第068話「天獄会」

「それじゃあここで待っていてくださいね」


「あ、ああ……。君なら大丈夫だと思うが、気をつけてな……」


 ボス部屋に向かう途中で見つけたセーフティルームに武藤さんを残して、俺は再びダンジョンの奥へと進んでいく。


 オークをワンパンで蹴散らしながらしばらく歩いていると、前方に大きな扉が見えてくる。あれがボス部屋へと続く扉だな。


 扉を開くと、そこは俺が初めて攻略したゾンビダンジョンと似たような作りの大広間だった。真ん中に一際巨大で筋肉質なオークが立っていて、その周りを十匹ほどのオークたちが守っている。


「ふふん、【剛力】を獲得した俺のパンチの試し打ちには丁度良いな」


 タンッ、タンッ、タンッと軽くその場でジャンプをしてからオークたちに向かって走り始める。


 そして、その勢いのままに壁際にいたオークの懐に飛び込むと、でっぷりと太った腹に向かって渾身のボディブローを放った。


《ブヒィーーッ!?》


 その一撃はオークの腹を軽々と貫通し、大量の血液を飛び散らせながら背後にある石壁をも砕いてみせた。


 ま、マジか……。ふっ飛ばさずにそのまま腹を貫いちゃったぞ。そろそろ完全に人間やめてきたな……俺。


 これは吹き飛ばすパターンや砕くパターンなど、力を調節しながら打撃を上手く使いこなせるように、訓練をしなきゃダメかもしれないな……。


 オークたちは仲間を殺されたことに激昂し、一斉に俺に向かって飛びかかってくる。だが──


《ブヒィッ!?》


《プギィーッ!?》


 その全てが拳一発で、まるで木の葉のように吹き飛ばされていった。


 あっという間に最後の一匹となったボスオークが、怒りの咆哮を上げながら突っ込んでくるが、俺はそれを冷静に観察しながらカウンターの右ストレートをその顔面に叩き込む。


《ブギィアァァァーー!?》


 ボスオークはそれだけで白目を剥きながら、ダンジョンの壁に向かって勢いよくぶっ飛んでいき、そのまま壁にめり込んで光の粒子へと変わっていく。


 そして、地面には虹色のポーションが転がった。


「はぁ、虹ポーションかよ……」


 これいらねぇんだよなぁ……。飲んだらなにが起こるかわからないポーションなんて、怖くて飲めたもんじゃないぞ……。こんなの飲む奴は目立つこと以外はなにも考えていない死んでみた系動画配信者くらいだろ。


『うわー、先輩めちゃくちゃ強くなりましたね。これなら星三ダンジョンも普通に行けそうじゃないですか?』


「うむ、でも俺は慎重なのだ。星三はもうちょっと長所を集めて年が明けてから挑戦しようと思っている」


『……おお、精神的にも成長してますね』


 十七夜月は俺をなんだと思っているのか。まあ、でも確かに昔の俺だったらなにも考えずに突撃していた可能性もあるが……。


 でも今は違う。吸血鬼ナユタちゃんは慎重さと大胆さを兼ね備えたキュートでクールな美少女なのだ。


 キラキラとダンジョン内が輝きだし、身体が光に包まれていくなか、俺はまた一歩成長した自分に対して確かな満足感を感じていた。






◆◆◆





「龍吾、お主……寝坊はよくするほうか?」


 広々とした和室は、重々しい静けさに包まれており、薄暗い照明が部屋全体に影を落としている。その中央には黒光りする漆塗りのテーブルがあり、それを挟んで二人の男が向かい合わせに座っていた。


 上座にある黒革の張られた座椅子に座るのは、真っ白な襦袢の上に家紋の入った紅い羽織を肩がけした白髪の老爺だ。その顔には深いシワが刻まれており、白い眉毛の下から覗く鋭い眼光と相俟って見るものに畏怖の念を抱かせる。


 老爺は、胡座をかいた膝に片肘を突きながら、懐から取り出した煙管を咥えると、正面に座る黒服の男へと問いかける。


「恥ずかしながら……幼少の頃は、よく寝坊をする子でした。いえ、現在はもうそのようなことはありません。この身は、全て会長のためにありますゆえ……。いつ如何なる時でも、会長の望む時に、望む場所でお仕えする所存でございます」


 黒服の男、老人の右腕である――"鬼頭きとう龍吾りゅうご"は、深々と頭を垂れながらそう答えた。


 すると老爺は煙管を咥えたままクツクツと笑いだし、やがて大きく息を吸い込み、ゆっくりと紫煙を吐き出す。


「まあ、子供なんてのはそういうもんよな……。じゃがな? 儂は子供の頃から一度も寝坊なんぞしたことがないんじゃよ」


「……一度も、ですか?」


「うむ、当然目覚まし時計なんて物は儂の若い頃には存在せんかった。じゃが、親に起こされるまでもなく、いつも自然と同じ時間に目が覚めるんじゃ」


「それは凄いですね」


「しかし、一度もない……というのには語弊があったな。実は一度だけ……たった一度だけ、どうしても起きることができなかった日があるんじゃよ。……なあ? 龍吾よ。昭和20年の8月6日。その日になにがあったか知っておるか?」


「確か……広島に原爆が投下された日、でしたか?」


 鬼頭の言葉に老爺はコクリと頷くと、再び煙管を咥えて紫煙を燻らせる。


 そしてその煙とともに、静かに言葉を吐き出した。


「当時、儂は広島に住んでおった。……あれは今でも昨日のことのように思い出せる。あの日儂は、どういうわけかいつもの時間に起きることができず、寝坊して学校に行くのが遅れてしまったんじゃよ」


「……それは!?」


「人生でたった一度の寝坊があの日じゃった。大きな音がして慌てて起きてみたら、学校のある方向の空に奇妙な雲が出ておってな……。人々はパニックになって逃げ惑っておった」


 老爺は、当時を思い出しているかのようにどこか遠くを見つめると、ゆっくりと話を続ける。


「後で聞いた話じゃが、同級生は全員が死んでしまったらしい……教師もな。……生き残ったのは偶然寝坊した儂だけじゃった」


「天が……天獄会長を生かしたとでもいうのでしょうか?」


 鬼頭の問いに、老爺──天獄会てんごくかい会長の"天獄てんごく将徳まさのり"はニヤリと口角を上げてみせる。


「儂は神なんてものは信じちゃおらん。じゃがそれからも度々、似たような出来事が儂の命を救ってきた。そして、散々悪いことをしてきたし、周りが敵ばかりのなか、こうして90歳を超えても未だこの命は尽きておらん……」


 天獄はその鋭い眼光で鬼頭を射抜くように見つめると、ゆっくりと立ち上がり、そして静かに言葉を続ける。


「ダンジョン、ダンジョンのぉ……。実にファンタジーな話よ。摩訶不思議な数々の魔導具とやら! 若返りの薬! 儂の寿命があと少しで尽きようかというタイミングでこのようなものが出現するなど、まるで天が儂を生かそうとしておるとしか思えんではないか!!」


 両手を広げてまるで夢見る少年のような瞳でそう語る老人を、鬼頭は黙って見つめる。


 そして、天獄はそんな鬼頭をチラリと見ると──その鋭い眼光を、猛禽類のようにさらに鋭く研ぎ澄ませた。


「それで、龍吾よ。例のおなごは見つかったのか? オークとやらを一撃で屠ったという、凄まじい力を持つ少女は」


「はい、現在調査員が全力でその行方を追っております。しかし、未だ有力な情報はありません……」


 天獄会がダンジョン内に送り込んでいる債務者の数は、実に数百を超える。彼らに持たせたカメラの中に、その少女の姿が偶然にも映り込んでいたのだ。


 その少女は、なんと一撃でオークを屠り、そのままダンジョンの最奥へと進んでいったというではないか!


「映像でもフードを深くかぶり、マスクで顔を隠していましたので詳細な容姿はわかりませんでした。しかし、実際に相対した債務者からの情報ですと、おそらく十代前半から半ばほどであろうということです」


 鬼頭が天獄にその動画を見せると、老爺はそれを食い入るようにじっと見つめた。


 動画に映る少女は非常に小柄だが、服では隠しきれないほどその胸は豊満であることがわかる。


「なんとしてでも見つけ出して、儂の前に連れてこい。……その少女は、必ずや儂の役に立つはずじゃ」


 天獄は鬼頭にそう告げると、再び黒革の張られた座椅子へと腰を下ろした。そして、煙管に新たな火種を灯すと、ゆっくりとした動作でそれを吸い込む。


 天井に吹きかけた紫煙をぼんやりと眺めながら、老爺はどこか楽しそうにポツリと呟いた。


「未来永劫、儂は頂点に君臨し続ける……。儂の覇道を邪魔する奴は、誰であろうとも容赦せんぞ……。クククククッ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る