第137話「王失格」

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 汗だくで息も絶え絶えになりながら、地面に膝を突いてた俺は、そのまま仰向けに倒れてしまった。


 こんなに疲れることがあるのだろうかというくらい、全身が疲労で悲鳴を上げている。魔力も使い過ぎですっからかんだし、体力も精神疲労も限界だ。


「でも……俺は勝ったんだ」


 一時はどうなることかと思ったが、十七夜月も無事……とはいえないかもしれないけど吸血鬼として復活し、俺と一緒に長い旅路を歩んでくれることになった。


 おそらく……こんな事態にでもならなければ、彼女からは自分を吸血鬼にしてくれ、など言うことは一生なかったと思う。


 俺もあいつを強引に吸血鬼にするつもりは毛頭なかったので、十七夜月が天寿をまっとうするまで、ずっとあのままの関係だった可能性が高い。


 ……そう考えると、なんだか複雑な気分だな。今回の事件がなければ、俺が吸血姫に進化することも、十七夜月が俺の眷属になることも永遠になかった気がするから。


 だが結果として、俺にとっては良い方向に事が運んだといえるかもしれない。


 天獄会も天獄将徳や大幹部の一虎と龍吾がいなくなってしまったことで、事実上壊滅したといっていいだろう。


 そして……俺は吸血鬼の真祖――吸血姫へと至り、ようやく最強無敵の美少女と名乗っても恥ずかしくない存在になることができたのだ。


 ……いや、まあ、まだ吸血姫としては覚醒したばかりなんで、本当の意味で最強を名乗るには、これからもっと強くなっていかなきゃいけないんだけどね。


 そよそよと吹く風が、火照った身体を冷ましてくれる。


 もうちょっとこの余韻に浸っていたいけど、そろそろ動かないと野次馬やマスコミがやってきそうだな……と体を起こしかけたとき、十七夜月が慌てた様子で俺の方に駆け寄ってきた。


「せ、先輩! 大変です!」


「なんだよ~……。もう動けないぞ~」


 いくら再生能力があるっていっても、魔力を使えるようになってすぐにここまでの激戦を繰り広げた影響で、さすがに疲労困憊だ。もう帰って早く寝たい。


 しかし十七夜月はそんな俺の気持ちなどお構いなしに、強引に俺の身体を抱き起こすと、背後をビシッと指差して叫んだ。


「――天獄将徳の死体がありません!!」





◆◆◆





 ボロ布のようになった服を身に纏い、鉛のように重たい身体を、ずる……ずる……と引きずりながら、儂は必死の思いで公園を離れると、人気のない路地裏へと入り込んだ。


 そして、そこでようやく一息ついて壁に背を預ける。


「……まさか、この儂がここまで追い詰められるとはな」


 吸血姫の小娘……。あれほどの力を持つ者がこの世に存在していたとは、まったくの予想外であった。


 この世に生まれ落ちて90余年。これほどの窮地に立たされたのは、未だかつてない。


 多くの部下も失ってしまった。ようやく頭が冷えて、まともに思考できる状態になり、儂は自分の愚かさを呪う。他の黒服たちはまだしも、一虎……龍吾……あの二人を喪ったことは、儂にとってあまりにも大きな痛手であった。


「じゃが……儂はまだ生きておる。王さえいれば、全てやり直せる」


 そう、儂さえ生きておれば、天獄会は不滅なのじゃ。


 あの美しい吸血鬼の少女も……そして、その仲間である娘も……いずれは始末してみせよう。


 そのためには、まずはこの傷を癒さねばなるまい。いくら強靭な竜人の肉体といえど、あまりにもダメージが大きすぎて、今はまともに動くこともできぬ。魔力も底を突いておるようじゃし、再生もままならぬ。


 なんとか……吸血姫の小娘に見つからぬままなんとかここを――



 ――コツ……コツ……コツ……。



 路地裏の出口の方から、何者かが近づいてくる足音が聞こえてくる。


 マズい……もし小娘か、あるいは仲間の女だったなら、今の儂にはどうすることもできぬ。なんとか身を潜めてやり過ごすしか……。


「天獄会長、こんな場所にいたんですか」


「な、なんじゃ……お前か……。脅かしおって」


 儂の前に現れたのは、龍吾の弟分である桐崎だった。


 今から十年ほど前に龍吾がどこからか連れ帰ってきた男で、儂とはそれほど交流はないが、ナイフ術の達人で、戦闘能力の高い優秀な人材だと聞いておる。

 

 一虎が小娘と契約書を交わす条件として、龍吾に部下であるこの桐崎を自分に預けることを求めたらしい。そして、小娘の足止め役としてダンジョンに送り出されたはずだが……。


「生き残っておったか」


「ええ……。吸血鬼の嬢ちゃんにやられて、完全に貧血状態だったところをコボルトどもに襲われてもう駄目かと思いましたよ。でも、兄貴が魔導具片手に駆けつけてくれたんで、なんとか命拾いしたってわけです」


 儂が帰還の転移陣を完全に埋め立てて、小娘を追った後のことか……。龍吾のやつ、再びダンジョン内に戻ってこやつを救い出したというのか。


「転移陣が埋まってて焦りましたけど、ちょうど誰かがボスを倒したのかダンジョンが消えたんで助かりました。まあ、それでも満身創痍だったんで、すぐに近くにあったベンチで寝ちまってたんですがね」


 なるほど、そういうことか。それで他の黒服とは合流できず、暴走状態だった儂に竜化させられることもなく、無事生き延びることができたというわけじゃな。


「とにかくよいところにきた。儂に力を貸せ。小娘に見つからないように、儂を安全な場所に移動させよ」


「ええ、わかりました。……ですが、その前に一ついいですか?」


「……なんじゃ?」


 桐崎はそう言うと、背中から"竜殺剣"を引き抜き、その刃に自分の顔を写しながら目だけを儂の方に向けてきた。


 なぜ得意のナイフではなく、今の儂にとって禍々しい武器を抜いたのか……。その真意を問おうとする前に、桐崎が口を開く。


「どうして龍吾の兄貴を裏切ったんですか?」


「……裏切ったわけではない、どうしようもない状況だったのじゃ。儂は天獄会の未来のために、仕方なく龍吾を犠牲に――」


 

 ――ドスッ!



 突如胸部に衝撃が走り、その箇所から大量の血液が流れ出すのを感じた。


 視線を下に向けると、自分の胸から竜殺剣の刃が生えている。


「がっ……な、貴様……なにを……」


「俺の両親はなぁ……そりゃひでぇクソ親だった。裏の世界ではそこそこ有名だったみてぇだが、毎日酒に酔っては俺に暴力を振るって……小学生の俺に特訓と銘打って、ダンジョンに放り込んで魔物と戦わせたり、犯罪の片棒を担がせることもしょっちゅうあった。そんな地獄みたいな生活から俺を救ってくれたのが、兄貴……龍吾の兄貴だったんだ」


「や……やめ! 貴様自分がなにをしているか……う、ぐぅ!」


「天獄会の未来? あんたはなにもわかってねーよ。ここ十数年の天獄会の躍進は、全て兄貴がいたからこそだ。あんたの無茶苦茶な命令を、兄貴がなんとか上手く回してやってきたからこそ、最近の天獄会は成り立ってたんだよ。その兄貴を……あんたは殺したんだ。未来なんてあるはずがない」


「ぐ……がぁ……」


「昔は凄かったらしいが、あんたは古い人間なんだよ。だから、兄貴みたいなあんたを支える忠臣こそ、あんたは大事にするべきだった。偶然会話が聞こえたが、俺もあの嬢ちゃんと同意見だぜ、臣下がいるからこそ王なんだよ」


 桐崎はそう吐き捨てると、儂の胸から竜殺剣を引き抜き、それを天高く掲げた。


 地べたに這いつくばりながら、必死に体を動かしてその場から逃れようとする。数匹のドブネズミが体を這い上がってくるが、そんなことはどうでもいい。


「耄碌したな、天獄会長。兄貴が言ってたぜ、昔のあんたは『義』を大事にする男だったってな。今のあんたからは、なにも感じないよ。――あんたは王失格・・・だ」


「ごふ……がはッ! ……『義』?」


 ……そうだ、かつての儂は『義』の天獄を呼ばれておった。


 戦後の混乱期、強者に虐げられる者たちを守るために、仲間たちと共に義俠集団として立ち上げたのが天獄会の始まりだ。


 たしかに強運もあった。しかし、それ以上に仲間たちとの絆が、『義』を大切する心が、儂を……天獄会という組織を、裏社会の頂点にまで押し上げてくれた。


 だが、時が経つとともにかつての仲間は一人、また一人といなくなっていき、儂はいつの間にか孤独になっていた。そして、年を取ってどんどん傲慢になり、いつしかその言葉を口にすることすらなくなっていた。

 

 ……最後にその言葉を口にしたのは、いつだっただろうか?


 そう、あれは親に虐待をされていた、まだ幼い少年を励まそうとして……。そうだ、あの少年は――


「もう十分生きただろう。あの世で兄貴に詫びるんだな」


「あ――」


 ――ザンッ!


 桐崎が振り下ろした竜殺剣が、儂の首と胴体を切り離した。


 ……ここが、ここが儂の死に場所なのか? こんな薄汚い場所で……誰にも看取られずに……たった一人で孤独に……。


 どさり、と首のない身体が地面に倒れる光景を、首だけとなった儂はぼんやりと眺めていた。


 やがて意識が薄れ始め……最後に見たのは、儂の身体を餌のように貪り食うドブネズミの姿だった――。

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