第19話 好きだった気持ちを過去形にします

 その日の夜。


「おねえたん、おやちゅみなちゃい」

「おやすみなさい。いい夢を見てね」


 就寝するジュリアーノの頬に、おやすみなさいのキスをする。

 いつもならこの流れで、ジュリシスの頬にもキスをする。

 ジュリシスが、「弟として平等に扱ってください」と頼んだからだ。

 けれど、居間のどこにもジュリシスの姿がない。母に訊ねると、ジュリシスは自室に戻ったとのこと。

 

「どういうこと? やっぱり惚れ薬が切れたんじゃないの?」


 ぶつぶつと文句をこぼしながら、ジュリシスの部屋を訪ねる。

 私の部屋は、物が多くて散らかっている。勉強に適した部屋ではないということで、ジュリシスの部屋で試験勉強をしている。

 机で問題集を開いているジュリシスの背中に、非難の声をかける。


「ねぇ、おかしくない?」

「なにがですか?」

「なんで黙って部屋に戻ったの? いつもなら、ジュリアーノが寝るまで居間にいるのに。おやすみなさいのキスをしてほしくないの?」


 ジュリシスは回転椅子を回して、顔を見せた。

 文句をぶつけているのに、平然とした表情をしている。


「お姉さんは僕に、キスしたいんですか?」

「そ、そそ、そんなわけないじゃない!! ただ、なんでかなって……。だって、その、変だもん。帰り道、手をつながなかったし……」

「自重しているからです。だって、お姉さん。僕のことを弟としては好きだけれど、異性としては見られないのでしょう? ルイーゼの弟になったことを、喜んでほしいのでしょう?」

「そうだけど……」


 ジュリシスは目を伏せると、持っていたペンを手の中で遊ばせた。合理的なジュリシスにしては珍しい、無駄な行為。


「犬から助けてくれたルイーゼが気になって、登下校時のルイーゼを目で追い続けた。友達に向ける明るい笑顔がいつか、僕にも向いたらいいのにって願っていた。でも……好きだった気持ちを、過去形にします。お姉さんを困らせたくないから。手をつないだり、好きだと言ったり、甘い言葉を囁いたり、キスを求めたりして、嫌われたくない。お姉さんが求めない限り、僕からはしません。……この意味、わかります?」

「えぇっと、つまり、私が求めればいいっていうこと?」

「そうです。お姉さんから求めてくれたら、僕はなんでもします。惚れ薬がまだ体内を巡っていますので」

「…………」


 ジュリシスが作ってくれた問題を解きながら、頭を巡らせる。

 試験は明日なのだから、余計なことを考えている余裕はないのだけれど、思考がジュリシスに流れてしまう。

 私は鉛筆を指で器用にくるくると回しながら、ついでに回転椅子もゆらゆらと揺らしながら、希望を口にする。


「だったら、可愛いぐらいは言ってもいいんじゃないかな? 可愛いって言われると嬉しいもん」


 ジュリシスの目が大きくなった。その目がゆっくりと細くなり、唇が綻んだ。


「いいですよ。言ってあげます。──可愛らしい僕のシュガープリンセス。僕の心を甘く溶かさないでください。キスしたくなる」


 すらりと長い綺麗な指が伸びてきて、私の唇を撫でた。

 その破壊力は抜群で、体内の血液が沸騰したのでは……と錯覚してしまうほど。


「きゃああああああーーーっ!! か、かか、可愛いって言うだけでいいから!! 余計な言葉が多すぎる!!」

「注文の多い人ですね。さてと、無駄話はこれくらいにして、本気出して勉強してください。時間がないです」


 私は悲鳴を上げたときに放りだしてしまった鉛筆を拾い上げると、生真面目な顔を作って問題と睨めっこをする。

 けれど頭の中は、ジュリシスでいっぱい。


(本当に可愛いって言ってくれた! 求めたらなんでもしてくれるって、本当みたい!!)

 

 魔法の杖を手に入れたような気分。これは使える! と、再び願いを口に乗せる。


「なんでもしてくれるんでしょう? だったら、私の代わりに試験を受けてよ」

「お姉さんって、おバカですね。外見のそっくりな双子じゃないんですから、バレますけど」

「くっ!」


 返す言葉もない。私は諦めて、勉強に取り組んだのだった。

 

 

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