第二章 惚れ薬の相乗効果はおそろしい
第12話 三日目になりました
学校帰り。私はルンルンとスキップをしながら、鼻歌を口ずさむ。
魔女アメリアから惚れ薬をもらって、今日で三日目。ついに、薬の効果が切れる!!
お昼休みに、ジュリシスは体調が悪いと言って早退した。
これはズバリ、惚れ薬の効き目がなくなる前兆!!
私は勢いのままに、玄関ドアを開けた。
「ただいま〜! ジュリシスの具合はどう?」
返事がない。物音もしない。シーンと静まり返った我が家。
「お母さん? ジュリアーノ?」
居間を覗いたが、二人の姿はない。台所に行くと、テーブルの上に置き手紙があった。母の字だ。
『虫を取りに、公園に行ってきます』
ジュリアーノは最近、虫取りにハマっている。虫捕り網を持ってちょこちょこと走る様は可愛いし、捕まえた虫が蝶やトンボなら一緒になって喜んであげられる。けれど、カエルやヤモリは歓迎できない。
「この前のように、カエルを五匹も捕まえてきたら嫌だな」
手紙をテーブルに戻すと、二階に上がる。
「ただいまー。ジュリシス、具合はどう?」
物音がしないので、眠っているのかもしれない。
ジュリシスの部屋のドアをそっと開けると、案の定、ベッドが膨らんでいた。
ベッドに近づくと、ジュリシスは静かな寝息を立てていた。
「ふふっ、可愛い」
起きているときのジュリシスは知的な容姿と落ち着いた態度で、十六歳という年齢よりも上に見える。けれど、寝ている顔はあどけない少年そのもの。
枕の近くに腰をかける。ベッドが沈み、ギシッと音を立てた。
ジュリシスの閉じた瞼が、ピクっと動いた。
起こして悪かったな、と思ったものの、寝すぎると夜眠れなくなってしまう。起きたほうがいいと判断して、声をかける。
「ジュリシス、具合はどう?」
「んん……」
掠れた声が色っぽい。
ジュリシスの瞼が開き、ぼんやりとしたアイスブルーの瞳が私を捉えた。
「お姉さん?」
「体の調子はどう?」
「ああ……。大丈夫です。寝たらスッキリしました。寝不足が原因だったようです」
「遅くまで勉強していたの?」
「そうではなく、僕とお姉さんが結婚したらどんな感じなのか想像していたら、眠れなくなったんです」
「そんな想像、しなくていいから!」
「お姉さんとなら、楽しくて幸せな家庭を築ける自信がある」
惚れ薬効きすぎだよ、と呆れてしまう。それから、(あれ?)と不思議に思う。
(惚れ薬、まだ効いているの? 全然、薄れていない?)
ベッドに横たわったままのジュリシスを、まじまじと見つめる。
「お姉さん……そんなに熱心に見つめられると……」
寝起きでボーッとしていたジュリシスの瞳に、力強さが加わった。
ジュリシスは上半身を起こすと、私の両肩を掴んだ。
その途端。体が回転し、視界が回った。
「え?」
視界に先にあるのは、寝起きのせいで髪が乱れているジュリシス。
なぜか私は、ジュリシスに押し倒されている。
「あ、あの、これはどういう……」
「男の部屋に入ってくるなんて、無防備すぎます。襲われたいんですか?」
「私たち、姉弟だよね!!」
「そうですね。だからこそ、じゃれあいって必要ですよね。お姉さんは、ジュリアーノとよくじゃれあっていますよね。僕もお姉さんの上に乗ってもいいですよね?」
「いいわけないでしょー!! 三歳と十六歳は違うからっ!!」
のしかかってきたジュリシスの顎に、パンチを食らわす。
「ふぐっ!」
「行くよ!! アメリアに会わないとっ!!」
有無を言わせずにジュリシスの腕を掴み、家を飛び出す。
三日で薬が切れるからいいや、と生ぬるいことを考えていた私がバカだった。やはり、斧を使って扉をぶち破るべきだったのだ。
(いや、でも、斧を持って町中を歩いたら捕まるから!!)
隣にあるバーから、斧かノコギリを借りよう。あるといいけれど……。そんなことを考えながら、魔女アメリアの店に着いた。
「お姉さん、どうしたのですか? 鍵をかけずに外出するなんて。泥棒が入ったら、どうするんですか?」
「きゃあーっ!! お母さんに怒られるーー!!」
なんて日だ。今日で惚れ薬の効果が切れると、スキップしながら帰ってきたのが、遠い昔に思える。
「仕方がない。泥棒が入らないことを祈ろう」
私は気持ちを切り替えると、扉の上にある突き出し看板を見上げた。金色に輝く三日月のような瞳をした黒猫の絵。
アメリアの店で間違いない。
樫の木の扉をトントンと叩き、扉が押しても引いても開かないことにイラつき、今度はドンドンと叩いた。
「開けてくださーい! 開けないなら、消費者苦情センターにクレームを入れますよー!!」
「おや?」
隣にある寂れたバーから、見知ったおじさんが出てきた。
口のまわりに髭を生やしたこのおじさんは、以前「アメリアは気まぐれなんですよ」と教えてくれた人だ。
「あっ、ちょうどいいところに! 私、とっても困っているんです! どうしてもアメリアに会わないといけないんです。扉をぶち破りたいので、力を貸してくれませんか⁉︎」
おじさんは困ったように、顎をさすった。
「アメリアは旅行中です」
「旅行⁉︎ いつ帰ってくるんですか!!」
「さぁ、そこまでは聞いていないけれど……。一ヶ月後とか?」
目眩して、目の前が真っ暗になった。力が抜けてふらついた体を、ジュリシスが支えてくれた。
「お姉さん! 大丈夫ですか?」
「全然大丈夫じゃない。死んだ……」
「大丈夫です。脈はしっかりしています」
「脈の問題じゃない。心が死んだ」
おじさんはわたしの具合を心配して、バーに入れてくれた。
私はおじさんが出してくれたコップの水を勢いよく喉に流し込むと、カウンターに突っ伏した。
「わ〜ん! どうしたらいいのぉ!!」
「お姉さん……」
ジュリシスが同情のこもった手で、背中を撫でてくれる。
私はすすり泣き、それから顔を上げた。
「私は自分がバカだったと反省できるけれど、ジュリシスは違うよね。巻き込んでごめんね。責任は取るから」
「責任だなんて、そんな……。自分を責めないでください。お姉さんと仲良くなれて嬉しいです」
ジュリシスの発言も声も、表情も態度も、なにもかもが優しい。
それがかえって、自分の不甲斐なさに拍車をかける。止まったはずの涙が、またあふれだす。
「にゃお〜ん」
おじさんがくれたおしぼりで涙を拭いていると、どこかで猫が鳴いた。
「にゃんにゃん」
どこにいるのだろうとキョロキョロしていると、勝手口に向かっていたおじさんが振り返った。
「アメリアのところに来る猫なんですよ。お腹を空かせると、ここに来てね。食べ物があるのがわかっているんでしょうね。賢い猫ですよ」
「アメリアの猫ーーっ⁉︎」
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