聖騎士シグルーンの受難 中編

 迷宮というものは、この竜迷宮入り口に備えられた大回廊のような例外を除けば、複雑に入り組んだ通路や玄室によって構成されるものであり……。

 シグルーンが見つけたそれは、侵入者を惑わすべく迷路状となった通路の一つに存在した。


「これは……泉、か?」


 目にしたそれを見て、端的な感想が漏れる。

 この迷宮内は、一辺が三メートルほどの正方形をした床石が、隙間なく張り巡らされているのだが……。

 この行き止まりは、それがそのまま剥ぎ取られ、代わりにこんこんと水が湧き出ているのであった。

 明らかに人造的なそれであると知れるのは、黄金の縁が存在するからだ。


「何かの仕掛け……だろうな」


 しゃがみ込み、まじまじと検分しながら推理を行う。


「入り口部の回廊を見れば、おそらくこの迷宮は墳墓として建てられた……。

 ならば、ここは死者が渇きに苦しまぬよう設けられた水場と見るべきか……?」


 水面は波紋一つ浮かべることなく、ただ清らかな水が湧き出しているのみであり……。

 シグルーンの問いかけに、答えるものはない。

 どうやら、観察によって導き出せる推測は、この辺りが限度であるようだった。


「さもなくば、何らかの……仕掛け」


 迷宮というものは、侵入者を愚弄するかのように様々な仕掛けが施されているものである。

 宝箱に擬態したミミックなどはその代表例で、どうも迷宮の設計者というものは、喜びから悲しみへの落差を味わわせるのが、たいそう好きであるようだった。

 もっとも、向こうからすれば、冒険者は何がしかの守るべきものを奪いにきた盗掘者なのだから、一切、容赦する必要はないのだろう。


「仕掛けだとするならば……。

 やはり、この泉へ触れてみなければ、話にならないか」


 そうつぶやき……決断する。


「戦女神よ……」


 短くつぶやき、奇跡の顕現を祈った。

 物理的な攻撃へ対してのみならず、悪意を持った魔術に対する確かな守りが、聖騎士たる少女の全身を包む。

 開拓団へ入って以来、日常のちょっとした怪我を治してやるくらいで、高度な奇跡を使うのは久々だったが、問題なく発動してくれたようである。


「――よし」


 守りは――万全。

 手甲に覆われた左手の指で、ちょん……と、泉に触れた。

 変化が起こったのは、その時だ。


「これは……」


 穏やかな湖面のごときだった泉は、中心部に渦が発生し……。

 それが魔法陣のごとき働きをしているのか、やがて、泉の上に何かが現れる。


「……幻影か」


 迷宮内の魔力を用いて生み出されたのは、幻影だった。

 虚像、といってもよいかもしれない。

 立体感があるような、どこか平べったいような……。

 そのような幻が、泉の上に浮かんでいるのである。

 それにしても、だ。


「これは、ドラゴンか?

 まるで、子供が描いた落描きのようだな」


 現れた虚像を見て、シグルーンは失笑しながらつぶやいた。

 だが、それも無理はないだろう。

 幻影は、なるほど、確かに竜というものの特徴を捉えてはいる。

 全体的に爬虫類のようなシルエットをしているし、太くたくましい二本足で直立し、コウモリじみた翼や頭部の角を備えているのだ。

 ただ、極限まで単純化されたこの絵図は、立体感というものがまるでなく……。

 おまけに、とことんまで単純かつ抽象化されており、目の部分はにっこり笑った記号のような形で描かれていた。


「身構えていたのが、馬鹿らしく思えてくるな……」


 毒気を抜かれた感じで脱力していると、幻影の竜が口――細長い四角を組み合わせただけの簡潔なそれだ――を動かし始める。

 そして、こう言ったのだ。


『ゲンヂズブゾビダザンゼィバゴジガンンゴギシ』


「――これはっ!?」


 その言葉に、くわと目を見開く。

 これは……!

 この言葉は……!


「何を言っているのか、さっぱり分からん!」


 シグルーンはそもそも、さる農村に生まれた農家の娘であった。

 幼い頃より神の声が聞こえ、奇跡も行使できたことから、自然な流れとして神殿に預けられ、神官としての教育を受けている。

 その過程で、読み書きなど聖職者に必要な教育も施されているが、そういった教育というのは、あくまで、最低限のものであった。


「これは、おそらく……古代語だな。

 専門の知識を持つ者でなければ、解読できん」


 結論として、このように深い知識が必要とされる場面においては、お手上げするしかないのである。

 今の言葉で、役割は終えたとばかりに……。

 幻影の竜は姿を消し、元の静かな泉となった。


「ふうむ……。

 もしや、この遺跡を攻略するための重要な情報なのだろうか?」


 試しにもう一回触れると、やはり同じ虚像が現れ、一言一句同じ言葉を発して消えていく。


「こういう時は、そうだ。

 先生に相談してみようか。

 収穫といえば、情報も収穫だからな」


 シグルーンはそうつぶやきながら、間抜けな竜の虚像が発した言葉を羊皮紙に書き記したのである。




--




 その夜……。

 ヨウツーの店で行われたのは、冒険者たちによる成果自慢大会であった。


「オレたちは、玄室でちょっとしたお宝を見つけたぜ。

 見たことない様式の金貨だが、まあ、金であるだけでも価値は保証されるだろ」


 あるBランク冒険者が、そう言いながら古代人が使っていたのだろう金貨の入った小袋を机に乗せる。


「こっちは、巻物だな。

 迷宮都市でも発見されてたやつだ。

 使うと、心得のない人間でも火の矢を飛ばせるやつ」


 またあるAランク冒険者も、そう言いながら魔力の籠もった巻物を置く。


「こっちは、大した収穫なしだ。

 魔物たちをやっつけておしまいだな」


「同じく」


 意外であったのは、自分と同じSランク冒険者であるアランとギンまでもが、ろくな成果を得られてないことだった。

 だが、聞いてみればそれも納得だ。


「つーか、おれに関しちゃ、ギンが見つけ出してくれなきゃ、迷子になって帰ってこれなかったんだけどな!」


「誰かいないかと大声で叫んでいたので、魔物たちが集まってきて面倒でした。

 迷宮へ潜る時は、最低でもマッピングができる人と同行してください」


 二人の言葉に、一同がああとうなずく。

 そういえば、入ってすぐに熱烈な歓迎があったことを考えると、その後はあまり魔物と出くわしていなかったのだ。

 どうやら、脳筋戦士が意図せず、冒険者たち全員の囮として働いていてくれたらしい。


 が、別に頼んだわけではなし。

 そもそも、ここにいる全員が、あの程度の魔物に遅れを取る技量ではない。

 となると、はやし立てる者たちも現れてくる。


「おいおいおい! Sランク冒険者だらしねえなあ!

 ええ? だらしなくねえか!?」


「ああ、オレたちのトップが、揃いも揃って収穫なしとは、だらしねえぜ!」


「間違いねえ! だらしねえなあ!」


 やいのやいのと、全員で煽り立ててきた。

 とはいえ、別に本気でそう思っているわけではない。

 単に、こうすることでからかいつつ、酒を奢らせる流れに持っていきたいだけだ。


「まったく、本当にだらしないわね!

 やっぱり、このあたしがいなきゃ駄目なのかしら!」


 いや、約一名、本心で煽ってくるバカエルフも存在する。

 こいつだけはぶん殴りたい。あと、さっきから間違えてオーダー運びまくってて、ヨウツー先生を困らせているぞ!


 こうなっては、仕方がないだろう……。


「多少の金貨? 初歩的な魔術を放つ巻物?

 その程度で自慢されては、困るな!」


 シグルーンは立ち上がりながら、一同へ向けて宣言する。


「私が見つけたのは、おそらく、竜迷宮の謎を解き明かすための重要な鍵だ!」


 その言葉に……。


「ほお……」


 冒険者たちが騒ぎ始めたばかりでなく、今は酒場のマスターとなっているヨウツーも関心を示したのであった。

 それにしても……。

 冒険者だった頃も、どこか野趣を感じさせて素敵だったヨウツーだが、髭を剃り、髪も整えて燕尾服姿となった今も素晴らしく格好良い。

 特に、完璧にフィットしたズボンが描くお尻のラインなどは良いものだと、密かに思うシグルーンだったのである。

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