第106話「転生したら競走馬だった件①」

『俺の名は"走坂はりしさか有馬ゆうま"。どこにでもいるごく普通の高校生……だったが、今ではご覧の通りただの美しいだけの馬さ。やれやれだぜ……』


 目の前にいる白馬が、ようやく小さくなった股間を丸出しにしながら、遠い目で語り始めた。


 聞くところによると、平凡な高校生であった走坂は、ある日突然トラックに撥ねられてしまい、気がつくと真っ白な空間にいたらしい。


 そこで女神的ななにかに出会って、来世はどんな風になりたいかを聞かれたそうだ。


 走坂は迷わず、女の子にモテモテでハーレムな生活と、使い切れないような大金を稼げる能力を要求した。そして次に意識が戻ったときには、馬小屋で藁にまみれていた……というわけである。


『ちくしょう! 完全に騙されたぜ!』


「……う~ん、騙されてはないんじゃないか?」


 見た感じカッコいい白馬だし、きっと牝馬にモテるだろう。種牡馬にでもなったら女の子とやり放題の種付けハーレム生活も待ってるし。それに競走馬は大レースに勝つと、とんでもない額の賞金が貰える。

 

 この分だと、おそらくチート級の競争能力も与えられているのじゃないだろうか? 願いはある意味、完全に叶ってるといえるだろう。


『馬にモテてもしょうがないだろ! それに俺は走りたくなんかないんだ! 知ってるか? 馬って足が折れるほど全力で走らされるんだぜ! 全力で拒否だ拒否!』


 ブルルンッ、と白馬は激しく首を左右に振って不満を露わにした。


 どうやら走坂は走るのが嫌いらしい。しかしこいつ、このままでいいと本気で思っているのか?


「お前……もしかして競馬に詳しくないのか?」


『ん? ああ、正直全然知らん』


「最近は競馬ゲームも人気なのに、全く知らないってのは珍しいな」


『俺の前世はこの世界とそっくりだけど微妙に違う世界でな。競馬ゲームなんて全然流行ってなかったぜ?』


 ……微妙に違う世界? 並行世界って奴だろうか。異世界にもいろいろと種類がありそうだ。


 まあ、それはいいとして。


「お前、このままだと最悪あと半年で死ぬことになるぞ」


『……へ?』


 俺の言葉に、走坂は間の抜けた声を漏らした。


 競争馬の世界は甘くない。全く走らない馬をいつまでも厩舎に置いておいてくれるほど優しい世界ではないのだ。


 3歳の8月末までに一度もレースに勝てなかった馬、未勝利馬はほぼ確実にそこで引退となる。そしてその先に待つのは――。


「良くて地方競馬に転厩か乗馬クラブ行き。悪ければ……食卓に上がることになる」


『じょ、冗談だろ!?』


 走坂はこの世の終わりのような顔で、ペタンと地面にへたり込んだ。


 もうすでに3歳の2月だ。彼はあと半年もすれば、この厳しい世界から……いや、最悪この世からサヨナラすることになってしまうだろう。


『で、でもほら。俺って珍しい白馬だし、さすがに食卓に並ぶことはないんじゃないか?』


「そうかもな」


『ああ、きっと乗馬クラブ行きさ。うん、乗馬クラブはいいかもな。全力で走らなくてもいいし、きっと女の子もたくさん俺に乗ってくれるぜ! な? そうだろ?』


「さあな。ただし、お前は今まで奇行が多かったからな。乗馬クラブ行きになったら……確実にそこをチョッキンされるだろう!」


 ビシリと股間のモノを指すと、走坂は戦慄した様子でブルルッと震えた。


 乗馬は大人しい馬が好まれる。なので当然気性の荒い馬、しかもそれがオスとくれば、真っ先に去勢対象になるのだ。


『ひ、ヒィィィーーッ! 嫌じゃぁぁぁーーー! ナユタちゃん、どうにかしてくれよぉーー!』


 無駄にでかい股間のモノをブラブラさせたまま、白馬はその場でヒンヒンと泣き始めた。本当に哀れなやつである。


 ちなみにこいつには俺の正体をすでに明かしてある。いつまでも絆奈ちゃんの振りは疲れるからな。


「走るしかないだろう。走ってレースに勝てば、お前の命は安泰だし大金も稼げる。将来は牝馬に種付け三昧のハーレム生活だ。いいことづくめじゃないか」


『でもハーレム生活っていっても馬だろ~? 元人間の俺としては、ちょっとなぁ』


「……ふむ、ちょっと待ってろ」


 俺は走坂をその場に残し、他の厩舎に馬を見に行った。そして目当ての馬を見つけるなり、調教師さんに無理を言ってちょっとだけ貸してもらう。


 そして厩舎に戻ってくると、走坂は口をあんぐりと開けながら、俺の連れてきた馬を凝視していた。


『初めましてマッシロシロスケさん。とても素敵な方ですね!』


『……お、おう』


 トレセン内で一番の美少女と名高い、小柄な栗毛の3歳牝馬プリティーマカロンちゃんに話しかけられた走坂――もとい、競走馬名マッシロシロスケは、股間のモノを再び大きくいきり立たせた。


 やはり俺の思った通り、馬として転生した走坂は馬としての本能に抗えないようだ。美少女馬のプリティーマカロンちゃんを目の前して、デレデレと鼻の下を伸ばしている。


「ほら、活躍して種牡馬になったら、彼女のような牝馬に種付けし放題だぞ」


『ま、マジか。今まで馬なんて……と思って敬遠してたけど、よく見れば普通の美少女としか思えんぞ』


 どうやら走坂にとってプリティーマカロンちゃんは、アリな女の子として認識できたらしい。


 これならこいつのやる気も出ることだろう。


『うおおおーーーッ! やってやるぜー!  絶対に種牡馬になって、可愛い牝馬とイチャイチャしてやるーーー!』


 天に向かって咆哮する走坂を尻目に、俺はマカロンちゃんを元の厩舎へと返しに歩き出す。


 まあ……本当は種牡馬になったら相手なんて選べないんだけどな。むしろ美少女どころか何歳も年上のおばさんと強制的に交配させられることも多いのだが。そのへんは言わないのが優しさだろう。





「オラァ! もっと気合を入れて走れ!!」


『も、もうちょっと手加減してくれよぉ~』


 俺を背中に乗せた走坂が、坂路コースをヒイコラ言いながら登っていく。


 どうやらポテンシャルは相当高いようだが、いかんせん今までサボりまくっていたせいで体力が全然ない。


 ビシビシと鞭で尻を叩きながら全長1キロを超える坂道をなんとか登り切ると、ぜえぜえと荒い息を吐く走坂を厩舎の馬房へと戻した。


「おお、見違えるようやないか! これやったら今度の未勝利戦も、好勝負ができそうや!」


「シロスケは白鳥財閥から預かっとる3億円を超える馬やからな。このまま未勝利で終わるのかとヒヤヒヤしとったんや。ナユタちゃん、ありがとうな!」


 源一郎さんとヒロポンさんが、坂路のタイムを見て嬉しそうに喜んでいる。


 確かにこの調子なら未勝利くらいは勝てそうだが……。俺は騎手じゃないから本番は乗れないんだよな。あいつが男を乗せても同じ走りができるかは、正直疑問だ。


 走坂のやつはこれまで3戦していて、全てのレースで騎手を振り落として競争中止という、かなりヤバい馬として悪名を轟かせていた。そもそも乗ってくれる騎手がいるのか? というレベルである。



「はーっはっはっは! もうすぐ春のクラシックが始まるというのに、未勝利戦の話とは天満戸厩舎はずいぶんと景気が悪いようだなぁ!」



 そこへ突然、隣の厩舎から高笑いと共に髭面のおっさんがズカズカと入ってきた。


 おっさんは走坂のいる馬房を覗くなり、フンッと鼻で笑いながら見下したような視線を送る。


「熊野……なんの用や?」


 源一郎さんが顔をしかめておっさんの対応を始めたので、俺はヒロポンさんに小声で事情を尋ねた。


「あの髭おじ、誰なんです?」


「ああ、彼は"熊野くまの南八なんぱち"。親父の同期や」


 二人は年も同じで、競馬学校時代からライバル関係にあったらしい。


 しかし、源一郎さんがジョッキーとして大活躍をしたのとは対照的に、彼は騎手としては全く芽が出ずに、GIを勝てないまま引退して調教師へと転身。


 そのせいか、調教師として成功し始めてからというもの、源一郎さんに事あるごとに突っかかって来るのだそうだ。


 彼は金持ちの馬主に媚びを売るのが上手く、そのおかげで多くの良血馬を預かっており、今では関西でトップの調教師として名を馳せている。


「そのマッシロシロスケだったか? うちのブルートランクスが弥生賞に出走する日に、呑気に未勝利戦を走るみたいではないか」


「放っておいてくれ。シロスケはこれからの馬や」


「やれやれ、こっちは2歳王者として日々マスコミやファンからプレッシャーを受けているというのに、羨ましい限りだな! 3億円もする馬で未だに勝ち星一つ上げさせられないとは、やはり騎手としての実力と調教師としての実力は別物ということか! 今からでも解説者に転職したほうがいいんじゃないかね?」


 南八は嫌味ったらしく高笑いを上げると、走坂の馬房に唾でも吐きそうな勢いで背を向けて厩舎を後にした。


 ……う~ん、なんか嫌な感じだな。源一郎さんはあんなやつの挑発に乗らずに大人な態度で対応していたが、俺はどうもああいう偉そうなやつが大嫌いなのだ。


 ここは一つ、走坂を鍛えてあいつに一泡吹かせてやるか?


「よし! 源一郎さん、シロスケのやつも弥生賞に出走させましょう!」


 俺が馬房で呑気に欠伸をしている走坂をビシッと指さしながらそう言うと、天満戸親子は揃って目を真ん丸に見開いた。

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