魔術都市編
魔術都市への誘い 上
案の定、というべきだろう。
厄介事の化身というべき人物は、翌朝すぐにやって来た。
「あの暗殺者を倒したようだのう。
根っからの悪人ではなかったようだし、手加減してやってもよかったのではないか?」
希望する冒険者たちに、弁当を配り終えたばかりのところへの来訪……。
どうやら、店の掃除などをする
「これは無体なことをおっしゃる。
奴は、あれでなかなかの使い手であり、手を抜く余裕はありませんでしたよ。
それとも、可愛い教え子が、暗殺者の凶刃に倒れてもよかったとでも?」
「さて、可愛い教え子だったなら、気を揉んだかもしれんが、ここにいるのは、さして可愛くもない教え子だからのう……」
そう言いながらあすっかり白くなったあご髭を撫でる老人は、記憶よりも随分と細くなり、身長も低くなり、背が丸まっていた。
――ネーアン・ケルグトル。
みすぼらしい旅装束ということもあり、こうして、カウンター席に座り冷たい茶をすすっていると、単なるしょぼくれた老人でしかないが……。
その実、かの魔術都市イーアンにおいて、五賢人の一人として数えられている人物である。
「可愛くなくて、申し訳ありませんでしたな。
まあ、土の中から蘇ってくるはずもなし。
襲ってきた以上、返り討ちにあうのもまた必定でしょう」
「冷たい言い方を、するようになったのう……。
よいか? おおよその人間は、生まれた時には白であり、善。
それが変わって悪となったのだから、また元へ引っくり返る可能性も、皆無というわけではない。
命を絶つというのは、その可能性をも絶つという行為であることを忘れるなよ」
「そう心得た上で、絶つべきを絶ったと言わせて頂きます。
非才な身なれば、己の幸福と安全を確保した上で手を伸ばせる範囲には、限界があります」
「ああ言えばこう言う上に、器量も小さくなった。
わしの下におった時は、己のことなど二の次三の次だったではないか?」
「人生、守りに入りましたのでね」
涼しい顔で、師の忠告をかわす。
もっとも、あの男が強敵であったことは、ネーアンとて理解しているだろう。
だから、軽い溜め息と共に説教は終わった。
「はあ……まあ、よいだろう。
それより、わざわざ朝早くからここへ来た用件の方が大切だ」
「うちの店、営業時間外なんですがね。
俺としても、昨日の片付けに本日の仕込み、帳簿付けからギルドの手伝いまで、やることがそれなりにあります」
「師が話しているというのに、目の前で帳簿を付ける理由がそれか?
色々と手を出しては背負い込むあたり、若い頃と根っこは変わらんのう」
「おかげで、すっかり腰が悪くなりましたよ」
そう言いながら、羽根ペンをそっとカウンターに置く。
残る仕事は、さすがにこうしながらでは不可能だろう。
「ようやく、本腰を入れて聞く気になったか?」
「悲しいことに、入れるべき腰が貧弱でしてね。
ご期待に添えるとは、思えませんな」
「そんなに悪いの?」
素の質問。
「最近、靴下は座って履いてる」
素の回答。
両者の間に、沈黙が流れ……。
「ヨウツー・ズツ・ロウクーよ。
我が名において命じる」
「あ、ずっけえ!
聞かなかったことにしようとする気だ!」
「我が名代として魔術都市に赴き、魔術公選定の儀に参加せよ」
こちらの抗議など意に介さず、一気にまくし立てたネーアン……。
それに対し、ヨウツーの結論など一つだけである。
「嫌に決まってんだろ、ジジイ」
笑顔で断った。
--
「ふんふふふーん。
るんるんるん」
今日も元気だご飯が美味い!
Sランクのエルフ魔術師レフィは、特にやることもないので、開拓村の中を鼻歌交じりにスキップしていた。
今日は何をしようかしら。
川で釣り糸でも垂らしてこようかしら。
迷宮には出禁を命じられ、依頼も基本的に差し止められる……。
冷凍庫へ冷凍魔術をブッパする以外にやることのない女は、実にフリーダムな日常を過ごしていた。
「お嬢さん、少しいいかね」
そんな彼女に声をかけてきたのは、粗末な木箱に腰かけた老人である。
「あら、お爺さん?
あたしに何か用かしら?」
「うむ。
わしは占いを嗜んでおってな。
ずばり、当ててやろう……」
そこまで言って、老人がくわと目を見開く。
「お主――悩みがあるな?」
見る者が見れば、分かる。
これは、占い師という職業の必勝形だ。
そもそも、悩みがない人間などというのは、存在しないからであった。
……普通なら、だが。
「え?
別に、悩みなんてないけど」
きょとんとした顔で答えるエルフ娘。
この女は、脊髄以外が機能していないのである。
「え? 嘘じゃろ……。
えーと、じゃあ、そうそう」
慌てたのは、老人の方だ。
用意していた会話の札が使えず、即座に次なる手を考え始めた。
「な、ならば、お主の恋愛について助言してやろう。
どういう風に行動すると上手くいくのかとか、ラッキーアイテムとか」
だが、これに対するレフィの回答も、きっぱりとしたものである。
「必要ないわ!
あたしがヨウツーと結ばれることは、この世界に定められた運命だもの!」
「な、何という根拠のない自信じゃ……」
「ちなみに、子供は男の子が一人に、女の子が一人。
大型犬も一匹飼う予定よ!」
「そこまで妄想しているとか、ちょっと怖い。
あいつも、難儀なやつじゃのう……。
あいや、そうではなかった!」
言うだけ言って満足したのか、立ち去ろうとするレフィに老人が続く言葉を投げかけた。
「そうじゃ! 想い人の過去!
想い人の過去に興味はないか!?
こう、過去に何を背負い、何を見てきたのかとか!」
「あら?
それはちょっと興味があるわね」
ギリのところで、レフィが足を止める。
ここで、老人はすかさず告げたのであった。
「――天の星を見よ!」
「今、昼間よ?」
「北の星辰があれやこれやして、南の銀河もわちゃわちゃしておる!
しかるに、導き出される結論はただ一つ……!」
お天道様が輝く中、老人がある方角をびしりと指差す。
「――魔術都市じゃ!
想い人と共に、かの地へと向かうがいい!
さすれば、お主の知りたがってることは全て明らかとなるだろう!
いいか? 想い人を誘ってじゃぞ? 絶対に一人で行くでないぞ?」
老人に促され、レフィがその方角を見た。
「魔術都市イーアンか……。
確かに、行ったことがないし、気になるわね。
ヒュームたちが魔術の真髄を集めた場所だって、出身者は言ってたけど……」
脊髄反射のみで物事を決める女が、ぽんと手を打つ。
「うん! いいわね!
魔術都市、行ってみようじゃないの!」
将を射んと欲すれば、まず馬を射るべきもの……。
とりあえず、馬の一頭は射れた。
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