魔術都市イーアン

「まさか、お主とこうして酒を酌み交わす時がくるとはのう。

 最近は、年を取ることに悲しみしか抱かなくなっていたが、たまには、良いこともあるものよ」


 閉店後のカウンター……。

 蒸留酒に浮かんだ氷を揺らしながら、ネーアンがそうつぶやいた。


「一体、どういう腹積もりなんですか?

 普通に考えて、魔術公選定の儀にあなたがいないなど、あり得ない。

 そもそも、周囲がそれを許さないはずだ」


「そこは、許させたのだよ。

 今となっては、わしが五賢人で一番の古株……。

 老人にあーだこーだと言われるのを好まないのは、何もお主に限った話ではないということだ」


「こんなきつい酒を好んで飲んでおきながら、爺さん気取りですか。

 で、俺を名代として選んだのは?

 これに関しても、出来損ないの上に長々と故郷を空けている人間に任せると言って、よく通りましたね?」


 師と同じ酒を煽りながら、そう尋ねる。

 ドワーフの酒造で作られるこの酒は、まさしく、火酒という言葉が相応しい。

 苦みの中に蜂蜜がごとき甘さを秘めた酒は、舐めると、喉の奥からカッと熱を放ち始め、体に熱を与えるのだ。

 師が好んでいたこの酒を仕入れていたのは、ヨウツー自身にも分からぬ心の働きによるものだろう。


「そこは、お主の親族にも力添えしてもらってな。

 他の賢人たちはいい顔をしなかったが、まあ、納得しておったよ」


「それはつまり、向こうで俺が針のむしろになるということではありませんか。

 やれやれ……どうして、そこまであの地に行かせようというのか」


「行けば分かる。

 行かねば分からぬまま生を終え、あの世で後悔することだろう」


 涼し気な顔でグラスを傾け、答えるネーアンだ。

 ただ、この師がそうまで言うからには、何か自分にとって避けてはならない事柄が待ち受けているに違いない。


「やれやれだ……」


 これ以上、与えてくれる情報はあるまい。

 観念したヨウツーは、久方ぶりに会う師との酒を楽しむことに専念したのであった。




--




 ――魔術都市イーアン。


 その名に違わず、大陸で最も魔術と学問の盛んな都市である。

 立ち位置としては、ザドント公国に近い。

 しかし、かの公国と大きく異なるのが、ザネハ王国との間に交わした契約が、従属ではないということだ。


 魔術都市側は、魔術の研究によって得られる様々な成果を王国内に供給し……。

 王国側は、その対価として他の諸侯にない様々な特権を、統治者たる魔術公に与える……。


 関係としては、限りなく対等に近い。

 それだけ、魔術というものが奥深く、これによって得られる恩恵が計り知れないということであった。


 そのような都市であるから、都市そのものの外観も、王国内に存在する他の都市とは一線を画したものである。


 まず、街壁というものが存在しない。

 リプトルのように、脅威たる肉食獣を周辺から徹底的に取り除き、また、強力な戦闘者が多数在籍しているというのなら、まだしも……。

 通常は、魔物の脅威へ対抗するため、まずは分厚く頑丈な壁で囲いを造るのが都市建設の基本なのだから、その時点で、普通とはかけ離れた都市構想に則っていることが分かった。


 では、都市にとって必須の防衛能力を、この街はいかにして確保しているのか?

 その答えは、魔術都市の名に相応しく――魔術である。

 イーアンという街は、都市周辺に見えざる大規模な結界が張られており……。

 それは、虫除けに用いる香のごとく、侵入しようとした魔物に嫌悪感を抱かせ、追い払うのだ。


 瞠目すべきは、それだけ強力な効果を持つ結界が、常時維持可能であるという事実だろう。

 それがかなうのは、結界を維持するために、昼も夜も問わず百人からの魔術師が詰めているからであった。

 住民の大多数が魔術の使い手であるからこそ可能な、力技の都市防衛術である。


 かようにして、見えざる魔術の力によって守られた都市の姿は、荘厳にして――美しい。

 建築物において特徴的なのは、そこかしこに、玉ねぎのような形状をした屋根が見られることであった。

 これは、美術的な意味があるわけでも、宗教的な理由でこうしているわけでもない。

 玉ねぎ型の形状をした屋根は、魔力の受信と送信を担う魔力装置なのだ。

 原初の魔術師たちが独自開発したこの屋根によって、都市を包み込む結界は均一さを保てているのである。


 都市に一歩踏み行ってみれば、特徴的なのは、何も屋根ばかりではないことへ気づく。

 やはり、外部の人間が最初に気が付くのは――砂だ。

 ここ魔術都市は、ザネハ王国の勢力圏内でも最西に位置しており……。

 都市を隔てた先に広がるのは、熱砂の世界――ゴヒ砂漠となっていた。

 そのため、砂漠の風が砂を運び込んでおり、街路を構成する石畳の溝という溝には、きめ細かやな砂が入り込んでいるのである。


 それだけならば、いかにも暑いだけの街……といった印象を抱かせてしまいそうになるが、景観に潤いを与えているのが、そこかしこに植えられているヤシの木であった。

 独特な形状をした幹と葉は、見る者に不思議な清涼感を与え……。

 また、その実は、街中の露店でジュースとして販売されている。

 暑い中における安らぎといえるだろう。

 ……旅人にとっては、だが。


 この街で暮らす者の大多数にとって、涼などというものは、わざわざ求める必要がない。

 その証拠として、道行く人々は、皆が皆、思い思いの意匠を施したローブで身を包んでいた。

 灼熱の太陽が照らす中でそうするのは、自殺行為のように思えるが……。

 住民の過半数は冷却の魔術を習得しており、むしろ、あまり肌を出さない方が服の内部を涼しく保てるのである。


 かような風景を見れば、多くの人がこう思うことだろう。

 そう……。


「見て! ウ◯コよ!

 屋根がウ◯コの形をしているわ!」


 ……多くの人という枠に収まらない女こと、エルフ魔術師のレフィが大はしゃぎしながら、魔力装置たる屋根を指差す。


「おお! 前来た時も思ったが、やっぱあれウ◯コだよな!」


「ああ……。

 実は私も、聖騎士として口に出すのはためらわれていたが……ウ◯コっぽいとは思っていた」


 戦士アラン・ノーキンは、豪快に笑いながら……。

 聖騎士シグルーンは、少し照れ臭そうに笑いながらも、ウ◯コウ◯コと口にする。


「見て下さい! わざわざ黄金に塗ってある屋根もあります!」


「「「ゴールデンウ◯コですね!」」」


 年頃の子供というのは、どうしてこうもウ◯コが好きなのだろう。

 獣人忍者少女のギンがはしゃぎながら叫ぶと、モブ忍者ABCも追従した。


 このように大騒ぎしていれば、誇り高き魔術都市の住民から侮蔑や怒りの眼差しを向けられるのは当然であり……。


「お前ら……。

 人の生まれ故郷で、ウ◯コウ◯コと連呼すんな」


 一ケ月半の旅路を経て故郷に辿り着いたヨウツーは、眉間を揉みながらそう言ったのである。

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