第122話「猫の王国③」
「あら? ナユタちゃん。それに雛姫まで……こんな時間にどうしたの?」
十七夜月とともに園部家へとやってきた俺を、撫子さんが出迎えてくれた。
俺はミケノンが急激に知能が上がりすぎてしまった影響で、人間に対して強い不信感を抱いてしまっていることを撫子さんに説明する。
「それで、このままだとなにか大きな問題が起きるかもしれないので、"神王の冠"を回収して、少なくとも他の猫の知能だけでも元に戻したいと思っているんです」
「……そう、そうよね」
撫子さんは少し寂し気な表情をしながらも、一応の理解を示してくれた。
園部家はミケノンの影響で今や猫屋敷と化しており、たくさんの知能を持った猫たちが連日遊びに来ている。そんな彼らとの触れ合いを楽しみにしていた彼女にとっては、ちょっぴり辛いことかもしれない。
「ミケノンはまだ裏山から帰ってきてないわ。心配だし……私も一緒に行くわね」
部屋の隅に立てかけられている薙刀を手に取り、撫子さんは俺たちを先導するように歩き出した。
……? なんで薙刀を持ったんだろう?
ミケノンが相手なら、そんなもの必要ないと思うけど……。まあ、山には野生動物もいるし、護身用かもしれないな。
山頂付近まで歩いた俺たちは、トンネルのようになっている穴の中に入っていく。そのまましばらく進むと、【この先"猫の王国"】という、可愛らしい猫の絵が描かれた看板が立てられた広場に出た。
するとそこには、たくさんの猫がひしめき合うようにして集まっていた。夜の闇を照らすかのように、数百もの瞳が妖しく光り輝いてこちらの様子を窺っている。
その中心には"神王の冠"を被ったミケノンの姿があった。彼は大きな岩の上に座っており、威厳のある佇まいで広場に足を運んだ俺たちを出迎えた。
「よく来たにゃ、ナユタ。吾輩から神王の冠を取り返しに来たのかにゃ?」
「……ど、どうしてそれを!?」
「ちょっと先輩! いきなりカマかけに引っかからないでくださいよ!」
「あ……す、すまん」
「あ~、ホントついてきてよかった。先輩一人だったら、絶対ミケノンに言いくるめられてそのまま帰宅コースでしたよ」
……返す言葉もございません。
ミケノンは岩の上からぴょんと飛び降りると、俺たちと対峙するようにして二足歩行で地面に立った。そして、その後ろに控える数百もの猫たちが一斉に唸り声を上げる。
「神王の冠は……渡さないにゃ! 吾輩はこれで、世界中の猫たちに知性を与えることに決めたにゃ!!」
「お、おいおいミケノン! さすがにそれは無謀だろ。この街と近隣の街の猫たちにお前を信仰させて知性を与えたのは凄いけどさ、世界中になんて……そんなの不可能に決まってるじゃないか」
「果たしてそうかにゃ? 既にネットで吾輩の動画を見た猫たちに、知性が芽生え始める現象が確認されてるにゃ」
ニュースでもやっていたペットの猫が突然喋り出すという事件。それは俺も知っていた。
だが、あれはおそらく猫好きの飼い主がミケノンの動画を飼い猫に見せて、その猫がミケノンに信仰心を抱いた結果だろう。でも、野良も含めて世界中にいる猫に信仰心を抱かせるなんて……そんなことできるわけがない。
「仮に……頑張って大勢の猫たちに知性を身につけさせたとしても、世代が変わればまたリセットされてしまいますよね? 猫たちの知性はミケノンに依存していて、猫という種自体の頭が良くなるわけじゃないわけですし」
「それは既に対策を考えているにゃ」
十七夜月の指摘にも動じることなく、ミケノンは不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと近くにある像の前まで歩いて行った。
ミケノンを象ったその像は、頭に冠を乗せ、彼と同じ神秘的なオッドアイを光らせながら、威厳のある顔つきでこちらを見下ろしている。
「生まれたばかりの子猫に、毎日親と一緒にこの像を拝ませた結果、知性が芽生えることを確認できたにゃ」
「もしかして……宗教を作ったんですか!?」
「さすが雛姫は理解が早いにゃ。吾輩を唯一神とする一神教にゃ、猫たちに唯一無二の宗教を布教する。そうすれば、たとえ世代が変わっても信仰心は維持できるにゃ」
ミケノンのその言葉に、周囲の猫たちが一斉に鳴き声を上げ始める。それはまるで神を賛美する使徒たちの合唱のようであった。
「おいおい、宗教なんてそう簡単に広がるわけが……」
「人間の世界では、誰も彼もが宗教を信仰しているにゃ。それほどまでに、神という存在は人間たちの心の拠り所となっているにゃ。でも、実際には神に祈ってもなにも恩恵なんて受けられないにゃ。……が、吾輩の【ミケノン教】は違うにゃ」
「そういうことですか!? 【ミケノン教】には実際にわかりやすい恩恵がある! 神を信仰すればするほど、自らの知能が向上していくという恩恵が!」
「……そう、それこそがまさに神の存在証明となるにゃ。そして、逆に言えば、神を信仰しないものは知性を得られにゃいし、信仰度が下がれば知性の退化というとてつもない恐怖を実感することににゃる」
おいおい、まてまてまて……。これは意外と穴がないかもしれないぞ。
もし俺が赤ん坊の頃から親の影響で信仰していた宗教があったとして、その神を信仰しないとどんどん自分の知性が失われていくとしたらどうだ? 俺だって許してくださいと必死に祈る。誰だってきっとそうするはずだ。
一度でも、僅かに【ミケノン教】を信仰してしまったら、もはや後戻りはできない。信仰をやめるなんて選択肢はなくなる。
知性ある猫たちが、他の猫たちに【ミケノン教】を布教する。これが徐々に広がっていけば、いずれは世界中の猫が人間と同じように知性を持つようになることも不可能ではないかもしれない。
「確かに凄い計画ですが、致命的な穴がありますよね?」
「ほう……聞かせてみるにゃ、雛姫」
おろおろとする俺をよそに、十七夜月は落ち着いた様子でミケノンを見据える。が、ミケノンも負けず劣らず不敵な笑みを浮かべてみせた。
「寿命ですよ。猫の寿命は精々20年。ミケノンは唯一無二の高い知能を持つ猫。その計画はあなたが亡くなった時点で破綻します」
「そ、そうだそうだ! 破綻するんだぞ!」
な、なるほど。猫たちの知性は神王の冠を被ったミケノンが生きている間しか維持できない。ミケノンの代わりになれる猫なんて、今の地球上には存在しないはずだ。
だからどれだけ【ミケノン教】が広まっても、彼がいなくなればその意味はなくなる。
「その心配は魔導具が解決してくれるにゃ。既にナユタの持ち物から"石化薬"と"桃ポーション"を拝借して試してみたにゃ。吾輩が神王の冠を被ったまま石化すると、その効果は解除されないことがわかったにゃ」
な、なんだと!? いつの間に俺の持ち物を……。
くっ、石化薬や桃ポーションはもう使うことはないだろうと、数なんて確認せずに次元収納ポーチの肥やしにしていたから全く気付かなかった!?
「ちょっと先輩……。ミケノンの前で油断しすぎですよ……」
「だ、だってミケノンが俺に反旗をひるがえすだなんて夢にも思わないだろ!?」
あんなかわいい親友の三毛猫ちゃんだぞ!? ミケノンがどれだけ俺に懐いてたと思ってんだ!
……でも、考えてみればそもそも猫は気まぐれな生き物だしなぁ。親友だと思ってたのはもしかして俺だけなのか?
「にゃが、そのままだと破壊されてしまう危険もあるにゃ。そこで、更に"四次元ペットハウス"の中に石化した吾輩の身体を収納して、誰も手出しできない場所に封印するにゃ。そうすることで半永久的に猫たちの知能は維持されるにゃ」
「ちょっと待てよ! そんなことをすれば、ミケノンは死んだも同じことだろ!?」
「……覚悟の上にゃ。吾輩は計画が軌道に乗って石になったら、もう二度と元に戻らないつもりにゃ。猫たちの礎となり、彼らの進化を見守り続けるのにゃ」
ミケノンは本当に猫たちの神になるつもりなんだ……。猫たちに知性を与えるための犠牲として、自らの身を捧げようとしている。
「数年、数十年、もしかしたら百年以上は仮初の知能かもしれないにゃ。にゃけど、高い知能で考え続けた猫たちは進化し、きっといつしか吾輩の恩恵なくして、完全なる知性を手に入れられる日がくるはずにゃ」
「……ど、どうしてそこまで」
「ナユタもわかっているはずにゃ。人間は遠くない未来、この星を滅ぼすにゃ。自分たちと共に……。奴らをコントロールできるのは知性を身につけた猫たちだけにゃ」
「おいおい! さ、さすがにそれは話が飛躍しすぎじゃ!?」
「……断言するにゃ、ナユタ。いずれ、ナユタは人間に迫害されるときがくるにゃ。自分たちより強く、美しく、年を取らず、そして死なない。そんな存在を、人間が許すはずないにゃ」
「…………」
そんなことはない。などと、軽々しく言うことはできなかった。
俺は人間という生き物がどれだけ醜く、愚かで、そして……恐ろしい存在かを知っているから。
だからゾンビになってから、ずっと正体がバレないようにこそこそと注意を払って生きてきた。吸血貴族になった今でも、俺は不安に思っている。十七夜月のように親しい友人らは俺のことを信頼してくれているが、他の人間からしたら、俺はただの化け物でしかない。
「【ミケノン教】の中にナユタを敬うような教義を盛り込むにゃ。そうすれば吾輩や雛姫がいなくなった後も、数百年先も……猫たちはずっとナユタの味方でいてくれるはずにゃ」
「ミケノン……」
だからか……。だからわざわざ事細かに自分の計画を俺に説明してくれたのか。
彼はやはり俺の親友だった。この先……俺が想像もできない遥かな未来まで考えて、俺と同胞たちのことを思って行動してくれていたのだ。
「さあ、ナユタ……。吾輩と一緒に猫の国を作るにゃ……」
「……」
「ちょ、ちょっと先輩! なに黙ってるんですか! ミケノンに丸め込まれないでくださいよ!」
十七夜月は、不安気な表情で俺の服の裾をぎゅっと掴む。
だが、俺は……その手をそっと優しく外すと、ミケノンの目をしっかりと見つめ、そして……はっきりと告げる。
「悪いがその計画には協力できない」
「……何故にゃ?」
「ミケノンの頭が良くなったのも、神王の冠を手に入れたのも、全て俺が原因だ。ミケノンの計画は、もしかしたら本当に世界のためになるのかもしれない。でも、俺にはその責任を負う勇気も、覚悟もない」
「強大な力を持ちながら、どこまでも凡庸で正直な心を持つナユタらしい答えにゃ」
ミケノンは俺の答えに失望するでも、呆れるでもなく……むしろどちらかといえば嬉しそうにしながら、ただ静かに微笑んだ。
そして……彼の背後からゆっくりと、たくさんの猫たちがこちらに近づいてくる。
「ならば、力尽くで従わせるまでにゃ!!」
「おいおいおい、物騒なこと言うなよ。やめようぜ、いくらなんでも猫のミケノンが吸血貴族の俺に勝てるわけがないだろう?」
「先輩さっきから、おいおい驚きすぎですよ。アホっぽく見えるんでやめてください」
……こ、こいつ。しょうがないだろうが! ミケノンの行動が予想外過ぎて、精神的に追いつけてないんだよ!
しかしどうすんだよ。ミケノンたちと戦うなんて絶対に嫌だぞ。かわいい猫たちに暴力を振るうなんてできるわけ――
「――っ!?」
突如背筋から攻撃の気配を感じ、反射的に身体を反らして回避行動をとる。すると、俺の腰の辺りを薙刀の刃部のようなものが掠めた。
何が起きたのか理解できず、背後に視線を送ると……そこには猫たちの群れにまとわりつかれながら、薙刀を構える撫子さんの姿があった。薙刀の先端には今の攻撃で掠め取られたのか、次元収納ポーチが引っかかっている。
「な、撫子さん! なにをするんですか!?」
「なにを? ナユタちゃんこそなにをしてるの? こんなかわいい猫ちゃんたちの知性を奪おうだなんて……そんなの絶対に許されないわ!」
猫たちは撫子さんに、「助けてくれにゃー」「知性を失うのは嫌にゃー」「ナユタがいじめるにゃー」など口々に訴えかけながら、もふもふの身体をすり寄せている。
彼女は目をぐるぐるさせながら、幸せそうな表情で猫たちにされるがままだ。
くっ……なんてことだ。既に籠絡されていたというわけか。天然の魅了攻撃。猫好きの撫子さんがあんなもの食らってしまっては……正気を保てるはずがない。
撫子さんから次元収納ポーチを受け取ったミケノンは、中から"元気飴玉"を取り出してそれを口に含んだ。
するとその瞬間、彼の身体からとてつもないエネルギーの奔流が放出される。
「さあナユタ、"神王の冠"をかけて勝負にゃ! 見るがいいにゃ! 神王たる吾輩の力を!!」
『『『にゃーーーっ!!』』』
ミケノンの咆哮と同時に、山全体から猫たちの鳴き声が地響きのように轟いた。
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