第109話「転生したら競走馬だった件④」
《今年もクラシックのシーズンが近づいて参りました! いやぁ、本日行われる弥生賞には三冠も狙える大物が出走するとのこともあって、大勢のお客さんが詰めかけていますね。それでは早速、2歳王者ブルートランクスの調教師である"
パドックを周回する馬たちを見ながら、女性アナウンサーが俺に向かってマイクを向けてくる。
俺は顎鬚を撫でながらキメ顔を作ると、爽やかな笑みでそれに対応してみせた。
《前走の朝日杯は5馬身差の圧勝劇! 今日はそこから400メートル延長の2000メートル戦ですが、この距離でも問題ありませんか?》
「そうですね、血統的にもなにも問題ないでしょう。むしろ私は距離が伸びたほうが……と前々から思ってましたので、今日はきっと素晴らしいレースを見せてくれると思いますよ」
《なるほど! 前走からの距離延長に不安はない、と。しかし今日はなんと、単勝1.2倍の圧倒的1番人気に支持されています! プレッシャーは感じませんか?》
……ふん、プレッシャーなど感じるわけがないだろう。
ブルートランクスは俺が今まで管理してきた中でも群を抜いて優秀な馬だ。はっきり言って三冠も夢じゃないと思っている。この面子じゃ5割の力で走っても楽勝だ。
しかも、万が一に備えて、俺の厩舎から"ヒュプノギーザー"と"チャラノオー"の二頭をサポート馬として出走させているのだ。絶対に負けるわけがない。
「1.2倍程度じゃプレッシャーなど感じませんね。むしろこんなにオッズがついていいのか? と意外だったくらいです。私に言わせれば1.1倍でもつきすぎなくらいですよ。はははっ!」
《おおーーっと! これは強気な発言が飛び出しましたよ! 観客の皆さん、ブルートランクスを買うなら今のうちかもしれませんよ!》
俺とアナウンサーの会話に、観客たちはどっと盛り上がる。
客たちは「全財産賭けたぞー!」とか、「ブルートランクスが負けたら電車が止まるな」など、思い思いに叫んでいる。やはりほぼ全ての客たちが俺の馬に賭けているとみて間違いないだろう。
《それと今日のレースには、未勝利の白毛馬、マッシロシロスケが出走することでも話題になっていますよね? その点はどう思われますか?》
「ははっ、勝敗は別として、レースを盛り上げるいう意味では天満戸調教師は面白い判断をしたと思いますね。実際注目されていますし、新しい競馬ファンの開拓にもなるでしょう」
くくく……。惨敗することは確定してるがな。いや、完走できるのかすら怪しい。
それにしても天満戸の奴、未勝利の白毛馬を走らせるなど正気とは思えんが、まあ俺の馬の引き立て役になってくれるならそれに越したことはないだろう。
《マッシロシロスケの単勝オッズはなんと現在300倍を超えております。夢馬券として白毛ちゃんを応援してみるのも面白いかもしれませんねー!》
アナウンサーが最後にそう締め括ると、観客席からはドッと笑いが起こる。
女子供は白毛というだけで応援するかもしれないが、馬券を買う人間はシビアだからな。あんな物珍しいだけの馬を買うような馬鹿はそうそういないだろうよ。
インタビューを終えた俺は、他の調教師たちとも挨拶を交わしながら、騎手たちが待機している場所へと足を運ぶ。
「
「う~っす、ブルートランクスを勝たせればいいんでしょ? へへ、余裕っすよ余裕」
「まあ、俺らがなにもしないでも楽勝だと思いますが、万が一脚色のいい馬がいたら、ちゃんと妨害してやりますから安心しといてください」
ヒュプノギーザーとチャラノオーの主戦騎手である"
こいつらは競馬界でも荒っぽい騎乗をする問題児で有名だが、俺は重宝している。他馬を妨害するテクニックだけは超一流だからな。
……おっと、そろそろ馬たちにジョッキーが跨る時間だ。俺も観覧席へと移動するとしよう。
「南八よ、ブルートランクスの調子はどうじゃ?」
「こ、これは天獄会長! いらしていたんですか……!」
観覧席に向かう途中、鋭い眼光をした白髪の老人に声をかけられた。
この老人は、裏社会のドンとして有名な天獄会の会長、"
俺の厩舎の馬たちは、主に彼の傘下にある企業から預けられている。もちろん、ブルートランクスもその一頭である。
「なにも問題ありませんね、順調そのものですよ。今日も会長の前で素晴らしい走りを見せてくれるでしょう」
「そうか……それは重畳だ。じゃが、油断は禁物だぞ? どこに伏兵がいるとも限らんからの」
「はははっ、ご心配には及びませんよ。対策は万全ですから」
「……うん? あの白い馬……なかなかいい走りをしておるのぉ。南八よ、あの馬には警戒しておいたほうがいいのではないか?」
天獄会長が、双眼鏡で返し馬をしている出走馬たちを観察しながら、不意にそんなことを呟く。
白い馬……マッシロシロスケのことか?
やれやれ、このお方は凄い御仁ではあるが、競馬に関しては素人も同然だな。あんな馬のどこに警戒する要素があるっていうんだ。
「ご安心を、会長。どのような馬であれ、私たちのブルートランクスに勝てる道理などありませんよ」
「……そうか。儂はお前のどんな手を使ってでも勝利をもぎ取るその姿勢を気に入っておる。今回も期待しておるぞ」
「は、はっ! 必ずや会長の期待に応えてみせます!」
天獄会長は俺の肩をポンと叩くと、二人の黒服を連れてこの場を去っていく。
……ふぅ、相変わらず威圧感のある爺さんだ。さすがに緊張するな。だが、俺はそんな会長に認められてるってわけだ。この調子で今日のレースに勝利すれば、俺の評価は更に高まるだろうよ。
◇
《さあ、遂にレースが始まります。皐月賞トライアルの弥生賞。このレースを制するのはどの馬なのでしょうか!?》
女性アナウンサーの甲高い声がスピーカーから大音量で流れ、観客たちのボルテージが徐々に高まっていく。
そしてファンファーレが鳴り響くと、場内の熱気は最高潮に達する。
《頭数は9頭立てと少し寂しいですが、クラシックの大本命とされているブルートランクスの出走で注目度の高いレースとなっています! 一番人気のブルートランクスの単勝オッズはなんと1.1倍! 皆さんの期待度が窺えますね》
そしてゲート入りが始まり、各馬順調に収まっていくと、最後に大外のブルートランクスがゆっくりと入っていった。
《実況は私、"
ガチャンというゲートが開く音と共に、全頭が一斉に飛び出していく。
同時に場内からは、凄まじい大歓声が沸き起こった。
《スマーホボーイ絶好のスタート! そのまま逃げの手を打ちます! 続いてタイムストップガイ、テンタクルアタックといったところが先行集団を形成していきます。その後の好位に一番人気のブルートランクス、 続きましてヒュプノギーザーとチャラノオーが中団を形成。後方集団にボクサキスキーとナカマヲヨブショタ。そして最後方から、やや出遅れたマッシロシロスケという展開です》
ふむ、概ね想定通りの展開だな。先行集団には大した馬はいない、このままブルートランクスが前を掃除して終わり、ただそれだけのレースだ。
万が一後方から突っ込んでくる馬がいたときのために、ヒュプノギーザーとチャラノオーががっちりガードを固めているから心配ない。
……くくく、後はブルートランクスが後ろを何馬身離してゴールするか、それを楽しむだけだな。
《先頭を軽快に走るスマーホボーイですが……ああっ! コーナーを曲がれずに逸走してしまいました! 余所見でもしていたのでしょうか? 皆さん、歩きスマホは絶対にやめましょうーーーー!》
スマーホボーイが逸走し、場内は一瞬どよめきに包まれるが、ブービー人気の馬なのですぐに興味は薄れたようだ。
レースも残り800メートルを切って、徐々にペースが速くなっていく。
《おおおーーーっとぉ! きたぁーーー! 一番人気ブルートランクスが捲り気味に上がっていきます! これは凄い手ごたえだ! そのまま一気に先頭に立ったぁ!》
よし、そのまま突き放すのだ。お前がこの程度の馬どもに負けるはずがない!
あとは天獄会長にお褒めの一言をいただくだけ――
《ああっ! しかしもう一頭、後方から凄い脚で追い込んでくる馬がいます! 白毛の馬体を弾ませて、マッシロシロスケが一気にブルートランクスに迫ります!》
アナウンサーの実況を聞いて、場内から悲鳴のような声が上がる。
……な、なんであの馬がブルートランクスと互角……いや、それ以上の脚で追い込んできやがる!?
くそっ! 間邪、切道、やれ!!
俺が心の中で指示を出すと、奴らはそんなことわかってるよ、とでも言いたげにマッシロシロスケに馬体を寄せる。
そして切道の乗るチャラノオーが進路を塞ぐと、間邪の乗るヒュプノギーザーが大きく外に膨れて、真っ白な馬体を大外まで押し出した。
《ああっと! ヒュプノギーザーが寄れてマッシロシロスケが大きく外に弾かれてしまいました! これは審議の対象になりそうだぞ! しかしその隙にブルートランクスが他馬を突き放しにかかります!》
よし! 少しヒヤッとしたが、これでブルートランクスが勝つことは確定――
俺が下を向いてほっと一息ついた、そのときだった。観客たちから阿鼻叫喚ともとれる声が湧き上がる。
《おおーーーっと! なんということだぁ! 大外まで弾かれたマッシロシロスケ! 外ラチいっぱいを進んで、ものすごい脚で追い込んでくるぅ! 残り100メートル! ブルートランクスとの差が徐々に詰まってきた!》
な……なんだあれは!? 白い馬体が、まるで彗星のように迫ってくる……!
そ、そんな馬鹿な! あり得ない! あんな未勝利馬が三冠確実と言われている俺のブルートランクスに勝てるはずがない!
《ブルートランクス、粘る、粘る! が、しかし! マッシロシロスケの脚色は衰えない! 復活をかける鞍上"
俺は咄嗟に席から立ち上がると、観覧席を囲っている鉄柵にしがみつき、周りの観客たちと一緒に必死に叫ぶ。
「ね、粘れぇえええ! ブルートランクス!!」
《粘るブルートランクス! しかしマッシロシロスケが大外から飛んでくるぅううう! どっちだ! どっちだ!? 並んだ並んだぁーーーーッ! 内外大きく離れて同時にゴールインッ! 勝ったのはどっちか全くわかりませーーーん!!》
アナウンサーがそう告げると、場内は一瞬し~ん……と静まり返る。そして、ややあってからざわざわとどよめきが広がった。
ちらりと馬主席を見ると、天獄会長も険しい表情を浮かべている。
しばらくして……ターフビジョンにスローモーションでリプレイ映像が映し出されると、場内は絶叫の渦に巻き込まれた。
《な、なんということでしょう! マッシロシロスケの鼻先が僅かに前に出ています! 単勝1.1倍の圧倒的一番人気、ブルートランクス敗れるぅぅううーーーッ!》
アナウンサーの実況と共に、観客たちの悲鳴が辺りに木霊し、馬券が紙吹雪のように宙を舞う。
「そんな……馬鹿な……!」
俺は呆然とターフビジョンを見つめ、その場に膝から崩れ落ちた。
そこに二人の黒服を引き連れた天獄会長がつかつかと歩み寄ってくると、無表情で俺を見下ろしながら口を開く。
「どうやら儂は、お前を買いかぶっておったようじゃの」
「てっ、天獄会長、 お待ちください! まだこれは前哨戦であり本番は先で――」
「黙れ! 負けたことまでは許そう。じゃが、お前はあの白い馬の実力を全く見抜けていなかった。そのような者に儂の馬を任せるわけにはいかん。よって、本日をもってお前との専属契約を解除する!」
天獄会長はそう言い放つと、踵を返して立ち去っていく。
俺は慌ててその背中に声をかけるが、会長は一切振り返ることはなかった。
「あ、あそこに熊野がいるぞ!」
「あの野郎! なにが1.1倍でもつきすぎなくらいだ! 負けてんじゃねーか!」
「俺はブルートランクスに全財産賭けてたんだぞ! 金返せぇーーッ!」
「ひ、ひぇぇぇ……!」
周りにいた観客たちが俺に気づくと、血走った目を向けながら罵声を浴びせてくる。外れ馬券や新聞が辺りに飛び交い、そのいくつかが俺の顔に張り付いた。
勝利の美酒に酔いしれて大騒ぎしているマッシロシロスケ陣営を尻目に、俺は顔面を蒼白にしながら足早にその場から立ち去ったのだった。
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