エリスという娘 下

「これは、これは、エリス殿。

 ありがたく、汗を流させて頂いています」


 サウナへ入ってきたエリスに、シグルーンが朗らかな顔で答える。


「あたしも、堪能させてもらっているわ。

 何というか、こう……体がすごく上機嫌な感じになるわよね!

 冷たい状態から、熱々のサウナへとぶち込まれると」


「あ、はは……。

 普通、その状態には凍死寸前のところからではなく、水風呂で体を冷やして至るんですけどね……」


 何をやらせてもぶっ飛んでいるバカエルフの言葉に、苦笑しながら答える黒髪の女は――美しい。

 そう、女性として美しいのである。


 同じく黒髪で顔が整った身でありながら、ギンよりなお貧相な体付きな上、知性の欠片も感じないレフィがいるおかげで、それが尚のこと際立つ。


 体付きは、完璧の一言。

 シグルーンのように、上下共、下品にバルンバルンしまくっているわけではない。

 そう……あと五年くらいしたらギンが至ることになるだろう、豊満さと形の美しさを兼ね備えたそれであった。

 顔立ちも、眼鏡をかけていた時点で知的さを感じる美人だったのだから、これが裸眼となって、魅力を損なうはずもない。

 漂う品性と知性はそのままに……。

 貞淑さまでも備わった、パーフェクトな美女がそこにいるのだ。


 ハッキリ言おう。

 すごく……ものすごく、男受けしそうな美人である。

 現に、あの時……。

 ヨウツーは、まるで初恋をする少年のような眼差しで……。


「あの、どうかされましたか?」


「――ッ!?」


 ここまで接近されて気付かないなど、いつ以来の不覚だろう。

 気がつけば、自分の間近に目をすぼめたエリスの顔があった。

 そのようにしているのは、視力の低さが原因であるに違いない。


「ああ! いえ!

 ただ、気持ち良いなーと!」


 何故、自分はこうも慌てているのだろう?

 ともかく、ギンはわたわたと手を動かしながらそう答える。


「ふふっ……。

 当家自慢のサウナをお楽しみ頂けて、幸いです。

 それにしても、意外でした」


「意外とは、何がですか?」


「Sランク冒険者ともなれば、様々な危険へ身を置く職業……。

 サウナごときでは、汗の一滴もかかないのではないかと、心配していましたので」


 シグルーンの言葉に……。

 エリスが、さらりと答えた。

 が、この程度のことに動じるギンたちではない。

 何しろ、自分たちはSランク冒険者……。

 その名も顔も、大いに売れている身の上だからだ。


「あら? 気付いていたの?」


 その証拠に、さして意外でもなさそうな様子で、レフィが尋ねる。


「ええ……。

 他の方々はヨウツー様から聞いた名前で確信しましたが、あなたを見れば一目で分かります。

 エルフとしては珍しい黒髪で、大変に美しく……」


「ふふん、そうでしょう。そうでしょう。

 褒めて! もっとあたしを褒めて!」


 エリスに言われ、レフィの鼻が天狗のごとく高くなっていく。

 このままいけば、種族的特徴である耳の長さを超えるのは確実と思われたが……。


「……魔術を使わせれば確実にブッパし、いちいち予想外の騒動を巻き起こす。

 それこそが、Sランクのエルフ魔術師レフィであると聞いています。

 やっぱり、予想が当たっていたのですね」


 高くなっていた鼻は、ポッキリと折れた。


「あい……そうです……。

 あたしが、まるでダメなエルフ――マダエこと、レフィです」


 すっかり、しょげかえってしまったマダエだ。どうでもいいが、略称を付けるセンスすらない。


「それと、すぐに気付いたと言えば、そちらのギンちゃんにも気付きました」


「……まあ、わたしは特に目立ちますからね」


 何しろ、普段から目立って仕方のない忍び装束を着用しているギンであり、その辺りは自覚している。

 子供の獣人で、銀髪で、忍者。

 この特徴を列挙すれば、人々がSランク冒険者ギンの名を想起することは容易い。


 だから、自分がSランク冒険者へすぐ気付くこと自体は、何も不思議がないし、不都合でもないのだが……。

 この女性に指摘されてしまうと、無性に不愉快なのは、気のせいではあるまい。


「となると、私のことも察しがついておられるな?

 そう、私は聖騎――」


「――お尻好きのシグルーン様ですよね!

 もちろん、そのご高名は魔術都市にも轟いております」


「絶対に轟いて欲しくない異名が轟いてるっ!?」


 人の噂に戸は立てられず、有名人の噂話ほど、距離というものを隔たぬもの……。

 もはや、生涯をお尻好きの聖騎士として生きていく他にないだろう女が頭を抱えていると、エリスがサウナの隅へと歩みを勧めた。


 そこには、このサウナの心臓部といえる石窯のストーブが設置されており……。

 傍らには、何か水の入った桶とひしゃくとが置かれている。

 そして、エリスはこちらを振り返りながら、こう提案したのだ。


「Sランク冒険者と言えど、私たちと同じように汗をかくものだということは分かりましたが……。

 それでも、皆様このくらいの熱では、まだまだ余裕がおありの様子。

 せっかくですので、さらに蒸気を足してみるのはいかがでしょう?

 香油入りの水をかけることで、香りを楽しむこともできますよ」


「ほう? それは面白い。

 確かに、もう少し熱気があってもよいと思っていたところです」


 切り替えの早さこそ、心の強さの秘密か……。

 豊満な胸を押さえつけるように腕組みしたシグルーンが、不敵な笑みと共にうなずく。


「あら、いいわね。

 確かに、熱でツンとしていたし、汗の匂いばかりが目立って、鼻にはあまりよくないと思っていたわ。

 是非、お願いしたいわね」


 同じく不敵な笑みを浮かべて、レフィが胸を……。

 ……ないものは押さえつけようもないので、普通に腕組みしながら言い放った。

 お尻好きの聖騎士とマダエ……。

 両者の視線が、交差する。

 これは、間違いない……。


「……何で、人はサウナに入ると我慢勝負をしたがるんでしょうね?

 まあ、わたしとしても、特に反対する気はないです」


「「「私たちは、退散させて頂きますー」」」


 ややあきれ顔となりながらギンが同意すると同時に、我慢の限界を迎えたアイサたちがサウナの外へと出て行った。

 これにて、残ったのは蒸気足しに合意した者のみである。


「では、失礼しますね……」


 タオルが落ちないよう、片手で押さえる姿もどこか艶めかしい……。

 残る片手で、エリスが香油水入りのひしゃくを持ち上げようとしたが……。


「あっ……」


 手を滑らせたか、そのひしゃくを取り落としてしまう。


「あら、おっちょこちょいね」


 それを見て、レフィは能天気にそんなことを言ったが……。

 ギンと、そしてシグルーンの方は、ひしゃくを手にした彼女の小指が震えていることに気付いたのである。

 しかも、よくよく見れば、タオルを押さえている方の手も、小指は力が入っていないかのごとく、不自然に伸びているのだ。


「エリス殿、その小指……」


「見たところ、力が入っていないようですが?」


「あ、はは……。

 実は、生まれついて小指に力が入らないのです。

 この街には知識神へ仕える聖職者も多いのですが、こればかりは治すことができませんでした。

 でも――」


 と、そこで彼女が人差し指を持ち上げると、ひしゃくが浮き上がり、人の手でそうされているかのように水を汲み取った。

 物を操る魔術である。


「こうすれば、補えますから」


 にこりとほほ笑んだ彼女の背後で、ひしゃくがストーブに水をかけていく……。

 サウナの中へ、香り高き蒸気が充満する中……。


(何か……面白くない……)


 ギンの中にあった不快感は、ますますその存在を大きくしていったのであった。




--




 ※注釈。

 勘違いする方が多そうなので書いておきますが、ヨウツーは(戦闘者として致命的な弱点であることもあって)小指に関して完璧に隠しています。

 そのため、仲間たちは彼の小指について知りません。

 まあ、ギンの反応は本能的なものです。

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