ジン

 今頃、アランは男性用のサウナでくつろいでいる頃だろうか……。

 通された応接間のソファに腰かけながら、ヨウツーはぼんやりとそんなことを考えていた。

 ギーツ家の家来が魔術で冷やしていった空間は、冷却魔術で満たしたローブがなくとも、涼しく、快適であり……。

 来客に対し家の力を見せつけるべく飾り付けられた調度の数々は、少しばかり、かつてと色合いを変えているように思える。

 おそらくは、代替わりしてから、少しずつ自分好みの品を加えたに違いない。


 それにしても居心地が悪いのは、わざわざ自分と顔見知りの老執事に対応をさせていることで、つまみや果実をテーブル上に並べる彼との間に立ち込める空気は、刺客を相手取るよりも緊張感がある。

 もし、自分と奴との関係がもう少し良好なものだったなら、あれから家来の筆頭にまで出世したのかと、気軽に話しかけることもできたのだが……。


 そんなことを考えていると、だ。

 応接間の扉が開かれ、ついに屋敷の主が姿を現した。


「よう、待たせたな。

 だが、これでも急いだ方であることは、理解しろ。

 ばかりか、お前のために、この後予定していた会食まで不意にしている」


 そう言いながら入室してきた男は、ヨウツーとほぼ同年代の魔術師である。

 だが、単なる魔術師ではない。

 身にまとう衣服は、マント風のローブを含めて、汚れなき純白であり……。

 これは、この魔術都市において、ある地位へ就いている者にしか許されない格好であった。

 十指には、いずれも指輪がはめられており……。

 これらは、見るだけでヨウツーの胸を締め付ける結婚指輪以外、いずれも魔法の品であると見受けられる。


 上品な中にも、強大な魔術の匂いを漂わせる出で立ち……。

 この格好をした者に対し、魔術都市の人々は尊敬と畏怖の念を込め、こう呼ぶのだ。


「……魔術公ともなれば、多忙であるのは当然だ。

 むしろ、俺ごときのために、よく時間を作ろうと思ったな? ジンよ?」


 当代の魔術公――ジン・ガオシ・ギーツに対し、ヨウツーはあえて砕けた態度でそう言い放った。


「抜かせ。

 俺は、今日この日がくることを、ずっと待ち続けていたのだ」


 そう言いながら、幼馴染みである男が、どかりと対面のソファに座る。

 こちらがそうであるように、全体的に、当時のまま年輪を重ねた顔立ちとなっているが……。

 髪の一部を青く染め上げているのは、少し洒落っ気を覚えたのか、あるいは白髪を隠そうとしているのかもしれない。


「俺の方は、いつ頃からか、この日がこないことを願うようになっていたよ」


「それが、便りの一つも寄越さなかった理由か?

 で、ネーアン殿にケツを叩かれて、ようやく帰郷する気になったと。

 その様子だと……ああ、いや。

 お前は下がっていろ」


 言い淀んだジンが、飲み物の用意をしていた老執事に命じると、彼が退出していく。

 これで、室内はジンとヨウツーの二人きりとなり……。

 ようやく、幼馴染みが続く言葉を口にしたのである。


「その様子だと、まだ小指の呪いは解けていないようだな?」


 言いながら、ジンが氷の入ったグラスに蒸留酒を注いでいく。

 そして、それをヨウツーに差し出した。


「ああ、色々と試した。

 力ある聖職者の解呪やら、迷宮から発見された宝物やらな。

 だが、いずれも効果はなかったよ」


 答えたヨウツーの小指は、もはや呼吸をするように扱える吸着の魔術によって、ぴたりとグラスに貼り付いている。

 最初から疑いの目を持ち、よほど注意深く観察しない限り、この小指に力が入らないことは見抜けないはずだ。


「守護剣の一族――ロウクー家の子孫に降りかかるゴヒ民族の呪いか……。

 どれだけ剣才に恵まれようと、握力が死んでいるのではな。

 お前、その呪いさえなければ、冒険者としてもSランクになっていたのではないか?」


「呪いがなかったのなら、そもそも、冒険者にはなっていないさ」


「違いない。

 今頃は、俺の護衛を務めていたはずだ。

 それが、守護剣の役目だからな」


 カラリという音と共にグラスをくゆらせながら、ジンが笑う。


「なあ、ヨミ――弟たちは、今どうなっている?」


「それなりに稼いで、それなりに食っている。

 そちらに関しては、自分で会って直接聞け。

 俺の方は、お前の実家と折り合いが悪い」


「ふうん……」


 自分に対してはまだしも、弟たちに対してまで距離を置いているというのは、理由がよく分からなかったが……。

 直接聞けというのはその通りなので、曖昧にうなずく。

 ひとまず、この男がそれなりに食っているというのならば、それは間違いあるまい。

 旅立つ前に、保険として弟へ料理を叩き込み、料理屋を開かせておいたのが役に立ったのだろう。


「なら……。

 ソニアはどうしている?」


 他に、聞くこともなく……。

 とうとう、ヨウツーはその話題を切り出した。


「何だ? 聞いてないのか?

 お前のことだから、ここに関する噂話は集めていると思ったんだがな。

 まあ、魔術公である俺本人に関してならともかく、何の権限もない妻のこととなると、そうそう街の外にまで出回らんか」


 この男にしては極めて珍しい、目を伏せながらの言葉……。

 その態度に、言い知れない不安を抱いてしまう。

 果たして、続いて吐き出されたのは、ヨウツーが直感した通りの言葉だったのだ。


「妻は……ソニアは、随分と前に、な……。

 そういった体質というのも、あるが……。

 運命というものかもしれん。

 それで、今はいない」


 その言葉は、言外に彼女が死んだことを告げていた。


「そうか……」


 望んでいた再会だったのかは、分からない。

 もしかしたら、望んでいない再会だったのかもしれない。

 しかし、心に穿たれたどうしようもない空虚感だけは確かなもので、ヨウツーはがっくりと背もたれにもたれかかった。

 あまり変な姿勢を取ると腰が痛むのだが、今ばかりは、そんなことも言っていられない。


「もし、あいつがお前に会ったら、喜んだだろうがな……。

 いや、怒るか。

 お前は、俺たちの結婚式に来なかったのだから」


「当時、俺は外洋にいた。

 海を隔てた大陸の遺跡に、強力な解呪の道具があったと聞いてな。

 まあ、ガセネタを掴まされたわけだし、道中は壊血病に悩まされるわ、反乱騒ぎが起こるわで散々だったがな」


「いい気味だ」


 グラスを掲げながら、ジンがおかしそうに笑う。


「で、だ。

 ネーアン殿から、お前に課せられた使命は聞いているな?」


「あの爺さんの名代となって、魔術公選定の儀に加われってんだろう?

 お前、まだまだ元気だろうに」


「元気な内に、後継者は指名せねばならん。

 で、厳正なる話し合いの末、候補はすでに三名まで絞られている。

 一人は、タイクン家の跡取りだ」


「まあ、妥当だな」


 タイクン家といえば、このギーツ家にも引けを取らない名家だ。候補を輩出したとしても、不思議はない。


「残りも妥当だぞ?

 後の二名は、俺の娘たちだからな」


「あのエリスという娘か?

 ……母親を嫌でも思い出すよ」


「あのエリスもだ。

 そもそも、子供は娘が二人だけだからな。

 もう一人の方は、どちらかというと父親似だな。

 そろそろ、お前のお仲間もサウナから出てくるだろう。

 顔合わせと、事情の説明といこうか」


 言いながら、ジンがグラスの中身を飲み干す。

 二人だけでの話は、終わりということだ。


「おい。

 他の冒険者方を、ここへお通ししろ」


 ヨウツーも飲み干したのを見届けて、ジンが扉の向こうに呼びかけた。



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