第117話「ミケノン」
「よく来てくれたわね、雛姫。そっちが親戚のナユタちゃんと例の三毛猫ちゃん?」
「ええ。ほら……先輩、猫ちゃん、挨拶してください」
「こんにちはー、十七夜月の遠縁のナユタですー。よろしくお願いしまーす」
『にゃ~~』
「ふわぁ~……めちゃくちゃ美少女と美猫ねー。……ところで先輩ってあだ名?」
「そうでーす、あまり気にしないでくださーい」
翌日、俺は十七夜月に連れられて、彼女の同期であるという"
撫子さんの家は、俺たちの住むマンションから電車で一駅のところにある、都内にしては緑豊かな街の閑静な住宅街の一角にあった。白を基調とした清潔感のある一軒家で、庭も広くてなかなかの豪邸だ。でも、現在は彼女が一人で住んでいるという。
「うちの両親は外交官でね、海外で働いているの。だから私は一人でこの家に暮らしてるんだけど、やっぱり寂しいじゃない? だから、猫ちゃんを飼えたらいいなぁって前から思ってたのよ」
そう語る彼女は、俺の腕の中で大人しくしている三毛猫を愛おしげに見つめながら、優しく頭を撫でた。
ふむ……この人なら"ミケノン"を預けても安心できそうだな。
十七夜月と同期のキャリア警察官なだけあって知的な印象を受けるし、外見も長い黒髪をローポニーテールに纏めた、名前の通り大和撫子といった雰囲気の人だ。
「よかったなぁ~ミケノン。このお姉さんがお前を引き取ってくれるってー」
『にゃ~?』
「ミケノン? あら、もうすでに名前が付いてるの?」
「……あ、えっと、これは」
しまった。つい俺が勝手にそう呼んでたから、そのまま口走ってしまった……。きっと撫子さんも名前を考えてただろうに、これじゃあ新しい名前を付けにくくなってしまうかもしれない。
「ぷくく……。だから仮でも名前は付けないようにしたほうがいいって言ったのに、この子ったら昨日からミケノンミケノン~って、じゃれ合いながら一緒に寝たり、ミルクをあげたり世話してたんですよ」
ケラケラと笑いながら、俺の肩をつつく十七夜月。
くそ……仕方ないだろうが! めちゃくちゃかわいくて、ついつい愛着が湧いてしまったんだから。
「いいじゃない、その名前気に入ったわ。今日からこの子は正式にミケノンよ。よろしくね、ミケノン」
撫子さんは優しく微笑みながら、俺の腕の中から三毛猫を受け取って自分の胸へと抱きしめた。すると彼は一声鳴いた後に、ぺろりと彼女の指を舐める。
うん、どうやら彼女を飼い主と認めたみたいだな。
俺は撫子さんに引き取られたミケノンを何度も振り返りながら、マンションへの道を十七夜月と二人で歩いて帰った。
◇
「あら? ナユタちゃんまた来たの? ふふ、ミケノンに会いたくなっちゃった?」
「う、うん……。ちょっと気になって……」
あれから一週間後、俺は園部家へと足を運んでいた。ここのところ毎日といってもいいくらいここに来ている気がする。
さすがに迷惑かなーとは思っているんだけど、撫子さんもミケノンも俺が来ると喜んでくれるので、ついつい甘えてしまうのだ。
『にゃにゃ!? にゃーにゃー!!』
俺の姿を発見したミケノンが、奥の部屋から猛ダッシュで駆け寄ってくる。そして勢いそのままに、俺の胸へと飛び込むとぺちぺちと肉球で叩いてきた。
「あらあら、ミケノンは本当にナユタちゃんが好きなのね。飼い主として少し嫉妬しちゃうわ」
撫子さんは、くすくすと笑いながら俺の胸の中の三毛猫の頬をつんつんと指先でつつく。
ミケノンはそれに反応して、にゃーと鳴きながら俺の腕からすり抜けるように地面へと着地すると、とてとてと餌場へと歩いていった。
「猫グッズでいっぱいになりましたねー」
「かわいすぎてついつい買っちゃうのよねぇ」
家の中を見渡すと、猫用のおもちゃや爪とぎ、猫タワーといったミケノンのために揃えられた猫グッズが所狭しと並んでいる。
部屋の隅っこのほうには薙刀の束が立て掛けられていた。十七夜月によると撫子さんは薙刀の達人で、その実力は全国でも上位に入るほどらしい。
薙刀の束の中に一本だけ、どこか異質なオーラを放つ特徴的な青い槍が紛れ込んでいる。魔導具の"水龍の槍"だ。
もしかしてと思って遠回しに聞いてみたところ、撫子さんはなんとダンジョン管理局の一員であることが判明した。末端の構成員らしく、俺のことは知らなかったようで、俺が管理局と協力関係にあるダンジョン探索者であることを知ると、たいそう驚いていた。
まあそれはともかくとして、そんな彼女の愛用の薙刀が部屋の隅っこまで追いやられてしまうほど、彼女の中でミケノンの存在は大きくなっているということだろう。
「あ、こら! ミケノン! ちゃんとおトイレでしなくちゃダメじゃない!」
『にゃ~……』
床に粗相をしてしまい、撫子さんに叱られてしょげるミケノン。でも、彼はなぜ自分が叱られているのか、いまいちよくわかっていないようだ。
トボトボと元気なくダンボール箱の方に歩いていくと、その中にすっぽりと入って、顔をひょっこり出したまま動かなくなった。
「はぁ~、かわいいしいい子なんだけど、なんというかちょっと物覚えが良くないのよね……」
「……やはりそうなんですか」
寅五郎も言っていたが、どうやらミケノンはあまり頭が良くないらしい。撫子さんの話ではもう何度も粗相をしているという。
家猫として、せめてトイレくらい覚えてほしいところだが……。
そんな俺たちの気持ちなんてつゆ知らず、ミケノンはすぐに先程のことなど忘れて、ダンボールの中で丸くなってすやすやと寝息を立てていた。
……
…………
………………
「えっと、こっちとこっちは管理局に納品して……。うーむ、大聖女の錫杖があるから桃ポーションは全部納品しても大丈夫かな?」
次元収納ポーチから大量のポーションを取り出して、床の上に並べていく。
撫子さんの家はダンジョン管理局と同じ街にあるので、帰りに寄って納品を済ませようとポーチの中身を整理しているのだ。
『うんにゃ~ご……』
うとうとしているミケノンを優しく見つめている撫子さんを、横目でチラリと見ながら俺は作業を続ける。
……ぶるり。……ん、俺もトイレに行きたくなってきたな。
「すみません、お手洗いをお借りしたいんですけど……」
「ええ、どうぞ。こっちよ」
俺はミケノンを起こさないように静かに立ち上がると、撫子さんの後についてトイレへと向かった。
「ふう、ミケノンもこれくらいのことは覚えてくれるといいんだけどなぁ……」
用を足し終わると、洗面所で手を洗いながら溜め息を吐く。
いくらかわいい猫といっても、毎日のようにそこかしこに粗相をされては、いずれ愛着が薄れてしまうかもしれない。撫子さんに限っては見放すようなことはないと思うけど……。
そんなことを考えながらリビングに戻ると、中から撫子さんの慌てたような声が聞こえてきた。
「こ、こら! ミケノン! なにしてるの!?」
急いでリビングのドアを開ける。すると、ミケノンは床に並べてあった俺のポーションの一つを前足で転がして遊んでいるではないか。
しかもポーションの蓋が外れており、中身が床にこぼれてしまっている。
「な、撫子さん! ミケノンをそこからどかせて――」
だが俺が言い終わらないうちに、ミケノンは床にこぼれた
「「ああっ!?」」
俺と撫子さんは二人揃って声を上げる。
二人して急いでミケノンをポーションから引き離すと、慌てて吐き出させようとするが、すでにゴクリと飲み込んでしまった後だった。
……な、なんてことだ。よりにもよって飲んだらなにが起こるかわからない虹ポーションを飲んでしまうなんて!?
虹ポーションにかかわる事件は、世界でも既に何件か発生している。
中でも一番有名なのは、海外の人気動画配信者が再生数稼ぎのために面白半分で虹ポーションを口にした結果、飲んだ直後に全身がカエルのような醜い姿になってしまい、発狂しながら死んでいったというものだ。
他にも似たような話がいくつもあるが、いずれもろくでもない結果になっている。どうやら虹ポーションはどちらかといえば悪い効果がでる確率が高いようなのだ。
お、俺の責任だ……。俺がしっかり片付けておけばこんなことには……。
「うおおぉぉぉーー! 吐き出せ、まだ間に合う!!」
『にゃーーー!?』
ミケノンの口の中に手を突っ込んで、指を喉の奥へと突っ込んでいく。
だがミケノンは苦しそうに暴れて、俺の手をペシペシと前足で叩いてくる。それでも俺は必死にミケノンの喉を刺激するが、彼は嫌がるように首を振って抵抗してくるので、中々吐き出させることができない。
すると突然、ミケノンの目がぱちくりと見開いたかと思うと、急に俺の腕に噛み付いてきた。
「なにするにゃー! いくらナユタでもやりすぎだにゃ!」
「いや、でもお前が飲んだのは虹ポーションで、なにが起こるかわからないんだ! 早く吐き出さないと危険なんだよ……」
「なんともないにゃ! ただの美味しいジュースだったにゃ!」
「本当か? どこか体におかしなところとかはないか?」
俺は噛まれた腕をさすりながら、ミケノンをじっと観察する。しかし特に変わった様子もないようで、彼は「大丈夫だにゃー。噛んで悪かったにゃー」と鳴いて俺の胸にすり寄ってくるだけだった。
……どうやら本当に大丈夫なようだ。よかったぁ~……。
「ふう、何事もなくてよかったぜ……」
「いやいやいやいや! 何事もあるでしょ!? さっきからミケノン喋ってるんだけど!?」
撫子さんが俺とミケノンを交互に見つめながら激しくツッコミをいれてくる。
……え? 喋ってる……?
「……お~い、ミケノン?」
「どうしたんだにゃ? そんなに見つめられると照れるにゃ~」
……あ、本当だ! 喋ってるじゃん! しかも【スピリットトーク】を使ってないのに聞き取れる!
というか撫子さんにもミケノンの言葉が理解できるということは、猫語ではなく普通に日本語を喋っているということだ。
ミケノンは「なんだか頭がすっきりしたにゃー」と言いながら、困惑する俺たちを尻目に、部屋に設置されている猫のトイレに用を足しに行った。
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