第5話 惚れ薬継続中
チュンチュン……。
眩い太陽の日差しとともに、可愛らしい鳥の鳴き声が起床を促す。
私は瞼を開けると、寝返りを打ちながら「ふわぁ……」と、あくびをした。
それからむっくりと起き上がると、一階に降りていく。その階段の途中で、ジュリシスとすれ違う。
「おはよー」
「おはようございます」
──あれ?
ようやく動き出した頭が、(ジュリシス、普通だったよね? 惚れ薬って、夢だった?)と、昨日の出来事は夢だったのではないかと考える。
振り返ると、ジュリシスも五段上から私を見下ろしていた。長い睫毛をパチパチを瞬かせている。
「ルイーゼ……」
ジュリシスは不可解な問題を解くときのような難しい顔をして、胸に手を当てた。
「なんだろう、この胸の高鳴りは……。ルイーゼが愛らしいお姫様に見える。シュガープリンセスって呼んでもいい?」
「いやぁーーーーーッ!!」
夢ではなかった。魔女の惚れ薬は継続中。悪夢よりもタチが悪い。
朝食の席で、私は嘆いた。
「別に私は、シュガープリンセスって呼ばれてもいいよ。でも、後が怖い。惚れ薬の効果が切れたら、『腐ったさつまいも女』とか、『カビの生えたパン女』とか。ひどいあだ名をつけられそう」
「んー……」
父と母は困った顔をしただけで、否定しない。ジュリシスは私に甘い言葉を与えたことを恥じ、その反動で悪態をつくと、両親も思っているらしい。
惚れ薬の効果が切れると同時にその間の記憶がなくなればいいのだけれど、母が言うには、「エマは覚えていたから、ジュリシスも覚えているでしょうね」とのこと。
なんてひどい話だ。
口のまわりをオレンジの汁でベトベトにしているジュリアーノが、あどけない顔で叫んだ。
「シュガープリンシェス!」
「そうそう。私はお姫様なんだよ」
「どこのくにのおひめしゃま?」
「ジュリアーノに会いたくて、童話の世界から出てきたお姫様」
キャキャッと、無邪気な笑い声をあげるジュリアーノ。
ジュリアーノは三歳になったばかり。いたずらもするし、イヤイヤも多い。けれど、母方の祖母譲りの金髪の巻き毛をしており、薔薇色のほっぺたはぷっくり。この世に天使が降りてきたかのように可愛い。しかも、私に懐いている。
大好きなジュリアーノの食事の世話をしていると、視線を感じた。
ジュリシスがこちらを見ている。彼の力のない手からフォークが滑り落ち、皿に当たってカシャンと鋭い音をたてた。
「ひどい……」
「どうしたの?」
「僕がシュガープリンセスって呼んだら嫌がったのに、ジュリアーノには笑顔で返事をするなんて。ひどい。えこひいきだ……」
「あ、あのね、これはえこひいきじゃなくて、三日後のジュリシスのプライドを守るためにね……」
ジュリシスはテーブルに両肘をつくと、組んだ手に額を押し当てた。落ち込んでいるらしい。
「ルイーゼを愛する気持ちこそが、僕のプライド。つまり、僕がどの程度ルイーゼを愛しているか、試しているというわけですね?」
「全然ちがーう!!」
「僕の嫉妬心を煽って、どうしたいのですか? 郊外の別荘に監禁され、首輪を嵌められて、僕を愛するように躾をされたいとか?」
「お……」
私は悲鳴をあげることもできずに、椅子から転げ落ちた。
真っ白い天井を見上げながら、(絶対にアメリアに会う! 斧で扉をぶち破る!!)と物騒な決意をしたのだった。
いますぐにでも魔女の店に行きたいところだが、明日までに絵を仕上げないといけない。
私は美術部に所属している。コンクールに出品する油絵の締切は、明日まで。そういうわけで、学校を休むことはできない。
玄関に見送りに来た両親に念押しする。
「いい? 絶対に、ジュリシスを学校に来させないでよ」
「ええ。惚れ薬が切れるまでは、学校を休ませるわ」
「部屋にいるように、言ってある。父さんの言いつけを守る子だから、大丈夫だ」
「良かった。じゃ、行ってくるね!」
玄関の戸を開けると、ジュリアーノの甲高い笑い声が響いていた。庭で遊んでいるらしい。
ジュリアーノに行ってきますの挨拶をしようと、庭の片隅にある砂場に足を進める。
「ジュリアーノ。お姉ちゃん、学校に……」
「ルイーゼ、準備ができましたか? 学校に行きましょう」
「なんでジュリシスがいるの⁉︎ しかも、制服を着ている!!」
砂場で遊んでいるジュリアーノ。それを見守っているのは、制服をピシッと着こなしているジュリシス。
ジュリシスは不思議そうに瞬きをした。
「学校に行くのですから、制服を着ているのは当たり前でしょう?」
「休むんじゃないの⁉︎」
「両親からそう言われていますが、熱はないし、どこも悪くない。ズル休みはしたくありません」
「こういうところで真面目さを発揮しなくていいから! 心の状態はおかしいんだから、休みなよ!」
私とジュリシスの騒ぎ声が聞こえたらしく、両親が庭に回ってきた。
両親はジュリシスを説得したが、ジュリシスは頑なに拒んだ。
父は疲労の濃い顔で、ため息をついた。
「わかった。学校に行ってもいいが、その代わり、ルイーゼが困ることはするな。姉と弟という関係を飛び越えたら、明日からしばらく学校に行かせない。いいな?」
「わかりました」
同意したジュリシスに、私はホッと胸を撫で下ろした。
一度決めたことを覆さないジュリシスの頑固さは困ったものだけれど、約束事を守るという点では長所となりえる。
姉と弟の関係を飛び越えてくることはないだろう。多分。
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