第7話 天使の戒めと悪魔の誘惑

 学校に着いた私はジュリシスに、「また家でね!」と手を振って別れた。

 私は芸術クラスで、ジュリシスは特進クラス。教室が離れているので、校内で会う機会は少ない。

 私は自分の教室に入ると、すぐさまミリアに話しかけた。


「おはよう! 魔女のお店、ひどかったんだけど!!」

「あ、やっぱり? でも、魔女に占ってもらう希少な経験ができて良かったでしょ」


 私に魔女の店を教えてくれたのは、クラスメートのミリア。

 ミリアのにやけた表情からするに、私が文句を言うのがわかっていたようだ。

 

「で、どんなふうにひどかったの?」


 興味津々といった態度で、ミリアが訊ねてきた。


 本当はなにもかも話したい。ジュリシスは眉目秀麗で、成績優秀。そつなくなんでもこなし、常に冷静沈着に構えている。女子生徒たちの告白を一蹴し、それでもしつこく迫る女子には、「君を好きになる理由が見つからない」と血も涙もないことを言ってのける男が──その男が、私に惚れているのだ!!


 ミリアには裁縫の才能があって、自分の作ったドレスを有名店に置いてもらっている。

 才能あふれるミリアと仲良くなりたい心理が働く。

 好奇心旺盛なミリアだったら「あのジュリシスに惚れ薬⁉︎ 最高に面白いじゃん! 詳しく聞かせて」と乗ってくれるだろう。

 しかし、私の中に住んでいる天使が「教師と生徒から一目置かれている優等生の弟を、笑いのネタにするのですか?」と戒めてくる。

 だが、悪魔も負けていない。「パーティー好きなミリアと、友達になれるチャンス! パーティーに誘ってもらえるかも!」と邪な考えで、弟を売るよう迫ってくる。


「うーん……」


 心を決められずにいると、ジュリシスの「弟として、お姉さんの身の安全を守ってもいいですか?」との家族愛にあふれた発言が脳裏を横切った。

 悪魔を振り払う。


「数学と外国語で、落第点を取るって。ひどい頭をしているって言われちゃった」

「あははっ! 最悪。ま、次の一年生と仲良くやりなさいよ。かっこいい男の子と同級生になれるよう、祈ってあげる」

「うん。ありがとう」


 ミリアは興味を失ったようで、教室に入ってきたばかりの男子に駆け寄った。


「おはよう! 明日のパーティーのことなんだけど……」


 オシャレで、大人っぽくて、おしゃべり上手なミリア。彼女は私の憧れで、入学したときからずっと、友達になりたいって思っていた。

 だけど……。


(ミリアは、私が進級しようが落第しようがどっちでもいいんだ……)


 寂しさと同時に、心が軽くなる。


「あやうく、姉失格になるところだった。危ない危ない。私も、弟の心の平和とプライドを守らなくっちゃね!」


 私とジュリシスは家族といってもそれは形ばかりで、他人のようだった。

 けれど惚れ薬をきっかけにして、形が変わりつつある。

 私は姉としての自覚をしっかりと持って、ジュリシスと関係を築いていこう。惚れ薬の効果が切れても、「お姉さん」と呼んでもらうために──。



 ◇◆◇◆



「お姉さん。隣に座ってもいいですか?」


 お昼休みの学食。パスタの乗ったトレーを持ったジュリシスが、私の座るテーブルに来た。

 私の真向かいに座っている友達のノーラが、「ひえっ!」と驚きの悲鳴をあげる。

 私は姉としての余裕ある微笑みで、ノーラに許可を求めた。


「長年のわだかまりが解けて、仲良くなったんだ。ジュリシスが一緒でも大丈夫?」

「もも、ももももも、もちろんっ!!」


 ノーラは声をひっくり返らせ、顔を真っ赤にして、何度も頷いた。それから丸眼鏡を外して、レンズを磨き始めた。

 ノーラが驚くのも無理はない。

 高等部に入学してもうすぐ一年になるというのに、私とジュリシスが会話をしたのは数回。

 私は当初、普通に話しかけていた。それがジュリシスの機嫌を損ねたようで、


「学校では話しかけてこないでください。僕も無視しますし、ルイーゼも僕を無視していいです」


 と、突き放してきた。


 おかげで私は生徒たちから、ジュリシスに無視されている姉、というありがたくないレッテルを貼られている。

 それなのに、ジュリシスの方から私に話しかけ、隣の席に座ったのだ。

 周囲にいる生徒たちはびっくり!!

 ポカンとした顔の大柄な男子生徒の口からハンバーグがポロリと落ち、水を飲もうとしていた眼鏡男子のコップからは水がこぼれ落ちている。


「お姉さんもミートソースパスタなんですね。気が合いますね」

「そうだね。これで夕食もミートソースパスタだったら笑えるね」

「お姉さんが言うと、本当になりそうで怖いです」

「もおっ!」


 ジュリシスの脇腹に拳をぐりぐりと押し当てると、ジュリシスはくすぐったそうに笑った。

 眼鏡を掛け直したばかりのノーラが、「笑った……幻覚⁉︎」と、また眼鏡を外してレンズを拭き始める。

 ジュリシスの純朴な笑顔に驚いたのは、ノーラだけではなかった。

 大柄な男子生徒は咀嚼していたハンバーグを吹き出し、眼鏡男子の顔にそのハンバーグのかけらが飛んだ。


 私は心の中で謝罪した。


(みんな、驚かせてごめん! でも三日後には元に戻っているから、安心して!)

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