第11話 甘えてみたいです
学校の帰り道。私はぐちぐちと文句を言い続ける。
「私の悪口を言ってもいいのは、僕だけっておかしくない⁉︎ 私、褒められて育つ子なんだけど!!」
「すみません。独占欲が暴走してしまいました」
「独占欲? 嫌いだから、悪口を言いたいだけなんでしょう!!」
「僕の場合は違います。本当に嫌いだったら、その人を心から締め出す。貴重な生命エネルギーを、悪口のために使いたくありません」
「だったら、今までどういうつもりで、私のことを悪く言っていたの?」
私は頬を膨らませ、ジトッとした目で睨みつける。怒っているのに、ジュリシスは相好を崩した。
「その顔です。柔らかいほっぺたをぷくっと膨らませて、上目遣いに僕を見てくるのが、たまらなく好きなんです。その顔を見たくて、つい意地悪なことを言って、怒らせたくなっちゃうんですよね」
「なにそれ! 意味不明!! もぉ、家族愛もほどほどにしてよね。リタに同情されちゃったよ。『ジュリシスって学友としては最高ですが、家族だと苦労しますね』って」
「僕もルイーゼと家族になったことで、いろいろと苦悩しています」
「それはすみませんでしたねぇ!!」
(なにが苦悩よっ! こっちだって、理屈屋の弟を持って苦悩してるわ!!)
ジュリシスのすらりとした指が伸びてきて、私の膨らんだ両頬を押した。口内に溜まっていた空気が、プスッと音を立てて抜ける。
「もぉ!!」
「可愛い」
「私、怒っているんだよ!!」
ジュリシスが楽しそうにクスクスと笑うものだから、怒っているのがバカらしくなってしまった。
ジュリシスの左目にかかっている、長い前髪を払う。
「惚れ薬って、案外いいかもね。ツンと澄ましているジュリシスよりも、笑っているジュリシスのほうが好きだよ」
「お姉さん……」
ジュリシスはアイスブルーの目を見張り、それから、はにかんだ。
「以前の僕は、どうせ恋人になれないんだから、嫌われたっていい。むしろ嫌なヤツになって、姉さんの恋をとことん邪魔しよう。絶対に結婚させないって、息巻いていました。でも、思ったんです。邪魔するのではなく、恋人になれる道を探ろうって」
「ん?」
「ん?」
なんだろう。噛み合っていないこの感じ。私たちは、なにかがすれ違っている。
「ねぇ、私のこと、本気で好きなわけじゃないよね? 難しい話を振ってきて、ズレた答えを言う私をバカにしているよね?」
「バカにするつもりはなくて、会話をしているだけなのですが……」
「会話っ⁉︎」
驚きすぎて、声が裏返ってしまった。
「あれって、会話なの⁉︎」
「あれというのは?」
「政治家の話とか、人権団体とか、司書の給料とか!」
「あぁ、それですか。話題となっている事象について語り合いたかったんです」
「ちょっと待って。整理させて。時事問題を語り合いたかったの? 私と?」
「そうです。社会テーマは小論文を書くのに役立つので、ルイーゼの勉強になると思って」
「ごめん! 語り合えない。無理!」
頭痛がしてきた。私たちは見事なまでにすれ違っていた。難しい話を振ってきたのは、ただ、語り合いたかっただけだなんて!
「ごめん。会話のレベルを下げてくれる? 勉強になる話よりも、疲れた脳がリラックスできる会話をしたい。お姉さんからのお願いです」
「わかりました」
惚れ薬効果で、ジュリシスは素直だ。これがずっと続いたらいいのに……って願ってしまう。
「これからは、気楽な会話を楽しもうね」
「はい!」
ジュリシスは気持ちのいい返事をし、それから、目元をうっすらと染めた。
「僕はルイーゼより五ヶ月年下であることが悔しくて、負けたくないって肩肘を張っていました。でもお姉さんって呼び始めたら、こういう関係もいいなって……。今から変なことを言いますけれど、否定しないって約束してくれますか?」
「わかった。いいよ」
ジュリシスの目元を染めている色合いが広がっていって、頬も耳も、ピンク色に染まった。
恥ずかしがっている様子は、十六歳の男子そのもの。胸がキュンとする。
ジュリシスは伏し目がちに、告白した。
「お姉さんに甘えてみたいです。なんて、ダメですよね……」
「きゃあーーっ!! いいよいいよ! たくさん甘えてっ!!」
自分より十センチ以上背の高いジュリシスに、ぴょんと抱きつく。
「どんなふうに甘えたい?」
「ジュリアーノに、おやすみなさいのキスをしていますよね。羨ましく思っていました。僕にも、キスしてほしいです」
「え? あ、そう……。そうなんだ……。ふぅん……わかった……」
毎晩。ジュリアーノのぷにぷにほっぺに、おやすみなさいのキスをしている。でもそれは三歳だからいいのであって、十六歳の弟にキスするのはなんか違う。
けれど、否定しないと約束したからには、受け入れざるをえない。
(困ったな。でも、惚れ薬が効いている間だけだから、まっ、いいか。惚れ薬、やっぱり三日で切れてほしい!!)
家が見えてきた。門の前にジュリアーノがいる。小石を道に擦らせて遊んでいる。
「ただいまー!」
「あっ! おねえたーん!!」
ジュリアーノは手に持っていた小石を放り投げると、一目散に走ってきた。勢いよく飛び込んできたジュリアーノを、脚で受け止める。
「あしょんで!」
「うん! なにして遊ぶ?」
「あなほり」
「いいよ」
三歳児の小さな手が、私の人差し指をぎゅっと握った。可愛いなぁ、とにこにこしていると、ふと寒気を感じた。
隣を見ると、ジュリシスがいない。
振り返ると、数歩遅れた場所で立ち止まっている。うつむいているので、表情はわからない。けれど、体の横につけた拳がふるふると震えている。
「どうしたの?」
「ジュリアーノと手をつないでいる。いいな、羨ましい……」
三歳の弟にしていることを羨ましく思うなんて……と考え、思い至った。
ジュリシスの父親は、ジュリシスが四歳のときに亡くなっている。母はすぐさま侍女として働き始めたそう。父の思い出は薄く、母のいない時間を多く過ごしたジュリシス。寂しかっただろうと思う。
私の母も早くに亡くなっているけれど、私には優しくて愛情深い乳母が側にいてくれた。
乳母が注いでくれた愛情を、ジュリシスにも分けてあげよう。
私は、左手をジュリシスに差し出した。
「おいで。こっちの手、空いているよ。手をつなごう」
顔をあげたジュリシス。ピンク色を超えて、真っ赤に染まっている。
ジュリシスはおずおずと近づいてきて、指を絡めてきた。私は、(恋人つなぎか……)と複雑に思いながらも、握り返した。
左手にはジュリシス。右手にはジュリアーノ。
どちらも大切な弟。私は世界一幸せな姉だ。
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