第125話「リュウゴ」

「おい、龍吾! 酒がねーじゃねーか! さっさと買ってこい!」


 六畳一間のアパートの一室に、男の野太い声が響く。


 部屋に散らばる酒の空き缶やコンビニ弁当の容器、そしてタバコの吸い殻などを片付け、ようやく勉強を始めた俺に向かって、帰ってきたばかりの父親が冷蔵庫を漁りながら放った第一声がそれだ。


「……父さん、酒を買う金なんてあるわけないだろ」


「だったら万引きでもなんでもしてこい! ああ、わかってるとは思うが、捕まっても俺の命令でやったとかは言うなよ? お前が自発的にやったことだからな」


「父さん、いい加減――ぐぅっ!?」


 反論しようした俺の鳩尾に、父の拳がめり込む。くの字に身体を折り床に倒れ込んで俺に向かって、奴は追い打ちをかけるように腹に蹴りを入れてきた。


 俺は痛みと吐き気を必死に堪え、腹を抱えながら丸くなる。


 テーブルの上からバサバサと床に落ちる図書館から借りてきた本。それを見ながら父は、まるでゴミを見るような目で俺を見下ろした。


「ああん……? なんだお前、また勉強なんてしてたのか? くだらねえ」


「がっ……!?」


 今度は背中に蹴りが入る。俺は痛みにのたうち回るが、それでも父は容赦ない。


「いいか? 世の中力が全てだ。俺の同級生に、小学校時代からずっと勉強をし続けていい大学に入っていい会社に入った奴がいた。だが、そいつは街で極道の男と肩がぶつかっただけで、その場でボコボコにされて二度と歩けない身体になった」


 父は俺の髪を掴んで、強引に顔を上げさせた。


 酒臭い息が顔にかかり、顔を背ける。父はそんな俺の反応が気に入らなかったのか、俺の頬を平手で叩く。


「暴力! 力こそ正義だ! アメリカだって力があるからあんな偉そうにしてんだろうが! お前はそこそこ勉強ができるが、実際どうだ? 俺に勝てるか? 無理だよな? わかったらさっさと酒をかっぱらってこい!」


 父の暴力を受けながら、俺はただ必死に耐え続ける。まだ小学6年生である俺が、こいつに敵うわけがないのだ。


 早く成長して大人になりたい。こいつのいない世界へ行きたい。


 だが、それまで俺は耐えきれるのか? こいつのために散々夜の仕事をさせられたあげく、身体を壊して亡くなってしまった母さんのように、こいつの暴力で死ぬことになるんじゃないか?


「言っておくが、逃げ出そうなんて思うんじゃねえぞ? お前は俺の息子なんだ。俺の所有物なんだよ。一生俺のために使われるのがお前の運命だ」


 絶望が全身を襲う。俺は一生こいつの言いなりになって、父の奴隷として死んでいくのか?


 そう思い、俺が涙を流したそのときだった――


 アパートの扉がバンッ、と音を立てて開き、黒服の男たちが部屋になだれ込んできた。そして父を取り押さえ、床へ組み伏せる。


鬼頭きとう辰雄たつおだな? お前、最近俺たちの天獄会シマで、随分と好き勝手してくれてるみてえじゃねえか?」


「ちょ、ちょっと待ってください! 知らなかったんです! 天獄会さんがここら辺までシマを伸ばしているなんて、知らなかったんです! 勘弁してください!」


 さっきまでの強気な態度はどこへやら。父は黒服に組み伏せられながら、必死に命乞いをしている。


 そこへ玄関からゆっくり、白髪の老人が入ってきた。目の鋭い、その眼光で人を殺せるのではないかと思ってしまうほどの、強烈な眼力を持った老人だ。


「……会長、わざわざこのような場に足を運ばなくても。お車でお待ちになっていただいても問題ありませんでしたのに」


 黒服の一人が老人に向かって頭を下げる。会長と呼ばれた老人は、そんな黒服を一瞥すると、組み伏せられた父の前に立った。


「あ、あなた様があの天獄会の会長ですか!? そうだ! 俺を天獄会で働かせてください! 暴力には自信があります!」


「暴力なら有り余っとるわ。お前みたいな小物は不要じゃ」


 老人が父を冷たく見下しながらそう告げると、黒服は父の手足を拘束し、玄関まで引き摺って行く。


 惨めに泣き叫ぶ父の姿が完全に見えなくなったところで、一人部屋に残された老人は足元に転がっている本を拾い上げながら俺を見た。


「これは……お主のか?」


「……はい、図書館で借りたやつですけど」


「ほほぅ、まだ小学生じゃろ? 随分難しい本を読むのじゃな?」


 老人は顎をさすりながら、本を興味深そうにパラパラと捲った。その表情は先程とは打って変わって優しげだ。


「勉強しないと……この状況を変えられないと思ったので。でも、やっぱり無駄でした。暴力にはお爺さんたちのようなもっと強い暴力じゃないと対抗できないって、今日よくわかりました」


 そう答えると、老人は大声で笑い出した。そして本をテーブルの上に置くと、俺の頭に手をポンと載せてきた。


 ひやりとしてゴツゴツした父の手とは違い、柔らかくしわくちゃの……でも温かな手だ。


「いやいやいや、そんなことは無いぞ? 暴力だけじゃどうにもならんこともある。儂ら極道の世界でもこれからはもっと頭を使う時代じゃ」


「頭……ですか?」


「うむ、それに力だけじゃなく『義』も大切じゃ。儂とて一人じゃ何もできん。部下たちがしっかり支えてくれるから、儂はこうして会長なんてやってられるんじゃ」


 その言葉は、俺の心に深く突き刺さった。


 気がつくと……老人に向かって頭を下げていた。


「……あの!」


「ん? どうした?」


「俺を……お爺さんのところで働かせてくれませんか?」


「ワハハハハ! 儂らは悪の組織じゃぞ? それもバリッバリのな。一度足を突っ込んだら、二度と抜けられん。ロクな死に方はできんぞ?」


 老人は意地悪く笑う。だが、俺は本気だった。


 警察も、児童相談所も俺を助けてはくれなかった。だけど今確かに、俺はこの老人に救われたのだ。悪が俺を救ってくれた。悪にしかできない正義だって、世の中には存在するのだ。


「それでも……お願いします」


「……学校にはちゃんと通うんじゃぞ? それと、儂のことは会長と呼べ」


 天獄会。暴力で日本の裏社会を牛耳る組織。その会長は、俺の頭に手を置いたまま、楽しそうに笑った。





◇◆◇◆◇◆◇





「龍吾の兄貴、会長の様子はどうでしたか?」


「……正直よくないな。このままだと、そう長くは持たないかもしれん」


 天獄会の本部ビルの廊下を歩きながら、弟分の桐崎と言葉を交わす。


 先ほどお屋敷でお会いした会長は、医者でない俺からみても明らかなほどに弱っていた。ここ数ヶ月で一気に老け込み、今では歩くのもやっとという状態だ。


 だが、未だ会長の求めるような魔導具は見つかっていない。


「兄貴、本当にこのままでいいんっすかね?」


「どういうことだ?」


「最近の会長は、どこか狂気めいたものを感じるぜ。『義』を欠いた命令も多い。兄貴が間に立ってなんとか誤魔化しちゃいるが、不満に思ってる奴らも大勢いいる。このままじゃ内部抗争だってありえますぜ」


「……」


「俺は、いっそ魔導具なんか見つからないまま兄貴が頭に――」


「滅多なことは言うな桐崎!」


「すみません、口が過ぎました……」


 思わず声を荒らげてしまったが、桐崎の言うこともわかる。


 ここ最近の会長は死期が迫っていることを悟っているのか、魔導具探しに躍起になっている。そしてそのためなら手段を問わない、堅気の人間すら巻き込む非情な手も打つようになってきた。


 それはかつて俺が憧れていた『義』を大事にする漢とは、かけ離れた姿だった。だがそれでも……俺は会長に恩がある。せめて会長が天寿を全うするその時までは、側にいて支えて差し上げたい。


 しかし桐崎の懸念する通り、最近は会長の命令に異を唱える者も増えてきた。今内部抗争など起きれば、天獄会という組織自体が崩壊してしまいかねない。


 ……契約書を使うか? 上手く条件を折り合わせて、幹部連中にお互いの命を狙うのを禁止させるような契約を結ばせておいたほうがいいかもしれない。魔導具の契約書は貴重だが、使ってもまだ多少は余裕がある。


 ふぅ……考えることが山積みだな。だが、一番優先すべきは会長の望む魔導具を見つけ出すことだ。一体どうすれば――



「もう一回"占い師"に占わせるしかねぇだろ。なぁ、龍吾?」



「一虎さん……。ひと月前に占わせたときは、外れだったでしょう? 使えてあと数回の貴重な能力です。無駄遣いはできません」


 俺の後ろから、ひょっこりと顔を出してきた、"天獄てんごく一虎かずとら"にそう返す。


 彼は会長の息子で、俺と同じ天獄会の若頭の一人だ。俺が頭脳担当なら、こいつは昔ながらの典型的な極道といったバリバリの武闘派だ。


「あんだぁ!? だったら親父が死ぬまで、なんもしねぇで指咥えて見てろってのか!? てめぇのほうが後継者に近いって会の連中の間で噂になってるからって、このまま親父を見殺しにする気じゃ――」

 

 一虎が俺に掴みかかろうとするが、桐崎がギロリ、と睨みを効かせると、彼はすぐに身を引いた。


 桐崎の戦闘能力は武闘派の一虎派閥でも一目置かれている。一虎は「ちぃ」と舌打ちをすると、もう一度俺に鋭い視線を向けてくる。


「とにかく時間がねぇんだ。ダメ元でもう一度"占い師"を使うぞ。お前らも訓練場・・・に来い」


 そう言って、一虎は足早に廊下を歩いて行った。


 俺は桐崎と顔を見合わせると、その後を追う。




 天獄会本部の地下にある星一ダンジョン。通称――『訓練場』。


 ここはカメのようなモンスターが出現するダンジョンなのだが、奴らは防御力は高いが動きが遅く、気を抜かなければまずやられることはない。


 更に入ってすぐの場所に帰還の転移陣があるので、スキルの確認や魔導具の試し打ちなどにはもってこいの場所だった。


 桐崎と一緒に中に入ると、そこには既に一虎と数人の黒服たち……そして還暦くらいに見える男が立っていた。


「か、勘弁してくださいよ! こ、これ以上占うともう死んじまいますっ!」


「いいから占え、それとも今すぐに死にたいか?」


「ひ、ひぃぃ! わかりました、占いますから殺さないで!?」


 一虎に"悪魔殺しの短剣"で頬を軽く切りつけられた男は、会長の映っている写真に手をかざし、泣きながらスキルを行使する。


 すると、薄かった男の頭皮の毛髪が、みるみるうちに抜け落ちた。顔の皺も先程より増え、まるで一気に老人になってしまったかのように見える。


 これはこの男の持つチートスキル――【占い】の反動だ。




【名称】:占い


【詳細】:対象の最も望むアイテムの大まかな現在地を、上から順に三つまでどこにあるかを教えてくれる。その精度は百発百中だが、一度の発動で3年ほど老化してしまう。また、アイテムを指定して更に1年の代償を捧げることで、そのアイテムの最も手に入りやすい日付や場所など、より詳細な情報を知ることができる。




 このように非常に大きなデメリットがあるスキルだが、借金まみれで天獄会に命を握られている男は、拒否することもできずにこうして強制的に占わされていた。


「ひ、一つ目はヒマラヤ山脈の中腹にある星四ダンジョンにいる、金のトレジャーボックスの中にあります……」


「ちっ……。前と同じだな。駄目だ、とても俺たちじゃ取りにいけねえ」


「二つ目は……バ、バチカンの……教皇庁の地下にあります……」


「……くそ! それも駄目だ。どうやったって俺らじゃ入れねえし、詳細を占ったところで入手できる日がいつになるかもわからねえ」


 やはり駄目か。全員がそう諦めかけたとき、男は最後の一つを告げた。



「み、三つ目は……東京都内にいる吸血鬼の少女が持っています。と、とても美しい容姿をしており、黒い髪に白のメッシュが入っている中学生くらいの少女です」



「「「――ッ!?」」」


 俺と桐崎だけでなく、一虎も大きく目を見開いた。


 前回の占いでは、三つ目は未だ人に発見されていない全てが海に包まれた星四ダンジョンの中だと出ていた。入手するのは不可能だと、詳細な情報までは占わなかったのだ。


 一虎は俺の描いた、写真とも見紛うほどに超精巧な少女の絵を男に見せる。


「お、おい! まさかこいつか!?」


「……そ、そうです! その少女が天獄会長の求める、三番目にですが……欲しい物を持っています」


 男の答えを聞いた途端、一虎は踵を返して駆け出そうする。


 俺はその肩を強く掴み、彼を引き止めた。


「一虎さん! なにをするつもりです!?」


「決まってんだろ! こいつを拉致るんだよ!」


「馬鹿を言わないでください! ちゃんと聞いてましたか? 彼は今、吸血鬼の少女・・・・・・と言った。やはりあの娘は普通の人間ではなかった。星四ダンジョンから一人で帰還した人物ですよ? 下手に手を出すべきじゃない」


「手を出すな? いつまでだ? まさか親父が死ぬまでか?」


「まずは交渉すべきです。俺たちはまだ彼女と敵対関係にはありません。条件次第では戦わずにアイテムを譲ってもらえるかもしれません」


「悠長なこと言ってんじゃねぇ! 親父がいつまで保つかわからねぇんだぞ!? テメェがこの小娘の調査に一体どれだけの時間をかけたと思ってんだ! その上に交渉だと? そんなことしてるうちに親父が死んだら、テメェ責任取れんのかよ!?」


「――っ」


 その言葉に、俺は思わず言葉を詰まらせる。


 確かにそうだ。いつ会長が死ぬかわからないこの状況で、時間をかけるのは悪手だ。だが、あの少女と敵対すると、それこそ最悪の事態となるような……そんな予感がするのだ。


「おめぇの手腕は認めている。が……今回ばかりは俺のやり方でやらせてもらうぜ? なぁに、相手がバケモノならなにも正面からぶつかる必要はねぇんだ」


 一虎は不敵な笑みを浮かべながら、少女の似顔絵の描かれた紙をぐしゃり、と握りつぶした。

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