第十七話 俺達と女の子が王族と一心同体となって死刑を執行する話
二十四日目の朝食後。
俺達は玉座の間にいた。すでに王族とパルミス公爵も待機していて、王と王妃は玉座に腰掛けている。今後のためにと、ユキちゃんの魔法を目の前で見るために、魔導士団長と副長に加え、魔法研究所長と副長も来ていた。
全員が揃って間もなく、城内の牢屋から受刑者が連れられてきた。スパイ八名、大聖堂で捕らえた魔法使いが残党含めて十七名だ。合計二十五名がこの場で処刑される。
魔法使いの記憶は敵に消されているので、彼らの罪の意識はもうないが、ジャスティ国は基本的に結果主義なので、国家騒乱罪を計画したり、協力したりした時点で死刑が確定するとシンシアから教えてもらった。情状酌量もない。
スパイは問答無用で死刑だし、殺人の場合は、正当な理由や避けられない事由がない、あるいは相手が死刑相当となる行為をしていない限り、責任能力の有無にかかわらず死刑となる。
例えば、人を一人殺したら、たとえ貴族が平民を殺しても死刑となる。その平民が貴族を騙していた場合は、貴族は無罪となる。道に飛び出してきた人を馬車で轢き殺してしまった場合、御者は無罪となり、その衝撃や振動で馬車内の人に怪我を負わせてしまった場合や、馬車が破損してしまった場合、それにより重要な会合に間に合わなかった場合は、飛び出した人の保護者や血縁者が逆に責任を負い、死刑となる場合もある。
また、命の価値は平等ではないという立場をとっており、王族を殺した場合は、一族郎党死刑となり、国に貢献をしていたり、多くの命を救った英雄が殺された場合は、被害者の価値を検討した上で、一族郎党の中からその人数分が死刑となる。つまり、英雄同士で理由なく殺し合った場合、必ずどちらかの一族が全員死刑対象となる。大抵の場合は、正当な理由があるので、当然そんなことにはならないが。
また、加害者には被害者と同じ死に方をさせる処刑方法も遺族は希望できるらしい。
そういう意味では、ジャスティ国の法律は分かりやすいが、一人一人の責任がかなり重く、子どもも例外ではない。例に挙げた通り、年端も行かない子どもが、はしゃいで馬車の前に飛び出しただけで、子どもも含めて一族郎党が死刑になる可能性があるのだ。
貴族を軽んじた、侮辱したとかいう曖昧で被害額も分からない理由ではなく、相手に具体的な損害を与えたという理由なので、一連の法律には国民全員が納得している。だから、親はしっかり子どもを教育しているとのことだ。一応、不敬罪や侮辱罪もあるが、正当な批判で、過度に喧伝しなければ許されるらしい。それにより、国家全体の改善を計ることが目的だろう。
「緊張してきたぁ……」
ゆうが大聖堂に入る時と同じことを呟いた。
「俺もだ。流石に、処刑に立ち会う機会なんてないしなぁ。ゆうもその時になったら心を痛めるんじゃないか?」
「どうだろう。ユキちゃんが覚悟決めてるって言ってるんだから、あたし達も同じ気持ちでいないと、とは思う。なんか、今になってちゃんと理解できた気がするんだよね。昨日から今にかけてのユキちゃんの気持ちと、姫が一心同体と言って励ましてくれたありがたみが。あの言葉がなかったら、ユキちゃんもあたしも、気が気じゃなかったかもしれない」
もちろん、ゆうが手を下すわけではなく見ているだけだが、ユキちゃんに感情移入しているからこそ出た言葉だろう。
俺は、どうなんだろうな。なぜかまだ比較的冷静でいられる。交通事故に遭った際に、ゆうの悲惨な姿を見たからだろうか。俺にとっては、あれ以上に嫌なことはない。
思い返せば、アースリーちゃんやユキちゃん、クリスが苦しんでいた姿を見ても冷静でいられたのは、彼女達を絶対に幸せにするという決意だけでなく、そのことも要因の一つなのかもしれないな。
「魔法使い十七名は前に、それ以外はその後ろに並べ。ユキ、準備を頼む」
まずは、処刑準備について、シンシアがユキちゃんに依頼した。受刑者一人一人を半透明の魔力境界で上部以外を包み、そこから出られなくする。そして、スパイ八名の催眠を解除し、正気に戻した。受刑者には全員、猿轡がされているので、そこまで騒がれることはないが、それでも騒々しい女が一人いた。
エフリー国に情報を流していた一人、法務大臣だ。夫も子どもも病気で亡くしたために、そのまま大臣となったのだが、今回の自白により、その夫も子どもも彼女が毒殺していたことが判明した。
その犯行は、最初は財産目当てで、邪魔な夫だけを殺したのだが、そのことで歯止めが効かなくなってしまい、自分の思うように育たなかった子どもまでも殺した身勝手極まりない動機によるものだった。
妻以外が病死したという情報をエフリー国が掴み、それを怪しんだ魔法使いの一人が彼女と接触し、催眠魔法で自白させ、脅迫したということだ。悲しき過去どころか、間違いなく自業自得と言えるだろう。仮に、悲しき過去が容疑者の誰かにあったとしても、法律の結果主義から死刑だ。
これからどのように処刑するかは、シンシアが王に説明することになっている。
「それでは陛下、改めて、この者達の処刑方法について、ご説明申し上げます。前の十七名については、記憶がないことから、痛みを感じさせずに処刑いたします。具体的には、無痛で気絶状態の催眠魔法をかけた上で、現在彼らが魔法で覆われている空間を狭めて圧縮していき、体を限界まで押し潰します。
死体が小さい箱に収まった形になり、国民や遺族に公開しないのであれば、身元が不明な以上、それを丸ごと消滅させます。消滅させない場合、ご希望により二通りに分かれます。
一つ目は、一週間まではその箱が小さいままの大きさを保ち、その後、三週間かけて、徐々に大きくなっていきます。中からの圧力をある程度まで低下させると、その箱の壁は上部からなくなっていきます。ユキによると、その時の箱の大きさは、最大でも一メートル四方ほどではないかとの推測です。
もう一つは、小さい箱の状態をそのまま保ちます。ただ、時間が経つにつれて、強度は衰えていくので、もし何らかの弾みで箱が壊れてしまった場合、その圧力による衝撃は凄まじいものとなり、周囲に影響を与えることになります。強度の衰えが始まるのは、二ヶ月後からです。
ただし、箱の外側には魔力遮断魔法がかけられるため、それを魔力供給により維持した場合は、魔法による破壊は不可能です。同様に強度を保つこともできます。とは言え、一種の兵器なので、その取り扱いには最大限の注意が必要となります。
いずれにしても、消滅させない場合は面倒になるので、特別な理由がない限りは消滅させた方がよろしいかと存じます。
スパイ八名に対しては、無痛でない同様の方法をとり、自分がどのように処刑されるかを見せることで死への恐怖を事前に与え、圧縮最中にはさらに苦痛を伴い、最終的には無惨な死に至ることで、自らの愚かさを自覚し、後悔させる最も効率の良い刑となります。
最後に、大変申し訳ありませんが、今回の魔法の詠唱はヨルンの防音魔法により、たとえ王族であろうとお聞かせすることはできません。以上です」
「うむ。魔導士団と魔法研究所から希望があれば聞こう」
王が魔導士団の方を向いて、希望を聞いた。研究者にとっては、喉から手が出るほど欲しい研究材料だろう。
魔導士団長と魔法研究所長が少しの間だけ話し合い、結論を出した。
「ありがたき幸せ! スパイの内、大きくなっていく方を二つ、そのままの方を六つ分確保していただきたく存じます。当然のことながら、取り扱いには十分注意いたします!」
魔導士団長が代表して答えた。
「よかろう。ユキ、そういうことで頼む。八名の方は、名前を刻めるのであれば、刻んでほしい。あとでパルミス公爵から伝える。それと、念のため、魔導士団と魔法研究所で、取り扱い方法と検証計画を三日以内にまとめ、パルミス公爵に提出すること。その後、ユキに確認してもらう。それまでは、城外で監視の上、保管する」
「はっ!」
ユキちゃんと魔導士団長は王の指示に返事をした。
名前を刻むということは、遺族に箱を見せるのだろう。今回、スパイ八名の一族郎党は全員捕らえられることになり、大規模な逮捕劇となった。スパイ本人が知らなくても、いつの間にかその関係者が別のスパイ行為を指示されている恐れがあるためだ。全員死刑になってもおかしくなかったが、殺人罪とは違って、そこはしっかり精査するようだ。
「これより、我が国に対して卑劣なる破壊計画を企てた二十五名の死刑を執行する! それでは、ユキ、ヨルン、始めてくれ」
王の命令に、受刑者達は猿轡越しに声を上げて暴れたが、彼らを覆う空間はびくともしなかった。
まずは、ヨルンが詠唱し終えると、防音魔法をユキちゃんの周りに展開し、それからユキちゃんが詠唱を始めた。十秒後、空間催眠魔法が発動されると、前の十七名全員の膝がガクッと折れ、彼らは気絶した。続けて、ユキちゃんはすぐに次の詠唱を始め、それを発動すると、空間の上部に半透明の蓋が現れ、密閉状態となった。
さらに詠唱が続き、発動後、空間の垂直方向の圧縮が始まった。下から上に、一秒につき一センチほど圧縮されているので、その『箱』は宙に浮いている状態だ。空間の幅と奥行きは人がすっぽり入るぐらいなので、あまり余地はない。
ということは、すぐに脚や背が折れ曲がり、その骨は体を突き破る。大量の血が箱の中で飛び散り、底にどんどん溜まっていった。内蔵も見え始めたところで、体は原型を留めなくなっていたが、溜まってきた血で、すぐに見えなくなっていた。
人間の血液量は、体重の十三分の一とされているので、全血液が流出しても、立った状態では足首が浸かる程度だが、空間が圧縮され、血液に各部位が浸かると、その体積分だけ押し上げられて、深さが増す。
頭部はまだ見えているが、その顔は別の意味で見られたものではない。眼球と舌は強く押し出され、目を閉じて気絶していたのに、今は明らかに絶命していることが分かる。背骨が頭蓋骨まで突き破り、さらに変形して脳が露わになり、ついには頭部も原型を保たなくなっていた。
熱力学の『ボイル=シャルルの法則』により、理想気体においては、密閉空間で温度が一定の場合、体積を減少させると、圧力が上昇するが、現実ではその名の通り、実在気体なので、若干異なるものの、その圧力も手伝って、体はぐちゃぐちゃ、骨も粉々、時々、内臓が破裂したのか、血の泡が湧き上がっていた。
最終的には、四十から五十センチ四方の人間の残骸と血液に満たされた、中の様子が全く分からない箱ができあがった。それを一部始終見ていた玉座の間の全員が絶句していた。もちろん、俺達もそうなのだが、当のユキちゃんでさえそうだった。
想像以上にグロテスクだったことに加え、この魔法の強力さを再認識したからだろう。彼女が前に突き出した両手は震えていたが、次第に落ち着きを取り戻したようで、深呼吸をしたあと、次の詠唱に入った。
そして、ユキちゃんが消滅魔法を発動すると、『十七個の箱』は、その場から完全に消滅した。
「ふぅぅぅ………」
ユキちゃんは、一際大きい息をついたあと、スパイ八名の方を向いた。
「んー! んー!」
涙を流しながら、情に訴える受刑者達だが、無情にもユキちゃんの詠唱はそれらを一切無視して始まった。
同様の手順で魔法が発動されると圧縮が開始され、半透明な壁越しに様々な声の断末魔が響き渡った。おそらく、この方法だと早くに酸欠になり、気絶するのではないかと思っていたが、人によって異なるようだ。ただ、いずれにしても、苦しむことに変わりはなかった。
酸素濃度によっては、めまいや吐き気を伴うし、意識を失いかけても、体の変形による激痛で戻ってきてしまう。しかし、すぐにその激痛も感じなくなり、文字通り、徐々に血の海に沈んでいく。そして、『八個の箱』ができあがり、床に置かれた。
仕上げに魔力遮断魔法をかけ終え、ユキちゃんは王に向き直り、跪いた。
「以上、二十五名の刑を執行いたしました。陛下からご覧になって左側二つが、大きくなる箱です」
「ご苦労だった。まずはゆっくり休むがよい。名前はそのあと……いや、いつでもよい。もう下がってよいぞ」
「……はい。陛下のお気遣いに心から感謝いたします」
王はユキちゃんの顔色が優れないことを悟ったようだ。シンシアが彼女に近寄り、体を支えて立ち上がらせると、凛々しかった返事とは裏腹に、彼女の足はガクガクと震え出した。明らかに、立っているのもやっとの状態だ。
もちろん、魔力が尽きたわけではない。極度の緊張から来る精神的な疲労で、肉体にも影響したのだろう。たとえ覚悟ができていたとしても、王族と一心同体だったとしても、現実を目の前にすると、あのユキちゃんでさえも避けられない緊張だったのだ。
ヨルンが防音魔法を解除した後、ユキちゃんはシンシアに支えられながら、玉座の間を後にした。
「水を貰ってくる。ちょっと待っていてくれ」
シンシアはそう言うと、ユキちゃんをクリスとヨルンに任せて、どこかに走っていった。調理場だろうか。
「ユキさん、具合が良くなるように催眠魔法をかけましょうか?」
クリスはユキちゃんを心配しており、珍しく少し焦った様子に思えた。
「ありがとう、クリスさん。でも大丈夫。自分で受け止めたいから」
約一分後、シンシアが貰ってきた水をユキちゃんに飲ませた。
「ありがとう、シンシアさん。執行人って、こんなにキツいんだね。まあ、自分でキツくしちゃった感じはあるけど。予想以上だったなぁ……ははは……」
「ユキお姉ちゃん、その……あえて聞くけど、逆にトラウマになったりしてない?」
ヨルンの質問は、俺も気になっていた点だ。
「どうかな……。また『アレ』を見た時にハッキリすると思うけど……。ううん、ダメだよね、こんな弱気になってちゃ。これなら催眠魔法かけられた方がマシになっちゃう。よし! 私は、昼食抜きにして、その代わり、三時まで部屋でしっかり休むね。そしたら、ちゃんと仕事するから!」
『アレ』とは『箱』のことだ。もう一度『箱』を見た時に、その時の光景がフラッシュバックされるようなら、トラウマになっていると判断できる。
「分かった。私はグラスを調理場に戻してくる。先に私の部屋に戻っていてくれ。鍵は渡しておく」
シンシアがヨルンに鍵を渡すと、調理場に向かって歩みを進めた。
「ユキちゃんのこと、慰めてあげたいけど、あたし達の姿は見せない方が良いよね? ほら、人の『腸』みたいに見えちゃうかもしれないし」
「ああ。ただ、ユキちゃんの側には、いてあげたいと思う。透明化して移動した上で、透明化が切れても視界に入らない所に陣取ろう」
ゆうの気遣いに俺も同意した。
騎士団長室に戻ると、ユキちゃんは寝室に向かい、服を脱いでベッドに横になった。俺達もクリスの外套内で触手を増やし、透明化して寝室に入ると、枕の上に移動した。
「僕達の声や音が聞こえないように、ベッドの周りに防音魔法をかけておくね。おやすみ、ユキお姉ちゃん」
「うん、ありがとう」
ヨルンが防音魔法をかけ終わり、寝室から出ていった。
「はぁ……。シュウちゃん、いる?」
俺達は、その質問に答えるようにユキちゃんの両頬を舐めた。
「みんなに心配かけちゃったな……。セフ村を出てから、仕事もちゃんとこなせてたし、今回も完璧にできると思ってたけど……甘かったよ……。言われたことはもちろんできたけど、何て言うのかな……。みんなを心配させちゃったこと自体がショックって言うか……。それなら、『ユキ、真っ青な顔してフラフラになってるぞ』って笑われた方がマシって言うか……。そしたら、『いやー、やっぱり難しいですねー、あはは!』って返せたのに…………うぅ……悔しいなぁ……」
ユキちゃんは言葉に詰まり、悔し涙を流していた。俺達は彼女を慰めるように、その涙を舐め取った。彼女自身、今の感情をどう表現していいか分からないのだろう。
俺が思うに、みんなを心配させたことに加えて、ユキちゃんは自分が弱っているところを見せたくなかったのだろう。肉体的なことではない。それなら、これまで足が動かなかった自分を十分に見せている。精神的に弱っている姿を見せたくなかったのだ。
歩けるようになってから、自分は変わった、『勇運』もあり、これまでの仕事も上手く行き、国家を救った英雄にまでなり、自信がついたと思っていたら、それをあっさり砕かれてしまった。『元の自分』に戻ってしまったのではないかと錯覚に陥ったのかもしれない。
そして、他人からは、『変わった』と思われていたのに『変わっていなかった』と思われる恐怖。
覚悟していたのにできていなかった、
姫から勇気付けられたのに結局緊張してしまった、
王の気遣いに強がる場面なのに甘えてしまった、
俺達以外には、今まで明るく強気だったところしか見せていなかったのに、弱気なところを見せてしまった、
期待を裏切ることになってしまったと思っているのだ。
もちろん、そんなことはない。あれだけのことをやってのけたのだから、誰もそんなふうに思っていないと言い切れる。しかし、ユキちゃんはそれを失敗だと思っている。この場合、ユキちゃんの考えをただ否定しても慰めにはならないだろう。だが、言えることはある。
俺は寝室の窓際にある机の上の紙とペンを使って、透明化が切れない内に急いでメッセージを書き、ユキちゃんに見せた。
『ユキちゃんは失敗して挫折したと思ってるかもしれないけど、俺は成功だと思ってる。この先のことを考えたらね。ユキちゃんが自分で選んで役割を果たして、今の結果になっているのなら、それは意味があることだと思うから。あの時、悔しいと思えて良かったという日が必ず来る。必要な涙だった、セフ村を出る時に君が言った言葉だ。
つまり、先に進んでみて、初めて分かることもあるってこと。あとで気付く、これも君自身が言っていたことだ。今のユキちゃんには、セフ村から進んできたように、ここから先に進める足も意志もあるはずだ。それに、果報は寝て待て、という諺も俺の国にはあった。とりあえず、寝よう!』
「シュウちゃん……。うん、そうだね。そうだよね。何だか、この感じ懐かしいな。懐かしいって言っても、まだ二週間ちょっとしか経ってないのか。シュウちゃんが私と一緒に歩いてくれてる感じ。二人三脚……じゃなくて、一触手一人二脚かな。語呂悪すぎか、あははは!
シュウちゃんだけじゃない、ジャスティ王家、シンシアさん、クリスさん、ヨルンくん、今日だけでも、いろんな人達が一緒に歩いてくれてたんだよね。今回のことで改めて分かったよ。『大切な人達』の本当の意味が。大好きなだけじゃない、失いたくないだけじゃない、一緒に幸せになりたいだけじゃない。一緒に歩いてくれる、一緒に歩きたいと思える人達なんだよね。
ありがとう、シュウちゃん。元気出たよ。もしかしたら、寝なくてもいいぐらい元気になったかもしれないけど、まあ、せっかくだからね。あ、その前に、せっかくついでに、防音魔法がかかってるから、一言だけ思い切り叫んで、気持ち良く寝たいな」
ユキちゃんはそう言うと、ベッドに横になったまま大きく息を吸った。
「みんな大好きだあああああああああああああああああ‼ うわああああああああああああ‼ よし! 寝る!」
両手両足を上げて、思い切り叫んだことで、ストレスを発散して笑顔になったユキちゃんの両頬を、俺達は舐めて、『おやすみ』と言った。
午後三時に起き、すっかり元気になったユキちゃんは、シンシアと一緒に調理場にいた。
俺達は、ユキちゃんの外套の中にいる。透明になれば外に出て調理場の様子を伺えるが、料理を作る場所で触手がうろつくのもどうかと思ってやめた。
あのあと、玉座の間では、組織内にスパイがいたこと、その者達を処刑したことを、城内に通達するよう、王がパルミス公爵に命令していた。そして、昼食前には城内全員に伝わっていたようだ。
調理場のリオちゃんには、もしかすると毒判別魔法のことだけでなく、スパイのことも先に伝えられていたかもしれないな。そうでなければ、クウィーク伯爵から自然に改善案を勧められないからだ。
「話は聞いています。まずは、こちらからお願いします」
休憩室から出てきたリオちゃんが、シンシア達を見るなり、毒判別魔法トラップをかける場所を指定した。
ユキちゃんが早速詠唱を始め、魔法を発動した。
「終わりました。毒が盛られた料理がここに置かれた瞬間、料理全体の表面が虹色に変化します。毒が抜けない限り、色はそのままです。毒が抜けるとは、人体に影響がない程度まで毒を減らすということです。完全になくす必要はありません。
別々の料理を一度に置くと、別々に判別されます。ただし、おかわりする場合は注意してください。蓄積量までは考慮していません。その場合は、料理を一つにまとめる必要があります」
「試してみてもいいですか? じゃがいもを用意しています」
リオちゃんがそう言うと、デシャップに予め用意されていたじゃがいもを一つ持ってきたようだ。そして、それをトラップの場所にゴロンと置いた。
『おお!』
リオちゃんや、その周りの料理長を含めた調理師達、シンシアも驚きの声を上げた。じゃがいもが虹色に変化したようだ。つまり、じゃがいもの芽や皮に含まれるソラニンとチャコニンに反応したということだ。
「それでは、皮を剥いて芽を取り除きますので、少々お待ちください」
リオちゃんが包丁を持ってきて、その場で素早く、じゃがいもの皮を剥き、芽を取り除いたようだ。本当に早いな。
「皮を薄めに剥きました。緑色の部分が残っています。また、芽は一つだけ残しています」
どうやら、細かな検証までするようだ。と言うか、虹色になったのに最初に緑色だった場所を正確に覚えているということか?
「では、芽を取り除きます。…………。次に、緑色の部分。…………」
『おお!』
またも周囲で声が上がった。どうやら、元の色に戻ったようだ。
「搬入口にこれと同じ魔法をかけると、今のように食材の色が分かりづらくなってしまうので、それは行いません。あくまで、完成品用ということですが、手間でなければ食材一つ一つを確認してもかまいません。
また、詳しくは言えませんが、特殊な魔法がかけられている場合を想定して、似たようなトラップ魔法もかけました。それに引っ掛かると、どうやっても元の色に戻りません。なので、その料理や食材は廃棄してください」
実は、毒判別魔法の他に、遅効性魔力結合型魔法の確認変化トラップを内包させている。万が一、ユキちゃん以外の使い手がいた場合で、可能性は限りなく低いが、念には念をということだ。
「なるほど、分かりました。それでは、次はこちらをお願いします」
リオちゃんが『なるほど』と言うと、全部分かっていそうな雰囲気があるな。次は、王族専用食堂の経路側にある台に判別魔法トラップを指定したようだ。
そこでも検証を行い、ちゃんと魔法がかけられているかを確認していた。思った通り、用心深いな。この感じだと、毎回じゃがいもで効果の確認をしそうだ。
ユキちゃんが全ての指定場所にトラップ魔法をかけ終わると、最後にそれらを魔力遮断魔法と繋ぎ、供給魔力が行き渡るようにした。
「以上で作業は終了しました。報告書は調理大臣に提出した後、料理長に回ってくると思いますので、それを見て分からないことがあれば、私が食堂に来た時にでも声をかけてください。来週辺りまでは、まだこちらに滞在する予定ですから」
ユキちゃんがリオちゃんに作業の完了を報告した。
「ありがとうございました。今日の夕食はいつもの四人で、こちらでお召し上がりですか? お礼に是非サービスさせてください。料理のちょっとしたグレードアップです」
「え……⁉ それは嬉しいですけど、他の人に羨ましがられるんじゃ……」
リオちゃんの提案に、ユキちゃんは驚きと戸惑いと嬉しさを隠しきれなかった。
「実は、調理師界隈では、特別にサービスすることはよくあるんです。その日が誕生日だったり、他にもおめでたいことがあった人に一品追加したり、調理師の知り合いが訪れた時などです。
だから、特に問題となることはありませんし、大体の人はそのサービスを受けています。『あの店の調理師の誰々の紹介で』と初回で言うと、どの店でも必ずサービスしてくれるはずです。そういう世界ですから、覚えておいて損はありませんし、向こうも損だとは思いません。むしろ張り切って作りますから、遠慮なく言った方が良いです。
もし、城下町に行く機会があるのなら、私が良い店を紹介しましょうか?」
「それは是非お願いしたい! 明日の昼食は、みんなでオムレツビーフシチューの『エビ亭』に行く予定なのだが、三日後には、また城下町に行く予定だ」
シンシアが喜びを抑えきれずに、二人の会話に入った。
「『エビ亭』は、大衆食堂の中では私もオススメですね。『城内食堂のリオ』からの紹介で、『アレを食べさせてあげてほしい』と私が言っていたと伝えてみてください。それと、三日後もランチでしたら、牛ひき肉チーズ焼きが美味しい『ラ・ブフロ』に行ってみてください。値段は少し高めで、宣伝していないのでいつでも入れます。
当日までには時間があるので、私から手紙を出して、十二時に行って名前を言うだけで、隠しコースを出してもらえるように頼んでおきます。簡単な地図は夕食の時にお渡しします」
「助かる! 何から何までありがとう! ついでと言ってはなんだが、もう一ついいだろうか。子ども用のお菓子を五十人分ほど明日の朝までに用意したいのだが、心当たりはないか? できれば城内で調達したいのだが」
シンシアがリオちゃんにお礼を言って、さらに孤児院の子ども達に持っていくお菓子について質問した。子ども達に催眠魔法がかけられていた場合の対策だ。
「それでは私が作りましょう。お菓子も久しぶりに作りたいなと思っていたところです。明日の朝食後に、使い捨ての箱に入れてお渡しします。味は少し抑えめにしますね。
城内の人間ならまだしも、城外の人達は、いくらもう一度食べたくても、気軽に食堂に来られないですから」
「重ね重ね感謝する。君がいて本当に良かった」
「いえ、皆さんとはこれから長い付き合いになりそうですから。どうぞよろしくお願いします」
リオちゃんは何かを予感しているような言い回しで、シンシア達に挨拶した。仮に、ユキちゃんの村への出張のことを聞いていたとしても、このような言い方になるだろうか。一度の出張に留まらず、例えば村興しレベルの名産の開発まで、結構本気で考えてくれているのだろうか。
「なんかリオちゃんの印象変わったなぁ。ちゃんと話してみると、思ったより明るいよね」
ゆうが、リオちゃんのこれまでの会話から、彼女の印象を語った。
「ユキちゃんみたいに、仕事の時は真面目モード、とかかもな。とは言え、食事を楽しめるような演出や雰囲気も作れるみたいだし、その時々に合った性格になるのかも。さしずめ、料理に合わせてかける調味料のような」
「うーん……上手く言ってるようで、よく分からないんだけど」
「じゃあ、ステーキにかけたり乗せたりする和風おろしソース、わさび醤油、塩胡椒、レフォールみたいな」
「やめて! 食べたくなってきたから!」
「リオちゃんをか? 俺も色々なところをしゃぶり尽くして、味わってみたいねぇ……ぐへへ」
「きも!」
と言っても、俺達はリオちゃんの容姿をまともに見ていない。王族専用食堂の天井からは、彼女がコック帽を被っていて、角度が悪かったこともあり、よく見えなかったので、シンシア達の話によってイメージだけが膨らんでいる状態だ。出張の時までお預けかな。
「それでは、失礼します」
ユキちゃんとシンシアは、調理場に別れを告げて、通路に出た。
「あの……シンシアさん。私、今から『箱』に名前を刻みに行くので、パルミス公爵から預かったメモをもらえますか?」
王からいつでもいいと言われていたことを、早速行おうとするユキちゃん。メモは、ユキちゃんが寝ている間に、パルミス公爵が騎士団長室を訪れて、シンシアに渡していた。
「……分かった。無理はしないように」
そう言って、シンシアは持っていたメモをユキちゃんに渡した。いつでも渡せるように持ち歩いていたようだ。
「はい。ありがとうございます」
ユキちゃん達は、調理場前の通路を通って玉座の間を通り過ぎ、真っすぐ行って突き当りの扉から城外に出た。
「メモを見なくても置いてある場所が分かるのか?」
「はい。目が覚めてからすぐに透過空間認識魔法を使ったので、それで分かりました」
大聖堂で魔力遮断魔法がかけられた隠し部屋を探した時にクリスが使っていた魔法だ。
「以前、クリスが難関魔法だと言っていたが、『例の理論』だと簡単なのか? 同時に魔力感知までするのは、さらに難度が高いとも言っていた」
「はい。『それ』で空間展開さえ維持できれば、魔力感知も含めてすごく簡単です。もちろん、今のクリスさんなら、もう普通に使えるはずです」
魔力粒子理論については、秘密にしているので、伏せた言い方をする二人。やっぱり画期的なんだな、魔力粒子の概念は。確かに、部分部分を走査して脳内で空間を構築するより、魔力粒子で満たされた空間展開で全てを認識した方が早い。
「あれか……。魔法研究所の近くだな。『箱』が一列に並べられて、立ち入り禁止、取り扱い厳禁のロープが張られている。警備兵が二人いるな。大聖堂のあの二人ではなさそうだ」
二人がしばらく話しながら歩いていると、シンシアが『箱』を見つけたようだ。いつものように俺達に状況を説明してくれた。
「ご苦労。話は聞いているか? ユキが名前を刻みに来た」
「はっ! 少々お待ちください! 魔導士団員と魔法研究所員が一部始終を見学したいとのことで、ユキ様がお越しになった際は、待機いただくよう指示を受けております!」
「分かった。大至急来るように伝えてくれ。今から十分以内に来なければ始める。こちらも忙しいのでな」
「はっ!」
警備兵の一人が返事をすると、すぐに見学者を呼びに走っていった。鎧を来て長距離を全力疾走するのは疲れそうだ。
「防音魔法が必要なら今の内にかけておいた方が良いんじゃないか?」
「いえ、これは頑張ればできる魔法なので、そのままでいいです。変装魔法と確認変化魔法の応用ですね。『箱』の壁の一部を変色させます。
実は、『刻む』とも『書く』とも違います。変色は表面だけでなく、壁の厚さのギリギリまで浸透します。一時的な変化ではなく、完全な変色なので、そのまま変色魔法と呼ばれています。
ただし、どのぐらい中まで浸透させるかを調整するのは高難度と言われています。と言うより、表面だけしか変色させられない人がほとんどみたいですね。もちろん、表面が少し削れるだけで、どのように変色させたか分からなくなります」
「俗物的な考えで恐縮だが、それで嫌がらせされたら、たまったものじゃないな。顔に落書きされる、みたいな。それとも、異なる魔力で反発して、人間には効かないとか?」
「いえ、肌には普通に効きます。ただ、回復魔法で治るので心配いりません。大切な物とかの方が厄介です。とは言え、命令されない限り、率先して嫌がらせする人は魔法使いにはいないので、気にしなくても問題ないかと」
変色魔法と聞いて、朱のクリスタルが輝きを失ったのは、そういう類の現象なのかとふと思ったが、既存の魔法なら、その知見からすでに研究されているか。俺達が触れても特に変化がなかった場合は、その線でユキちゃんやクリスに調べてもらった方が良いかもしれないな。
それにしても、ユキちゃんは自らが作り出した『箱』を前にしても、いつもと変わらない様子でシンシアと話しているので安心した。
「魔法研究所員が先に来たようだな。研究所からそんなに離れていないのにもうフラフラだ」
複数人が走ってきた音が聞こえた。近くまで来ると、息切れしてかなり疲れていることが分かる。研究者だから、趣味でない限り、運動にはほとんど興味がないだろう。そう言えば、魔法は文系なのか理系なのか、どっちなんだろう。どっちも当てはまりそうな気がする。
「魔導士団員も来たか。思ったよりも早いな」
魔法研究所員が着いてから五分ほどして、呼びに行った警備兵と複数の魔導士団員が走ってきた。こっちはあまり疲れていないようだ。魔導士団では体力作りもしているということだろう。体力がなかったら、戦場ではお荷物になるからな。訓練の一環にするためにも、魔法で一時的に体力が強化されたわけではないと思う。
そう言えば、ユキちゃんとクリスが体力作りをしているところは見たことがない。クリスは徒歩で各地を回っていたらしいから、自然と体力がついている可能性はある。もし体力がないようなら、今後のためにもやってもらった方が良いか。
それとも、クリスタルの力で体力も勝手に上がってるとか。魔法使いは身体能力ではなく魔力量が向上するとはイリスちゃんが言っていたが、魔力と体力が少なからず関係しているとしたら、その可能性もある。
「これで全員か? それでは始める。ユキ、頼む」
「はい。見学者の方々は、私の正面には回り込まないようにお願いします」
シンシアの掛け声にユキちゃんは詠唱を始めた。いつもより大きめな声なので、どうやら周囲に聞かせているようだ。彼女が魔法を発動すると、メモを見ながら左から順に、宙に文字を綴るように指をなぞらせた。ユキちゃんの正面には誰もいないので、俺達は外套から顔を覗かせて、その様子を伺うことができた。
指の動きに合わせて、『箱』の側面上部に黄色の文字で名前が描かれていく。半透明な『箱』の中身は、主に二酸化炭素を含んだ血液でどす黒いので、『警告色』の組み合わせである黄色が最も見やすいというわけだ。赤色には白色だったかもしれない。
ユキちゃんは、頑張ればできるとは言っていたが、浸透度合いは別にして、これも簡単そうに見えて難しい魔法だと俺は思った。自分と対象までの距離を把握して、宙に描いた文字から、対象に描かれる文字の縮尺や位置を調整しなければならない。
変色についても、対象の材質と光の反射率を考慮しなければならず、任意の色に一発で変えられるだけでも、すごいのではないだろうか。実際、見学者は全員ざわついていた。
ユキちゃんは左二つの『箱』を完了させると、右二つの『箱』を同様に変色させていった。俺はてっきり『左から順に』と思っていたのだが、どうやら違ったようだ。ということは、距離で魔法を区切るのか。
俺の予想通り、ユキちゃんはもう一度詠唱を始めた。先程とは一フレーズだけ異なるようだ。ユキちゃんは八個の『箱』を結んだ二等辺三角形の頂点の位置から動かずに変色魔法を使っており、左右二つは少し距離が遠いため、そのように分けたのだろう。そして、中央の四個についても作業を終えた。
「以上です」
「あ、あの! もし、よろしければ『これ』にも変色魔法で文字を書いていただけないでしょうか」
研究所員らしき一人が、ユキちゃんにリクエストを依頼した。サインがほしいわけではないだろうな。
「木の板か。浸透度を簡単に確認できるからかな?」
シンシアの説明の通りだろう。世界一の研究者に魔法を使ってもらえる機会は滅多にないだろうから、気持ちはよく分かる。
「いいですよ。板を切らなくてもすぐに分かるように、文字をはみ出させますので、地面に横にして置いてもらえますか? ついでに、色々な浸透度で変色させますね。左上からアルファベットの形に変色させます。
浸透度の細かな調整は詠唱を真似るだけでは実現できないので、そこは頑張ってください。ただ、大雑把な調整なら真似るだけでもできるかもしれません」
研究所員は、ユキちゃんにお礼を言ってから、土の地面に木の板を置いた。ユキちゃんは、足元に板が来るようになるまで近づくと、変色魔法を数回に分けて使っていき、板を変色させた。所員があとで詠唱を比較できるように全て同じ緑色だ。
「終わりました」
「ありがとうございます! …………おお!」
「まさか、本当に調整できるとは……。しかも、板の裏側まで変色させているのに、地面には跡がない。精度が高すぎる。それとも、排他処理が組み込まれているのか? いずれにしても信じられん……」
研究所員が板を拾い上げると、周囲に集まってきた他の所員も含めて、板の木口と木端を見て感動していた。
「排他ではないですね。純粋な調整です。排他もやってみましょうか。正確には、貫通せずに裏側でピッタリ止まるというもので、仮に対象が前後に動いても裏側で必ず止まります。横にはみ出てもその部分は魔力が消失します。
地面に置いてもらったのは、上下左右にブレて文字が崩れるためですが、今度はそのまま板を持ってこちらに向けてください。板の下の方を『EX』の形に変色させますね」
ユキちゃんはそう言うと、排他処理を組み込んだ変色魔法を発動させた。所員の反応とユキちゃんの説明から、排他処理は魔導士団にとっても魔法研究所にとっても高難度らしい。
「おお! 服が変色していない! はみ出た部分も!」
板を持っていた所員が、その裏側まで変色したことを確認してから、自分の腹部を見て感動したようだ。
「あの! 詠唱のメモを取ったので確認していただけますか⁉」
複数の所員がユキちゃんの所に集まり、鉛筆で紙に書いたと思われる詠唱のメモを見せた。鉛筆があるなら、ペンとインクを持ち歩くより鉛筆の方が良いか。いや、柔らかい場所ではインクの方が良いか。どっちが良いか迷ってしまう。それなら、どっちもクリスに持ってもらうか。
「えーっと……。はい、どの魔法も間違っている箇所はありません」
「ありがとうございます! 魔導士団長も所長も嘆いていましたよ。ユキさんを自分の所に所属させられないことに。
叙爵予定とのことで、おめでとうございます」
「ありがとうございます。そうですね。これから忙しくなりますが、落ち着いたら協力できる機会もあるかもしれません」
ユキちゃんが所員と話していると、シンシアが声をかけた。
「ユキ、ここまでにしておこうか。部屋で城流の報告書の書き方を教えよう」
「はい。それでは失礼します」
ユキちゃんとシンシアは、魔導士団員と魔法研究所員に見送られながら、その場を後にして部屋に戻った。
それから、シンシアが一通り、ユキちゃんに報告書の書き方を教え終わると、クリスが近づいてきた。
「シンシアさん、またバルコニーまで付き合ってもらえますか? 今日も確認しておきたいと思いまして」
「分かった。ヨルン、その間に誰か来たら、外で待たせておいてくれ」
ヨルンの返事のあと、シンシアとクリスは監視者の位置を確認するために、三階のバルコニーに向かった。
そこで、魔法を使ったあと、屋内の窓まで戻り、クリスの報告を聞いた。
「監視者ですが、もう私が捕捉できない距離まで遠ざかりましたね。その他に、一つ気になることが……。
魔力粒子版の透過空間認識魔法を練習で使ってみたのですが、城下町で大聖堂の地下以外に一箇所だけ、魔力遮断魔法がかけられた建物がありました。シンシアさん、心当たりはありますか?」
「いや、ないな。もう一度、バルコニーに出て、そこを指してもらえるか?」
二人がバルコニーに出ると、クリスが遠くを指したようだ。
「あそこです。あの屋根が白くて広い敷地の……、庭というより、ちょっとした広場のような」
「あれは……例の孤児院だな。孤児院に魔力遮断魔法がかけられているなんて、院長からも聞いたことがない……。中で話そう」
シンシアがそう言うと、二人はまた窓に戻った。
「シュウ様、私の推察が間違っていたり、補足があったりした場合は、お願いします。
魔力遮断魔法をかけたのは、おそらくシキ。コリンゼの話から、彼女が孤児院で経理をしていたことは明白だ。
そこでは、監視者やスパイとしてはペアで動けないので、自分一人になれる。その時に、孤児院に魔力遮断魔法をかけ、その後も定期的に魔力の供給もしていた。
では、何のためにそんなことをしたかだが、可能性は三つ。
一つ目は、純粋に孤児院の子どもを魔法から守るため。
二つ目は、魔法の走査で明らかになってしまう何かを隠すため。
最後は、魔力遮断魔法がかけられていることを、それが分かる誰か、まあ間違いなくユキだろうが、その者に知らせるため。その場合は、他にもヒントが示唆されているはずだ。
つまり、孤児院に重要な『何か』があることを示している。私は孤児院と交流があったが、もちろん『それ』に気付いたことはない。今ならもしかすると分かるかもしれないが。
いずれにしても、丁度良い機会だ。明日、孤児院をそれとなく調べてみよう。その一連の出来事で、ユキがシキの存在に気付いてしまうかもしれない。シュウ様、ご意見をお願いします」
『その場合は仕方がない。ユキちゃんに全部話そう。シキちゃんと対峙した時のことを心配して隠していたけど、これまでの成長した彼女を見て問題ないと判断した。まあ、今のところは隠せるだけ隠してみよう。それはそれで、お互い良い経験になる。
それともう一つ。シキちゃんがいくら天才でも、そんなに前から、ユキちゃんが城下町に来て、俺達が魔力遮断魔法がかけられた孤児院に気付くことまで計算するなんて不可能だ。イリスちゃんにも確認するけど、彼女も言っていた通り、予知のチートスキルの可能性が高い。
これは、いずれ俺達とシキちゃんが出会い、これらのことをシキちゃんに全て説明する場面が必ず来ることを意味している。未来が変わることがあるのかは分からない。ただ、相当先の未来を予知できることから、世界のタイムリミットまで知っている可能性がある。
本当は一刻も早く彼女と話したいが、俺達がどれだけ急いでも、彼女と会う日時はもう決まっている。この場合、早く会いたいからと言って、無理やり未来を変えるような行動をしても碌なことがないだろう。シキちゃんを信じて、焦らず行くしかない。
特に今の話で、彼女のことをより信じられるようになった。彼女が意味のない行動をしないということが分かったから。シンシアが挙げた理由三つ、おそらく全てが正しいはずだ。そうでなければ、こんなに回りくどいことはしない。
そうなると、孤児院に金を流したのも、シンシアを陥れるだけが目的ではなかったことが分かる。ビトーのことは恨んでも、どうか彼女を恨まないであげてほしい。
最後に、いつか王に確認しなければならないことがある。レドリー辺境伯にクリスの出自を打診した時のように、ジャスティ国のためにジャスティ国にスパイ行為を働いた場合、罪とするのか。今のところ、これをユキちゃんのいない時に確認したい』
予知のチートスキルについては、そのメリットの割にはデメリットでそれほど不自由していないことから、シキちゃんが上手く回避したのか、軽減したのか、回復したのか、あるいは、予知が不完全であるかのいずれかだ。
不完全の場合は、シキちゃんに全て頼りきるのはリスクがあるため、結局は俺達が最善と思うように進むしかない。
「流石です、シュウ様。素晴らしいご推察でした。大丈夫です。シキはユキの大切な姉。必ず私にとっても大切な存在になると確信しています。陛下にも機を見て伺います。ビトーは許しません」
シンシアのビトーへの憎しみは相当のようだ。
「ユキさんに隠すことが、お互いの経験になるというのは、シュウ様らしいお言葉でした。私の心に刻んでおきます。それでは、戻りましょうか」
クリス達は部屋に戻った。
「ねぇ、お兄ちゃん。シキちゃんが予知できるからと言って、天才じゃないってわけじゃないんだよね? 何か天才に共通する特徴があるような気がするんだよね」
ゆうが良い質問をしてきた。
「ああ。シキちゃんは天才だろう。イリスちゃんもそうだが、レドリー辺境伯が驚いていたように、基本的に『一石二鳥以上』になるように思考して、行動していると感じたな。
それに、予知に従っているだけでなく、ポイントを最適化しているようにも思えた。これは、凡人にはない発想だ。
そのことからも分かるが、少なくともシキちゃんは、ルールに従いさえすれば、未来を変えられるはずだ。そのルールが何なのかは、妄想にしかならないから、ここで考えるのはやめておこう。と言うか、実は俺に聞かなくても分かってるんじゃないのか? お前も天才の内の一人だろ」
「えー、そんなことないよ。それを言うならお兄ちゃんも天才でしょ?」
「どうしたんだよ急に。俺を褒めても何も出ないぞ。いや、あったわ。お前の大好きな俺の『一棒二玉』が」
「触手にはないだろ! 死ね!」
興味深いツッコミだ。流石、人気小説家。短い文から色々な想像を掻き立てられるが、『この時の妹の気持ちを述べよ』という問題があれば、その全てを記述できる回答者は多くなさそうだ。
少なくとも、『妹は兄に死んでほしいと思っている』は誤りだ。国家医師試験なら『禁忌肢』に相当するから気を付けるように。
「ん? コリンゼが部屋の前にいるな」
騎士団長室近くまで戻ってきたシンシアが、ヨルンに言われて部屋の前で待っていたコリンゼに気付いた。
「あ、団長! ご相談したいことがありまして……」
「ここで話せる内容か? それとも中で話すか?」
「ありがとうございます! こちらで結構です! それでは、お話しします。選抜試験の準備を進めている中で、団員が今回の試験の方針と内容に自信を持ってきたようで、少なくとも実技試験については、採用予定がある他組織のトップにも見学してもらったらどうかという提案が挙がりました。
ご承認いただけるのであれば、事前の通達と当日の説明を含めたご案内を団長にお願いできないかと……。いかがでしょうか」
「良い案だ。分かった。私からパルミス公爵に半強制の通達を出していただくよう伝えておく。案内の流れや、これだけは説明してほしいということがあれば、まとめておいてくれ」
「はっ! ありがとうございます! 宰相への説明案と通達案はこちらにまとめましたので、どうぞご参考になさってください。見学者の集合場所と時間も書いてあります」
コリンゼはそう言うと、シンシアに紙を渡して騎士団長室から離れていった。
通達してほしいことを予め用意しているとは、実に有能だ。本当に安心して試験を見ることができそうだ。
「私はこのままパルミス公爵のお部屋に伺い、これをお渡しする。クリスは中に入っていてくれ。すぐに戻ってくる」
シンシアはそう言って、パルミス公爵の部屋に向かった。
その五分後、彼女が戻ってきて、明日午前中に無事通達するようになったとのことだった。
それからイリスちゃんに予知スキルのことを報告して、またしばらくして、ユキちゃんが報告書を書き終わった頃に、丁度良く夕食の時間となり、一同は食堂に向かった。
食堂では、リオちゃんから出された料理に、一同が舌鼓を打った。通常のメインメニューは『ポークステーキ』だったようだが、『チキンとポークとビーフの三種ステーキ~異次元ハーモニーの味わい~』にグレードアップされていた。
その料理名から分かる通り、それぞれの肉の味が一切邪魔をせず、絶妙なソースで調和が取れており、それでいて最高の味を引き出しているらしい。ガロニでさえもそのソースに合わせて食べると、延々と食べていられる美味しさだが、順番に食べることを推奨されているので、逆にもったいない。スープはオニオンスープだが、決して一息つくためのものではなく、玉ねぎの甘さとブイヨンが良く効いていて、やはりそれだけでも深く味わえるとのことだ。
肉を半分ぐらい食べたところで、リオちゃんが黒胡椒を少しずつ振ってくれて、さらに最高の香りと味を堪能でき、一同の涙は留まる所を知らなかった。デザートには少量のパンケーキが出され、ふんわり柔らかく、丁度良い量のバターとはちみつで味の濃淡を楽しめる。
最後にもう一度スープが出されたが、それは冷まされた野菜スープで、あっさりと締めることができて、全体を通し、これ以上ない満足感を得られたらしい。食いてぇ~。
実は、リオちゃんには質問したいことがあるのだが、シンシア達にも話していないし、食堂でも話せない、と言うよりユキちゃんの前で話せない。
その質問とは、『占いしてもらったことある?』だ。俺は、リオちゃんのあの言葉が気になっていた。『これから長い付き合いになりそう』。なぜそんなことが分かるのか。考えられるとすれば一つ。シキちゃんがリオちゃんの未来を予知した。
つまり、二人はどこかで会ったことがあるのではないか。会うとしたら、シキちゃんが一人になる城内か孤児院、あるいは昼休憩の時に、リオちゃんが料理研究で立ち寄った食事処で『偶然』席が隣り合ったパターンだ。
その時、リオちゃんの素性を言い当てた上で、『城外から来た人達で、これからあなたを強く必要とする人達、そしてこれまで思いがけなかった方法であなたを助けてくれた人とは長い付き合いになるから、大切にすること』とでも言えば、確実にシキちゃんのことを信じ、実際にそれに当てはまるユキちゃん達が来たのだから、そういう言葉も出るだろう。
まあ、シキちゃんの予知スキルの可能性が高くなった今、知ってどうなるということでもないので、優先度は低い。
食堂から戻った一同は、部屋に戻って時間を潰してから、いつもの時間に姫の部屋に行き、俺達の『フルコース』により、再度満足感が得られる一夜を過ごした。
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