第080話「女王蟻の心臓」

「走れぇぇぇーーーーッ! 止まったら死ぬぞぉぉぉぉーーーーーッ!」


 ライオンほどの大きさをした巨大な蟻が、あたしたちに向かって飛びかかってくる。


 蟻の化け物はあたしの横にいたおっさんの首をその大きな顎で噛み切ると、そのまま頭をバリボリと骨ごと咀嚼しながら、次はお前だと言わんばかりにこちらをギロリと睨みつけた。


「ひぃ、ひぃぃぃーーーっ!」


「ナツミちゃん伏せろ!」


 恐怖で尻もちをついたあたしの後ろから、巨漢の男が大槌を蟻に振り下ろす。


《ピギィィィィーーーーーーッ!》


 頭を強打された蟻の化け物は、ビクンビクンと体を痙攣させ、やがて動かなくなった。


 大槌を肩に担いでふぅと一息つく巨漢の男。いつの間にかリーダー的存在としてあたしたちを率いるようになっていた田中さんだ。


 彼は元レスリングの選手だったというなかなかのイケオジである。あたしの中で、この面子で唯一人権ありの男としてカウントされている。


「くそ、もう20人以上も死んじまった……。なんとか帰還の転移陣を見つけて脱出しないと、このままじゃ全滅だ……!」


 田中さんが顔を歪ませて、苦々しげに吐き捨てる。


 そう、あたしたちは天獄会によって蟻の化け物が巣食うダンジョンに強制的に転移させられてしまったのだ。


 最初は30人以上いたメンバーも、もうあたしや田中さんを含め7人にまで減ってしまっている。


 ここにいる全員が天獄会に借金をしている債務者か、あたしのように彼らの怒りを買ってしまった者たちだ。あたしたちに残された道は、このダンジョンから魔導具とやらを持ち帰って天獄会に献上するか、ここで命を落とすかの二つに一つ。


「さっきチラッと覗いた大部屋にいた、女王蟻みたいなやつを倒すのは駄目なんですか?」


「……残念だが無理だ。あれはこのダンジョンのボスだ。ここは星四ダンジョン、未だ星四ダンジョンをクリアした人間は世界のどこにもいない。天獄会からこの"虫砕き"を渡されていなかったら、さっきみたいな雑魚ですら俺たちには倒せん」


 田中さんはそう言って、大槌をあたしに見せる。


 確かにこのダンジョンに入ってからというもの、蟻の化け物たちはその殆どがこの"虫砕き"という武器で田中さんに倒されていた。


「アイテムを持っているレアモンスターから二つ、隠し部屋からも二つの魔導具の入手に成功した。あとは帰還の転移陣を見つけてこのダンジョンから脱出する。そして天獄会にこれらを献上して許しを請うしか、俺たちに生き延びる道はない」


 今あたしたちが持っている魔導具は、最初から持っていた"虫砕き"の他に、"竜殺剣"、"雷光の杖"、"ふわふわローブ"、"命の実"の四つだ。


「ナツミちゃん、命の実の効果は"食べた者の寿命が一年ほど伸びる"で間違いないんだよな?」


「はい、鑑定でそう出ました」


 あたしはなんと【アイテム鑑定】というちょっと使えるスキルを持っていたのだ。アイテム鑑定機という魔導具があれば不要な能力らしいけど、この状況ではかなり役に立ってくれている。


「これはまさに天獄会の会長が求めているアイテムの一つだ。これを持ち帰れば俺たちは全員許されるかもしれない」


 田中さんの言葉に、他の債務者たちの顔が明るくなる。


 だが、まずはこの蟻の化け物だらけのダンジョンから生きて脱出しなければならない。


 蟻どもに見つからないように身を隠しながら、あたしたちは帰還の転移陣を求めてダンジョンを歩き回る。



『にゅ?』



 そのとき、なにかがあたしたち目の前を通り過ぎた。ふと視線を上に向けると、上空を羽の生えた金色の宝箱のようなものがふわふわ浮きながら移動している。


 それを見た田中さんが、目の色を変えて叫んだ。


「トレジャーボックスだ! あれからは超がつくほどのレアアイテムが出る! 一気に俺たちの未来が開けるかもしれないぞ! みんな、絶対に逃がすなァーーーッ!」


「「「うおおおーーーーッ!」」」


 地獄に垂らされた蜘蛛の糸にすがるように、あたしたちは雄叫びを上げてトレジャーボックスに飛びかかる。


 田中さんが大槌を振るい、他の債務者は洞窟の石を投げつけたり、大声を上げて威嚇したり、とにかくがむしゃらになって空飛ぶ金の箱を追い回した。


 そしてついに――



『にゅーーーー!?』



 あたしが雷光の杖から放った電撃がトレジャーボックスを直撃し、地面へ叩き落とすことに成功する。


 そこに田中さんの大槌が振り下ろされ、金の箱はぐしゃりと潰れると、光の粒子となって消滅した。



 ――ドサリ……



 洞窟の床になにかが落下する。


 見ると、そこにはドクンドクンと脈打つピンク色の心臓のような物体が転がっていた。


「やった、倒したぞっ!! ナツミちゃん、鑑定を頼む!」


「あ、はい……」


 気持ち悪いが、田中さんに言われるままにそれを手に取って鑑定する。




【名称】:女王蟻の心臓


【詳細】:この心臓を取り込んだ女性は、女王の資質を得る。自らの体液 (体から離れて5分以内のものに限る)を男性に飲ませることで、その男性を配下とすることができる。配下は女王の命令に嬉々として従い、その命が尽きるまで彼女に尽くすだろう。




「どうだった、ナツミちゃん。どんなアイテムだった!?」


「……」


 田中さんに肩を揺さぶられる。だけど、あたしはそれを無視して自分の胸の部分に【女王蟻の心臓】を押し当てた。


 心臓は吸い込まれるようにあたしの胸に入っていくと、ドクンドクンと脈打ちながら徐々にあたしの体に馴染んでいく。


「ナツミちゃん!? 君、一体なにを――んぐぅ!?」


 田中さんの唇を奪い、その口の中にあたしの唾液を流し込む。


 そして数秒後、田中さんはゆっくりとあたしから唇を離すと、恍惚とした表情であたしの手を取り、その場に片膝をついたのだった――。

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