第17話 アメリアに会えました

 試験前日の夕方。

 魚屋で買った青魚を手に、アメリアの占いの店とバーの間にある狭い通路を往復する。


「セーラ! セーラっ! 魚だよー。新鮮で美味しい魚だよー。おいでおいでー。困っているの。ものすっごく困っているの。助けて! 年度末試験が大ピンチ!! ジュリシスが勉強を教えてくれるんだけど、ものすごい張り切りようで、ついていけない。このままじゃ、脳みそが爆発しちゃう! 無理。限界。勉強しすぎて死にそう。助けて!!」

「ふふっ、勉強のできない子って大変ね。青魚って、脳を活性化させる働きがあるのよ。セーラにあげるんじゃなくて、あなたが食べたら?」


 鈴が鳴るような綺麗な声が、クスクスと笑い声をあげた。

 声のするほうを見ると、占いの店の窓が開いており、魔女アメリアが窓から顔を覗かせている。


「ア、ア、アア、アアア、アメリアぁぁぁーーーっ!!」


 思いがけないアメリアとの再会。

 玄関扉に向かおうとし、(いや、待てよ。中に入れるとは限らない!!)と思い直して、窓枠に手をかける。


「ここから入るの?」

「そうです!!」


 腕を伸ばして窓枠を掴む。肘を曲げて体を持ち上げようにも、懸垂三回という不名誉な記録を持つ腕では、爪先がちょっと地面から離れる程度。


「弟くんと仲良くしている?」

「はぁはぁ……はい。普通にやっています」

「普通じゃダメよ。イチャイチャしなさいよ」

「うぬぬ、無理です。だって、弟だもん」

「あなたって、変に常識人なのね。それとも、疎いのかな?」

「うぬぬぬぬーー!! ……はぁはぁ」

「初恋は実らないと言うけれど、若い頃の恋って不器用なものよね。昔が懐かしいわ。私もね、十代の頃……」


 アメリアは窓枠に片肘をつくと、遠い目をした。額に垂らしたアメシストが陽光にきらりと光る。

 私は窓から入るのを諦め、地面に座り込んだ。力みすぎた腕が悲鳴をあげている。


「はぁはぁ、アメリアの昔話はどうでもよくて、あの、試験も困っているのですが、惚れ薬!! 惚れ薬で困っているんです! 解毒薬をください!!」

「むっ! 昔話って、十代ってそんな昔じゃないわよ!」

「すみません! 訂正します。最近の話はどうでもよくて、解毒薬をください!!」


 昔が懐かしいわって言ったのは、アメリアなのに! 

 理不尽なものを感じながらも、すぐに訂正した。その甲斐あって、アメリアに笑顔が戻った。


「人の心を変える薬というのは、長くは効かないのよ。弟さん、近いうちに元に戻るわ」

「本当ですか⁉︎」

「実力のある魔女は嘘をつかないものよ」


 分厚い灰色の雲の隙間から、希望の光が降り注いだようだった。

 私は歓喜し、深々と頭を下げた。


「アメリアさん! ありがとうございます!!」

「そういえば、セーラから聞いたわ。惚れ薬を、口と皮膚。両方から体内に入れたんですってね。そういう人、初めてよ」

「それも聞きたかったんです! その場合、いつ薬が切れるんですか?」

「データがないからなんとも言えないわ。今日切れるかもしれないし、明日かもしれない。最悪、一生そのままっていうのもありえるかも?」

「やっぱり解毒薬くださーい!!」


 建物を回って玄関に向かおうとすると、ジュリシスがメイン通りに立っていた。

 冷ややかな風が建物の間の細い通路を抜けていき、私はブルっと身震いをした。

 両手を使って、目を擦る。


(あれ? なんだか違和感が……)


 目の前にいるのはジュリシスで間違いない。でも、なにかが違う。

 髪型は変わっていない。目も鼻も口も輪郭も体型も、同じ。なのに、なにかがおかしい。

 難しい間違い探しをしているような気分。


「お姉さんが帰ってこないから、逃亡したのかと思って、探しにきたんです」


 あれ? 声が少しおかしい。しかも、口調に毒が含まれている気がする。 

 違和感の正体に気づいて、ハッとする。

 惚れ薬のせいでジュリシスは、ミルクティーに蜂蜜をたっぷりと入れたような激甘になっていた。

 それが、甘さの足りないミルクティーになっている。

 落ち着いた声音。涼やかな眼差し。毒っ気のある言い方。以前のような拒む物腰ではないけれど、押し付けがましい甘さが感じられない。


「もしかして、惚れ薬が抜けた?」

「…………」

「ねぇ、どうなの?」

「……それは……」

「にゃん!」 


 背後で猫が鳴いた。


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