第4話 魔女の惚れ薬

 魔女アメリアに会うことができずに、私は肩を落としてトボトボと家へと帰る。

 そんな私を、ジュリシスが慰めてくれる。


「能天気なルイーゼも素敵ですが、憂い顔も魅力的ですね」

「ねぇ、どうしちゃったの? 私のこと嫌っているのに、変だよ」

「嫌っている? 誰がですか?」

「君だよ! 今朝なんか、『パフェの夢を見たからって、にやけ顔を見せるのは暴力行為と等しいです。せめてもうちょっと、締まりのある顔になりませんか?』って。暴力行為ってなによ!!」

「ああ、そのことですか」


 夕方の風に、ジュリシスの長い前髪がサラサラと吹かれている。

 ジュリシスは足を止めると、遅れて立ち止まった私の鼻を、ちょんと突いた。


「ルイーゼは普通にしていても可愛いのに、警戒心ゼロの笑顔を見せるのは、暴力行為というもの。ぎりぎりの理性を保っている僕を困らせないでください」

「あわわっ⁉︎」


 私の手には負えない。緊急事態!!

 早足で家に帰ると、両親に泣きついた。



 父と母と私とジュリシスと、三歳の弟ジュリアーノ。居間に四人が集まり、緊急会議を開く。

 母の膝の上に座っているジュリアーノが、目をぱちくりとさせた。


「まじょのくちゅりって、おいちいの?」

「うん。甘い飲み物が嫌いな僕でも、美味しく感じた。もう一回飲んでもいいな」

「やめて! これ以上変にならないで!!」


 分厚い辞典を捲っていた父が、ため息とともに本を閉じた。


「魔女の薬について調べてみたが、煮つめた薬草に魔法の力が注入してあるそうだ。そういうわけで、魔女の薬を解毒するには、魔女が作った解毒薬でないとダメなようだ」

「そんなぁ! アメリアに会えなかったら、ジュリシスは一生このまま……」


 隣に座るジュリシスを見る。四人がけのソファーなのだから十分に広いのに、ジュリシスは真横に座って、私の髪をもてあそんでいる。


「ルイーゼ。半乾きの髪で寝るのは、やめてください」

「だって、ドライヤー嫌いなんだもん」

「僕が乾かしてあげる。だから、ルイーゼのミルクティー色の髪。僕のものにしてもいいよね?」

「意味がわかりませーん!! お母さん、助けてーっ!」


 私の髪をすくって、鼻に持っていったジュリシス。「この香りはダメだ。僕好みのシャンプーを使わせよう」などと、大きなひとりごとをこぼしている。

 娘から助けを求められた母は、長すぎる沈黙を終え、ようやく口を開いた。


「甘い香りと甘い味というのが、気になるのよね。もしかして……」

「なんでしゅか?」

「もしかしたら、惚れ薬かもしれない」

「惚れ薬っ⁉︎」


 小さな手で、母の頬をぴちぴちと叩くジュリアーノ。その手を母は包みながら、真面目な顔で言った。


「侍女仲間のエマが、話したことがあったの。以前勤めていた屋敷の女主人が、二十歳以上も年下の男を好きになってしまった。でも、若い男は女主人の好意に応えない。そこで女主人は魔女に大金を払って、惚れ薬を作らせたそうよ。エマは女主人に頼まれて、その惚れ薬をお酒に混ぜた。甘い香りがしたって。エマは気になって、ほんの少し、惚れ薬を舐めた。甘い味だったそうよ」

「えーーっ!! エマさん、すごい!」

「あの子は好奇心の塊だから。でもね、困ったことになったの」


 母は目を閉じて首を左右に振ると、再び目を開けて、呆れたように言った。


「エマもその男のことを好きになってしまったのよ。惚れ薬のせいでしょうね。それで、惚れ薬を混ぜたお酒を捨てて、なんでもないお酒を男に飲ませた。男は当然ながら、女主人に惚れなかった。女主人は魔女に騙されたとカンカンに怒ったらしいわ」

「それでどうなった⁉︎」


 父が話に食いついた。私も興味津々に身を乗りだす。


「エマは男に猛アプローチをして、二人は結婚したの」

「エマさん、やるぅー!」

「エマって、あの子だろう? でも、独身じゃ……」


 父は首を傾げた。母が深く頷く。


「そうなの。結婚生活は、一年ほどで終わった。エマが言うには、男に惚れていた期間は三日。でもその三日間で男と付き合い始めたから、惰性で結婚したそうよ」

「三日っ!!」


 私と父は当時に叫ぶと、ジュリシスを見た。

 ジュリシスはなにを勘違いしたのか、膝をポンポンと叩いた。


「母の膝に座る、ジュリアーノが羨ましいのですか? それなら、僕の膝に座ってもいいですよ」

「ぶはっ! 変なことを言うのはやめて!!」


 ジュリシスは今まで、虫ケラを見るような冷たい目で私を見ていた。話すのは意地悪なことばかり。

 そんなジュリシスが、蜂蜜がとろけたような甘い瞳で私を見ている。私の髪を触る手つきは優しい。

 けれどこれは、私の望むものではない。私は楽しく話せる弟が欲しいのであって、弟といちゃつきたいわけではない。


「ジュリシス、ごめんね。惚れ薬の効果が切れたら、私に甘い言葉を使ったこと、後悔するね」

「後悔ならいいが、自己嫌悪でルイーゼに八つ当たりしそうだ」

「ありえるー!!」

 

 父の言葉におののいていると、ジュリシスは私の頬を両手で包んだ。その状態のまま、コツンと額をぶつけてきた。

 ジュリシスの高い鼻が私の鼻の頭に当たり、ジュリシスの吐息が私の皮膚を掠める。


「後悔なら、とっくにしています。ルイーゼを好ましく思っているのに、冷たい態度をとってしまった……」

「近い近いっ!!」


 少しでも間違えたら唇が触れてしまう距離に、私は上体をのけぞらせた。

 ソファーから飛び跳ねて、父の背中に避難する。


「三日もこんな状態なの⁉︎ 心臓が破裂しちゃう!」

「ジュリシス、適切な距離を保ちなさい!! 姉と弟なんだから!!」

「すみません」


 父に叱られて、ジュリシスは素直に謝った。


 グロリス学園一の美少女リタに言い寄られても、ジュリシスは眉ひとつ動かさない。氷の貴公子というあだ名にふさわしい冷たさで、あしらっている。

 それなのに、姉に愛を囁くようになるとは……。魔女の惚れ薬の効果は、すさまじい。


 

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