第128話「変貌」
「そこで止まれ! 両手を上げてゆっくりと部屋の中に入れ! もう一度忠告するが、絶対に妙な真似はするなよ?」
大部屋の入り口まで辿り着くと、中から先程と同じ男の声が響いてくる。言われた通りに両手を上げながら、俺はゆっくりと部屋の中に足を踏み入れた。
部屋の中央には、声の主と思われる男が仁王立ちで待ち構えていた。年齢は40代半ばくらいだろうか、頬に大きな傷のある厳つい顔つきの男で、典型的な極道と表現するのがぴったりな風貌だ。
そしてその後ろには十人ほどの黒服が待機しており、更に後ろにある転移陣の前には"冥府の鎌"の刃先を十七夜月の首筋に当てた黒服が、いつでもこの首を狩れるぞ、という姿勢で彼女を人質にしている。
「十七夜月!!」
「……先輩、ごめんなさい。ドジ踏んじゃいました」
「おい! 許可なく喋るんじゃあないッ!」
「――うぐぅ!?」
「やめろ! 彼女を傷つけるな!」
黒服が十七夜月の腕を捻りあげる。苦痛に顔を歪ませながら、彼女は俺に申し訳なさそうな顔を向けてきた。
怒りがふつふつと沸き上がるが、ここで感情のままに動いてはいけない。奴らはその辺の路上でたむろしているチンピラじゃないんだ。やると言ったら人質に危害を加えるくらい平気でやる。
……どうする? 【縮地】で一気に距離を詰めて十七夜月を奪還するか?
ダメだ、奴ら完全にこういった状況に慣れてやがる。まずは俺の正面に頬傷の男、そしてその後ろに壁を作るように列をなす黒服、一番後ろにいつでも転移陣の飛び込める状況で十七夜月を人質にしている黒服。
この配置を崩して一瞬で全員を制圧したり、十七夜月を無傷で救い出すのは、今の俺では不可能だ。
ちょっとの傷なら"癒しの杖"で治せるが、もし首を切断されたり、即死級の致命傷を負わされたりしたら……。そんなリスクは冒せない。
「色々葛藤しているみてぇだが、目的の物を手に入れられたら女は解放する。だから黙って俺の指示に従え」
「……目的の物?」
「親父……会長の求める魔導具をお前が持っているはずだ」
「天獄会の会長が若返りの薬を求めているって話は聞いたことがあるが、俺はそんな物持っていないぞ? お前らの勘違いじゃないのか?」
「それはこの目で直接確認させてもらう」
「……人質が無傷で解放される保証は?」
俺がそう言うと、頬傷の男は懐からなにやら紙のようなものを取り出し、それにさらさらとペンを走らせる。
そして書き終えた紙を床に置くと、数歩下がってから俺に受け取るように促した。
「ポーチの中からアイテム鑑定機だけを取り出すことを許可する。違う物を取り出した瞬間、女の首は宙を舞うと思え」
……なるほど、この紙は魔導具か。
ポーチから鑑定機を取り出すと、ゆっくりと床に置かれた紙を拾い、それを鑑定してみる。
【名称】:魔法の契約書
【詳細】:これに書かれた内容は、必ず守らなくてはならない。もし破った場合、契約者はその命を持って償うことになるだろう。
続いて、紙に書かれていた内容はこうだ――
〈天獄将徳の求めるアイテムを入手後、人質の女は無傷で開放する。そしてこの計画に関わった天獄会の構成員は、今後彼女に意図的な危害は加えないことを誓う。ただし、解放された女が、天獄会もしくは天獄会の構成員に攻撃行為を行った時点で、契約は失効するものとする。――天獄一虎〉
「……」
「どうだ? それで保証に足り得るか?」
「この計画に関わった者のみ……というのは?」
「天獄会の構成員は末端も含めりゃ数え切れないほどいる。たとえば街で女と末端構成員の肩がぶつかり喧嘩になったら、それだけで俺が契約違反により死ぬことになるだろ? 今日この場にいる者と幹部連中は全員この計画を知ってるし、知ってる者からの命令も危害に含まれる。これで十分だろ」
「意図的な危害という文言は?」
「偶然ぶつかったり、蹴りそこなったボールが当たったり、なんてこともあり得るだろう? そういうのは勘弁しろってことだ」
「攻撃行為を行った時点で、契約は失効……とういう点は?」
「せめて正当防衛くらいできなきゃ、俺たちに対して無敵の人間が出来上がっちまうだろうが。ちなみに攻撃行動とは、人を使って俺たちを攻撃させる、挑発して自分を攻撃させるように誘導するといった、直接攻撃に該当しない行為も全て含むぜ?」
……嘘偽りは言っていないように思える。正直この内容であれば、十七夜月が無傷で開放されるのは間違いなさそうだ。
むしろ外に出てから起こるであろう俺とこいつらの戦いにおいて、彼女だけは絶対に近い安全の保証が付いたとすらいえる。
「俺も命を張ってんだ、これ以上は妥協できねぇぞ」
「……わかった。この条件でいい」
完全に相手のペースで話が進んでしまって腹が立つが、今はこの提案を呑むしかない。
契約書をポケットに突っ込むと、腰から次元収納ポーチを外し、頬傷の男……改め天獄一虎に向かって放り投げる。
男はそれをキャッチすると、中を開いて中身を確認し始めた。
「……む、妙だな。確かにそれらしい魔導具は見当たらねぇ。まさか"命の実"じゃねーよな、あの親父がたかが一年足らずの寿命の延長で満足するわけねぇし……。どういうことだ?」
アイテム鑑定機を手に持ってポーチの中身を調べていた一虎が、難しい顔のまま首を捻る。
そして、ポケットからスマホを取り出すと、どこかに電話を掛け始めた。
「龍吾か、俺だ。……ああ、無事小娘から魔導具の入ったポーチは回収した。だが、親父の目当てのアイテムがどれかわからない。……親父に直接? 大丈夫なのか? ここは一応ダンジョンの中だぞ? ……ああ、わかったよ」
通話を切った男が、深い溜め息を漏らす。
今の会話の内容から察するに、会長の
しばらく待っていると、俺の予想通り、光の粒子に包まれながら部屋の中に二人の人物が転移してきた。黒服たちは一糸乱れぬ動きで隊列を少し変え、俺と転移してきた人物の間に壁を作るように並ぶ。
現れた一人目は、極道とは真逆の雰囲気を纏う長身で知的な印象の男だ。
あいつはどこかで見たことがあるな、確か……そう、黒羽根家のパーティに来てた天獄会の幹部だ。名前は……電話でも呼ばれていたから龍吾だったか?
そして二人目は、その龍吾に肩を借りる形で現れた白髪の老人だ。あの男が間違いなく天獄将徳だろう。
だけど、噂に聞く印象とはだいぶ違うな。齢90を超えながら、その凄まじい活力で日本を裏から支配する巨悪……と聞いていたが、俺の目の前の老人は、まるで病人のように生気を感じられない。
しかし、その鋭い眼光は健在で、一虎からポーチを手渡された彼は、それを食い入るように見つめ始めた。
……そして数分後、一つのアイテムをその指先で摘み、ゆっくりと持ち上げる。
「これじゃな……。これが儂の求めておったアイテムじゃ」
「「「えっ!?」」」
俺や十七夜月だけじゃなく、一虎や龍吾。他の黒服たちまでもが、同時に驚きの声を上げる。
いや、だってそうだろう? 奴は若返りの方法を探していたはずだ。なのになんで
「親父……? 本当にそれが目的のアイテムなのか?」
「うむ、儂が最も望んでいた物では……ない。だが、そうじゃな。案外儂にはこれが一番相応しいのかもしれん」
そう言って天獄将徳は
なにを考えているんだあの老人は? ラッキーポーションはただ数分間運が良くなるだけのアイテムだぞ。そんな物が若返りの薬の代替品になるわけが――
だが、そんな俺の考えは次の瞬間に吹き飛んだ。なんと奴は、今度はポーチの中から大量の虹ポーションを取り出して、それを全て飲み始めたのだ。
「か、会長!?」
「おいおい、親父! 一体なにを考えてんだ!?」
龍吾や一虎が驚愕の声を上げ、黒服たちが慌てて天獄将徳を止めようとする。しかし、彼はそれを振り払いながら虹ポーションを飲み続ける。
いやいや……! 運が良くなるラッキーポーションを飲んだ後に、なにが起こるかわからない虹ポーションを飲む。一度は考えるかもしれないが、普通実行するか!?
ミケノンのときは上振りで良い効果が出たが、虹ポーションは悪い効果が出るほうが圧倒的に多い。
社会の底辺にいるような人間ならまだしも、その真逆と言っていいほどの地位に君臨する人生の成功者が、そんな一か八かのギャンブルをするなんて、俺には到底理解ができなかった。
「儂は……90年以上の人生で、幾度となく命の危険に見舞われた。じゃが、その度に常識では考えられないような幸運が、儂を救ってくれた。……運否天賦、いいじゃないか。命を懸けた人生で最大のギャンブル。これが儂には最も相応しい」
そう言いながら最後の虹ポーションを飲み干した天獄将徳の身体から、眩いばかりの黄金の光が放たれる。
次の瞬間、老人の枯れ木のようにやせ細っていた腕が、みるみる内に太く、たくましく変化していった。続いて足、そして胴体も筋肉質な体つきに変わっていき、皺だらけだった肌は張りを取り戻していく。
背筋もピンと伸び、真っ白だった髪や眉も黒々と輝き始め、あっという間に20代前半くらいの若々しい肉体へと変わってしまった。
――だが、それだけで終わりではなかった。
光はまだ収まらず、続けて天獄の額からは金色に輝く二本角が、そして背中からも黄金の翼が生え始める。瞳は黄金色に輝き、爬虫類のように縦に割れた瞳孔と、口元には鋭く尖った牙が覗いている。
……それはまるでドラゴンが人に化けたかのような、美しくも恐ろしい魔人の姿だった。
最後に黄金の光は彼の体の中に取り込まれるように消えていくと、その肉体から圧倒的なオーラの波動が放たれる。
俺だけじゃない、その場の全員が目を疑い息を飲むなか、その美しい容姿に相応しくない老人のような口調で、天獄は歓喜の声を上げた。
「お、おお……! おおっ! な、なんということじゃ……! 素晴らしい! 若返ることができれば……とは思っておった。じゃが、まさかこれほどまでの力が手に入るとは……ッ!!」
天に向かって高々と両手を掲げた彼は、目を見開いて子供のようにはしゃぎ始める。
そのとき、奥の通路から数体のモンスターが姿を現した。犬のような頭部に人間の子供くらいの人型の体躯。……コボルトだ。
天獄はコボルトの群れに気が付くと、そちらに向けて軽く手を振るような動作をした。すると――
――ドゴォォォンッ!
たったそれだけで、轟音と共にコボルトの群れは跡形もなく吹き飛んでしまった。周囲の壁は深く抉れ、空気もビリビリと振動している。
……な、なんだあれは? 衝撃波か? それにさっきから奴の身体を覆っているオーラのような光。あれは吸血貴族である俺にもない力だ。
嫌な汗が頬を伝う。……あいつ、俺より格上の存在かもしれない。
だが、そんな俺の思いをよそに、天獄は上機嫌な様子で黒服たちに歩み寄ると、その肩や背中をポンポンと叩く。
「貴様らもご苦労じゃったな。……ん、そちらの娘もすまんかったのう。おい、もう解放してやれ」
「は、はっ!」
あっさりと解放される十七夜月。彼女は少し困惑しつつも、俺の方に駆けてくると、ぎゅっと抱きついてきた。
……俺も、彼女の背中にそっと手を回す。
「よかった……。本当に無事でよかった……」
「ごめんなさい、先輩。迷惑かけて」
「いや、謝らないといけないのは俺のほうだ。……巻き込んで本当にごめん」
十七夜月の頭を撫でながら連中の様子を窺い見ると、黒服たちは目的は達成したと言わんばかりな表情で、次々と帰還の転移陣に飛び込んでこの場から消えていった。
そして天獄も龍吾と一虎を引き連れて帰還の転移陣へと足を進め始める。
が、その途中でふとなにかを思い出したかのように足を止めると、彼はこちらを振り返って口を開いた。
「……いかんいかん、儂としたことがあまりにも気分が高揚しすぎて、うっかり大きな過ちを犯してしまうところじゃった」
床に落ちている次元収納ポーチを拾って、それを一虎に渡すと、天獄は改めて俺に視線を向けてくる。
……その目は先程のような好々爺のような優しいものではなく、もっと異質で、悪意に満ちた邪悪なものへと変貌していた。
「そっちの娘は約束通り解放した。じゃが、吸血鬼の小娘、やはり貴様は生かしてはおけん。貴様をここで逃すと、将来必ず儂の大きな障害になる。そんな確信めいた予感がある。……儂の覇道のために、ここで死んでもらおう」
「――十七夜月! 離れてろっ!!」
「きゃっ!?」
十七夜月を強引に突き放し、天獄と向き合うと臨戦態勢を取る。
奴はそんな俺の様子を見て愉快そうに笑うと、一虎から受け取った"冥府の鎌"をくるりと一回転させ、その刃先を俺に向けてきた。
「どうやら今の儂は竜のような姿をしとるらしいの。ふむ……竜人天獄とでも名乗るとするかの」
天獄はそう呟くと、まるで散歩をするような軽い足取りで俺に歩み寄ってくる。
その身体からは黄金のオーラが迸り、歩く度に床や天井、壁に亀裂が入り始めた。天井の一部が崩落し、その破片が降り注ぐなか、俺たちは無言で見つめ合う。
「……では、小娘。竜人としての初陣じゃ、手始めに吸血鬼狩りと洒落こもうかのうッッ!!」
空気を震わすほどの大音量で竜人が吼える。そして大鎌を構えると、奴は俺に向けて一直線に突っ込んできた――。
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