第099話「マジックナユタ①」

「白夜さん、本日はお招きいただきありがとうございます」


「ああ、龍吾さん! わざわざ来てくださったんですね!」


 俺――"黒羽根くろばね白夜びゃくや"の前に、全身を黒一色に統一した長身の男が近づいてきた。


 彼は"鬼頭きとう龍吾りゅうご"さん。あの天獄会の幹部でもあり、会長の天獄将徳の亡き後には、次期トップの最有力候補と言われている人物だ。


 この会場には警察関係者も大勢いるので、黒羽根家が反社と懇意にしていることを知られるわけにはいかないが、彼には若手実業家としての表の顔もあるので、その方面からの招待客としてここに紛れ込んでいる。


「それにしても、素晴らしい会場だ。いやはや、まさに豪華絢爛という言葉がふさわしい。広大な敷地に美しい庭園、そして一流シェフが手掛けた料理の数々。黒羽根家はこれからの日本を背負って立つに相応しい家ですね」


「そんな、大袈裟ですよ。……でも、そう言っていただけると父も喜びます」


 社交辞令だとしても、黒羽根家を褒められて悪い気はしない。彼は反社の幹部にしては非常に知的で、話もわかる人なので俺も好感が持てる。


 ……まあ、それでも相手が相手なだけに油断は禁物だが。


「しかし、なにか不穏な噂を耳にしましたよ。なんでも、予告状が届いたとか……」


「ええ、そうなんですよ。"怪盗かいとう不可思議ふかしぎ"を名乗る人物からのね。予告状には"吸血王の涙"を盗むと明記されていたので、俺も驚きました」


 胸にかけているネックレスに埋め込まれた深紅の宝石を、俺は軽く指で弾く。


 この宝石は親父が天獄会と協力して白鳥家から奪い取った奴らの家宝であり、満月を俺たち黒羽根家に輿入れさせるための人質でもあるのだ。


 しかし最初はその予定だったのだが……俺は今日、満月との婚約を破棄するつもりだ。何故ならばあんなつまらん女とは違い、運命の相手とも呼べる存在を見つけてしまったのだから……。


 だからといって、"吸血王の涙"をみすみす怪盗不可思議なるコソ泥に渡すつもりはさらさらないがな。


「でも問題ありませんよ。会場の警備は完璧です。警察官や凄腕のSPも大勢いますし、サーモグラフィーや赤外線センサーも完備してありますので、たとえ白ポーションで透明になっていても即座に発見できます。怪盗どころか鼠一匹通し――」



「ちょっと! 気安く触らないでくださる!? わたくしを誰だと心得ておりますの!?」



 そのとき、俺のセリフを遮って若い女の声が会場に響き渡る。


 見ると会場の入り口で、ドリルツインテールの小柄な美少女が警備員を怒鳴りつけていた。


 小柄な体格に似合わぬやたらと大きな胸と、美しいおへそを露出させた大胆なドレス、まさにザ・お嬢様と形容するにふさわしい髪型をしたその少女は、俺と目が合うと不機嫌そうにこちらを睨みつけてきた。


「ちょっとお兄様! この警備員をどうにかしてくださる? わたくしの荷物まで中を全て見せろと言ってくるんですのよ!?」


 ぷりぷりと怒りを露にするその少女は、俺の妹である"黒羽根くろばね麗華れいか"だ。


 俺は慌てて彼女に駆け寄り、警備員を下がらせる。


「君、妹の荷物を漁ろうなどと、恥を知りたまえ」


「で、ですが……。旦那様から会場に入る人間は全て荷物検査するようにと、厳命されておりまして……」


「あのなぁ……。だからといって主催者である我々黒羽根家の人間の荷物まで調べる必要があるのか? もう少し臨機応変に対処してくれたまえ」


「は、はい……。申し訳、ありません……」


 警備員がすごすごと帰っていくのを見送りながら、俺は麗華に向き直る。


 彼女は俺の2歳年下であり、今は中学3年生だ。だが、その年齢に似つかわしくない豊かな体つきは、兄である俺からしても実にけしからんと思う。


 ……あれ? しかし、今日はいつもに増してよりドスケベな感じが……。


 い、いや……妹相手に俺はなにを考えているんだ。成長期だし、少しくらい体に肉が付き始めたところでおかしくないだろう。


「ふぅ、助かりましたわお兄様。……ところでそちらの方は?」


「ああ、麗華は初めてだったかな? こちらは天獄会の幹部の龍吾さんだ」


「初めまして麗華さん、鬼頭龍吾と申し――」


「ええーー!? あの反社のてんご――むぐぅ!」


「おい! デカい声だすな! ……すみませんね、龍吾さん。妹はまだ世間知らずなところがありまして」


 慌てて麗華の口を塞ぐと、俺はそのまま彼女を会場の隅へと引っ張っていく。


 ……あ、あぶねぇ。普段から世間知らずなところはあるが、なんか今日は一段と酷い気がする。黒羽根家と天獄会の繋がりを知られるわけにはいかないので、こいつにはよく言い含めておかねば。


「いいか麗華。天獄会と黒羽根家は、あくまで裏で秘密裏に協力し合う仲だ。間違っても俺たち黒羽根家が反社と繋がってるとか、そんな根の葉もない噂を表に流さんでくれよ?」


「わ、わかりましたわよ……。まったく、お兄様ったら心配性なんだから」


「……大事な話をしてるんだから、スマホをいじるのはやめようね」


「もう、うるさいですわねぇ。……ところでお兄様、その胸の宝石、"吸血王の涙"ではありませんこと?」


 スマホを腰元のポーチにしまった麗華が、俺の胸元の深紅の宝石を指差す。


 おっと、いくら妹とはいえ迂闊にこれに触らせるわけにはいかない。特にこいつはうっかり破壊しかねないので、くれぐれも注意しなければ。


 サッとネックレスを手で覆い隠すと、麗華はむすっと唇を尖らせる。


「ふっ、"怪盗かいとう不可思議ふかしぎ"なるコソ泥がわざわざこれを盗もうと予告状を出してきたのでな。だから、こうやって俺自らがこれを肌身離さず持ち歩いて、警備を万全にしているのだ」


「怪盗不可思議……とても興味深いですわね~。名前も素敵ですわ~」


 ……そうか? 妹のセンスはいまいちわからんな。


「それじゃあ白夜さん、俺はこのへんで。また近いうちにお会いしましょう」


 俺と妹の会話が長くなりそうだと見て取ったのか、龍吾さんは踵を返すと、人ごみの中へと消えていく。


 ……ふぅ、去ったか。彼はいい人なのだが、なにぶん裏社会の人間だからな。やはり少し緊張してしまう。


「それよりお兄様、今日はあの白鳥満月に婚約破棄を言い渡すつもりだと小耳に挟んだのですが、本当ですかしら?」


「おいおい誰から聞いたんだ? でも、お前もあいつのこと嫌っていただろう?」


「ですけど……。白鳥満月との婚約を破棄すれば、名家との繋がりもなくなってしまいますわよ?」


「そんなことはどうでもいいような理想の女性と出会えたのさ。彼女に比べたら、満月なんて美人で勉強と運動ができて家が金持ちなだけのつまらない女――」


「――ふんっ!」


「ぶげぇ!」


 麗華のローリングソバットが、俺の脇腹にクリーンヒットする。


 な、何故だ……。俺はただ、満月の悪口を言っただけだというのに……。しかもやたらキレのある蹴りだったし、お前いつの間にか格闘技とか習ってたの?


 床に崩れ落ちた俺を見下ろしながら、麗華は髪をバッサァとかきあげるとフンスと鼻を鳴らす。


「ごめんあそばせ、蹴りやすいお腹だったもので、つい」


「れ、麗華ちゃん? 君……今日ちょっとおかしくない?」


「そんなことよりお兄様。その理想の女性って、あちらにいるモブっぽいお顔の方ですの?」


 ビシリと麗華が指差す先、そこには数人のイケメンに守護されるかのごとく囲まれている一人の少女の姿があった。


 会場の窓から差し込む月の光が、彼女の艶やかな髪を明るく照らし出している。俺たち上流階級の者とは違った平民育ち特有の垢抜けない雰囲気と、それでいてどこか普通とは一線を画す特別なオーラを纏う少女。


「ああ、彼女こそが"朱刃あけはひかり"。その名の通り、まさに俺を照らす光のような女性だよ。……月の女神と言ってもいい」


「わたくしにはただのモブ顔に見えますが……」


「女は顔じゃないんだよ。見ろよ、俺以外の男たちも彼女の魅力にメロメロじゃないか」


「……あんなに男を引き連れて、ハーレムでも作るつもりですの? 一人の男に一途な女性の方がわたしくは良いと思いますが……」


「それだけ彼女が魅力的だってことだよ。……ああ、満月のように美人でスタイルがよく、勉強と運動ができて家が金持ちなだけのつまらない女とはまるで――」


「――ふんっ!」


「ごばぁ!」


 麗華のコークスクリュー・ブローが俺の鳩尾に炸裂する。


 し、死ぬ……。内臓が口から飛び出すかと思うくらいの衝撃だったぞ……。この妹、いつの間にこんな技を……。


 金に物を言わせた超良質で健康的な食事と、最新式のトレーニング機器による日々の運動によって作られた俺の優れた内臓でなければ、病院送りになってもおかしくなかったぞ。


 再び床に倒れ込む俺の頭を踏みつけながら、虚空に向かってシュッシュと鋭い拳を繰り出す妹。


「失礼。殴りやすいお腹だったもので、つい」


 この妹、本当に今日は一体どうしたというのだ……。いつもはアホではあるが、ここまで暴力的ではなかったはずなのだが……。


 しかし麗華の奇行は止まらない。今度はよろよろと立ち上がった俺の腕にがぶりと噛みつき、そのまま歯を食い込ませてきた。


「ちょっとぉ!? 麗華ちゃんマジで今日どうしたの!?」


「がぶっ……。ぺろぺろ……。あむ、あむ……」


 噛んだところを執拗に舐め回しつつ、滲みでる血を舐めとる妹。


 訳も分からずされるがままになっていると、「やば……キスしたからリップの効果が切れた」と小声で呟きながら、麗華はトイレへと走り去ってしまう。


 ……一体なんだったんだ、妹よ……。

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