて露ほども無い。僕は
何もかもを懸命にやる必要なんてないのだ。
「────────ブラザァッ!
「うおっ!? いやおま………よりにもよってそこにっ、退けお前馬鹿っ!」
と、言い終えた僕にパルヴェルトが抱き着いてきた。膝を付いたまま、僕の股間に顔面を押し付けて泣き付いてきた。野郎が自分の股間に顔を押し付けてくるというシチュエーションに幾らかの抵抗感を覚えた僕がそれを右足で押しやると、パルヴェルトは抵抗せずそのまま力無く後ろに倒れていく。歯を食いしばって泣き続けるパルヴェルトは、左腕で目元を隠しながら、しかしそんな事何の意味も無い程に呻きながら泣いていた。
「………ブラザー」
嗚咽も止まない状態で、未だ目元を隠したままのパルヴェルトが呼んできた。それに「なんだ」と返事をすると、パルヴェルトはより力強くしゃくりあげながら、それでも必死に言葉を紡いだ。
「ぼ、ボクは……っ。………………ボクはねっ」
「うん」
「死んで、良かった………っ!」
「そんな事無いだろ」
「だって……っ! しっ、死んでなっ、なかったらっ! ───キミと、出逢えていなかった───」
「そうだな」
「───────ありがとう」
「どういたしまして」
「うんっ………うんっ」
───────
青年は嬉しかった。思わず泣きだしてしまうほど嬉しかった。
何故だかは全く分からないのに、嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
別に認められた訳ではない。別に褒められた訳でもない。まして自らの事を思った言葉など何も無かったのに。だというのに、どうした事かただひたすらに嬉しかった。
やがて泣きやんだ青年は、幾らか遅れながらも彼の問いに「諦めないよ」と答えると、彼は「そうか」とだけ答えてくれた。
青年の慟哭の
「済まない、ブラザー」
青年が謝ると、彼は気怠げに「あ?」と反応した。怒っているのかと勘違いしそうな言葉だったが、彼は何も怒っておらず、ただ口を開いて声を出しただけだった。
「いやなに。先に謝っておこうと思ってね」
「何がだ?」
「多分かなり長引くよ、結果が出るまで」
「おん?」
「どうやったとしても、とても長い間、ブラザーの手を煩わせてしまうと思う」
他のどの分野ですらスランプを経験する前に上手くいかなくなって諦めてしまっていたのだから、青年はスランプの脱し方なんて当然の如く知りもしなかった。ただ唯一成功の兆しが見えたレイピアの道も、輝きに近付く間もなく断念するしかなくなった。
成功させる気はもう無かった。上手くやるつもりも無くなっていた。自分には上手く成功させる事なんて出来ないという事はもう既に知っていた。だから彼に言われたように、しくじっていなければそれで良いと思えていた。
けれどしくじったかどうかは結果が出るまで分からない。その結果だっていつになれば出るかは誰にも分からない。それまでずっと自らの鍛錬に付き合わせてしまう事になるのが青年にとっては嫌だった。
世界の時間は無限でも、人の時間は有限である。限りある彼の時間を自らの我儘一つで全て奪い去ってしまうかのようで、それが青年にはどうしようもなく嫌だった。
けれど少年はここまで付き合ってくれた。ここまで見捨てずにいてくれた。これからも見捨てずに居てくれると言ってくれたのだから、こんなに嬉しい事なんてありはしない。
ここに来て尚、それでも自らの心の中で自身を支え続けてくれている故人の為にも、青年にはもう諦めるだなんて選択肢は無くなった。彼の手を借りて鍛錬を続ける気しかなかった。
だから青年は先に謝罪しておいたのだが、それすら彼は気にも留めていなかった。
「気にしてないから気にしなくていい」
言葉で遊びながら返す彼に、青年は胸が熱くなると共に強い決意を抱いた。
いつか見せ付けてやる。みんなに。諦めない限り、生きている限り、どんな努力も決して無駄にはならないんだと、ボクが証明してやる。
青年は彼に返事をした。その返事はいつもの青年がするようなものではなく、大した事を思っておらず、ともすれば無感情にすら聞こえてしまうような口調で相槌を打つかのように、しかし抑え切れない嬉しさに満面の笑みを称えながら返事をした。
「そうか」
青年が憧れている
───────
小咄【ドキ☆ドキ 男女比率の偏った、輝く汗が迸るトレーニング回! 〜ポロリもあるよ〜】
ダンベルというものがある。筋トレに興味が無い僕みたいな
昔ながらのダンベルは両端の重しと芯棒が一体化しており、その重しは大体丸い形をしていた。重しはある時期からドーナツかバウムクーヘンのような金属の輪切りへと変わり、ネジ式で付け外しする事により重量を変えられるよう進化していった。更に経つ頃には円形だった重しが六角形か五角形のナットのような形状になり、非使用時に転がらないよう工夫がされるようにもなった。因みに僕は「ボルトとナットが頻繁にごっちゃになる。あでもワッシャは分かるよ」という部類の人間だ。
「ぬぅぅぅぅぐぅぁああああ………っ!」
「ぐっ……くぅっ………ふぅぅぅっぐぅっ……」
僕とパルヴェルトが呻く度、二つのダンベルがゆらゆらと揺れる。今回のトレーニングで僕らが使用しているのは昨今流行りのナットのような重しが付いたダンベルだった。
そのダンベルが、僕の場合はトランクスから。パルヴェルトの場合はボクサーパンツからぶら下がってゆらゆらと揺れていた。
最初は芯棒のど真ん中に紐を結んでいたのだが「なんか揺れて角度が変わると重さも変わる気がする」という理由から、今回はナットのような形をした重しと重しの間を通って三角形に紐が伸びており、さながら掛け軸やタペストリーの掛け紐のような感じで、二つのダンベルが一つずつ僕らのちんちんからぶら下がっていた。
そう、僕とパルヴェルトは今、トレーニングのネタが無くなり過酷な過酷なチントレに手を出した訳だ。
まあ実際出しているのは手では無くちんちんなんだけど、まあそれはいっか。
「あっあのっ、あのっ! おふっおお二人のおっお大事がもうド紫になっておりますっ! このまま続けていてはコルクボードに押し込まれた画鋲みたいにその内ポロリと落ちてしまいますわっ!」
拷問を受けながらもそれに耐え続けるスパイのような表情をしながらちんちんトレーニング略してチントレを行う僕らに向かって、トリカトリがその大きな四本指の両手をわたわたと振り回しながら悲鳴のような声を投げ掛けた。
ただ通りすがっただけの僕とパルヴェルトから「あ、トリカ。ダンベルって無い?」「それと紐も貰えないかい? 長めのを二本ほどね」と何の脈絡も無く頼まれたトリカトリは「はあ、それでしたら」と倉庫に行って所望の品を取ってきてくれて、そのまま流れで僕らの鍛錬に付き合ってくれている。
といっても応援だけで、僕らがどれだけ「トリカも鍛錬しようよ。ク◯ト◯ストレーニング、略してク◯トレ」「ふと思うんだけど最近ブラザー何の遠慮も無くなってきたよね」というような事を言っても「お豆のポロロッカは嫌なのでご遠慮致しますわ。
「まぁ……ぁぁ……まだだぁ……まだ終わらんよぉ……っ!」
「つっ、強くあらねばぁ……っ! ボクはぁっ、ボクは強くあらねばならなぁぁぁい……っ!」
「ダメですっ! もうこれ以上はダメですっ! 限界ですっ!」
「「うおおおおおおおちんぽぉぉぉおおおおおっ!」」
平成最後のセル画ガ◯ダムの主人公とライバルのような顔をする僕らに対してもはや泣き声のような懇願をするトリカトリだったが、みんなの思いとは裏腹に星の屑は成就してしまったのだった。
「──────あぁおっ」
パルヴェルトの股間からぶら下がっていたダンベルが悲鳴と共にごずむと落ちた。
一瞬の出来事だったそれに対して当のパルヴェルトを含む僕ら三人はマジで何が起こったか分からなかったが、落下したダンベルに結ばれた紐にド紫になったハムスターのそれのようなものが落ちているのを目にして、やがて三人は何が起きたのかを理解した。
「お、お、落ちちゃったんだな……」
「何でちょっと大将入ってるんですかパルヴェルト様っ! ……って別に上着脱ぎ始めなくていいですからっ! タンクトップになる必要はありませんからっ! 別に裸の大将っぽさにリアリティ求めてませんっ! そんな場合では無いでしょうっ!」
真横でそんな惨劇が繰り広げられるのを目の当たりにしてしまえば、さすがの僕とて些かビビる───ような事はなく、むしろぽろりんちょしたパルヴェルトのちんちんを見やりながら「ゆ、揺らしたらダメなんだな。び、微動だにしないで耐え続けるのがコツなんだな」とスベったネタを被せつつ考察していた。
「つーかパルヴェルト、それ元に戻るのか?」
「うーん、どうなんだろうね。痛みは無いんだけれど」
「マジかよ。戻らなかったら今日からパル子って呼んでやるよ」
「えぇーそれは何だか嫌だよブラザー。……接着剤とかでくっつくかなこれ」
そう言うパルヴェルトは所在無さげに転がる自らのちんちんを紐から解き放って股間にあてがう。しかしそれは一秒たりともその状態を維持出来ず、即座にぼとりと落下した。
「あー接着剤はやめとけ。個人的にプラモを接着剤で固定するのはオススメしない。慣れてないなら特にな。しくじった時に死ぬぞ」
「経験者が語ってる感じがひしひしと伝わってくるけど確かにそれはあるね。チントレし過ぎて股間が取れた今がまさにそのしくじった時のような気はしないでもないけど」
「そしたら魔王さんの所行って改名届け出してこいよ。今日からお前はパルヴェリーナになるんだ」
「わーお本気かいブラザー。もしそうなったとして、それでもブラザーはボクを愛してくれるかい? ………ぼ、ボクはブラザーなら……い、良いよ」
「ペッ」(唾を吐く)
「酷いやブラザーっ! ボクとは遊びだったとでも言うのかいブラザーっ! ボクが孕んだ瞬間捨てるっていうのかいっ! それでも認知はしてくれると信じていたのにっ! 酷いやブラザーっ!」
「パルヴェリーナ様いけませんっ! タクト様をそんなに揺らし────あっあっあっ! だっダメですダメですパルヴェリーナ様っ! そんな揺らしてしまってはっ!」
「待ってくれトリカ嬢! ボクはまだ
「──────あぁおっ」
ガクガクと揺らされた僕か悲鳴を上げると股下からごずむと音が鳴る。「「あ」」という二人の声が聞こえるのと同時、僕は心身共に体が軽くなったような感覚を覚えた。
「あーあーあーあーほらもう言わんこっちゃありませんっ! どうするんですかお二人ともっ! ちんちんポロリですよっ! どうするんですかこれぇっ! もぉーっ!」
「と、と、取れちゃったんだな……」
「どっかの大将はもう良いですこのバカっ! マジでどうするんですかこれぇっ!」
「なーにトリカ嬢、心配は要らないさ」
「え? え、あ、……そ、そうですよね! ジョークですよね! ギャグ時空ですよね!」
「今日からボクらはレズビアンだ。冷やし中華、始めました。改めてよろしく頼むよ」
「どうよろしくすれば良いのか全くわかりませんっ!」
「僕ら貝ねーけど貝合わせ出来んのかな。性的に相性が悪いとすぐ破局するっつーし、諦めて二人で玉袋広げながら「モモンガ」って叫びつつ大空を滑空しようぜ。怪盗キャ◯ツ◯イ的な感じで『怪盗ツインモモンガ』になるんだ」
「高所から玉袋抓んで広げながらガラスガシャーンしてお宝盗みに参上するのかい? ワァーオ、ガラスの破片で玉袋破れちゃったら一体どうするっていうんだい」
「破れた玉袋からもろんと出てきた金玉を手に取りつつ「本当の宝物は、ずっと僕らの中にあったんだな……」とか言って怪盗引退しよう。……おぉ、超カッコ良いなそれ」
「ブラザーのセンスに関しては敢えて何も言わない事にするけど、結局互いの肉体関係に関して何も解決していないよブラザー。……そうだね、ここは玉袋中央の縦皺を貝に見立てればワンチャンあるんじゃないかな。兜合わせ的な感じでさ、イナリ合わせと名付けて二人で気持ち良くなろう」
「稲荷合わせって言われても何かスッと伝わんないな。ここは直球で玉袋ハグと呼ぶのはのはどうだろう」
「玉袋……ハグ……っ! ………いいね、いいじゃないかブラザー、センスあるよ。どことなく幸せそうな感じが特に良いね、多分ハグって付いてるからってだけだろうけど。うん、採用。週明けから出社してくれたまえ」
「待ってくださいましお二人共! そもそも貝を合わせた所で気持ち良くなる為の大事なお豆に相当する部位がありませんよ! 玉袋でハグした所で殆ど気持ち良くはなれないでしょう!」
「「………………っ!」」(息を呑む)
「なんでそこで「ハァッ確かにィ!」みたいな顔するんですか! 驚くべきはそこじゃないでしょう! もぉぉおおおこの人達やだぁぁぁあああっ!」
「だだだ大丈夫だよブラザー! ボクらにはまだビーチクが二つも残っているんだ! 流石にノーミスクリアは出来なかったけれど、それでも残機が二つもあればノーコンクリアぐらいは余裕だよ!」
「そそそそうだなパルヴェリーナ! 男の乳首は気持ち良くなる為だけに存在しているようなものだからな! 他に何の意味もないそのビーチクビーに僕らはあやかるだけだな!」
「応ともブラザー! あとボクはまだパルヴェルトのつもりだよ! パルヴェリーナには一足早いよ!」
「あ待てそう考えると僕の名前どうなるんだろ…………タクコになるのか? えーなんかヤダなぁそれ、語感悪いしタコみたい」
「良いからさっさとペール博士ん所に行ってらっしゃい! 早く! お二人とも! 駆け足!」
「「いっイエェスマァム!」」
耐え兼ねたトリカトリにそう言われた僕らはポロリしてしまった股間を手に取り、喪失感の激しい股間に果てしない違和感を感じながらもガニ股でヒョコヒョコと走っていった。
因みにペール博士は相変わらず濁った瞳で特に何も言わなかったが、隣をふわふわ舞っていた湯気子は「うわぁマジかよこいつら」みたいな顔をしておりちょっと傷付いた。ペール博士も無表情のまま「取り敢えず
余談だがくっ付いたちんちんは三日ほど微動だにしなかった。リハビリと称してペール博士にイジり倒して貰ったもののピクリともしなかった時は流石に焦ったものだった。
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