第八話 俺達と女の子達が情報共有して不眠症の女の子を救済する話
十三日目の朝。
リーディアちゃんと拘束されたアースリーちゃんは、顔の高さをずらして寝るようにしていたので、特に問題は起きなかった。
そして、リーディアちゃんが最後に目覚めると、昨日の出来事が夢じゃなかったことに泣いて喜んでいた。
しばらくして、彼女は自室に戻り、朝食時に再度俺達の部屋に来ると、昨日学んだマナー講習の復習を兼ねて、一緒に食事をした。
朝食後、歓談をしていると、扉をノックする音が聞こえた。俺達はいつもの場所に隠れた。
「どうぞー」
アースリーちゃんの促しに、入ってきたのは、リーディアちゃんの言った通り、目の隈がすごい女魔法使いだった。隈の種類にはいくつかあるが、彼女の場合は睡眠不足による血行不良から来る青い隈だ。
髪の長さはリーディアちゃんぐらいだが、目を引くのは、白い肌以外の髪の色、目の色、服の色、全てが黒。彼女が攻撃魔法の使い手なら、文字通り、黒魔法使いだろう。
俺達が想像する典型的な魔法使いにありがちな三角帽子は身に着けていないものの、黒いローブを身に纏い、腰には杖を携帯するのに丁度良いベルトを付けていた。
魔法を使うだけなら杖は必要ないらしいが、ファッションで持っている人もいるとイリスちゃんから聞いた。
身長はリーディアちゃんより低いが、姿勢が綺麗で、腹筋と背筋のバランスがすごく良さそうだ。年齢は、何となくだが、アースリーちゃんと同じぐらいに見える。
目の隈がなければ、クールオタ系美少女と言えるが、ただの慢性的な睡眠不足とも思えないし、この子にも人知れず深刻な悩みがあるのだろうか。
「辺境伯から話を聞いて参りました。催眠魔法にかかっているかもしれないと。私が助けになれると思います」
見た目の暗さとは裏腹に、女魔法使いの声はかわいく、トーンもその内容も優しかった。
「ありがとうございます。私が当事者のアースリーです。こちらはシンシアさん。リーディアちゃんとは、もう挨拶を済ませていると聞きました。どうかよろしくお願いします」
「よろしくお願いします。私の名前は『コレソ』です」
「なっ⁉」
シンシアが驚きの声を上げるや否や、瞬時に剣を抜いて、コレソとの間合いを一気に詰め、剣先を首に突き付けた。
コレソは、シンシアを陥れた内の一人で、孤児院の経理を担当していた人物だ。
「⁉」
コレソは、シンシアの目にも止まらぬ居合抜きで身動き一つ取れなかった。
「私の質問に答えてもらおう。君は『コレソ=カセーサ』、本名は『クリス』か?」
「なぜそれを……⁉ はい……私の本名は『クリス=アクタース』です」
シンシアの質問に驚きを隠せないクリス。素直に本名を答えてくれた。シンシアもまだ戸惑いを拭いきれていないが、質問を続けた。
「君は、三週間前までジャスティ国城下町の孤児院で働いていたか?」
「……いいえ。三週間前……その頃はもうここにいました。本当はもう少し前から、この街には来ていたのですが、この屋敷で寝泊まりさせてもらえるようになったのが、多分、一ヶ月前ぐらいだと思います。
そちらの……リーディアさんに聞けばすぐに分かります。私は各地のお困りごとを魔法で解決できないかと旅をしています。
城下町は一年ぐらい前に少しだけ立ち寄ったことがありますが、特にどこも困っていることがなかったので……いえ、見つけられなかっただけもしれませんが、すぐに別の場所に移動しました」
クリスは最初こそ焦った表情をしていたものの、自分が濡れ衣だと確信したのか、段々と落ち着いた様子になってきた。回答にも、自身のアリバイ情報をどんどん付け足していく。
「リーディア、三週間前……一ヶ月前の話は本当か?」
シンシアはクリスから目を離さずに、リーディアちゃんに問いかけた。
「ええ、本当よ」
「ありがとう。では、セフ村に行ったことはあるか?」
「セフ村……とはどこにあるのでしょうか。すみませんが、旅で回った各地の村名は全く覚えていません」
「ここから南だ。南西のダリ村を経由しなければ、行けない場所にある」
「であれば、行ったことはありません。私は、この国の西から北にぐるっと回って、一度中央の城下町に行って、また北から東に回って旅をしてきて、そこで声をかけられてここに来たので、まだ南には行っていません」
「……では、『コレソ』を騙る人物に心当たりはあるか?」
「……特定の人物には心当たりありません。『コレソ』を使ったのは西と東で一回ずつだと思いますが、可能性があるとすれば、西の村でしょうか。
土砂崩れで川が堰き止められそうになっていたのを除去して、そのあと、村長に挨拶に行ったら、村人に名前を尋ねられて、その時に五から六人ぐらいの人達に『コレソ=カセーサ』を聞かれています。その内の一人が騙ったのか、そこから漏れて全く別の人が騙ったのかは分かりません。
少なくとも辺境伯は知っていました。東の村で声をかけられたのも、西の村での活躍を聞いたから、ということだったので。普段はどこでどの名前を使ったかは覚えていないのですが、辺境伯からその話を聞いたので語ることができました」
「アースリー、リーディア、彼女が嘘をついていると思うか?」
『いいえ』
二人の声が揃った。二人ともクリスが嘘をついていないと考えているようだ。俺もそう思う。
「そうだな……。クリス、怖がらせてすまなかった。『コレソ』を名乗る者、あるいはその一味に、私が陥れられた経緯があって、今のような行動に出てしまった。理解してもらえると助かる。セフ村の『コレソ』は男だとされていたのだが、男女ペアで動いている可能性もあったから、念のため聞いた」
シンシアが剣を収めて、クリスに謝罪した。
「いえ、かまいません。それは仕方がないことですので。それにしても、その人が私の偽名を騙る理由が分かりませんね。もちろん、魔法使いに悪人はいませんから、それを命じた上の人達の目的のことですが。仮に、一介の魔法使いを陥れて消すことができたところで、大した得にもならないと思うのですが」
「お父様は、あなたのことを優秀だとおっしゃっていました。それは結界を張る作業から分かります。土砂崩れを除去したことも、かなりすごいことだったのでは?」
「いえ、本当に大したことないんです……」
クリスは謙遜して自信なさげに言ったが、実際にどうなのかは分からない。
ところで、魔法使いに悪人はいないっていうのは常識なのか? それとも、この場の空気を少しでも和らげようとしたクリスの小粋な冗談か?
俺達以外の全員が当たり前のように受け入れているが。少なくとも、偽名の使用が悪ではないことは、クリスの存在が直接示している。
「私とクリスをぶつけるにしても、今みたいにちゃんと対話すれば、すぐに誤解は解けるだろうし。確かに意図が分からないな。
他に戦略的に考えられるとすれば……陽動、誘い込みの罠、ぐらいか……いや、この件はあとにしよう。推理や推察は、超優秀な我々の仲間にお任せするとして……クリス、大変失礼なことをしたあとで恐縮だが、予定通り、事を進めてくれないだろうか。改めてお願いしたい」
「お願いします!」
シンシアに続いて、アースリーちゃんも改めてお願いした。
「はい、もちろんです」
クリスはニッコリと笑って、快諾した。確かに良い人だ。
「それで、その進め方なんだが、まず確認したいことがある。アースリーに催眠魔法がかけられているとして、一連の作業中に、催眠魔法をかけた人物にそのことを悟られるかどうか、その術者の場所を特定できるかを聞きたい。私がその者を捕まえたいと思っているからだ。どうだろうか」
「かけられている魔法の種類と数によります。催眠魔法単体では、悟られませんし、こちらから場所も特定できません。今、その種類と数を確認してみますね。変装魔法の確認は、ここにいる時点で済んでいるので行いません」
「その前に……アースリー、目を瞑って口を開けてくれ。もっと大きく」
シンシアに従って、アースリーちゃんがその通りにした。そして、彼女がベッドに近づき、縮小化した俺達を手に取ると、アースリーちゃんの口に巻いた。猿轡だ。
検問の時に反応させなかっただけで、魔法がキッカケで自害される恐れがあるためだ。また、アースリーちゃんにもそのことは黙っていた。自分が催眠魔法を解くために拘束されると分かった途端に、自害させる恐れもあるためだ。
『触手の尻尾切り』の対象にしているから、俺達がたとえ噛まれても問題ない。ただし、意識はそのままなので、動かないように気を遣っている。
もし、俺達の存在が魔法でバレたら、シンシアから正直に話してもらう。クリスの話から、魔法ごとに確認できる魔法が分かれているようだ。それもそのはず、分かれていなければ、検問の時点で判明しているはずだ。
それでも、検問時に催眠魔法の確認をされなかったのは理由があるのだろうか。単に想定していなかっただけか。催眠魔法の確認ができる魔法使いが限られているからか。
クリスが、腰に持っていた五十センチほどの杖を取り出し、アースリーちゃんの前に突き出すと、詠唱を始めた。杖の先端には蒼く輝く宝石が嵌め込まれていた。元来、『蒼色』と言えば、深緑色を指すのだが、その宝石をじっと見ていると、光の反射で紺にも緑にも見える。不思議な色だ。同じ色合いの、シンシアの『碧のクリスタル』とは似て非なるものと言える。
「お兄ちゃん、あれ! クリスタルじゃない?」
「ああ。だが、まだ分からない。クリスがクリスタルを持っていたら、お目々が『クリクリ』になってしまう」
「うざぁ!」
魔法の杖としてはありきたりだが、光る宝石を見ると、全てクリスタルに思えてしまう体に俺達はなってしまった。
当然、可能性はある。彼女は否定していたが、話を聞く限り、人より魔力量が大きいようだし、深い目の隈を見ても、何らかのデメリットを負っていると考えるのは自然だ。チートスキル警告がないのも、シンシア達と同様に、一時的なものの可能性がある。
いずれにしても、彼女のことは何とかしてあげたい。詠唱が十秒程度、そこから二十秒程度、クリスはアースリーちゃんをじっと見つめていた。
そして、ようやく彼女が口を開いた。
「終わりました。確かに催眠魔法がかけられています。どんな催眠かは、かけた本人しか分かりません。他の魔法はかけられていないので、探知、逆探知は共にできません。このまま解除しますね」
「あーっと、ちょっと待ってほしい。三つ、質問がある。魔法については、学校で習うレベルの知識しかないので、教えてほしい。
一つ目は、現時点で相手がどの程度の魔法使いか分かるか。
二つ目は、精神状態が万全になると、催眠魔法が解除される場合があると聞いたことがあるのだが、アースリーがまだかかっているのはなぜか。
最後は、門にいた魔法使いは、催眠魔法の確認をしなかったようだが、なぜか。
もしかすると、これらの質問は関連しているかもしれないが」
「そうですね……。えーっと……」
俺達にとっては素晴らしい質問をしてくれたシンシアだったが、それに対してクリスの歯切れが急に悪くなったように思えた。
「…………」
シンシアはクリスの回答を黙って待っていた。クリスがシンシアの様子を伺うと、諦めたように口を開いた。
「あの……私のことを誰にも言わないと約束していただけるなら、お答えします。…………。
まず、催眠魔法を使えるだけで、魔法使いの中でもかなり上位です。なぜなら、大量の魔力を消費し、技術も要求されるからです。長期催眠であればなおさらで、そこには確認魔法も含まれます。
門番をしていた魔法使いは、その域に達していないので、使っていなかったのでしょう。もしかすると、使い方さえ知らない可能性もあります。魔法書によっては、その著者が使えないために、書かれていないことがあるからです。
確認魔法では、相手がどれだけの魔力を使って催眠をかけたのか分かります。魔力量や技術が足りないと、それを正確に測れませんし、一定レベルに達していないと、感じ取ることさえできません。
また、他者に解除されないように、できるだけ多くの魔力を込めるのが普通で、解除するにはそれを上回る必要があります。先程確認した限りでは、魔法をかけてから今日までの期間も考慮すると、最低でも国家魔導士団の中隊長から大隊長レベル、世界に百人いるかどうかというレベルだと思います。
一般的な一軒家を魔法一発で跡形も無く吹き飛ばせるぐらいの強さ、と考えると分かりやすいかと思います。普通の魔法使いは、こぶし大から子どもが通れるぐらいの穴を開けるぐらいが関の山です。このレベルになると、対象者の精神が不安定な時にかけた催眠魔法が、その精神状態によって解除されることは、逆にありません」
「だとすると、それを軽々と上回っていそうな発言をした君は一体……どこかの魔導士団の団長だったとか? いや、それにしては、私が言うのもなんだが若すぎる。少なくとも、ジャスティ国魔導士団にはいなかった」
「私はどこにも所属したことはありません。これ以上はちょっと……。そう言うあなたは、口ぶりからすると、騎士団長だったのでしょうか? あ、それは聞かない方が良いですね。私が言わない分、不公平ですから」
「いや、話したくないことを話してくれたのだから、私も話そう。そもそも、ここにいる理由を秘密にしているだけで、私が何者なのかは隠していないしな。その秘密も、私の先程の釈明から察せるだろう。君の言う通り、私はジャスティ国騎士団長、シンシア=フォワードソンだ」
「そうでしたか。随分と鋭い指摘をされて、驚くばかりでした。優秀な騎士団長であれば納得です」
クリスの反応を見ると、名前を聞いても驚いている様子はなかったので、世界的な有名人のシンシアのことを知らなかったらしい。これまでの言動からも、クリスは名前に興味がなさそうな印象を受けた。
「しかし、それほどの者が命じられてアースリーに近づいたとすると、やはり他国のスパイ説が濃厚……。この情報を手土産にできるか……。クリス! 私と城へ来てくれないか! アースリーに催眠魔法がかけられていたことを証言してほしい。各地で活躍する君が証言してくれれば、信憑性も信頼度も高い。もちろん、報酬は弾ませてもらう!」
シンシアが下を向いてブツブツ言っていると、ひらめいたかのように顔を上げ、クリスに詰め寄った。
「え、えぇ……、それはかまいませんが、ここでの契約がパーティー翌日までなので、その次の日からであれば……」
「ありがとう! 助かる!」
シンシアの希望に満ちた顔が眩しすぎたのか、クリスは少し戸惑っていた。
「とんでもありません。それと、報酬は結構です。魔法を使わずに、ただ話すだけですから。私は最低限のお金だけあればいいのですが、辺境伯の押しが強くて、契約期間も終了していないのに、すでにもらいすぎています。私が好きで張った追加の結界分まで支払おうとされました」
「仕事の対価はきちんともらうべきだが、どうしてそこまで拒むんだ? それでは、まるで奉仕活動や贖罪のような……いや、やめておこう」
「ありがとうございます。私が受け取るはずだった分は、他の受注者の今後の報酬に少しずつ上乗せしてもらうようにお願いしています。そうすれば、相場の下落を抑えられますし、私が働けば働くほど、逆に上昇するでしょうから」
シンシアの疑問は尤もだ。クリスの異常なまでの奉公精神はどこから来ているのだろう。騎士のように主君を戴いているわけでもないのに。無理した働きからの目の隈なのだろうか。優しい声と口調が余計にその陰影を際立たせる。
「それでは、催眠魔法を解除しますね。念のため、お二人にも同じ解除魔法をかけます。よろしければ、みなさん、近寄ってください」
シンシアとリーディアちゃんがアースリーちゃんに近寄ると、クリスは詠唱を始めた。懸念していたアースリーちゃんの催眠による抵抗は発動しないみたいだ。
「終わりました」
「早っ! 十秒の詠唱で、即座に解除できちゃったの? もっと何か、体から光を放つみたいな演出とかないの?」
クリスの完了宣言に、ゆうが驚き、思わずツッコミを入れていた。俺もそういう演出を期待していたことは黙っておくが、実際に目の当たりにしてみると、仮にそんなことが起きたら、催眠魔法をかける時も起こってないとおかしいからな。それでは、すぐに誰かが魔法を使ったことがバレてしまう。アニメやCGに毒されすぎたか。
「良かったね、アーちゃん!」
リーディアちゃんがアースリーちゃんの口から俺達を剥がし、アースリーちゃんに抱き付いて、頬擦りした。
「うん! クリスさん、ありがとうございました」
リーディアちゃんに頬擦りされながらも、お礼を言うアースリーちゃん。
本当に解除されたか、逆に催眠魔法がかけられていないかは、クリスを信じるしかない。これだけ正直に向かい合って話してくれたのだから、きっと大丈夫だ。
リーディアちゃんは、アースリーちゃんにぶら下がっていた俺達をベッドの横に戻してくれた。
シンシアは、まだ話しを続ける。
「ありがとう、クリス。実は、もう一つお願いがあるんだが、いいだろうか。…………。この近辺に、私達を監視している魔法使いがいるかどうかを確認できないだろうか。私達の友人は、空間魔力感知魔法でそれを実現していた」
「空間……魔力感知ですか……? どのぐらいの規模ですか?」
「え? あー……例えば、結界の大きさぐらい……かな?」
ピンと来ていなかったクリスがシンシアに質問すると、今度はシンシアの歯切れが悪くなった。シンシアは言ってはいけないことを言ってしまい、少し焦った様子を咄嗟に隠していたが、この程度なら問題はない。
と言うか、俺でも言っていただろう。シンシアが言った規模も、ユキちゃんが本気を出せば、その数倍は下らない。
「それは……その話が本当だとすると、その友人は世界でも有数の、いえ、唯一の魔法使いですね。そもそも、空間魔力感知魔法は、実現不可能なものとされているので。
平面で、一方にだけ展開する方法であれば存在します。結界のような魔法があるのなら可能ではないか、と思われがちですが、逆に結界の方が特殊です。それも厳密には、空間境界展開魔法です。それ以外で、空間展開できる魔法は存在しないもの……とされています。
もちろん、これまでにも研究はされてきましたが、実現不可能でした。自分の周りだけ、オーラのように展開することは一応可能ですが、それも一分と保ちません。動きがあると、さらに難しく、当然、結界の大きさに広げるのは無理です。線や平面であれば、そのコントロールが容易なので、普通の魔法使いでもできます。
おそらく、空間展開するには、自分とその展開先の間も魔力を均一に保つ必要があって、その魔力の維持と技術が、人間には不可能、ということだと私は思っています。
感知魔法で言えば、空間展開したあとに、その空間が魔力で満たされていないと、境界面で感知してもその通知が自分に届きません。結界もその理論に忠実で、結界の中でモンスターが活動できることからも分かります。低レベルのモンスターは結界内で召喚できないのですが、その理由はおそらく別にあると思います。
本当は、それを理解した上で結界を張りたいのですが、世の中の全魔法使いは魔法書通りに結界を張り、維持しているだけ、というのが実情です」
クリスの語り口からは、動揺が垣間見えたが、明らかに魔法に精通している者の話の展開だった。若いはずなのに、魔法をかなり研究しているようだ。
そして、ユキちゃんの天才的な、いや、まさに天才の魔法創造スキルのすごさが、改めて浮き彫りになった。
少し気になったのは、前にユキちゃんが、町一つ滅ぼせる魔力を持った人がいると言っていたが、空間展開できないということは、やはり一方向から魔法を放つということなのだろうか。町の中心から爆発的な衝撃波が広がるような感じを想像していた。
クリスの研究熱心さから、その魔力の持ち主の話は聞いたことがありそうだが、微妙に言い淀んだのはそれが頭に浮かんだからだろうか。
「すみません。あまりの驚きに珍しく饒舌になってしまいました。その人には、いつか会ってみたいですね。世界一の魔法研究者だと思います。
さて、監視確認の話ですが、可能です。平面を使用するので、時間がかかったり、ムラがあったりして、常時確認できるわけでもありませんが。確認するのは門壁の外です。
前提として、この屋敷の門と扉を通った時点で、魔法による監視の目は途切れています。門壁と屋敷の壁、二段階の境界で、魔力遮断魔法がかけられているからです。
したがって、境界線上では魔法を使えませんし、外や中からの魔法は境界で無力化されますが、人の中に宿った魔力はそのままなので、催眠魔法系は遮断できません。ここだけの話、実は変装魔法も無力化されるのですが、辺境伯にはいくつかの考えがあって検問時にその確認をしているようです。
あと、一つ注意ですが、相手が魔力感知魔法を自分の周囲に展開している時に走査した場合、こちらのおおよその位置がバレます。ただ、先程の話で、その展開は常時維持できないので、九割九分大丈夫です」
「なるほど、ありがとう。確認するのは、やはり街中の方が良いか。仮にバレても、距離が近い分、監視者を捕まえやすい。
クリス、午後に時間が取れたら、私と一緒に街に出向いてほしいが、いいだろうか。その分の報酬も支払いたいところだが、君が言うなら別の機会に別の人に上乗せする。それと、私の友人のことも秘密にしておいてほしい」
「分かりました。報酬は是非そうしてください。それでは、私は辺境伯へ解除完了の報告に行きますので、これにて失礼します。昼食時にまたお会いしましょう」
クリスが翻って退室したことを確認すると、俺達はソファーに集まった。
「シュウ様、申し訳ありません! ユキの能力の一端を話してしまいました」
シンシアの早速の謝罪に、俺は問題がないことを伝えた。
俺達は、今後の予定を再度確認し、特に監視者の捕獲作戦を練った。慎重な相手だけに、捕まえられるかどうかは正直分からないが、姿を見るぐらいのことは成し遂げたいものだ。イリスちゃんにも俺が考えた作戦を相談したい。
「それでは、そろそろレドリー卿の部屋に行きましょうか。昼食前には一度ここに戻ってくる」
「分かりました。いってらっしゃい」
アースリーちゃんとリーディアちゃんは手を振って俺達を見送った。
シンシアが、その辺にいたメイドに辺境伯の部屋の場所を聞き、部屋の前まで案内されると、扉をノックして、中からの掛け声と共に入室した。
部屋までの間、俺達は例のごとく、外套の下にぐるぐる巻きになって隠れていたが、入室直前に縮小化してシンシアの左腕に巻き付いた。
辺境伯の部屋、と言うか書斎兼応接室は、俺達がいた部屋の三割にも満たない広さで、思ったよりもこぢんまりとしていた。しかし、話すには十分な広さで、声が他に漏れることもなさそうだ。
二人は部屋の中央にあったソファーに座った。
「昨日は時間が取れなくて、すまなかったね。それと、ここでは飲み物は出せないから、我慢してほしい。さて、アースリーさんには昼食時にお礼を言いたいが、君にもお礼を言いたい。リーディアと友達になってくれてありがとう。心から感謝する」
「いえ、今回初めてゆっくり話して、容姿だけでなく人格も素晴らしいお嬢様だと思いました。むしろ、私からお願いしたいぐらいでしたよ。これも、レドリー卿の素晴らしい教育の賜物だと思います」
「フォワードソン家の国内随一の英才教育を受けた君にそう言ってもらえると嬉しいよ。その教育を見習った部分は大きいからね。その点でも感謝したい。さて、積もりに積もった話をしようか」
シンシアは、アースリーちゃんがリーディアちゃんに経緯を説明したように、俺達や他のクリスタル、チートスキルのことを避けて、辺境伯にこれまでの経緯を伝えた。
また、クリスからの報告と重複しているかもしれないが、催眠魔法やスパイについての見解も、念のため話した。ちなみに、クリスが偽名を使っていたことは、その報告の際に、自身で辺境伯に伝えていたらしい。
「なるほどな……。これで合点がいったよ。なぜ、『クレブ』が君の処遇を私に伝えなかったのか」
「⁉ レドリー卿、その名は……王の……」
「ああ、ジャスティ国王、クレブ=ジャスティ王と私は旧知の仲でね。周りに信頼できる者しかいない時は、『クレブ』『リディル』と呼び合っているよ」
国王と友達なのか、すごいな。まあ、辺境伯は隣国に接する領地を治める、国にとって重要なポジションだから、十分に納得できる関係だ。
そして、辺境伯の名前は『リディル』というのか。そこから取っての『リーディア』か。フルネームが必ずしも、リディル=レドリーとならないところが、爵位制の難しいところだ。新たに作られた下位の爵位であれば、『セフ』のように、そのままファミリーネームが爵位名と領地名になる場合もあるが、辺境伯の場合は、王が命名してそうだから、別々のような気がするな。パーティーの時にフルネームを名乗るだろうから、その時に分かるはずだ。
「君は、リーディアの件もそうだが、アースリーさんにかけられた催眠魔法を解くために尽力してくれた一人だ。そのままだったら、私はどうなっていたか分からない。
そして、君は相手が誰であってもしっかりと進言できる人物だ。私も大変世話になった。君も我が国が誇る大事な宝であり、私が信頼できる者の一人だよ。君の冤罪を晴らすために、私も力を貸そう」
「ありがとうございます……!」
辺境伯の優しくも熱い言葉に、シンシアは感激していた。もしかすると、涙ぐんでいるかもしれない。
「さて、先程の話に戻ろう。なぜ、君の処遇が私に伝えられなかったかということだが、以前、クレブと私が二人きりになった時に話した内容が関係している。君が身を以て体験したように、ジャスティ国内でスパイによる破壊工作が行われている可能性だ。
西のリベック村の土砂崩れを始め、国内各地だけでなく、城下町でも行われ、さらには、スパイが城にまで入り込んでいる疑いが、すでに濃厚になっていた。私が掴んだ情報もあるし、国家特殊情報戦略隊で掴んでいた情報もある。
クレブと意見交換をした際に、彼が『今回の話もそうだが、重要な作戦をこちらで遂行する場合は、君には伝えないことにする。本当は伝えたいが、その中身の秘匿性もどうなるか分からない上に、連絡自体が相手に情報を与えることになるからだ。その時は、即時性に欠けるが、信頼できる誰かが直接行くかもしれない』と言っていた。シンシア、君のことだ。
ただ、最初から決めていたわけではないはずだ。君が偶然にも事件に巻き込まれたから、それを逆手に取ったにすぎない。疑いのかかった君に、王から直接伝えるわけには行かず、姫から私を訪ねるよう伝える予定だったのだろう。
ほとんど、君の友人が推察した通りだ。とんでもない子だよ。そんな子が我が国にいて、君の大切な友人であることが嬉しくなるよ、本当に」
辺境伯は、その言葉通り、本当に嬉しそうだった。ジャスティ王もレドリー辺境伯も、国のことをちゃんと考えて、国民を大切にしているのだと改めて思った。
辺境伯の話から、クリスが助けた村はリベック村と言うらしい。土砂崩れがスパイの仕業だったとすれば、その村で彼女の偽名を聞いたスパイがいても不思議ではない。
「というわけで、君があまり早く城に戻っても、作戦遂行に当たっては都合が悪い場合がある。ここに来たのは丁度良かったのかもしれないな。
いや、それも考えられているのか、本当にすごいな……。一石何鳥になっているんだ? 絶対に敵に回したくない存在だよ……。もし、その子が私を敵と認識したら、すぐに対話を申し込みたいね。
それはさておき……もちろん、私は作戦の内容を知らない。ただ、これは私の勝手な推測で、君だから話すが、遂行場所は城内や孤児院ではなく、城下町の大聖堂だと睨んでいる。
あそこは、その性質上、最初から魔法使いの出入りが多かったのだが、最近は大聖堂に入ってから出てくるまでの時間が、かなり長くなったみたいだ。密談や何らかの作業が行われている可能性がある。
その内容は……おそらく、高レベルのモンスター召喚による物理的な大規模最終破壊活動。全ての魔法使いが関わっているわけではないと思うが、私なら、君が城下町を出てから、そこを常時監視して、滞在時間の長い魔法使いの入りが、これまでバラバラだったにもかかわらず、足並みが揃ってピークになった頃合いで、少数精鋭の極秘突入作戦を決行する。
大規模破壊を行うためのモンスター召喚には、人数やモンスターのレベルにもよるが、最低三十分から、長くて三時間はかかるから、突入はそれでも遅くない。仮に、モンスター召喚を行っていなくても、魔導士結集罪に問える。クレブもきっとそう考えているだろう」
やはり、辺境伯も相当優秀だ。これまでの話も理路整然としているし、推測や作戦立案も、確度が高く的確だ。それにしても、俺達が会って話を聞く人、みんな優秀なのは何なのだろう。ジャスティ国民の特徴なのか。
「スパイ活動を行っている国の見当はついているのですか? やはり、あの国ですか?」
「ああ、ただし証拠はない。クレブも私も『エフリー国』だと思っている。自慢ではないが、他の国境や辺境伯じゃなくて、むしろ良かったと思っているぐらいだ。その場合は、工作活動と同時に攻められて、良いようにやられていただろう。
エフリー国は、自国の町消失事件をジャスティ国のせいにしてきたり、独自に我々と交流していた小さな村さえも侵略行為で滅ぼした背景があるからな。我が国の国力が、君達のおかげで世界一位になろうとしているのを妬んでいるはずだ。
それに、エフリー国の魔法使いは優秀な者が多いと聞く。破壊工作の規模と全く尻尾を掴ませない辺りが、彼らを連想させる。これは本人にも言ったんだが、最初はコレソ……いや、クリスの自作自演ではないかとも思ったのだが、破壊工作をしても影響がない村や町も回っていたり、アリバイがあったりしたことから、その線は消えた。
丁度、街が手狭になっていたから、居住域拡大のための結界を張ってもらおうと、コレソを名乗った時に声をかけ、その優秀さと人格を確認したあとに、屋敷で寝泊まりしてもらうようにしたんだが、今回の催眠魔法騒動でも役に立ってくれて良かったよ。
しかし、やはり君からの報酬も断ったようだね。彼女の見た目もそうだが、その内、彼女が壊れてしまうんじゃないかと心配になる。何とかしてあげたいとは思うのだが、パーティー参加も断られてしまった。
君と城まで同行する際には、彼女の精神状態には十分注意してくれ。彼女の損失は、君達と同様、我が国にとって非常に大きな損失だ」
なるほど、国民が優秀だから、国力世界一位にもなるわけだ。国力が具体的に何を指すかは定義できないが、シンシアの存在から、軍事力は間違いなく世界一位だろう。
それに、大聖堂の話でも思ったが、辺境伯本人だけでなく、その情報網もすごいようだ。クリスが偽名を使っていたことを以前から知っていたのか。
そして、個人目線でも国家目線でも、彼女を心配している。
「これらのことを踏まえて、念のため、私からクレブに手紙を書こう。それを直接持っていくといい。君達が出発するまでに書いておくことを約束しよう」
「ありがとうございます。この御恩は必ずお返しします」
「ふふっ。君の名と活躍がさらに轟くことが、私にとって最大の返礼品だが、まあ考えておこう。さて、朱のクリスタルの話だったね」
「その前に、レドリー卿が話しっぱなしだったので、休憩を挟んだ方が……。パーティー前に体を壊されては大変です」
「お気遣い感謝する。そうだな、それでは白湯を持ってこよう。少し待っていてくれ」
そう言うと、辺境伯はシンシアを残して部屋から出ていった。自分で飲み物を用意するほど用心深い人間が、部屋に来客を残したということは、彼女を完全に信用している証拠だ。
その間に、俺達は、増やした触手を部屋の左右に置かれた高い本棚の上にそれぞれ配置した。本棚から部屋全体を見渡すと、部屋の手前の扉付近の棚にチェス盤と……碁盤と碁笥のようなものが見えた。十三路盤だろうか。この世界には、囲碁もあるようだ。埃は一切被っていないから、普通に使われていそうだ。俺達の部屋には置かれていなかったな。実際に聞いてみないと、本当に同一かは分からないが、仮に囲碁だとしたら、ルールやコミはどうなっているのだろう。
辺境伯は、部屋を出てから十分後に戻ってきた。家が広いと大変だ。シンシアは出された白湯を迷いなく飲み、辺境伯と五分ほど思い出話をしていた。
「さて、本題に入ろうか」
「あの、もしよろしければ、最新の研究を含めた魔法の歴史もお話しいただけませんか? その辺は、あまり詳しくないもので……。やはり、魔法のことも知っておかなければ、今回のような場合に役に立てなくなる恐れがありますから」
俺は、辺境伯から魔法の歴史を聞かせてもらうよう、事前にシンシアに頼んでいた。彼女が言ったこともそうだが、クリスタルとも関連するかもしれないからだ。
「騎士で魔法に興味があるとは珍しい。流石、騎士団長と言ったところかな。本当はこの白湯も、毒判別魔法で確認してから飲みたいのだが、毒魔法は研究量が物を言うから、その辺の魔法使いに頼んでも、あまり意味はなく、クリスにわざわざ頼むのも気が引けるんだ。
まあ、それはさておき……。では、魔法の歴史から要約して話そうか。
それはいきなり始まる。五百年前のある日、魔法を突然使えるようになった者達が各地で現れた。それと因果関係は不明だが、モンスターも各地で発見されるようになった。
当初は混乱を極め、モンスターに襲われる者、魔法で人々を殺す者、魔法戦争の勃発、魔法使い狩りデモなど様々な出来事が起きたが、早い段階での全世界魔法連合会議の開催、魔法抑止条約や火薬武器抑止条約の締結、モンスター対策としては魔法結界の発明、結集対策も兼ねた魔法使いの分散任用により、各地の被害は急速に縮小していった。
その後、生まれてきて育った子どもも魔力を持つ場合があることが分かり、その共通点も見出された。すなわち、命題『ある人が魔法使いならば、その人は人格者である』が統計と事実によって証明された。逆と裏は成り立たない。
具体的には、魔法の使用不使用によらず、正当な理由なく一方的に人を殺したり、いたぶったり、騙したりすると魔力が喪失することが分かった。それは直接手を下さなくとも当てはまる。
例えば、国の命令による戦争で魔法使いがどれだけ人を殺しても、魔法が使えなくなることはなく、魔法使いがお供に命令して単に嫌いな人をボコボコにした場合は魔法が使えなくなる。
また、魔法使いは必ず十六歳までに魔法が使えるようになり、十七歳以降に魔法が使えるようになった事例はなく、極一部の例外を除いて、魔法と才能という点で二物を与えられない。
つまり、剣技が優れている者は魔法が使えないし、演技や商才、政治や外交等々の才を持つ者も然りだ。勘違いしてはいけないのが、魔法以外の才能を複数持てないわけではないということだ。とは言え、多才な人間は、ほとんどいない。
これは余談だが、魔法が使えない子どもを持った親は何かの才能があるんじゃないかと期待して、貴族であろうとなかろうと色々な習い事をさせるのがもはや文化となっているな。君もさせられただろ? 私もさせられたし、息子達にもさせた」
辺境伯は、やはり理路整然と魔法の歴史を話してくれた。その滑らかさと話の展開に俺は改めて感心した。
魔法使用の正当な理由を判断している存在に心当たりはある。触神様だ。常に判断しているはずはないから、ルールを作ったのだろうな。
そう言えば、イリスちゃんは習い事をしてなかったな。と言うか、監視していた限り、セフ村の子どもは、ただその辺で遊んでいただけで、特に何もしてなかった気がする。やはり、セフ村は特殊なのか。
「二物を与えられない話で、私が習った時は一人もいなかったはずですが、極一部の例外ということは、それが誰か分かっているのでしょうか」
誰もが聞きたかったことをシンシアが聞いてくれた。
「現時点で一人だけ、しかも分かったのが二週間前。歴史的にも魔法研究界隈でも超大発見さ。まだ名前は判明していないが、かなり若くて小さい魔剣士らしい。素早さと剣技に加えて、高威力の魔法を使ったところを国内のとある町で複数人が目撃したとのことだ。
クレブにも報告が行ったので間違いない。その情報と君とは入れ違いかもしれないな。剣の腕だけで言えば君の方が上だろうが、もし戦う機会があれば勝つ自信はあるかな?」
その話を聞いて、最初に思い浮かべたのはユキちゃんだ。彼女は明らかに魔法創造の才能がある。単に知られていないだけか、それとも魔法に関する才能は関係ないのか。
いずれにしても、その魔剣士がチートスキル持ちの可能性はある。リスクはあるが、いや、今後のリスクを抑えるために早めに確認しておきたい。
「私の場合は、相手が誰であっても近づくことができれば勝てるので、スピード重視の相手なら、対魔法使い用戦術の定番として、体力切れや魔力切れを誘うのもありですね。魔法も、当たらなければどうということはありません」
「やはり、『幻影』の異名を持つ騎士は言うことが違うなぁ……。魔法を余裕で躱せるのは、知られている中では、世界で君しかいないからね。
これまでは、魔導士団の規模で軍事力の差がつくと言われていたが、君一人いれば、それが意味を成さなくなるから、他国、特に魔導士団を重視してきたエフリー国が焦っているのだろう。
言おうかどうか迷ったが、そのことも、エフリー国がスパイを派遣していると判断した理由の一つだ。念のために言っておくが、君のせいではない。スパイ国が悪いのは明白だ」
「はい。お気遣い、ありがとうございます。まだ質問よろしいでしょうか。昔は思い付かなかったのですが、魔法と魔法の何らかの才能という点での二物が与えられることはあるのでしょうか」
「素晴らしい質問だ。その場合は二物ではない、というのが定説だ。ただし、そのような存在は確認されていない。
誤解のないように例を挙げると、ただ攻撃魔法が世界一得意というだけでは特別な才能ではないと定義している。君が言った『魔法の何らかの才能』のことを、魔法研究界隈では『天魔才』と呼び、普通の魔法の才能の『魔才』と区別している。
それでは、なぜ定説かというと、魔法結界を発明した者が『天魔才』に該当するからだ。つまり、最初の魔法書、原書の執筆者のことだが、それが誰かは分かっていない。当然、原書もどこにあるか分からないし、すでに存在していない可能性が高い」
定説と天魔才の論理が矛盾していて、よく分からないな。この辺境伯が変な論理を言うとは思えないから、考えられるとしたら……定説となる経緯に魔法研究界隈とどこかの派閥争いでもあったか。
「何かおかしくないですか? 二物ではないのに、なぜ『天魔才』と『魔才』が区別されているのか理解できません。その時点で二物だと思うのですが。天魔才が一人しかいないのであれば、なおさら特別感があります」
俺の疑問はシンシアに任せていれば良さそうだ。
「シンシア……君、研究者の素質あるよ。ある意味で、剣技の専門家であり、研究者だから当然と言えば当然か。
君の疑問は尤もだ。絶対に二物と認めたくない勢力がいて、そこが現状で優位に立っているからさ。二物と認めると何が都合が悪いかは、賢明な君なら考えれば分かることだし、また魔法の歴史に戻ってしまい長くなるから割愛するとして……魔法研究界隈は、フラットに事実を見ているから、『それは二物だろ』と言っているわけだ。『二物論者』『多寡派』とその勢力に批難されているがね。反対にその勢力は『唯物論者』『原始派』と呼ばれている。
ただ、共通しているのは、どちらも原書執筆者を特別視していることだ。神と呼んで崇拝している者もいる。
一方で、魔法が諸悪の根源と考える者も少数だがまだ残っている。魔法とモンスター、鶏と卵の関係のようだが、魔法があるからモンスターが存在するのだ、多才な人間が生まれないのだ、と声高に叫ぶ者達だな。彼らにとっては、原書執筆者は悪魔だろう。実際、その派閥は『悪魔派』と揶揄されている。もちろん、『悪魔派』は自分達のことをそう呼んでいるわけではなく、『人間派』と自称している。
ちなみに、ジャスティ国は『多寡派』、エフリー国は『原始派』なので、ここでも対立しているが、『原始派』優勢の状況で、それはあまり理由になりそうにないと思っていたところに、例の魔剣士の存在が判明したので、今後どうなるか……。魔導士団に力を入れているエフリー国が『原始派』なのは意外かもしれないが、あの国は独自の路線を行っているので、私にも理解できない」
俺が知ってる『唯物論』とは全く違うが、やっぱり派閥闘争があるのか。俺達は実際にユキちゃんを見ているから、どちらかと言うと二物論に賛成だが、仮に二物論が正しいとすると、悪魔派の根拠も一つ怪しくなる。
そう考えると、この闘争の行き着く先はどこにもないな。多寡派と悪魔派が手を組んで、原始派を潰そうとしても、根拠を揺るがす派閥とそもそも組めない。
だからと言って、原始派と悪魔派が組んで多寡派を潰すと、最大勢力の原始派が勢いを増すし、同様に組もうともしないだろう。
多寡派と原始派が組んで悪魔派を潰すと、逆に悪魔派の意見を肯定してしまう。組まずにそれぞれ闘うと時間がかかる。その場合は、悪魔派が徐々に勢いを増すかもしれない。科学技術が進歩して、魔法の価値が相対的に下がるからだ。それを見越して先制される可能性もある。
とりあえず、派閥の存在を知れてよかった。イリスちゃんに火薬武器以外の物を、俺達の現代知識無双で、色々と発明してもらおうと思っていたが、上手い方法を考えないといけないな。
「なるほど、理解しました。話を少し戻して、その魔剣士はなぜ今までバレなかったのか、そして、その見事な情報網から、私達やセフ村もレドリー卿の情報網に引っかかっているのか、が気になります」
「魔剣士については、それまでずっと魔法なら魔法、剣なら剣しか使ってこなかったのだろう。剣を持っていることはすぐに分かるから、後者だ。魔法を使った形跡もなく、一人で十数人の盗賊を壊滅させたという話も聞いている。
だが、魔法を使わざるを得ない状況になった。
盗賊壊滅の翌日、火事で崩れかけた領主の家の天井を魔法で吹き飛ばして、中に取り残された人を素早く救ったんだ。その人格と素晴らしい功績から、剣技もさることながら、魔力量と魔法技術もすごいと周辺で話題になり、判明した。
つまり、事前に張っていたわけではなく、事後の調査で分かったということだ。誰もが仲間に取り込みたいと思っているだろうな。ちなみに、発生した盗賊も火事もスパイの破壊工作と私は見ている。
それと、二つ目の質問だが、正直に言うと、君達にまで手が回っていなかった。回っていたら、君の冒険者姿を見て驚いたりしないさ。最近は、城下町を除けば、私の領地から北東や東を主に見ていたしね。
特にセフ村は、誤解を恐れずに言えば、何かあっても国への影響が少ない村だ。今のところ、監視下に置く予定はない。アースリーさんを含めて、君の友人達の動向は気になるがね」
「大変詳細にお話しいただき、勉強になりました。ありがとうございます。
それでは、本題に入りたいと思います。朱のクリスタルについて、判明していることを全て教えていただけないでしょうか。恥ずかしながら、私は管理責任者でありながら、ほとんど知りませんでした。なぜ、ただの石になったのか、すり替えられたのかさえ分かりません」
「最初に断っておくが、私が朱のクリスタルに詳しいと噂されているのは、あまり正しくない。なぜなら、朱のクリスタルの性質については、ほとんど何も分かっていないに等しいからだ。
私が詳しいのは、朱のクリスタルの歴史だ。と言っても、その歴史はスカスカで、話せることも少ない。その分、細かい所まで話したり、余談を挟んだりするつもりだ。それでもよければ話そう。
………朱のクリスタルは、見つかった当初、石だった。石にしては形が加工されたように削られて綺麗だったので、教会に通う子どもに見せてあげようと、とある修道女が持ち帰った。それが約五百年前だ。魔法やモンスターの出現から、一、二年後だったらしい。
それからは、ずっと教会に置いてあり、二度の教会の立て直しなども経て、持ち帰ってから百年後、つまり四百年前に、ただの綺麗な石から、朱く輝く宝石に変化した。それは、当時大人気で、そこに務める心優しく美しい修道女だった『コトリス=ファスティラン』が二十歳にして聖女に推薦された時と、ほとんど同時期だったことから、聖女コトリスの慈愛のおかげで、朱のクリスタルの輝きを取り戻したのだと話題沸騰、世界中にその話が広まった。
しかし、その半年後、教会に出入りしていた複数の元騎士が、聖女を強姦した後に殺害、死体もバラバラにされ、各部位が持ち去られた。そして、朱のクリスタルも奪われてしまう。
その後、すぐに犯人達は全員捕まり、動機や盗品の行方を吐かせるための拷問後に処刑されたが、死体の一部やクリスタルの行方は不明のままだった。
聖女の死体の一部を持ち去ったのは、それ自体に価値があること、一部でも一緒にあればクリスタルの輝きを保てると信じられていたことが理由だった。それらは、誰かに吹き込まれた疑いもあったが、自分達だけでやった、の一点張りだったらしい。今思えば、何らかの催眠魔法がかけられていた可能性もあるな。
その凄惨な事件から、『聖女コトリスの悲劇』が全世界で憐れまれ、神格化され、現代ではコトリスの名前から、一部を取って子どもに名付ける親も多い。
その場合、『リ』『ス』『リス』が使われる。それこそ、『クリス』はクリスタルの響きと相まって比較的人気だ。なぜか、『コト』の方は使われない。響きの問題で名前に使いづらいのだろう。私もリーディアに名付ける時は『リ』の方しか使わなかった。逆に、悲劇になるからと全て避ける親もいる。
その悲劇から、空白の四百年があり、いきなり去年に飛ぶのだが、その前に、私が気になっていて、私と隠居した父しか知らないことを話しておく。
約十七年前、身元不明のバラバラ死体の一部、複数の部位が、ジャスティ国東岸部に打ち上げられていたのが発見された。それらが、四百年前に行方不明だった聖女コトリスの死体の一部と全く同じ部位だったのだ。形まで同じだったかは、もちろん分からない。
それらは、ついさっき殺されてバラバラにされたのではないかと思うほど、状態が綺麗だったが、結局、身元が判明することはなく、地元民が焼却、骨は粉々にした後に海に廃棄された。
単なる偶然の一致なのか、はたまた、それらが聖女の一部で、不思議な力で腐乱することもふやけることもなく、世界を彷徨っていたのかは、今となっては分からない。
このことを知ったのが、全て終わったあとだったことを、父と一緒に悔んだものだ。単なる妄想と片付けてもいいが、そんな父が隠居した先が、その東岸部なのだが、話を戻して半年前の去年の冬、そこで朱のクリスタルが、輝く光はそのままに、同様に打ち上げられていたのが発見された。これが奇跡や巡り合わせじゃなくて何なのだろうかと父は興奮したらしい。
すぐに、私の所に連絡が来て、私が直接引き取り、少し触ったあとにクレブに献上したというのが歴史、そして今、ジャスティ城に朱のクリスタルが保管されている経緯だ。
このことから分かる通り、クリスタルが輝きを失う理由は不明だし、輝きを取り戻す理由も眉唾物だ。クレブに渡した際は、そのことを伝えてある。だから、彼がこの件で君を責めることは絶対にない。建前は別にして、ね。
今の話、君の友人にも話して、興味があれば、歴史のさらなる深掘り、引いては真相を解明してほしいね」
「ありがとうございます。話してみます」
……。確かに歴史に穴はあるものの、随分と濃い内容で、この体でも疲れた気さえする。似ている名前が多い理由も分かった。
また、意外だったのは、辺境伯の『コト』の発音は日本での発音と全く同じだった。英語圏では、最初の『コ』にアクセントを持ってきて、子音を強調した上で、『コートウ』や『コットゥ』としか発音しないはずなのに、俺達が『外』や『鳩』を発音する時と同じように『ト』の母音までしっかり発音していたのだ。
確かにそのままだとこの世界では使いづらい。日本では、それこそ、ことちゃんのように『琴』は普通に使われる……が……十七年前か……。
「ゆう、二ノ宮さんって何歳?」
もちろん、俺はことちゃんの誕生日が四月五日であることを知っているので、年齢も知っている。この質問は、ゆうの心の準備のためだ。
「え? 十七歳だけど……いやいやいや、ないでしょ。ない……よね? だとしたら、あんまりだよ……」
俺の質問をキッカケに、ゆうもその可能性に気付いたようだ。
そして、最後に付け足された言葉は、ある人も言っていた。まるで、この悲劇と俺達の交通事故を知って出た言葉のように……。
結局、あの二人のことは、ゆうに話せていない。だが、今はまだ、それを全て話すべき時ではない。感情も頭も追い付かなくなる。話すとしたら……そうだな、朱のクリスタルを手に入れた時がベストか。
「すまん、今の話は忘れてくれ。切り替えよう」
「う、うん……」
改めて、辺境伯の話で、細かい所だが一つ気になることがあった。
なぜ、『輝きが宿った』ではなく、『輝きを取り戻した』と分かったのか。もっと前から、朱のクリスタルが認識されていなければ出ない言葉だ。単に最初から宝石の形をしていたからという可能性もある。それにしても断定はできないはずだ。
「ちょっと待ってくれ。一応、話し忘れがないか確認する。いつも、何か思い出せないことがあるんだ。年かな」
辺境伯はそう言うと、シンシアの後ろにあった本棚の部屋奥側から、自分でまとめたと思われる薄めの本を手にした。パラパラと捲って、もう一度、最初の見開きに戻って少し読むと、何かに気付いたような反応を見せた。
「あーそうだ。常識すぎて思い出すのも一苦労だが、少なくとも千年前から朱のクリスタルが存在していることは君も知っているだろう?」
「あ、そう言えばそれがありましたね。灯台下暗しってやつですね。ふふっ」
いや、お前も知ってるんかーい……。
うーん、それにしても何か引っ掛かる。聞きたいことがまたさらに増えたが、ゆうもそう思っているだろう。だが、今は直接聞くことができないので、ゆうの意見も合わせた上で、あとでまたシンシアから聞いてもらおう。
それにしても、この世界の『謎』に足を踏み入れかけている気がする……。先程の話と同様に、それを考えている余裕は正直ないのだが、そのことで俺達に危険が及ぶ可能性もあるから無下にはできない。
朱のクリスタル、スキルツリー、経験値牧場だけでもやることは山積みなのに、今では、スパイ捕獲作戦、クリスの睡眠不足、パーティー監視、大聖堂作戦の行方、魔剣士のチートスキル確認、シンシアの帰還報告が控えていて、これからの苦労が目に見える。
「それでは、こんなところかな。昼食時に食堂でまた会おう」
「はい。ありがとうございました。失礼します」
話を終えると、シンシアは辺境伯の部屋を後にし、俺達も本棚に配置した触手を消した。
「ゆう、辺境伯が最後に挙げた『千年前から朱のクリスタルは存在している』って話だが、その時に疑問に思ったことを挙げてみるから、そのあとに過不足があれば指摘してくれ」
「おっけー。」
「千年前からクリスタルが存在していることが『常識』で『誰もが』知っているのはなぜか、
知らない人がいても全くおかしくないのに言い切っているのはなぜか、
千年前の文明レベルはどの程度か、
千年前からそのあとに輝きを失ってもずっと大切にされてきたのか、
千年前に朱のクリスタルと判明しているということは、丁度その時に輝きが戻ったということか、
そうでなければ帰納的にもっと前から知られていないとおかしいが、それも含めて詳細が伝説になっていないのはなぜか。
これらをまずシンシアに聞いてみたい。天才のイリスちゃんがこの疑問に至ったのかも気になる」
「あたしも最初に思ったのは大体そんな感じかなー。でも、お兄ちゃんの方が細かく考えてる。後半は察しの通り、『詳細が伝説になっていないのは~』に集約できるけど……。まあ、順番に聞いてみた方が分かりやすくて自然かな」
「ありがとう。頃合いを見計らって俺から聞いてみる」
昼食まではまだ時間があるので、俺達の部屋に戻り、そのまま扉を開けると、そこには、ベッドに腰掛けて、顔の距離が近いまま、驚いてこちらを向いた様子のアースリーちゃんとリーディアちゃんがいた。二人は舌を突き出し、その間には、糸が引いているように見えた。
「シンシア~、驚かせないでよー」
リーディアちゃんがシンシアに言い放った。
「発情したお嬢様は、我慢できずに、聖母におねだりしてしまったのかな?」
「あら、いけなくて? アーちゃん、もっとしよ?」
シンシアの珍しい言い回しが、さらにリーディアちゃんの興奮を煽り、開き直らせた。
「ふふっ、リーちゃんって、ホントに甘えん坊なんだよ」
アースリーちゃんは、当然困った様子もなく、リーディアちゃんの甘えてくるかわいらしさをシンシアに説いた。
二人は、ゆっくりと、時に激しく、舌を絡めて、お互いの愛情という名の友情を確かめ合っていた。誰かが止めなければ、ずっとしていそうだ。マナー講習の手伝いをしていたメイド達は、すでに部屋にはいないので、昼食までは、やりたい放題できると踏んでのことだ。
「せめて、シュウ様の経験値になるよう、配慮を頼むぞ」
「それはもちろん分かってるけど……シンシア、ほら、あなたもこちらに。一緒に友情を確かめ合いましょう。お父様のお話しを聞くのは、疲れたでしょう?」
「ま、まあ、それは……そうだが……。ふむ、それでは、リーディア、思い切り私を癒してもらおうか」
シンシアも彼女達の乱れた姿を見て、昂ぶったのだろうか。リーディアちゃんの隣に勢い良く座ったシンシアは、即座に彼女にキスをした。シンシアにとっては、やはり珍しい行動だ。余程、疲れたのだろう。
リーディアちゃんは、返事をする代わりにそれに応えて、シンシアを強く抱き締め、激しく舌を絡めた。アースリーちゃんも少しして、羨ましそうに彼女達の間に、舌を突き出すと、シンシアとリーディアちゃんが交互に彼女の舌を吸った。
「おおー。あたしは混ざらないで、見ているだけでいるのも悪くないか」
美少女が繰り広げる舌のダンスパーティーを見て、ゆうは観測者ムーブを決めた。
丁度、イリスちゃんとユキちゃんがトイレ休憩をしようとしていたので、そちらに意識を移して、スパイ捕獲作戦の相談もした。魔法を駆使した作戦だが、イリスちゃんはユキちゃんの本からすでに魔法知識を得ているので、魔法の存在を含め、実現可能性を十分に検討できる。
一方、嬌声と吐息が止まない国賓部屋では、再びメイドが部屋の扉を叩くまで、取っ替え引っ替え舌を絡めていた三人が、満足げな表情でメイドを迎えた。もちろん、俺達も加わって、こちらでも多少の経験値を得ていたが、三人の間に変な友情が芽生えてしまっているような気がするのは、気のせいにしておこう。
「アースリーさん、娘と友達になってくれて、本当にありがとう。国賓級の上があるなら、そちらで対応したいぐらいだ。先日は国の宝と言ったが、私達にとっても家宝だ」
俺達が食堂に着くと、長テーブルの奥に座っていた辺境伯が、アースリーちゃん達の姿を見るや否や、すぐさま近づいてきて、例の宝表現で彼女を褒め倒した。
「いえ、私もリーちゃんと友達になれて、本当に嬉しいです。私の方こそ、お礼を言いたいです。リーちゃんをご紹介いただき、ありがとうございます」
「アーちゃん、私も改めて……本当にありがとう。お父様、アーちゃんのことは、国賓級の対応をすると同時に、たとえどこにいても、大切な家族として思っていただきたいです。もちろん、シンシアのことも」
「ああ、そのつもりだ。パーティーには毎回招待するとして、それ以外でも、どうにか君達が気軽に会える環境を整えたいな。考えておこう。
時に、アースリーさん……いや、もう家族同然なのだから、アースリーと呼ばせてもらおう。アースリー、ボードゲームの『碁』は知っているかな?」
「『碁』……ですか? いえ、聞いたことありません」
『碁』って囲碁のことか? だとしたら、発音が全く同じだ。『囲碁のようなもの』があるにせよ、発音まで同じなのはおかしいな……。ユキちゃん並の運がない限り、あり得ない。
囲碁が『碁』として現代の世界で広まったのは最近のことだ。漢字文化圏の国が、この世界でもやはり存在するのか?
「最近、伯爵以上の貴族の間で流行っていてね。知っておいた方が良いだろう。リーディアなら教えられると思うが、どうだ?」
「確かに、以前、お父様から教えていただきましたが、私はあまり興味を持てなかったので、誰かに教えられるほど、詳しくありません。ルールは分かりますが、どう打てばいいのかよく分かりませんし、用語もうろ覚えです。
ですが、アーちゃんが何も知らないままだと、今回はたとえ信頼できる人しか招待していないとは言え、別の機会に他の貴族に聞かれて、少しでもバカにされた時に、私は怒り狂って我を忘れる自信がありますから、何とかしたいです」
「では、私が教えましょうか?」
シンシアが手を挙げて立候補した。囲碁ができるなんて意外だ。
「おお、シンシア! チェスが強いのは知っていたが、碁も打てるのかね」
「戦術を伴ったその手の対戦ゲームは、騎士団長の嗜みとしても一通り。碁は城の大臣達の間でも話題になっていましたよ。チェスが強かったと言っても、それは昔の話で、今は研究もされて、現役にはかなり置いていかれていると思います」
シンシアは十九歳だから、彼女が言う昔とは確実に子どもの頃だろう。辺境伯が言ってたフォワードソン家の英才教育ってやつか。
「お兄ちゃんみたいじゃん。アマチュア囲碁大会小学生低学年の部、優勝経験者さん。しかも、将棋と合わせてダブル優勝の神童さん。作戦立案の基礎になってるからね」
「地方のな。触手に目覚めて辞めたが、どっちの棋譜も時々は見てたな」
「はぁぁぁぁ⁉ そんな意味不明な理由で辞めたの? しかも、目覚めるの早すぎでしょ! はぁ……、あたしは長い間、触手に目覚めたキモいお兄ちゃんに気付いていなかったわけか……。
エキシビションマッチでプロの元タイトルホルダー相手に、九子以上置いていいと言われたのに五子でいいと言って勝った時のかっこいいお兄ちゃんが、道を外れて触手の森に行ってしまったなんて……。
将棋の時だって角落ちしてもらって勝ってるんだから、完全にプロレベルでしょ? どっちも研究会に誘われてたし、もしかしたら、向こうから師匠になってくれって言われてたんじゃないの? どう見ても天才棋士だし」
「俺にとっては、それだけ女児向けアニメの触手シーンが衝撃的だったのさ。思考を縛られて、そのことしか考えられなくなってしまった。触手だけに」
「絶対縛られてないくせに、上手いことだけ言いたいがために……うざ。」
辺境伯とシンシアは、囲碁が貴族で流行った経緯について、推測も交えながらアースリーちゃんに語っていた。
この世界で、囲碁が発明、初めて生産されたのは、一年前、とかなり最近だ。
ジャスティ国のとある公爵宛に差出人不明の手紙が届いた。その中に、囲碁で使用する道具やルールの説明が書かれていたというのだ。
元々、その公爵がチェス好きで、チェスに代わる何か面白いゲームのアイデアがないかと賞金付きで公募していたのだが、該当者出ずで終わりかけた矢先に、その手紙を受け取ったらしい。
これまで囲碁に似たゲームがなかったわけではない。だが、そこに書かれたルールが洗練されていて、黒板でもできなくはなかったので、試しにやってみたところ、非常に面白いと評価したとのことだ。
触神様の話を聞いていなければ、差出人は転生者だろうと断定していたが、この世界に転生者は俺達以外いない。遊戯を発明できる天才も、いる所にはいるんだなぁ。それがジャスティ国だなんて、この国はまだまだ強国になりそうだ…………って、もしかして、イリスちゃんか?
セフ村は、村長の話では手紙のやり取りに時間がかかるらしいから、向こうには期限ギリギリあるいは過ぎて届くこともあるだろう。
とりあえず、それは置いておくとして、流行った理由としては、駒同士がバチバチ戦闘するチェスよりも、戦略的に領地を広げ、確定させていく過程が、どちらかと言うと、貴族のイメージに合っていたり、想像がしやすいのではないかということだった。
初心者から上級者までは、九路盤から十九路盤まで使い分けられるし、置き石でハンデも付けやすい。そのようなことまで、説明に書かれていたようだ。
そこからは貴族達の想像だが、チェスよりも生産しやすく、職人技に拘る必要がないため、比較的安価で一般層に広がりやすい。そうすれば、母数が多い分、強者が生まれて、次は強者同士が観戦する娯楽も生まれるから、良いことだらけという話だった。
一理あるのだが、リーディアちゃんがさっき言っていた通り、ルールを知っていてもどこに打てば良いのか分からないことに加えて、優勢劣勢がパッと見て分かりづらいこともあり、現代でも普及に難儀する部分があった。
この世界でも、金に余裕があって、教養のために必要に駆られてやる貴族達と、余裕がなく、やる必要もない一般層では、特に温度差が生じるだろうな。
ボードゲームやおもちゃなら、知育に良いと喧伝する方法もあるが、時間をかけずに流行らせるなら、生産者や小売業者に、赤字覚悟で補助金を与えて、現代のネットワーク対戦ゲーム事情のように、無料または超安価で売り、賞金ありの大会を定期的に開く宣言をする必要がある。費用を少しでも回収するなら、大会参加者と観戦者からそれぞれ参加料、観戦者向けの屋台出店料、広告出展料を設けるとか。
貴族自身には、そんな金など微々たるものだし、何の得もないから、懇意にしている商人が実際の仕掛け人になるだろう。でも、今はまだ難しいんじゃないかな。
「では、碁一式を私の部屋から、そちらに持っていかせよう。まだ三セットしかなくて、残りは息子達の部屋にあるからね。彼らは、大事な招待客を迎えに行っていて、当日まで戻ってこないんだ。
それにしても、シンシアが碁を打てるのであれば……シンシア、よかったら今から言う話を聞いてほしい。
エトラスフ伯爵が、プレアード伯爵の息子に負けて、その時に、自信満々な皮肉交じりの嫌味を言われたらしく、『敗者の私がそこで怒っても惨めなだけ。ただ、誰でもいいから、私の目の前で、自信過剰な彼の鼻を明かしてほしい』と頼まれたんだ。
エトラスフ伯爵には、私も父も大変世話になっているから、何とかしてあげたいと思ってね。だとしたら、パーティーでその二人を呼んで、ちょっとした常設の余興に組み込めば、効率が良いかとは思ったのだが、碁が強い人物には心当たりがないから、私か息子達の誰かが相手になるしかない。しかし、パーティー中の主催者の家族にそんな暇はなく、仮に対局して負けてしまったら、その場は微妙な雰囲気になる。
かと言って、パーティー前後も忙しいし、向こうの都合も調整する必要がある。どうしようかと思っていたのだが……。
シンシア、私達の代わりに打ってくれないだろうか。急なお願い、無茶なお願いで申し訳ない」
「プレアード伯爵の息子、ウィルズとは、子どもの頃にチェスで対局して勝ったことはありますが、それからメキメキと強くなったと聞きました。碁もかなりの実力者になっているのではないしょうか。それで、自分は天才であると自惚れてしまったのかもしれません。
レドリー卿やエトラスフ卿のお望みを何とか叶えたいとは思うのですが、正直、私が勝てる可能性は低いような気はします。
それと、もう一つ重要なことがあります。私がパーティーに参加すると、他の貴族達は私がここにいる理由を様々に勘繰るでしょう。それは避けたいのです。
だから、卿にたとえ誘われてもパーティーに参加するつもりはありませんでした。屋敷か宿屋の部屋にひっそりと籠もっていようと。
ただ、それを解決する方法がないわけではありません。それこそ、ここに来て、検問を受けていなければ思い付かなかったのですが、私に変装魔法をかける方法があります。
何をどこまで誤魔化すことができるのかは、詳しくないので分かりませんが、それ次第ではパーティー会場でも打てると思います」
「ありがとう、シンシア。本当に君は頼りになる。対局者になってくれるだけでも嬉しいよ。本番では十九路盤を使うが、勝敗は気にしなくていい。変装するのであれば、なおさらね。
髪型や化粧だけでも雰囲気を変えられるが、やはり完璧に仕上げた方が良い。クリスに頼んでみよう。変装魔法は、髪の色や声も変えられる。設定も考える必要があるな。責任を持って、私が考えておこう」
「それでは、私がその設定に従って、シンシアの外見をプロデュース、かつコーディネートしますわ。ドレスサイズだけは早い内に確認しておかないといけませんね」
「レドリー卿、私が変装するのを面白がってませんか? リーディアも」
『まさか』
やれやれといった表情で言うシンシアに対して、辺境伯とリーディアちゃんは、声を揃えて笑いながら否定(?)した。
完全に面白がってるな。実際、面白そうだし、俺も設定を考えたいぐらいだ。
「お兄ちゃん、シンシアに手伝ってもらって囲碁打ってみたら? 多分、できるでしょ。で、勝てるでしょ?」
「できると思うが、シンシアがそれを良しとするかだな。言い方さえ間違えなければ、大丈夫だと思うが。辺境伯の紹介で打つんだから、やっぱり勝たないとな。勝敗は気にしなくていいって話だが、ほんの少しでも爵位名に傷がついちゃうし、アースリーちゃんもリーディアちゃんも残念がるだろうし……。よし、本気でやってみるか」
「やったー! 神童の本気の囲碁を間近で見られるんだー」
ゆうは、囲碁も将棋も、俺と偶にハンデ対局していたことがあるので、ルールだけでなく基本的な定石や定跡、打ち筋や指し筋についても知っている。当日は解説しながら打ってみるか。
話が一区切り付いたところで、少し遅れてきた辺境伯夫人と、クリスが食堂に揃った。
どうやら、二人で昼食担当のシェフの中に催眠魔法をかけられた者がいないか確認していたらしい。朝食時も確認していたとのことなので、やはり異常なほどの用心深さだ。当然、この場のメイドも確認済みだ。
シンシアとアースリーちゃんが辺境伯夫人に挨拶し、シンシアからクリスには、アースリーちゃんへの囲碁説明とシンシアのドレスサイズ計測のことを話して、それが終わり次第、部屋に迎えに行くと伝えていた。
昼食時は、アースリーちゃんの実践マナーが完璧だと、みんなから褒められていた。それに照れた彼女のかわいさに、メイドや初めて会った夫人を含めて、その場の全員がときめいていたようだ。
俺達は、食事の時に外套から少しでも覗かせないように、シンシアの身体から左脚に移動して巻き付いていたので、その様子を見られなかった。残念。
それから、シンシア達の忙しない午後の予定を聞いた辺境伯が気を利かせてくれて、早めに昼食が切り上げられ、俺達は部屋に戻ってきた。
すぐに碁盤と碁笥も届き、シンシアの身体計測も行われた。
彼女の全裸はすでに見ているが、改めて計測結果を聞くと、とんでもないプロポーションだ。見るのと聞くのとでは、別の興奮がある。ゆうは、『ホントに人間か?』と疑っていた。
アースリーちゃんは午前中に計測が終わっているが、集中して辺境伯の話を聞き、考え事もしていたので、あまり意識していなかった。休憩中にタイミングが合っていればなぁ……。もう一度聞かせてほしい。
メイドが仮のドレスを何着か持って来る間、シンシアに先程の話を黒板で伝えた。
『俺に碁を打たせてほしい。勝負に絶対はないが、必ず勝つ。これはシンシアだけじゃなく、みんなの想いを込めた戦いだから。一度、俺と超早碁で対局してみよう。時間がある時に普通にもう一局』
「シュウ様……なるほど、一対一の勝負でも確かにそういう考え方がありますね。あなたには、いつも大事なことを教えられています……。シュウ様のおかげで、私も柔軟な考えになってきているとは思いますが、まだまだですね。
分かりました。まずは対局ですね。ちなみに、早碁は打ったことはありません」
アースリーちゃんとリーディアちゃんが見守る中、俺とシンシアは、一手十秒、持ち時間無制限の互先、超早碁で対局を開始した。高機能対局時計があれば、持ち時間を設定して、フィッシャールールを採用したいところだが、対局時計さえないので仕方ない。
十三路盤なので、勝敗が決するまで、長くても百手はかからない。コミはまだ導入されていないとのことだった。
早碁は思考の深さよりも、経験と閃きが重要だ。俺は、有利な黒をシンシアに持たせ、少しでも打ち方を効率化するために、碁盤を見る触手と、碁石を持つ触手を分けた。
そして、十分も経たない内に、一度目の対局を、白の中押し勝ちで終えた。
「強い……。私など足元にも及ばないぐらいに……。そちらの世界に碁があることにも驚きましたが、根本的に打ち筋が違いますね……。シュウ様の頭脳もさることながら、歴史の差を感じました」
それはそうだ。日本と比べるだけでも千年単位で違うのだから。ましてや発明されて二年目なら、真面目に研究でもしていなければ、簡単な定石さえ知らないだろう。
まだ普通に対局していないからハッキリとは分からないが、シンシアの棋力はアマチュア六級ほど、形勢判断がおおよそならできて、簡単な死活が分かるぐらいだろうか。
しかし、他のゲームも触っているだけに、かなりセンスがある。途中から、これではいけないと、俺に倣って打ち筋を変えて、少しでも対応してきたし、打ち筋や歴史の差が分かるほど、自分の棋力と相手の棋力を測れている。それだけなら、明らかに初段を超えてるな。それを初めての超早碁でやるのだから、潜在能力は相当高い。
そう考えると、ウィルズの棋力は、読みが深いとしても、アマチュア初段から高くても三段ぐらいか? 三段は、布石や手筋の応用ができるぐらいだ。それなら何とかなるだろう。
また、いくら強くても、その時々の礼を欠いていては、段位に値しない。これはシンシアやアースリーちゃんにも教えておかなければいけないな。
「具体的には、対局時、どのように私に指示しますか?」
シンシアの質問に、俺は何回かに分けて、黒板で答えた。
『目の役割の触手は、あらかじめパーティー会場の天井に潜ませておく。観客や光が邪魔で見えない時に困るから、俺が両脚を同時に締め付けた時は、小さな独り言として、自分と相手が打った場所を、左上から数えて声に出してほしい。そのことを怪しまれたら、声に出して頭に刻むことで、脳内の読みの精度を高めていると反論する。
俺からの指示は、両脚に巻き付いて、それぞれ締め付けた回数で交点座標を指定する。右脚は横、左脚は縦を表す。
指示が分からなくなったら、【うーん】か【分からない】とか小さく言ってくれれば、もう一度指示する。それも注意されたら、膝を強めに指で三回ノックする合図に切り替えるが、できれば最初から独り言を言ってしまう人だと思わせたい。
周りがうるさくて、俺が聞き取れなかった時は、二回素早く両脚を同時に締め付ける。その時は、もう一度同じ言葉を繰り返してほしい。指示や合図については、あとで練習しよう。
もう一局申し込まれたら受けてもいいが、感想戦は、貴族への挨拶の時間確保を理由に断る。
これらの話を踏まえると、スカートは広めで長めが良い。座って対局する場合は、浅めに腰掛けること。スカートの形が崩れることに配慮して、辺境伯が腰掛け用の高さがある椅子を用意してくれるかもしれない。事前に希望を伝えておこう』
「分かりました。ダメだった時や怪しまれた時のこともしっかり考える辺り、とても勉強になります」
シンシアとの話が終わると、丁度良く、扉がノックされ、仮のドレスが到着した。
まずは、試着して物理的な候補を絞り、調整で着られるようであれば、リーディアちゃんのコーディネート候補に挙げられる。
メイドの事前の見立てが良く、調整可能なものばかりだったので、思っていたよりもすぐに終わり、アースリーちゃんへの囲碁講習に移った。
彼女の飲み込みは早く、シンシアがルールを教えて、俺が心得に加え、死活や序盤の打ち方を軽く教えると、実践でもそれなりに打てるようになった。
リーディアちゃんもそれを聞いていたので、次のダンス講習まで、二人で対局してみるよう言って、シンシアと俺達はクリスの部屋に向かった。
「どうぞ」
シンシアは、クリスの部屋の扉をノックして入室した。
俺達は、クリスが後ろを向いている時に、シンシアの足元から、増やした触手を縮小化した上で、部屋の壁を蔦って天井に移動させた。窓にカーテンをしていてもまだ明るいので、梁を探して、下から見えないように身を潜めた。
クリスの部屋の大きさは、俺達の部屋の半分ぐらいで、豪華ではないが、それなりに広い。家具はシンプルで、入って左奥にはベッド、右奥にはソファーとテーブル、左手前には机、右手前には棚があった。
「周囲に作戦内容がバレないよう、ここで共有してからの方が良いと思うが、それでいいか?」
「はい、もちろんです」
二人は部屋の右奥にあるソファーに座り、作戦会議を始めた。
「使える魔法の確認から行いたい。魔力感知は聞いたから、それ以外で、罠タイプの金縛り魔法、壁魔法、催眠魔法、回復魔法は使えるか?」
「一通り使えますが、回復魔法は基礎程度です。私は攻撃魔法と補助魔法が専門なので」
「分かった。それで問題ない。この作戦は、監視者または追跡者が、高レベル魔法使いで、知能が高く、慎重であることを前提に練られたものだ。
本当は、あらかじめ罠を張り巡らせた場所に誘い込み、捕獲する、みたいな作戦にしたいところだが、そのようなあからさまな誘いには絶対に乗ってこない。
したがって、仮に罠を張るとしても、自然を装って、臨機応変に街中で行うことになる。
まず、食べ歩きできる焼き鳥みたいなものを購入し、私が指を差して、人通りの少ない路地裏の十字路に二人で入る。
十字架の形を想像してみた時に、十字架左が路地裏入口だとすると、そこに入ったあと、クリスが入口で金縛り魔法の罠を張る。
私達に監視魔法がかかっていないことを確認し、そのまま、クリスは直進して十字架右に出て、路地裏出口で同様に罠を張り、左に曲がろうとするところで待機する。
私は十字架下で、身を隠し、追跡者が入口の罠に嵌るならそれで良し、解除してそのまま直進してくるならやり過ごして、出口の罠に嵌るか解除しようとするところを後ろから挟み打ちにする。
出口の罠を張ってから一分経って誰も来なかったら、仕掛けた罠を解除して、魔力感知走査を開始する。
感知に引っかかったら、その二十秒後にもう一度同じ方向を走査する。君は九割九分大丈夫だと言っていたが、一回目から二回目の間に、私達から急速に離れて行くようなら、走査がバレたと判断する。バレていないなら、平静を装ってそこに向かう。
万が一、走査がバレていると分かった時には、三十分後に再度同じことを行う。自分達を探しているのではない、と思い込ませるんだ。
これは、私の尊敬する方の教えでな。万が一でも、知っているのと知らないのとでは大違い、ということだ。
四回目の走査でやはりバレていると分かったら、捕獲を諦めて屋敷に戻る。
対面時、クリスは相手を逃さないことに集中してほしい。壁魔法を相手の後方や横に展開してくれ。壁が壊されても何度も作ってくれ。それが、間合いを詰めるまでの時間稼ぎになる。相手の足元から壁を生やすのもアリだ。
攻撃は私が全て行う。一人でも捕まえられれば成功だ。すぐに催眠魔法をかけて、自害されないようにする。致命傷は負わせないつもりだが、場合によっては回復させる。相手が複数人いて、残りに逃げられても、深追いはしない。
これだけ考えても、序盤で全員に逃げられる可能性がある。ダメ元で行こう。今言ったことを要約でもいいから、復唱してみてくれ」
クリスはシンシアの説明を要約して復唱した上で、十字路でのことも机にあった紙と羽ペンを使って説明し、この作戦を完全に理解していることを示した。
「一つ、質問いいですか? 追跡されているかどうかって達人の気配察知で分かったりするんでしょうか。」
クリスがシンシアに質問した。これは作戦を練っている時に俺も聞いた内容だ。
「気配を読むと言っても、基本的には音、空気の流れ、光の反射、それらを前提に勘で存在を読むということだから、雑音が多く、人の流れも多い街中では無理だ。
例えば、創作物にあるように、雑踏で背後十メートルから殺気を放たれて、振り返るなんてことは、この世の誰もできない。正面からなら、存在に違和感があるから分かるが。
それでは、耳や触覚が優れている人ならどうかと言うと、それも非現実的だ。
なぜなら、耳が良いなら近い音が余計に大きく聞こえるし、触覚も同様に感じるからだ。分解能が優れているというなら、膨大な情報を処理できる脳が前提となるが、そんなことができるなら他のことに使った方が良い。まあ、そんな人間は存在しないから考えるだけ無駄だろう」
それができるとしたら、チートスキル持ちだろうが、気配を読めるだけなら、それほど脅威ではない。
実は、シンシアの『武神』は、戦闘時限定でそれを半分実現できているようなものだが、躱しているだけでは意味がなく、反撃できるだけの剣技や体術があって初めて役に立つものだ。
あ、今思ったが、『武神』ってボードゲームに適用されるのだろうか。シンシアが子どもの頃には、まだチートスキルを持っていなかったから、チェスが強かったのは普通に強かっただけだと思うが、囲碁を陣地取りゲームじゃなく、卓上の、境界線上の戦闘だと認識したら、格段に強くなる可能性もある……とかは流石にないか。でも、イリスちゃんはその可能性も示唆していたからなぁ。実はもうシンシアはそれを認識していて、だからこそ囲碁のセンスがあると感じたのかもしれない。次の一局が楽しみだ。
「分かりました。それでは行きましょうか」
クリスが立ち上がると、シンシアを先頭に部屋を出た。クリスの部屋の触手は夜に侵入する手間を省くために残しておいた。
そう言えば、この世界で何気に初めて距離の単位が出てきたな。どのようにしてメートル法が定義され、使われることになったのか、今度聞いてみよう。
レドリー邸を出てから、街のメインストリートの活気がある場所までは、歩いて十五分程度で着いた。
その間、建物がない所も通って来たが、付けられている様子はなかったようだ。偶にシンシアが早歩きになりすぎて、後ろのクリスのことを気にするふうを装って、背後を確認していた。
俺達は、例のごとく、シンシアの外套の中に隠れて巻き付いている。
まずは、シンシアが道の端にあった屋台で、良い匂いを風に乗せていた焼き鳥モモ肉の塩味を四本購入した。あらかじめ、彼女から通貨単位や相場を聞いていたが、この店の焼き鳥は安い方だ。
二本をクリスに渡し、並んで歩きながら、ゆっくりと食べ始めた。
「ふむ、中々美味いな。城下町よりお得だし、せっかくだから色々と食べてみたい気はする」
シンシアが世間話を始めた。もちろん、これは単に街を散策しているだけ、と見せかけるためのものだ。
「私がジャスティ国城下町を訪れた時は、火を通した鶏肉と卵をソースで味付けした上で、崩したパンにかけて一緒のお皿で出す料理が流行っていました。もちろん、安くて美味しかったです。私は初めて見たのですが、城下町の店の料理の種類が豊富なことに驚きました」
パンの親子丼みたいなものだろうか。米やみりんはもしかしたらこの世界にもあるかもしれないが、醤油はおそらく存在しないから、どれだけ似せても非なるものだろう。
「それは、陛下のご意志でもある。元々、他国と比較しても種類は多い方だったと思うが、『食の制覇は、国の制覇』というスローガンを近年掲げて、今ある食糧大臣だけでなく、調理大臣を新たに設けて、さらに力を入れている。
選択肢が広がれば、食糧飢饉の際の応急処置にも使えるし、平時では国民の幸福度が上がるだけでなく、各地の観光理由にも繋がるという狙いだ。
城では、高級料理から庶民料理まで、美味いものなら王族の食事で出されるし、城の従事者用の食堂でも実験感覚で出てくる。中には、評判の悪い料理もあったがな。
全てのレシピは保存され、総合的な評価を元に、一般層にもウケると判断されれば、城下町の全ての料理屋に共有される。そのまま客に提供するのもいいし、店側でアレンジしてもいい。
ただし、いずれも宮中の著作権表記が必要だ。逆に、店側で完全オリジナル料理のアイデアがあり、応募して評価されれば、国でそのレシピを高額で買い取る。それが市中に共有される際は、著作権表記が宮中と発明者の名前入りとなる。特定の産地の食材が必要な場合は、それもメニューに記載しなければならない。
もしかしたら、クリスが来た時は、あまり地方には広がっていなかったかもしれないが、最近は徐々に広がりを見せてきていると思う。機会があれば、店のメニューをよく見てみるといい」
シンシアは手に持った焼き鳥を時折食べながら、ジャスティ国の料理事情を説明してくれた。クリスも焼き鳥を食べながら、相槌を打って聞いていた。
食べ歩きではあるものの、二人とも口に含みながら喋っていないところは、行儀が良い。
「なるほど。制度化、システム化までされてるんですね。ジャスティ国は優秀な人が多くて、本当にすごいですね」
「この場合、様々な法案を通した調理大臣が優秀なのもそうだが、そのご息女がとびきり優秀と言わざるを得ない。
大臣自身もそれを隠さず、『自分がすごいのではなく、家にいる娘の言う通りにしているだけだよ』と謙遜を交えておっしゃっている。実際、先程のスローガンと調理大臣の設置および父の任用も彼女が構想し、陛下への進言とさせた、と言われている。
それ以外のどんなことが具体的に進言されているのかは、私には分からないが、城内には彼女のファンも多く、一度会ってみたいと思っている人も少なくない。
と言うのも、レシピの多くを考えているのも彼女らしい。その料理が美味かった時だけ、誰がレシピを考えたか聞いてもいいルールがあって、それは陛下さえも例外ではないのだが、美味い料理を聞くと大体彼女に当たる。ただ、誰も会ったことはないみたいだ」
魔法研究者がいるなら、それより歴史が古い『食』に関する料理研究者がいて当然だ。香辛料や調味料、食材の研究も含んでいるかもしれない。
ただ、政治に介入して制度設計まで提案できる人物は少ないだろう。天才かどうかは分からないが、超優秀であることは間違いない。シンシアの話の展開が上手かったこともあり、俺もいつか会ってみたいと思った。
二人が話していると、焼き鳥を食べ終わってしまったので、シンシアが近くにあった屋台に立ち寄り、豚バラ串の塩味を四本購入した。まあ、北海道では豚串を焼き鳥と呼んでいたりもするので、焼き鳥を購入するという予定に狂いはない。
シンシアが豚バラ串を食べながら、話を続ける。
「ちなみに、そのルールを考えたのも彼女だ。料理で失敗したことがない者など誰一人いない、料理に失敗は付きもの、失敗を責めるのではなく、失敗から学ぶことが肝要である、との考えからだ。レシピを全て保存しているのもそれが理由だろう。
そして、それに感銘を受けた陛下が、進言を全て受け入れたというのが経緯だ。
陛下は、それに留まらず、最近では失敗事象を研究する部隊の立ち上げも命じた。歴史研究と被る部分もあるので、その部隊は学者が多い。そう言えば、レドリー卿もメンバーに入っていると聞いたことがあるような気がするな」
それは、現代では失敗学と呼ばれている。そんなところまで考えるとは、王の危機意識はどれだけ高いんだ。
ただ、失敗学は、その考え自体は素晴らしく、研究する価値があるものだが、難しい面もある。大きく分けて三つ。
一つ目は、事象分析の難しさ。
二つ目は、その情報を管理、検索、応用する難しさ。
最後に、そもそも失敗を語ってくれる人が限りなく少ないことだ。
誰しも、笑いのネタにならない失敗は語りたくないものだ。自分への評価が下がるからだ。組織では、失敗を隠蔽する人さえいる。
したがって、組織内の人事評価システムには、失敗を評価に組み込むことが前提になるが、自作自演対策も必要になる。これらの全てをセットで考えて、初めて適用できるので、失敗学の導入がそもそも失敗するという皮肉になることがほとんどだ。その難易度から、流石のジャスティ王でも、それを成功に導けるかは分からない。
「そうなんですね。でも、いいんですか? 私に城の内情を話しても」
クリスが、機密情報の運用についての疑問を投げかけた。
「外部に話して良いこと悪いことは、明確に決められている。ここで話したことは、全て問題のないことだ。おっと、そこから路地裏を抜けて、向こうの通りも見てみよう」
シンシアとクリスは、食べ終わっていない豚バラ串を一本ずつと食べ終わった串を一緒に持って、シンシアが指した路地裏に入った。
そして、入口から一メートルほどの所で、クリスが持っていた串をシンシアが全て素早く受け取り、クリスが監視確認用の魔法の詠唱、次に罠用の金縛り魔法の詠唱を始めた。作戦の始まりだ。
俺達は、突然戦闘になった時にシンシアの邪魔にならないよう、縮小化して左腕に巻き付いた。罠を張り終わると、二人は奥に進み、シンシアは十字路中央の横道に隠れた。
路地裏出口に向かったクリスがそこでも罠を張る。入口の罠には、今のところ、誰もかかっていないようだ。シンシアはその間に、集中力を保ったまま、残った豚バラ串を全て食べ切り、合計八本の串を服の右腰部分に差し込んだ。
なるほど、串を奇襲に使えるのか。作戦では、そこまで考えてなかった。やっぱり、戦闘の経験値が違うな。
クリスは出口で見切れながら待機している。それから一分経って、誰も来なかったので、クリスが二つの罠を解除して、十字路の入口側に集まった。
「それじゃあ、頼む」
シンシアの言葉のあと、クリスはそのまま魔力感知魔法の詠唱を始めた。
そして、クリスは詠唱を終えると同時に、俺達が来た方向に杖をかざした。
「いました! 魔法使いの中でも明らかに多い魔力量。私が向いている方角、地上で屋外にいます。距離は二百メートルぐらいでしょうか。最初に焼き鳥を買った辺りです。二人組の内、魔法使いは一人です。それと……もしかして……いえ、あとで話します」
「随分、離れているな。私達を尾行していたのではないのか? 念のため、他の方向も頼む」
「はい。…………。んー、他に魔力量の突出した人はいませんね。魔法使いというだけなら、門番の他に常駐魔法使いが三人いますが、その人達は除いています。最後に、もう一度、監視者の方角を見ます。……あ、私達から急激に離れてます! すでに四百メートル以上。この二十秒の間に二百メートル以上離れたので、ほぼ全速力。やはり、魔力感知がバレています」
「やはり、と言うのは、先程言いかけたことかな?」
「はい。あの状態の人を初めて走査したのですが、通常の人に比べて、シルエットがハッキリとしていました。考えてみれば当然ですよね。魔力を身体に沿って展開するんですから。
それにしても、万が一のことが当たり前に起こってしまいました。私達の行動を不審に思い、全力で感知魔法を全身に展開したのでしょうか?
でも、私達が路地裏に入って、最初の走査まで一分どころか三分ぐらいは経っていたはずですし、二回目の走査でも展開されている様子でした。
ということは、約四分。時間差が多少あったとしても、維持できるわけありません」
あり得ないことが起こったからか、クリスは興奮気味に語った。
「ふむ……タイミングが奇跡的に噛み合ってしまった可能性はあるが、この場合は別の可能性を考えた方が良さそうだ……。とりあえず、三十分後にまた考えよう。路地裏を抜けた先にレストランがあれば、そこで時間を潰そうか」
「分かりました……」
クリスは、意気消沈したかのように肩を落とし、歩き出した。
「どうした? 元気がないように見えるが。クリスの分の豚バラ串を私が食べてしまったからかな?」
「ふふっ、いえ、シンシアさん達が、あんな人達を相手にしているのかと思うと、心配になってしまって。彼らをそのまま放置するよりも、バレていると分かった瞬間に追った方が良かったのでしょうか」
俺も正直、あそこまで慎重な奴らだとは思わなかった。最初の走査の瞬間に逃げなかったのも、そこで逃げてしまったら確実に追われるからだろう。俺達の心理まで考えられている。
しかし、この分だと、今日はもう俺達に近づいてこないな。
「その気遣いに感謝する。焦っても良いことはない。まあ、仮に今日何とかならなくても、その内、何とかなるさ。頼りになる味方がいるからな。君にもいつか紹介できるといいと思っている。お、あそこにレストランがあるか」
二人で路地裏を抜け、左方向にレストランを見つけたシンシアが先導してそこに向かうと、俺達は縮小化を解き、再度シンシアの体に巻き付いた。とりあえず、休憩だ。
レストランで時間を潰したあと、再度別の路地裏に行き、同じ手順を踏んだ。
しかし、監視者達は俺達から約二キロの位置にまで離れてしまっていた。一応、レドリー邸とメインストリートの間を遠くから監視できる位置だ。
その距離まで走査できるクリスもすごいのだが、彼らの用心深さたるや、絶対に姿を見せたくない、戦いたくないという意志を感じた。これなら、ガチガチに監視されていた方が、俺達にとっては都合が良かったかもしれない。彼らにとっては、俺達の、本当におおよその場所さえ把握できていれば良かったのだ。
もしかしたら、シンシアがセフ村にいた時は、隣のダリ村にいても良いぐらいに、監視が緩かったかもしれない。アースリーちゃんも、レドリー邸に入るのを確認できれば良いとか。
では、なぜ今回、俺達との距離がこんなに近かったかということだが、彼らにとっても想定外だった可能性がある。考えられるのは二つの想定外だが……。
クリスのことは、その魔力の強さも含めて、『本物のコレソ』だとバレていると見るのが妥当か。いや、それだと催眠魔法も解除される可能性が高いと考えるはずだから、わざわざアースリーちゃんにかけることはない。都合良く解釈すれば、その僅かな可能性にかけたか、あるいは、魔力量が多くても催眠魔法を使える者などそうそういるはずがないと踏んだか。
いずれにしても、シンシアとクリス、強者同士が二人で街に向かったのを怪しみ、予定にはなかったが二人を付けようと考えたのが想定外の一つ目。
もう一つは、彼らの用事が近辺であり、その用事が済んだところに、クリスの走査と鉢合わせた。シンシア達のように焼き鳥を食べたかったという軽い用事ではないだろう。協力者との情報共有や意思疎通が考えられ、それなら別々に行動していた際に、お互いの情報共有が上手く行っておらず、クリスの魔法解除能力を考慮しなかった理由にもなる。
やはり、いずれにしても、どちらも態勢が整っていないため、一目散に逃げた。雑な推察ではあるが、当たらずも遠からず、ではないだろうか。
しかし、これで分かったこともある。レストランでの世間話前にクリスが言っていたのだが、監視者の魔法使いは女だった。
身長は高め、シンシアよりは少し低い。髪は腰ぐらいまであり、スタイルがシンシアとアースリーちゃんの間ぐらいとかなり良く、その立ち姿からは、色気がある女性を想像させるとのことだった。
それだけの女性が普通に歩いていたら、嫌でも目立つので、ローブである程度隠しているのではないか、とシンシアが話していた。魔力感知は、髪型まで分かるが、服装までは分からないようだ。
もう一人の一緒にいた男は、身長はアドとその女の間ぐらい、筋肉はしっかり付いていて、走査した時に、魔法使いから少し遅れて、剣に右手を伸ばしかけた素振りを見せたことから、冒険者の姿をしているのではないか、とクリスは推察していた。
人にはあまり興味がなさそうなクリスが、あの短時間で、よくそこまで観察したな、と俺は感心した。期待した以上の仕事をするプロの鑑だ。
さて、色々と考えては見たものの、なぜ感知魔法がバレたのかは分かっていない。正確に言えば、方法は分かっているが、そこに至った経緯が分からない。偶然の場合は、俺の鉢合わせ説は否定されるし、偶然じゃなかった場合は、シンシア達の行動や素振りはかなり自然だったはずだが、クリスが言う通り、逆に怪しまれた可能性はある。
だが、クリスが知らないことを俺達は知っている。チートスキルの存在だ。
一方で、クリスが勘付いていることもある。魔法創造スキルの存在だ。
このいずれかによって、常時魔力展開が可能になっている可能性が高い。
一目でも彼らを視界に入れられれば、可能性を絞れたが、クリスにも街の人にも俺達を一切見られるわけには行かないので、路地裏の壁を蔦って屋上から見に行くこともせず、自重していた。
いずれにしても、これまで以上に俺達の方も慎重にならなければいけないな。イリスちゃんと相談して立てた作戦ではあったが、ユキちゃんがその場にいるならまだしも、今回の場合は、たとえどんな作戦であっても、相手次第では逃げられてしまう、と彼女も言っていた。
バカな敵が突っ込んできてくれて、聞いてもないのに冥土の土産だと言って、ペラペラと全部話してくれたらどんなに楽か。このままでは、カタルシスも何もあったもんじゃない。本当に、思った以上に厄介な相手だ。別の角度から切り崩す他ないな。
「あの……シンシアさん、私、やっぱり例の研究者の方に本気で会いたいです! あの魔法使いの魔力展開が偶然ではないとすると、本当にそれが可能なのか、聞いてみたいです。どうしたら会えますか?」
クリスがここまで必死になっているのを初めて見た。魔法に対する好奇心か、それとも未知の存在を知り、身の危険を案じたか。
「そうだなぁ……方法も含めて少し考えさせてほしい。早くて明日、遅くてもパーティー翌日までに答えを出そう。あまり期待させるのもなんだが、きっと良い返事が聞けると思う」
「ありがとうございます! お願いします!」
シンシアは、自分だけでは決められないとして、俺達に判断を委ねた格好だ。それでも、クリスはホッとしていたような印象を受けた。
「お兄ちゃん、あたし、ちょろいのかなぁ。もうクリスのことも好きになってるんだよね。最初は目の隈が酷くて、『えっ』って思ったけど、今ではかわいくて仕方がないって言うか。ほとんど仲間みたいなものだけど、早く本当の仲間にしたい。ずっと一緒にいてほしいって思う」
「彼女の魅力は、丁寧な口調と落ち着いた雰囲気がある一方で、その目元と服装からは暗い印象を受けるが、よく観察してみると、小動物的な存在感や声のかわいさに加えて、素直なところ、時折垣間見える好奇心旺盛な子どもらしさ、それでいて賢さも持ち合わせているジェットコースター的なギャップと、その全てを認識した時の総合デパート感だと思った。
しかし、属性過多というわけでもなく、彼女が何かを喋る度に、聞いている方はその満足感が得られる。言ってみれば、イリスちゃんとユキちゃんの魅力を合わせたような存在かもしれない。俺も同じ気持ちだよ。一番長く接していたシンシアも、絶対にそう思ってるさ」
「おおー、上手く分析、言語化してくれて、ありがと」
クリスには、自らのことも含めて、色々なことを教えてもらったし、アースリーちゃんの件や今回の作戦でとても世話になった。
会って間もないが、彼女との会話や、彼女と行動を共にすることで、すごく良い子だとすぐに分かったし、改めて思う。それは、魔法使いの前提、『魔法使いは人格者である』ことからも明らかだし、各地の人々を助ける精神と行動力からも明らかだ。
これらの背景もあるからこそ、俺達のクリスへの想いは強くなっていたのだ。シンシア達が作戦を終えた帰路で、俺達は、彼女の願いを叶えたい、そして、彼女を幸せにしたいと強く強く思った。
夕食後、クリスの部屋に残しておいた触手に意識を移した俺達は、彼女が下着姿で早々にベッドに入るところを天井の梁から見ていた。風呂には入らないみたいだ。
メイドによるシャンデリアの蝋燭の点灯を、彼女は断っていたので、すでに部屋は暗く、ベッド横の長い蝋燭だけが付近をほんのりと照らす。
彼女が夕食で部屋にいない時に、俺達はベッド下にも触手を潜り込ませていた。
上から彼女をしばらく見ていると、俺達は非常に奇妙な出来事を目にし、ちょっとした恐怖さえ覚えた。
「なんか……ベッドに入ってから、ずっと目開けてない? 瞬きもめちゃくちゃ少ない……。目を開けたまま寝てるとかじゃないよね」
「俺達に気付いたってわけじゃないと思うが……色々な意味で少し怖いな。とりあえず、できるだけ動かないようにしよう」
クリスのベッドからは足方向の梁に俺達がいる。真上にいたら気付かれていたかもしれないと思うほど、彼女はずっと天井を見ている。
二十分ほど経過して、ようやく目を瞑ったかと思ったら、二秒も経たない内に、すぐにまた目を開けた。
五分経って、また目を二秒瞑る。それが四十分ほど続いた。
そして、目を瞑る時間が二秒から五秒になった。その途端、まるで悪夢から目覚めたかのように、上半身をガバっと起こし、息を荒げ、汗もかいていた。風呂に入らなかったのは、どうせ汗をかくから、入るなら朝、ということかもしれない。
しばらくすると、またベッドに横になり、目を瞑ることなく天井を見るところから始まる。それから、二時間経って三回目のループに入ったところで、その様子を黙って見ていたゆうが口を開いた。
「これ、不眠症ってレベルじゃないよね……? ねぇ、こんなこと毎日続けてたの……? いつから……? 死んじゃうよ! こんなの‼ ……辛すぎる……よぉ……」
ゆうは取り乱した様子で、彼女の身を案じて、誰とも言えない相手に疑問を投げかけ、叫びとも言える声を上げたが、最後は消え入りそうな声で泣いていた。
アースリーちゃんも不眠で悩んでいた時はあったが、それとは違う、別の地獄をクリスは味わっていた。苦しいだけではない。実際に、彼女の寿命も削られているはずだ。日常の睡眠時間が短いと寿命も短いと言われているからだ。
「かつてのアースリーちゃんと同じく、クリスも強迫観念で寝られないんだろうな。過去に衝撃的な何かを体験したはずだ。この様子だと、眠った時に何らかの失敗を犯し、それで眠れなくなった。ほんの少しでも眠ると、脳裏に焼き付いた光景がすぐさま蘇る、と言ったところか。
睡眠魔法はおそらく存在するだろうから、それを使っていないところを見ると、シンシアが今朝、クリスに言いかけた通り、理由は贖罪だろうな。ある意味、とんでもない精神力だ」
これほどまでの罪悪感を覚えるのであれば、かなり規模が大きい失敗のはずだ。だとしたら、思い当たる節はある。
「どうやったら、そんなに冷静に見てられるの⁉ 見てられないよ! こんな……大好きな人がこんな……」
「絶対に幸せにすると心に決めているからだ。アースリーちゃんやユキちゃんの時を思い出せ。あの時も、見ていられないほど辛かった。
だが、俺達は絶対に助けると心に誓い、機を伺った。その時との違いは、彼女達が初対面だったのに対し、今回はすでに大切な存在が辛い思いをしている、ということだが、やることは変わらない。
むしろ、戦闘経験もある優秀な魔法使い相手だから慎重にならなければいけない。アースリーちゃんやユキちゃんの時のようなタイムリミットがあるわけでもない、シンシアの時のような簡単に不意を突ける環境でもない。
クリスの観察眼から、蝋燭の灯りのほんの少しの揺らめきでも、俺達の存在がバレてしまう。こちらから動くわけにはいかない、待つしかないんだ。
ただ、あの時も思ったことがある。お前だって言っていたことだ。この辛い光景を見ているからこそ、彼女の全てを受け止められて、自分の想いや決意が強くなる、彼女がより愛おしくなる。全て終わった時には、これからどんなことがあっても一生幸せにするぞ、と思える。
そして、みんな言ってくれる。その辛いことがなければ、俺達に出会っていなかったから、あれで良かった、今はすごい幸せだと。本心から言ってくれてるんだ。嬉しいことだろ?
正直、俺だって女の子の悲しい姿は見たくない、涙が出るほど目を背けたくなる。でも、目を逸らしたら、全てを受け止めたことにはならない。逆に損をしてしまう。
そう考えるようにしたら、大分楽になるはずだ。もちろん、辛い思いをさせてすまないという気持ちも忘れない。ポジティブ変換で行こう」
「…………。お兄ちゃんって、時々、すごいよね……」
「はぁ? 稀に、だろ?」
「ぷっ、あはは、そうだった……ありがと、お兄ちゃん」
たとえ取り乱しても、しっかり相手の意見を聞けるゆうもすごいと俺は思った。
気持ちの受け止め方は本当に難しい。少し間違っただけでも怪我を負ってしまうから、こちらも全力で立ち向かわなければならない。その全力に至るまでもが難しいから、弱い俺は彼女達の悲劇の力をバネにしていると言っても過言ではない。今はごめん、クリス。絶対に君を救うから!
「蝋燭はそろそろ消えるはずだ。その後のクリスの行動を見る。蝋燭を追加せずに、部屋が暗闇になるようだったら、次に上半身を起こすまで待ち、起きたところを後ろから口を塞ぎ、いつもの流れで行く。それ以外の行動をするようなら、そのまま待機だ。
仮に、ずっと待機していても、朝にはならないと思う。流石に、完全に不眠というわけではなく、この状態に疲れて未明に眠りについて、二時間弱だけ寝る、みたいな感じだと思う。三時間睡眠のショートスリーパーは世の中にいるから、それ未満というわけだ。
しかし、その時まで待つと徹夜になってしまって、彼女の負担が大きい。万が一、一切睡眠していないようなら、すぐに気絶させる」
「おっけー。」
幸いにも、クリスは部屋に灯りをつけず、そのままベッドに留まっていた。どんなことを考えながら、横になっているんだろうな。少なくとも、無の境地でないことだけは確かだ。
それから一時間が経とうとしてた。クリスがベッドに入ってから、この四時間で、俺達が親しい者は皆、完全に眠りについている。
「そろそろだ」
俺は、その時が近いことをゆうに告げた。すると、その言葉が合図かのように、クリスは勢い良く上半身を起こした。
「いま!」
俺達は、ベッド下から体を伸ばし、ゆうが真っ先に口を塞ぎ、増やした触手で彼女の四肢をそれぞれ拘束して、大の字にした。彼女の体は完全にベッドから浮き上がっている。
「⁉」
クリスは、驚きつつも四肢を動かし、何とか抵抗しようとしていたが、急にそれを止めて大人しくなった。手足にも力が入っておらず、俺達が胴体を支えなければ、テーブルをひっくり返したような体勢になってしまう。
悪夢の中と思ったか、それとも、これを罰として全てを受け入れる格好なのかは分からない。思えば、これまでの女の子も大体こんな感じだった。襲われること自体が、自分に有利に働く状況だ。
しかし、抵抗されないのであれば、こちらとしては、やりやすい。下着を脱がしている時でも、全く抵抗することなく、彼女はボーっと虚空を見つめていて、それこそ無の境地だった。
俺達は、いつもの配置について、彼女の全身を優しくマッサージするかのように、体を這わせ、ゆっくりと舐め回した。
「…………」
クリスの反応はまだ薄い、と言うか、ない。いつもなら、ゆうのキスで早くも虜にしている時間だが、クリスの表情を見ると、その様子もない。彼女の罪悪感と、これまでの地獄のような苦痛から、刺激を感じないのかもしれない。これも角度を変えて責めないといけないか。
「ゆう、アプローチを変えた方が良い。クリスの身体を少しキツく絞めよう。軽くなら首を絞めてもかまわない」
「おっけー。そっち方向ね。どうりで私のテクが効いてないと思った。クリス、大丈夫だよ。大好きなあなたのために、ちゃんと感じさせてあげるからね」
俺達は、跡が残るのではないかというほど、クリスの身体を強く絞めて、仰向けで身体を持ち上げ、腕と脚を地面方向に引っ張るプロレス技の『ロメロ・スペシャル』のような関節技で体勢を固めた。
「ん……ぅ……」
やっとクリスの反応があった。しかも、苦しみの反応ではない。
闇の中で月夜がカーテンの隙間から差し込み、クリスの白い肌が照らされ、異様な体勢で全てが露わになっているその様は、芸術的にも見えた。
彼女の身体は、その印象とは裏腹に、各所の肉付きも良く、まさに『脱いだらすごい』の典型と言える。その豊かな両胸は、上に突き出すように変形させられ、張りと柔らかさを兼ね合わせた臀部も、俺達の体に吸着されて両側に引っ張られている。言わば、あらゆる方向に力を加えられ、脂肪も吸引されているような感覚だ。
ゆうがさらに責めて、クリスの顎を上げ、ベッド裏の壁を見せるようにした上で、首を軽く絞める。口も奥まで塞がれているので、流石に息苦しそうだ。そこで、両胸の先端を思い切り吸い上げた。
「んんっ……!」
クリスの全身が少し震えると、ゆうは彼女の首元を緩め、口の責めも緩めた。そして、吸い上げから、ねっとりとした舐め回しに移行すると、両腋にもターゲットを広げ、強制的にくすぐったさで体を反応させる。それから、各所のキツい責めを徐々に再開していく。
「はぁ……はぁ……」
クリスは、口を塞がれながらも、荒い呼吸になっていた。表情を見る限り、まだ息苦しさが勝っているようだ。
俺も下半身の責めを続けよう。両臀部を吸着から吸引に移行し、色々な方向に引っ張ったあとに、下方向に強く引っ張る。それと同時に、股に埋めた触手で、草木が一本も生えていない秘境に踏み入ると、頭上に輝く秘宝を、すぐに口に含んで引っ張り上げた。
「っ……!」
クリスが一段と大きく反応したことを確認すると、ゆうの動きに合わせて、舐め回しから吸引、吸引から舐め回しへの移行を繰り返した。
しばらくして、やっと表情が変わってきたクリスだったが、まだ口は自由にできない。彼女の罪の意識の高さなら、自分をめちゃくちゃにしてくれ、殺してくれと言って、気持ちもそっちの方にエスカレートしそうだからだ。
俺がそんなことを考えていると、クリスが突然泣き出した。
「ぅ……ぅ……ぅ……」
これは、おそらくユキちゃんの時と同じだ。自分を傷付けてほしいのに、そうしてくれないどころか、妙な優しさを感じる。苛立ち、戸惑い、癒し、そしてクリスの場合は、罪悪感が混じり合い、混乱して涙が出るのだろう。
ゆうがそれを舐め取るが、その行為が拍車をかけて、クリスの涙は全く止まる気配がない。そのまま泣かせてあげよう。もしかしたら、最近は思い切り泣けてなかったのかもしれないな……。
それから十分後、クリスが泣いていた間は、俺達は涙や鼻水を舐め取ることに終始していたが、ようやく落ち着いてきた彼女に目を移すと、放心状態になっているようだった。これまでの無気力な表情とは、明らかに違うものだ。
「ねえ、お兄ちゃん。口、外してもいい? 多分もう大丈夫だと思う。それに、これまでの魔法の詠唱を聞いて、詠唱かそうでないかは大体分かるからさ」
「分かった。このままだと、少し時間がかかりそうだ。コミュニケーションが必要かもな」
ゆうは、クリスの口を自由にすると、相手を安心させるような軽いキスを何度かしていた。
五分ほど放心状態が続いていたクリスだったが、ゆうのその意図に気付いて、身体が少し反応した。すると、これまで力が入っていなかったクリスの身体に、徐々に力が戻ってきて、後ろに下がっていた頭も起こし始めた。
「あの……もし、私の言っていることが分かるのであれば、体を下ろしてもらえませんか? 大丈夫です、何もしません。少し……お話ししたいことがあります」
クリスの言葉に、俺達は彼女の体を下ろし、増やしていた触手も消した。触手を一本だけにした上で、彼女の脚を経由、U字型になって、二人で彼女の表情を確認できるようにした。
「増やしたり減らしたりすることもできるんですか……すごいです……。あなたが何者かは分かりませんが、私を元気付けてくれていることは分かりました。ありがとうございます」
クリスが俺達の頭を優しく撫でた。
「ただ、私がそれに値するか、今のあなたには分からないはずです……私の話を聞いていただけますか? その上で、判断してください。もし、私にその価値がないと判断したのなら、私の首を絞めて殺してください。それが私の願いです。
……あなたは、『エフリー国エクスミナ消失事件』を知っていますか? エフリー国では、『国境団消失およびエクスミナ消滅事件』と呼ばれています。私はそのエクスミナ町の出身です。
町は、当時人口流出が激しく、実質的には村と言っていいレベルでした。しかし、町人は明るく元気で、残った人達だけでもこの町を盛り上げていくぞ、という活気があり、私も大好きな町でした。
私はと言うと、今からは想像もできないほど活発な子で、早くから魔法の才能に恵まれていたこともあって、町の人達の日常生活の手助けをしたり、魔法の研究に目覚めたり、自主的に魔法の修行なんかも行っていました。あの杖も、私が魔法に目覚めてからすぐに両親からもらったものです。
そんなある日、城から騎士と魔法使いが派遣されてくることを知りました。私は自分の魔法の腕前をその人達に見てもらい、この町に有望な魔法使いがいると知ってもらうことで、少しでもこの町に人が戻ってくるのではないかと考え、連日修行に明け暮れました。
修行場は、町からかなり外れた森の中です。そこなら誰も来ないし、大きな音を出しても騒ぎになることはありません。町のみんなも、私がそこで修行していることを知っているので、近寄ってきません。
そして、私が張り切って夕暮れまで修行していた日に、それは起こりました。私は修行で疲れて、杖を抱いたまま森の中で眠ってしまったのです。おそらく、四時間以上は寝ていたと思います。
目覚めると夜でした。普通なら、私の居場所を知っている両親が迎えに来てもおかしくないのですが、なぜか来ませんでした。しかし、その理由はすぐに分かりました。
町が炎に包まれていたからです。私はすぐに町に戻りました。すると、町の中で怒号と悲鳴とうめき声が混じり合った地獄のような光景を目の当たりにしました。魔法使いが片っ端から建物を粉々にした上で火をつけ、多数の騎士が、町人を虐殺、強姦していたのです。その被害には、幼い子も含まれていました。
初めは盗賊かとも思いましたが、国家の紋章が入った武器と防具を所持していたので、間違いなく、エフリー国から派遣された騎士と魔法使いでした。
私が信じられない気持ちで、町中をヨロヨロと歩いていると、二人の騎士が目の前に立ちはだかりました。『まだ残ってたのか、お前が最後だぞ。そして、最後の祭りなんだから楽しくしないとな』と言われ、その二人から肩と腕を掴まれたところで、私の怒りと悲しみと不甲斐なさが混ざった感情が、身体の中から溢れ出してきて、そして、限界を突破しました。
頭に浮かんだ詠唱を無意識で声に出し、私の喉が壊れるほどの叫びと共に、私を中心に半径三キロの地上の全てが完全に消失しました。
私が町を消失させた張本人なんです。転移などではありません。境界線を見て分かりましたが、物質そのものが崩壊していました。
町には、まだ生きていた人がいたのに、隠れていた人がいたかもしれないのに、逃げている最中だった人がいたかもしれないのに、私が全員殺してしまったのです。
それから、私は満足に眠ることができなくなってしまいました。あの時の光景が目に焼き付いて離れないんです。そして、生きているはずだった人達が、私を責めるのです。どうして私達を殺したの、と。
それでも、国内を彷徨い、私が殺した町の人達の親族がいないか、なぜあのような虐殺が行われたか、様々な情報を集める中で、親族の方は結局見つかりませんでしたが、あの騎士と魔法使い達が、戦争の口実のために、国境近くの人口減少で滅びゆく町だったエクスミナ町で虐殺を行い、ジャスティ国に罪を被せようとしていたのだと分かりました。
私はエフリー国を憎みました。私のあの力で滅ぼしてやろうとも考えましたが、それではあの時と同じく、罪のない人まで犠牲になってしまうので、その考えは捨てて、それならせめて敵国だったジャスティ国に行って、ジャスティ国のために働こうと思い立ち、慈善活動を始めました。それが贖罪にもなるだろうと。
出身を隠して魔導士団に入る選択肢もありましたが、国対国の構図を目の当たりにすると、私の憎しみが増大して、魔力が暴走してしまう恐れもあったので、できるだけ戦争に結び付くことからは離れるようにしました。眠れない理由には、それも含まれます。
いつ暴走するか分からない、優しくしてくれた人達を巻き込みたくない、かと言って、一人でいられない。そういう状況では、全く眠れる気がしません。今日からは、本当に一睡もできないと思いますが、それで死んでしまうのであれば本望です。
そう思っているのに、旅をしている時は、次第に虚しくなり、死にたいと思うようになったのに、ずっと死ねませんでした。これが終わったら死のう、これが終わったら死のう。何度思っても、ずっと引き延ばしてきました。今回の辺境伯の依頼だってそう思っていました。
しかし、魔法研究者に会うことを決め、また先延ばしにしてしまいました。そのことにホッとしていた自分がいるのです。どう考えても死ぬべきなのに、死ぬ勇気も決断力もない。ダラダラと生きながらえている。
これが、私です。私の罪です。あなたの判断を聞かせてください」
天井をじっと見つめながら、俺達の判断を待つクリス。彼女の気持ちは分かる。だが、罪の意識に至る過程が、単純すぎて同意できない。
やはり、対話が必要だ。俺は、机にあった紙と羽ペンを取りに行き、ベッド横の台で、自分の考えを書き記した。
「もしかして、紙に書いているんですか? ちょっと待ってください。蝋燭をつけます」
俺の意見を示すには紙一枚では足りなかったので、複数枚に渡って急いで書いた。
クリスは予備の蝋燭を部屋の収納棚から取り出すと、魔法で火を付け、燭台にあった蝋燭と差し替えた。彼女は俺が書き終わるまで、黙ってベッドに腰掛けていた。
「ゆう、前に『いじめっ子や殺人鬼は死んでほしいし、悪い奴も助けてほしくない』と言っていたな。クリスはそこに含まれるか?」
「含まれるわけないよ! あんな出来事、避けられるわけないし……」
「じゃあ、悲しい過去があって避けようのない事実があれば、ある程度のことは許されるのか? それはどの程度だ? 社会的な話ではなく、気持ちとして、な。
例えば、俺達を轢き殺した運転手、周囲から評判が良い人だったが、過去に病気を患うも努力の甲斐あって完治したと思ったら、偶然にもあの日、再発して運転中に気絶してしまった、としたらどうだ? 直感で許す、許さない以外の理由を言えるだろうか」
「そ、それは……あたしは当然許せないけど、でも死んじゃってもう何も言えないから、残されたお父さん達がどう思うかによる、としか……」
「その通り、許す、許さないの理由は人によるんだ。では、俺達が天涯孤独で誰も悲しむ人がいなかったら?」
「そんな無茶な仮定、意味ないでしょ……って、この状況がそれ? クリスが消した人達は家族ごといなくなって、その親族も見つからなかった……。だったら、誰に許しを請えばいいの? 国家がとんでもないことやったんだから国でもないし、いないよね?」
「その通りだ。正確に言えば、国家は何があっても強権で国内の罪人を裁けるから、排除できないが、今は社会的な話をしていないので、それは置いておく。
例えば、ニュースの視聴者のように、この事件を誰かから聞いて知った人の許しかというと、そうではない。その人達に許してもらっても罪を償ったことにはならない。それは俺達が彼女を許しても同じだ。
じゃあ、許しを請う相手がいなかったら、完全に開き直っていいのかというと、そうではない。それが成り立ってしまうと、一族郎党皆殺しにした方が、罪の意識が軽くなってしまうことになるからだ。以上のことを考慮して、クリスにメッセージを書いた」
俺は書き終わった紙を全てクリスに見せた。
『俺が何を言おうと、現状で、君の背負った罪が消えるわけじゃないし、罪を償い切れるわけでもない。
ただ、一つ言えるのは、君が必要以上に苦しむことはない。君に苦しんでほしい、死んでほしいなどと思っている人は、誰一人としていないからだ。
じゃあ、一人でもいればいいのかというと、そうでもない。その場合の責任の重さが変わるからだ。
ここで言う『罪を償う』とは、被害者や遺族、罪人自身が、最終的にその罪人を理不尽な理由なく許すことだ。〇〇をすれば許すと言っていたのに、それを反故にするのは理不尽と言えるから、罪を償ったことにしていいし、逆に、いくら金を払おうが、善行をしようが、許すことに繋がらなければ、罪を償っていることにはならない。
しかし、現状では、罪を償おうとしても、それを認めてくれる人は消失して誰も残っておらず、すでに独りよがりでしかなくなっている。でも、君はそれをやめないだろう。この状況では、自分を許す方法は自分にしか分からない。
ならば、こう考えるのはどうだろうか。君が苦しんで、ましてや死んでしまうと、罪を償う効率が悪くなる、罪を償えなくなる、と。もちろん、死ねば楽になると考えるのは分からなくはない。
それなら、まず死なないで楽になることから始める。もっと言えば、罪を償うことが誰かの、何かのためになるのであれば、そのことに喜びを感じるべきじゃないか?
許された先に何があるのかも考えるべきだろう。何にもならないことをやるのは、罪を償っていないことになって矛盾するし、それは地獄と言っていい。被害者や遺族を、地獄の管理者、俺の母国語で言うところの獄卒とするのは失礼だろ?
それに、喜びを感じて罪を償ってはいけないとは、誰も言っていない。ここまで語ってきてなんだけど、正直に言うと、君の罪は罪ではないと俺は思う。なぜなら、直感的にもそう思うし、君も知っている通り、魔法使い人格者理論から、もし、君のやったことが悪いことなら、魔法を使えなくなっているからだ。
つまり、許す許さない以前に、天も君を肯定してくれているということだ。
最後に……君に苦しんでほしいと思っている人はどこにもいないが、君に元気になってほしいと心の底から思っている存在はここにいる。
そのことを踏まえて、俺に判断を委ねるのではなく、君がどうするか決めてほしい。それを決断できた時、君は生まれ変わる』
「罪を償う効率……死なないで楽になる……喜びを感じる……天が肯定……。そんなこと、考えたこともありませんでした……。私の今までの考えとあまりにかけ離れているので、理解に時間がかかるほどに…………。そんな……そんな考えが許されるんですか? いや、違う……許すのは……私……? あぁ……頭がおかしくなりそう……この感情……何なの……分からない……分からないよぉ……!」
クリスは頭を抱えて泣き出した。彼女にとっては、それほど衝撃的な考えだったのだ。ある意味、今までの生き方を否定しているからだ。
だが、その考えを受け入れたい自分がいた。運命から強制されたらどれだけ楽だろう。
しかし、こればかりは楽できない。
自分で決めなくてはいけない。
そうでなくては、自分を許せない。
それらの葛藤から来る涙なのではないかと思った。だが、どうやらまだ大事なことを理解できていないようだ。色々と理由を並べたが、これだけ知ってくれていればいいんだ。
俺達はクリスの涙を優しく舐め取った。
「っ……! そ……っか……私に元気になってほしい人……存在……ぅ……うぅ……ありがとう……ありがとう……」
クリスの表情が変化し、戸惑いの影は一切なくなっていた。蝋燭の灯りが反射して綺麗に輝く涙と、顔をほころばせる美しい少女がそこにいた。一先ず、安心だ。
「……でも、どうするんですか……? 睡眠魔法を使っても、目に焼き付いた光景や暴走がどうなるかは分かりません」
泣き止んだクリスが、具体的な方法を聞いてきた。俺は、紙に自分の考えを書いた。
『不安な気持ちのまま魔法を使っても効果は薄いだろう。それらのことを一旦忘れさせるためにも、俺が君を気絶させて、十分に睡眠してもらう。精神の安定は、肉体の安定からだ。今の君なら、俺を完全に受け入れることができて、感度も向上しているはずだ。
暴走については、君はこれまで全く眠っていなかったわけではないから、その気持ちさえあれば大丈夫だろう。気持ち良すぎて暴走するのは、どうか我慢してほしい。目覚めた時には、きっと朝だ』
「わ、分かりました……。それでは……一つお願いがあるのですが、キツく縛ってもらった時……その……気持ち良かったので、ああいう感じで……お願いします……。あれが良すぎて、罪悪感と合わさって泣いちゃったんです」
クリスは恥ずかしがってモジモジしながら、俺達に希望を伝えた。
もう、ほとんど吹っ切れているな。良いことだ。
「ゆう、今回は俺が我を忘れても止めなくていい。ただし、頭を突っ込みそうになったら、無理矢理にでも止めてくれ」
「おっけー。あんまり早く終わらせないでよ。かわいいクリスをもっと見たいんだから」
クリスの要望通り、俺達は触手を増やし、先程と同じ縛り方でベッド上に彼女を掲げ、激しく責め立てた。
「あっ……あんっ! あんっ! はぁん!」
今度は、声も快感も我慢することなく、クリスが断続的に反応する。
「もっと……もっとぉ! はぁ……はぁ……あっ……はぁん……!」
豹変した獣のように俺達を求めて、キツく縛られた身体をくねらせるクリスだが、あまり動かれると、彼女の関節を痛めてしまうので、俺達も力を入れて彼女を抑える。
こういうところでもギャップを魅せてくれるのか。
「クリス、かわいくて、すっごくエッチだね。じゃあ、キスもたっぷりしてもらおうかな」
ゆうがクリスの舌を求めると、クリスからも妖しげな動きで舌を伸ばしてきて、二人の舌の先が触れた瞬間、すぐに激しく絡み合った。
「ん……はぁ……んん……はぁ……」
クリスの頭の動きが激しいので、下半身にいる俺にも振動が伝わってくる。そんな彼女に当てられて、俺もリミッターを解除した。三本の触手を使い、彼女の股間の敏感な部分を全て網羅するように、舐め回し、むしゃぶりつき、吸い上げた。
「はぁ……はぁ……だめぇ……それ……だめぇ! おかしくなるぅぅ!」
おかしくなるのは俺の方だ。クリスの声はもう俺に届いていない。正確には、耳には届いているが、脳が処理できていない。気を失う前に決めておいた動きを忠実に繰り返し再現しているだけだ。
彼女の汗混じりの全ての体液が美味すぎて、いつもの味の論評さえ放棄したい。このままクリスが暴走して俺達が消失しても、一切の悔いがない、『巻き込まれた人達は、ごめんちゃい☆』と無責任に言いたくなるほどの味だった。大切なアースリーちゃん達が近くにいるにもかかわらず、一瞬でもそう思ってしまうのは、本当にとんでもない魔液だ。
このままでは、自身の脳が保たないと本能で感じて、俺の体はクリスを気絶させるためのラストスパートに入った。
彼女がいくら動こうと、悲鳴を上げようと、俺は激しく責め続けた。
そして、俺の意識がないので、ゆうはクリスの反応を見て、絶好のタイミングで身体を絞め上げ、各所を吸い上げた……はずだ。
「あっ! あっ! あっ! あっ! ああぁぁぁぁはぁぁぁぁ……ぁぁぁん! …………」
クリスの全身の力が抜け、動かなくなったのを確認してから、ゆうが俺に声をかけた。
「お兄ちゃん、終わったよ!」
俺はまだ気絶したクリスにむしゃぶりついていたようだ。意識を取り戻し、口を彼女から離す。
「ありがとう、ゆう……。はぁぁぁ……満足度が高すぎて、我に返った時のロスが半端ないな。すぐに、次の楽しいことを考えないと、鬱になりそうだ。ゆうは切り替え早いから大丈夫だろうけど」
「まあ、確かにあたしは、そういうロスはこれまで感じたことないかな。面白かった番組が終わって……ってヤツでしょ? 精々、自分が死んだ時ぐらい。
でも、基本的にお兄ちゃんが今も昔も言った通りのことをしてるだけ。『別れの悲しみがあれば、出会いの楽しみがある』ってね。『同じ人と何度も別れる時でも、また会えることを楽しみに待つ。それが長ければ長いほど会った時に嬉しい。腹が減ってる時には飯が特別に美味い理論だ』って言ってたでしょ」
「そんなことも言ってたかな。よく覚えてるじゃないか。それならお前に新しい理論を授けよう。トイレを我慢すればするほど、出した時に気持ちが良い理論だ」
「きも! うざ! 死ね!」
実に気持ちが良い三連発を、美味しく食らった俺だった。
「それはそうと、お兄ちゃん、お誕生日おめでとう」
ゆうが突然切り替えて、俺に誕生日祝いの言葉を送ってきた。
「おお、ありがとう。よく覚えてたな」
「そりゃあね。元々、あの日はお兄ちゃんの誕生日プレゼントを探しに行こうと思ってたし。もし、今日が何日目か分からなくなったとしても、あたし達の目的と行動を思い出せば、逆算できるし。この姿だと、プレゼントを渡せないのが残念だけどね」
「そうだな。サプライズもできないし、『プレゼントは、あ・た・し』もできないしな」
「うざ。」
「いや、お前、六年前の俺の誕生日にやってただろ。居間で渡したプレゼントの他に、本当は別に渡したいものがあるって言って、俺の部屋に裸で来て……」
「あのさぁ、そういうことを言ってるんじゃなくて、妹のことが大大大大大好きなお兄ちゃんが、プレゼントにかこつけて、あたしの体を求めてくるのがウザいの」
「人聞きの悪いことを言うな。別に俺の方から求めてなかっただろ」
「いや、お兄ちゃん、あの時、『もらえるものがあったらもらいたい』って言ってたし」
「それはそうだけど、『本当に欲しい?』って誕生日に言われたら、そう答えるしかないだろ」
「あ、言い訳だ。いくらでも答えようあるのに。お兄ちゃんなら思い付くはずなのに。本当はあたしの身体が欲しかったんでしょ。きも!」
酷い言われようだ。俺がゆうの罵倒に快感を覚える体質でなければ、色々と言い返していたことだろう。今日のところは、誕生日ということで、このぐらいにしておいてやる。
いや、もしかして、これがプレゼントだったのか?
「プレゼントありがとう、ゆう。次のお前の誕生日を楽しみにしていてくれ」
「え? あ、うん、分かった。三倍返しね」
いや、それはホワイトデー以外で聞いたことがないプレゼント方法だ。
俺は、ゆうへの整数倍プレゼントをどうするか、朝まで考えていた。
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