ザネハ王国の凋落
――ザネハ王国。
大陸中央部で覇を唱える最大最強の国家――だった王国である。
現在、この国にかつての面影はない。
まず、大きく変わったのが、農業政策だ。
農業とは、国の基盤そのもの……。
当然ながらザネハ王国も、これまで大きく力を入れてきたのがこの産業であった。
年貢として徴収される作物の比率は、他国と比べて極めて低く……。
しかも、農作業をする上で欠かせない各種の農具が、必要と認められれば無償で提供される。
国民の大半を占める農民階級にとって、楽土といってよいのが、これまでのザネハ王国であったが……。
現在は、農具の無料支給が打ち切られ、年貢の比率も五公五民にまで引き上げられている。
それだけならば、他国と比べても高い税率というわけではない。
むしろ、平均的であるといえるだろう。
だから、命じる側からすれば、これまでが安過ぎた税率を正常な値に戻しただけのこと……。
だが、それは様々な情報により、物事を俯瞰して考えられる側の思考であり、肝心の農民側とは、あまりに感覚がかけ離れていた。
農民にとっては、自分たちの住まう村こそが世界の全てである。
稀に旅の吟遊詩人などが、外の世界について語ってくれるが、それらは、どこか遠い世界の他人事でしかない。
これまで、当然のこととして享受していた支援が突如として打ち切られ、自分たちの食い扶持まで減らされれば、どうなるか?
各地で不満が噴出し、場合によっては、一揆へつながったことは語るまでもない。
そして、問題となったのが、それらを抑え込むだけの警察力が、王国から失われつつあったという点だ。
ザネハ王国は、きら星のごとき冒険者たちが集っていた国……。
民たちを脅かす魔物の退治や悪党の成敗など、治安維持に関わる多くを冒険者たちへの依頼によって賄っており、実のところ、純粋な兵士の数は国の規模に反して非常に少ない。
そこから、一気に冒険者たちが流出してしまったのだから、生じる混乱は推して知るべしだろう。
魔物が出現しても、兵士が送られてくることはなく……。
どこからか流れ込んできた山賊や盗賊の類が、今こそ稼ぎ時とばかりに平和な村々を襲っていく……。
辺境部においては、隣接する他国が好機と見て攻め入ってくることも、警戒しなければならない。
かかる事態に陥って、各地の領主たちが下した決断は迅速だった。
王国に臣従することをやめ、半ば独立するかのごとく力を蓄え始めたのである。
そもそも、臣従とは自分を守ってくれる相手に行う契約であるのだから、その関係が崩れた時点で、こうなることは必然であったといえるだろう。
また、これらの動きには、ザドント公国が堂々と王国に逆らったのも影響していた。
――ザネハ十三世、何するものぞ!
――国が我らを守らないならば、こちらは見限るまで!
中央からの統制が弱まった結果、国内は急激に群雄割拠の様相を呈しており……。
先を見通せる者は、近い将来に起こる大規模な内乱を予期していたのである。
地方だけではなく、王都たる迷宮都市ロンダルを含めた都市部の窮状も深刻だ。
公共的な支援が打ち切られたのは、何も地方の農村部だけではない。
迷宮都市においてもまた、同様であった。
街路を構成する石畳の整備や下水道掃除など、国が賄っていた公共事業はことごとくが打ち切られ……。
馬車に踏み割られ、割れた石畳などを見れば、人々は自分たちの生活水準が徐々に低下していくことを予感せざるを得ない。
何よりも大きいのは、銀行が破綻したことだ。
主な預金者たる高ランク冒険者たちが移住を決意し、預けていた資産の返却を求める……。
その影響は、極めて大きい。
まず、銀行側は預金の解約により、大量の現金が必要となったため、手持ちの資産を次々と売り払うことになった。
そのようなことをすれば、買い叩かれ、せっかくの資産価値が減少することは、経済というものの生理現象……。
急激な市場価値の暴落は、王国市場に大きな混乱を巻き起こした。
そうまでして、冒険者に預金を引き渡しても、苦難は終わらない。
何しろ、手元の資金がなくなってしまったため、貸し出し能力が極限まで低下し、主な収益源である利息収入が途絶えてしまったのだ。
様々な資産の市場価値暴落……。
銀行からの融資凍結……。
これは、人体で例えるならば、肉という肉を削ぎ落とされた挙げ句、血液の供給まで絶たれたような状態だ。
市場は一気に冷え上がり、機を見るに敏な者たちが離れていったことは、語るまでもない。
国内だけでなく、対外的な面での変化も大きい。
端的に語ってしまえば、外向的関係からの――孤立。
経済的な困難から、これまでの同盟関係や交易の維持が難しくなり、他国はザネハ王国との関係性を見直し始めたのである。
また、これには、高ランク冒険者たちの足抜けも大きく影響していた。
パテント王国で起こった竜騒動などが代表的だが、天災に等しい魔獣の襲来などが起こっても、ザネハ王国に依頼すれば――巨額の報酬と引き換えに――解決できる冒険者が派遣される。
それが、ザネハという国と付き合う利点であり、いわば、これまでは一種の安全保障がされていたのだといえた。
今の王国に、高ランクの冒険者たちはほぼいない。
その上、交易などでの旨味も市場混乱から少ないとあれば、見限るか、あるいは、いずれ領土を切り取ろうと企むのは当たり前のことである。
内は崩壊。
外に対しては四面楚歌。
現状を前にして、国王ザネハ十三世は……。
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「ええい!
忌々しい!」
かつては、順風満帆な報告書ばかりが送られてきた王城の執務室……。
今は、目を通すだけでも気が落ちる内容が記された羊皮紙しかない机の上に、ザネハ十三世は拳を振り下ろしていた。
そのようなことをしたところで、固い天板が壊れることはなく、ただ自分の拳を痛めるだけなのだが……。
ともかく、怒りのぶつけ場所が欲しかったのであろう。
「地方の混乱により、この迷宮都市を含む都市部で食料不足が起き、民たちに飢えの兆候が見られ始めているだと……!
どうしてだ!? どうしてこうなった!?」
叫びながら髪をかきむしると、すっかり抜け落ちやすくなった髪の何本かが、はらはらと舞い落ちた。
部屋の隅で控える執事は、何も答えない。
これは、答えなど分かりきっているからであり、下手に話しかけて、自分へ怒りが向けられることを恐れているからである。
「いや、理由など分かりきっている……!
冒険者が、こぞって抜けて行ったからだ……!
ふざけたCランク冒険者のせいでな……!」
机の上に振り下ろした拳を握りしめたまま、国王が歯ぎしりをしてみせた。
そして、ふと、名案を思いついたようにつぶやいたのである。
「……を派遣しろ」
「は? 何と?」
聞き取りづらくはあったが、明らかに自分への命令……。
役割を果たすべく執事が問いかけると、王はにんまりと笑いながら繰り返したのだ。
「暗殺者を派遣しろ。
例のCランク……ヨウツーとかいうふざけた男を、殺させるのだ。
別に、それで何かが解決するわけでもない。
ただ、わしはスッキリする」
「……御意」
執事としては、反対する理由も特にない。
彼は命令を実行すべく、このような時に備えて王家が飼っている者たちの顔を思い浮かべたのである。
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