第127話「罠」
ダンジョンに降り立つと、そこは洞窟のような空間だった。
ごつごつとした岩肌が露出した壁と床。そして天井は、うっすらと光を放つヒカリゴケのようなものでびっしりと埋め尽くされており、そのおかげで視界は悪くない。
シンプルなよくある洞窟型のダンジョンだ。しかも転移直後の大部屋の隅に、いきなり帰還の転移陣と思われるものまである。
……が、周囲を見回して男性の姿を探すと、帰還の転移陣には見向きもせずに、いくつかある細い通路の一つに飛び込んでダンジョンの奥へと走っていく彼の後ろ姿が見えた。
「やっぱり自殺か? それともボスを倒せるなんらかの手段があるとか……」
理由はよくわからないが、放っておくわけにもいかず俺は彼の後を追いかける。
男性は分岐路を無視して、ひたすら真っ直ぐ突き進んでいく。しかし俺の5.0の視力は、その通路の奥が壁で行き止まりになっているのをしっかりと捉えていた。
……おいおい、一体なにを考えてるんだ?
しばらくその背中を追っていると、やがて男性は壁の前で立ち止まる。
そしてこちらを振り返ると、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「ゴメンナサイ。あなたに恨みはないのですが、ワタシには借金がいっぱいあるのデス」
「借金? あんたなに言って――」
突如背筋にぞわり、と嫌な予感が駆け抜け、俺は咄嗟に身体を反転させつつ飛び退いた。
――ヒュンッ!
直後、俺が立っていた場所に高速でなにかが振り下ろされる。はらりと、俺の髪の先端が宙を舞った。
地面を滑って壁際に退避し、すぐさま体勢を立て直して攻撃してきた相手を睨みつける。
……そこにいたのは、20代前半くらいの人間の男だった。短い茶髪をツーブロックに刈り込み、耳にはピアス、そして鍛え上げられた肉体をぴっちりとした黒いボディスーツのような服で包んでいる。
男の右手には漆黒のナイフが握られており、その切っ先は俺の方を向いていた。
「おいおい、今のタイミングで避けれんのかよ? 不意打ちで仕留めそこなったのなんて初めてだぞ」
切れ長の目を爬虫類のようにぎょろりと動かしながら、男は心底驚いたような顔で俺を見つめてくる。
……一体なんなんだこの男は。いつから俺の後ろをつけていた?
いや、大した距離も置かず後ろをつけられて、今の俺が気づかないはずがない。おそらくこの男は最初からダンジョンの中にいたんだ。途中の通路に隠れていて、俺が行き止まりまで来たところを狙ったのか?
「もしかして罠か? 最初から俺を嵌めるつもりだった?」
「わりーがなにも言うなって上から言われてんだわ。おい、お前。もう行っていいぞ」
「は、ハイ! それでは失礼しマス」
外国人男性は、ナイフ男の言葉にペコリと頭を下げると、逃げるように来た道を引き返していった。どうやら彼は、金かなにかで雇われて俺をここに誘導する役割だったらしい。
どうなってんだよ。俺、誰かに狙われる理由なんてなにも思い当たらないんだが?
……いや、待てよ。この用意周到っぷりに、上からの指示による行動。外国人男性の借金。そして親父さんら政府の人間とは違う荒っぽいやり口。
「お前、天獄会の構成員か? どっかで俺が魔導具を大量に集めてるのに感づいて奪いに来たのか?」
「……あぁ~、俺やっぱこういう役割向いてねえわ。なんか失言したか?」
俺の質問に対し、ナイフ男はボリボリと頭を掻きながら、面倒臭そうに溜め息を漏らす。やはり天獄会の人間で間違いなさそうだ。
くそっ、奴らの縄張りには入らないようにダンジョン探索をしていたはずだが、どこかで正体を知られてしまったのかもしれない。
「しかしこうして間近で対峙してみると……なるほど、兄貴が警戒するだけのことはあるな。纏ってる空気が普通のガキとは違い過ぎる」
腰を低く落とし、懐からもう一本のナイフを取り出して左手に持つと、それらを逆手に構えたままこちらを見据える男。
あれは二本とも"悪魔殺しの短剣"か。吸血鬼である俺に特効のある魔導具ではない……が。
……この男、強いな。
エクストラダンジョンで会ったカイルさんやシャオウさんのような、確かな実力者のオーラを感じる。それも彼らとは違って、対人戦に特化しているタイプの強者だ。
「本当はこういう卑怯な真似はしたくねーんだが、上からの指示じゃあ仕方ないわな」
「……?」
男は道を塞ぐようにその場に留まったまま、攻撃する素振りをまったく見せない。
どういうことだ? さっきから意図がまったく読めん。……まあいいか。こいつをぶちのめして吐かせれば全てわかるだろ!
――となれば先手必勝!
俺はナイフ男を視界から外さないように集中力を高めると、【縮地】を使って男の懐へと飛び込み、その勢いのまま右拳を繰り出した。だが――
「――うっ!?」
「ひゅ~。速ぇな、おい!」
いつの間に切りつけられたのか、俺の右手の甲に一筋の切り傷が生まれており、腕を伝って大量の血が滴り落ちていく。
こいつ! 【縮地】を避けたのか!?
いや、人間にあの速度を見切れるとは思えない。おそらく攻撃の気配を感じて、咄嗟に後方に飛びながらナイフを振ったんだ。なんという戦闘センス……!
「今のなんだよ! お前サ〇ヤ人か? それとも悪〇の実の能力者か? それって訓練したらできるようになる類の技!?」
クルクルとナイフを回しながら、驚いた顔で興奮気味に喋るナイフ男。
とても命の奪い合いをしている最中とは思えない楽しそうで明るい口調だが、その目は俺をしっかりと見据えて警戒したまま動かない。
……くっ、なんだかやりづらいな。こいつ、こういう場で会ってなかったら普通に話が合いそうなタイプだぞ。
「50年くらい秘境の宿で修行したら身につくかもな」
「……50年は長ぇなぁ~。まあでも、爺になるまで生きてたら、俺もそんな境地に達することができてんのかもなぁ」
軽口を叩きながらナイフを構え直す男。だがやはり向こうからは仕掛けてこない。
もしかして時間稼ぎが目的か? しかし一体なんの為に?
だめだ、ミケノンや十七夜月だったらあっさり看破できるんだろうが、俺はこうした腹の探り合いが苦手なんだ。
……ええい! もう考えても仕方ない。とにかくこいつをぶん殴る!
「オラァ!」
「うおっ、こぇー」
再び一瞬にして距離を縮め、今度は男の頭を狙ってハイキックを繰り出す。だが奴はナイフを振り回しながらも、後方に飛び退いてそれをギリギリで回避した。
またしても太ももがいつの間にか切られており、鮮血が飛び散る。が、俺は構わずそのまま回し蹴り、そして左フックと連続で攻撃を繰り出していく。
手、足、頬、肩、と次々と切り傷が生まれていくが、【超再生】を持つ俺はその傷を一瞬で再生させながら、目にも留まらぬ高速連撃で攻め立てる。
「ちょ、お前それはずるいだろ!」
「ずるくないですー。ただの体質ですー」
強い、この男は確かに強い。だけど攻撃手段がナイフである以上、俺に致命傷を与えることは難しい。もし吸血鬼特効のナイフの魔導具があったら、また話は別だったかもしれないが、残念だったな。
ナイフで切り裂かれながらも、俺は一切の勢いを殺さずに男に迫り続け、そして――遂に奴の右腕を掴むことに成功した。
「せいやぁ!」
「ぐお!?」
そのまま相手の右腕を捻り、地面に引き倒す。間髪入れずに背中に張り付いて完璧に関節を極める。
吸血貴族に進化し、柔道の技術も【紅帯】レベルまで達している今の俺の関節技から逃れるのは、たとえ超一流の戦士であってもまず不可能だ。
「ガブッ!」
「なっ、テメェマジで吸血鬼なのかよ!?」
首筋に噛みつくと、男の口から驚愕の声が漏れた。
……おいおい、俺が吸血鬼だってことまで天獄会にバレてんのか? 誰かのスキルか、それとも魔導具か、どちらにせよ情報が漏洩しているのは間違いなさそうだ。
はぁ~……なんだか面倒なことになってきたなぁ。もうこれって絶対天獄会と全面抗争の流れじゃん。
《【ナイフの魔術師】を獲得しました》
ごくごくと血を啜っていたら、予想通りの長所を獲得できた。
こいつの身のこなしや戦闘勘のようなものまでは真似できないだろうが、それでも超一流のナイフ術が手に入ったことは大きい。
【名称】:ナイフの魔術師
【詳細】:手に持ったナイフをまるで体の一部であるかの如く自由自在に操る。目にも止まらぬ速さで標的を切り裂いたり、投擲すればビームを放ったかのような恐ろしい速度かつ正確な軌道でターゲット目掛けて飛んでいく。その様はナイフを魔法で操っているかのようだ。
がくがくと男の腕が震え、ナイフが地面に投げ出されたのを確認してから、俺はゆっくりとその身体から離れる。
完全に貧血状態になるまで血を吸ったので、しばらくまともに動けないだろう。さて、尋問して目的を洗いざらい吐いてもらおう――
「おい! 吸血鬼の小娘! 聞こえるかッ!?」
入口の方から突然、別の男の大きな声が響いてくる。
……誰だ? まさか天獄会の増援か?
まずいな、この通路は狭いし、こいつレベルの奴が大勢来て、魔導具で一斉攻撃をされたら回避するのは難しい。
しかし、俺のそんな警戒とは裏腹に、通路からは誰も姿を現さなかった。そして俺の予想もしてなかった言葉が、その静寂を破る。
「連れの女の命が惜しかったら、魔導具の入ったポーチを持って入口までゆっくり歩いてこい! 妙な動きはするんじゃねえぞ? 少しでもおかしな真似をしたら女の命は保証できねえ!!」
「――ッ!?」
くそったれ! 馬鹿か俺は! なんでその可能性を失念していた!?
天獄会に俺の正体がバレているなら、当然十七夜月もマークされているし、公園内にも大量に奴らの仲間が潜伏していたはずだ。
ナイフ男も『本当は卑怯な真似はしたくねー』みたいなセリフを言ってたじゃないか!? 完全に俺の落ち度だ!
俺は地面に倒れ伏すナイフ男をその場に放置すると、全速力で入口に向かって走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます