第129話「竜人」

 ――速いっ!? 俺の【縮地】に匹敵するほどの速度!


 瞬きする間に天獄は目と鼻の先まで接近しており、大鎌を俺に向かって振り下ろしてくる。その一閃を、紙一重で躱した俺の腹部に衝撃が走る。


 目線を下に向けると、光を纏った天獄の左拳が鳩尾に深々と突き刺さっており、俺は口から血反吐を撒き散らしながら弾丸のような速度で後方へ吹き飛ばされた。


「ぐあぁあぁぁーーッ!?」


「先輩っ!?」


 ダンジョンの壁に背中から激突し、その衝撃で壁が崩落する。瓦礫に埋もれる俺の耳には、十七夜月の悲鳴と天獄の高笑いが響いていた。


「ゴホ……っ、ぐ……」


 ……クソッ! なんて威力だ! 腹に穴が開いたかと思ったぞ!?


 吸血貴族の強靭な肉体と【超再生】のおかげでなんとか戦闘不能にならずには済んだが、それでも内臓へのダメージが大きく、腹の中に鉛を押し込まれているような苦しさと痛みに抗いながら身体を起こす。


「ワハハハハッ! 凄まじい力じゃ! 今の儂は吸血鬼をも超える存在と見た! この力があれば、儂は間違いなく日本を……いや、世界をも支配できるッ!」


 血の塊を地面へ吐き捨て、瓦礫を押し退けて立ち上がった俺に、天獄は大口を開けて笑いながら歩み寄ってくる。


 ……が、急にピタリと足を止めると、奴は緩んでいた表情をキリっと引き締め、コキコキと首の骨を鳴らし始めた。


「いかんな……。まだ高揚感が抜けておらんようじゃ。油断、慢心、過信。……この力に酔い過ぎておる。10や20の若者でもあるまいし、こういうときは大きな失敗をすると、儂は知っておるはずじゃ」


 天獄はそう呟くと、大鎌を床に突き刺して両手をだらりと下げ、静かに目を閉じる。


 それから大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。それを何度か繰り返すと……彼の身体を包んでいた黄金のオーラが、更に輝きと密度を増し始めた。


 あれは……魔法の杖から放たれる魔力光に近いな。おそらく奴の体内には魔力を生成するような器官があるのだろう。そして、それを自在に操れるみたいだ。


 先ほど喰らったパンチ、とてつもない重さと威力だった。魔力を帯びた攻撃というのは、あそこまでの破壊力を生み出すのか……?


 肉体は人間を超越した吸血貴族のそれだが、俺にはあいつのように魔力を操る力はない。それはあたかも戦闘用の武具に身を包んだ兵士と、裸で戦うような不利さを感じる。


「ふぅ……力をコントロールするだけで難儀じゃわ。龍吾、一虎。先に戻っとれ、まだ加減が難しいようでの。周りを巻き込んでしまいかねん」


「「はっ!」」


 天獄の命令に2人の幹部は素直に従うと、帰還の転移陣へと飛び込んでいく。


 おい、一虎ふざけんな! どさくさに紛れて俺のポーチまで持っていくんじゃねーよ! 相手は魔力使いなんだから、せめて俺が自分で集めた魔導具くらい使わせろ!


 ……だが、抗議する間もなく2人は帰還してしまった。これでこの場に残ったのは俺と天獄、それと十七夜月の3人だけだ。


「十七夜月、お前も先に逃げろ! ここは危険だ!!」


「わ、わかりました」


 再び大鎌を振り回しながら迫ってくる天獄から距離を取りつつ、十七夜月に逃げるように指示を出すと、彼女は大人しく転移陣に向かって駆け出した。


 ちらりと十七夜月のほうに目線を動かした天獄だが、すぐに俺へと視線を戻す。どうやら約束通り、奴は彼女を追うつもりはないみたいだ。


 ……よし、それでいい。あとはなんとかして俺がこいつを倒す……か逃げ切るしかない。


 じりっと転移陣の方向へ足を向け、逃走の態勢を取る。しかし天獄はとてつもない速度で俺の前に回り込み、通せんぼするように鎌の柄を地面に突き立てた。


 駄目だ……パワーだけでなくスピードも俺より上か。こいつに背を向けている余裕はない。せめて少しの間でも意識を刈り取るくらいはしないと、逃げることすら難しそうだ。


「さてと……仕切り直しといこうかの。油断はせん、確実に貴様をここで葬ろう」


 天獄は大鎌を肩に担ぐと、その身体に黄金の魔力光を纏わせながら、ゆらりと一歩前に出てくる。そして次の瞬間、奴の姿が俺の視界から消えた。


 真横から迫る死の予感。得意の【軟体】を生かして咄嗟に上半身をうにょん、と反らしてブリッジするような体勢を取ると、胸の数センチ上辺りを大鎌の刃が凄まじい速度で通り過ぎる。


 あぶぇね! 俺の【神乳】が切り裂かれちまうとこだったじゃねぇか! 国宝級のお乳に傷がついちまったらどう責任取るつもりなんだ――よッ!


「ぬぅ!?」


 ブリッジの体勢のまま地面に手をついて、そのまま跳躍。天獄の顎に俺の渾身のサマーソルトキックが炸裂する。


 くっ、完璧に入ったのに固い! 魔力によって肉体がガードされているのか!? だけど、脳が揺さぶられて少しふらついている、このまま一気に押し切る!


 着地と同時に地面を蹴って、回し蹴りを脇腹に叩き込む。続いて、よろめいた天獄の懐に潜り込むと、飛び上がってカエル跳びアッパーをその顎に炸裂させた。


「ぐ、うがっ!?」


 空中で一回転して体勢を整えた俺は、ボクシングのフットワークを刻みながら、天獄の周囲を高速で移動し始める。


 天獄は大鎌を横なぎに振るって俺を斬り裂こうとしてくるが、今度はカポエイラの足運びで地面スレスレを踊るように移動しながらその攻撃を躱し、逆に相手の軸足を払って転ばせると、回転の勢いを乗せた踵落としを奴の脳天に叩き込んだ。


「ぐぬあッ……!」


 よし! 効いている!


 俺の攻撃は魔力を纏っていないが、吸血貴族の身体能力と世界最高峰の格闘技の技を組み合わせれば、僅かずつではあるが竜人である奴の身体にもダメージを蓄積させられるようだ。


 "竜殺剣"があればもっと楽に戦えるのかもしれないが、無いものは仕方がない。今はこの身一つでなんとかこの場を乗り切るしかない。


 反撃をしてくる天獄だが、冷静になって観察してみれば、その攻撃は大振りで雑、動きもワンパターンだ。確かにパワーとスピードは並外れているが、格闘技術は素人と大差なく、集中すれば見切ることだって可能だ。


 このままヒットアンドアウェイで攻撃を続ければ、倒すまではいかなくともダウンさせるくらいは――


「すぅぅぅぅ……はぁぁぁッッ!!」



 ――ゴオオォォォッ!



 突然の出来事だった。それまで鎌を振り回すだけだった天獄が大きく息吸って、それを一気に吐き出したのだ。


 その瞬間、俺の視界が赤一色に塗りつぶされ、同時に凄まじい熱風と全身を焼けるような激痛が駆け抜ける。


「ギャァァアアアーーーッ!?」


 な、なんだ!? 一体なにをされた!? 熱いッ! 痛いッ!


 いつの間にか俺の全身は火だるまのように燃え盛っており、それを意識した途端により一層の激痛が襲ってくる。


 ほ、炎か!? 口から炎を吐き出したのか!? あいつそんな能力まで持っているのか!?


 強すぎる!! 星四ダンジョンのボスを遥かに上回る強さ! いや……もしかしたら星五のボスよりもこいつは……っ!!


 慌てて地面をゴロゴロと転げ回り消火するが、全身を火傷したようで、服が破れた箇所からは赤黒い皮膚が見え隠れしていた。しかも魔力のこもった攻撃だからか、再生速度も普段よりも遅く感じる。


 必死に立ち上がろうと地面に手をついたが、焼けただれた皮膚で手が滑り、頭から地面に倒れ込んでしまう。


 体を起こし顔を上げると、天獄が大鎌を上段に構えているのが見えた。


「これでチェックメイトのようじゃの」


「や、やめ――」


 命乞いをする間も与えられずに、天獄は無慈悲に大鎌を振り下ろす。


 ――ザシュッ!


 吸血鬼に特効を持つその刃は、俺の強靭な肉体になんの抵抗もなく食い込むと、肩口から脇腹までを斜め一直線に切り裂いて、そのまま地面へと深く突き刺さった。


 下を見ると、ダンジョンの床にいつの間にか大きな赤い水たまりができていた。出所がどこかは確認するまでもない。


 俺は全身から真っ赤な噴水を吹き上げながら、自らの血の海に倒れ込んだ。

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