第131話「涙」
「……え?」
慌てて十七夜月に駆け寄って様子を確認すると、脇腹に刺さっていた石のナイフがぽろり、と抜け落ちた。それを手に持ってみると、刃の先端部分に緑色の毒々しいなにかが塗られている。
これは毒か!? マズい!
十七夜月は俺のように状態異常耐性を持っていない普通の人間なんだ。ちょっとした毒でも命取りになってしまう。
きょろきょろと室内を見回すと、テーブルの上に赤ポーションと青ポーションが転がっているのが目に入って、ほっと胸を撫で下ろす。宝箱は見当たらないが、これがあれば問題ないだろう。
「十七夜月、これを飲め!」
口元までポーションを持っていくが、彼女はまったく反応を示さない。どうやら完全に意識を失っているようだ。
ポーションは傷口に振りかけてもいいのだが、身体全体に毒が回っている可能性があるから、一つしかない今は飲ませるのが最善だ。仕方ないので俺は自分の口のなかに青ポーションを含むと、それを口移しで彼女の喉に流し込む。
ごくり……と十七夜月の喉が動いて、青ポーションが胃のなかに収まったことを確認。だが、意識は戻らない。
「なんでだよ! 毒は解除されたはずだろうがっ!?」
どうしてだ? どうして目を覚さない!?
原因を探ろうと彼女の体を見回すと、ナイフの抜けた脇腹や、槍で抉られた肩口から大量の血液がドクドクと流れ出ているのが見えた。
……くそ、単純に血を流し過ぎたってことか。
さっき貧血になる寸前まで俺に血を飲ませてくれたところに、この出血だ。そこに毒による体力の低下、意識を失っても不思議じゃない。
今度は赤ポーションを口に含んで、同じように彼女の口内に流し込む。すると、完全にではないが脇腹や肩の傷が塞がり、出血も収まった。
「……う、うう。せ、先輩?」
「十七夜月!」
よ、よかったぁ~……。意識を取り戻したみたいだ。
思わず安堵の息が漏れる。これでなんとか一命は取り留めただろう。あとはこのまま安静にして体力の回復を待てば、きっとすぐに元気になるはずだ。
「具合はどうだ? 肩と脇の傷は治したし、もう大丈夫なはず――」
そう言って十七夜月の身体を改めて確認した俺は、全身から一気に血の気が引いていくのを感じた。
――十七夜月の背中には鋭くとがった大きな木片が深々と突き刺さっており、その傷口からは止めどなく赤黒い血が流れ出ていたのである。
「……う、うぁ」
さ、最後にコボルトが投擲した槍の破片……。
焦りから今まで使用を忘れていた【幻想の魔眼】で、十七夜月の全身をくまなく確認すると、背中一面に毒々しい紫色の斑点が浮かび上がっているのが見えた。
まさか……槍にも毒が塗ってあったのか!? 青ポーション一個じゃ回復しきれなかったんだ!
それに傷口も背中は全然塞がっていない。刺さっている木片の隙間からは、今も血液が流れ出ている。それにあの赤黒い血、もしかしたら臓器が傷ついているんじゃないのか?
なんで! たかがコボルトの攻撃で、どうしてここまで酷い状態に――
……いや、違うだろ! 馬鹿か俺は!?
たかがコボルト? 思い出してみろよ、俺が初めてダンジョンに潜ったときのことを。星一ダンジョンで、動きのとろいゾンビどもを相手に、武器を持った十人がかりで挑んであっさり全滅したじゃないか。
ここは星二ダンジョンだ。しかも十七夜月は武器も持たず、着の身着のままでしかも瀕死の俺を庇いながら、コボルトの群れを相手に一人でここまで逃げてきたんだ。
……そんなの、死にかけて当然じゃないか。
普通の人間は、ナイフで一突きされただけでも、刺さりどころが悪ければ死に至る。吸血鬼になって、俺はそんな単純なことすら忘れてしまっていたんだ。
本当はものすごく怖かったはずだ。なのにこいつは……恐怖を俺に悟られないよう気丈に振る舞って、俺を庇い続けた。
……俺は、馬鹿だ。大馬鹿野郎だッ!!
「せ、先輩……ごめんなさい」
「なんでお前が謝るんだよ!」
「私が……ドジ踏んであいつらに人質に取られたから、こんなことになったんです……。先輩一人なら、あんな奴ら簡単に倒せたのに……」
違うだろ! そうじゃねぇだろ! 悪いのは俺だろうが!
十七夜月はいつも俺に警戒を促していた。ミケノンだって、まさにこうなることを予感していたかの如く身体を張ってまで俺にレクチャーしてくれたじゃないか。
ちゃんと……聞いていたつもりだった。だけど、俺は心のどこかで吸血貴族に進化した自分の力に自惚れていたんだ。
このダンジョンに入るときだってそうだ。俺の【直感】はどこか嫌な予感を感じ取っていた。でもたかが星二だし自分なら問題ないだろうって高を括って、それを無視して十七夜月に相談すらしなかった。
だから、こんな事態を招いた。正体がバレたのも俺のミスで、奴らに狙われていたのも俺で、今回のことも、全部……全部、俺のせいだろうが!
魔眼を使って必死になって部屋の中を探すが、もうどこにもポーションはない。
どうする! どうするッ!? レアモンスターを見つけて魔導具を獲得できればあるいは……。駄目だ、ここは星二ダンジョン、落ちるのは特効武器で癒しの杖はドロップしない。なにか、なにか他に手はないか!? ボロボロの身体のまま玉砕覚悟でボスに特攻するか? でもショウタのときとは違って星二ダンジョンじゃエリクサーのような回復アイテムはでない。な、なんとかボスを倒して、それで外に出て、それから一虎を探してポーチを取り返して、それからそれから――
「……そ、外に出たら、パパと、ミケノンを頼って……ください。あの人たちなら、きっと、先輩を助けてくれますから……」
「な、なに馬鹿なこと言ってるんだよ!? お前も一緒に帰るんだっ!」
真っ青な顔をしながら、力ない笑みを浮かべて……それでも俺の心配ばかりする十七夜月。
……ぽろぽろと、涙がこぼれた。
「本当は……もっと一緒に、いてあげたかった、です。先輩は、吸血鬼になっちゃったから……ずっと一緒には、いられなかったでしょうけど。あなたは……どれだけ強くなっても、とても弱いところのある……どこか放って置けない人だから……」
「う、うぅぅ~……」
なにも……俺にはなにもできなかった。ただただその場で子供にみたいに泣きじゃくるしかなかった。溢れる涙が、十七夜月の綺麗な黒髪を濡らしていく。
俺は無力だ。彼女は俺をずっと助けてくれていたのに、俺は彼女のためになにもしてやれない。
十七夜月は最後の力を振り絞って、震える手で俺の頬を伝う涙を拭いながら、優しい声で呟いた。
「泣かないで……」
いつか、どこかで、誰かが、誰かに同じ言葉を口に気がする。今はもう思い出せない、遥か、遥か……遠い昔の記憶。
……そして彼女はゆっくりと目を閉じると、それっきり動かなくなってしまった。
「どうして……どうしてお前が死ななきゃいけないんだよぉ……」
こいつに非があるとしたら、それは俺なんかとずっと一緒にいてくれたことだけだ。
学生時代にぼっちだった俺と、ずっと親しくしてくれた──
馬鹿な理由で死んで、ゾンビなんかに成り果てた俺を受け入れてくれた──
いつもアホみたいな行動ばかりする俺を、呆れながらも優しく見守ってくれた──
逃げればよかったのに、命をかけて俺を守ってくれた──
そして……こんな化け物になっちまった俺と、こんなダメな俺と……もっと一緒にいたいって……そう言ってくれた──
今になってようやくわかった。俺にとって、こいつは……十七夜月雛姫という人は……。かけがえのない、大切な存在だったんだ。
頬を伝う涙が、俺の首にかけていたロケットペンダントにぽたりと落ちる。
……すると、ロケットの中に入っていた深紅の宝石が輝きだして、空中に浮かび上がる。それはゆっくりと俺の胸に吸い込まれるように移動すると、胸の中に融けるように吸収されていった。
《【吸魔核】を獲得しました》
《【全能力+1】を獲得しました》
胸の部分に新たな心臓ができたかのような感覚。そしてそれがドクン、ドクンと脈打つと、まるで体内にガソリンのようなエネルギーが注ぎ込まれていくのを感じた。
「……吸血王の、涙」
ああ、そうか。吸血王、お前はきっと、今の俺のような苦悩を味わったんだな。
吸血山荘にて、井実のおばあさんから聞いた吸血王の物語。彼は最愛の妻の今わの際に、彼女を自分の眷属にすることで、死という永遠の別離から逃れようとした。
しかし、彼女はそれを望まなかった。人間のまま死にたいという彼女の意思を尊重し、彼は大粒の涙を流して慟哭しながらも、妻の最期を看取ったという。
「だけど……俺にはそれはできそうもないよ……」
だらりと力を失ったままの十七夜月の身体を、俺はぎゅっと強く抱きしめた。
……そして彼女の首筋に牙を立てると、その血を吸い取り、口の中で俺の青き血と混合する。それを再び彼女の体内に流し込んでやると、全身がびくり、びくりと痙攣しはじめた。
「ごめん、ごめんなぁ……。恨んでくれていい。憎んでくれたっていい。俺は一人では生きていけそうもない、弱い吸血鬼なんだ。だから、頼むよ……もう一度お前の声を聞かせてくれよ……」
十七夜月の身体を抱きしめたまま、俺は静かに涙を流し続けた。
……それからどれだけの時間が経過しただろうか。 やがて、彼女の身体がぴくりと動いたかと思うと、ゆっくりとそのまぶたが開いた。
すでに背中に刺さっていた木片は抜けており、その傷も、肩と脇腹の傷も完全に塞がっていた。ぱちぱちと何度か瞬きをした後、十七夜月はきょろきょろと周囲を見回し、そして最後に俺の顔を見る。
「……もしかして、【ブルーブラッド】使っちゃったんですか?」
「うん、勝手に使っちゃった。ごめん……」
怒られるのを覚悟してビクっと身体を震わせると、彼女は「はぁぁ~……」と大きな溜め息を吐いたあと、俺の頭を優しく撫でてくれた。
「本当に……世話の焼ける先輩なんですから。……しょうがないから、これからもずっと一緒にいてあげますよ」
「う、ううっ~……。ありがとう、十七夜月ぅ……」
ぽろぽろと、俺は再び十七夜月の胸の中で泣いた。今度はさっきとは違う意味の涙だ。そんな俺をあやすように、彼女はもう片方の手で俺の背中をぽんぽんと優しく叩いてくれる。
……ああ、温かいな。
ゾンビに……吸血鬼になってからずっと不安だった心が、温かさで満たされていくようだった。
《【眷属との絆】を獲得しました》
頭の中に聞き慣れたアナウンスが流れる。しかしそれはいつものような事務的なものではなくて、どこか人間味のある優しい声だった。
音声はそこで途切れることはなく、さらに続きを話し始める。
《王には臣下が必要です。それも、吸血鬼のように悠久の時を生きる存在ならば、尚のこと。王に寄り添って長い旅路を歩んでくれる、信頼のおける忠臣が……》
……あ、あれ? アナウンスの人、今回ちょっとおかしくないか? なんか、急に感情が籠ってるというか……。
そんな俺の戸惑いなど知る由もなく、彼女 (?)は言葉を続ける。
《あなたは全ての条件を満たしました。ただの人間でありながら、数多の試練を乗り越え、唯一無二たる存在にまで至った、か弱くも強き魂を持つ者よ。今ここに新たなる始祖の誕生を祝福しましょう。七つの世界に存在する、三体の吸血鬼の真祖。その四体目、吸血鬼の第四真祖、その名は──》
──"吸血姫ナユタ"。
声がそう告げた瞬間、俺の身体から紅き光が放たれ、かつてないほどの力が湧き起こってくるのが感じられた。それはまるで、俺の魂が、存在そのものが、一つ上の次元へと昇華したかのような、圧倒的な全能感。
その心地よくも、どこか恐ろしさをも感じる感覚に身を預けていると、やがて俺の意識は徐々に遠ざかり、そのまま深い眠りへと落ちていった──。
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これにて五章は終了です。
いよいよ次で最終章。もうちょっとだけ続きます。
天獄会との決着、そしてプロローグへ。吸血姫の行く末を、是非最後まで見届けてくだされば幸いです。
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