第18話 惚れ薬、切れていません
振り返ると、占いの店の窓枠に黒猫セーラがちょこんと座っている。
「にゃ〜ん! にゃにゃにゃ」
「ジュリシスくん。セーラがお礼を言っているわ。いじめっ子たちに追いかけられていたのを助けてくれて、ありがとうって。セーラは、あなたにお礼がしたいそうよ」
「あ……もしかして、あのときの?」
ジュリシスには心当たりがあるらしい。切れ長の目が大きくなった。
「にゃおん! にゃおにゃお」
「セーラの占いによると、願いを叶えたかったら、駆け引きすることを覚えなさい。相手の反応をよく見ること。押したり引いたりして、相手の心を揺さぶりなさい。そうすれば、願いは叶う。気持ちが通じる日が必ず来る、だそうよ」
アメリアは、お茶目にウインクをした。真っ赤な唇が綺麗な弧を描く。
「私からも、アドバイスをあげるわ。相乗効果が高まった惚れ薬は、いつ効果がいつ切れるのか、誰にもわからない。だから、このまま突き進め。……賢い君なら、この意味わかるよね?」
「全然わからないです!!」
「あなたに言っていないわよ」
私は不機嫌に頬を膨らませると、アメリアとジュリシスを交互に見た。
アメリアの神秘的なアメシスト色の瞳と、ジュリシスの澄んだアイスブルーの瞳がかち合っている。
ジュリシスは、ペコリと頭を下げた。
「ありがとうございます。頑張ります!」
「私とセーラは、切ない恋をしている人の味方なの。困ったことがあったら、お店に来てね」
「はいはーい! 私、すっごく困っています! お店に入れてくださーい!!」
私は建物を回ると、占いの店のドアを引いた。開かない。押した。開かない。横に引いてみた。開かない。ドンドンと叩いた。反応がない。
「開けてくださーい!!」
「お姉さん、帰りますよ。試験は明日なんだから、今夜は徹夜覚悟で頑張りましょう。目指せ、四十点です」
「イヤだぁ! 落第ラインは三十点なのに、なんで四十点も取らないといけないわけ⁉︎ 意味がわからないんだけど!」
「三十点なんて、目をつぶっても取れる点数だからです。余裕すぎてつまらない」
「私が目をつぶったら、答案用紙から文字がはみ出るから! つまり、ゼロ点!」
「さすがはお姉さん。会話の無駄遣いにセンスが感じられます」
「褒められても、全然嬉しくなーい!!」
占いの店に入るのを諦め、だからといって家に帰って勉強をする気にはなれずに、店の前の階段に座り込む。
ジュリシスは仕方がないといった気だるい動作で、私の隣に座った。
「ねぇ、なんとなくなんだけど……。ジュリシスの雰囲気、元に戻った気がする。惚れ薬が切れたんじゃない?」
「切れていません」
「本当に?」
「本当です」
「嘘ついていないよね?」
「ついていません」
「白状するなら今だよ」
「疑り深いですね」
ひょいっと、ジュリシスの顔を覗き込む。ジュリシスはビクッと体を震わせると、慌てて身を引いた。
「前から思っていたのですが、お姉さんって距離感がおかしいですよね。距離計算の誤作動を起こしているんですか?」
「どういう意味?」
「記憶力の悪い人に説明しても、どうせ明日には忘れるでしょうから、話すだけ無駄です」
「ひっどーい!!」
「……駆け引きか……」
「ん?」
ジュリシスは片手で口を覆った。思わず心の声が漏れてしまった、そんな慌てた手つきだった。
「なに?」
「なんでもありません! それよりも、ウェルナー先輩に立ち向かってくれて、ありがとうございました。かっこよかったです。お姉さんが昔、助けてくれたときのことを思い出しました」
「それって、いつの話?」
「家族になる前です」
「すっごい昔! 覚えていないんだけど。私がジュリシスを助けたの?」
「そうです」
ジュリシスは姿勢を正し、顔を前に向けた。私も往来する人々に視線を移す。
食事の店に明かりが灯り、その明かりに吸い込まれるようにして、人々が店に入っていく。
どこの店から風が運んできたのか、焼けた肉のにおいが漂っている。
「友人が、犬に石を投げたんです。犬は怒って、僕らを追いかけてきた。友人はうまく逃げたのに、僕は逃げ切れなくて、犬に襲われそうになった。そこを、ルイーゼが助けてくれたんです。木の棒を必死に振って、犬を追い払ってくれた。ルイーゼは泣いていて、僕は、あぁ、この子は怖いのに僕を助けるために立ち向かってくれたんだと、感動した。犬が逃げた後、ルイーゼは自己紹介をした。何年生か聞かれて、僕は……一年生だと嘘をついた。本当は、ルイーゼと同じ二年生なのに、背が小さいのが恥ずかしかったんです。絶対に背が高くなる、強くなるって決めた。僕はルイーゼより身長は大きくなった。だけど、心は弱いままで……」
「ジュリシスは弱くないよ」
「慰めはいりません。ルイーゼから異性として見られないと振られて、心が折れた。自分の存在価値が薄らいでしまった。情けない話です」
「ごめんなさい。だって、私たち姉弟だもん。無理だよ」
「そうですね……」
慰めの言葉はいらないと拒否されたので、態度で。
階段の段差に置いてあるジュリシスの手に、自分の手を重ねる。末端が冷えがちな私とは違って、ジュリシスの手は指先まで温かい。
ジュリシスは前を向いたまま、話を続けた。
「僕は絶対に強くなる。全力で、運命を変えてみせる」
「えっとー……つまり、なに? 強くなって、犬に負けないぞって話?」
ジュリシスは鼻から息を抜くようにして笑うと、重なっていた手を外した。
「お姉さんは、読解力がないですからね。なんのために勉強をするのかわからないと言って、絵を描いてばかりいる。それが、こういうところで出るんです。勉強は必要です」
「もぉー、そういう真面目な話はいいよー」
お説教はうんざり。話を終わらせるために、立ち上がる。
ジュリシスも遅れて立つと、階段を降りた。私を見上げる、どこか寂しそうな瞳。
「ルイーゼの弟になれて良かった。毎日顔を合わせることができるのは、家族の特権ですね。だから僕はもう、好きだとか、可愛いとか、そういったことは言いません。ルイーゼに嫌われたくないから」
「嫌いになんて……」
「お姉さん、家に帰りましょう」
「う、うん……」
よくわからない感情が、心に流れてきた。
(好きだとか可愛いとか、言われてもいいんだけど……。嫌いになんてならないよ。むしろ……)
私たちは並んで歩く。夕方の風が肌を突き刺し、その冷たさのせいで気づいた。
ジュリシスと手をつないでいない。
そのことが不自然に感じてしまうほどに、私はジュリシスと手をつなぐことに慣れてしまっていたらしい。
ジュリシスの温かな手が懐かしい。熱が恋しい。
形容し難い感情が、心にさざ波を立ててくる。
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