第十八話 俺達と女の子達が暗号解読して女の子の想いと魔法生物を発見する話

 二十五日目の午前九時三十分ほど。

「あれ、団長方もお出かけですか?」

 シンシア達はコリンゼと正面扉の前で偶然会った。リオちゃんから朝食後に受け取った孤児院へのお土産はシンシアが持っている。それにはすでにユキちゃんの魔法がかけられていた。

「ああ、ちょっとな。一緒に出ようか」

 なぜか行き先を隠すシンシア。コリンゼを驚かせたいのと、いつ気付くかを見たいのだろう。

 孤児院までは二十分ほど歩けば着くらしい。それまでは、シンシアが三人をコリンゼに紹介したり、城下町に行く時は昼食をいつもどうするのかを話したりしていた。

 コリンゼは、いつもアドと食事をするらしいが、ということは、今日も孤児院に来るのだろうか。

「偶然ですね。こんなに行く方向が同じなんて……って、もしかして団長も孤児院に行くんですか⁉」

「思ったより早く気付いたな。そう言えば、この先には訪れる場所も他にないか。まあ、その通りだ。スパイの調査報告と対策にな」

 孤児院までは、あと七、八分ほど歩かなければならない。

「今日はアドも来るのか?」

「はい。あっ! あれじゃないですか?」

「え? どこだ? 全く見えないぞ。私も視力は良い方だが、それでも分からない」

 シンシアの言葉を聞いて、俺もクリスの外套から、増やした触手を透明化させて外をちらっと覗いてみたが、確かにめちゃくちゃ遠い。俺達には見えるが、あれを判別できる人間は、視力四はありそうだ。アドは別ルートで来ていて、俺達の方が早く孤児院に着く感じだろう。

「お兄ちゃんだけは遠くからでも分かるんです。分かりやすい格好もしてますし。今は……赤レンガの建物の近くを歩いていますね」

 コリンゼのお兄ちゃんセンサーか。アドには妹センサーはあるのだろうか。ちなみに、俺もゆうも持ち合わせていない。それがあったら、お互いの部屋に入った時点で気付くだろう。

「コリン! なんでこいつらがいるんだよ! それに、あの時のボウズが……女⁉」

 途中からアドが走ってきて、孤児院に着く前にシンシア達と合流した。アドはコリンゼのことを『コリン』と呼んでいるのか。どちらかと言うと、『コーリン』の方が言いやすいが、別物になってしまうか。

 何気に、アドがこのメンバーと全員顔見知りというのは、面白い偶然だ。

「あ、うん。かいつまんで話すね」

 コリンゼは、城内スパイのことと、自分の疑念をシンシアが晴らしたこと、そして、シンシアから先程聞いた、その報告と対策について、アドに話した。

「そうか……。妹が世話になったな。礼を言うぜ。それにしても、『あの女』がスパイねぇ……。確かに何考えてるか分からねぇヤツだったが、とてもそうは思えなかったな。

 実際、『ウチ』には何のダメージもねぇどころか、リターンしかねぇ。横領をキッカケに、そのまま補助金に変わって継続するなんて聞いたこともねぇしな。本当は、孤児対策まで行ってほしかったが、それを今回のキッカケで求めるのは贅沢すぎるか……。

 って言うかよぉ、団長様が『ウチ』と交流があるなんて聞いたことがねぇんだが、一体どうなってんだよ⁉ 俺はこれでも割りと帰省してる方だぜ。『おふくろ』からも『弟達』からも『妹達』からも一切そんな話なかったぞ⁉」

「ふむ、それはすごいな。情報統制が感動レベルだ。『私がここに来たことは、今ここにいる者達以外には言わないでくれ。もちろん、ここに対してしたこともだ』と最初に訪れた時に言ったのだが、それがずっと続いているのか。

 孤児対策については改めて考えたい。何しろ、ここ数年で増加した原因もそうだが、我々が現実を知らなすぎる」

 情報統制については、シンシアの言った通りだが、俺もにわかに信じられなかった。大人ならまだしも、子どもがそれを忠実に守るのは、知能が相当高い証拠だ。『他に誰か来たか?』という質問に対して、嘘をつくか、誤魔化すか、その話の流れにさせないようにしているということだ。

 ただ、そうなるとある疑念が浮かぶ。『その域』に達するまでの教育はどうしているのか、だ。仮に新しい孤児が入ってきた場合に、それを守り通せるのか。教育を集中的に行うだけで可能になるのか。とすれば、その教育方法とは、と連鎖的に考えてしまう。

 まあ、これから分かることかもしれないが、警戒は必要だ。実は『秘密の教育』をしていて、それを知られたら生かして帰すことはできないと言われる恐れもあるからだ。流石に疑心暗鬼すぎか。まるでコリンゼのような考え方をしてしまった。

「帰ったぞー!」

 そんなことを考えている間に、シンシア一行は孤児院に着いた。扉を開けたアドの声に、ドタドタと子ども達が集まってきた。

「アド兄が帰ってきた! おかえり!」

「アドお兄ちゃん、おかえりなさい」

 元気な子や大人しい子、様々な子どもがアドを出迎えた。奥からゆっくり近づいてくる足音も聞こえた。

「おかえり、アド。シンシア様もようこそいらっしゃいました。……私の勘違いでなければ、この一ヶ月で随分とご成長なされたご様子。私の責任でシンシア様に大変なご迷惑をおかけし、申し訳なく思っておりましたが、先日の手紙で吉報を聞くことができ、我がことのように嬉しく思いました」

 院長らしき女性がアドとシンシアに挨拶をした。透き通った声なので、それだけで年齢を当てるのは難しそうだ。

「ああ。これから詳細を話す。アドもコリンゼも加わってくれ。君達の見地が必要だ。他の三人の紹介もそこで。

 これはお土産だ。少し多めに持ってきたが、院長とアドの分を残して、子ども達全員に渡るようにしてくれ。遅く食べると昼食に影響するから、できるだけ早く食べた方が良いだろう。味は保証する」

 シンシアが院長にお土産を渡した。

「やけに推すじゃねぇか。そんなに美味いのかよ」

「城内食堂のリオが作った。会ったことはあるか?」

 アドの疑問にシンシアが答え、さらにアドとリオちゃんの接点を探った。その間に一行は院長に案内されて応接室に向かっている。

「そいつがリオってヤツなのかは分からねぇが、休暇中の城内食堂の女調理師には会ったな。随分前だぜ。だが、よく覚えてる。それぐらい衝撃的だった。

 城下町のその辺の大衆食堂で相席になってな。そいつの食べるスピードがめちゃくちゃ速くてよぉ。『そんなんじゃ、料理が泣くぜ』って言ったら、『逆です。むしろ喜んでますよ。この料理は早く食べないと味が極端に落ちるんです。当然、一瞬で味が全て分かる人でないと、この料理の本当の良さは分かりません』って返されたから、『だったら、今出てきた俺の料理はどう食べれば一番美味いんだよ』って聞いてみたら、『まず、喉を詰まらせないように気を付けながら、メインの三分の一を一気にかきこんでください。そして、スープを半分飲みます。次にサラダとメインを交互に、普通に食べてください。それらが全てなくなってから最後にスープを一気に飲み干してください。サラダを最初に食べるのはこの店ではオススメしません。もったいないです。それぐらいサラダが重要な役割を果たしているんです』って言われたんだよ。

 そして、その通りに食べたら、今まで俺が食ってきた『これ』は何だったんだってぐらい美味く感じてよぉ。何者か聞いたら城内食堂で調理師をしてて、時々店巡りをしてるって言ってたな。

 その時は、他の料理の食べ方や他の店についてもいくつか聞いたが、俺は俺で、そんなの知らなかったから、逆に腹が立ってきて、『そういう料理でも店でも、簡単に知ることができるようにならねぇもんかなぁ』みたいな愚痴を色々と言っちまったな。

 一息ついたら、すぐに向こうは他の店も回るっつーことで、俺には仕事があったからそこで別れちまったが、それがなかったらあいつに付いて行きたかったぜ。しかしまあ、それ以来、そいつの言った通りの食べ方をしたり、どうすればこの料理を一番美味く食えるのかを常に意識してるな。面白いヤツだったなぁ」

 間違いなくリオちゃんだな。あと思ったのは、アドの口調は別にして、コリンゼと話の展開が似てるな。コリンゼがアドを真似たのか。

 それにしても、アドに影響を与えるのはすごいな。彼が言う『面白いヤツ』は、自分に知識をくれたり、良い影響を与えてくれる人のことを言うのだろうか。

「お兄ちゃん、それでリオさんのこと好きになったの⁉ 私にもそんな食べ方とか教えてくれなかったし!」

 応接室に着き、院長とヨルンがお菓子を子どもに配りに行っている時間を使って、コリンゼは兄の恋バナを無理やり引き出そうとした。

「はぁ⁉ 何言い出すんだよ、そんなわけねぇだろ! だったら、名前ぐらい聞いてるし、城に用事作って食堂に行ってるわ! それに、俺は受け売りしたくねぇんだよ。だから話さなかったが、ヒントは出してたし、お前は俺の真似して、同じように食ってただろうが。結果的にお前は一番美味い方法で食ってたんだよ」

 アドは、相手を好きになったら積極的になるタイプだということは分かった。

「リオは誰がどう見てもかわいく、調理に関しても世界で指折りだろうから、普通ならすぐにでも結婚したくなるほど、非常に魅力的な女性と言える。アドにとって、彼女の年齢が若すぎるとしてもお釣りが来るレベルだ。

 だとすれば、異性に興味がないか、他に好きな人がいると考えるのが自然だろうが、前者であれば、否定の仕方に違和感がある。まあ、後者だろう。だとすれば、誰なのかだが……。例えば、城下町ギルド内の誰かとか……」

 アドはリオちゃんである可能性を否定したが、シンシアが別の可能性の推察を始めた。

 シンシアがギルドを挙げたのは、コリンゼの話から、ギルドのシステムが、アドの愚痴によって改善されたことに起因する。それを理解でき、実行できるとなると、当然ギルド内の人間であり、アドが頻繁に出入りすることからも、そこでよく話をする人物ということになる。

 すると、クリスが右手を挙げた。俺達は応接室に入った時点で縮小化して、クリスの左腕とユキちゃんの左腕に巻き付いているので、それによりアドから見えることはない。位置的には、シンシアとアドが向かい合ってソファーに座っていて、シンシアの隣にヨルンが、アドの隣に院長が座る予定、シンシア達の後ろにクリスとユキちゃんが立っているという状況だ。

「城下町ギルドなら心当たりがあります。ギルドの証明書手続きの人が、すごく美人で賢そうでした。私がその日に来るのを予想していたかのごとく、流れるような手続きであっさり提出が終わったのが印象的でした。

 しかも、ヨルンくんのギルド内での騒動について、我関せずと言うか、すぐに収まるだろうという感じでどっしりと構えていました。あれは今考えると、アドさんがギルド内にいて、あなたを信頼していたからこその態度だったのではないでしょうか。つまり、もう付き合っている可能性もあります」

「つ、付き合ってねぇよ! 付き合ってねぇけど……あいつ、そんな感じだったのかよ……」

「うわあああああ! ビンゴだあああああ!」

 アドの態度に、ゆうが突然やかましくなった。コリンゼも自分から話を振ったのにもかかわらず、驚いた様子だ。

 このタイミングで院長とヨルンが戻ってきたが、話は続いた。

「あのお兄ちゃんが……。お兄ちゃん、早く決めた方が良いよ! 女はいつ心変わりするか分からないんだから! 団長みたいに素敵な人が現れたら、取られちゃうよ!」

「なんでそこで団長様が出てくるのか分からねぇが、それはお前のことだろ? いつもなら俺に抱き付いてくるのに、今日は来なかったからな。ついに兄離れしたかと感慨に耽ってたぜ。

 まあ、それは置いとくとして、あのなぁ、こういうのは急いでも碌なことにならないだろ。それに、仕事と結婚の話題になった時に、俺が『なんで結婚しないんだよ。お前ならいくらでも相手は見つかるだろ』って前に聞いたら、『私が面白いと思える人がいなくて。つまらない相手だったら、つまらない結婚人生を送りそうで嫌だから』って答えが返ってきたから、少なくとも、あいつから『面白い』って言葉を引き出さないとダメだろ。嘘はついてなかったみたいだし」

「そんなのいいから抱いちまえよ! そこから始まる恋もあるだろ!」

 ゆうがうるさい。

「では、そこから何を返したんだ? そこで彼女にとっての『面白い返し』をしなければ、候補から外れるのではないか?」

 シンシアがさらに詳しく聞いた。俺もそう思う。

「いや……その時の俺は別に何とも思ってなかったから、『それはお前がつまらないからだろ。面白くする努力をしろよ。仕事だってそうだ。仕事がつまらないって言うヤツは数え切れないほどいる。それなら、自分が面白く感じるような提案をしろよ。俺は女の話はつまらねぇとよく言うが、それは俺がつまらないんじゃなくて、俺が面白くしようとしても、女の方は全く面白くしようとしねぇからだ。話を聞いてくれるだけでいいとか言うなら、自分で自分に話して、勝手に肯定してろよ。仕事の場合は、何もしない上司、上からの仕事をそのまま下に押し付ける上司がそれに当てはまる。国家権力様も大体そうだ』って言ったかな……。まあ、普通に考えれば『アウト』だよな……。それは俺にも分かる」

「いや、その通り! 女はクズ! 琴ちゃんとシンシア達は除くけど!」

 ゆうのドリル音がうるさいなぁ。俺も好きだぞ、アドの考え方。と言うか、完全に同意だ。それに、この場合は心配する必要はないだろう。

「せっかくだから、みんなに聞いてみるか。一度に二つ聞こう。普通に考えて『アウト』だと思う者は『1』を、自分にとっては『面白い』と思う者は『2』を指で示してくれ。

 ……ありがとう。私も含めて全員『2』だ。まあ、そういうことだ。分かる人には分かるさ。『アウト』にするような女なら願い下げればいい。アドが面白いと思った者なら、きっとその者も君を面白いと思っただろう。

 そうでなければ、君の言葉通りにギルドを改善しようとも思わないし、君が彼女を面白いと感じることもなかったし、賢い彼女からの信頼もない。君は間違いなく彼女に影響を与えている。

 この場合、下手に相手に媚びない方が良いだろう。そのままのアドでなければならない。相手も『面白い』と言うタイミングを計っている気がするから、君らしく、それでいてお互いに勢いがつくような『演出』があれば良さそうだ。誕生日のようなイベントが近ければ、そこで実行するべきだが……。

 まあ、私達はあまりでしゃばらない方がいいかもしれないが、茶番でもやるなら付き合おう」

「茶番……? うーん、ぱっと思い付いたのはあるが……いや、でもなぁ……。実は、あいつの誕生日が五日後にある。流石に急すぎるだろ」

 五日後なら、叙爵式の次の日か。特に予定はないが、少し出発が遅れるぐらいか。

「お兄ちゃん、誕生日はちゃんとその人と約束してるんだよね⁉」

「あ、ああ。こいつらとギルドで会った日に、誕生日の晩飯には誘ったが、それ以外は、プレゼントも含めてノープランだ。女の望むことを聞くなんてガラじゃねぇしな」

 アドの回答は、コリンゼだけでなく、俺達も安心させた。誕生日に誘いに乗るのは、脈がなければできないことだ。

「であれば問題ない。少なくとも私達にとっては十分な時間だ。あとでアドの希望を聞いた上で、茶番が得意な知り合いがいるから、アレンジしてもらおう。君のような国士のおかげで、我が国が良くなっていく。陛下もきっとお喜びだろう。私からも感謝する」

 シンシアがアドに感謝の言葉を言ったが、アドは不服そうだった。

「やめろよ。俺はお前達に感謝されたくてやってるわけじゃねぇんだよ。社会から一度捨てられたこいつらが、社会に戻る時に、そのままの社会だったら、また捨てられるかもしれねぇ。いや、そもそもそんな社会に戻りたくないと思っちまうかもしれねぇ。

 いくら教育で綺麗事を並べられても、こいつらはそこに気付いちまうんだよ。ここが全てになっちまう。ここが掃き溜めになって、それを改善しようにも、ちゃんと社会を知らねぇから、まともな方法も思い付かねぇ。世の中にすでに存在する方法に無駄な知恵を絞って、みんなで喜んでも意味がねぇだろ? 外の誰かに相談すればすぐに解決するのに、知り合いはいねぇ、まともな説明もできねぇじゃあ、無駄な時間が過ぎていくだけだろ?

 そういうのは、『バカ』って言うんだよ。俺達の実家がどんどん腐っちまう。それを知ってて見過ごすヤツは、『無責任』って言うんだよ。全くの他人に対しては、別に無責任でもいいさ。そいつの責任だからな。だが、俺を『お兄ちゃん』とか『アド兄』とか『かわいい息子』と呼ぶようなヤツらを、『それはお前達の責任だから、成人しているんだから、お前達だけで全部何とかしろ』と言うような人間にはなりたくないね。

 何のために『俺』がいるんだよ。何のために『俺』が先に生まれて、『俺』がここにいたんだよ。こいつらが進む道を作るためだろうが! それが『兄』の役目だろうが!

 ……いけねぇ、つい熱くなっちまった……。とにかく、俺は国士でも何でもねぇ。真の国士様だったら、もっと積極的に政治に関わってるだろ。俺は、ただ自己満足のためにやってるだけだ」

 アドの性格から言って、シンシア達に限らず、コリンゼや院長といった『家族』の前でも、ハッキリと自分の考えや感情を晒すような人物ではない。

 これまでの話の流れ、つまり、コリンゼの悩みが解決したこと、『国家権力』からの改まった感謝によって、自分のやってきたことが無駄ではなく、実を結んだことが分かり、しかもそれに気付いてくれた人達がいた。

 だからこそ、彼の言葉とは裏腹に、無意識でテンションが上がっていたのだろう。恋愛について口を開いたのも、その一環だ。シンシア達を信頼した証でもある。

「なるほどな。素晴らしい考えだ。だが、君がどう思おうと、我々が感謝さえもしなければ、それこそ恩知らず、礼儀知らずのただの『バカ』だろう。

 それに、その恩返しのために茶番に付き合うと言ったわけではない。アドが幸せになることをこの場の全員が望んでいる。まさに、君のような者が幸せにならなければ、この社会は何のために存在するのかとさえ思う。肯定したいんだ。自分達と自分達がいる社会を。

 それは間違いなく私の自己満足だし、君にとっては余計なお世話かもしれない。自分のことは自分で何とかするべきだという考えもあるかもしれない。ただ、君は損得を判断できる男でもある。私の提案を完全に否定しなかったことから、リターンを見込めると踏んだはずだ。ならば、進むべきだろう。

 そうすれば、君を取り巻く環境も変わるし、別の視点から、我が国の課題が見えてくるかもしれない。それでは不満か?」

「……へへっ、『面白い』こと言うじゃねぇか。じゃあ、その『仕事』、受けるぜ! あんたは俺に、ジャスティ国の課題を新たに調査するよう依頼した。その報酬は前払い制。俺とあいつをくっつける手助けをして、俺達を幸せにすること。これを逆にすれば、俺があんたに依頼した『仕事』でもある。

 俺は超一流冒険者として、その依頼を必ず成功させる。あんたも、超一流国家騎士兼冒険者として、俺の依頼を必ず成功させろ! ただし、それぞれの経費は自分持ちだ」

「承知した。私達は明後日にまた城下町に出るから、その時に計画を話そう。午後三時に……そうだな、どうせならギルドの会議室を使わせてもらいたいのだが手配できるか? その彼女も見てみたいからな」

「おいおい、大胆だな。まあいいぜ、それも『面白い』からな。もし、会議室が取れなかったら、ギルド前で待ち合わせて、離れたカフェにでも行くか」

「そうしよう。さて、長話になってしまい申し訳なかった。改めて、スパイの調査報告と今後の対策について、まずは私から説明し、そのあとに意見があれば言ってくれ。

 おっと、その前に持ってきたお菓子を食べてくれ。話の最中だと食べづらいだろう。私も景気付けにいただくとしよう」

 アドとの話がまとまり、シンシアとアドと院長がお菓子を食べて、その美味しさに感動を味わってから、シンシアの説明が始まった。基本的には、コリンゼがアドにした説明と同じで、違うとすれば、『コレソ』のここに来るまでと、それからの足取りを補足したぐらいだろう。

 対策については、レドリー邸や城のように魔法使いが常駐できるわけではないので、新しく子どもを迎え入れたり、人を雇ったりする場合は、総務大臣の許可を得て、面接を城内で行うことを義務付け、それを補助金継続の対価とした。

 魔力供給役としての魔法使いを一人雇う場合は、ユキちゃんが今から張るトラップの期限である二ヶ月以内に届け出をし、その分の費用は補助金から差し引く。ただ、『コレソ』が十分に運営資金を集めていたので、当面、と言うか今後ほとんど心配する必要はない。

 つまり、今回の事件では、アドが言った通り、孤児院が全く損をしていないので、シキちゃんの存在さえ考えなければ、院長が黒幕でもおかしくないところだ。

「以上だが、対策に関連する話で、ずっと補助金頼りというのは、いずれ外部から不満が出るはずだ。何らかの収益を上げる方法を考えた方が良い。何か案があるか? ないならないで、『新生』経済省と相談の機会を設ける。これからあの省は随分変わるはずだ」

 シンシアの質問に、院長が口を開いた。

「……。実は、それについて『コレソ』から提案されたことがあるんです。子ども達でお菓子を作って売ったらどうかって。試しに、彼女が仕入れた材料で作ってみたこともありました。まあまあの出来にはなりましたが、楽しく作ることができて、自分達で嬉しそうに食べていました。ただ、商売をするに当たっては、彼女からは『経済省の力を借りた方が良い』と言われて、同時に『でも、経済省は今は手が回ってないから時期を見計らった方が良い』とも言われました。

 今日、シンシア様からいただいた美味しいお菓子に影響されて、子ども達もこんなに美味しいものを作ってみたいと俄然やる気になってくれたように思えます。

 また、『新生』経済省のお話もいただき、とても良いタイミングだと思いました。この偶然の重なりが、スパイの『コレソ』のおかげというのは不思議な気持ちにはなりますが」

「そうですね。でも、僕が子ども達にお菓子をあげた時、『これどうやって作ったの?』とか『いっぱい作りたい』とか聞かれたり話したりしていて、まさに興味津々という感じでしたね」

 ヨルンも子ども達の反応を目の当たりして、お菓子で商売することを本気で考えているのだと確信したようだ。これも、完全にシキちゃんによって仕組まれていたな。

「分かった。この際、スパイは関係ないものと考えよう。『誰が言ったか』より『何を言ったか』だ。菓子販売については、『新生』経済省には話を通しておこう。

 相談の日時が決まり次第、こちらに手紙を出すよう伝えておく。早くて二週間後ぐらいになると思う。それともう一つ。孤児院に何か仕掛けられていないか確認したい。今からクリスが魔法を使うからそのままでいてくれ。クリス、頼む」

 クリスが詠唱を始めた。この流れは事前にヨルンやユキちゃんとも共有している。クリスが魔法を発動すると、アドと院長に催眠魔法がかけられた。

 孤児院内を調査する前に、二人がスパイでないことを自白によって明らかにし、『コレソ』から言われたことがあれば、忘れていたとしても記憶を呼び覚まして、すぐに話してもらえるようにするためだ。

 さらにもう一度、変形空間催眠魔法を使い、子ども達にも催眠魔法をかけた。シチューよりもお菓子の方が質量は小さいが、それを食べてから十分に時間は経過しているので、予め催眠魔法がかけられていたとしても、それは解除されており、安心して魔法が使える。

 ここに来た時に警戒すべきは、対魔法使い用のトラップが仕掛けられていた場合だが、クリスとユキちゃんには魔力感知魔法を自分の周囲に展開してもらっていたので、トラップにかかった時点でそれが分かるようになっていた。とりあえず、今のところはトラップがなかったようなので安心だ。

「だ、団長……これは……そういうことですか。なるほど……」

 コリンゼは最初こそ戸惑ったが、すぐに自身で納得していた。

「他国のスパイに通ずる者は、この部屋に来て、そのまま立っているようにクリスから条件を与えられている」

 それから三分ほど待ってから、誰も応接室には入ってこなかったので、シンシアが二人に質問を始めた。

「よし、それでは『コレソ』から他に何か気になることを言われたり、あるいは何かを受け取ったりしたか? アドから順に答えろ」

「あー、孤児院を何日で卒業したかは聞かれたな。なんで孤児院のことを知ってるのか聞いたら、明らかに怪しい場所だったからって言われたな」

「私は、孤児院内に誰も入らない場所があるかを聞かれました。なぜと聞くと、『そもそもそんな場所があること自体おかしいので、私がそこを管理します』と言われました。『でも鍵はなくしてしまったの』と言ったら、『何とかします』と言われ、実際に何とかなったようです。また、彼女からは手作りの絵本を寄贈してもらいました」

 どうも二人の回答、と言うかシキちゃんの質問がおかしいな。院長の話もそうだが、アドの方は特に違和感がすごい。孤児院のことを知ってるのか聞くことがまずおかしいし、孤児院が『怪しい場所だった』というのもおかしい。『怪しい場所にある』ならまだ分かるが、実際には周囲は怪しい場所ではないので、やはりおかしい。

 俺はクリスの左腕に少しだけ力を入れて合図を送った。

「そこの棚をお借りします」

 応接室の扉から見て右側に丁度良い高さの棚があったので、そこで俺が鉛筆でメッセージを書いた。クリスからユキちゃんに渡してもらい、さらにシンシアに渡してもらった。その後の作戦も今の内に別の紙に書いておいた。

『アドが孤児院内で質問されていた場合、記憶が書き換えられていると考えられる。まずは、孤児院内で聞かれたかを確認して、院長が言及した場所と管理方法を具体的に聞いてほしい』

「アドに聞く。『コレソ』からそれを聞かれたのは、孤児院内か? 違う場合は、その場所を言え。……。次に院長に聞く。その場所とは具体的にどこだ? また、管理とは具体的に何だ?」

「『特別教室』の物置のさらに奥の『開かずの間』です。管理とは、あとで聞いたら、そこの掃除と入室申請窓口、鍵の管理だと言っていました」

 もしかすると、アドの回答での『孤児院』は『特別教室』が置き換わったものなのではないだろうか。つまり、『特別教室』を何日で卒業したかを聞かれ、なぜ『特別教室』のことを知ってるのかと聞いたら、そこが孤児院内で明らかに怪しい場所にあった。それなら、納得の行く文章になる。

 おそらく、特別教室については、少なくとも、外部から入ってきて間もない人間には教えられない空間なのだろう。前の俺の推察と合わせると、ある程度の知能に達するまでは、その特別教室で十分な教育を受け、試験に合格すれば卒業できる。それまでは、日常の空間と隔離されるのではないだろうか。

 そして、それについては、アドでさえ誰にも言わない。物置の奥に『開かずの間』があるのは、物置は元々物置ではなく普通の部屋で、『開かずの間』が本来の物置だったと考えるのが自然だろう。

「段階的な教育を行っているとは聞いていたが、特別教室については聞いていない。具体的に説明しろ。また、『開かずの間』も同様に説明しろ」

 シンシアの命令に、院長は俺の推察通りの説明をした。安心したのは、『特別教室』や『開かずの間』が虐待に使用されていなかったことだ。

 『特別教室』は隔離されており、屋外に出ることはできないものの、それ以外は普通の日常生活を送ることができるようで、それに不満を持っている子どもはいないとのことだった。アドでさえ納得していた。

 現在は、特別教室には一人もいないが、新しく子どもが来た場合は、そこに入る予定だ。シキちゃんがわざわざアドの記憶を書き換えたのは、何かを調べていると思われたくなかったからだろうが、そもそも、なぜそんな質問をしたのか。アドの優秀さを確認するためか、アドのような性格でも特別教室のことを秘密にしているのかを確認するためだろうか。それにしても、その先の目的は流石に分からないな。

「では、院長。その絵本を持ってきてくれ。複数あれば全て」

 シンシアの命令に、院長は応接室から出ていき、一冊の絵本を手に戻ってきた。シンシアは、ソファーから立ち上がって受け取り、その絵本の表紙を確認すると、それをクリスと俺達だけに見せた。

「シュウ様……よろしいでしょうか」

 そのタイトルを見た瞬間に分かった。これは、明らかにシキちゃんからユキちゃんへのメッセージだ。シンシアはこれをユキちゃんに見せていいかと言ったのだ。これは流石に隠せないし、シキちゃんの希望だろう。

 俺は首を縦に振り、肯定した。

「これはユキが読んでくれ。声に出す必要はない。私達も黙って一緒に見るが、気にせず自分のペースで読んでくれ」

 シンシアは、ソファー前のテーブルに著者名が書かれていない絵本を置き、ユキちゃんを代わりにソファーに座らせた。

「え……うん……。『双子のシーユー』……これって……」

 ユキちゃんは、手を震わせながら、恐る恐るページを捲っていった。


『双子の女の子シーとユー

 双子なのに小さい頃から離れ離れ 大きくなっても離れ離れ

 でもシーはお姉ちゃんだからユーに会いに行くよ!


 やったー! シーは頭が良いからすぐにユーを見つけちゃった

 あ! でもどうしよう…… シーは悪い人に目を付けられてるんだった……

 ねえ どうしたらいい? ユー?

 あ! ユーが友達と笑ってる! 良かったね!

 …………

 あれ? 今の何? 夢?

 シーもユーと一緒に笑いたいよ…… このままバイバイしなくちゃいけないの? また会いたいよ……

 ねえ どうしたらいい? シー?

 あ! シーは頭が良いんだった! 考えよう! あの夢は何? シーは違う夢を見られる? 色々試してみよう! そしたらシーもユーも一緒に笑えるよね!

 …………

 でも…… そのまま時間が経っちゃった……

 どんなに頑張って考えてもダメなの?

 え⁉ なんでユーは死んじゃうの? 嫌だよ! シーが何もできなかったせい?

 ねえ! 何とかしてよ! 神様! 誰か! 誰でもいいから……

 …………

 ううん……もう……いいや…………

 ユー……天国でまた会おうね……愛してるよ……

 …………

 何……? 赤い光……? 朱い光……? 朱のクリスタル? いや違う……

 何かは分からないけど…… でも……温かい

 ありがとうって言いたくなる…… 幸せな気持ちになれる……

 どっちなんだろう? このまま何もしなければいいのかな? それとも元気をくれてるのかな?

 あ! シーは頭が良いんだった! シーが何もしなかったらシーじゃないんだ! 考えよう! 変わる時が来るんだ! シーも夢も!


 やったー! これなら……これなら行けるよ! ユー!


 シーがユーを遠くから見ていても シーがユーの近くにいても

 それでも今は会えないけど 絶対に会えるから

 ユーの大切な人達もきっとシーの大切な人になるから みんなで笑える日が来るから

 大スキだよ ユー!

 スキって何かって?

 今度教えてあげる! また会おうね!』


 ユキちゃんは泣いていた。絵本が希望に満ちた終わりだったにもかかわらず泣いていた。シキちゃんのこれまでの想いが全て伝わってきたのだ。たとえシキちゃんの存在を最近知ったユキちゃんであっても、容易に共感できたし、実際に二人が同じ想いであることに大きな喜びを感じたのだ。

「お姉ちゃん……ありがとう……。受け取ったよ……、待たせてごめんね……、やっとだけど……、でも……、絶対に会いに行キマス! 私も大スキだから!」

 ユキちゃんは、絵本を通して、遠くのシキちゃんに声を届けるように、自分の想いを熱く言葉にした。

 ユキちゃんが言った『行キマス』も『スキ』も日本語なのに、その場の全員が理解しているようだ。『勇運』の力で、偶然にも言葉にした上で、周囲にも理解させたのだろう。

「名作だよこれ……。テクニックだけじゃない。シー視点と第三者視点を見え隠れさせた上で、シーの感情が読者の共感を呼んで、最後の怒涛の言葉で作者の感情を見え隠れさせて、丸ごと共感させてる。

 シキちゃんとユキちゃんの関係は抜きにしても、子どもに大人気の絵本なんじゃないかな。『考えさせる』ための教育本としても価値が高いよ」

 ゆうの評論には同意するしかない。

「ああ。正直、説明も野暮だよな。ただ、一つだけ。子どもが気付かないほど奥深い点が秘められている。と言うか、俺達しか気付かない。

 シーユーと『またね』のスィーユーをかけているのは間違いなく気付くが、『死期』を悟った『シキ』ちゃんが、『素直』な『スキ』の気持ちで、ユキちゃんに辿り着こうとする『死』から『素』へのシフトと、『シキ』から『スキ』を送る気持ちの両方をかけていることには絶対に気付けない。

 さらに、『また会いたい』『また会おうね』の気持ちが全て異なることには気付くが、そのシフトや気持ちに関連付けられていることには気付けない。

 朱のクリスタルでなかったら何なのか、お互いの『愛』だろうかと想像するかもしれないが、『俺達』の転生がキッカケだったことにも絶対に気付けない。

 これらが合わさり、一つのギミックとして存在して完成品となっているが、読者がそれに気付かなくても、感動を与えられるというのは、天才という他ない」


 ユキちゃんが落ち着いてきた頃、シンシアがユキちゃんの左肩に右手をそっと添えた。

「ユキ、すまない。シュウ様とイリスは、シキがスパイであり監視者であることにお気付きになっていた。

 しかし、ユキがそのことを知ってしまったら、シキと対面した時の反応で、もう一人の監視者に二人の関係がバレてしまう恐れがあったから、私達にだけお伝えになっていた。ただ、シュウ様は、今のユキであればそれを伝えても問題ないと、ここに来る前にはご判断されていた。

 そして、シキもそう思っていたのだろう。彼女ほどの頭脳があれば、いつでも知らせることはできたが、このタイミングでユキに知らせたことは、やはり意味があるのだと私は感じた。私達もユキと同じ気持ちだ。必ずシキと一緒に笑い合おう」

「謝らなくていいよ。ありがとう、シンシアさん、みんな。嬉しいよ。本当に嬉しい。みんなの気持ちが、お姉ちゃんの気持ちが……。ヨルンくんもありがとう。もう大丈夫だよ」

 横で優しく寄り添っていた『弟』の頭を撫でながら感謝をするユキちゃん。

「よし! クリスさん、作戦を進めよう! 多分、最初の作戦とは違うよね」

「はい、おっしゃる通りです。実はもう一つ、シキさんとの関連でユキさんに黙っていたことがあります。

 シキさんによって、この孤児院に魔力遮断魔法がかけられています。シュウ様とシンシアさんは、それに複数の意味があると推察していました。まずは、透過空間認識魔法と魔力感知魔法で、この孤児院の全容を把握します。

 その後、アドさんと院長の催眠魔法を解き、『特別教室』と『開かずの間』に案内してもらい、場合によってはシュウ様のご指示を仰ぐためにその二人を遠ざける必要があると、シュウ様から先程ご指示がありました。ということで、少々お待ちください」

 そして、クリスはそれぞれの魔法を詠唱し、発動した。彼女は状況を理解するためにしばらく黙っていたが、整理がついたところで、口を開いた。

「大聖堂ほど深くはないですが、この孤児院にも広い地下空間がありました。そこが『特別教室』だと思われます。また、『開かずの間』と思われる空間の前に、催眠魔法トラップが仕掛けられています。

 そして、奇妙なことが一つ。魔力粒子が全く機能しない空間が『開かずの間』の中央にありました。子ども一人分ぐらいの大きさの空間です。ユキさん、こういうことはあり得るのでしょうか」

「念のため、私も試してみていいかな。…………。ホントだ……。お姉ちゃんすごいな。私の二歩ぐらい先を行ってる。あれは、名付けるとしたら『空間魔力停止魔法』。魔力遮断魔法とは挙動が全く異なる魔法で、発動前、発動後にかかわらず、その空間内の魔力の現象を完全に停止させる。

 なぜそれが分かったかって言うと、クリスさんの魔力粒子がその境界面で停止してたから。消滅ではないところもポイントかな。だから、中に人が入っても、魔法が使えないだけで多分安全。魔力前提の肉体と精神で人間が成り立っているからね。

 この魔法を簡単に言えば、時間停止魔法の魔力オンリー版みたいな感じ。私も作ろうと試してみたことはあるんだけど、理論が難しくなりすぎて実現できなかったな。本当に欲しかったのは、解除する方だったけどね。

 ちなみに、『空間時間停止魔法』はお姉ちゃんでも不可能だと思う。だから、それで代用した。魔力の供給や循環、自然消滅を避けるために。明らかに、そこに魔力を持った『何か』があるよ」

 ユキちゃんの魔法に関する想定の広さには改めて感心する。自分の足が、魔力停止によって動かせなかった場合を考えていたということだ。それを使える天才のシキちゃんは、もしかすると、俺達が現れる前の予知で、ユキちゃんのために作っていた可能性が高い。

 なら、その『何か』はユキちゃんのためか、それとも別の目的か。少なくとも、俺達を予知した時点で、ユキちゃんの足のために使う必要はなくなったわけだから、後者だろうか。

「いずれにしても、行ってみるしかなさそうですね。シュウ様から特になければ、このまま二人の催眠魔法を解除します」

「あ、あの! 二人はどういう状態で戻るのでしょうか」

 コリンゼがクリスに質問をした。まあ、気になるよな。

「私が催眠魔法をかけてからの、シュウ様、魔力粒子、催眠魔法に関する話題の記憶だけがなくなります。かけられていたことも分かりません。他の話題は残るので、絵本のことや『開かずの間』に何かあることを再度説明する必要はありません。自分が何の反応もしなかったことには違和感があるかもしれませんね。要は、安心してくださいということです」

「分かりました。ありがとうございます!」

 それから、クリスは二人の催眠魔法を解除した。まるで、会話が続いていたかのように、シンシアが即座に口を開いた。

「院長は『開かずの間』まで案内してくれ。アドも来るか?」

「あ、ああ……。その『何か』っていうのが、あいつが鍵を管理してトラップまで仕掛けて隠してたものってことか……。催眠の条件は、『開かずの間』のことは忘れて、今後近づかないってとこか? まあ、こんだけ良い本が書けるんだし、あんたの姉ちゃんなら、悪いものじゃねぇだろ」

 アドは状況を確認しつつ、ユキちゃんを慰めた。アドもシキちゃんの絵本にかなり感動したようだ。

「ふふっ、ありがとうございます。流石、コリンゼさんのお兄さん。優しいですね。それじゃあ、行きましょうか」

 少し照れるアドと院長を先頭に、俺達は目的地に向かった。その途中でヨルンがシンシアに話しかけた。

「ちょっと疑問に思ったことがあるんですけど、この城下町って地下のある建物が普通なんですか? 建築技術が高いんですかね」

「いや、私は大聖堂でさえ知らなかった。まあ、噂はあったが。と言うか、地下のある建物は事前に申請が必要なはずだ。怪しいことに使われては困るから、国も把握しておく必要があるが、他には聞いたことがない。

 では、ここが違法建築物かと言うと、噂さえ聞いたことがない。おそらくだが、秘密裏に処理され、極一部では知られていたことだったのだろうな。その人物、いや、集団には心当たりがある。フォワードソン家だ。もちろん、私もその中の一人なのだが、昔と今とでは思想が異なっていてな。詳しくは言えないが、『浄化された』とだけ言っておこう」

 シンシアが家のことをあまり話さないのは、過去の後ろめたさがあるからだろうか。しかし、浄化されたのなら少しぐらいは話せることがあっても良さそうだが、この感じだと完全に浄化されていない可能性がある。

 俺達が解決できるのであればしてあげたいが、こっちから切り出せる雰囲気じゃない気がする。タイミングを計った方が良いな。

「建築技術は高いはずだ。有名で大きい建築会社が地方含めていくつかある。それらの内、どこがここを建てたのかは分からないが、私はここの建築デザインとコンセプトが気に入っている。

 洗練されていて機能美も兼ね備えていると言うのかな。気付いたと思うが、外と中とで全く印象が異なるだろ? 孤児はただでさえ差別されるのに、もし良い場所に住んでいたら余計にそれが助長されてしまう。

 だから、外はみすぼらしくして、中は綺麗だったりおしゃれだったりする。ボロい所に住んでいると言われても、実はそうではないから、精神面で傷付かない。しかも、フォワードソン家の教育プログラムによって、最先端の教育を受けている。

 ただし、フォワードソン家が関係していることは、子ども達には秘密にされ、卒業後の帰省時、優秀な人格者のみに伝えられる。分別がついて、その上でここを大事にしているのであれば、その教育が洗脳でなく、偏ったものでもない、必要なことだったと分かり、フォワードソン家に矛先が向かないからだ。

 その約束が破られれば、教育プログラムは廃止され、フォワードソン家の後ろ盾もなくなることになっている。ハッキリ言うと、孤児院に丸投げの責任逃れさ。しかし、私は逃げたくなかった。何かあった時のために、私が最新の教育プログラムを覚えたり、少額ながらも寄付することで、責任を果たそうと交流していたというわけだ」

 やはり、シンシアも家に対して思うところがあったんだな。

「いいのかよ、そんなこと俺にも話して。俺は、フォワードソン家からバックアップを受けている、ぐらいしか聞いてねぇぜ。もちろん、それを誰にも話しちゃいけねぇってことになってて、律儀に守っちゃいるが」

 思った通り、アドも優秀な人格者と認められていたか。もちろん、コリンゼもだろう。

「アドもコリンゼも対象者だろうし、そこには気付いているだろうから話した。私がここに来ていることを秘密にしていたのも、その一環だ。私の行動を家に悟られたくなかったのだ。

 まあ、仮にバレたとしても、今となっては問題ないが、できるだけ秘密にしてもらえると助かる。忙しい時に、そっちの対応はしたくないからな」

「意外に訳ありってか。今はこれ以上聞かねぇよ。それこそ、何かあったら俺に言え。ここは俺達の家で、俺達一人一人が最大の責任を持ってるんだからな」

「分かった。頼りにしているよ」

 目的の場所にはすでに着いており、ヨルンからキッカケで始まったシンシアとアドの話が終わるのを待って、クリスが『開かずの間』扉前の催眠魔法トラップを解除した。

 ここまでの経路としては、一階の奥に鍵のかかった扉から地下への階段が続き、灯りを持って下りると、同じく特別教室の鍵のかかった扉を通り、奥の物置まで来た。現在は誰も使っていないので、暗くてよく分からなかったが、特別教室は思ったより広く、一階と同じぐらいのスペースに各部屋があるようだ。

「終わりました。いつものようにヨルンくんが先頭です。鍵を開けて先に入ってください」

 ヨルンが先頭なのは、魔力停止魔法がかけられた空間から突然攻撃された場合に、『反攻』により無傷で済ませることを想定している。

 ヨルンが鍵を開けると、灯りを院長から受け取り、『開かずの間』の扉をついに開け、中に入った。すると、ヨルンが立ち止まり、身体を少し仰け反らせた。

「なっ……! こ、これは……! 猫の……惨殺死体のように見えます……」

 ヨルンが言ったことを確認するために、俺達も他のみんなもヨルン越しに中央に置かれていた『もの』を見た。確かにそう見える。黒猫だ。

 頭部と胴体は繋がっているものの、閉じた目と口からは血が流れ、胴体は深い傷と血だらけ、四肢が切断されたまま、体の周りに置かれている。体長は普通の猫ぐらいだ。床には魔法陣らしきものが見える。この魔法陣はどっちの効果だ?

「これはひでぇな……。一体どうなってやがる……。あいつがこんなことしたって言うのかよ」

「ヨルンくん、床に灯りを近づけて、魔法陣をよく見せて」

 アドの反応に対して、ユキちゃんは冷静に魔法陣の分析に入った。クリスも身を低くして、魔法陣を見ている。

 しばらくして、ユキちゃんが口を開いた。

「……。これはモンスター召喚の魔法陣で、贄を必要としないものだから、この猫は召喚されてここにいるってことになる。でも、この魔法陣、高レベルモンスターなんて比較にならない。もっと高位の存在を呼び出す魔法陣だよ。必要な魔力量が桁違い。相当時間をかけて魔力を込めて、呼び出したんだと思う」

「魔法陣が大きいのが幸いですね。条件が書かれた部分も猫に隠れずに見えます。しかし、この文字はすぐには解読できません。

 暗号化魔法陣は、元となる言葉を利用して文字を変換することにより、それこそ桁違いの魔力量を込めることができ、どのようなモンスターが召喚されるか他者からは分からないという利点があるのですが、魔法陣の中でも最難関です」

 ユキちゃんとクリスの説明で、シキちゃんがやろうとしていたことが少し分かったが、まだ情報が足りないな。

「ってことは、ただの猫じゃないですよね。安易に触れない方がいいですね」

「アドとコリンゼは院長を連れて、物置の外でどこかに座って待っていてくれ。少し時間がかかりそうだ。この部屋の灯りは点けさせてもらう」

 ヨルンの注意のあと、俺達と相談するため、シンシアは理由を付けてアドと院長を外に送り出した。この場合、暗号を解くことが最大の手がかりとなるはずだ。

 では、元の言葉とは何か。これが全く知らない人が書いた魔法陣なら、見当はつかないが、シキちゃんが書いたことが分かっていれば話は別だ。彼女は必ずヒントを残している。そのヒントは、俺達全員に心当たりがある。

 俺は、クリスに合図をし、鉛筆と紙を、灯りが点いた部屋の隅に置いてもらって、メッセージを書いた。

『暗号化の元の言葉の候補が三つある。双子のシーユー、双子のシキユキ、双子のシキとユキ、を試してみてほしい。さらに変換があるとすれば、一文字分進めるか戻す』

 一文字分については、絵本から読み取れた『シ』から『ス』へのシフトから来ている。

「なるほど、分かりました。ユキさん、シュウ様のこれをやってみましょう。私は後ろ二つを考えてみます。鉛筆と紙をどうぞ。私はペンで書きます」

「うん、分かった。シュウちゃんありがとう!」

 クリスがメッセージをユキちゃんにも見せて、二人は解読作業に入った。実際には、どうやって暗号化するんだろうな。『あいう』が元の言葉で、『まほう』を暗号化したい場合、『あいう』のそれぞれを五十音の先頭から『012』と数え、その分だけずらして『ままお』、一文字さらに進めるなら『みみか』みたいな感じだろうか。解読時はその逆。

 書かれているのはアルファベットなので、文字数が多い分、面倒そうだ。『双子のシーユー』も『ツインズシーユー』だし。それに、あくまで『暗号化』であって、『圧縮化』じゃないんだよな。魔力量がより込められるのなら、『圧縮化』の方を普通は想像するが、変換時に何らかの力が加えられるのだろうか。

「あ、これだ! 『双子のシーユー』と一文字進める組み合わせ! シュウちゃんのおかげで早かったー。クリスさん、魔法陣を分担して解読していこう! そしたら、十分ぐらいで終わるよ」

「分かりました。流石、シュウ様でしたね。『双子のシーユー』は思い付いても、一文字進めるのは思い付きませんでした。『五十音』から導いたということですね。私も日本語を勉強したくなりました。そうすれば、あの絵本を完全に理解できるということですよね」

 日本語は最難関言語らしいが、クリスならすぐに上達しそうだ。

「私はもう少し時間がかかることをアド達に伝えてくる」


 シンシアがアド達に作業のことを伝え、魔法の解読が始まってから丁度十分経ち、ユキちゃんとクリスが、魔法陣に書かれていた内容を俺達に見せてくれた。この内容、別のメッセージも含まれてるな……。とりあえず、それは置いておくとして、その内容から俺は作戦を立て、みんなに共有した。

 そして、応接室に戻って、アド達にもクリスからそれを話してもらうようにした。

「それでは、あの場の状況をお話しします。まず、あの傷付けられた猫はシキさんが呼び出したもので間違いありませんが、驚くことに、『あの状態』で召喚されたものです。あの魔法陣で召喚する対象の条件は、傷付いた『魔法生物』でした。

 私もユキさんも『魔法生物』という存在は初めて知りましたが、どうやら、この世界のどこかに何体か存在するらしいです。モンスター召喚には、世界に存在するモンスターを召喚するか、存在しないモンスターを作り出すかの二通りあります。

 後者については、存在しないと言っても、厳密には、過去に存在したが、現在は存在しないモンスターです。つまり、完全に空想のモンスターは召喚できないということです。高レベルモンスターを召喚する場合は、後者一択です。なぜなら、高レベルモンスターは過去にしか存在しないからです。しかし、時間と魔力さえかければ、多くの場合、召喚できます。

 話を元に戻して、魔法生物のような、それより高位の存在の場合、どれだけ時間と魔力をかけても、まず召喚は不可能です。ただし、一つだけ可能な方法があったようです。その存在が瀕死の場合は、比較的簡単に召喚できることをシキさんは突き止めていました。それでも高レベルモンスターの数倍の時間と魔力が必要ですが、それを実現したのです。

 ただ、召喚はできたものの、肝心の瀕死状態を治すことができませんでした。だから、空間魔力停止魔法を使い、魔法生物の『時間』を停止させたのです。もう少し詳しく言うと、魔法生物の体は全て魔力で構成されているため、その魔力を停止させるということは、時間を停止させることに等しいのです。そして、その治療は私達に託されたということになります。

 シキさんがなぜ魔法生物を召喚したのか、なぜ魔法生物が瀕死だったのかは、今は分かりません。また、私達の誰も空間魔力停止魔法を解除できず、治療方法も分からないので、まだそのままにしてあります。催眠魔法トラップは仕掛け直したので、あそこに入れる人はいません。

 そこで、今後についてですが、私達があの魔法生物を救うための魔法の研究をして、できれば近い内に再度ここを訪れます。幸い、空間魔力停止魔法が切れるまでは、もう少し時間があるようなので。予定が決まり次第、手紙を送りますので、ご了承ください」

 惨殺と聞くと、『聖女コトリスの悲劇』を思い出してしまうが、あっちの方はもっと細かくバラバラにされていた印象だ。

 また、瀕死の原因で、ぱっと思い付くのは、魔法生物同士の争いで負けたか、不意を突かれて、悪趣味な人間によりいたぶられたか。それでも生きているのはすごい。しかし、魔法生物なのに血が流れるのは、どのような原理か分からない。血も魔力なのだろうか。なぜ、普通の動物を模しているのかも分からない。普通は幻獣や神獣のようなものを想像してしまう。

「承知しました。お待ちしております」

 院長の返事を聞くと、クリス達は席を立ち、部屋を出る準備をした。

「アド、コリンゼ。昼食は城下町の『エビ亭』に行くつもりだが、君達も来るか? リオの紹介で裏メニューを頼む予定なのだが」

「そんなこと聞いたら行きたくなっちまうじゃねぇか。……ちょっと時間が欲しい。弟達、妹達との時間を作りてぇ」

「私もです!」

「分かった。それなら、せっかくだから、貴族の間で流行ろうとしている『男の娘ゲーム』でも教えようか」

 シンシア達は、アドとコリンゼと一緒に自由室まで行き、子ども達と『男の娘ゲーム』で遊んだ。

 やはり、優秀な子ばかりだ。すぐにルールを覚えて、最善の思考と言動をするようになった。俺達は、クリスの外套から出て部屋の様子を伺いたかったが、部屋の天井が低く、この子達の前では、透明化が切れた時点で気付かれてしまうかもしれないのでやめておいた。

 今はいくつかのグループに分かれてゲームをしているが、声から察するに、子ども達の年齢幅は五歳から十四歳ぐらいだろうか。飛び抜けて目立った言動をする子はいなかったが、イリスちゃんのように周囲に合わせて能力を隠している場合もある。将来が楽しみだ。

 その時間を利用して、俺はイリスちゃんに現状を報告した。彼女の方でも、魔法生物を救う方法を考えてみるとのことだった。その際、俺の現代知識が、方法をすぐに思い付く上で役に立つかもしれないということで、いくつか質問をされた。

 そして、今日と明日は、イリスちゃんの都合が良い時間には俺達の時間が取れないので、もし分かったら、明後日に連絡をくれるよう頼んだ。

 その後、昼頃に六人で『エビ亭』に行き、裏メニューを堪能した。六人分を用意してくれるか少し不安だったが、基本的には他の料理と材料が一緒で、味付けのバリエーションが増えたコース料理だったので、材料の面でも手間の面でも問題なく出してくれた。

 その名も『エビ三連~卵と牛の野菜サンド~』。コース料理のため、オムレツとビーフシチューの量が通常よりも少なめだが、総量は五割増し。三回出てきて、そのどれも味が全く異なる。合間には次の料理に合わせた少量のサラダとスープが出てくるので、同じ卵と牛の料理でも全く飽きない。最後はパンでそれらを挟んで食べて、スープを一気飲み。

 コース料理にもかかわらず、最初の料理が出てきてから、十五分で全て食べられる。満腹感も満足感も半端ないだろう。それを聞くと、リオちゃんが出してくれたサービスメニューと雰囲気が似ているようにも感じた。

 価格は、紹介の初回のみ定食と同価格、次回以降に頻繁に裏メニューを頼むのであれば、量に合わせて五割増しとなるそうだが、一ヶ月に一回程度で頼むのであれば、そのままの価格にしてくれるらしい。そこは良心に任せた自己申告制だが、リオちゃんの紹介者であれば信じているとのことだ。

 どうやら、ここの店長も料理長も、リオちゃんにはかなりお世話になったらしく、これだけ繁盛しているのは、リオちゃんが色々とアドバイスしてくれたおかげだと、料理が出終わってから挨拶に来た店長が言っていた。

 シンシア達は、リオちゃんによろしく伝えてほしいと店長から頼まれて、店を後にした。

「いやー、最高だった。ありがとよ、裏メニューの存在を知れて良かったぜ。コリンは午前半休終わって城に戻るとして、お前らはこれからどうするんだ? 俺はギルドに顔を出すから、一緒には行けねぇが」

 アドは自分の腹を叩きながら、料理の感想を言うと、午後の予定をシンシアに質問した。

「私達は少し休んでから食べ歩きをする予定だ。夕食は城で食べる」

「良いねぇ。もしかしたら、すでに知ってるかもしれねぇが、食べ歩きのオススメの店をいくつか教えてやるよ。ただし、いくら美味いからと言っても、ペース配分はちゃんと考えろよ。動けなくなっちまうぞ」

 それから、一同はアドとコリンゼと別れ、一息ついてから、シンシアとアドのオススメ店を巡った。ユキちゃんが途中、考え事をしているような様子だったらしいが、食べる時はちゃんと美味しそうに食べていたので、気持ちの切り替えはできているようだ。

 イリスちゃんに方法を考えてもらっていることは分かっているはずだが、やはり、自分でもどうすれば魔法生物を救えるかを考えているのだろう。普通なら、天才のイリスちゃんに全て任せていればいいと言うのだが、ユキちゃんの場合は必ずしもそうではない。自分で決断して行動することが、幸運に繋がるからだ。ましてや、双子の姉が残してくれたメッセージだ。自分の力で解決したいと思うのは当然だ。

 魔法の知識が乏しい俺が手助けできるかどうかは分からないが、魔力粒子については、クリスと一緒に聞いていたので何となく分かる。その切り口から考えてみるか。


 一同が食べ歩きを終え、城に戻り、夕食を済ませて部屋に戻る間、俺は魔力停止方法と魔法生物の回復方法について考えていた。

「ねぇ、シュウちゃん。聞いてもいい? あの猫ちゃんの回復方法から考えようと思うんだけど、物体ってどうやって形を保ってるの? 普通の回復魔法は、人間の治癒力を利用するからそういうことを考えなくていいんだけど、魔法生物の場合は、そういうのはない気がするんだよね。まずは、あの切断された手足をくっつけるにはどうしたらいいのかなって。

 それとも、考える順番間違ってるかな? お姉ちゃんができなかったことから考えるなんて無謀かな? 魔力停止魔法から考えるべき?」

 部屋に戻って、姫の部屋に行くまでの休憩時間中に、ユキちゃんから質問された。どうやら、ユキちゃんは自分の力『だけ』で解決しようとは思っていないようだ。それなら俺も積極的に手助けできる。

 俺は早速、ソファー前のテーブルに紙を置いて、メッセージを書いた。ユキちゃんだけでなく、クリスとヨルンにも見てもらった。

『順番については、多分問題ない。共通する点はあるけど、ある程度は独立したものだと思うから。

 それで、形を保っている法則だけど、元素が結合した状態で物質を構成している。比較的強い結合から順に言うと、主に、共有結合、イオン結合、金属結合の三つ。例えば、水は共有結合、食塩はイオン結合、鉄は金属結合。ただし、水については、水分子同士が水素結合で繋がっている。生物は共有結合と水素結合で成り立っている。

 この違いは、元素や電子の陽性と陰性によるもので、陽と陰は互いに引かれ合うという前提で、共有結合はお互いの元素が電子を共有したもの、水素結合は電気陰性度が高い原子が水素原子を挟んで結び付いたものだ。イオン結合は元素そのものの陽イオンと陰イオンが結び付いたもの、金属結合は陽イオンが電子を共有したもの。

 これを魔力粒子や魔法生物に当てはめるとどうなるかを考えるのが良いかもしれない』

 実は、これはイリスちゃんにも説明したことだ。つまり、ユキちゃんはイリスちゃんと同じ質問をし、正解に辿り着こうとしているということだ。

「そうか……。電子の共有……水素による結び付き……。私の魔力粒子を媒介にしてくっつけることができれば……。でも、そんなに単純じゃない。そのためには、私の魔力が反発しないように変換も必要だし、最終的には残らないようにしないといけない。じゃないと手足が伸びた状態になっちゃうから。他に考えることは……」

 ユキちゃんはキッカケを掴んだようだ。次は、魔力停止魔法とその解除の方か。

『もう一つ。例えば、金属や結晶は少しぐらい叩いたり押しても変形しない。それは、結晶構造で成り立っているからで、原子間距離の小ささにも関係している。

 結晶構造には、主に体心立方格子、面心立方格子、六方最密構造、正四面体構造がある。図に書こう。

 ……この中で、正四面体構造が最も硬い。金属結合ではなく、共有結合結晶で見られる構造だ。ユキちゃんに聞きたい。これらの構造の一つを利用して、空間内で対象の魔力を利用して充填させたらどうなる?』

「…………。少なくとも、魔力の流動は止まる……。それなら……。いや、でもそれも単純な話じゃない。魔力の反発を抑えつつ、対象の魔力を粒子化した上で包み込んで、空間内に留める必要がある。両者の魔力の自然消滅を避けるために魔力の変換と供給を常に行う必要もある。

 その逆が解除だとすれば、第三者の魔力で魔法使用者の魔力を上書きした上で、その魔力だけを魔法生物の体内では馴染ませて、外部は一瞬で消滅させないといけない。いや、お姉ちゃんならもしかしたら、一般魔力に変換してるかも……。でも、それを頼ってもいけないから……。でも……でも……! 何とかなりそう! ありがとう、シュウちゃん!」

 俺の高校化学の知識が役に立ったようで良かった。

「いやー、化学はお兄ちゃんの専門でもないのに、どこで役に立つか分からないもんだね。それまでに勉強してきたことって。てっきり、サイエンスの方の科学の発明の時に使うかと思ってたけど」

 ゆうが結構大事なことを言った。

「だからこそ、勉強の大切さを分かってない人が多すぎるよな。やりたいことが決まっていない人ほど勉強するべきなのに。仮に決まっていても、人生はどうなるか分からないしな」

「流石、プロ棋士志望から触手研究家に転向した人の言うことは違うねぇ」

「実は、俺はプロ棋士になりたいと思ったことはないんだよ。『プロ棋士になるんでしょ?』って聞かれても、いつも答えをはぐらかしてただろ? 正直、俺は勝負師に向いてないんだよ。精神を削りたくないからな」

「株で稼いで、そのお金で触手系同人誌を買い漁ってた人の台詞とは思えないんだけど」

「だからすぐに辞めた。その時ばかりは、マイナージャンルで良かったと思ったな。しかも、触手一筋だから、目移りすることもなかった」

「うーん、シンプルにきも!」

 俺は、ユキちゃんの笑顔とゆうの罵倒に嬉しくなり、一同が姫の部屋に行っても上機嫌だった。




「なるほど、茶番ですか……。分かりました。私が台本を書きましょう」

 午前中の出来事について、シンシアが姫に説明すると、姫がアドのために台本を書いてくれることになった。

「まずは、アドさんの考えと合わせて、思い付いたことを概要だけ。

 アドさんと彼女が少し遅めの夕食に向かう途中、私達とすれ違いざまに肩がぶつかります。

 私は、その衝撃で肩の骨が砕けます。

 私と取り巻きは、彼に治療費と慰謝料を請求するのですが、彼は拒否します。

 私達は彼のことを甲斐性なしのつまらない男だと罵り、彼女のことも罵ります。

 同時に、私は『面白い男』『面白い女』という言葉をカップルのそれぞれから本音で聞かないと、折れた骨が治らない体質だと言います。

 そこで、彼は彼女のことを『面白い女』だと理由を付けて説明し、私はそれならと彼のことを罵り続け、同様に彼女から『面白い男』だという言葉を引き出します。

 それで私の肩の骨が治り、一件落着。仲良くみんなで夕食に行きます。

 ちなみに、その見た目から、ボスがシンシア、その部下が私、その子分として、知能派子分のクリスさんと異常者系子分のユキさん、ヨルンくんは三下です。

 チーム名は『ファルサー』。そして私達の劇団名は『劇団茶番』。演目名は『ザ・茶番』。これでいかがでしょうか」

 やっぱり姫は『面白い女』だ。どさくさに紛れて、自分も参加しようとしている。しかも、どんな体質なんだ。茶番中の茶番と言えるだろう。

 だが、それで良いと思う。それが茶番だということをすぐに知らしめて、彼女を不安にさせず、姫のような面白くて、アドに協力してくれる知り合いがいるということを理解してもらうのだ。

「姫……。非常にありがたいのですが……。陛下にはご自分で許可をいただいてくださいね」

「薄々気付いてましたが、僕が三下役ですか……。全力で三下ムーブを決めてやりますよ!」

 シンシアは姫を守る立場なのにボス役とは改めて面白い。そして、三下ヨルンが拳を握りしめて謎のやる気を見せている。活躍の場が得られて嬉しいのだろうか。

「では今夜は、練習と私のインスピレーションを兼ねて、女役持ち回りの『チンピラ一味ごっこ』でもしましょうか」

 姫が今夜の設定を決めて、寝室へ向かおうとしたその時。姫以外の四人が、同時に声をかけた。

『あの……え?』

 全員が同じ言葉を発するとは思わず、顔を見合わせて戸惑う四人。

「あ、じゃあ、僕からいいですか。シュウ様はご存知ですが、僕は今日から生理なので、シーツを血で汚してしまうかもしれません」

『私も……え?』

 姫とヨルン以外の三人が、またも同じ言葉を発し、顔を見合わせた。

 俺達も今日一日で時間帯は違うものの、四人が生理であることに気付いた。流石に偶然とは思えない。なぜなら、四人には明らかに共通する点があるからだ。それは、クリスタル所持者ということだ。

 さらに驚愕の事実がある。転生前のゆうの月経周期も全く同じなのだ。これで、イリスちゃんが言った通り、俺達が朱のクリスタルの力で転生し、現在もその力を保持している可能性がより高くなった。

 一方で、懸念点もある。例えば、ストレスや病気でその周期が一人でもずれた場合にどうなるのか、それが何らかの現象を引き起こすリスクの可能性もあるということだ。もちろん、そもそもずれないのかもしれない。

 いずれにしても、四人に無理はさせたくない。ゆうは、この体になって頑丈になっているし、そんな器官はないし、無理をするという概念もないし、そのリスクはないはずだ。

 ちなみに、アースリーちゃんは先週、リーディアちゃんは来週が生理だ。

「すごい偶然です! 皆さんは運命で結ばれているのかもしれませんね。はぁ……私も一緒が良かったです。あ、シーツのことは当然お気になさらず。気分が悪くなるようであれば、今日は早く寝ましょうか」

 姫はクリスタルの詳細については教えられていないので、奇妙な偶然に驚きつつ、謎の一体感を求めていた。

「お気遣いありがとうございます。でも、生理魔法があるので大丈夫です。ヨルンくんには必要ないので、シンシアさんとユキさんには、私がかけましょう。血を止めることもできるのですが、それではシュウ様の経験値が減衰してしまうので、そのままにします」

 そう言うと、クリスが詠唱を始めた。

「知りませんでした。そのような魔法があることを。もしかすると、あえて教えられなかったのでしょうか」

 姫の問いに対して、ユキちゃんが答える。

「そうだね。魔法にあまり依存しちゃうと、それがかけられなかった時に、精神的に参っちゃうからね。私もほとんど使ってこなかったな。ものすごく重たい時は流石に使ったけど。足が動かないと、痛みの逃し所がなかったから。ヨルンくんは本当に痛みを全く感じないんだよね?」

「うん。だから、いつの間にか下着が汚れてて、嫌な気分でそれを洗うことになるんだよね。成長が止まってても、子どもを産めることが分かったのは少し嬉しかったけど、間違いなく相手を吹き飛ばすことになるから、考えるのをやめてた。今はシュウ様の子どもを産める嬉しさで頭がいっぱいだよ」

 ヨルンが俺達に抱き付いてきた。俺達もそのお返しにヨルンの両頬を舐めた。

「終わりました。それでは、寝室に行きましょうか」

 クリスの言葉で、一同は寝室に向かった。そして、汚い言葉で女役を順番に辱める夜が始まった。

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