第065話「肉肉キングダム」

「もぐもぐ! がつがつ!」


「……もっとゆっくり食べたらどうですか? ほら、口元が汚れていますよ」


「むぐ?」


 十七夜月が呆れた表情でテーブルの上に置かれているナプキンを手に取る。


 牛タンを勢いよくかっ込んでいた手を止めて、「んっ」と顔を差し出すと、柔らかな白い布が俺の口元を優しくを拭った。


「はぁ……進化してかわいくなりましたけど、なんか前より子供っぽくなってませんか先輩?」


「う~ん、そうかぁ?」


 でも確かに、十七夜月の言っていることは一理あるかもな。この体が若いからか、精神まで引っ張られている気がする。


 だけど、どうしようもないんだよなあ。勝手にテンションが上がったり、アホな行動を取りたくなっちゃうんだから。


 え? それは元からだって? うるせー!


 まあでも、多少子供っぽくても別に問題はあるまい。今の俺はJCくらいの美少女だしね、しかも巨乳の。むしろこれでかわいらしく振る舞わないほうが逆に失礼というものだろう。


「もきゅもきゅ……」


「もう、またリスみたいに口いっぱい詰め込んで……」


「肉が美味すぎるのがいけない。こんなん無限に食えるわ」


「まあ、三十分も待ってお腹空きましたもんね。でも食べ過ぎて太っても知りませんよ?」


「それは大丈夫。たぶん俺、太らない体質だから」


「うわぁ、それはちょっと腹立ちますね。女として羨ましすぎる体質です」


 焼肉をパクパクと食べながら会話をする俺と十七夜月。


 今日は冬服を一緒に見に行って、そのまま外食をすることにしたのだ。最近ネットの口コミで人気の食べ放題の焼肉店、『肉肉キングダム』へ来たのだが、あまりにも混んでいて三十分も待たされてしまったので、お腹の空き具合が限界だった。


「それにしても本当に美少女になりましたよね。前よりちょっと神秘的な感じもでてきましたし……」


「そうか? 自分じゃよくわかんねーなぁ」


「ほら、この白くなった前髪とか」


 一房だけ真っ白になった俺の前髪を、十七夜月がつんつんと突っついてくる。


 そう、なんか半吸血鬼に進化したら髪の色が一部白くなったのだ。しかも、瞳の色も黒からクリムゾンレッドに変わった。


「その瞳もめちゃくちゃ綺麗ですよね」


「綺麗なだけじゃなくて色々見えるぜ? 例えばお前の背中にもたれるようにくっついてる半透明の血まみれのおっさんとか」


「…………へ?」


 十七夜月の顔が一瞬にして青ざめる。


 後ろを振り向いて確認するが、当然そこには誰もいない。もう一度俺のほうを見て、問いかけるような視線を投げかけてきた。


「うっそー! 【幻想の魔眼】は霊体も見えるけど、普段は見えないようにフィルターかけてるから!」


 一度魔眼を全開にして一日過ごしてみたら、あまりにも色々見えすぎて頭がおかしくなりそうになったので、それ以来、戦闘時以外は常に魔眼の出力は最低レベルに設定しているのだ。


 なので当然、霊体のおっさんの姿など見えやしない。


「それにしても、今のお前の顔! ぷぷぷぷぅー! 写真に撮ってSNSにアップしてぇくらい――」


 ――ドス!


 俺の手の甲にフォークが突き立てられた。


「あんぎゃー! な、なにをするだあーーッ!?」


「進化して再生能力がどれくらいになったか確かめてるんですよ。ほらほら、ぐりぐりー!」


「ひぎぇぇぇっ! もう調子に乗らないからゆるちてー!」


「……まったく。体は進化したのに頭のほうは全然成長していないみたいですね」


 ズポシッっとフォークが引き抜かれると、一瞬ピュッと血が噴き出るが、すぐににゅるにゅると傷口が塞がった。


「うわ、もう完全に化け物じゃないですか……」


「事実だけど傷つくからやめてッ!?」


「大丈夫ですよ、私は先輩が木っ端みじんになっても『グチュヌル』って再生するような化け物になったとしても見捨てたりしませんから」


 グチュヌルってなんだよ……。いや、大体はイメージできるけどさ。


 でもこのまま進化を続けたら、いずれそんな感じになっちゃいそうで怖いわ。


「でも実際凄いですよね。結局、公式では世界で誰もクリアしていない星四ダンジョンもクリアしちゃったわけじゃないですか」


「う~ん、あのときは覚醒状態だったから、正直星四にもう一度潜るのはまだ時期尚早な――」



「おい! いつまで待たせんだよ! 俺を誰だと思ってんだ!!」



 入口の方から男の怒鳴り声が聞こえてきて、会話を中断させられる。


 振り返ると、柄の悪そうな大学生くらいの若い男が二人の美女を従えて店員を怒鳴りつけていた。


「お、お客様。ただいま大変混雑しておりまして、三十分ほどお待ちいただいてもよろしいですか、と最初に申し上げたはずなのですが……」


「はぁ? だからさっきからずっと待ってんじゃねーか!」


「ま、まだ十分ほどしか……」


「あ? そんなの知らねーよ。こっちは客なんだから、さっさと席に案内しろや!」


 店員の申し訳なさそうな対応にも、男は高圧的な態度で食って掛かる。


 連れの女たちも、そんな男を「カッコいい」だの「頼りになる」だのと囃し立てていた。



「いますよねー、店員にやたら偉そうな態度を取る男。私ああいったタイプって生理的に受けつけないんですよ」


「俺も完全に同意だ。でも、何故かああいう男って一部の女にモテるんだよなぁ」


 ヤンキーとか半グレとか、周りに高圧的でやたら威張り散らしてる男が好きな女っているんだよな。どうしてあんなのがいいのか、俺にはさっぱり理解できないわ。


「ん……? でもあいつどっかで見たことある気がするんだが……」


「あ、私わかりました。あの人、一時期テレビで話題になってた『井張いはり泰人やすひと』じゃないですか?」


「ああ、あいつか!」


 

 ――井張いはり泰人やすひと


 数年前の冬季オリンピックの前に、天才スノーボーダーとしてメディアに取り上げられ、一躍有名になった男だ。


 金メダル確実とまでいわれ、世間の期待を一身に背負っていたものの、度重なる飲酒や喫煙、更にはSNSでの暴言など、あまりの素行の悪さにより、オリンピック出場を取り消されることになる。


 そのときの彼のセリフ「反省? 俺の辞書にそんな言葉は載ってねーよ」はあまりにも有名だ。



「あ、前に並んでる家族連れを恫喝して順番を譲らせようとしていますよ」


 十七夜月がそう言うので視線を向けてみると、子供が泣き出してしまったのもお構いなしに、夫婦と思わしき男女を恫喝している井張の姿があった。


 彼らは渋々といった様子で列の先頭を譲り、井張はニヤニヤと卑しい笑みを浮かべながら女を両手に一番前を陣取る。


「せっかく美味い飯を食ってたのに、気分が悪くなったわ。ムカつくからちょっと嫌がらせしてこよ」


「……行くんですか先輩?」


「なんだよ? 止めるのか?」


「いえ、ちゃんと他のお客さんの迷惑にならないようにやってくださいねー」


 警察官なのに止めないのかよ……。だけどこいつのこういうところ、嫌いじゃないんだよなー。


 俺は席を立って、ゆっくりと井張の方に歩き出す。


 井張は俺に気づくと、両手の女を脇にやって、にへらと下卑た笑みを浮かべた。


「なになに? お嬢ちゃん俺になにか用?」


「あの、スノボーの井張選手ですよね? 私ファンなんです! サイン貰ってもいいですかぁ~?」


「いいよいいよ、君みたいな可愛いファンは大歓迎だよ!」


 身体を前かがみにしながらアニメ声で井張に話しかけると、彼は鼻の下を伸ばしながら上機嫌でサインペンを取り出した。


 今の俺は誰が見ても美少女ってレベルの外見だからな。井張が浮かれるのも仕方ない。ちょっと女二人がガンつけてきて怖いけど……。


「君、名前は?」


「ナユタですぅ~」


 井張がデレデレとサインを書いている最中に、俺は奴のズボンのポケットから財布をスリ取ると、カードや有り金を全て抜いてから、元の位置に戻してやった。


「ナユタちゃんへ、井張泰人っと……。よし、できたよサイン! どう? ついでに連絡先も交換――」


「ありがとうございましたー!」


 井張がなにか言う前に、俺はマジックで使う透明な糸を奴の両手両足に素早く巻き付けると、スカートの中の暗器を引き抜きながら、くるりと身をひるがえす。


 そのまま流れるような動作で、井張のズボンのウエストを締めていたゴムヒモを切断した。


 ――ブチンッ!


 あ、やべ。勢い余ってパンツのゴムまで一緒に切っちゃったわ。


 ……ま、まあいいか。


「んあ……?」


 いつの間にか自分のズボンがずり落ちていることに気づき、井張は間の抜けた声を上げる。


 そしてパンツまでもがストンと床に落ちると、彼はようやく現状を理解したのか、慌てて股間を両手で隠そうとするが、俺が巻き付けておいた糸がその動きを阻害した。


 糸が絡まり体勢を崩した井張は、テーブルに顔面から突っ込んで鼻血を撒き散らしながら下半身丸出しで床に倒れる。


「ぶげぇーーッ!」


「きゃあーーーーっ!」


「お、お客様!? 一体なにをしておられるので!?」


「うわ、きっも! なにあれ!」


「肉肉キングダムでストリーキングかよ!」


「あいつスノボーの井張じゃね? 写真撮って拡散しよーぜ!」


「や、やめろ! てめーら見てんじゃねー! 撮るなぁ!」


 じたばたと暴れながら立ち上がろうとする井張だが、糸が再び絡まり、バランスを崩してまた床に倒れる。


 その拍子にズボンから財布が飛び出して、床に落ちた衝撃で中身がぶちまけられてしまった。


 しかも運の悪いことに連れの女性二人の足元へ井張の財布が転がってしまう。二人はそれを躊躇いなく拾い上げると、中身を確認して顔をしかめた。


「……は? こいつ全然お金持ってないんだけど?」


「もしかして私たちに奢らせるつもりだったわけ?」


 二人の女は態度を急変させると、井張に侮蔑の視線を向けながら彼を残して店から出ていく。


 そして、店内には下半身丸出しで床に倒れ伏す井張と、それを遠巻きに眺める客たちだけが取り残された。


「お、血ぃついとるじゃん。ラッキー! ぺろぺろっと!」


 暴れる井張の鼻血が俺の腕にまで飛び散ってきたので、それを舐めとってから席に戻って食事を再開する。


「毎回思いますけど、よく知らない人の鼻血とか舐めれますよね先輩……」


「……」


 言うなよ、それはさぁ……。能力を獲得するための儀式だと割り切って意識しないようにしてるんだから……。


 だけど、十七夜月に指摘を受けてあいつの鼻から垂れたものだと自覚してしまったことで、結局その後の飯が不味くなってしまったのだった。


 うん、食事中は血を摂取するのはやめとこう……。








【名称】:スノボーキング


【詳細】:真っ白な雪の上を華麗に滑走する様は、まさに雪原の王と呼ぶに相応しい。その超絶技巧は、整備されていないデコボコの雪山や、木々の密集した障害物だらけの地形もものともしない。

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