触手研究家(自称)の俺と百合好き(秘密)の妹が触手に同時転生して女の子(例外有)を幸せにする~職種希望欄は触手希望欄だった⁉~

立沢るうど

第一話 俺と妹が触手に同時転生して女の子を幸せにする話

「ん……んん!」

 木漏れ日が差し込む小さい森の中で、美しく輝く金色の髪を揺らし、女冒険者は抵抗する。

 口には俺の手を乱暴に突っ込んでいるので声を上げられないし、その両腕はすでに俺の手で抑えて自由を奪っているため、彼女は助けを呼べない。さらには、俺が持ち上げているので彼女の足は地面に届いておらず、その地面には、俺が不意を突いて落とした剣がすでに転がっている。彼女ができることは、必死に身体をくねらせるだけだ。

 剣士相手の戦いをどうするかは以前から考えていた。手刀で手首や手を叩く方法もあるが、相手が小手を身に着けている場合もあるため、正面で気を引いて、後ろから剣の柄の先を叩き上げるのも有効ではないかと常々思っていた。

 実際には、彼女は軽装鎧に小手装備だったので、その案を採用して上手く行った。

「鎧を脱がすぞ、ゆう」

「はいはい」

 俺の声に適当な返事をする妹のゆう。こいつが上手く気を引いて、女冒険者が剣を落とした直後に、すかさず足首を抑えてくれたおかげで今の状況にある。

 危険な役どころではあったが、『気を引くのは自分の方が向いているし、近づくお兄ちゃんの方が危険なんじゃない?』と言って、妹から手を挙げてくれた。我が妹ながら優秀な奴だ。うんうん。

「なに浸ってんのよ、きも。」

 罵りのご褒美までくれるとは言葉もない。

 改めて……。胸部の鎧は少し面倒で、今のままだと、口と両腕をできるだけ抑えながら脱がせることを心がけないといけない。

「下から行こう」

 俺の言葉に、ゆうは女冒険者の両足を抑えつつもすぐに手を伸ばし、下腹部から尻周りの鎧の留め具を器用に外した。鎧の部位名は『フォールズ』だったかな。

 緩んでもそのまま落ちてくるわけではないので、少し力を入れて下に引っ張る。服の上からでも大きく柔らかそうな両臀部の形が変わり、鎧がするりと抜けると、ぷるんと元に戻った瞬間を俺は見逃さなかった。

「服、上下で分かれてるから、そのまま下を全部脱がすよ」

 ゆうが服を脱がすプランを考えてくれた。

 鎧下の衣服はワンピースで膝上まで伸びているものもあり、その場合は手順と手間が変わる。今回は脱がしやすくて良かった。

 フォールズを地面に落とす前に服を脱がすゆう。なるほど、それが脚の簡易的な拘束具にもなるというわけだ。俺も今度真似しよう。

「んっ! んっ……! んっっっ……!」

 ゆうが紐を緩めた服と下着に手を掛けたところで、女冒険者は反射的に股を強く閉じ、腰を大きく前後左右に振り抵抗した。しかし、人体の構造上、股をいくら閉じようが逆に開こうが、必ず途中まで脱がすことができる。

 ゆうは、一切の遠慮なく、それらを太腿の中程までぐいっと引き下げる。すると白く輝く下腹部が露わになり、羊毛の黒い服と、おそらく綿の薄い水色の下着と合わせて、素晴らしいコントラストが眼下に広がった。下着の染みの有無は、これからの描写を踏まえて想像にお任せしよう。もちろん、尻がまたぷるんとした瞬間は脳内に焼き付けた。リピート耐久動画にしたい。

「この人のお腹とお尻、めっちゃ綺麗」

 ゆうも思わず俺と同じ感想を口に出した。まあ、俺はそのあとに『スリスリしたい』と続くのだが。

「スリスリしたい」

「え?」

 突然のゆうの告白に、俺が驚いたのも束の間、ゆうは素早く女冒険者の両足の拘束を解くと同時に、ようやくフォールズをガシャンと落とし、一気に彼女の下半身を裸にして両足を再度拘束、その動作は流れるようだった。しかもこいつ、いつの間に靴と靴下を脱がせていたんだ……。

 女冒険者は余程腕に自信があったのか脚部の金属装備はしていなかった。動きやすさやスピードを優先したというのもあるだろう。

 装備を買うお金がない……わけではないことは溢れ出る気品から明らかだった。たとえ通常装備の鎧であっても名高い騎士と見間違えるだろう。

 年齢は十八歳前後にも見えるから、それにしては若すぎるか。しかし、相まみえた時はあまり覇気を感じなかったので、返せないほどの借金でもしたのかと邪推してしまった。それとも襲われることを期待していたのかな、ぐへへ。

「うぅ……」

 下半身を空気に晒され、悔しそうに呻くも、力を緩めない女冒険者の脚の間にゆうは手を入れた。

「はい、ちょっと脚開いてねー」

 診察する医者のようなテンションと口調で無理矢理脚を開かせる。脚を閉じたままだと尻に力が入りやすくなるため、柔らかい尻を堪能できないからだ。

 まずは下腹部に、円を描くように手をゆっくりと這わせてスリスリする。

「んっ…!」

 女冒険者はピクピクと身体を震わせた。

 ゆうは、臍の周りに十分に触れてから左脇腹へ優しく手を回し、骨盤と鼠径部に沿って徐々に下へ移動させた。最下部までは行かずに、また臍に戻って右脇腹に同様に手を回し、今度は子宮の辺りを執拗に撫で回す。

「あ……あぁ…………」

 女冒険者のもしかしてという不安と緊張感が俺にも伝わってくる。汗が頬を伝っていることを忘れているかのように、彼女は目を見開き、下腹部を凝視していた。

「今だっ!」

 ゆうは素早く尻に飛び付き、即座に臀部を下の方から持ち上げながら、顔をスリスリと何度も擦りつけた。

「プルンプルン柔らか~」

 うん、俺の妹だ。おそらく満面の笑みで尻を堪能していることだろう。臀部を上下左右に弾ませて、まるでおもちゃで遊ぶ子どものように尻を楽しんでいる。それにしても、前面の下腹部に意識を集中させ、尻の力を抜かせたところをすかさず狙うとは……。

「いや、これ俺が考えた剣を落とす作戦とほとんど同じだよね。剣か尻かの違いだし、斬られるか屁られるかの違いだよね。

「は? 違うし。『へられる』って何? きも。」

 確実に言えるのは今のお前の方が気持ち悪いということだが、寛容な兄としては何も言わないでおくことにした。『屁られる』のワードセンスは自信があったんだけどなぁ……。

「さてと、それじゃあそろそろ……」

 ゆうは尻から手を離し、太腿に手を回した。太腿全体を撫で回し、時には汗ばんだ内股を下から上に向かって舐めたり、時にはぎゅっと肉を掴んでは離したり、様々な緩急をつけることで、マッサージをされているような気持ち良さを女冒険者に与え続ける。

「んっ……はぁ……」

 ゆうの特別なおもてなしに我慢できなかったのか、女冒険者の塞がれた口の端から嬌声と吐息が漏れる。

 絶好のタイミングだと言わんばかりに、ゆうの目がキラリと光ったような気がした。

「そーれっ!」

「んーーーーーっ‼」

 少しだけ開かせていた女冒険者の脚を今度は足首から持ち上げ、完全に開脚させた。これまでで一番の声を上げた彼女の局部が、俺の目にもハッキリと見えるようになった。

「お兄ちゃん、足も持てる?」

「お、おう」

「ありがと。」

 ゆうはさり気ない感謝の言葉のあとに、女冒険者の足を俺に預け、これまで撫で回してきた部分をおさらいするかのように、一通り舐め上げた。

 下半身はびしょびしょに濡れ、地面にはどちらのものとも分からない液体が、ぽたりぽたりと落ち始めている。

 俺は、その液体ができるだけ落ちないように、そして女冒険者の局部が三者いずれの眼前にも来るように、後ろから両足を抑えていた手をさらに引き寄せた。

「ふふふっ」

 怪しげな笑みを浮かべたゆうは、空中に挙げた手を、あからさまに女冒険者の股間にゆっくりとゆっくりと伸ばしていく。局部に触れるか触れないかギリギリの高さで、三秒ぐらい停止した次の瞬間、狙いを定めた手が身体に密着し、股間中央部から前方に掬い上げるように動いた。

「んふぅっっ‼」

 女冒険者はビクンと背中を大きく反らした。飛び散った汗混じりの水滴が宙を舞い、その内のいくつかが彼女の白い腹に落ちる。俺にはその光景があまりに綺麗に見え、スローモーションにも感じるほどだった。

「おいしー‼」

 歓喜の声を上げ、わざとじゅるじゅると音を立てて、腹の水滴まで吸い付いたゆう。

 気持ち良さと恥ずかしさと磨き抜かれた演出のコンボで、顔まで火照らせボーっとする女冒険者。

 そして、拘束しているだけの俺……。

「お兄ちゃん、交代しようか」

 絶妙なタイミングで選手交代を提案するゆうに、俺は脱帽した。おいおい、俺まで演出されてるよ。

「こんな妹を持って俺は嬉しいよ」

「は? 死ね。」

 嬉しすぎてゆうの言葉は俺に響かなかったが、事後の脳内反省会で反芻するとしよう。

 ゆうの罵倒は、決して不快にならないレベルのテンションとイントネーションとアクセントで俺に放たれる。俺はゆうを罵倒の天才だと思っているので、それ欲しさに常日頃からちょっとキモい台詞を心がけているのだ。

「ほら、金髪ロング美人女騎士だよ。お兄ちゃんが好きなのはこういう人でしょ」

 罵倒のアメをくれて追加のアメまでくれる最高の妹だ。

 しかし、ゆうは決定的な思い違いをしていた。これは兄として、いや、一人の男として正さなければいけない。

「ゆう、それは間違いだ」

「え……? いや、でも前に言ってたじゃん。『現実味なさすぎ、きも。』って言ったのも、ちゃんと覚えてるから」

「この子は女騎士じゃない。少なくとも今は、な。職業で言うなら女冒険者、戦い方で言えば女剣士。騎士は国に忠誠を誓い、国王から叙任された称号とか階級のことで、基本的に騎馬で戦う。忠誠心の高い、真面目な騎士だからこそ、本気で抵抗して嫌がりつつも快楽の沼に足を突っ込んだ時のギャップが堪らないわけで。派生して、くっころ女騎士や姫騎士とかも同様に……ふひひ!」

「うわ、マジでキモすぎ。無理」

 俺が早口で言ったちょっとキモい台詞に対して、ゆうはそう言い放ちながらも淡々と次の仕事に取り掛かっていた。

 ゆうは、俺の代わりに女冒険者の後ろに回り、両手を縛り上げた。

「口から離して」

 俺は言われた通りに口から手を離すと、すぐにゆうの手が女冒険者の口を塞ぐ。それから俺が前に回り込んで交代完了。足は引き続き俺が担当する。

 手足を後ろに回して吊るすのもアリだが、今回のように自分が弄られている様子を見せつけるのも悪くない。見えない所で何をされるか分からない恐怖を与えない、ある意味で慈悲だね。

 それよりも……妹の後学のためには、まだ話し足りない。

「さっきの話の続きなんだけどさ。女騎士の話」

「はぁ? もういいでしょ。そんなことより、ちゃんと責めてよ。抵抗する気なくさないと上が脱がしづらいんだから」

 すでにゆうは胸部鎧、『ブレストプレート』の両腕にある留め具を緩めている。そう言えば、小手も身に着けてたよなと思って女冒険者の腕を見ると、こちらもすでになかった。

 俺は、とりあえずゆうと同様に、下半身を撫で回した上で舐めることにした。ゆうに舐め取られた脇腹の汗をまた俺が舐め取る。そこから臀部に向かい、感触を堪能してから太腿へ。手をゆっくりと這わせてふくらはぎへ。

 こうして実際に感じてみると、めちゃくちゃ長い脚だ。先端から覗くと、足と足の爪も大きくて形が良く、そこからスラリと伸びた膝下、太腿はそれだけでも男の劣情を掻き立てるほどムチッとしていて、脚全体で見ると非常にバランスが良い。

 そして、脚を閉じていた時に見えた芸術的な股下デルタと開脚時の股間、大きく柔らかい尻、引き締まったウエストに続く。完成された下半身に思わず息を呑む俺。

「よし」

 気合を入れた俺は、下腹部に手を当て、下へ進んで行った。そして、同じルートを舌も辿っていく。女冒険者からすれば、丘を登っていくように見えるだろう。てっぺんには俺の喉、いや、身体全体を潤すための湧き出る泉。もう我慢できなかった。

「あっ……ふぅぁっ!」

 女冒険者の声が大きくなった。

 オアシスに辿り着いた俺は、全てを飲み干す勢いと共に、口から溢れてもいいというぐらい、顔を上下に激しく動かしてむしゃぶりついた。

「ん……ん……んっ……」

 俺の動きに合わせて、女冒険者は小刻みに声を漏らした。

 ゆうが歓喜するのも分かる。人間が口に入れると害のある物質が含まれているとは、とても思えない。俺とゆうが特殊だからというのもあるだろう。

 味に影響するであろう香りも微量の汗の匂いしか感じないのに、美味すぎてずっとこうしていたいぐらいだ。

「じゃあ、脱がせまーす」

 そう言うと、ゆうは女冒険者の首と両腕を通していたブレストプレートを持ち上げ、あっさりと脱がせることに成功した。

 ゆうの手はもう口を塞いでいない。両腕を拘束していた手は、もうほとんど力を入れておらず、単に服を脱がせるために両手を挙げさせるだけのものになっていた。

「はぁ……はぁ……」

 女冒険者は、口が自由になっても、助けを呼ぼうとする素振りを見せず、ほんのり赤くなった顔で、ただただ荒い呼吸をするのみであった。

 ゆうはブレストプレートを地面に落とし、すぐに次の衣服を脱がせにかかる。下部と同じく羊毛の黒い服を裏返しながら脱がせると、その下の胸部には、白いさらしの上からベージュのコルセットが装着されていた。戦闘時に乳房が揺れないためのものだろう。

 ゆうは、即座にコルセットの背中の紐を緩め、上に持ち上げて脱がしていった。

「いい子だね」

 面倒な鎧や服を、抵抗なく簡単に脱がせてくれたご褒美と言わんばかりに、ゆうは彼女の右首筋に舌を這わせ、下から上に舐め上げた。それだけでは飽き足らずに、舌は右耳の裏まで到達し、外耳に沿って円を描くように唾液の跡を残した。

 そうこうしている内に、さらしが緩められ、白い麻布が上下に波打ったのを俺は目の当たりにした。それは、乳房の大きさと重み、それに柔らかさを感じ取れるほどの揺れだった。

「お兄ちゃん、ちょっと別のところ見てて」

 お楽しみはさらしを全部取ってからということか。やっぱり俺の妹は素晴らしい演出家だ。

 俺はできるだけ下を向き、女冒険者の身体に集中していると、スッスッとさらしが解かれていく音がする。何度も手を回す必要があるから大変だよなぁ、と俺は思いつつも、女冒険者の下半身に手や舌を這わせることを忘れない。

「いいよ」

 女冒険者の何らかの反応が聞こえる間さえなく、思っていた時間の三倍ほど早く、ゆうの許可が下りた。こ、心の準備が……。

 だが、目の端で捉えてしまった二つの山の麓の魅力に、俺はどうすることもできず、頭を上げた。

「お…………おおおおっ‼」

「金髪ロング美人女騎士のおっぱいと腋を、どうぞご賞味あれー!」

 声が出ないほどのあまりの美しい光景に、俺の時間だけ一瞬止まったかと思ったが、絞り出した感嘆の声で自身を呼び覚ますことができた。

 ハッキリ言おう。とんでもなくエロい格好をした金髪女神がそこにいた。

 女冒険者の両腕は上げられ、手は頭の後ろで軽く縛られていた。少し離れてそびえ立つ二つの連山は非常にボリュームがあり、絶妙な張りと柔らかさを備えていることは、横に流れた肉量のバランスで明らかだ。

 山頂のモニュメントはツンと斜め上を向き、丁度良い大きさのピンク色をした楕円領域に収まっている。そして、山と山の間には、さらしが肌に接触せずに吸収できなかった汗が光り輝く。

 この圧倒的な威圧感は、ある程度のアンダーの厚みと肩幅がなければなし得ない。水泳女子を想像してもらえれば分かりやすいだろうか。普通の細身女性が巨乳であったとしてもこの景色は見られないだろう。

 女冒険者は、この状況で顔を逸らすのではなく、とろんとした瞳でこちらをじっと見つめている。血色が良くなった唇で口は半開き、舌は下歯に当てられて前後に山なりになっており、頬は赤く、少しだけ汗に濡れたおでこと金色の前髪が最高のバランスで、ただ呼吸しているだけでも艶めかしい。これだけでもずっと見ていたい……と、これまで何度思っただろう。

 だが、大きい山の奥にチラリと見える腋の一部が俺を強く惹きつける。後ろ髪を引かれるも、このままでは見えないので、今見えている角度のまま、もう少しだけ自身の身体を持ち上げた。

 すると、眼前に広がる景色と、このまま天まで登ってしまいそうな幸福感が脳を満たしていった。そこには、ツルツルで滑らかな丘陵が輝いており、彼女がほんのちょっと動くだけでも微妙に形を変える。その様子だけでも目が離せない。

 それにしても、どんだけ輝いているんだこの身体は。ムダ毛については、冒険者が頻繁に処理するとも思えないので、元々生えない体質なのだろうと結論付けた。

 俺は、冷静なツッコミと分析をすることで、理性が吹っ飛びそうになるのを堪え、行き過ぎた女冒険者の身体の高さを慌てて戻すことができた。危ない危ない……ん?

 俺は冷静になった頭で、ゆうの言葉を思い出す。先程の話題を掘り返すチャンスだ。

「今、また女騎士って言った?」

「うざ。」

 ゆうの一言の直後、余計な口を出されないように俺は畳み掛ける。

「俺の部屋の同人誌をこっそり読んでたんだから、騎士もそうだけど爵位ぐらいは知っておいてもらわないと。爵位とは……」

「なっ……何言っ! は……はあぁぁ? ちょっ、何言ってんの⁉ ぜ……、読んでにゃ……っ! なっ……全然、読んでないし‼」

 ゆうは珍しく慌てているようで、俺が講釈する前に話を遮ったが、放つ言葉もその順番も混乱していた。俺からは分からないが、きっと顔も真っ赤にしていることだろう。

「な、何を根拠にそんなこと言ってんのよ! 証拠はあるの⁉ 証拠‼」

 まるで探偵推理作品で追い詰められた犯人が言うような使い古された台詞を恥ずかしげもなく言葉に出す我が妹。

「俺の部屋の全ての本棚の段には布が敷いてあっただろ? あれには加速度センサーが組み込まれていて、少しずれただけでも検知して、その位置と時刻をログとしてサーバに保存する。ここまで言えば分かるよな?」

 ちなみに、同人誌は基本的に薄く、背表紙にタイトルスペースがないため、俺の場合は厚みのある透明なケースに入れてラベリングし、棚に並べても分かるようにしている。

「……っ! そ、そんなのホントかどうか分かんないし、目の前でそのセンサーの動作とログとその改竄不可能性と……お兄ちゃんのアリバイを確認できないと証明できませーーん!」

 往生際が悪い上に、証拠として必要なものを的確に挙げてくる。こいつ、マジで頭の回転速いな。もちろん、隠しカメラの方が分かりやすくて確実だっただろうが、ゆうであれば部屋の隅々まで調べて見つけてしまうだろうと思い、わざわざ面倒なシステムにしたのだ。まあ、いずれにしても証拠は出せない。

 よし、作戦を変えるか。『恥ずかしいからやめて! もう二度と間違えないから!』作戦だ。

「部屋入って左手前本棚の二段三列目奥、『聖バーナード公国の裏切りと陵辱~お兄様の犬になりますから触手だけはやめてください!~』」

「……っ!」

 ゆうがピクッと反応したように見えた。俺はそのままタイトルの読み上げを続ける。

「同じく二段四列目奥、『田舎娘達に忍び寄る触手の蠢き』、二段八から十一列目奥、『辺境伯一家の没落冒険譚~闇堕ちした息子よ、妻と娘には指一本触れさせないぞ~』シリーズ、三段一列目奥、『クール系黒魔導士と薄幸系白魔導士達の憂鬱~双子魔導士を舐めるな! 感覚遮断魔法があれば触手なんて怖くない!~』、二列目奥、『ボクの性活~搾精魔族と家畜貴族~』」

「あ……あのさぁ……いきなりお兄ちゃんの触手本コレクションを自慢しないでくれる⁉  そんなのいいからさぁ! ほら、おっぱいだよおっぱい! おーっぱい! おーっぱい!」

 ゆうは、女冒険者の両胸を包み、綱引きの『オーエス』のような掛け声に合わせて、上下に弾ませた。

 俺の意図に気付いたのだろう。話を逸らそうとしても無駄だし、それは気を引いているというより、もうギャグになっちゃってるのよ。

 それにしても、女冒険者に対して結構失礼なことしてるよな、こいつ……。いや、いかんいかん。そういうことは考えないことにしたんだった。結局、情景描写だけでなく女体の品評までしている自分に返ってくるんだし。

 その点、ゆうは最初から女を人間扱いせず、単に自分達の獲物かおもちゃのように考えているようだった。同性だからだろうか、多少雑に扱った方がむしろ喜ぶとまで思っていそうだ。そして、実際に喜ばせてきたということがこれまでの経験から実感できる……。気を取り直して続けよう。

「四列目奥、『催眠王宮~魔族に支配された国の末路~』、六列目奥、『触手姫騎士アンソロジー』、八列目奥、『触手に堕ちた百合姉妹』、十列目奥、『神様、触手のペットが欲しいです。』、おっと、最後のは騎士も爵位も関係なかった。すまんすまん」

「……。いや、もういいから」

 何がもういいのかよく分からなかったので、とりあえずタイトルの列挙は終わりにして、話を続けた。

「今挙げたのは全て本棚の奥、そして比較的高い位置にある本で、これらが動かされた形跡があった。当然、奥の本を取り出す時に手前の本も動かすわけだが、これはすぐに戻されている。手前の他の列の本については全く動かされていない。これは何を意味するか。本を抜いたことを気付かれたくない者の行動に他ならない。

 なぜ高い位置なのかについては、低い位置の奥の本を抜けば上方から見て奥に空間があることにも気付きやすくなってしまう。俺の身長を計算しての犯行だ。だが、実はそんなことよりも驚くべきことが導き出される。

 容疑者は定期的に俺の部屋に侵入して、奥の本のタイトルを全てメモに取っているか、撮影して保存しているか、または暗記しているのだ。最低限の本しか動かさないという強い意志を感じる。

 そして、絶対にバレたくないので、その列で手前や奥にしか本がない時は手を出さない」

「…………」

 ゆうは黙ってぷるぷると震えていた。

「ただ、最近どうしても読みたい本が手前に置かれた。現代恋愛ファンタジー作品だ。容疑者はどうしたか。大胆にも奥の本の『戦国触手時代~陸蛸使いと陸烏賊使いの合戦~』を手前に引き出したのだ。現代恋愛ファンタジーが戦国バトルファンタジーに置き換わってしまった。ここにきて! これまで変化が分かりづらい策を弄してきたのに!」

「…………」

 俺がわざとらしく過剰な演技で煽ると、ゆうの震えが大きくなったような気がした。これで終わりだ! くらえ、諸刃の剣! 

「そのタイトルとは……、『大好きなお兄ち……」

「わああぁぁーーーー‼ そ、そ、そういうお兄ちゃんだって、あたしの部屋に忍び込んで、イケナイことしてるでしょ!」

 こういう時のために購入、もとい会得しておいた俺の渾身の必殺技【『大好きなお兄ちゃんを振り向かせるただ一つの方法』剣】を受け止めきれずに、論点をすり替えてきたか。

 そもそも、もうバレているのだから、誤魔化しても仕方がないのだが、『兄妹モノを買ってるってことは、かわいい私のことも性的に見てるんでしょ』というマウントを取りたいあまりに、ゆうは作戦を誤ったようだ。そこは徹底的に容疑を否認するべきだった……。

 いや、よく考えたら実は最適解なのか? まあ兎にも角にも、このままでは着地点が見えなくなって終わらない恐れがある。一芝居打つか。

「バ……ちょ、おま……な、何だよイケナイことって?」

 ゆうがニヤリと笑ったような気がした。

「パンツ盗んだでしょ!」

「いやそれはない」

 俺は限りなくテンションを低くし、萎えた様子で答えた。実際に盗んでないし、触ってもいないし、見てさえいない。本当だ。

「なっ……! じゃ、じゃあ、洗濯機から盗んだでしょ! あたしがお風呂入ってる時とかに!」

「絶対にありえない。そんなこと微塵も思ったことない」

「いや、少しは思いなさいよ! 死ね!」

 ゆうのツッコミを受けて、お後がよろしくなり、両者この話題はおしまいという雰囲気になった。

 じゃあ、結局どうなったかというと、『女騎士』と『爵位』の使い方を間違えると面倒になること、俺がゆうの部屋に忍び込んで、パンツを盗む以外のイケナイことをしていることがそれぞれ判明、何かのキッカケがあればこの続きから始まる、だ。

 この辺の空気読みは俺達兄妹ならではといったところだろうか。おそらく、俺の反応を見て、ゆうも同じタイミングで一芝居打ったのだろう。そうでなければ、あのゆうが証拠不十分の窃盗容疑を指摘するわけはなく、俺が否定していない部屋への侵入の方を糾弾するはずだ。

 あー、面白かった。戒めを与えつつ楽しさを得る、まさに一石二鳥だ。

「さてと……、五秒だけ待ってくれないか。それからは、俺は左胸、ゆうは右胸で行こう」

「おっけー。」

 これからはラストスパートだ。兄妹漫才から切り替えて、女冒険者の身体に集中する。と言っても、茶番の間、彼女に対して俺達が何もしていなかったわけではなく、しっかりと口も手も動かしていたのだ。

 では、なぜ待ってくれと言ったのかというと、これまで下裸と上裸を別々に観察してきて、それぞれ感動を得られた。それなら、全身を見たらさらに別の感動を得られるのではないか、という期待が胸をよぎったからだ。

 おそらく、ゆうも俺の心境を察したのだろう。理由も聞かずにすぐに了解してくれた上に、すでに両胸を包んでいた手は、さらしを解いた直後の位置まで戻っている。

 俺はすぐに身体を引き、ベストの構図になるように、素早く高さを調整しながら、女冒険者の全身を視界に入れた。

 するとどうだろう。そこは、一つの完成された美しい世界だった。

「…………」

 俺は言葉を失った。金髪ロングM字開脚正常位美人冒険者などという単純な単語の羅列では言い表せない。

 それに、ここまで来ると、この子が冒険者だろうと騎士だろうとどうでもよくなっていた。

 俺の女騎士属性への並々ならぬ想いとこだわりは、相当なものだと自負しており、それが同一人物の女冒険者と女騎士であれば、いついかなる場合であっても、女騎士の方が良いに決まっている、という理論が完全に覆されたのだ。

 つまり、生まれたままの状態において、完璧な肉体美と尊顔の下では、職業属性など単なる過程にすぎず、悲しいことに、それが逆に対象の価値を著しく落としてしまうため、むしろ忘れ去られるべきということだ。

 木漏れ日と髪で創り出された金色の反射光が彼女の周囲を覆い、まるでオーラを放っているように見えて神々しい。それが眩い光となって俺の眼球から脳内を駆け巡っていく。

 一瞬、目の前が真っ白になり混乱したが、すぐに我を取り戻し、彼女へ意識を向けた。

 長い手足が折り畳まれ、最高の肉付きと共に黄金比を形成している。局部越しに見える凹んだ腹部が中心の盆地には、さっきまでそこに俺がいたにもかかわらず、ブラックホールのようにとてつもない吸引力が秘められていた。

 今いる位置から永遠に見ていたいのに勝手に体が引き寄せられてしまう。心と体で押し引きを繰り返して、頭がボーっとするほどだ。だが、それが異常なまでに心地良く、俺の口は無意識に半開きになっていた。ピンク色のブラックホールも各地点に存在し、その全てが視界に入っているため、身体をバラバラにしてでも同時に飛び込みたくなる。

 一方で、その女神のオーラに浄化され、俺の肉体と精神が消え去りそうな感覚にも陥る。俺の頭は本当にどうにかなりそうだった。一体何に感動しているのかさえ分からなくなり、感動の涙よりも混乱の涙が出そうになった。

「……ゃん……ちゃん……お兄ちゃん……お兄ちゃん、時間だよ」

 ゆうの何度かの呼び掛けに、俺はビクッと身体を大きく震わせ、やっとのことで正気を取り戻した。ゆうが呼んでくれなければ、ずっとそのままだったかもしれない。あるいは、我慢できずに激しくむしゃぶりついていたか。

「あ、ああ……ありがとう……」

 何とか呂律を回して反射的に声を出すも、何を言ったのか自分では理解しておらず、このあとに何をするのかも、すぐには思い出せなかった。

 ハハハ、笑うしかない。まだ完全に正気を取り戻せていなかったのだ。

「実は十秒以上経ってからお兄ちゃんに声掛けたんだよ。ヨダレ垂らしながらユラユラして妙な雰囲気出てたから、それはそれでいいかなと思って見てたけど」

「え……マジで?」

 にわかには信じられなかった。それはもう気絶していたようなものだ。口が開いていたことは分かっていたが、ヨダレを垂らしていたことには気付かなかったし、身体だけでなく、視界も正気を保っていれば揺れていたのだろうが、全く気付かなかった。しかも、十秒程度では、垂れるほどのヨダレは口内に貯まらないはずだ。

 つまり、最初に彼女の全身が目に飛び込んできた直後に時間と肉体の概念を喪失、しかし身体だけは本能的に過剰なまでの反応を継続しながら、その瞬間の記憶だけで全てを語っていたのか俺は。なんという体験だ。

「マジマジ。我を忘れるほどかー。美人系とかあまりピンときてなかったけど、興味湧いてきた。あとでまた交代しようか。こっちからの景色も気に入ると思うよ」

「ありがとう。こちらこそ頼む」

 いつもならこのやり取りの間に最低三回は『きも。』と言われるはずだが、俺の気絶状態と反応が珍しかったのだろう。今のゆうは、かなり機嫌が良いらしい。

 いつもより高い声と軽快な口調のおかげで、頭がスッキリしてきて、次にやることを思い出せた。予定が狂ったので、やっぱりラストスパートはもう少し待ってほしい。

 女は俺達がしばらく何もしてこないことに疑問を抱くような表情で、少し気まずい雰囲気を出していた。

「んん……ん……」

 それに耐えかねてか、手足をちょっとだけ動かし、逃げ出すフリをして俺達の反応を伺っているようだ。

 俺は女の左胸に手を伸ばして肌に触れ、徐々に力を入れていった。

 ゆうも俺に合わせて力を入れる。俺が気絶してできてしまったクールタイムを埋めるように、優しく時に強く力の加減を変えて、女の胸を揉みしだいた。

「はぁ……はぁ……」

 女を昂らせようと、胸だけでなく肌の様々な部分に触れていると、次第に女の声が荒くなってきた。いよいよ行くか。

 俺は女の股に顔をうずめると、上下に激しく舌を這わせた。

「あっ……あっ……あぁん!」

 女の声が一段と大きくなったことを確認すると、俺は最も敏感な所を重点的に責め始めた。女は身体をビクビクと小刻みに震わせ、時折、頭ごと大きく反らしていた。その度に、上下に激しく揺れる両胸は、やはり圧巻だ。

「ゆう、合わせて終わらせるぞ」

「おっけー。」

 俺達は息を合わせ、女の身体の至る所に手を這わせ、舐め回し、吸い付くと、ゆうは両胸に、俺は下半身に行き着き、最後は、俺とゆうがジュルジュルと音を立てて、それぞれの突起を強く吸った。

「あっ……あっ……あはあああぁぁぁぁぁーー‼」

 その大きな声と共に、女の泉から水が湧き出てきて、俺はそれを全て飲み干した。その瞬間、俺の喉から脳にかけて、爽やかな味が駆け抜け、これまで生きてきて良かったと思えるほどの感動を味わった。そのあまりの美味さに、再び俺は気絶した。


「……おーい、お兄ちゃん!」

 また、ゆうが俺を起こしてくれたようだ。

「あ、ああ……。何秒気絶してた?」

「今回は七秒ぐらい」

「いやぁ……、気絶はマジで癖になってしまうな……」

「どうする? まだ続ける?」

「ああ。まだまだ行くぞ。せっかくだから、最高の快楽を何度でも味わってもらおう」

 その度に俺は気絶してしまうかもしれないが……。

 『あれ』は、とんでもないものだ。もちろん唾液も良いのだが、言葉にできない満足感がある。女の子が喜んでいるからというのもあるだろうか。

 いやいや、忘れてはいけない。むしろそのためにやっているのだ。落ち込んでいたら励ますし、慰める。当然のことだ。全裸にするのだって、『服や下着が汚れては可哀想だから』が理由だ。ちゃんと土などで汚れないように、脱がせた衣服は草の上に置いたり木の枝に引っ掛けたりしているのだ。虫が多いところにも置かない。服を着る時にびっくりするから。

 これらを含めた、女の子と接触する際の様々なルールについては、ゆうと話し合って決めた。そのルールの『女の子』とは、生物学的性別が女性である人間を指すが、場合によっては例外が含まれてもよいものとし、その際は都度話し合うこととした。

 大枠は次の通りだ。


 一.女の子に可哀想なことはしない。

 一.女の子に可哀想なことをせざるを得ない場合は、最終的に喜ぶことをする。

 一.女の子から好かれることをする。

 一.女の子から気持ち悪がられないようにする。

 一.女の子から分泌される体液は糞尿含めて全て摂取する。

 一.全項に反しない限りにおいて、人間だった頃の常識を捨てる。


 以上、一匹の触手に同時転生した俺達兄妹が、女の子(例外有)を幸せにするために守るルールである。

 俺達はそのルールに従って、木漏れ日の中、彼女を幸せにしたのだった。






 五月も中頃になって、暑い日の方が多くなってきた。

 俺は、駅前の歩道でTシャツの裾をパタパタとさせて、体に風を送り込みながら、久しぶりの遠出を少しばかり後悔し、夕方前だというのに、自分の心を沈めてしまっていた。

 まあ、遠出と言っても家から一キロ程度なのだが……。

「はあ…………ん?」

 俺は、目の前のちょっと不思議なカップルが通り過ぎるのを待ってから、ため息をつくと、誰かに左肩をトントンと叩かれた。が、俺はあえて右を向いて応えた。

「何だよ」

「あのさぁ……そこは左を向くところでしょ。うざすぎ」

 俺の予想通り右側にいたゆうは、呆れた顔でため息をつき、そのまま横に並んで俺と歩き続けた。

「俺に前と同じ技は通用しないのだ」

「いや、膝カックンは通用してたし」

 俺がドヤ顔で斜め上を向いて胸を張ると、ゆうがすかさず反論してくる。

「アレはあえて受けることで、バランスを崩したように見せかけて、振り向きざまにそのまま相手に覆いかぶさることができる、というカウンター技を俺が使っただけだから。一歩間違えると、相手を怪我させてしまうことになりかねない高等技術だがな」

「は、はああああ? アレわざとだったの⁉ 死ね‼」

 あの時の俺の腹に当たったおっぱいの感触と風呂上がりのトリートメントの香りは中々良いものだった。でも、何もしていない俺にいきなり危険な膝カックンをしたゆうの自業自得だよな。

「なあ、さっきのすれ違ったカップル見たか? 無言で、手も繋がず歩いてたんだぜ。喧嘩してるような感じもしなかったし。あれは、お互いが限りなく自然体でいられて、それでいて、側にいるだけで幸せ、みたいな感情じゃないと成り立たない関係だ」

「出た。お兄ちゃんの『人間観察』ならぬ『人間推察』。きも。」

「おいおい、まるで俺がいつもやってるような感じに言うなよ。稀に、だぞ」

「そんなこと言ってないのに、まるで心を見透かしたかのように感情を当ててくる、そういうところもキモいの! そんな『読み』はお兄ちゃんが得意な囲碁将棋だけにしてほしいんだけど」

 お、おっぱいのように当たってたのか。

「そんなことより、随分早い解散だな。『ことちゃん』だけに」

 言動とは裏腹に、今のゆうは機嫌が良いと見た俺は、何事もなかったかのように、ここにゆうがいる理由を聞こうとした。

「『琴ちゃん』、夕方に来る親戚と食事会の予定入ってるからね。最初から決まってたし。あたしはデパートで買いたい物があったから、駅のロータリーで見送った」

 『ことちゃん』とは、ゆうの高校からの友達で、一年経った今は親友と言っていいほど、二人一緒に頻繁に遊ぶ仲だ。ウチにも数え切れないほど来ている。

 その際は、『お兄ちゃんは部屋から絶対に出てこないで』と言われているが、ことちゃんの情報は日常会話の中でゆうから絶えず入ってくるので、今日の二人の映画デートについても知っていた。

「ってゆーか、全く面白くないし、ドサクサに紛れて『ことちゃん』って呼ぶのやめてくれる? 馴れ馴れしい」

「じゃあ、琴子ちゃん」

「それもダメ! 話の中でも琴ちゃんを呼ぶ時は名字で呼んで!」

「確かに、お嬢様キャラだから、『二ノ宮さん』の方がしっくりくるか」

 『二ノ宮琴子さん』は、いわゆる箱入り娘のようなお嬢様だ。

 見た目は黒髪ロング、前髪は適度に揃えており、顔もめちゃくちゃかわいい上に、スタイルも良い。性格は温和で、話し方も癒し系だ。漫画のように超お金持ちというわけではないが、家は邸宅と呼べるほど広いらしい。学校も母親の車で送り迎えしてもらっているし、ゆうもいつも車に乗せてもらっている。と言っても、お嬢様学校だから、車での登下校は比較的多いとのことだ。

「そういうことじゃないんだけど……。お兄ちゃんの毒牙、いや、男の毒牙からは絶対に守るから」

 ゆうがどんな立場で言っているのか俺には分からないが、その宣言は是非とも遵守してほしい。

 しかしながら、最近の女子事情は、どんな女の子でも、怪しい波に飲み込まれる危険性がある。

「彼氏ならまだいいさ。現代社会では、遊ぶ金欲しさに、何度も呼び名を変えてきて抵抗がなくなった売春に自分の方から手を出す女の子も多いわけで。ゆうもそんなことにならないかお兄ちゃんは心配で心配で」

 他の人には見えないハンカチを右目に当てて、メソメソと泣くフリをする俺。

「なるわけないでしょ! 職業でプロ意識持ってやってるならいいけど、あたし、未成年のそういう子は完全に軽蔑して見下してるから。貞操観念がどうとかじゃなくて、お金がなくて親友と呼べる友達もいない女が、周りのレベルに合わせるため、大してかわいくもない『かわいい』を世界中に自慢して承認欲求を満たすために、美容代やら遊興費をリスク負ってスキルにもできない下品な方法で稼いでるのが呆れるほどバカだってこと。

 まず目的がおかしいし、目的と手段も合ってないし、何よりどちらもくだらなさすぎ。これをバカと言わずになんて言えばいいのかな。無知蒙昧な拝金主義の性奴隷とか? あ、性奴隷に失礼か。

 そして、そんな女が将来何食わぬ顔で上品ぶって男を騙して結婚するのも最悪だし、それに騙される男も見る目のないポンコツ。もちろん、体やお金目的で女を騙す男も最悪。

 とにかく、そういう人達全員に弁えなさいよって言いたい。琴ちゃんにもあたしの考えちゃんと伝えてるから。押し付けてもないし」

 街の往来で、ゆうはいつもとは異なる口調と語彙を用いて、過激と言ってもいい自分なりの哲学を早口でまくし立てた。俺がヒートアップさせすぎてしまったのか。他の人にはできるだけ聞こえないような声量なのは、まだ冷静な証拠だ。

 それにしても、言葉は荒いが、お前は俺かというほど考え方が一致している。強いて違いを言うなら、俺達が理解できない驚くべきバカは世界に沢山いて、でもそれは俺達が理解できないだけで、実は俺達の方がバカなのかもしれないという謙虚さを俺が持っているということだ。

 ゆうが男だったら、間違いなく俺のように色々とこじらせるだろう。まあ、思うだけなら別にいいよな。直接罵ったり、差別して危害を加えたりしなければ。嫌なら単に関わらなければいいのだ。

 しかし、ここまで言い放つゆうの言動と行動が一致しているかは疑問だ。矛を収めさせつつ、遠回しに確認してみるか。

「でもお前、『兄活』してるよね。俺に三千円でシてくれるし、六千円でヤらせてくれる、俺専用格安尻軽女だよね」

「……っ! 声が大きい!」

 ゆうは俺の口を左手で抑えながら顔をほんのり赤くし、俺達の話を聞いていた人が辺りにいないか確認していた。

「こんなところで変な言い方しないで! マッサージのことでしょ‼ 死ね‼」

 マッサージで置き換えても十分変に聞こえるんだよなぁ……。

 昔は無料で肩叩きやマッサージをしてくれたのだが、中学二年頃のゆうに頼んでみたら、『は? イヤに決まってるでしょ。お金くれたらやってあげる』と言われて、実際に払ったら意外にも真面目にやってくれた。

 今度は俺もマッサージを覚えたいと言ったら、『本見れば? お金くれたら教えてあげる。あ、授業料はいつもの倍ね』と言われて、実際に払ったら真面目に教えてくれた。しかも、ゆうの身体で実践できる、有料ならぬ優良講義だ。

 金をもらう以上、ちゃんとやろうという考えなのだろう。ただし、『変なトコ触ったら殺すから』と言われている。『変なトコってどこのことかな? ぐへへ』という声は表に出さずに、恐る恐るマッサージして限界ラインを見極めた記憶がある。

 なので、そういうことがあってからは、攻守どちらも毎月お願いしている。ちなみに、二ノ宮さんは全て無料らしい。

 女同士でマッサージし合う光景は是非見たいものだ。ゆうのことだから、面白がって純粋な二ノ宮さんにちょっとエッチな言葉を投げかけて、その気にさせたり、逆に引いてみたりして、戸惑いつつも頬を染めている二ノ宮さんを楽しんでいるに違いない。今度一部始終を見せてくれるように土下座で頼んでみるか。絶対に混ざったりしないから。

 こんなマッサージし合うような仲良し兄妹いるはずない、仮にいたとしたら一線を超えないはずがないと思うのが普通だろう。危ない時があったことは否定しないが、少なくとも、俺達の基準では、一線を越えていない。

 俺が思うに、昔はどうであれ、今の本人同士は仲が良いとも悪いとも思っていないところがミソで、マッサージを含め、そのようなやり取りは単なるコミュニケーション、あるいは暇つぶしの延長でしかないと考えているから成り立っている関係なのではないだろうか。極めて特殊な考えまたは習慣だと自分でも思う。

 俺が払った金のほとんどは、ゆうから俺への誕生日プレゼントや少し高級な食事となって戻ってきて、余った金は次回に持ち越されているらしい。

 プレゼントをくれるなんて仲が良いのではと思う人もいるだろう。それは俺が金を払っていない場合にしか成り立たないことであって、言い換えるとしたら、ゆうのプレゼントセンスを楽しみながら自分へ投資していると表現した方がまだ分かりやすいかもしれない。マッサージの肉体労働分は一緒に食事を楽しむことで相殺される。

 閑話休題。ゆうの反応から、自身は正当だと思っているらしい。俺と同じ考えだとすれば、目的は俺とのコミュニケーションまたは暇つぶし、手段はマッサージとなる。

 要するに、ゆうの認識では、少なくとも後者については、『リスク負ってスキルにもできない下品な方法』ではないということだ。俺だけを相手にする単なるマッサージであればリスクはないし、肉体的にも精神的にも他者を癒やすことができる、意図的に習得しようとしている技術であり、その習得技術を、ラインを引いて俺に教えるのであれば、品を落とすことにはならない、と。なるほど、理に適っている。目的は俺からすればくだらないけど。

「すまんすまん。ゆうのマッサージが、いつもめちゃくちゃ気持ち良いから、つい調子に乗ってしまった。整体師でも目指してるのか? 進路希望調査票も書かなきゃいけないんだろ?」

「いや、マッサージはあくまで趣味だし、進路は大学進学。最終的にどこの大学にするかは琴ちゃんと相談しながら。とりあえず、仮で書いてみたけど」

 そう言って、ゆうは左手に下げていた白いバッグから進路希望調査票を取り出して俺に渡した。先程までとは打って変わって、すでにクールダウンしているようだった。俺がコロコロ話題を変えても、この切り替えの早さだ。情緒不安定などでは決してなく、ゆう特有の機嫌が良い証拠だ。二ノ宮さんと良い事でもあったか?

「え、見せてくれてありがとう。だけど、なんで持ってんだよ」

「今日午前中は琴ちゃんとそれ見ながら候補出し合ってたの! こういうのは、目の前にあった方が真面目に考えやすいし。今のところ、琴ちゃんも全部同じ」

 調査票に目を移すと、第三希望まで各大学名でしっかり埋められている。ただ、いつでも修正できるように、鉛筆で薄く小さめに書かれていた。

 どれどれ、第一希望は……。俺が通っている大学だ。しかも、第一希望だけ学部と学科まで書かれている。そして、学部も学科も全く俺と同じだった。

「工学部はやめておけ。パーフェクト清楚黒髪ロングお嬢様二人が入学したら、工学部が木っ端微塵に破壊されてしまう。もしかして……『学部クラッシャー』になって、俺の思い出の場所を壊し、愉悦に浸る進路が希望か?」

 ゆうの髪型は、ことちゃんよりは短いがしっかり黒髪ロングで、まるで超イケメンお兄ちゃんが超最高のセンスでプレゼントしたかのようなシルバーの髪留めで、いつもハーフアップにしている。おでこは出したり出さなかったりだが、今日のような週末に私服で外出する時は出していることが多い。服は、白ベースのワンピースで、所々に黒のアクセントが入っており、丈は膝ぐらいまで。同じく白いモコモコした靴下に、白と薄いピンクの女子用スニーカーを履いている。

 兄の俺が言うのも何だが、ゆうはハッキリ言って美少女だ。しかも、二ノ宮さんにも負けず劣らず。

 男女共学だった中学時代はかなりモテたらしいが、全てフっていたという。いや、ほとんどは告白の機会すら与えられなかったと言った方が正しい。

 ゆうが中学に入学してからすぐのある日、『オレイガ……イノオト……コニチカ……ヅクナ。カノ……ウセイ……モハイジョダ』という文章が書かれた紙を俺の所に持ってきて、『お兄ちゃん、これそのまま読んで』と言って、壊れかけたロボットを真似て読まされた。

 別に俺に読ませる必要ないだろと思ったのだが、話を盛るのは良くても完全な嘘はつきたくないらしい。厳しい兄から男女共に連絡先の交換を禁止されているということにして、女子友達経由での個人情報流出さえも対策したのだ。

 告白の呼び出しには一切応じず、手紙も受け取らない。机や下駄箱に入っていてもその場に捨てる。基本的に、一人にならないように、仮初めの女子友達と行動していたらしい。

 その女友達が周りにいるにもかかわらず、目の前で無理矢理告白されたら、『公衆の面前で私に恥をかかせる人は大嫌い。他の人にも伝えておいて』、同様に別の男子が告白してきた場合は、『知らないの? 情報弱者は大嫌い』と言い放つ。どないせいっちゅうねん。

 『だって、呼び出しにわざわざ一人で行くなんて危機意識のない頭お花畑女がすることだし、一人じゃなかったとしても、そこまで歩かされるのも、告白ポエム読まされるのも苦痛だし、その上、なんであたしがゴミ箱に捨てに行かされなきゃいけないのって思うし』とのことだ。

 『お前、頭おかしいよ。まあ、俺は面白くてむしろ好きだけど。おもしれー女枠ちゃん』と言ったら、『うざ。死ね。』と即座にキレ気味に言われた。

 ゆうがこうなってしまったのは俺のせいだ。

 『お兄ちゃん大好き! わたし、お兄ちゃんと絶対絶対ぜ~~ったい結婚する! どこかの外国に行ってでも絶対するから!』と、小学生にしてはちょっとだけ違和感のある台詞を、いつも天真爛漫に言っていたなんて夢のようだ。一線は越えていないとは言ったが、そのゆうのままだったら、いつか越えていただろう。

 この前なんて、寝ぼけたゆうが昔の『お兄ちゃん好き好きモード』になってしまい、大変だったのだ。性知識を得たゆうと、彼女の積極性が合わさり、一緒に風呂に入ったり寝たりしていた当時は、既成事実化しようと、事あるごとに淫語の連発と共に『ゆう惑』され、俺の性欲は爆発寸前になっていたが、その度に『賢者モード』になることで耐えてきた。

 そんなある日、『緊縛母娘の脅迫日記~校舎裏から始まった地獄の日々~』という同人誌を、俺が部屋の机の上に置きっ放しにして寝てしまい、それをゆうが読んでしまったことで、その状況は一変した。

 それが触手本でなかったことは俺の若気の至りと不徳の致すところだ。緊縛モノから触手モノに正当進化したことだけは褒めてほしい。でも、勝手に入ってきて、勝手に本を読んだゆうも悪いよな。俺が悟りを開いていなければ大喧嘩になっていたところだ。

 その次の日から、ゆうは俺に対して態度を明らかに変え、『きも。』『うざ。』『死ね。』の三大罵倒語を添えるようになった。

 俺はと言えば、当時ベッド下に隠していた『ドMのオレはツンデレ妹に叱られたい。』を読了し、全てご褒美に変換できていたから、むしろありがたかった。

 ゆうの言葉は、あくまで罵倒するためのものであって、純粋な悪口である『チビ』『デブ』『ハゲ』とは決して言わないし、『小人さん』『豚』『ゴブリン』などという言い換えもしない。それらに俺が当てはまらないのもあるが、ゆうは容姿をバカにするようなことを言わないのだ。

 しかし、どれだけ蔑まれてもいいから、『お兄ちゃん』呼びだけは続けてほしいなぁと風呂に入っている時にしみじみ思ってしまったので、気持ちが冷めない内に、そのまま自室にいるゆうに向かってドタドタと走り、全裸で土下座して了承してもらったのは、我ながら良い誠意の見せ方だった。

 俺の恥ずかしい姿を晒して、憐れだと思われたおかげか、完全に遠ざけられることもなく、会話もしてもらえることになったのだ。念のため、あとで反省文を書いて読み上げたことも効いたかもしれない。

 お兄ちゃん大好きっ子の当時のゆうについては、今では黒歴史として、記憶をなくしたかのように、本人も全くそのことに触れない。

 高校生のゆうは家族以外の前では、見た目清楚系お嬢様、一人称は『わたし』。声はワントーン高く、口調も柔らかく穏やか。話す内容もふわふわとした当たり障りのないものだが、時に教養を感じさせる冗談交じりで、語尾に『うふふ』がつくことが多い。

 つまり、完全な別人、別人格を演じている。二ノ宮さんには、自分の考え方や好き嫌いについて、少しずつ開示しつつあるようだが……。

 どうしてそうなったか。キッカケは、二ノ宮さんに一目惚れしたからだ。入学式から帰ってくるや否や、『本物のお嬢様がいた……』とロボットのように何度も繰り返していた。俺がそれとなく疑念をぶつけると、『いや、あの子は本物。あの子は本物。お嬢様……聖女……天使……』と、焦点の合わない目をして、やはり繰り返していた。

 実際に会話して、性格も温和なお嬢様だったのだろう。感動したのか、ショックだったのか、夢を彷徨っていたのか、よく分からないような反応で面白かったことを覚えている。

 お嬢様学校ではあるが、その中でも究極のお嬢様を目の前にして、どうすれば仲良くできるかを俺に相談してきたりもした。彼女は本気だったのだ。そこで俺は、『お前も完全なお嬢様になるしかないな』と冗談半分で言ったら、真に受けて実践してしまった。その通り、やっぱり俺のせいだ。

 元々、ゆうの外見はかわいいお嬢様風で、中身については、俺と話す時ほどではないにしろ、ハッキリものを言うタイプだったので、中身を柔らかくすれば、すぐに二ノ宮さんのようなお嬢様っぽくはなれる。

 だが、ゆうはちゃんと自分でも考えて、家柄は無理でも外見や中身だけはお嬢様になりきらなければ相手にされない、釣り合わないという結論に至った。そうして、家族はその本性を知っているにもかかわらず、精神疾患でもないのに、恥ずかしげもなく、全く異なる新しい人格を生み出したのだ。出身校が同じ奴がいなかったことも幸いした。

 ゆうが憧れるそんな二ノ宮さんが、自分と同じ進路を希望してくれたら、さぞ嬉しいだろう。今日の機嫌が今までで一番良いのはそれか。

「いや、卒業後の就職先とかも面白そうだからだし……。だいたい『何とかクラッシャー』は、誰かと付き合ったり別れたりを繰り返した場合でしょ。琴ちゃんには指一本触れさせないから」

 俺が『ことちゃん』呼びした時と同じようなことを言って、成人しても勝手に二ノ宮さんの貞操を支配しようとするゆう。将来、恨まれるぞ……。よし、その時は兄の俺が責任を取って、二ノ宮さんと結婚しよう。

「しかし、その台詞は男に堕ちるフラグだぞ。お前も知っていると思うが、同人誌にも似たタイトルあるし……」

「は? いや、知らないし」

 ふーん。白を切るつもりか。今度問い詰めてみるか。

「ん? 待てよ。百合に混ざる男は死ぬべきという常識をウチの男子学部生は全員持っているから、もしかすると、お前達がそれをアピールすればあるいは……。はっ! まさか、二ノ宮さんとマッサージし合う仲になったのは、進路計画の内だったのか」

「そ、そんなわけないでしょ! うざっ! ……そんなことよりさぁ、進路と言えばだけど、その手に持ってるの履歴書? もしかして郵便局まで持っていく気? ウチの近くにポストあるのに」

 ゆうは俺の右手に持っていたA4用の封筒を指した。今時、紙で履歴書を出さなければいけない会社に、なぜ入りたいかと言うと、ウチから近いホワイト企業だから。満員電車には乗りたくない。不採用ならそれはそれで気にしない。他にも大企業含めて色々受ける予定だし、試験や面接の練習だと思って割り切ることが大事だ。

「ああ。糊が見つからなくて面倒くさくなったから、郵便局で借りてそのまま出そうかと。今日はずっと寝てたから、健康のためってこともある。中央郵便局なら土曜はまだ窓口開いてるし。帰りは『ウォッチャー』に寄ってから帰る」

 長々とゆうと喋っていたら、本屋『うおち屋』、通称『ウォッチャー』を丁度通りかかっており、すでに駅前からは結構な距離を歩いていた。『ウォッチャー』の入り口のガラスドアからは、二人の女性客らしき人影がちらっと見えた。いや、一人は男かも。

 ここは、普通の品揃えとは別に、アダルトゾーンが設けられていて、さらにマイナージャンルの本の種類が豊富な稀有な店だ。店主には余程の拘りがあるのだろう。監視カメラがないから、万引きされていないかいつも心配になる。店主には未だに会ったことがないので、今度是非語らってみたいものだが、さっき見えた女性客が濃い本を買っていることを想像して、悦に浸るのも悪くないな。

 郵便局は、俺達が歩いている位置から、四十メートル先の信号を右に渡って、その先二百メートルの所にある。ゆうが買い物をする百貨店はその向かいなので、まだ一緒に歩いて行けるはずだ。

「売れない触手研究同人誌を夜明けまで作って自分の健康破壊してどうすんの?『自称触手研究家シュークン』改め『自傷即席健康クラッシャー』さん」

 会話の流れから、ちょっと上手いこと皮肉を言ったゆうには称賛するが、売れないって言われると素人でもクリエイターは傷付くんだぞ。ちなみに、『シュークン』は俺の同人ネームだ。あだ名から取っている。

「いや、一部売れたから! しかも超美人が買ってくれたから! 触手と向き合う度に、俺の脳内ではあの日の光景が何度もリピートされてるんだ。『興味深かったです。あとがきの次回作も期待してます』って感想も送ってくれたし! ハンドルネームは『ThSW』さん。もうあの人のために作るって心に決めたもん!」

「サングラスかけてたから本当に美人かは分かんなかったはずでしょ。その話、前にも聞いたから。マイナージャンルの研究っていう、さらにマイナーなところ突いて、題材選択から間違ってるし、そもそも分厚すぎるでしょ、あの本。自作小説までセットで一つの本にして。少しは削る努力か、分ける工夫をしなさいよ。お兄ちゃんに物語のモノローグさせたら、無駄な描写とか脱線とかして話の繋がり分かんなくなってそう。ご自慢の作戦はどうしたの、作戦は。『自称作戦立案家シュウイチくん』」

 おいおい……その通りだよ。お前、まさか見ているのか?

 タイトルとあらすじでネタバレしてるのに、せっかくだからと、叙述トリックを無駄に使ったことも知ってるのか?

 脱線はキャラの深掘りか伏線に使ってるし、長いモノローグのあとは、最後と次の台詞を読めばその前の会話を連想できるようにしてることが多いから許してくれ。好きなモノを目の前にすると我を忘れてしまうんだ。ちなみに、『シュウイチ』は俺の名前だ。

「人は自己満足のために生きていると言っていい。売れ行きなど、どうでもいいのだ。仮に商業だとしても、その場合は、嫌々作る事、あるいは作った物が目的ではなく、金が目的となる。

 そうすると、金を何に使うかということになるが、人のために寄付したとしても、全員を完全に救えるわけではないから、結局は自己満足のために使っていることと同義。さらに、死ぬ瞬間はどんな場合でも一人で、死後は『無』なのだから、繁殖や子育てでさえも自己満足に収束する」

「無駄に主語大きくして言い訳してるのが、どうでもよくない証拠でしょ。ついでに宗教否定までして」

「…………」

 くぅ~、ゆうの正論パンチとフィニッシュブローは心に染みるぜ。でも、お前も主語大きくして、女批判してたよね。神がいたら天罰が下っているかもしれないぞ。

「それはそれとして、最終的には触手をマイナージャンルから脱却させる方法を俺は提案したいんだよ。汚い男性器やミミズのような見た目の気持ち悪さ、触手本数や分泌液の多さ、それらを含めた構図の悪さが目立ってしまうと、一般人にとっては不快感の方が大きい。もちろん、それが良いんじゃないかという人もいるだろう。

 ただ、それではジャンルが縮小する一方だから、それを改善できれば、老若男女が触手と被害者の両方に感情移入できるようなシーンを作り出せれば、もっと人気が出るはずなんだ。そのためにも、どういう触手が過去から現在まで描かれていて、どういう触手があるべき姿なのかを俺は研究しているわけだ。

 そんなの誰も求めていない? 俺が求めてるんだよ! それが研究家であり、クリエイターの性分なんだ。お前も少しぐらい分かるだろ? そうじゃなきゃ、論理立てられた過激な思想や哲学なんて持ってないはずだ」

 熱弁を振るう俺を、ゆうは冷ややかに見ていた。

「その熱量や自信を趣味の触手研究じゃなくて別のところに使ってほしいんだけど。自信満々で完璧な履歴書を書いてやるって言ってたんだから、その提案力をプレゼンとかに活かせるでしょ。もちろん、分かりやすく話せること前提だけど。どうせ就職したら出世とか興味なくて、稼いだお金はスキルアップに使わないで趣味に全額注ぎ込むんでしょ?」

 俺のこと理解しすぎじゃない?

 しかしながら、まだまだ社会の仕組みや責任というものが分かっていないようだ。スキルアップに使う金は会社に出してもらうのがスジだ。会社がそれを必要としているのだから。

 自分の将来像からどんなスキルが必要か、会社はどんなスキルを求めているかをすり合わせた上で、会社が社員のスキル習得とキャリアアップに投資する。その投資をしてくれない会社はブラック企業の範疇だと俺は思っている。もちろん、別の会社に転職しようと思っている場合は別だ。

 『お前の方が分かってないじゃないか、現実を見ろ。頑張ってる人は自分で自分に投資しているぞ』と思う人もいるだろう。しかし、『現実』と『理想』が一致している会社も少なからず実在している時点で、結局はその『現実』とは自分の周りでしか存在し得ないし、そのような環境に身を置くべきなのは間違いない。

「見てみるかね? 絶対に採用されるこの世で唯一の履歴書を……。特に自信があるのは職種希望欄かな。『触手』好きとしては気合いを入れないとな。信号渡ったら見せてやるよ」

「うざ。触手について語ってるんじゃないでしょうね」

 『見たくない』とは言わないってことは『見たい』ということだろう。

 すでに青になっていた信号はすぐそこだった。ここの信号は四十秒で赤に変わるので、あと二十秒は余裕がある。視界には右折の車や左折の車もいなかったので、このまま俺達のペースで渡れそうだ。

「俺はそこまで頭おかしくないから。ネタで採用試験を受ける失礼な奴でもないし。まあ、書けって言われたら、当然書けるけど。俺の理想の触手は……」

 するとその時、ゆうと信号を渡り始めて二メートルほど進んだ所で、俺の話しを遮るように右手遠くの歩道、『ウォッチャー』辺りから女性の叫び声とも言える大きな声が聞こえた。

「走って‼ 前に‼ 右から車!」

 緊迫感と切羽詰まったようなその声に、俺達に言っているのかも分からない中で、俺は咄嗟に反応、と言うより反射的に左足を大きく前に出し、走り出そうとしていた。

 同時に右を見ると、猛スピードで、文字通りあっという間に迫ってくる白い普通乗用車がそこにはあった。間違いなく時速百キロメートル以上、百三十キロは出ていても不思議ではないほどだ。なんでこんな一般道で……とすぐさま疑問に思ったが、運転手がブレーキと踏み間違えたり何らかの原因で気絶していたりしてアクセルを全開に踏み込んでいる場合はあり得る。

 どうやら後者らしい。運転手がハンドルにもたれ掛かっているのが見えた。不幸にも、その暴走を遮る交通量は全く無く、暴走者のクラクションは鳴らず、電気自動車だったのでエンジン音も聞こえなかった。

 いや、電気自動車でも擬似的に音を出す仕様のはずだ。故障後にメンテナンスされてなかったのか?

 そんなことを考える余裕など本来はなかったにもかかわらず、考えてしまった。なぜなら、もう俺は間に合わないからだ。このまま左足を地につけて、二歩目を踏み出そうとも、立ち止まろうとも、後ろに戻ろうとも避けられない。それほどまでに暴走車が目の前に迫っていた。

 せめて、ゆうだけでも無事で……と思い、右半歩後ろのゆうに目を移すと、俺と同様に車の方を見ていたが、走り出そうとはしていなかった。いや、できなかったのだろう。過去にもそのようなことがあった。女性の声は聞こえていたはずだが、頭の回転の速いゆうは、咄嗟の事態でその思考に口や体が追いつかなかったのだ。

 どうすればゆうを助けられる? ゆうの思考速度に及ばずとも思考を巡らせろ。


 この状態から後ろに突き飛ばせるか? ダメだ。今の俺の体勢では力が入らないから、間に合ったとしても距離を稼げない。

 それなら前に放り投げるか? ダメだ。タイミングが遅すぎて、この状況から放り投げようとすると、俺と車の間の衝撃を最も受ける位置にゆうが来る可能性が高い。

 同様に、上に放り投げようとするのもダメだ。

 いっその事、地面に寝そべってタイヤに乗っかられた方が、とも考えたが、寝ようとする前にバンパーが頭にぶつかってダメだ。


 残っているのはもう……。くそっ! なんでこんなに時間がないんだよ!

 それもそのはず、時速百三十キロメートルは、秒速約三十六メートル、『ウォッチャー』からは約一秒だ。そこから出てきた女性達の一人が車道右方向から来る暴走車に気付いたのだろう。声を上げた時にはすでに一秒を切っていたはずだ。

 でも、その人には感謝だな。普通なら誰かに危険が迫っている時に、咄嗟に上げる声は、『危ない!』とか『逃げて!』とか曖昧だから、何もできずに回避できない場合が多いけど、どうすればいいかを簡潔に言ってくれたし、回避できなくても何が起きたのか分からないよりは個人的には良い。教養があって頭の良い人なのかな。『ウォッチャー』の店主と同じく、いつか話してみたいものだ。

 どういうわけか、俺はこういう時になると余計なことを考える性質らしい。つまり、もう俺の心は決まった。ゆう、ごめん……。

「お兄ちゃん……」

 このような状況で、聴覚が研ぎ澄まされたのだろうか。暴走車の方を向いたまま、か細く消え入りそうなゆうの声が聞こえた。

 その瞬間、俺は右の踵を返し、車とゆうの間に無理矢理に体を差し込んだ。

 もうこれしかない!

 先に決心した方法で、ゆうの頭を包み込むように、俺の頭と両腕で上半身を抱きしめた。また、俺の左足でゆうの軸足を蹴り飛ばして、車のバンパーと下半身ができるだけ接触しないように、タイミングを計って少し浮かせた。回転方向ができるだけ横になるように、勢いで体も横に寝かせたかったが、させきれなかった。


 ドン! 


 俺の後頭部はフロントガラスに激しくぶつかり、その勢いと共に車全体が俺達兄妹を斜め前方に大きく跳ね飛ばした。

 ゆうの頭や身体は俺の身体で車からは守られているものの、衝撃は俺を通して伝わるので、痛みからは絶対に逃れられない。俺の体全体が一瞬激しい痛みを覚えたのも束の間、すでに何が起こっているのかよく分からなかった。

 手に持っていた物は全て空中にばらまかれ、地面と空とが何度も視界を縦横無尽に走り回るので浮遊感なんてものはなかったし、俺達の体のあまりの回転速度に、目に映るものは色の残像しかなかった。

 その間、ゆうは全く声を出さず、体もそのまま動かさなかった。おそらく車との接触時に気を失ったのだ。なぜ俺が気を失っていないのかは分からない。俺の後頭部は粉々のはずだ。ゆうを最後まで生きて家に帰すという強い意志のおかげだろうか。俺はゆうをずっと抱き締めてかばうことができていた。

 しかし、この縦回転は正直に無理を悟った。このまま地面に激突すれば必ず頭をもう一度打つ。しかも、高確率で二人とも。体を丸めたくても、両足は骨折しているし、頭をやられて力が入らないし、入ったとしても遠心力がそれを阻む。

 唯一、ゆうが助かるのは、俺が完全に仰向けで下敷きになって、そのままの状態で地面と背中を擦らせながら滑ること。少しでも地面激突後に回転してはいけないし、引っかかってもいけない。背中から落ちて、頭や脚を持ち上げるようにすれば行けるか?

 再度思考を巡らせるが、一瞬認識できた景色により、無惨にも一縷の望みは絶たれた。

 俺達が飛ばされたのは、車から見て前方少し左斜め方向、つまり交差点奥の車道と歩道の間の縁石だったのだ。

 俺は力が入っているかどうかも分からない両腕で、少なくとも脳内では、ゆうの体をもう一度強く抱きしめた。そして、両腕以外の残された僅かな力で何かできることはないかと、目の前に迫りくる地面を凝視していた。

『ゆう! 絶対、最期まで守るから! 絶対絶対絶対ぜっ……』


 ガン! ズザザザザザザザァ!


 俺達は地面と縁石にそれぞれの側頭部を思い切り強打し、地面で数回転した後に仰向けの状態でやっと止まった。

 力を振り絞ってギリギリで体を捻ることで、正面からぶつかって顔や口内がグシャグシャになったり、首の骨が完全に折れたり、引き千切られたりすることはなかったが、こうなってはあまり意味のないことだ。

 結局、守れなかった。俺からは見えないが、俺とゆうの右側頭部はズタズタだろう。加えて、俺の後頭部は車のフロントガラスでボロボロになっている。

 それでも、今の今まで、俺の腕の中にゆうがいることが奇跡だった。

『ごめんな、ゆう。痛かっただろ?』

 ゆうの頭を撫でたかったが両腕とも全く動かなかった。代わりに、ゆうを抱き締める役割を終えた左腕が、ダランと力なく地面に滑り下りた。右腕までそうなってしまうと、ゆうが俺の身体から滑り落ちて、少しの高さではあるが、また地面に叩きつけられてしまうので、必死に脳に信号を送るように右腕と頭に意識を集中した。

 それにしても、まだ俺の意識がある。これも奇跡だな。でも、誰か早くゆうを何とかしてくれないと俺の右腕が保たない。俺達を撮影している人でなし以外の誰か!

「私は救急車を呼ぶ! めぐるは警察に通報して! 交通整理は必要ない」

「分かった」

 遠くで聞き覚えのある声がした。交差点辺りだろうか。俺の頭はボーっとしていて、周囲の環境音や雑音も激しいのに、彼女達の声だけがハッキリ聞こえた。『ウォッチャー』の前から俺達に声をかけてくれた女性の声だ。もう一人の女性は『めぐる』さん、と言うらしい。俺達の方まで駆け寄ってくれているようだ。

「救急! 場所は……駅前から南二百メートルの交差点で交通事故! 大人三人! 一人は運転手、もう二人は男女の被害者! 全員頭部を強く打ち、意識不明の重体! 要大量輸血! 車からの燃料漏れはなし! 私は現場目撃者で、名前は『せんじゅさわ』、内科医ですが、このまま現場で応急処置を試みます! 警察には友人が通報中です」

 必要な情報を全て言って、電話を切った女医のせんじゅさんとめぐるさんが俺のすぐ近くまで来ていた。俺の意識は一応あるのだが、最悪のことを考えて全員意識不明の重体と伝えたのだろう。大きい病院は近くと言ってもいい所にはあるが、受け入れ可能かは分からない。

「交通事故です。百キロ超の暴走車が、信号無視で男女をはねて電柱に激突。三人は頭部を強く打って意識不明の重体。場所は……駅前から南二百メートルの交差点。今から三十秒ほど前に発生。救急車は手配済み。現在、私の友人の医者が応急処置を試みようとしています」

 めぐるさんも警察に通報していた。過去に通報経験があるのだろうか。二人とも全く淀みなく、通話相手の返事を待ってさえいない。せんじゅさんだけじゃない、めぐるさんも優秀だ。

 暴走車がどうなったかは、俺からは分からなかったが、めぐるさんによると電柱に衝突して停止したらしい。普通乗用車であの速度での衝突は、運転手もひとたまりもなかっただろう。

「っ……‼ さわ、この子達…………。なんでこんな……」

「ええ……」

 通報中のめぐるさんが驚いたあとの彼女達の絶望感がこちらにも伝わってきた。俺達の外傷はひと目見て相当酷いらしい。

 それはそうだ。俺達の周りは血の海なのだから。でも、俺の意識があるってことは『社会死』までは酷くないってことか? 

「私の声は聞こえる? 聞こえたら一回瞬きして。そのまま目は瞑らないで、意識を失わないように、少しだけ楽しいこと考えて」

 せんじゅさんは、意識を失っているゆうを両腕で支えて慎重に俺の身体から下ろした。

『ゆう、良かったな。この人達に任せよう』

 俺は安堵し、一回だけ瞬きをして、言われた通りに楽しいことを考えようとした。

 せんじゅさんには感謝しかないな。彼女の落ち着いた声は精神的に癒やされたし、少し元気にもなれた。何度もリピートしたくなる不思議な声だ。

『せんじゅってどういう漢字書くんだろう。千手観音の千手か? 千手だったら触手っぽくて良いな。医者で内科医なら、触診で病気を判断したり……触診……触神……触手の神か。触手の神なら万能であることも頷ける。いかんいかん、これでは楽しすぎてしまう』

 この期に及んで、くだらないことを考えている俺が、妙にしぶとく生きようとしていることに自身で疑問を抱いた。この明らかに優秀なせんじゅさんなら俺達の絶望的な命を救ってくれるんじゃないかと思ったからだろうか。

「めぐる、上着頂戴。止血と包帯に使う。それと、こっちはこのまま抑えてて」

 ゆうの右側にいたせんじゅさんが、通報中のめぐるさんに声をかけると、その声に彼女もすぐさま頷き、薄めの上着を脱いで渡した。この人達なら、仮に上着がなかったとしても躊躇なく下着姿になりそうな信頼感がある。

 めぐるさんは、俺の頭付近の血の海でやはり躊躇なく膝をつき、耳と肩でスマートフォンを器用に挟みながら、せんじゅさんが俺の側頭部から後頭部にかけて当てた二つの大きい止血用ガーゼを両手で抑えた。心臓マッサージや人工呼吸の必要性を確認してからのことだったので、ゆうは少なくとも呼吸できているようだ。車衝突時に一時心停止、脳への血流が減少して意識を失い、地面衝突時に心臓が動いたのか? これも奇跡か。

「私の名前は『いちのせめぐる』です。はねられた男女二人の内、女の子の高校生は親戚の友人で一度会ったことがあります。その親戚経由で私からも親御さんに連絡できます」

 え……? 通報中のめぐるさんが氏名のあとに続けた言葉は、俺の思いも寄らないことだった。

 親戚って、もしかして二ノ宮さんの親戚?

 これから会う予定の?

 なんでこんなところに?

 あまりに唐突すぎて、様々な疑問が次々と浮かび、ぼんやりしていた頭が少し冴えてきたほどだ。

 ただ一つ言えるのは、二ノ宮さんには今から三十分足らずでこの事故が伝わり、結果はどうあれ悲しませてしまうことだ。二ノ宮さん、ごめん。

「もう一人は……履歴書が落ちているので、身元はすぐに確認できます。紛失しても困るので最低限の情報だけを読み上げます」

 めぐるさんはそう言って、俺の左側に少しずれて上半身を前に倒した。俺の持っていた履歴書がこんな所まで飛んで来ていたのか。

 めぐるさんは、俺の左手を覗き込んでいる。履歴書は封筒から飛び出し、俺の左手の下敷きになっていたのだ。履歴書には血が少し飛び散っていたが、地面にはちょっとした勾配があるため、血の海に浸かることは避けられていた。

 こんな奇跡はいらないんだよ。学生証もあるし、別のところにその奇跡を使ってくれ。

「氏名は『相楽修一』。二十一歳の大学四年生。誕生日は六月一日です。女の子の方は『相楽ゆう』ちゃんなので、本人から以前聞いた話と合わせて、はねられた男女は兄妹です」

 めぐるさんは履歴書を読み上げたが、それは決して淡々とではなく、その声は、どことなく悲しげで、無念さを滲ませているようだった。

 嘘であってくれと思っていたのが、答え合わせが完全に済んだからだろうか。それとも、二ノ宮さんへの直接報告を余儀なくされ、その後に彼女がどんな様子になるか容易に想像できたからだろうか。

 めぐるさん、今日初めて会ったけど、いきなりこんなことになって申し訳ない。でも、ありがとう。

「待たせてごめんなさい。シュウ……一くん」

 ゆうの応急処置を終えて、せんじゅさんが俺の方に移動してきた。

 ゆうの容態を聞きたくても口が動かない。無理に口を動かそうとすれば、死が早まるだろう。いや、死の恐怖よりも彼女の懸命な処置をできるだけ無駄にしたくない気持ちの方が強かった。ゆうは、死の淵を彷徨っているのだろうか。

『ゆう、頑張れ。お前なら帰ってこられるはずだ』

「ゆうちゃんがどうなるかは分からない……めぐる、力を貸してくれる?」

「このままじゃ、コトがあんまりだ……。いいよ、やろう。あの方法、一緒に」

 俺の考えていることを察したのか、めぐるさんと協力して俺の応急処置を進めながら、せんじゅさんはゆうについて話してくれた。

 そうか、でも手を尽くしてくれたんだ、仕方がない。ゆうの処置が終わり、状態も分かったところで、俺はやっと一息つけたと思った。そのせいか、視覚や聴覚、思考に割いていた集中力はなくなっていた。

「シ……ークンのこと……分か…………この…………ごめん……い」


『謝らないでください。むしろ、ありがとうございます。本当に感謝してもしきれません』


『ゆう、お前もそう思うだろ?』


 もう俺の目はほとんどぼやけて、せんじゅさんの顔も見えなくなっていた。視界の周囲には深い霧がかかっているようだ。音も急に聞こえなくなってきた。

 ここに来て、ようやく意識が遠のいていくのだと確信した。次に目が覚める時はどうなっているのだろう。それともこのまま目が覚めないのだろうか。

 結局、走馬灯は見なかったな。ゆうは見たのかな。見たとしたら車との接触前か。まあ、思い出させちゃうからそれは聞かない方がいいか。

「…………。私の……覚えて………次……待っ……」

 誰か、おそらくせんじゅさんだろう人が何か言っているようだが、ハッキリとは聞き取れず、声質さえ分からなくなっていた。

 すると、すでに感覚のない俺の顔に、水滴が何滴か垂れてきたような気がした。通り雨か? 今日はずっと晴れのはずだから、ここでも珍しいことが起こったか。これだけ偶然や奇跡が起きてるんだから、きっと大丈夫だ。なんなら、俺の分の奇跡を、ゆうにあげてほしい。


『ゆう、お前助かるぞ。なんたって、今日は奇跡のオンパレードだからな』


『ゆう、すまないが、せんじゅさんとめぐるさんに、お前からもう一度お礼言っておいてくれ。ああ、お礼の品は俺の金使っていいから』


『ゆう、二ノ宮さんを少し悲しませちゃったけど、元気になったらちゃんと遊んでもらえよ』


『ゆう、大学受験は緊張が一番の敵と言われているが、逆に緊張を楽しむぐらいで受けるといいぞ。普通に生きてたら、それほどの緊張をする機会なんてあんまりないんだからな』


『ゆう……っておいおい、俺のことはいいんだよ。優しいな、ゆうは』


『ゆう…………ありがとう…………最……まで……一緒にいて…………くれて……』


「………………ー………………」

 俺は、ゆうへの感謝の言葉を最後に意識を失った。そして、これがたとえ死だとしても俺に悔いはなかった。




「…………シュー……クン……」

 意識を失った……はずなのに、なぜか俺を呼ぶ声が聞こえた。

 いや、違う。意識を失う瞬間に聞こえて、今はそれを反芻しているにすぎない。

 ここは夢の中か?

 それとも死後の世界か。

 分からない。周りは真っ暗闇で体の感覚はない。ただ、考えることはできる。この状態、状況が、意識があると言っていいのかも分からない。

 それにしても、あの時は命がかかっていたから、せんじゅさんやめぐるさんの外見さえ覚えていないのが悔やまれる。

 せんじゅさんのイメージは、髪はロングだが、応急処置のためにポニーテールにしていた。年齢は、専門医なら最低二十九歳だが、研修医を終えたあとに、すぐに内科医として独立したかったのではないだろうか、土曜でも午後は休診で、あの時間に歩いていても不思議ではないのではないかという勝手な憶測と、めぐるさんも同年齢の若めな印象ということを合わせて、何となく二十七歳前後。

 めぐるさんの髪型は、ショートかショートボブだったはずだ。なぜなら、『ウォッチャー』でちらっと見た時に男か女か俺が迷い、履歴書を見る時に、俺の視界に全く髪が垂れてこなかったから。

 二人とも超美人、せんじゅさんは綺麗系、めぐるさんは体型を見ると明らかに女性だが中性的な顔立ちで、二人が並んで歩いていたらカップルに一見間違えられる……だったら良いなぁという俺の妄想だ。

 しかし、間違いなく言えることがある。ずっと気になっていたのだ、あの声が。過去を遡って考えるリソースをそこに割けなかったが、今ようやく分かった。

 延々とリピートしていたい声で、俺を癒やし、支えてくれた人。

 前に進ませてくれた人。

 そして……俺の同人ネームを知っている人。

 せんじゅさんは、俺の触手研究同人誌を唯一買ってくれた、その人だった。

 こんな奇跡があるのだろうか。俺は完全にではないにしても、せんじゅさんに二度救われたのだ。だが、二重に悲しませてしまった。

 意識を失う前、俺はゆうのことしか考えていなかった。ゆうさえ無事なら悔いはなかったのだが、十分に、冷静に考えられる今なら、絶対に悔いはないとは言い難い。その内の一つ。奇跡の出会いが一生の別れになるなんて嫌だ! だから……。

『せんじゅさわさんに触手研究本の新作を作ってあげたい! 俺は無神論者だけど、触手の神様だけは信じます! どうか、俺の願いを叶えてください! この通りです‼』

 俺は全裸で土下座したような気持ちで、触手の神に祈った。あのゆうが折れた奇跡の方法だ。たとえ、今の俺に体がなくとも、多少の効果はあるだろう。

 次の悔いは……。


 そこで俺の意識は再度途絶えた。

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