第126話「感謝の気持ち」

『そんなわけで、ゴールデンウィークは撫子と小旅行に行って来るにゃー』


「おう、楽しんで来いよ。土産は温泉饅頭でいいぞ」


 もうすぐ五月というある日の昼下がり。俺は自宅のリビングで、ミケノン相手に通話していた。


 撫子さんが久々に長期休暇を取れたらしく、熱海の温泉に旅行に行くことにしたらしい。俺たちも誘われたのだが、十七夜月が運悪くまとまった休みがとれなかったため、今回は遠慮させて貰うことになった。


 猫が温泉に入って大丈夫なのだろうか……とも思ったが、ミケノンは普通の猫じゃないのでその辺りは上手くやるのだろう。


『吾輩がいないからって、雛姫に迷惑ばかり掛けるんじゃないにゃーよ? ナユタは雛姫に甘えてばっかりだからにゃー。たまには日々の感謝を行動で示したり、言葉にして直接伝えることも大切にゃー』


「わ、わかってるって……」


 確かに十七夜月にはいつも世話になりっぱなしだ。ミケノンの言うとおり、たまには感謝の気持ちを伝えないといけないな。


 ……で、でもいざ言葉にするのは恥ずかしいし。ま、まあそのうち……な。







「ふぅー。思ったよりいっぱい買っちゃいました。でも本当にいいんですか? 全部先輩の奢りで」


「いいんだよ。ま、お前にはいつも世話になってるし……たまにはな」


「へぇ~、こんな素直な先輩は珍しいですね」


「……うるせぇなぁ」


 俺の【ぷにぷにほっぺ】をつんつんと突きながら、にやにやと笑う十七夜月。


 その手を軽く払いのけながら、俺は彼女から手渡された買い物袋を次元収納ポーチの中にぽんぽんと放り込んだ。


 今日はゴールデンウィーク初日の土曜日。俺と十七夜月は、二人で渋谷に買い物に来ていた。そこからぶらぶらと原宿まで歩きながら、服やアクセサリーなどを見て回っている。


 ミケノンに言われた通り、たまには素直に感謝の気持ちを伝えようと思っていたのだが、なかなか良い言葉が思いつかず……こうやって好きな物を買わせることで、お茶を濁すことにした。


 でもまあ、こいつも喜んでくれてるみたいだし、結果オーライかな。……俺の奢りだからって遠慮なく買い過ぎではあるけどな!


 そんなこんなをしていると、いつの間にか原宿駅の近くまで歩いて来ていた。


 まだ帰るには早いし、どうするべきか……と、考えていたそのとき、突如後ろから声を投げかけられる。


「スミマセン。代々木公園はドッチに行けばよいデスカ?」


 振り返ると、そこには観光客と思われる外国人の男性が立っていた。


 短く刈り上げた金髪に、彫りが深めな顔立ち。特別イケメンでも不細工でもない、あまり特徴のない普通の白人男性だ。


 だけど、どこか浮かない表情をしているというか……あまり元気がなさそうに見えるな。俺たちの前に他の人に声をかけて、無視でもされてしまったのだろうか。


「え~と、ここからならすぐですよ。そこの通りをまっすぐ行って……」


「ちょうど時間もあるし、案内ついでに私たちも公園に寄っていきませんか?」


「そうだな、そうすっか。じゃあ一緒に行きましょうか」


「アリガトウゴザイマス。優しい人、とても助かりマス」


 せっかくのぽかぽか陽気だし、公園で十七夜月と一緒にのんびり過ごすのも悪くないだろう。


 そうして俺たちは、外国人男性と一緒に代々木公園へと足を運ぶこととなった。



 

 ――代々木公園。


 東京都渋谷区に存在し、面積は東京ドーム11個分にも及ぶこの公園は、都会の喧騒を忘れさせてくれるほど緑豊かな環境で知られ、春には桜、秋には紅葉と季節ごとに美しい景色を楽しむことができる、都内でも有数の観光スポットだ。


 公園内は、ゴールデンウィークということもあって家族連れやカップルで賑わっていた。桜はとっくに散ってしまっているが、代わりに青々とした草花が生い茂っていて、鮮やかな新緑が目に眩しい。


 外国人男性は、きょろきょろと周囲を見渡しながら興味深げに感嘆の声をあげている。


「あそこの木。バリケードテープが貼ってありマス。事件デスかネ?」


 案内も終わったし、そろそろ彼とは別れて十七夜月と二人でゆっくり公園内でも散策しようか……と思っていると、男性が突如そんなことを言い出した。


 彼の指さす方に視線を送ると、人々で賑わう公園の中、そこだけがぽっかりと人がおらず、一本の大きな木を囲むように黄色と黒のテープが張り巡らされているのが見て取れる。


 ……ああ、あれはたぶんこの間の桜の木と同じパターンだろうな。こんな広大な敷地だし、転移陣があってもおかしくはない。


「おそらく転移陣があるんでしょう。危ないんで近寄らないほうがいいですよ」


 十七夜月と共に近くのベンチに座りながら、男性に忠告する。しかし彼は、その警告を無視してふらふらと大木の方へ歩き始めてしまった。


 ……転移陣が珍しいのかな? いや、外国でも普通に転移陣はあるだろうし、わざわざ見に行くほどのものじゃない気がするが。


 ポーチの中からペットボトルを取り出してその中身をごくごくと飲みながら、俺は彼の様子をぼんやりと眺める。


 するとなにを思ったか、男性はバリケードテープを潜って木の幹まで近づくと、ぐるりと裏側に回り込んで、転移陣があると思われる場所に手をかざし始めた。


「ちょっとあの人なにやってるんですか!?」


「おい、あんた! 危ないって!」


 俺と十七夜月は、慌てて男性のもとへ駆け寄るが……その前に彼の身体は光に包まれてダンジョンの中に消えてしまう。


 ……えぇ~。なにしてんのあの人……。


「魔導具の武器も持っていないようでしたし、ダンジョン探索者じゃなさそうですよね? もしかして自殺……ですかね? ダンジョンを利用して命を絶つ人って結構いるらしいですし」


「そりゃ電車に飛び込むよりは人に迷惑がかからないだろうけどさぁ……」


「なんか、最初から元気なさそうでしたもんね。それに、すごく思い詰めた感じの顔をしてましたし」


「だからって俺らの目の前でやるのは勘弁してくれよぉ……。ここまで案内したこっちの身にもなれっての……」


 自分の意思で入っていったんだから、本来は助ける義理なんてないのだが、目の前で転移してしまった以上は見殺しにするのも後味が悪い。


 仕方がないな、と溜め息をひとつ吐いた後、俺は木の裏側に回ってみた。そこにあったのは、二つの星と犬のような頭部を持つモンスターの文様が刻まれた転移陣。


「星二だな。問題ないしちょっくら助けに……」


 ……ん? でも、なんだろう。星二にしてはなんだかちょっと嫌な感じだな。


 そう思って十七夜月の方を見ると、彼女は特に違和感は覚えていないようだ。


 う~ん、【直感】は発動条件がいまいちよくわからないし、意図的には使えないからなぁ。


 まあいいか、吸血貴族である俺なら、たとえ想像もしてなかったような厄介なモンスターが出現したとしても、最悪逃げるくらいはできるだろう。


「どうしました?」


「いや、なんでもない。ちょっと行ってくるわ」


「じゃあ、私はそこのベンチで本でも読んで待ってますね。なるべく早く帰って来てくださいよー」


 そう言ってベンチの方に歩いていく十七夜月。俺はその姿を見送ってから、男性を追ってダンジョンの中に足を踏み入れたのだった。

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