第3話 弟が変になっちゃった!
「持っているだけで進級できるなんて、どういうこと? ジュリシスに魔法がかかって、勉強を教えてくれるとか?」
魔女の店を出た私は、まっすぐに家に帰ることにした。
歩いてみてわかったのだけれど、小瓶の蓋が不安定。蓋を回して開閉するタイプではなく、瓶口に嵌めるだけの簡易式。
ポケットの中で横に倒れたら、蓋が外れてしまいそう。
「家に帰ったら、蓋をシールで留めよう」
小瓶を手に持って歩いていると、本屋のドアが開いた。中から出てきたのは、弟ジュリシス。
「あ、ジュリシス! 本屋に行ってたんだ」
ジュリシスは流し目でチラッと私を見ると、表情を変えることなく歩きだした。
私は駆け足で追いつくと、無愛想な弟を見上げる。
「無視しないでよ!」
「本屋から出てきたのに、本屋に行っていたんだという、知能指数の低い質問に答えるのがバカらしくて、つい」
「会話! 会話を楽しもうよ!!」
「楽しい会話ならいいですけれど、質の悪い会話をするのは時間の無駄です」
ジュリシスと家族になって五年。生意気さが増している。
それでも私は諦めずに、会話を試みる。
「なんの本を買ったの?」
「題名が見えませんか? マヌケな質問をしないでください」
「会話を潰す天才だな、君は!」
ジュリシスが右手に持っている本の題名は、『王国における資本論』
私なら絶対に手に取らない本だ。超絶つまらなそう。
ジュリシスは綺麗な顔にうっすらと笑みを浮かべると、本を私の目の前に掲げた。
「僕もたまには素直になって、会話を楽しみたいと思います。ルイーゼは、マザロンが提唱した経済復活という名の資本主義が格差を引き起こし、その格差を埋めるべく、資本を分配しようと改革を推し進めている昨今の政治について、どう考えますか?」
「……いいと思います」
「いいというのは? どの点を評価して、そのような感想を? 具体的に述べてください」
なにが「たまには素直になって、会話を楽しみたい」なのよ! こんなの、ただの嫌がらせじゃん!!
ジュリシスの成績は、不動の学年トップ。勉強が苦手な私は、下から数えたほうが早い。
私が答えられないことをわかったうえでの質問に、ムカっとくる。
「楽しい会話って、そういうことじゃないの!!」
思わず、振り回してしまった手。
瓶の蓋が外れ、中に入っていた液体がジュリシスの顔にかかってしまった。
甘い花の香りが漂う。瓶の蓋が、コロンと音を立てて道に落ちた。
「ご、ごめんっ!! つい、うっかり……!!」
ジュリシスのなめらかな肌を流れ落ちる、透明な液体。
ジュリシスはなにが起こったかわからないようで、呆然と固まっている。
私は急いでハンカチを取り出すと、弟の顔を拭こうと腕を伸ばした。その手首を、ジュリシスに掴まれる。
「甘い……」
「う、うん。甘い香りがするね」
「甘い味……」
「味っ⁉︎」
ジュリシスは唇を舐めると、「やっぱり甘い……」と陶酔しているような色気ある声でつぶやいた。
「舐めないほうがいいよ! 魔女からもらった薬だから!!」
「どうしてルイーゼは、僕の心を乱すのです?」
「あのね! 説明させて。再来週のテストのことが心配で、魔女の店に行ったの。同じクラスの子が教えてくれてね。あやしいお店じゃないと思う、多分。でね、魔女が進級できる薬をくれたの。飲む必要はないって言われたんだけど……手に持っていることを忘れて、うっかりと……ごめん!!」
ジュリシスの濡れた顔を拭こうにも、手首を掴まれてしまって、自由に動かせない。
ジュリシスは、ぼうっとした目をしている。その目が次第に熱を帯び、私に注がれる。
サラサラの青髪から滴り落ちる液体が顔を伝っていくのが、艶っぽい。
「綺麗だ、美しい……」
「うん。ジュリシスは綺麗だよね。みんなが、青の貴公子とか、氷の王子様とか、あだ名をつけているもんね」
「くだらない。あだ名をつけるんだったら……」
ジュリシスは私の手首を引き寄せると、私の手のひらに濡れた唇を押し当てた。
「ルイーゼに恋している男って、呼んだらいい」
「ぎゃああああああーーーーっ!!」
道行く人が驚いた顔をするほどの悲鳴をあげてしまった。
私は顔の筋肉を総動員してヘラヘラと笑いながら、「なんでもないですー。私の弟がちょっと……」と誤魔化し笑いをしながら、道を引き返す。
「どこに行くのですか? 愛しのルイーゼ」
「どうしよう! ジュリシスが変になっちゃった!!」
「ルイーゼをひと目見たときから、変になっています」
「これ、進級できる薬じゃないよね? アメリア、間違えた?」
「ルイーゼが姉であることが間違い。僕の結婚相手になるべきだ」
「どうしようどうしよう。ジュリシスが変なことを言っている。アホになる薬?」
「頭の悪いルイーゼと会話を成立させるためなら、僕は知性を手放しても惜しみはしない」
人が変わってしまったジュリシスを引っ張りながら──正確に言うなら、私の手首を掴んだままのジュリシスを引っ張りながら、私は魔女の店へと戻った。
金色に輝く瞳をした黒猫が描いてある、突き出し看板。
その店の扉を引いて、私は戸惑った。
「開かない。押すんだっけ?」
押しても引いても、扉は頑として動かない。
困っていると、隣のバーから黒服の男性が出てきた。目が合う。
「あの! このお店に用があるんですが、開かなくて……」
「休みじゃないですか?」
「でも、さっきここに来たんです。そのときは入れました」
「あぁ」
口のまわりに髭を生やした男性は、おかしそうに笑った。
「アメリアは気まぐれなんですよ。魔女の能力っていうのかな? 俺にはわからないけれど、何かを感知して、客を店に入れたり拒んだりする。今は、お嬢ちゃんと話したくないんじゃないかな」
「そんなの困りますっ!!」
なんていう気まぐれ魔女!!
「あやしい薬を渡しておいて、逃げるなんて! 開けてくださーい!!」
ドンドンと扉を叩く。けれど、扉は開かない。
私は途方に暮れ、店の玄関前にある石の階段に座った。ジュリシスも隣に座る。
「手を離して。顔を拭いてあげる」
ジュリシスはようやく、私の手首を離してくれた。手に持っていたハンカチでジュリシスの顔を拭く。
液体は浸透してしまっていて、もう濡れていなかった。
「ごめんね。私のせいで、こんなことになっちゃって。魔女を信用するんじゃなかった」
「気にしないで。ドジでお人好しのルイーゼが好きだから」
ジュリシスは、怜悧な美貌にふわりと笑顔を乗せた。
やっぱりおかしい。今までだったら、
「ルイーゼはドジでお人好し。儲け話や投資のカモにされたり、借金の保証人にされて借金取りに追われるでしょうね。お金に困っても、僕は一ルピリも貸しませんから」
または、
「ルイーゼはドジでお人好し。それなのに、無駄に顔がいい。悪い男に騙されて、ひどい人生を送りそうですよね。どんな男と付き合おうが関係ありませんが、僕の人生に悪影響を及ぼすことはしないでください。ルイーゼと家族になった時点で、すでに悪影響は出ていますが」
と、冷たく突き放していたのに……。
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