第6話 お姉さんって呼んでもいいですか?
昨日までのジュリシスは私をまったく気にかけることなく、さっさと学校に行っていた。
そのジュリシスが、私の隣を歩いている。しかも歩調を私に合わせ、会話には毒がない。
私は嬉しくなって、小さな子供みたいに足取りを弾ませた。
「惚れ薬のせいでいろいろと困ることはあるけれど、ジュリシスと仲良くできるのは嬉しいな!」
「ルイーゼは、僕と仲良くしたいのですか?」
「うん! 一人っ子だし、いとこはみんな年上だし。妹か弟が欲しいって、神様にお願いをしていたんだ。私ね、ジュリシスに初めて会ったとき。本当に嬉しかったんだよ」
「すみませんでした。態度が悪かったですよね」
「どうして、最悪だなんて言ったの?」
以前。同じ質問をしたことがある。ジュリシスの答えは……
「無神経の世界代表とも言えるルイーゼの弟になるなんて、最悪という言葉以外見つからないです」
と、憎まれ口を叩いた。だから、またひどいことを言われるのだろうと身構える。
しかしジュリシスは、意外なことを口にした。
「僕にとっては、初対面ではなかったです。ルイーゼを知っていました。通学路ですれ違っていましたから」
「ええっ⁉︎ そうだったの⁉︎」
「はい。それなのに、『はじめまして』なんて挨拶をしてきたから、腹が立って。眼中になかったことを突きつけられたものだから、ひどいことを言ってしまった。すみませんでした」
「ううん! 謝らなくていいよ!」
ジュリシスが、「無神経の世界代表ルイーゼ」と悪態をついたワケが腑に落ちた。
私は両手を頬に当てると、恥ずかしさと後悔と情けなさが入り混じった声で謝罪した。
「原因は私にあったんだね。ぼうっと歩いていたせいだね。ごめんね。ジュリシスのほうがしっかりしている。誕生日が逆だったらよかったのに」
「父から、姉を支えてやってくれとお願いされています。ルイーゼの支えになれるのは嬉しいです」
ジュリシスの表情も声も言葉も雰囲気も、なにもかもが優しい。雪が溶けて、その下に咲いていた青色のスミレが現れたかのよう。
魔女アメリアめ、変な薬を寄越して! なんて怒っていたのに、その怒りは感謝へと変わった。
惚れ薬は、私たちの間にあったわだかまりを溶かし、家族としての絆を深めてくれた。
お礼に、アメリアにシフォンケーキを作って持っていこうかな。なんて考えていると、頬に当てている私の手を、一回り大きいジュリシスの手が包んだ。
「お姉さんって、呼んでもいいですか?」
「きゃあーーっ!! すっごく嬉しい! たくさん呼んで!!」
「では、たくさん呼ばせてもらいます」
アイスブルーの瞳が私を見つめ、私も弟を見上げた。交わったままの視線がこそばゆい。
「お姉さん」
「はい!」
「可愛すぎるお姉さん」
「可愛いだなんて、照れるー!」
「お姉さんの飴色の瞳は星が溶けたかのようにきらきらと輝いていて、僕の心を虜にする」
「褒め上手だね」
「お姉さん。大好きです」
「私も大好きだよ」
「本当ですか⁉︎」
「うん」
「両想いだなんて、これ以上の幸せはないです。結婚しましょう」
「うん……って、いやいやいやっ!!」
飛び跳ねるようにして下がり、ジュリシスの手から逃れる。ハカハカと上下する胸を押さえる。
「結婚はないっ! 私たち、家族だよ!!」
「ああ、そうでした。結婚するにはどうしたらいいでしょう?」
「結婚のことは忘れよう! 三日後には、殺意が湧くと思うから!」
ジュリシスは悲しそうに眉を下げたのち、瞳に怒りを宿した。
「お姉さんは三十秒前に、大好きだと言いましたよね? それなのに、結婚のことは忘れよう? ひどい人ですね。そうやっていつもいつも、僕の心を弄ぶ」
「そんなことしていない!」
「へぇー。自覚なしですか。悪女ですね」
優しかったジュリシスが、一変。背後にブリザードが吹き荒れているような、冷たくも恐ろしいオーラを放ちだした。
「僕の視界に入るのをやめてくれません? 可愛すぎてイライラする」
「なっ⁉︎ だったら、別な学校に行けばよかったじゃん! お父さんが全寮制の名門校を勧めたのに、断ったのはジュリシスだよ。頭がいいのに!」
「一つ屋根の下でルイーゼを観察する機会を、自ら手放すわけがない」
「そうやって観察して、私をバカにするんでしょう! 心を弄んで楽しんでいるのは、ジュリシスの方だよ!」
朝の通学路。道行く人々は関わりたくないとばかりに、私たちから距離をとって通り過ぎていく。
しかし赤ら顔の、朝まで酒を飲んでいました。これから家に帰るところです、といった風情のおじさんが寄ってきた。
「朝から痴話喧嘩かい? 若いっていうのは、元気があっていいねぇ。どれ、喧嘩の原因をおじさんに話してごらん。ん? 彼氏が浮気をしたのかい?」
「彼氏じゃありません! 弟です!!」
「ほぉー、弟さんかい。似ていないねぇ。弟は青いライオンって感じで、お嬢ちゃんは愛嬌のあるアライグマって感じだねぇ」
「ありがとうございます。アライグマ、可愛いから好きです」
変なおじさんが寄ってきたと顔を顰めていたけれど、意外といい人? 見る目ある? なんてニヤニヤしていると、ジュリシスに腕を掴まれた。
「学校に遅れます。行きましょう」
「おじさん、バイバーイ!」
「おぉっ! 弟と仲良くな!」
おじさんに手を振って別れ、顔を前方に向ける。
「いいおじさんだね」
「違います。あのおじさんは、アライグマの性格がお姉さんに似ているって言ったのです」
「そう? アライグマの性格って?」
「攻撃的で凶暴。野生の本能が強く、人に懐かない。また、病原菌を保有しているので注意が必要」
「ちょっと! 私を危険人物みたいに言わないで!」
ジュリシスの横腹に軽くパンチをすると、それまで不機嫌そうだったジュリシスの表情が和らいだ。
「お姉さんはお人好しだし、簡単に人を信用するから心配です。弟として、お姉さんの安全を守ってもいいですか?」
「安全? 別に危険なことなんて何もないけど……」
「いいえ。男という生き物を、お姉さんはまったくもってわかっていません。僕は、あのおじさんをいい人だとは思いません。節度ある飲み方ができないというのは、自分を律することのできない性格である証拠。カッとなったら手を上げるタイプです」
「そうかなぁ?」
「そもそも、青いライオンってなんですか? 僕の髪色から連想したのでしょうが、そんなライオン、地上に存在しませんから。酒が抜けていないのでしょうね」
「まぁ、そこは反論できない」
「お姉さんは素直ですよね。だから心配なんです。僕に守らせてください」
声をかけてきてくれたおじさんを、悪く思いたくない。けれど私には、魔女アメリアを信用して弟に惚れ薬をかけてしまった前科がある。
弟として守ってくれるぶんには、問題がないのかな?
そう考えて、「よろしくね!」と笑顔で答えたのだった。
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