1-2話【模擬戦とお風呂】



 周りから「頭パッパラパルヴェルト」だなんて揶揄されながらも、しかし実際かなり短絡的で頭パッパラパーも良い所なパルヴェルト・パーヴァンシーが、それでも光やジズと肩を並べる程の戦闘狂として魔軍の中で名を馳せるに至っているのはただひとえ法度ルールの強さに寄ってしまうからだと言わざるを得ない。

 異世界転生と聞いて僕が真っ先に浮かべた『チート能力』に相当し、ある意味では文字通り選ばれし者にしか得られない力である法度ルールの発現条件は『極めて強い感情を持っている事』だとペール博士は言っていた。

 しかしその『極めて強い』の基準は未だ定かでは無く、例えばジズベット・フラムベル・クランベリーは自身の体型に対して極めて強いコンプレックスを抱いているが故に『自分の身体の部位を任意の形に変えられる』という性質の法度ルールを得たが、同じく自身の体型に強いコンプレックスを持っている橘光は、僕と同じようにこの世界から法度ルールを授かるような事は無かったのだから全く以て世界は不思議である。

 また、各々が得られる法度ルール自体に関しても『必ずしも自身の立ち居振る舞いに向いているものであるとは限らない』という面倒な性質を持っている事は、法度ルールの何たるかを語る上では特筆すべき特徴として挙げておかねばならないだろう。実際トリカトリ・アラムが得ている法度ルールは『一定範囲内に於ける他者の発言を許さない』という、力で解決したがるトリカトリらしからぬ戦闘に全く向かない性能である。どこぞの奇妙な世界にあったような『自らの意思とは何一つ関係無く不吉を告げる岩が勝手に転がる能力』と同じぐらい「どうやって使うんそれ」と言いたくなるような法度ルールも存在するのだから、そう考えるとトリカトリの法度ルールは自らの意思で発現出来るだけまだマシな部類なのかもしれない。

 この世界に生きる事で得られる可能性のある法度ルールについて現時点で分かっている事は、


『強い感情を抱いていると発現する事がある』

『ネガティブな感情には特に引っ張られやすい』

『自分に強制的に適応させるタイプと、小さな範囲に対して強制的にそれを適応させるタイプとの二種類がある』

『その内容、性質は自身では決められない』

人妖じんよう亡霊神や仏を問わず、猫ですら発現し得る可能性がある』


 という事だろうか。こうして数えてみると意外と分かっている事も多いのだが、しかし逆に言うならこれ以外のほぼ全てが分からない事だらけであり、特に『時として物理法則すら歪める事もある』という事実に関しては、探求者を自負するペール・ローニーにとっては過労で濁り切った瞳がキラキラと輝きを放つ程に気になる点だという。

 パルヴェルト・パーヴァンシーもそんな『あんましチート感の無いチート能力』である法度ルールを得られた生物の一枠であるのだが、パルヴェルトのそれはむしろ僕のように『実力主義の世界に転生してしまった実力の無い奴』こそ欲しくなる性能であり、完全に戦闘以外に使い道の無い法度ルールだったのだからパッパラながらも光やジズの後ろを何とか走り続けられている。

「───僕は強くあらねばならない───」

 パルヴェルトがそう呟くと、それまで纏っていた雰囲気とはガラリと変わり、幾度もの死線をくぐり抜けてきた猛者の如く圧倒的な強者感を漂わせ始めた。それを見た橘光は嫌悪感を隠しもせず、吐き捨てるように大きく舌打ちをした。

 パルヴェルト・パーヴァンシーが得た法度ルールは条件を満たした際、自身に対して強制的にそれを適応させる自己型の法度ルールであり、その内容は『範囲内に居る最も強い相手より一枚上手になる・・・・・・・』とかいう、まさしく戦闘特化の法度ルールであり「あーマジでそれ僕が欲しかったわー」と言いたくなるような法度ルールだった。

 一度聞いただけでは最強この上無い文字通りのチートに聞こえるが、ある程度その法度ルールに慣れているパルヴェルトが言うには「正直そこまで便利でもないのさ」との事だった。

 何せそれは『ステータス的に』一枚上手になるというだけでスキル自体は何も変わらず、絶対勝てるだなんて能力とは程遠いからだった。

「───おるぁっ!」

「───させないよっ!」

 剣戟一閃、銀色の刃が陽光に照らされキラキラと輝く。

 およそヒロインらしからぬ野太い雄叫びと共に、腰を低く下げながらぬるりと這い寄るかのような動きで急接近した光は、その懐への入り際、右から左へ薙ぐように自身の上半身と共に長ドスを振った。その動きに対し完全に遅れを取ったパルヴェルトはレイピアのような細身の長剣でそれを払おうとするが、橘光が尋常では無い怪力の持ち主である事を知っている僕からすれば、この時点で「オイオイオイ」「死んだわあいつ」と鼻で笑う他に無かった。

 しかし驚く事にパルヴェルトの長剣は光が振るった長ドスを完全に受け止め、ギャリリと耳を塞ぎたくなる嫌な音を立てながら擦れ合い、横滑りした互いの刀身はやがてレイピアの根本にある丸い鍔にぶつかって止まった。

「っしゃらぁっ!」

 鍔の無い長ドスで鍔迫り合いなどした所でほぼ全部の指がコンビニ弁当に入っているウインナーの如く切り落とされる事を理解している光は、その圧倒的にぶっ壊れ性能である法度ルールを適応させながらも慢心せず一歩引き気味だったパルヴェルトに対して更に踏み込み、左手でアッパー気味なボディーブローを放つ。

 しかしやはりこれもパルヴェルトは容易に受け止めてみせた。自身の怪力より一枚上の怪力で拳を掴まれた光は距離を取る事が出来なくなり、見合わせたように長ドスの柄目掛けて走り始めたレイピアの刀身を見るや否や両足で軽く飛び上がり、パルヴェルトの腹にその場でいきなりドロップキックを放った。

「──────うぐぇっ」

 完全にガラ空きの土手っ腹に光の怪力での両蹴りを受けたパルヴェルトは、しかしその法度ルールにより自身の身体が強化されていたお陰で何とかゲロ混じりの呻き声を上げながら吹き飛ぶ程度で済んだ。

 薄い衣服が擦り切れる可能性を何一つ考慮せず背中と地面を滑りながら距離を取った光とは打って変わって無様にももんどり打つ形で吹き飛んだパルヴェルトだったが、しかしそれでも愚者を担う一枠なだけあり横滑りしながらもすぐに跳ねるように起き上がる。お互いに警戒し距離を取ったままの状態ながら、パルヴェルトはペタペタと蹴られた腹部に触れて調子を確認してみれば、まさしく法度ルール様々。アホほど痛む程度で皮膚は裂けていないし内臓破裂も起こっていないようだった。

「……………出来れば生前にこんな能力が欲しかったものだけどね」

「後の祭りで騒ぐなや。遠足終わったんならさっさとうちぃ帰れ」

 自身が絶対の信頼を置くその怪力が通用せず攻め手に悩む光に対し、同じく攻め手の無いパルヴェルトはそんなような事を考えながら睨み合い、再び急接近を仕掛けてくる光の一撃を何とかいなして、を繰り返していた。

 パルヴェルトからその法度ルールに対しての話を聞いた時の僕は「完全にチートじゃん。俺ツエー乙です、もう飽きたわそういうの」だなんて事を思った訳なのだが、実際こうして目の当たりにしてみると『相手より一枚上手になる』というその性能は本当に一枚上手にしかならないのだから、これがまあ絶妙に強くない。

 格闘ゲームにでも例えれば分かりやすいだろうか。例えばお互い同じキャラクターを選択した状態で誰かと対戦したとして、片方が使っているキャラクターだけ『攻撃の出が数フレーム早く』『攻撃の判定がほんの少し強く』『体力や防御力、攻撃力などの内部数値が少しだけ高い』というような状態で対戦が始まるものだと思えば良い。

 それが同じAIを搭載したCPU同士の試合であればどう足掻いても強化されているキャラクターが勝つだろうが、そんな訳は無くお互いに中身が人の対人戦なのだから勝敗がどうなるかは全く分からない。察しの良い奴であればもう分かるかもしれないが、数値的にどれだけ相手を上回っていたとしても、そのキャラクターを扱うプレイヤーの技量によっては強化を貰っている側が負ける事も当たり前に起こるのだ。

 パルヴェルト・パーヴァンシーが得た法度ルールはまさしくそれであり、その発現条件とした橘光より一枚上手な性能ステータスまで自身の性能ステータスを引き上げたのは事実だが、だからといって必ずしも勝てるというような訳ではなく、むしろ武術の型だとか刀を使った戦闘の基礎だとかを完全に無視した『手癖戦術』の極地である光の立ち回りに対してはかなりの苦戦を強いられてしまっていた。

 パルヴェルトとて剣術に関しては多少なりとも心得があったというが、それらで学んだものとは何一つ違う光の立ち回りの中でも、特に『全身を使って躊躇わずに攻撃を差し込んでくる』という光の手癖戦術の中でも最も際立つそれに対して、どうしても判断が遅れてしまっていた。先のような踏み込みや駆け出しすらない『その場でいきなり飛んでドロップキック』も然る事ながら、手足だけで無く頭すら含むその時使える全てを使って攻撃を続ける喧嘩殺法さながらな荒々しい立ち回りに後退りを強いられてみると、パルヴェルトは「我ながらとんだ女に惚れ込んでしまったものだね」と思わず感嘆してしまう。何せ光は地面を蹴り上げて砂を巻き上げる目潰しだけでなく、下心とか色気とかを通り越し一周回って「すげーなー」としか思えないその爆乳を使った乳ビンタまで仕掛けてくるのだから、さしものパルヴェルトと言えども開いた口の一つや二つは塞がらなくなるというものだった。

「…………は? ────べぇぉっ」

 素人であれば失禁や失神どころか脱糞し過ぎて脱肛しかねないレベルの殺気を放っている光から唐突な乳ビンタを受けたパルヴェルトは、余りにも不意打ち過ぎる不意打ちにより今自分の顔面に何が迫っているのか全く理解出来ず、モロにそれを受けてしまった。キログラムに換算すれば『目指せ三桁』を標語にしていそうな光の爆乳をマトモにぶつけられたパルヴェルトは、鎌の如く放たれたフックを顎先に受けたボクサーの如く脳を完全にシェイクされてしまった。

 剣術だけでなくジャパニーズ・ジュウドーの鍛錬も一応してはいたパルヴェルト・パーヴァンシーではあったが、流石にガチ戦中に飛んでくる殺意が籠められた乳ビンタに対しての鍛錬は何一つしていないどころか想定すらもしていなかった訳で。仮にこれが金属球であればその威力の過半数は皮膚や筋肉、骨が受け止めてくれるのでまだ良かったものの、生憎脂肪の塊という硬さの無い超重量であったが為に、柔拳よろしく威力のほぼ全てを頭の中にある脳本体で受ける事になり、自らの意志とは関係無く勝手に膝が崩れてしまった。

「ほんならウチのおパンツは返して貰うえ」

 完全に足に力が入らなくなり倒れ伏したパルヴェルトを流し見た橘光はそう言い残してその場から離れ、僕のもとへやってくると「ん」とだけ言って手を差し出す。僕が持っていた薄い水色のショーツを受け取った光は何事も無かったかのように長ドスを鞘に仕舞い、そのまま歩いて城内へと戻っていった。

 それを見届けてから足元で寝ていたラムネを起こしつつパルヴェルトに近付いてみると、パルヴェルトは歯を食い縛って泣いていた。想い人の下着を賭けた本気の勝負に負けたパルヴェルト・パーヴァンシーは、朦朧とした意識ながらも嗚咽を噛んで泣いていた。

「……ふ……っぐ……ぐぅっ」

 ジズ辺りがこのザマを見たら「パンツ如きで男泣きかよォ」と鼻で笑うかもしれないが、パルヴェルトの涙の理由がそれではないという事は僕には分かっていた。

 そもそもパルヴェルトはシモネタ等が得意ではなく、セクハラ紛いのダル絡みを受けた際はかなり照れながら否定したがる純情な奴なのだから、パンツ云々は光と本気で手合わせをする為の適当な理由だろうという事を、僕は既に察していた。

 ………パルヴェルトの法度ルールは『範囲内に居る最も強い相手より一枚上手になる』という効果であり、またパルヴェルトが法度ルールを適応させる際に口にする「───僕は強くあらねばならない───」という心底からの本音。法度ルールが適応させれる程に強い思いを抱く事が発現の条件である点などを鑑みれば、今パルヴェルトが泣いている理由なんて明白だった。

「……ううぅっ……ふぅっぐ……」

 負けたくなかった。どこに惹かれたかは本人すら分かっていないというその想い人を守ってあげたかった。だが想い人はパルヴェルトに守られる程弱くはなく、むしろパルヴェルトの方が守られかねない程に強かった。

 守ってあげたかった。守ってあげれる事を証明したかった。その果てに惚れて貰いたいだなんておこがましい事はきっと思っていないだろうけど、少なくとも自分を一端の戦士だと認めて貰いたかったパルヴェルトは、しかし意表を突かれる前から既に押され続けてしまっていたのだから、自他共に実力不足だと分からされてしまった事だろう。

 仮に乳ビンタなんて完全な不意打ちが無かったとしても既にジリ貧なのは戦闘に関して素人同然である僕の目にも明らかだったが、そんな事は戦っていたパルヴェルト本人の方がよっぽど解っていた話だろうから。

「よ……っと」

 だから僕は何も言わなかった。脳震盪でマトモに足が動かなくなったパルヴェルトの腕を引いて肩に腕を回し、そのままパルヴェルトを背負い上げる。特に鍛えている訳ではなかったからかなり重く感じたが、ラムネの法度ルールが適応されていない状態であれば幾ら僕でも人一人ぐらいなら背負ってやれる。

 バカだバカだと言われる僕らの中では、よっぽど真面目で常識的なパルヴェルトのその思い。パルヴェルトが僕をブラザーと呼ぶ事に対して何か影響を受けた訳ではないが、女だらけのこのメンツの中では、せめて僕ぐらいはパルヴェルトの理解者で居てあげたい。僕ぐらいはパルヴェルトを分かってあげてもバチは当たらないだろう。

「……うっぐ……ブラザー……ブラザー……っ」

 泣きながら僕を呼ぶパルヴェルトに、僕は特に返事をしなかった。礼が欲しくて肩を貸してる訳じゃないし、僕の肩がパルヴェルト鼻水で濡れても僕は気にもならなかった。

 お前は十分強い。お前は十分良くやった。僕だけはそれを理解していてやるから安心しとけ。そんな事を思いながら───、

「……ハニーのおパンツ………欲しかったよぉ………ッ」

 ───僕は背負っていたパルヴェルトをポイして城内に戻っていった。直前まで結構重かった肩が一気に軽くなって凄い快適だった。以前光が僕の頭にクソデカいその胸を乗せて「あコレすっげえ肩楽んなるわ」と言った事があったが、今ならその気持ちが少しだけ分かる気がする。

 後ろから「ブラザァ─────っ!」と僕を呼ぶ声が聞こえた気がしたがびっくりする程どうでも良かった。何が僕ぐらいはパルヴェルトの理解者だ、やってられるか。



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 サンスベロニア帝国に十二人呼び出されたという勇者に対抗したルーナティア国が愚者を十二人呼び出した時、当然ながら「もっと多く呼び出して人数差による有利を得るべきだ」という声があがったが、ルーナティア国を治める魔王さんは「えー何か卑怯な気がしてイヤよ」とそれを一蹴したらしい。だが結果として核兵器さながら戦略的拮抗状態になったサンスベロニア帝国は戦線維持を余儀無くされたのだから、もしかしたら魔王さんは先見の明があったのかもしれない。

 勇者を呼び出して戦争を仕掛けるぐらいには好戦的なサンスベロニア帝国なのだから、当然ルーナティア国より多くの勇者を更に呼び出す可能性も確かにあった。しかし仮にそうしたとしてもルーナティア国はすぐに同数呼び出して再び拮抗を強要するだろうし、シーソーゲームのようにそれを繰り返したとすれば、呼び出した勇者への衣食住でコストが嵩み続ける上に揉め事も増えていく。『大成して死んだ』のが勇者であり『しくじって死んだ』のが愚者ではあるのだが、愚者と呼ばれているだけで性格まで愚人であるとは限らず、また同じように勇者と呼ばれていても聖人君子であるとは限らない。むしろ散々悪事を働いた上に老衰で死にやがったクソ野郎が呼び出される事も普通にあるわけで、逆にしくじって後悔だらけのまま死んだ愚者はむしろ性格的には良質な人間が多い傾向にあり、そうなると相互に呼び出しを繰り返すシーソーゲームを行った場合どちらかといえば『ハズレ枠』を引くリスクの高いのはサンスベロニア帝国である。

 どこまで行けども偏見だらけである事は否めないのだが、現に今のサンスベロニア帝国は呼び出された勇者が起こす問題事の対応に追われているのだというから、善人悪人に対する偏見もあながち間違ってはいないのかもしれない。

 そんな有様であれば「なおさらだ。早くサンスベロニア帝国を攻め滅ぼせ、今こそ好機だ」というような声もあるのだが、やはりルーナティア国の魔王さんは「だぁから卑怯な気がしてイヤだっつってるでしょうが殺すわよお前ら」と一喝。僕が生前に住んでいた地球と同じように『殺り損ねたら徹底的に殺り返されるからお互い下手に動けない』というような膠着状態が続き、ある意味では平和な状態となっている。

 だからといっていつサンスベロニア帝国が侵攻を始めるのかどうかは全く分かっていないし、何なら停戦を申し込んだルーナティア国が送り出した遣いの兵はサンスベロニア帝国の城内に入り謁見する間もなく城門前の時点で追い返されていて、和平どころか停戦すら出来ないというのだから「殺られる前に殺るべきだ」という過激派が夏の田舎の田んぼ周りに湧く羽虫の如く溢れ出たり、それらが魔王城前でデモ運動を行ったりするのも理解出来る事なのだが、よりにもよって数少ない非番で朝から晩まで寝倒す気満々だった魔王さんを叩き起こす事になってしまい、寝癖だらけのボサボサ頭にまさかの上下透け透けシルクの下着のままデモ隊の前に現れた魔王さんの、しかし何一つエロスを何も感じさせない「うるせえ。くどい。そろそろ殺すぞ」という言葉にデモ隊はその場で色々お漏らししながら解散。ルーナティア国は安寧を取り戻すに至った。

 何だか親近感湧く魔王さんだなあと思いつつも魔王さんも伊達に王ではないようで、ルーナティア国内の領土を広く取り紅白模擬戦を不定期に行う事を宣言した。今の平和はどこまでいっても「今の」平和でしかなく、明日以降も平和である保証などどこにも無い訳で、だからこそ常日頃から鍛錬は怠るべきではないという魔王さんの判断によるものらしいが、腑抜け大国日本に住んでいた身としては耳が痛いお話である。

 そんな訳で白組に割り振られた僕ら『いつものメンツ』は尋常ではない数の飛空艇が飛び交う夜空の下、紅組を相手に戦場を駆けずり回っているに至る訳だった。

「げぼく! おちりゅなよ! ちゃんとちゅかまっとけよ!」

「大丈夫。もっと速く走っても良いよラムネ」

「まかしぇろ!」

 遥か大空を飛び回る飛空艇が夏祭りの花火のようなボゴンボゴンという砲声をあげると、数秒後には生理的に不快極まりない独特な風切り音と共に数え切れない程の子弾が僕らの頭上から降り注ぐ。飛空艇に装備されているのは絵に描いたような大砲だったが、その砲口から吐き出されている砲弾はロクでもない弾の一つとして名高いフレシェット弾だった。卑怯な戦いを嫌がっている割に『弾道の予測がし辛く一般被害が強く懸念される危険兵器』であるフレシェット弾を採用している辺り、魔王さんもやはり魔の王なのだという事を実感してしまう。一応子弾は全て先が丸く潰されているとは言っていたのだが、特異な風切り音を鳴らしながらばら撒かれた子弾が地面にドスドスと鈍い音を立てて突き刺さっているのを目の当たりにしてみれば、この手の兵器で刃落としなんて本当に何の意味も無い事が秒で理解出来る。

 首様のペットである所のチルティ・ザ・ドッグもガチ戦用の四連装ショットガンにフレシェットシェルを採用していると言っていたが、飛空艇の大砲から放たれるフレシェット弾はそれとは比較にならないほどの威力だと分かる。

 ルーナティア国が使用しているフレシェット弾のサイズを測った訳ではないから実際どうなのかは定かではないものの、フレシェット弾というものは通常のショットシェルと違いシェル内に大量のつぶつぶを入れられないので面制圧が苦手な分、兎にも角にも貫通力に秀でている。よくある防弾チョッキ程度なら容易に貫通するし、対戦車用フレシェットであれば四センチ近い装甲車両ですら余裕で貫通する程。そんな「ヤバい」としか言いようのない戦術兵器が大量に飛び回る飛空艇の砲口からボゴンボゴンと惜しみなく放たれるのだから、この模擬戦の模擬ならざるガチ具合が分かるというものだった。

 では、どうして高々模擬戦如きでこんなガチになっているのかと問われれば、それはひとえに勝利チームへのご褒美と負けチームへの罰が理由だった。

 信賞必罰しんしょうひつばつさながら、魔王さん直々に発せられたその内容は『勝った側の兵には大量の酒が振る舞われ、総大将及び部隊長にはその日一回だけ、犯罪行為を含む如何なる行為も許される』とかいう「ヤバい」としか言いようのない褒美が与えられる。

 そして逆に負けた側は「兵はその月不休無給、総大将及び部隊長には『ストレス☆発散 魔王様直々による鞭打ちの刑〜With 謁見の間にて、気が済むまで』とかいう「ヤバい」としか言いようのない罰が与えられるのだから、紅組白組共にガチにならざるを得なくなってしまったのである。

 腑抜け大国日本で育ちそのまま生涯を終えた僕が最初模擬戦の噂を聞いた時には「まさか戦争になんてならないでしょ」とか「仮に戦争になっても現状負ける要素ねーし」だなんて事を思っていたもんだから、ぶっちゃけ適当に戦っている振りをしながらその辺をフラフラして模擬戦が終わるまで待ってりゃ良いやとか思っていたのだが、そのヤバい飴と鞭のせいで僕もガチにならざるを得なくなった。

「ラムネっ、降って来るよっ!」

「まかしぇろ!」

 敵国の飛空艇や魔導機械を貫通し、内部の操舵兵に効率良く被害を与える為に採用されたフレシェット弾Beehiveだが、必ずしも敵の飛空艇にそれが当たるとは限らない。巨体の割に存外機動力のある飛空艇なのだから当然避けられたりする事も多いし、そもそも当たらなかったりした流れ弾は空中分解後、四つの羽根が付いた弓矢のような子弾をばら撒き、地を這う僕らに向かって頭上から大量に降り注いでくる。

 普段の僕であれば「グエー死んだンゴ」とか言いながら蜂の巣ないしミンチにされている所なのだが、今の僕は法度ルールが適応されて巨大化したラムネの背にしがみついているので何とか生き延びるに至っている。

 僕の身長を余裕で超える巨躯となっているラムネではあるが、生まれも育ちも猫である為か疾走を緩める事も無く、無数に飛び交う子弾をまるで縫うようにスイスイと避けていく。猫というものは動きの少ないものに対する認識力が弱い分、一定以上の動きがある物体に対する動体視力は人間のそれを遥かに上回る。良く猫が何も無い壁を注視する事があるが、あれは幽霊がどうたらという話ではなく、ちょっとした埃の動き等に反応して「もしかしたら何か虫が動いたかも」と集中しているからなのだとジズは言っていた。

「げぼく! おちてないか! だいじょうぶか!」

 思わず耳を塞ぎたくなるような風切り音に反して、鈍く響く重低音でドスドスと地面に突き刺さる子弾を避けたラムネが舌足らずな声で僕を呼んだ。それに「大丈夫だよ」と返事を返しつつ、まず真っ先に僕の心配をしてくるラムネに思わず愛おしさを感じてしまうが、今のラムネはお世辞にも可愛い猫とは程遠い外観をしているので何だか複雑な気分になる。



「───おなかへった───」

 今より少し前。模擬戦開始の銅鑼の音と共に一歳程度の年齢である小さな空色の猫がそう呟くと、真横にいた僕は今まで感じた事も無いほどの虚脱感に襲われ立っている事すら難しくなった。

 ともすれば意識を失いそうになるぐらい急に力を吸われた僕の足元にいた小さな猫であるラムネ・ザ・スプーキーキャットは、ぐらりと力を失い立つ事すら億劫になっている僕に反していきなり巨大化。外向きに飛び出た無数の犬歯はどういう構造なのか個別にウネウネと動き、横長でふっくらしたエクレア顔に付いていた黄色の瞳も僕の頭より大きくなりギラギラと輝き始めた。出会ってすぐに「こやつの名はラムネというのか。であればフルネームはラムネ・ザ・スプーキーキャットじゃな」と言った首様の見る目は確かだったと思う反面「スプーキーちょっと不気味なというかもはやスケアリーガチで怖いじゃね」と思いたくなるような姿になれる化猫ラムネは、猫であるにも関わらずルーナティアに呼び出され、それどころか法度《ルール》まで得る事が出来ていた。

 そしてその法度ルールは『範囲内に居る生物から生きる力を奪う』というような内容だった。

 相当強い感情を抱かなければ発現しないのが法度ルールな上、それを適応させる際に「おなかへった」だなんて言う辺りラムネの生前がどれほど苦しく悲しいものだったのかが窺い知れるものの、法度ルールを得ていない上そもそもの戦闘能力に関してハナクソも良い所な僕からすればその背にしがみついていれば良いだけというのは複雑な気分になる。

 法度ルールを適応する前のラムネは幽霊猫である事から宙に浮く事も出来るし壁をすり抜ける事も出来るのだが、今のラムネは実体を持つ僕から力を奪った為にどちらも不可能となってしまっている。それに伴い物理的な攻撃等に対しての「ゆーれーだからそういうのきかない」とかいう「はいはいチートおつおつ」と言いたくなるようなパッシブスキルも失ってしまい、尚且つ取り憑いている僕が背中から振り落とされると行動範囲に大幅な制限が掛かる為、行動一つ取っても逐一僕に気を遣わないといけないというデメリットも付いて回る。

 そう聞くとパルヴェルト同様、やはり法度ルールに関してはそこまで便利なものでもないのかと思ってしまうのだが、実はラムネの法度ルールに関しては発動回数や使用制限が一切無いというぶっ壊れ仕様がある。理論上は敵対した相手の前で法度ルールを使い続ければその都度相手から力を奪い続け、同時にラムネ自身も強化され続けるという「……ん?」と首を傾げたくなる隠れた使い方があったのだ。

 しかし天は二物を与えず。やはり法度ルールに関してはそこまで便利なものでも無いようで、取り憑き先である僕がラムネの背中にしがみついている以上、何度もおなかへったと駄々をこねられればその度に僕からも力が吸い取られてしまう。加えてラムネは人では無く、本当にただの喋れる猫でしか無いので、力を奪い続けている内にもともと大して無かった理性がどんどん希薄になってしまい、場合によってはまさしく暴走状態に入ってしまうという致命的欠陥もあった。

 相手が強かったりとか緊急時だったりとかであれば僕も身を削って法度ルールの重ね掛けを指示する事もあるのだが、それも基本的には二回まで、初回含めて通算三度の法度ルール適応が限度。一回重ね掛けした時点で視界が霞んで前が見えなくなるのでラムネに殆ど指示を出せなくなり、二回重ね掛けした時点で僕はラムネにしがみつく事が厳しくなり背中から振り落とされやすくなるし、仮に振り落とされたとしてその後這って避難するどころか指を動かす事すらままならない。ペール博士と検証した時は初回含めず三回目まで試したものの、ラムネが累計四回目の法度ルール重ね掛けを行った瞬間僕は意識を失った上にラムネの理性は完全に飛んでしまい、ペール博士の研究室は半壊を通り越して七割ぐらいぶち壊されたという。

 その時はジズと光とトリカトリとパルヴェルト、いわゆる『いつものメンツ』だけでなくペール博士すら暴走したラムネを止める為に大立ち回りをしたというから、実戦での使用など流石に洒落にならない。余談だが超強化されたラムネに対して「こういう時こそこのボク、パルヴェルト・パーヴァンシーに任せてくれたまえ!」と声高々に叫んだパルヴェルトは自身の法度ルールによって異常なレベルまで強化されたラムネより更に一枚上手になったものの、その超強化に対しパルヴェルト自身の体が何一つ追い付かず法度ルールを適応してラムネより一枚上手になった瞬間鼻血とゲロを吹き出して昏倒、即座に戦闘不能となった。

 事が済んだ後でペール博士が「研究室を破壊されただけで無く失禁どころか脱糞の処理までさせられるとは思いも寄らなかったね」と言っていた辺り、本当に何の役にも立たなかったようだった。

「のぼりゅぞげぼく! ちゃんとちゅかまってろ!」

 白組の誰かが砦の壁にに立て掛けた攻城用の梯子に向かって疾走していたラムネが舌足らずな声で叫び、意識ごと回想シーンに入っていた僕はハッと我に帰って前を見る。

 ………本来ならこの手の梯子は立て掛けられたそばから何としてでも蹴り倒して城壁に登られるのを防がなくてはならないのだが、弓は当然ながら魔法銃すらある世界での模擬戦であれば、掛けられた梯子に近寄った瞬間、逆に狙い撃ちにされてしまう。掛けられた梯子も、上空の飛空艇が放ったフレシェット弾からばら撒かれた子弾が偶然当たってしまったのか抉られるように大きく破損した部分に立て掛けられてしまっている為、隠れながら足を伸ばしてそれを剥がすというのも中々難しいようで、砦の壁に配置された紅組の兵達は梯子を倒すより梯子を登ろうと近付いてくる兵に対しての妨害に専念しているようだった。

「とにかく狙われないように急いで登って! 僕は捕まってるから!」

「まかしぇろ!」

 巨大化に合わせて舌のサイズが変わって喋りにくくなったラムネが頼もしい返事を返すのに合わせ、僕はより一層手指に力を込めてラムネにしがみついた。

 地上で武器を振り回す紅白入り混じった兵たちを、まるで蹴飛ばすように追い越したラムネが更に勢いを上げて梯子に脚を掛ける。登るというより手足を引っ掛けて飛び上がるかのように梯子を駆け上がったラムネは、数秒も掛からずそのまま砦の壁の上に到達してみせた。

 ネコ科とは思えないほど重厚な声で吠えたラムネは駆け上がった勢いのまま城壁の上で弓や魔法銃を放っていた紅組の兵をネコ科らしい猫パンチで次々と殴り飛ばす。突然真横まで接近してきた化猫に恐慌を隠せない紅組の兵達が軒並み殴り飛ばされるが、ちらりと目をやってみれば巨体であるラムネが勢いを付けて駆け上がってしまった為に攻城用の梯子は倒れてしまっていた。

「お構い無くッ! 愚者様はそのまま城内に攻め込んでくださいッ!」

 上から援護でも出来ないかと考えあぐねていると、白組の誰かがそう叫ぶ声が聞こえた。弓や魔法銃等を持っている訳ではない僕は「ごめん! ありがとう!」と顔も知らぬ兵に返事を返して体制を整える。

「……かなり強くしがみついてたけど、痛くなかった?」

 いつだったか猫好きを自称するジズから「猫が痛覚鈍いっつゥのはよく言うけどさァ、首元に関してはマジで殆ど痛覚無ェのよォ」と聞いていた僕は少しでもラムネに負担を掛けるまいと首元の毛を全力で握り締めていたのだが、実際その通りだったようで、ラムネは何も気にしていない様子で「だいじょぶ。きにしゅるなげぼく」と快く返してくれた。

 何でも母犬や母猫は自身の子供を咥えて運ぶ際に首の皮を噛んで持っていくらしく、それに合わせて犬猫の首元は痛覚神経がかなり少なくなっているらしい。ちょっと喋れてパワードレインが出来て幽霊である以外は本当にただの猫であるラムネも当然その例に漏れず、僕が死に物狂いでしがみついても毛の一本すら抜けていなかった。

「げぼく、どっちいく?」

「ん」

 ラムネに言われて見渡せば、壁の両端には砦の中に入る為の扉が二つあった。クラ◯カ理論で言えば左に行くべきなのだろうが、それを見越して右の可能性もあると考えると堂々巡りのように思考が停止してしまう。

「ラムネが決めて良いよ。ラムネはどっちだと思う?」

 優柔不断であるとは思っていないけれど、自分では最適解なんて分からなかった僕は獣の判断に任せる事にした。言われたラムネは「んー……」と唸ったかと思うとすぐに「じゃあこっち!」と左の扉に向かい、金属で縁取りされた木製の扉を頭突きでぶち壊し、そのままズンズンと進んで中の螺旋階段を降りていった。



 結論から言えばクラ◯カ理論は何一つ関係していなかった。左右の扉はどちらも同じ通路に繋がっており、右に行こうが左に行こうが結局同じ場所に出るだけだった。螺旋階段を降りた先の向こう側には同じような昇りの螺旋階段があり、光のように「なんでやねん」と呟いてしまったが、冷静になって考えてみると攻城戦を想定した砦なのかもと考えれば左右どちらからでも昇り降りが出来た方が利便性に富んでいるし建築的には正解なのかもしれない。そもそも敵の侵入を許さない事を前提に建城するのであれば自軍の行動を快適にしている方が理屈には合っている気がする。

 通路を進んだ先でも幾つか分かれ道があったが、その都度僕はラムネに判断を仰ぎ、やはりラムネもその都度「じゃあこんどはこっちな!」と野生の勘を感じさせない適当感溢れる言葉を口にしながらのしのしと歩いて進んでいった。

 しかし不思議なのはどれだけ進んでも、敵である紅組の兵が誰一人として居なかった事だった。被弾したものは即座に撤退し、戦線から離れるという事になっているので当然死体とかは無いのだが、被弾を免れ生き残っている兵すら全く居ないのは些か不気味で不穏な気配がした。

「─────ッ!?」

 そしてそれは中央広間へ続くと思しき大きな扉が見えた辺りから確信に変わった。ラムネが息を飲むと同時に全身の毛がぶわっと逆立ち僕の顔をくすぐった。その理由は僕にもすぐわかった。

「…………向こうだね」

「げぼく、しっかりちゅかまっとけな」

「……何が起こるか分かんないから、扉は壊さず慎重に開けてね」

「ん」

 ゲームなんかで良く見る「この先にボスいまっせえ!」という感じをありありと放つ扉の向こうからは、ゲームなんかでは伝えようがない強烈な威圧感がびりびりと伝わってきた。僕に言われたラムネが猫手を器用に使って扉を押し開けると、そこは予想通り開けた広間だった。

「………………わー、なんだあれ」

 広間では既に戦闘が始まっており、そこではジズとナニかが激戦以上の死戦を繰り広げていた。法度ルールを適応しているラムネより二回りほど大きなナニかは顔や和服等から恐らく首様なのだろうと想像は出来るのだが、夜空より仄暗い手足を鞭のように振り回してジズを攻撃する姿や、ねじ曲がってひっくり返ったその頭が手足が振るわれる度にぐるんぐるんと振り子時計のように振れるその姿は、僕が知っている銃好きなロリババアとは似ても似つかない純然たるただのバケモノだった。

 四つ足と和服があるからかろうじて元人型だったと分かる程に異質に変貌している首様は、虫のように手足を横に開いた四足歩行でありながら両腕を駆使して上手くバランスを取りつつジズを攻め立てている。その姿は歪んだ信仰心によりその存在まで歪まされた祟り神そのものにしか見えなかった。

 それだけだったらまだ「あれが首様の本当の姿なのか」という程度で済んだかもしれないが、その首様にも負けない程に異質なのはそれと戦っているジズにもあった。

 裂けてしまいそうな程愉悦に歪んだ笑みを浮かべながら首様の猛攻をいなし続けるジズは、普段の気怠げな様子からは想像も出来ない程に強烈な殺気を放ちながら首様と戦っていた。こちらもやはり僕がよく知るシモネタばかりなダウナー小悪魔とは似ても似つかない悪魔そのものなのだが、何故か僕はそんなジズに魅入られるような感覚を覚えた。

「おーう来たかぁ、こっちやこっちー」

 広間の壁際にいた光が僕を呼ぶ。はっと我に帰ってそちらを見れば、いつもより少し真面目な雰囲気をしている光が、しかしいつもと変わらないように見える笑顔でひらひらと手招きしていた。

「………なんでこんなガチになってんだ?」

 ラムネと共に光の方へと向かった僕がそう聞くと、光はいつも通りあっけらかんとした口調で「ガチやないよ、どっちも本気出しとらんし」と返した。

「模擬戦自体はガチめやけど、流石に身内同士の喧嘩でガチになるほどあいつら素人ちゃうえ」

「あれで本気出してないのか?」

「うん。真面目にやり合っとるけど、本気で殺し合っちゃあおらんでよ」

「マジかよ。あれでか」

 見るからにラストバトルですと言わんばかりの死闘を繰り広げている二人に目をやりながらそう呟くと、なんだか嬉しそうな声で「せやでー」と光が返してきた。

 どこからどう見ても巨大なバケモノと化している首様だったが、言われてみれば理不尽な暴力を一方的に振り撒いている訳ではないように見えた。荒事好きを隠しもせず狂喜に嗤うジズの方も、首様の振るう仄暗い巨腕を三つ指の尻尾でバチンと弾き飛ばし隙あらば攻めに転じているものの、完全に殺しに行っているようには見えなかった。

「───もっと素敵な私になりたい───」

 どこか悲観的にも感じられる小さな声でそう囁くと、ジズの左手がもにゅりと歪んで鋭い爪を持つ熊のような手へと変化する。その爪が首様の仄暗い巨腕を切り裂くと、ぶしゅっと真っ黒な飛沫が広間の床に飛び散り、かと思えばすぐ蒸発するように消えていく。

 ──ジズの法度ルールは自分に対して適応させる自己型のもので、その性能は『自身の肉体を任意の形に作り変える』というもの。形なんかは当然ながら、その硬さや鋭さなんかも好き勝手に変える事が出来るとジズから聞いた時は「かっけえ! いーなー!」なんて騒いだ僕だったが、ジズはパルヴェルトと同じく溜息混じりに「そう便利でも無いのよねェ」と否定した。

 例えば自身の右腕を剣のように作り変えたとして、それが鋼よりも遥かに固く最上業物より遥かに鋭くなったとして、それはその部位だけの話なのだとジズは言う。

 要するに剣になった腕と、剣じゃない生身の部分との境目は普通の肉体のままだから、もし力任せに叩き付けたり極めて強い力で振るわれた相手の攻撃を直で受け止めたりなんてしようものなら、繋ぎ目に当たる部分の皮膚から裂けて、そのままへし折れてしまうのだという。

 言われてみれば確かに至極当然の話で、またその法度ルールも何から何まで好き勝手に作り変えられるという訳では無く、同時に二ヶ所までな上に時間制限すらあるという。余談だがその説明を受けた時ちょうど隣に居た光が「二つまでなら右乳と左乳の両方とも巨乳に出来るやん」と言っていたが、その直後グーの形をしたジズの尻尾で顔面をぶん殴られ「ぶぇあ」とか言いながらぶっ飛んでいた。

 またジズの法度ルールによって作り変える形や性質等には何一つとして制限が無いものの、弓やボウガンのような射出する系の遠距離武器に作り変えた場合、矢玉を撃つ度にジズ本体から同等の質量が失われ、発射した飛翔物を回収しない限り無期限かつ際限無く体が小さくなってしまうのだとも言っていた。

 飛んでった矢玉がどうなるのかは聞いていなかったが、後々手のひらサイズのミニジズとなって「ぼいんしすべしー」とか騒ぐのだとしたら多分超可愛いんだろうなだなんて事を思いもしたが、間違っても「もしそうなら一匹くれ」だなんて口にしたらゴミを見るような目で見られそうだったので心の内に留めておいた。実際鼻血出しながら戻ってきた光が「尻尾デ◯ルドみたいにしたら快適なオ◯ニーライフ送れるやん」と言っていたが、ただでさえ目付きの悪いジズの目が寝室で交互に赤ちゃんプレイを愉しむ父と母を見てしまった子供よりも冷ややかなものに変わっていたから、やはりこの思いは墓場まで胸中に収め続けるべきなのだろう。

 普段のそんなジズばかり見ていたからか、いつしか僕は「ジズは口が悪いだけで優しい奴だ」なんて考えを勝手に抱いていたのだが、ある時それを光に話したら「はぁぁ〜」という大きな溜息と共に呆れるような目を向けられた。

「男ってみんなそうやんなぁ……黒髪ロングの姫カットぉ見たら口揃えて手弱女たおやめ扱いするんと理屈はおんなじや、落とした消しゴム拾って貰っただけで惚れるんよなぁ……」

 そんな言葉に「いやそんな事ないけど」と言い返すものの、なんだか心理を突かれたような気がした僕は「つまりどういう事だよ」と不満げに問いただした。すると光は、

「ジズは別に平和主義でも無ければ優しい訳でもないでよ。確かに普段はそう見えるかもしれえんけど、あれは憤怒Wrath怠惰Slothを天秤に掛けた結果が普段ってえだけで、根っこん所は喧嘩屋そのものでしか無いじゃろて」

 ジズが間延びした喋り方をするのは喉に力を入れてしっかり喋るのが面倒なだけで、ジズの目付きが悪いのも瞼をしっかり開いていると目元が疲れるからというだけで、ジズが黒ビキニとパーカーとかいう痴女まがいな普段着を好むのだって着替えがスーパー楽だからというだけなのだと光は言っていた。

 その時はそんな事無いと思っていた僕だったが、今目の前で首様と戦っているジズを見るとその思いも揺らいでしまう。

 熊のような鋭い爪を持った左手と、と三つ指の尻尾を駆使して猛攻を続けるジズに押されて受けに回っていた首様だったが、攻撃と攻撃の合間にあるその一瞬の隙を突き仄暗い巨腕を鞭の如く唸らせると、避け切れなかったジズはそれを腹部にモロに受けて広間の壁まで吹き飛ばされる。石造りの壁に背中から思い切り叩き付けられたジズはその瞬間こそ咳き込むように「───カハッ」と呻いたが、裂ける程愉悦に歪んだその口元の笑みは一切消えず、すぐに体制を立て直し首様へと突進して再び攻め直す。それを見た首様は直前に振るったのとは反対の巨腕を振りかぶって叩き潰そうとするが、ジズはそれを寸での所で避ける。かと思えば振り下ろされた首様の仄暗い巨腕にまるで巻き付くかのようにぬるりと肉薄し、法度ルールを適応させていない右腕を後ろに振るいながら一息もつかずに首様の巨腕へと飛び乗った。

 ………トンファーという武器はその見た目から殴るのに特化した武器だと思われがちだが、実際の所は殴るのも然る事ながら、その両手を上手く振り回す事で発生する遠心力を使った動きの制御や、重心操作が何よりも大事なのだと聞いた事がある。ジズの戦い方もそれと似たようなもので、厚手のグローブを着けているようにも見える熊のような左手を攻めに使いながら、空いた右腕や尻尾を前後左右に上手く振って攻める時にも避ける時にも体全体に勢いが乗るようにしていた。

「振る時は全力で力入れるけど、それ以外ん時は全力で力抜いとくのがコツやで」

 泳げない人というのは得てして緊張や不安により体の節々に力が入ってしまっているのが理由だというのは小学生の頃に僕の担任だった先生の言葉だが、曰く「力を入れた部分には血液が集まって重くなるんだ。だから水の中で力を入れるとそこが特に重くなって沈みやすくなる。怖いかもしれないが、それに耐えて全身から力を抜くと、体は勝手に浮くんだ。そういう風に出来てる」との事だったが、実際プールに入りながらも上を向いて力を抜いてみれば本当に体が勝手に浮かんでとても驚いたのを覚えている。

 ジズの右腕もまさしくそれと同じで、振る前はだらりと力を抜いているが、いざ振るった時はかなり力が入っているのか強張っているよう見える。光の言葉に僕が感心すると「優しい奴があんなん手癖で出来る訳あらすけえよ。少なくとも相当場数踏んでなきゃ出来でけへんっちゅーの」と言ってきた。そのしたり顔が妙にムカついたので取り敢えず僕は光の横乳を力一杯抓っておいた。

 横乳を抓られて「ぅぁだだだだ!」と涙目になる光を見て、僕はふと思い出した。

「そういえば他のみんなは?」

 無駄に腹立つ声色で「ハッハッハー! ハニーはボクに任セロリィー!」と高笑いしながら光に付いていったパルヴェルトや、似たようにジズへと追従したトリカトリなんかは他の場所で戦っているのかもしれないが、だが首様のそばからほんのひと時すら離れようとしないチルティ・ザ・ドッグの姿まで見えないのは疑問でしかなかった。

 僕がそう言うと光は涙目のままクイクイと親指で指し示す。その仕草に釣られて広間の一角を見ると、

「………………もうさあ、馬鹿じゃん。他に言い様がねーよ」

 そこには広間の石壁に頭からぶっ刺さったまま微動だにしない三人がいた。余りにも場違い感が凄い光景に思わず目を逸らせば、その先では狂喜を纏うジズと狂気の姿をした首様がバチコリ死闘を繰り広げていて、目線を戻せば「もしかしたら壁に突き刺さってるんじゃなくて壁から生えてるんじゃね」と思えるほど綺麗にぶっ刺さっている三馬鹿が居た。

「タクトは壁尻はお好みけ? 三人もるんやし好きなの選んでハメ倒してええでよ」

「一人野郎が混ざってるし仮にそうでなくともあの二人の傍らでエンジョイする気にはならねえ」

「壁尻の好みに関してはノーコメントなんねぁだだだだだ!」

 にへにへとニヤける光の横乳を全力で抓りつつ諦めて無様な姿となった三馬鹿に目をやってみれば、それはもう見事なまでにぶっ刺さっていた。ギャグ漫画みたいに綺麗に横並びという訳ではなく割と乱雑にぶっ刺さっているのだが、その刺さり具合がある種の美しさすら感じられるほど見事だった。スマホがあったら角度を変えて三枚ぐらいは写真を撮っていたかもしれないが、生憎と僕が愚者として呼び出された際に持っていたのは衣服と靴だけだったのでそれは出来なかった。

「何したんだあいつら。いや何があったんだ」

 嘆息しながらそう言うと「チルティがパルヴェルトぉぶっ飛ばして、トリカがチルティぶっ飛ばして、首様がトリカぶっ飛ばした」と別に知りたくもなかった答えを教えてくれた。

「光は戦わなかったのか? パッと見は負けたように見えないけど」

「最初はウチも殺る気満々やったけど、トリカがチルティぶっ飛ばした辺りで萎えた」

「あぁ……」

 橘光は普段の行いがアレなので勘違いしやすいが自他共に狂戦士バーサーカーだと言うだけあり、こと戦いに関してはかなりストイックな方だった。今のジズの戦い方以上に、無理矢理にでも攻撃から攻撃へと繋ぎ続けるその戦法を見れば荒事に対してはとても真面目に臨む傾向があるのだが、だからこそギャグみたいな負け方をした奴を三人も見れば意欲は完全に萎え腐るだろう。

「それにウチじゃアレには勝てえんよ。防戦し続けれる自信はちょっとあるけど一生勝てんやろし、アレ多分スタミナとかそういう概念無いじゃろ。ほんなら防戦し続けてもその内崩されるでよ」

 拗ねたような口調でそう言う光は「流石は首折れ様って感じやな。邪神だか祟神だかになっとんは伊達とちゃうわな」と吐き捨てた。

 言われて首様の顔に目をやれば、普段は糸のように細いその瞳が吸い込まれそうになるほど真っ黒い満月のように開かれていた。ジズの攻撃をスレスレで躱す度、逆さまにしたメトロノームのようにその頭部がぐるんぐるんと揺れるのに合わせて、その黒い瞳も尾を引くように左右に振れる。恐らく、あれが本当の姿なのだろう。

 ………チルティが首様って呼んでる時点で不穏な予感はしていたが、やはりバッドエンド不可避のバケモノだった。あの時首様の好感度を上げていなくて正解だった。間違ってもルートに入ってしまっていたら今頃どうなっていたか想像もしたくない。

 と、そんな事を考えた瞬間だった。

「────────もう飽いた」

 首折れ様となったそれが首様の声でそう呟くと同時、壊れた水飲み鳥が如く揺れていた首様の頭部がクッと曲がって上を向いた。咄嗟にジズが後方へ飛び退すさるも、直後にひっくり返っていた首様の頭の下からズルリと五本目の巨腕が突き出し、後方へと下がってしまったジズをその手のひらで壁へ押し付けた。

 まさしく人外、邪神の力で壁ごと握り潰さんばかりに叩き付けられたジズは呻く事すら出来ず、首折れ様の仄暗い巨腕により完全に身動きが取れない状態となった。

「…………わしの勝ちじゃな」

 と思ったらその巨腕はすぐさま霧のように掻き消え始め、数秒もしない内に見慣れた首様の姿へと戻っていた。

「…………アタシの負けねェ」

 壁から離されドサリと音を立てて落下したジズは、そう呟いてうつ伏せに倒れた。お互い本気ではないと光は言っていたが、完全に落胆したようなジズの呟きから察するに、仮に本気を出していたとしても結果は同じだった事は明らかだった。

 しかし僕は、そんなジズの落胆の中にどことなく満足感が混ざっているような気がしてならなかったのだが、その疑問は速攻で飽きて丸くなって寝ていたラムネが「んぁ、おわった?」と呟いた事により雲散霧消していった。



 かくして今回の模擬戦は僕ら白組の敗北という事で幕を閉じた。

 模擬戦が始まってから大して時間は経っていなかったものの、十二人居る愚者を半々で分けた六対六での紅白戦だったのだが、白組に所属していたパルヴェルト・パーヴァンシー、トリカトリ・アラム、ジズベット・なんたらかんたらの三人が一気に敗北してしまったのだから勝敗なんて火を見るよりも明らか、その後の有様は酷いものだった。

 だが十二人の愚者が勢揃いとなった模擬戦だというから、いつものメンツ以外で殆ど関わりのない他の愚者達との交流のきっかけにでもなるかと多少ワクワクしていたが、そんな惨状になってしまったとかそんなの関係無く、そもそも愚者の中で今回の模擬戦に参加したのは僕らと首様ぐらいだったというから「何だかなあ」という感想しか出てこない。

 結果を聞いた魔王さんが口にした「じゃあ負け組のペナルティなんだけど」という言葉により完全に忘れていた「ヤバい」を思い出した僕らだったが、負けはしたもののその瞬間だけは完全に思いが通じ合い、中々目を覚まさないでいたパルヴェルトを全員で指差しながら僕らは即座に「こいつのせいで負けました」と口を揃えた。以心伝心。みんなの心が一つになり、一致団結した瞬間だった。

「そう。六人に鞭打ちするのも面倒臭いし、ならペナルティはこいつだけで良いわね」

 魔王さんはそう言ってその場を後にし、それに合わせて僕らも解散となった。愚者だけでなくルーナティア国の兵士たちほぼ全てを動かした大規模な模擬戦だったが、今にして思い返すともはや模擬戦というより模擬演習の方が適当なんじゃないかとも思えるが今更どうでも良い事だったのですぐに頭から抜け出ていった。

 その後は特にどうという程の事はなかったが、勝ち組である紅組が最初に風呂を使う権利を得たので、僕ら負け犬達は汗や泥にまみれた状態のまま二時間ぐらい待機。やがて風呂の順番が回ってきた。

「………はあ」

 頭と体を洗ってから岩張りの風呂場で湯船に浸かると、喉の奥から勝手に溜息が漏れてしまう。体に溜まった老廃物だとかその日の疲れだとかが流れ出ている感じがしたからというのもあるのだが、溜息の最たる原因は僕と共に風呂に入った女性陣だった。

「うぅっふぃぃ───ゔぁぁああああぁぁぁぁ〜」

 仕草こそ静々しずしずとしていて大人びた感じではあったものの、腰辺りまで湯に浸かった辺りからいきなり野太い声で呻いたのは、驚く事に光では無くなんと首様だった。

「ゔぁぁああぁぁいっふぃぃいいい〜」

 心配せずとも直後に光も野太い声でおっさんみたいな呻き声を上げながら湯に浸かっているからみんな安心して欲しい。

「はァァァああああっとくらァよォ〜」

 当然ながらジズもである。何も心配は要らなかった。

 終わり湯となった僕らに風呂の順番が回ってきた際、さも当然の事であるかのように光は僕の部屋までやってきて「ほんなら風呂行こか」と言い出した。それに対してまるで事前に話を通していたかのように居合わせていたジズが「そうねェ」と同意したまではまあ百歩譲って良しとしても、その後「そうじゃな」と勝ち組であるはずの首様までナチュラルに付いてきた辺りで理解が追い付かなくなってしまった。

 頭を洗っている時はどうでも良い。体を洗っている時もそこまで気にならない。しかし湯船に入ってしまうとどうしたって暇を持て余し全裸の女性陣が視界に入ってしまうのだが、記念すべきお風呂回であるにも関わらずどうした事か僕は全くドキドキしなかった。バッドマナーだからとタオルを巻かずにみんな全裸でお湯に浸かっているにも関わらず、例えば光の爆乳なんかを見てもエロい気分にはならず「わーマジで浮いてるスゲー」としか思わなかったし、おっさん共が観音様だなんて呼んで拝んでいる魅惑のデルタゾーンよりも「あのタオルで髪巻いてるのどうやってるんだろう」と光の頭に巻きグソさながらまとめられている金髪の方が気になった。

 首様とトリカトリもタオルを巻いて髪が湯にひたらないようにしてあるが、誰の股間に毛が生えていて誰の股間がツルツルなのかよりも「あのタオルどうやって巻いてるんだろうか」という事の方にばかり意識が行って仕方がない。絡まらないのかな。

 男としてどうなのかと思う反面で、しかし余りジロジロ見ているのも良くない。相手に失礼とかそういうのではなく目線に気付いたバカ共がダル絡みしてくるのがかったるいので、僕は傍らで猫座りしているラムネを眺める事にした。

「………………」 

 今はもう法度ルールを解除しているのでいつもの可愛いエクレア顔だが、その表情は何一つとして不満を隠しもしていないしかめっ面である。僕の視線に気付いたラムネがこちらに寄ろうと一歩踏み出すが、前脚の肉球が水に濡れた岩張りの床に触れた瞬間しぴぴっと振るわれる。ただでさえ機嫌の悪そうな感じをありありと放っていた眉間を更に深く寄せながらしゃぶしゃぶと右の肉球を舐めたラムネが脚を下げようとしたのだが、やっぱり肉球が水に触れて不快だったのか再びしぴぴっと振り払われる。それを数回繰り返した頃、やがて諦めたのか猫座りのまま仏頂面で目を閉じ微動だにしなくなった。

 因みにパルヴェルトは当然この場に居ない。女性陣に許されるとかどうとか以前に、今まさに『ストレス☆発散 魔王様直々による鞭打ちの刑〜With 謁見の間にて、気が済むまで』の真っ最中なのだからどうしようもなかった。魔王さんは僕らが終わり湯だと言っていたし、恐らくパルヴェルトが風呂に入れる頃にはお湯は抜かれてしまっているのかもしれない。場合によっては川から汲んできた冷水を使う事になるのかもしれないと考えるとちょっと悪い事したかなと思わなくもないが「まあパルヴェルトだしいっか」とすぐに考える事をやめた。

「頭が痛いのですよ……ガンガンするのですよ……」

わたくしもです……ズキズキします……」

 他と違っておっさん臭い喘ぎ声をあげていなかったトリカトリとチルティが湯船に入りながらそう呟いた。砦の壁に頭から腰まで完全にぶっ刺さっていたにも関わらず「頭痛い」程度で済んでいるのは二人が頑丈だからなのか、それともギャグ漫画みたいな負け方をした事によるギャグ補正からなのかは定かではなかった。

 ………犬が尻尾を振るのは嬉しい時だと思っていた時期があったが、実際には「機嫌とか関係無く興奮するとブンブン振りがち」のだという。それで行くと髪と違って対処のしようがない故に湯船に思いっきり浸かっているチルティ・ザ・ドッグの尻尾が、僕が首様の胸元をガン見しているのにも関わらず全く動いていないのは完全にテンションが落ちているからなのだろうか。或いは頭が痛過ぎて僕の視線に気付く余裕が無いのかもしれないが。

「…………んふふ」

 へにょけた顔で苦しんでいるチルティから目を逸らして首様を見ると、首様はすぐに気付いていたずらっぽく笑う。別に下心とかやましい気持ちがあって見ていた訳ではなく「ジズよりは大きいんだな」と思っていただけなのだが口が裂けても出来ない言い訳だった。何しろ僕の目の前に位置取っているジズは既に何か感じ取ったのか「ンだコラおォん?」とコンビニ前にたむろするヤンキーと目が合った時のようにひたすらガンを飛ばし始めているのだから、間違っても「ジズの方が小さいんだね」だなんて言える訳が無かった。

 僕は女性の胸だとか体付きだとかは割とマジでどうでも良く「好きになった人が好き」という派閥に属しているのだが、九割九分九厘ジズは耳すら傾けず僕の金玉をもぎ取るだろうから。

 体型といえば、首様のペットである所のチルティ・ザ・ドッグは普段から首様と同じように和服を着ているからどうしても気付けなかったが、元気な子犬のようなその性格に反して体は思いの外大人びていて少し驚いた。和服は胸のサイズが分かりにくくなるという話を聞いた事があるが確かにそうなのかもしれない。

 女性のカップだとかに関しては全く知識がないので何も分からないのだが、光やトリカトリとまではいかずともかなりふくよかなお胸をお持ちのようでびっくりした。身長は低めだし性格はまさしく犬そのもので非常に行動的なのだが、さっき湯船に入る際に視界に入ってしまった姿を思い返せば下の毛なんかはめちゃくちゃフサフサしていたように思える。髪や尻尾と同じく黄色が強い茶色だったが、元々ただの犬だった所を首様の気まぐれで人型になっているというから、犬耳や尻尾だけでなく毛皮的な部分がそこらに現れているのかもしれない。

 とはいえやっぱり性的な感情は湧かなかった。チルティが快活な少女らしからぬ「ほげぇ……頭痛が痛過ぎるのですよぉ……」とIQの低い呻き声をあげているから萎えたとかではなく………こう、なんだろうか。そういう対象として見れないとでも言うべきか、愛玩動物感が強過ぎるのかもしれない。

 それではすぐ隣のトリカトリ・アラムに対してはどうなのかと聞かれれば、やはり性的な感情は全く無かった。重力に負けて些か垂れ気味な光の爆乳とは違ったロケットおっぱいとでも言うべき豊満な胸の割にビビるほどくびれた腹部なんかは恐らく大多数の男性に受ける体型なのかもしれないが、何せ他の様々な要素がデカ過ぎる気がする。好みの分かれる乳輪の大きさもそうなのかもしれないが、兎にも角にも三メートルに達する身長に若干萎縮してしまうのが強い。実際湯船に浸かっているトリカトリはその実腰ぐらいまでしかお湯に浸かれておらず、ぶっちゃけ半身浴と殆ど変わらない。おかげで知りたいとも思わなかったトリカトリの乳輪サイズまで目を向ければ完全に知れてしまう有様だったし、巻かれたタオル越しに頭を抑えるトリカトリのその指の四本指なんかも種族の壁を感じるというか、何だか性的な目で見辛い感じがする。別に「とにかく痛いです……うげえ……」とメイドらしからぬ酷い呻き方をしているのに萎えた訳ではない。

 光に関しても同様だった。「一目惚れした!」と豪語するパルヴェルトの言葉を思い出せば出すほど「こいつのどこに惚れる要素があるんだ?」と首を傾げたくなる。体型は超絶男ウケするぼんきゅっぼんな上にマニア受けする気持ち垂れ気味な胸が目を引くのだが、何しろ性格が終わっている。アダルトビデオに出演する黒ギャルはやたらとシコいが実際付き合いたいかと言われると「それは無理。疲れそう」と即答出来るのと同じような理屈で、仲間内で騒ぎ合う分にはとにかくいい女なのかもしれないが、性的な目ではやはり見辛い。決して「ぷぷぷるるるるぃぃ〜」と唇を震わせて奇怪な息の吐き方をしながら疲れを癒やしている姿に萎えぽよだからという訳ではない。いやまあ確かにそれは萎えるんだけどそれだけが理由ではない。

 ここまで来ると「もしかしてインポテンツか?」とも思いたくなってしまうのだが、何故だかジズの裸だけはまともに目を向けられない。貧相な体だからとかって事は間違ってもなく、どうしてなのかジズの裸体だけは見ていると凄い恥ずかしい。記念すべき初のお風呂回でしかも混浴で、全裸のジズの目の前にいる僕も全裸だから殊更ことさら羞恥心が高まっているというのも確かにあるのだが、そういうのを含めなかったとしてもなんだか妙に照れ臭い。思い返せば普段からビキニパーカーというイカれた出で立ちのジズに対しては無意識的に目線を逸しがちだった気もする。

 チラチラとジズに目を向ければ、光が良く揶揄する通りの壁乳が目に映る。なんだか恥ずかしくて見ていられず視線を落とせば健康的な腹部と縦長のヘソが視界に入り、慌てて頭を下げたら今度は水面越しに三角地帯が見えそうになって思わず目を閉じてしまった。

 そうだ顔を見よう。顔。顔なら普段から見慣れている。裸体に目を向けるから恥ずかしく感じるんだ。

 そう考えてジズの顔を見てみれば、温かいお湯で血行が良くなり朱に染まった頬に、普段の気怠げな目元と打って変わってとろりと安らいだ目元に心臓の鼓動が高まる。さっきの二の舞いにならないよう控えめに目線を下げれば薄く開かれた口元が目に付いた。お湯で暖められて上気したジズがほのかに荒く吐く吐息や、薄めなもののぷるりと主張する唇。そしてその口元の向こうにある桃色の舌が─────、

「………なァにアタシ見ながら元気になってンのよォ」

「────おん? …………ほーん? ほおおん? おーほーん?」

「おや、まだまだ小坊こぼんじゃと思っておったが……これはなかなか」

「あだまいだいでずよぉ……ほげえ」

「みーとぅーです……うげえ」

 声が聞こえた気がした。僕の股間から。僕の声で「……呼んだ?」と。呼んでない。呼んでないから鎮まれと思ったが時既にお寿司。もはや全てが手遅れたった。

「どれ、わしがちょっとシコってやるか。心配要らん、数日シコるだけじゃ、生きてれば生きて返してやるでの」

「それ絶対死ぬやつやん」

「─────ひっ」

 僕は思わず息を飲んだ。

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