第二話 俺と妹が触手に同時転生して自分達の体を検証する話

「うっ…………」

 目に光が差し込み、その眩しさで夢から覚める感覚、いつもの日常がまた始まるのと同じ感覚で、俺は目を覚ました。

「夢か……」

 流石に非現実的すぎたしな。途中から感覚もなかったし、あんなに奇跡が起きるはずないし。はー、酷く長い夢だった。

「ん?」

 まどろみからハッキリと目を開けて広がった光景は、非日常だった。俺は、木漏れ日が差し込む小さい森の木の枝の上にいることに気付いた。高さは五メートルほどだろうか。

「う……わっ! お、落ちる……!」

 必死に枝にしがみ付こうと、両腕と両足、そして体全体を何とかして動かそうとした。

 スルスルッ。

「え?」

 俺は枝に『巻き付いて』いた。自分の身体に目を移すと、ツルツルで深緑色の長く伸びた蛇のような体型で、手足はなく、頭部までそれが続いているのだろうと容易に想像できた。俺から見て足先の方は動かせず、枝からダランとぶら下がっている。スケールがあまり掴めないが、全長一メートル、直径四センチといったところだろう。枝には上半身の五十センチだけで巻き付いたのか。

 これって、アレだよな。俺はアレになったんだよな。蛇じゃないよな。

「触手か」

 俺は完全に落ち着いていた。夢から覚めてもまだ夢の中ということだろう。これまでも稀にあったことだし、触手になる夢なら数え切れないほど見てきた。触手好きとしては当然だ。ただ、ここまでリアルな夢は見たことがない。俺の触手好きも極まってきたな。

 さて、いつものように女の子を探しに行くとするか、ぐへへ。

「う……ん……」

「ん?」

 俺と同じく、眠りから覚めるような、そして聞き馴染みのある声が聞こえた。足先の方だ。

「わ……わあああああ! 落ちる! 落ちるぅぅ‼」

 足先の『それ』は、遊園地の絶叫マシンに乗った時を想像させるかのような悲鳴を上げて、くねくねと動いていた。

「ゆう! 上に枝があるからしがみつけ!」

「お、お兄ちゃん⁉ う、うん! ……って蛇がいるじゃん‼」

「蛇じゃない! 触手だ!」

「いや、どうでもいいし! うざ!」

『それ』は俺の呼びかけに『お兄ちゃん』と反応し、キレのあるツッコミをして、いつもの添え物まで用意してくれた。

 間違いなくゆうだった。

「ちょ……何これ……え……? あたし……?」

 ゆうもやっと自分が触手であることに気付いたらしい。

「『それ』……お兄ちゃんなの?」

 手がないので、いや、『手』はあるか、指がないのでどこを指しているか分からないが、ゆうはぶら下がった身体を曲げながら、俺の方を見て言った。

 ゆうの顔は、と言うか多分俺も同じだと思うが、俺達触手の顔は、目も鼻もないが、顔の半分以上を占めた口があり、そこにはギザギザの歯がついていた。目がないのになぜハッキリと形も色も見えているのか、口を動かしていないのになぜ会話できているのか、声が周囲に届いているかも分からない。

 少なくとも、考えていることが全部筒抜けというわけではないらしい。ここまで思考できる脳がこの頭部にあるとも思えないので、その辺りも不明だ。細胞全てがシナプスの役割を果たしているか、または『俺』が別の所に存在するか。

「ああ、そうだ。目の前の触手は俺だ。多分、お前も同じ顔をしている。俺達は繋がっているからな」

 そう。俺達は別々の触手ではなく、一本の触手の両端を頭部として、身体は真ん中から半分ずつ動かせるような生物になっていた。少なくとも俺の触手コレクションにはなかった存在だ。

『これ』を触手に分類していいものか少し悩んだが、触手好きで研究家の俺がそうなっているのだから触手でいいだろう。

「うわぁ……。まあ、どうせ夢だから別にいいや。これからどうすんの? 女の子でも襲いに行くの?」

 ゆうはそう言って、身体をさらに起こして枝に巻き付いてきた。ゆうもこれが夢だと思っているらしい。それにしても、俺と思考が同じなのは俺の夢だからか?

「うーん……。なあ、これ本当に俺の夢なのかな。会話の内容は俺の想像をトレースしているにしても、ゆうの存在感がリアルすぎるんだよ」

「何言ってんの? これは、あたしの夢なんだけど。存在感については同意するけど……。でも……だとしたら……」

 お互いがお互いの夢だと主張するのは、トレースの範疇を超えているような気がするが、可能性はゼロではない。

「これが夢だとハッキリするまでは、慎重に行かないか? 俺一人ならどうなってもいいから自由にするけど、ゆうと一緒だから……今度は……危険な目に合わせたくない」

「うん……。分かった。ありがと。」

 ゆうは静かに答えた。どういう感情だったかは分からない。でも、複雑な感情だったと思う。俺もそうだったから。

 さて、夢じゃなかったとしたら、考えること、試すことは山程ある。

「よし。それじゃあ、まず最初に決めておかなければいけないことがある。ここがどこかなんて疑問は、あとでいい。今この瞬間、危険が迫ったらどうするかだ。できれば幹を蔦って下りたい。そのために、木に貼り付けるか、どれほどの力で掴まれるかを、そこの枝の根元で今すぐ確認する。移動については、俺が先導するから、ゆうはできるだけ逆方向への力がかからないように付いて来てくれ」

「おっけー。」

 俺は振り向いて枝の根元にゆっくり進んだ。早く進んだ場合に、体にどの程度の傷がつくか分からなかったからだ。

 一方、ゆうは上手に力を抜いたり後ろに進めるように身体をくねらせたりして、思ったよりもスムーズに根本まで行くことができていた。

「ゆう、そこで念のため踏ん張っててくれ。枝に巻き付いてもいい。周りの警戒も頼む」

「じゃあ、巻き付く」

 ゆうが枝に巻き付いたのを確認後、俺は木の幹の二十五センチほど上にある出っ張りに身体を伸ばした。まずは、顎で出っ張りを上から抑えるように力を入れてみる。身体の長さには余裕があるので、力の入れ具合や方向を間違っても、バランスを立て直しやすく、リスクは少ない。

 どうやら、ある程度の力を加えても、顎への圧迫感はあるが、痛みはないと言っていいようだ。噛み付いてしがみつくことはしない。歯の硬さが分からず、欠けたりすると面倒だからだ。

「ゆう、俺の顎に傷が付いてたりしないか見てくれ。かなり力を入れても痛くなかった」

「ないみたい。色も変わってない。力入れる前と同じ。人間の肌より戻りが早いのかも」

「ありがとう。まだそのままでいてくれ」

 次に俺は、木に身体を貼り付かせた。触手の特徴として、様々な体液を表面に纏うことで、摩擦を操作できる場合が多い。現在の俺達の体表面はツルツルだ。その状態で貼り付けるのか、体液を出せるのかを確認する。

「…………おっ。これはすごいかも。少しコツがいるけど、自在に貼り付いたり、剥がれたりできる。この感じを表現するなら、細胞一つ一つの吸着率あるいは摩擦係数を自分の意思で操作できる、みたいな。しかも、それ用の体液の分泌を必要としない。むしろ、体液は出そうとしても出せなかった」

「へー、すごいじゃん。だから、さっきも顎に汚れが付いてなかったのかも」

 言われてみると、あれだけ木に身体を押し付けたにもかかわらず、俺の腹は汚れもなく綺麗だった。流石の女子目線といったところか、そこに気付くのが早い。

 色々試したところ、どうやら背中や頭部でもできるようで、つまりは体表面全てで可能らしい。吸着率が高い状態で下方向に徐々に力を加えても、ずり落ちなかった。

 何気にこの能力は重要だ。身体が汚いと触れた女の子も汚くしてしまい、衛生的にも良くないからだ。逆に、女の子を綺麗にできるかもしれないな。機会があれば、是非試してみたい。

「交代しよう。二人とも慣れておいた方が良い。ただし、歯がどうなるか分からないから、噛み付くのは試さなくていい」

「おっけー。」

 枝から落ちないように俺達の体の前後をゆっくり交代し、俺は周囲の警戒に当たった。この状態でも試せることはある。

 俺は、少し口を開けて自分のギザ歯に当たらないように舌を伸ばした。正確には分からないものの、口から十センチは伸ばすことができるようだ。

 舌の形状は丸い鉛筆型で、直径一センチ超、先端は尖ってはおらず、少し丸まっているので、舌を突き刺すことはできない。舌全体を自由に動かすことができ、波打たせたり、とぐろを巻かせたりすることができた。

 ギザ歯の咬み合わせについては、それぞれの歯の近くに上下反対側用の穴が空いているようで、口を閉じると正面から歯は見えない。

 いずれにしても、ギザ歯が邪魔だと思い、何とかできないかと試したところ、そのまま奥に引っ込めることができた。頭部の直径を考えると、一つ一つの歯は湾曲していて、引っ込めると身体側に収められるのだろう。その場合、咬合力はどうなるのだろうか。あまり強くなさそうに思える。必要に駆られる時までは、使用しない方が安全だろう。

「もういいよ」

「それじゃあ、下りてみるか。吸着できるとは言え、念のため、ゆうは枝に巻き付いて、俺が合図したら力を徐々に緩めてくれ。その後は、上向きながらでいいから、幹に張り付いて後ろに下がってくる感じ」

「おっけー。」

 再度、ゆうが枝に巻き付いたのを確認後、俺は頭を下に向けて身体を伸ばし、幹に張り付いた。そのまま少し進んで、顎を引っ掛けやすい突起に頭を横に向けて、ゆうが落ちた時のために備えた。

「じゃあ、緩めてくれ」

「いくよ。……それにしても、体預けたまま真下向いて、よく怖くないね」

「怖いさ。でも、やらなきゃいけないことだし、ゆうに体を預けるなら、その怖さも半減する。後でゆうにもやってもらうぞ」

「分かったけど……お兄ちゃん、なんかかっこいいこと言うようになってない?」

 ゆうは、少し気恥ずかしそうなトーンで言った。

「そうか? 昔からかっこいいこと言ってるだろ?」

「『昔は』、ね」

 ゆうの指摘した通り、心持ちは変わったかもしれない。夢かどうかにかかわらず、あんなことがあって、今の状況だ。俺がゆうを守らなくてどうするという気持ちと、ゆうと一緒にいて感じたことを、これまで以上に言葉にしていきたいという気持ちが強くなったと思う。

「お前も、かわいいこと言っていいんだぞ」

「うざ。」

 そうこうしている内に、ゆうはすでに俺の胴辺りまで下がってきて、全体で言えば横S字型のような体勢になっていた。無事、貼り付けていて安心した。この状態を維持できるのであれば、登り下りが可能なはずだ。

「よし。無事下りられたら、逆に登れるかを確認して、練習もする。木の下で危険が迫った場合に、上に逃げる選択肢が増えるからだ。この状態で、飛び下りるのも他の枝に飛び移ろうとするのもダメだ。落下の衝撃にこの体が耐えられるか分からない。

 それと、現段階ではできるだけ傷を負いたくない。どのぐらいの痛みを感じて、どのぐらいで完治するか分からないからだ。吸着不足による木からずり落ちての擦り傷や突起に引っかかっての刺し傷、切り傷にも注意したい。俺達の体がもっと大きければ試したいんだがな」

「うん、分かった」

 そこからは、お互いに声をかけ合いながら、無事下りることができ、逆に登ることもできた。登り下りの練習のため、先導を交代しつつ、合計四往復したところで、次のテストに移ることにした。

「次は地面の移動だ。この木から二メートル離れて、また戻ってくる。移動方法は木の登り下りと同じで、最初はゆっくり行こう。地面に体を傷付ける物が落ちているかもしれない。周囲に危険を感じたら木に登る」

「おっけー。」

 地面は草の方が多く、土の表面は所々見えている感じだった。

 ゆうが虫に驚いて、悲鳴を上げたりしながらも、同様に練習まで終えた。どちらかが動けない時のために、片方がもう片方を引っ張れることも分かった。さらに、立ち上がったり、体のバネを使ってジャンプできたりするかどうかも試し、いずれも成功した。

 これで、危機が迫った場合に無駄なくスムーズに逃走できるようになった。

「さて、いよいよこれを試す時が来たか……。ステータスオープン! …………。プロパティオープン! …………。スペックオープン! …………」

 しかし、何も起こらなかった。視界を閉ざして脳内でイメージしてみてもダメだ。

「今のって、ここが異世界とかお兄ちゃんの夢とかじゃないってこと?」

 ゆうは俺の発した言葉が何を意味するのか、ちゃんと理解していた。

「いや、異世界転生でもステータスが分からない場合もあるし、たとえ夢でも、思い通りにならないこともある。俺はこの世界が何なのかを証明したかったわけじゃない。こちらから攻撃する際の戦術を考える材料として、ステータスを確認できるか試しただけだ。もちろん、それも分かれば良かったけど」

「なるほどねー。で、どうするの? 攻撃手段って現時点で巻き付くぐらいしかなくない?」

「ああ。さっき涎を草に垂らしてみたんだが、何も起こらなかった。触手の涎は特殊な効果を持つ場合が多いから試してみたが……。とりあえず、巻き付く力がどの程度か試してみよう」

 俺達は、前に確認した舌と歯の形状と仕組みについて共有しつつ、地面に落ちている小枝を探した。

「あった。これにしよう」

 直径一センチ、長さ三十センチほどの小枝を見つけた。丁度、鋭い突起もない。

「巻き付き方を練習しながら、小枝を半分に折っていこう。最初は、てこの原理で折れやすいはずだが、本当に試したいのは二回折った後の短い小枝を折れるかどうかだ」

「おっけー。」

 俺達は、早速検証に取り掛かり、問題なく二回折れた。そして、七センチ強の枝に巻き付いて力を込めた。

「ん! ぐぐぐ……」

 俺は歯を食いしばりながら、ゆうとは反対方向に身体を引っ張ったが、小枝は折れなかった。体については、枝に押し付けたことによる傷も痛みもなかったので、遠慮なく力を入れられることが分かった。

「もう少し、端の方に力入れてみる?」

「ああ。それと吸着率を気にしてなかったから接触部分を最大で」

 俺達は力を入れる位置や方法を変えて、再度小枝に巻き付いて力を込めた。すると、バキッという音と共に小枝を折ることに成功した。体も問題ない。これで、逃げるだけじゃなく攻撃する選択肢が増えた。

「ふぅ……。吸着すると捻りも加わってるから、攻撃力が増してるんじゃないか? これなら、少し大きめの動物を狩れるかもな」

「それもあるけど、この体ってかなり頑丈なんじゃない? 尖ってなかったにしろ、でこぼこの枝にあれだけ横にも縦にも力を入れて、痕が全く残らないなんて。人間だったら血出てるでしょ」

 俺達は妙な達成感を覚え、この触手の体でも生きていけるんじゃないかという自信が湧いてきていた。ただ、油断は禁物だ。まだこの世界の事を全然知らないのだから。

「よし。一番高い木に登って周りを見渡そう。近くに人の集落がある場合は注意だ。逆に狩られる恐れがある。

 まずは、そこの木のてっぺんから高い木を探す。登ってる途中に邪魔者はいないか、てっぺんでは、しがみつく枝や幹が折れないかも注意する。鳥が来たら少し下りてやり過ごす」

「おっけー。」

 俺達は近くの木に登り、一番高い木を探した。幸いにも少しだけ離れた所にあるのを見つけたので、そこから下り、再度一番高い木に登った。途中にはリスや鳥がいて、近い内に食料にするかもなぁと思いながら、てっぺんを目指した。その木は、周りの木よりも三メートルほど高かったので、周りが見渡せる高さまで到達した所で留まり、二人同時に広がる景色を見ることにした。

「…………」

 そこには、高層ビルやマンション、行き交う車や電車……なんて物はなく、大地に草原や荒野、大小の森、川沿いに点々とする村々や町、切り立った峰やなだらかな山々があり、遠くには城も見えた。

 村や町以外の場所には、動物のような動く影がいくつも見える。モンスターの可能性もあるか。鳥は飛んでいるが、普通の鳥だ。ドラゴンやワイバーンのような大きいのは飛んでいない。

 それにしても、俺達の目……、原理は分からないが、視力は良いみたいだ。

「あの動く影がモンスターだとしたら、完全にファンタジー世界だな……。おっ、すぐ近くに、と言うかこの森に隣接して村があるな。海も少し離れて見える」

 近くの村をよく見てみると、石造りの家屋が点々とあり、犬や馬も見えた。移動には馬を使っているのだろうか。少ないが、井戸も見つけた。

 衣服は中世で着られていそうな感じだが、実際に生活しているところを見てみないと、ハッキリとした文明レベルは分からない。

「…………」

 ゆうは黙って、何かを考えているようだった。俺はそんなゆうを見て、このタイミングで考えることと言えば……大体の推察ができた。

「これは夢ではない……。そう考えているんだろ? ゆう」

「……うん。あたし、こんなに広々と隅々まで描写されて、その一つ一つが細かい動きをする夢なんて見たことない……。夢の中でここまで無理に描写しようとすると、絶対に夢から覚めるもん。もちろん、この景色を見るまでリアルな感覚があったり、虫に驚いたりしても覚めなかったから、夢の可能性はほとんどなかったけど……。お兄ちゃんはどう思ってる?」

 ゆうは元気がなさそうな声で、一縷の望みだったであろう夢の可能性を自ら否定した。

「俺も夢じゃないと思う。お前と同じ理由だ。付け加えるとしたら、夢ならここまで思考したり、夢自体を何度も、しかもお互いに疑ったりできない。

 ただ、まだ夢である可能性もなくはない。俺が百パーセント確信するのは、夢で二泊以上した時だ。夢の中でまた眠る場合は普通にありえるが、丸一日過ごして寝て起きて、それをもう一度繰り返して、なお覚めないのは、あり得ないからだ」

 俺がなぜここまで夢である可能性を否定しないか。夢でない証拠を挙げることが難しいというのはあるが、それを先延ばしにしてでも、ゆうを悲しませたくなかったからだ。

 ゆうの反応から分かる。あの事故が起こったことを認めたくない気持ち。俺だってそうだ。この場合は、少しぐらい現実逃避したっていいだろう。この世界でも、やるべきことはやっているし、現実を受け入れるまでの猶予があれば、精神的ダメージも小さく、立ち直りも早い。

 かと言って、ずっと逃げたままでは、ゆうが最初に触手であることを受け入れたように、『どうせ夢だから』という諦めが、いつか身を滅ぼすことになりかねない。だからこそ、二泊というタイムリミットを定めた。

「そうだね……。ありがと。」

 俺の答えに、ゆうは笑顔で返してくれたような気がした。

「とりあえず、村、町、城、他に気になる場所の位置関係と大体の距離を覚えておこう。太陽の位置からすると、今は十二時ぐらいか。まあ、一日を二十四時間とするならだが……。それなら、城の方角が北だと仮定しよう。もしかしたら、その辺の店や民家に地図があるかもしれないけど、今後じっくり見られる保証もないしな」

「おっけー。」

 太陽や空、海は俺達がよく知っているものと同じだった。自転周期や物理現象も同じだと嬉しいが、吸着率を操作できる触手が存在している時点で、どこかは違うだろう。一先ず、マップを覚え終わった俺達は、木の一番下の枝まで戻り、再度、作戦会議を行うことにした。

「これからは、具体的にどうやって生活していくかを考える。そのために、今日一日、食事をとらないことにして空腹感を覚えたり、調子が悪くなるか、排泄したくなるかを検証する。同時に、眠くなるか、眠らなかったら調子が悪くなるかも確認する。

 ただし、少しでも具合が悪くなったら、食事をとったり、寝たりする。狩りや周囲の警戒、咄嗟の判断に支障が出るからだ。食事については、最初は花の蜜を含めた草花、次にきのこ類、虫、動物、と俺達が傷を負うリスクが低い順に食べていく。ゆうは、動物以外は食べるのが嫌なはずだから、俺だけ食べる。そうすれば、片方だけ栄養を摂取すればいいのかが分かるから一石二鳥だ。

 それでも栄養が足りないようなら、おそらく人間の体液が俺達の食事だ。触手の王道だからな。その場合は、近くの村に向かう。当然、俺達が狩られるリスクが最も高い。

 海は俺達にとってはかなり遠いから、海藻や魚介類を試すのは当分先だな。水分はとりあえず雨を待ち、耐えられないようなら、夜に村の井戸に行ってみよう。以上、質問があればどうぞ」

「素人質問で恐縮ですが、食事でお腹を壊すリスクは?」

 俺の長い説明に、研究室のセミナーで発表した時の他分野の教授のような枕言葉を添えて質問をするゆう。なぜ知っている。

 あ、前に俺が、ゆうにそんな質問をしたからか。

「最高の質問の仕方、ありがとう。もちろんある。動物以外は、勘で色や形から選んで食べるしかないな。食べる時は少しずつ、よく噛みながら。俺達はギザ歯で擦り潰せないから切り刻む感じかな。毒や寄生虫を含む物は口に含めないようにしたい。毒きのこやカマキリがそれに当たる。

 動物の生肉についても少しずつ、内蔵は食べないようにしよう。火を起こしたいが、リスクの方が高い。方法が俺達にとっては難しい上に、仮に起こせたとしても目立ってしまう。

 言い忘れたが、食事を探している時に、俺達のような未知の植物が襲ってきたり、食虫植物のように罠を張っていたりする可能性も考慮しておこう」

「じゃあ、最後に。空腹になるまで、どうやって時間潰す?」

「リスクを考慮しつつ時間効率優先なら、草花やきのこ類を集めて、誰かに奪われないように隠しておく。その場合は、隠し方が難しく、暴かれた時に集めた時間も体力も無駄になる。空腹にならない場合にも徒労に終わる。

 何もしないのと比べて一長一短だが、どちらかを選ぶとしたら、収集する方が良いだろう。少なからず体力を使うから空腹になりやすいかもしれない。そうなれば、一日待つ必要がない。俺が考えていた案は、もう一度木に登って、周囲の観察を継続してみることだ。一日を通してこの世界や村人の生活がより分かるだろうし、張り付いていられる時間も分かるし、それには体力も使うはずだと思ったからだ。

 ただし、疲れてきたら早めに下りることが前提だ。だが、収集案とこの案を思い付いたあとで、少し気になったことがある。

 さっき色々と練習したが、その時に全く疲労を感じなかったことだ。無尽蔵な体力だった場合は状況が変わるが、食糧問題が解決してからでないと詳しく検証できない。収集か観察か、どうする?」

「おっけー。お兄ちゃんの案でいいよ。……って、最初に木を下りた時に思い付いたってこと? すごいじゃん」

「細かい所は違うが、大枠なら何年も前に考えてるぞ。触手になった時のシミュレーションぐらいしてないと触手研究家とは言えないからな」

「それは助かるけど……きも。」

 おいおい、お前が罵倒したら、俺の体力が回復してしまうぞ。

 俺達は、再度一番高い木に登り、周囲の観察兼張り付き時間の検証から始めた。

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