第20話 糖度不足な関係じゃ物足りない

 勉強を始めて二時間後。ジュリシスは、疲労の滲んだため息をついた。


「年度末試験は、生徒を落第させるためにあるんじゃありません。一年間学んだことが、理解できているかの確認試験。ですから、基本的な問題を解けたら六十点は取れるそうです。お姉さんの場合、苦手な数学は四十点取れると思います。でも、外国語が厳しい。スペル間違いが多い」

「でもさぁ、落第ラインは三十点だよ。だったら、三十点取ればいんじゃないの? なんで四十点を目指さないといけないの?」

「お姉さんみたいなおっちょこちょいは、ちょっとしたミスを犯しやすい。三十点を目指して勉強したのでは、三十点に届かない。四十点を目指すぐらいがちょうどいいんです」

「そういうものなの?」

「そういうものです」


 全国共通試験で一位を取った天才が言うのだから、そうなのだろう。

 時計の針は十二時を過ぎた。あと二時間。本気を出すとしよう。


「よぉし、やるぞ! 燃えてきたーっ! 私の本気を見せてやる!!」

「やっとですか……。僕は常々不思議に思っているのですが。頭の悪い人って、なんで最初からやる気を出さないんでしょうね?」

「追い詰められないと、やる気が出ないからだよ」

「不幸な人種ですね」


 ジュリシスお得意の嫌味を浴びながら、私は今までにないくらいの集中力とやる気と情熱で、外国語のスペルを書きまくった。

 やる気があふれすぎて字が雑になってしまい、


「なんて書いてあるか、読めないです。お姉さんってアホですか?」


 と突っ込まれてしまった。

 私の弟って毒舌! と憎たらしくなる。でもジュリシスらしい。私たちにはこういう関係が合っている。


「単語いっぱい覚えたー!!」

「よくできました。えらいです。……終わりにしますか。試験の最中に寝てしまったのでは意味がありませんから」


 深夜二時。予定どおりに、勉強を切りあげる。

 私はどうしてか、次の行動に移せなかった。ジュリシスは筆記用具とノートを片付け、机の上に散らばっている消しゴムのカスを集めだした。

 でも私は、ぼーっと座ったまま。

 

「お姉さん、勉強しすぎて疲れた?」

「うん。疲れてはいるけど……」


 掴み難い感情が心になだれ込む。それはあっという間に、私の心を支配した。


(よくできました、えらい──だけじゃ、物足りないよ……)


 疲れていると甘いものが欲しくなるというのは、本当らしい。私は今、甘いものを求めている。

 このままじゃ、眠れない。こんなモヤモヤした気持ちじゃ、自分の部屋に戻れない。

 

(求めたら、なんでもしてくれるというのなら……)


 私はうつむくと、横の髪を前に持ってきた。顔を見られたくない。


「勉強を教えてくれて、ありがとう。あの……あのね……少しだけなら、甘い言葉、言ってもいいよ……」

「え?」

「恥ずかしくなって悲鳴をあげちゃうんだけど、でも、嫌じゃないっていうか……胸がときめいて、きゅんとするんだ……」


 沈黙が降りる。ジュリシスが動揺しているのが伝わってきて、言うんじゃなかったという後悔が押し寄せてきた。

 うつむいたまま、笑顔を取り繕う。


「なーんてね! 嘘だよーん! 甘い言葉なんて、いらな……」

「ルイーゼ」


 腕を引っ張られた。気がついたときには、ジュリシスの胸の中。

 私はジュリシスの胸に顔を当てていて、心臓の音を聞いている。ジュリシスは私の髪に顔を埋めていて、静かな呼吸をしている。


「いいですよ。甘い言葉、あげます。……諦めるのも、恋心を消すのも、無理なんです。振り向いてもらえなくても、僕に気持ちがなくても、誰にも渡したくない」

「これって、惚れ薬のせい? それとも……」


 ジュリシスの胸が揺れた。喉の奥で低く笑ったのだ。


「惚れ薬なしの状態で僕に惚れられるほど、いい女だと思っているんですか?」

「むっ!!」


 カチンときて、顔を上げようとした。けれど、後頭部にジュリシスの手が添えられ、動けない。ジュリシスの胸から逃れられない。


「自信を持ってください。ルイーゼはいい女です」

 

 私の呼吸よりも、ジュリシスの心臓の動きのほうが早い。

 その心音の心地よさと肌の温かさに、瞼がゆっくりと重くなっていく。

 うつらうつらとする体が宙に浮かぶ。ジュリシスにお姫様抱っこをされて、部屋に運んでもらっているのだとわかった。

 

 

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