第116話「猫殺し」

「くくく……今日も猫どもをこの手で葬り去ってやるぜ……」


 俺の名は"無田なしだきゅう"。どこにでもいる平凡なアラサーのニートだ。


 中学校時代にいじめで不登校になってからは、家に引きこもって毎日を惰性で過ごす日々を送っている。だが、そんな俺にも唯一といっていい趣味がある。それが筋トレだ。


 いつかいじめっ子どもに復讐してやろうと、日々の鍛錬を欠かしたことはない。十数年に渡るトレーニングのおかげで俺の肉体は、細マッチョと形容するのがふさわしい、素晴らしいものへと成長を遂げた。


 特に見た目には表れないインナーマッスルは、そんじょそこらのアスリートをも匹敵すると自負している。


 今なら、奴らに復讐できるかもしれない……。でも、いきなり人間を相手にするのは怖いので、こうして小動物を狩ることで、実戦の勘を養っているというわけだ。


「段階を踏むことが大切だからな。決して弱者をいたぶって楽しんでるわけじゃないぞ。俺はあいつらのようないじめっ子どもとは違うんだ」


 誰にともなく言い訳めいた独り言を呟きながら、俺は深夜の路地裏を徘徊する。すると、早速お目当ての獲物を発見した。


 ――美しいオッドアイの三毛猫だ。


 しかも警戒心が薄いのか、俺が近寄ってもきょとんとした顔のまま逃げようとしない。


「ふふ……間抜け面しやがって。今から殺されるとも知らずに」


 俺は猫を捕まえると、その首を片手で締め上げた。猫が苦しそうに手足をバタつかせるが、構わずにそのまま宙吊りにする。


 ……ん? なんかこの三毛猫、どこか違和感があるぞ……。


「なっ! こいつオスじゃないか!?」


 三毛猫のオスは非常に珍しいと聞く。なんでも数万匹に一匹しか生まれないほどとか。しかもこの猫は毛並みもツヤツヤしていて、オッドアイも相まって非常に神秘的で美しい。


 そんな珍しくも美しい猫を殺めようだなんて……お、俺は……!


「な、なんて素晴らしいんだ!! 誰もが羨む最高の品種をこの手で刈り取れるなんて……!」


 ああ……普通の人間であれば、こんな美しい猫を殺めるだなんて良心が咎めて出来ないだろう。しかし、俺は違う。それができる俺は他の人間よりも、ずっと高尚な生物なのだ。


 テンションが一気に上がり、俺はぐったりとした猫を地面に転がすと、そのまま片手にナイフを持って全力で飛び掛かった。


「ひゃっはーーーッ! 俺の糧となれぇぇぇーー!!」



 ――ザクッ。



 小気味の良い感触が手に伝わる。


 しかし、 ナイフは猫の身体ではなく、いつの間にか俺と三毛猫の間に割って入っていた、小柄な人影の腕に突き刺さっていた。


「てめぇが猫殺しか……。ふてぇ野郎だ」


「な、なんだお前は!」


 少女だ。猫耳のパーカーを羽織った、美しい女の子。


 に、人間! 俺はまだ人間を相手にする覚悟はできてない!


 ……い、いや。おちつけ、相手は小さな少女だ。鍛え抜かれた成人男性の俺が負けるはずがない。


 そうだ、そろそろ人間を殺す経験を積んでもいい頃合いだろう。飛んで火にいる夏の虫、こいつはいい練習台になってくれそうだ。


「くくく……。そうだ、俺が猫殺しだ。だったらどうする? まあ、なにをどうしようとお前はここで死ぬん――」


「おらぁ!!」


「ぶげぇぇーー!!」


 目にも止まらぬ速さで少女の右手が下から振り抜かれ、俺は顎に凄まじい衝撃を受けた。


 ふわりと身体が宙に舞う。そして次の瞬間には、全身に拳の雨が叩きつけられた。訳も分からずに吹っ飛び、近くにあったゴミ袋の山へと突っ込む。


「ん? なかなかタフなやつだな。今ので意識を失わないとは」


 インナーマッスルのおかげで、なんとか意識だけは保てたものの、身体はまるで動かない。


 少女はそんな俺の頭を片手で鷲掴みにすると、ゴミ山から引きずり出し、再び拳の雨を降らせた。血塗れで地面へと倒れ込む俺に向かって、少女が大きく口を開く。その口の隙間からは、鋭い牙が覗いていた――。





◆◆◆





「ごくん……。ん、クズの犯罪者の癖になかなかいい長所を持ってんじゃねーか」


 白目をむきながら地面に倒れ伏す猫殺し男の腕に噛みつきながら、俺はちゅーちゅーと血を吸い上げた。


 こいつから入手することができた能力。それは――




【名称】:インナーマッスル


【詳細】:見た目には表れない、内に秘められた強靭な筋肉。身体の芯となる重要な役割を担っており、関節の安定性や体幹の強化など、様々なプラスの効果を持つ。




 既に持っている【優れた体幹】にも似ているが、こちらは防御力の面でも期待できそうだ。この二つの能力を合わせることで、俺の姿勢は更に美しく保たれ、見栄えや身体能力の向上にもつながるだろう。


 これで外側はどこもかしこもぷにぷにの柔らかボディでありながら、内側は鋼鉄のように頑丈な身体を持つという、最強無敵の美少女ボディが完成した。


「しかし、お前なんで逃げないんだよ……」


『にゃ~?』

 

 足元にいる三毛猫に話しかけるも、彼はまるで状況が理解できてないといった様子で、小首を傾げるだけだ。


 こいつは猫殺しに殺されかけたにもかかわらず、奴の手から逃れても、俺が奴を仕留めるまでその場を一歩も動かず、じっと観察するように佇んでいた。


『う~ん、どうやらこの子は少し鈍いところがあるみたいですニャ。私の言葉すらよく理解していない様子ですニャ』


「そういや【スピリットトーク】でも会話ができないと思っていたが、虎五郎ですら意思疎通ができないのか……」


 ようやく俺に追い付いてきた寅五郎が、ぺしぺしと猫殺しの頭を叩きながら、そう呟く。


 ふうむ……【スピリットトーク】はある程度知性の高い動物にしか通じないからな。この三毛猫は美しい見た目に反して、あまり頭が良くないのかもしれない。


『この子は、野生で生きるのにはあまり向いてないのかもしれませんニャ……。誰か人間にでも飼われるのが一番だと、私は思いますニャ』


 よく見れば珍しいオスの三毛猫だ。オッドアイで外見も美しいし、飼いたい人間はいくらでもいるだろう。


 でも俺と十七夜月のマンションはペット禁止だしなぁ。数日保護するだけならまだしも、飼うことは難しい。誰かいい人に預かってもらえないだろうか。


 俺は三毛猫を抱き上げると、その顔をじっと眺めた。すると、彼は俺の目を見つめ返しながら、ぺろりと頬を舐めてきた。


 ……かわいいなこいつ。


「話は聞かせてもらいましたよ。ちょうど私の友人に猫を飼いたいって人がいるので、その三毛猫ちゃんを譲ってあげてはどうでしょうか?」


 いつの間にか俺たちの側に立っていた十七夜月が、猫殺しに手錠を掛けながら提案をしてくる。


 ふむ、こいつの友人なら信用できるかもしれないな。とりあえずはその方向で話を進めてみるか。


 俺は『にゃにゃ?』と、よくわかっていない様子の三毛猫を抱き抱えながら、近くの交番へと犯人を引きずっていく十七夜月の後ろを追いかけたのだった。

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