第123話「猫の王国④」

 元気飴玉!? そうか、近くの仲間からパワーを分けてもらえるあの飴玉を食べれば、たかが猫などと侮ることはできなくなる。


 この山には数百……いや、もしかしたら千を超える数の猫たちがいるのかもしれない。ミケノンはその全てからエネルギーを受け取り、"神王"と呼ばれるに相応しい力を手に入れたのだ。


 ミケノンは更に"冒険者の魔法服 (♂)"、"ふわふわローブ"、"空蹴靴"、"怪力グローブ"を装備すると、地面を蹴って俺に飛びかかってきた。


「――ぐはっ!?」


「先輩!?」


 な、なんて速さだ! 【縮地】を使った俺に匹敵する速度! それに"怪力グローブ"の効果かパワーも凄い!?


 ミケノンの猫パンチを喰らった俺は後方へと吹き飛ばされ、背後の木に背中から激突してしまった。間髪入れずにすぐさま小さな影が迫ってきたので、咄嗟に横に跳んで回避行動をとる。


 が、そこに撫子さんの薙刀が襲いかかり、俺はゴロゴロと地面を転がってなんとか攻撃を躱した。


「ナユタちゃん! 大人しくミケノンの傘下に加わりなさい! かわいい猫ちゃんたちと楽しいモフモフ王国を作るのよ!!」


「ちょっと撫子! 目を覚ましなさい! このままミケノンを放置すればいずれ大混乱が――きゃ!?」

 

 撫子さんを止めようと足を前に出した十七夜月であったが、大量の猫たちに飛びつかれて押し倒されてしまった。


 にゃーにゃー言いながらもふもふの身体をすり寄せてくる猫たちに暴力を振るうわけにもいかず、彼女は為す術なくぺろぺろと顔面を舐められている。


「ナユタ、撫子や雛姫を見るにゃ! もし地球にナユタと同じような知性ある吸血鬼や、他の知性体が大量に現れた場合、人は全力で彼らを排除しようと動くにゃろう。にゃが、相手が猫であれば話は変わってくるはずにゃ!」


 素早い攻撃を繰り出しながらミケノンが叫ぶ。


 俺は飛びかかって来る猫たちを傷つけないように細心の注意を払いつつ、ミケノンの攻撃を躱し続ける。


「人間は猫を前にするとその攻撃性を失い、驚くほど大人しくにゃる。猫に奉仕することに喜びを覚える生き物にゃ。そういう風に遺伝子レベルで刻み込まれているにゃ! よって知性ある猫が人に寄り添い、彼らをコントロールする世界こそが、最も平和で穏やかな世界とにゃるはずにゃ!」


「そ、そんなことは……」


 ……ない、か? あれ、でも言われてみればそんな気がしてきたぞ?


 猫は可愛いし、モフモフすると幸せになれる。え? もしかして人間って遺伝子レベルで猫に奉仕するために産まれてきたのでは……?


 たとえば街中で、肩に猫を乗せたヤンキーたちがぶつかっても、何故か喧嘩には発展せずに平和的に解決してしまう……なんて光景が目に浮かんだ。


 ど、どうしよう。なんだかミケノンが正しい気がしてきた!


「先輩! ミケノンの口車に乗せられちゃダメです! 世の中そんな単純には――んんんッ!?」


 俺に声をかけようとした十七夜月であったが、その顔に猫たちがふさふさの尻尾をこすりつけ、言葉を中断させる。


 羨ましいような、口に毛玉が入って気持ち悪くなりそうな、微妙な光景だ。


「余所見をしてる場合かにゃ!?」


 ミケノンが右手に持った"土塊の杖"を振りかざし、土弾を放ってきた。俺はそれを躱しつつミケノンからポーチを取り返そうと手を伸ばすが、横から再び撫子さんの薙刀が襲いかかってくる。


 くそっ……厄介だな。彼女、かなりの手練れだぞ。薙刀で全国トップクラスの実力を持つというのは伊達じゃないってことか!


 仕方ない、まずは撫子さんから仕留めるか。


 鋭く放たれた薙刀の一撃を、180度開脚と前屈で地面に張り付くようにして回避する。追撃の乱舞を地面に手をついて回転して避けながら、右足の関節をバキバキっと外してリーチを伸ばした。


 そして、その足を鞭のごとくしならせて、撫子さんの顎をかすめるように足を振り抜く。


「――がっ!?」


 見事顎先をかすめる蹴りがヒットし、脳を揺らされた撫子さんはふらりとその場に崩れ落ちた。猫たちが心配そうに彼女を取り囲み、ぺろぺろと舌で舐めている。


 くるりとバク中をしながら足の関節をガチリとはめ直した俺は、ミケノンに向かって再び構えをとった。


「さあ、後はお前だけだぞミケノン!」


「そう簡単にはやられないにゃーーーーッ!」


 俺は【縮地】で一気にミケノンへと肉薄する。が、彼は地面を蹴って空高く飛び上がると、"空蹴靴"で空気を蹴りながら移動し、大量の氷を雨のように降らせてきた。


 くそっ、小癪な真似を! だがそれは悪手だぞミケノン!


「空蹴靴は一回使用したら一分間は再使用できない。無意味に飛び上がってはいけないって、昔の偉い人が言っていた――ぜッ!」


 地面に転がっている小さなボールを、左足で蹴り上げる。ボールは弾丸のような速度で空中で身動きの取れないミケノンへと迫り――

 

 当たった、と確信したその瞬間、ミケノンの背中から蝙蝠の羽のような物が生え、その翼を羽ばたかせた彼は空中でクルリと身を捻ってボールを避けた。


「ば、馬鹿な!? ミケノンにそんな能力はないはずだぞ!」


「ナユタ、忘れたのかにゃ? "神王の冠"には信仰度が高い民の能力の一部を借りることのできる力が備わっているにゃ」


「そ、それは覚えてるけど、蝙蝠の羽を持った民なんて存在しないだろ!?」


「……ん? これはナユタの能力にゃよ? ナユタの吾輩への信仰度は88パーセントにゃー。信仰度60パーセント以上の者の能力は、一時的に借り受けることが可能にゃ」


「…………」


「ちょっと先輩、こんな状況でミケノンへの信仰度高すぎじゃないですか?」


 う、うっさいわ! 全身猫だらけで地面に倒れているお前に言われたくないわ!


「ちなみに雛姫の信仰度も61パーセントにゃから、【直感】の能力を借りることが可能だにゃー」


「「……」」


 十七夜月と俺は互いに顔を見合わせて、無言になる。


 うわっ……人間の猫への好感度、高すぎ……?


「吾輩が民に分け与えるのは知性。信仰度100パーセントでも普通の人間並みの知性が限界なので、人間が吾輩を信仰しても恩恵は得られにゃいが、吾輩は人間たちに好かれれば好かれるほどに強力な力を振るうことができるにゃ!」


 空中を旋回しながら、神王の冠の上に更に魔女の帽子を被り、火炎の杖を振り回して火球を放ってくるミケノン。


 俺はそれを横っ飛びで回避するが、凄まじい精度と速度で次々と撃ち出される火球の弾幕に圧倒されて逃げ回ることしか出来ない。


「おい! 山が燃えたらどうするんだよ!?」


「そんなへまはしないにゃ~。それより余所見してていいのかにゃ? 夜の山に明かりが灯されたにゃ。光ある場所には影ができるものにゃー」


「――え?」


 ミケノンの言葉にハッと我に返ると、彼の放った火球は空中を縦横無尽に駆け巡り、やがて周囲にあった松明のようなものに次々と引火し、一気に周囲が明るくなる。


 そして俺の背後には、いつの間にか小さな影が忍び寄っていた。


 威厳ある茶トラの猫、寅五郎だ。その手には忍者が使うような黒いナイフが握られている。


「……ボス、すまんにゃ。我々猫はミケノンに味方するにゃ」


「寅五郎、お前もか」


 ドスリ、と俺の影にナイフが突き立てられた。その瞬間、身体が金縛りにあったかのように動かなくなる。


 ……これは、影クナイ!? マズい! 全てはこのための布石だったのか!?


 強い……ミケノンの奴、強いぞ! ダンジョンの魔導具というやつは、使い手によってここまで恐ろしい効果を発揮するものなのか!?


 もしミケノンが俺に悪意を持った敵で、もっと卑怯な手段を使ってきていたとしたら……俺はもうとっくに殺されていたかもしれない。


 吸血貴族に進化して敵なしと慢心していた俺は、たった一匹の三毛猫の圧倒的な強さの前に為す術もなく敗北しようとしていた。


「ま、待てよミケノン。たとえここで俺をボコボコにしたとしても、俺はお前に従ったりしないぞ?」


「……にゃにゃ、その強がりいつまで持つかにゃ?」


 ゆっくりと地面に降り立ってこちらに近づいてくるミケノンの両手には、"封印の首輪"と、そして……"超マムシドリンク"が握られていた。


 こ、こいつ……まさか!? なんてことを考えやがる!


「封印の首輪でナユタの【状態異常耐性】を封印して、超マムシドリンクで発情淫獣状態にしてやるにゃー! そしてそのあられのない姿を撮影して、吾輩に絶対服従を誓わないとネットで拡散してやるにゃー!」


「や、やめろぉぉぉぉぉおおおおおお!」


 悪魔かこいつは!? そんなことされたら俺はミケノンに従わざるを得なくなるじゃないか!?


 ミケノンは俺の肩に飛び乗ると、封印の首輪を装着しようとにじり寄ってくる。俺はそれを振り解こうと必死にもがくが、影クナイによって身体の自由を奪われていて抵抗できない。


 こ、このままでは……ッ、と俺が心の中で諦めかけたその瞬間――



「そこまでですよミケノン! 先輩をエロ同人みたいにはさせません!」



 声のした方に目を向けると、そこにはようやく猫たちを振り払うことに成功した十七夜月が、スマホを構えながら立っていた。


 十七夜月のやつ一体なにをするつもりなんだ? いくらあいつでも今のミケノンに勝てるわけが……。


「影クナイの効果が切れるまで時間稼ぎでもするつもりかにゃ? その手には――」


「ふふ、これを見なさい!」


 俺の肩に乗ったまま鼻で笑うミケノンであったが、そんな彼に対して十七夜月がスマホの画面を見せつける。そこには……




『こら! ミケノン! ちゃんとおトイレで用を足さないとダメでしょ!』


『にゃ、にゃ~……』


『あー! そこじゃないでしょ! こっちでするの、こっち!』


『にゃ~?』



 

 園部家の床の上で小便をするミケノンを叱っている撫子さんの姿があった。


 おそらくミケノンが撫子さんに引き取られて間もない頃の映像なのだろう。ミケノンは何故叱られているのかもわからずしょんぼりしている。


「にゃ、にゃにゃ! それは……!?」


「ふふふ、まだ続きがありますよ?」


 画面の中の撫子さんは、ミケノンを抱えて猫用トイレへと連れて行き、小便用の砂がどこにあるかを説明する。


 しかし、ミケノンは間抜け面を晒したまま、今度はトイレの横にプリプリとう〇こをしてしまった。


「にゃ、にゃあぁぁぁーーーーッ! や、やめるにゃーーーッ!!」


 今や人間以上の知性を身につけたミケノンにとって、過去の自分の失態はあまりにも恥ずかしいものであったのだろう。彼は頭を抱えて悶え苦しむ。


 しかし、映像はそれで終わりではなかった。


 用を足したミケノンはスッキリした表情で歩き出すが、自分のしたう〇こを踏んでしまい、つるりと滑って転んでしまう。そのままう〇まみれで猫トイレに頭から突っ込んでバタバタと暴れた後、撫子さんに助けられていた。


「ふふふふ……これをネットに流したらどうなると思います?」


 十七夜月は勝ち誇った表情でスマホをフリフリと見せつける。


 か、考えたな十七夜月! ミケノン教の神であるミケノンのあまりにも無様な姿。あんなものが世に出回ったら、ミケノンに対する信仰心は半永久的に失われる!


「そ、それを寄越すにゃぁあ!」


 我を失ったミケノンは手に持っていた封印の首輪を放り捨てると、スマホを奪おうと十七夜月に飛びかかる。しかしその隙に、彼女は足元にあったボールを蹴って俺の影に刺さっている影クナイを弾き飛ばした。


 身体に自由が戻った俺は、無防備に背を向けているミケノンの身体を背後からガシリと掴む。


「し、しまったにゃ!」


「ミケノン……すまない……」


 地面に転がっている"封印の首輪"を拾うと、俺はそれをミケノンの首に嵌めた。


 すると首輪が光り輝き、カッと真っ白な光が彼の身体を包み込む。


「ああ……吾輩の敗北、にゃ……。が、こ……」


 ミケノンはどこか清々しい表情でなにかを言いかけながら、その場に膝をつく。そして頭に被っていた神王の冠が、カランと音を立てて地面に落ちた。


 それと同時に、彼の周りにいた猫たちは自分は今までなにをしていたのだろうか、と不思議そうな顔でキョロキョロと周囲を見渡したあと、にゃーにゃーと鳴きながら散り散りに去っていく。


 俺は地面に倒れたミケノンを優しく抱え上げ、彼の目を見て語りかけた。


「ごめんな、本当にごめん。俺のせいでお前を色々振り回すことになって……」


『……にゃ~』


 ……だけど、もう人の言葉は返ってこない。封印の首輪によってミケノンの知性は封印され、ただの猫へと戻ってしまったのだ。


「そんな顔しないでくださいよ先輩……。よかったんです、これでよかったんですよ……。ミケノンはきっとこうなることを……」


 泣きそうな顔でミケノンを抱きかかえる俺に、十七夜月が優しい声をかけてくる。


 俺は彼女の言葉に小さく頷くと、地面に落ちた王冠を拾い上げてから、ミケノンと撫子さんを抱えて逃げるように猫の王国を後にしたのだった。

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